―――夜中の曇天から降り注がれた雨粒は、ある走行中の車両に激しくその身をぶつける。
ある髭面のインテリ風な眼鏡を付けた一人の中年男【サイード・ボルトア】とその側近護衛役二人を乗せた軽装甲車は、アンバラル領セクター3に向けて走り出していた。
セクター3に向かっている理由は一つ、それは卿国領に最も近い共和国の航空プラットフォームだからだ。ここ以外に共和国から卿国に迅速にアクセス出来る場所は存在しない。
サイード・ボルトアはデュナミス評議会に所属するメンバーの一人だ、だがそれは帝国が共和国との凡そ戦争とも呼べないような戦いで敗戦するまでの間の話である。
より正確には、嘗て彼はデュナミス評議会の栄誉ある評議員だった。
今ではもう、その身はデュナミス評議会に追われる立場と化してしまった。
それもその筈だ。
―――彼はデュナミス評議会を、祖国である共和国を裏切ったのだから。
「―――強い雨が、降っているな」
サイード・ボルトアは側近の護衛達に向けてそう言葉を漏らす。
「はっ、ですが卿国首都ラストバレーまでのフライトには影響はないようです。あの......恐れながら閣下が危惧されるような事は何もないと私目は存じ上げます。現地関係者の手筈は済んでいますし、セクター3での航空機の手配も完了しています。閣下は速やかに共和国領から離れることが出来るでしょう」
(これだ、彼らは優秀な側近立ちではあるがいつも私の言動を深読みしすぎる。お前達が思っている程私は優秀な人間などではないというのに)
「そうか」
サイード・ボルトアはそう単調に返答する。
(私は、一体どこで道を間違ったというのだろう)
サイード・ボルトアは、共和国やデュナミス評議会そのもののあり方に不信感を抱いていた。
この数百年の間、彼はデュナミス評議会に尽くしてきた。しかしそれは、いつまでも果たされなかった世界統一を、共和国が遂行してくれると信じていたからだ。
終わりのない戦いをただただ静観するデュナミス評議会の姿勢は、サイード・ボルトアを背信へと導いた。
彼らには世界平和に対する執念はない、少なくとも大帝国思想レイシスオーダーに勝るほどの物ではなかったと、彼はそう思った。
大帝国思想レイシスオーダー、それは帝国が掲げる武力による強制的世界統一。来たるべき第三次元世界の侵攻に備えてこの星の民は統一されなくてはならないという思想だ。
レイシスもイニシエーターも最終的に目指す場所は同じで、要はどちらの勢力が世界を統一するのかの違いでしかないが、共和国に失望していたサイードにとっては離反する理由には余りに十分だった。
黒滅の四騎士の復活、その計画を枢爵に知らされた時にはサイード・ボルトアの謀略は始まっていた。
黒滅の四騎士の復活に何よりもなくてはならないのが、膨大な負のエネルギーとベース。そしてギリア領域に封印された四騎士の遺物達、そしてこの遺物の覚醒。これは枢爵達の方で回収し覚醒もネクローシスと呼ばれる依り代擬きが行う手はずとなっている。
問題なのはやはりベースや負のエネルギーの確保だろう、より具体的にはベースとなるヘラクロリアム適合体、及び生命の大量絶滅が必要なのだ。
人口が増えて多くの人間の生命活動に必要なヘラクロリアムが少なからずいきわたる様になると、当然ながら濃度が低下して良質なディスパーダは生み出せなくなる。その為の帝国による強引な戦争だった。
戦争を引き起こした張本人である枢爵達にとってこの戦争の勝敗など実はどうでもよく、全て四騎士の為の壮大な茶番だったのだ。
そしてベースを探し出すだけなら簡単だが、能力が発現した時点で共和国内ではイニシエーター協会に直ぐ手を付けられてしまう。
帝国の場合は既にヘラクロリアム濃度が余りに希薄でレイシスを生み出すための強力な負のエネルギーが存在しなかった、そこでサイード・ボルトアの出番がやってきた。
足跡のつかないベースを探し出す為には、既存の人間たちの中から見出す手段しかない。原則としてディスパーダは先天的な存在だが、時に後天的に発現する場合もなくはないのだ。
だがそれらは普通のディスパーダとは違い、トランスディスパーダと呼ばれる。
何かしらの要因で突然変異的になったそれらが通常のディスパーダと決定的に違う点は持続的な形態維持が出来るかどうかで分かれる。
それまで普通の人間の姿だったトランスディスパーダは、覚醒化すると外見に著しい変化が現れる。
イニシエータータイプの一般的な毛髪の銀髪化現象や瞳の赤色化など、通常のイニシエーターに近い外見になるが、トランスディスパーダ状態が解除されると元の外見に戻るなどの復元性が存在していたりする。
要はそういう人間を、現存する膨大な人類の中から探し出さなくてはならなかった。しかも共和国に目を付けられず、居なくなっても問題にならない人材を。
そこでサイード・ボルトアが取った計画が、【スターダスト作戦】であった。
サイード・ボルトアは四騎士に適合しうるベースを捜索するにあたってある簡単な仮説を立てていた、基本的に共和国市民としてトランスディスパーダである事を隠しながら通常の生活を営むのは極めて困難だ。
なぜなら彼らにその能力を制御する術はないからだ、力の使い方を知らない者達は自然と協会に察知されて駒に加えられてしまう。
だが、協会に察知されずにその能力を秘匿的に行使できる集団が実は唯一存在する。それは―――傭兵だ。
この国で傭兵稼業に就くものは揃って共和国建国時の弊害で生まれた地方無国籍者が多い、共和国の国民データベースには存在しない人々だ。
共和国連邦政府や協会は無国籍者を実質見放しているのだが、それは仕方ない話で膨大な共和国国民を抱えるので精一杯なのだ。
無国籍者である以上は通常の生活を送るのは厳しい、無国籍であることで他の国に合法的に入国・在留することができず、身分証明書もない。医療・教育・財産的権利へのアクセスだけでなく移動の自由もない。
そういった人間の行き着く先が傭兵稼業なのだ、特に国際傭兵組織としては民間軍事会社であるセンチュリオン・ミリタリアが余りにも有名だ。
彼らが国際的に活動できる主たる理由として人道的な無国籍者への救済という意図もある程だ。
こういった環境ならば協会に見過ごされた覚醒者としての逸材が存在していて、またその力を秘匿しながら荒稼ぎをしている優秀な傭兵がいてもおかしくはないと考えた。
そこでサイード・ボルトアは優秀な傭兵達を集めた架空の極秘作戦であるスターダスト作戦を立案しでっち上げた。
レイシスを装ったサイードが搭乗した国籍不明の衛星砲要塞を帝国軍の極秘裏の協力を元に帝国軌道上にパーツごとに打ち上げ宇宙空間で建造した。
そして、業績の優秀な傭兵を集めた一団をそこへ向かわせたのだ。
ちなみにこの衛星砲要塞はおよそ衛星砲や要塞としての能力は皆無であり、外観だけの完全に空に浮かぶ巨大な宇宙ゴミオブジェクトだった。
その中に駐在していた職員は軍関係者でも何でもない無関係の無国籍者達だ。
―――そしてサイード・ボルトアの思惑は、見事に的中したのだ。
レオ・フレイムスだ、彼が現れた。
サイードが彼を要塞内で見つけた時、ヘラクロリアム適応体を見極めることの出来るサイードの眼はその潜在的適性を見事に見抜いていた。
当初彼を見た時のサイードは、レオの体内には通常あるはずのヘラクロリアムの極性が無い事に違和感を覚えていた。
その事が、ある過去に行われた計画との点を結びつける。
それは、かつて卿国で行われていた新たな筆頭戦力としての剣聖素体を生み出すための召喚儀式であるレリクシーズ計画の事だ。
だがその計画は失敗しており、異邦から召喚されたとされる剣聖素体は長らく行方不明とされていた。
だが、その素体の特徴としてヘラクロリアムを必要としない生体構造が挙げられていたことをサイードは思い出す。天運がサイードに巡ってきた瞬間だった。
まさしく、その剣聖素体とは目の前のレオ・フレイムスの事だったのだ。
衛星砲要塞を傭兵達に用意させた自滅プログラムで始末させ、円満に作戦を完了させるとレオ・フレイムス以外の適応能力のない傭兵を結果的には全て抹殺する事となり素体は一体分確保する事ができた。
サイードの足跡が宇宙の塵の中へと消えていく中、サイードの計画は次の段階へと移行した。
容易くレオを気絶させ要塞から回収したサイードは、彼を共和国基地へと英雄として脱出用ポッドで帰還させた。
サイードは、レオをより自然な形で帝国に送り届けなければならなかった。その理由はただ一つ、ミナーヴァ・テレサテレスの均衡を見通す監視網に触れない為だ。急激な力の移譲やヘラクロリアムの均衡が乱れると彼女に感知されてしまう。
彼女の強力なセンシティブ能力の前ではより慎重に対処しなければならない、もし感知されてしまえばこの計画は破綻すると同時にサイードも粛清されてしまうだろうからだ。
より回りくどく、より慎重に、そして自然にレオ・フレイムスを枢爵達の元へと送り届ける。
その為にサイードは独立機動部隊であるレイシア隊やアウレンツ大佐を利用し、均衡に触れない形で覚醒させないまま、レオをその部隊の構成員として枢爵達の隷下部隊であるネクローシスの元へと誘導し結果として引き渡す事に成功した。
だが、サイードの天運は突如として散る事となる。
帝国レジスタンスの存在だ、全てレジスタンスのせいでサイード計画は狂ってしまった。
確かにレジスタンスの存在はサイードも知っていた、側近の調査でもその戦力は国政をひっくり返すには全く至らないとも判断されていた。
だが、実際には違ったのだ。その戦力は物の見事に偽装されていたものであり、偽の情報をレジスタンス達によって掴まされていた。
何故そんなことが起きてしまったのか、答えは明確だ。帝国情報局の一部の人間が既に枢騎士団の味方ではなかったからだ。
時は既に遅し、帝国は既に内部で穏やかな分裂が起こり始めていた。サイードに出来ることはもう何も残ってはいなかった。
計画は破綻したのだ、枢爵達は全滅し黒滅の四騎士も完全には至らずに終局を迎えた。
今となっては、完全にサイードは共和国の敵としてデュナミス評議会の粛清対象だ。
だが、サイードにまだ希望は残されている。
アルデラン連邦卿国・卿国王聖師団、事実上の卿国トップである総団長ソプラテス大卿はサイードの亡命を歓迎し共和国の目につかない様に準備を整えてくれていた。
後はサイード・ボルトアが、この共和国の地を去るのみとなっていた。
「共和国を捨て、帝国も捨てた。だが私には卿国でまだ果たすことの出来る義務がある、こんな所で終わるわけにはいかん。卿国が我々の最後の砦だ」
サイードのその言葉に側近の護衛二人は静かに首を縦に振る。
やがてサイード等を乗せた軽装甲車はアンバラル領セクター3へと到着し、用意された航空機のある発着場へと向かう。
その発着場のある場所はセクター3の中でもかなりの高層に位置する場所で、普段身の丈の高い身分を持つ人々が頻繁に利用するような場所だ。
下層の錆びれた一般ターミナルとは大きく違い、そこには豪華で高級近代的装飾が施されている。
上層のターミナルを抜け、サイードはいよいよとその開けた発着場へと辿り着く。
―――だが航空機に乗り込もうとしたその時、サイードは容赦のない現実と向き合う事となった。
その集団の中で、サイードだけがその存在に瞬時に気づくことが出来た。サイードが雨に濡れながらゆっくり振り返るのと合わせて護衛役二人も後ろを振り返る。
その目線はその場所よりやや高所の方に向けられ、その視線の先には一つの大きな漆黒のシルエットが航空障害灯を背にその眼に紅く映し出される。
大きな大剣のようなものを背負い、バイザーの十字状のヘルメットからは紅い光りを放つ。
その存在は、サイードを戦慄させた。
「よりにもよってお前なのか......、クソっ!!デュナミス評議会めぇ......!!」
サイードは拳を強く握りしめると、その拳の中からは血液が地面に向けて溢れ出す。
「―――閣下、ここは我々が」
護衛役二人がサイードへの進路を塞ぐように前へ出ると、各々ソレイスを顕現させる。
しかし、その漆黒のシルエットが突如として姿を暗ますと、気づけば護衛役二人をすり抜けてサイード・ボルトアの前へと立っている。
「―――なっ......!」
護衛役二人の首は言葉を発する暇もなくその存在によって打ち取られると、その胴体は無残に地面に転がり込む。
「うーん......、イニシエーター協会の中でも最上級クラス。特級勲章をも授賞した選りすぐり護衛役二人のプレデイトイニシエーターを難なく瞬殺......か、足止めにもならんとは思わなかったが、さすがにこれは少々......、堪える......なっ!!」
サイードはそう言うと、右手を素早く前に出しアンセルと呼ばれる枢光《ヘイテンロア》とは逆属性に位置する性質を持った技を、水滴を飛ばすかのように繰り出しその漆黒の存在に直撃する。
直撃したそれは衝撃でやや仰け反りながら後退すると、サイードとその存在の間に多少の距離が出来る。
アンセルが直撃した箇所は多少の煙をあげたままで、装甲が融解した様子が見られない。この高エネルギー放射の直撃に耐えうる金属系統の個体物質はこの世には存在しないはずであるが、装甲に何かしら特殊な仕掛けがある事は確かだろうとサイードは考える。
「ベルセクス・ディーアナイト......か、口の利けない奴をよこして来るとは和解も理解も元よりする気なしと来たか。やりやすくて助かるよ全く」
そう言うと、サイードは豪華な上着をその場で脱ぎ捨てシャツの袖を捲る。
サイードはベルセクスに関する情報を殆ど知りえてなかった、戦闘力やその正体は同じ評議会のメンバーであっても計り知れるものではない。
「ここが私の、正念場というやつか」
サイードはそう言うと、地面に手を当て異邦錬成術と呼ばれる【ミナーヴァ・テレサテレスの権能である世界書庫】から盗み出した、この世界には元来存在しない術式を呼び込むための更なる準術式を展開する。
術式の円模様がその地に刻まれるその様は絵本の中のおとぎ話のようで、空間がその術式に同調し始める。
刻まれた術式は空間中に満たされたヘラクロリアム粒子に働きかけ、それに応えるようにヘラクロリアム粒子はマテリアルの保存法則を超越する。
ベルセクスはその動作に気づくとサイードとの間合いを詰めて容赦のない斬撃を繰り出す。
「そうやって勢いだけの馬鹿みたいに突っ込んで来てくれると信じてたよ」
サイードが展開した術式の中から鋭利な無数の成形炸薬効果を持った超高音速の円錐状の槍がベルセクスを貫こうとする。
先のアンセルによる高エネルギー放射ではベルセクスの装甲を貫けない事から、何かしらのヘラクロリアム粒子の原動力とするエネルギー攻撃に対して特化的に防御する事の出来る機構があると推測する。
なので、ここは古典的物理の強い穿孔力であの装甲に穴をあける事にした。
しかしその無数の刃達は爆音と爆発をまき散らしながらも、ベルセクスの動きを一瞬止めたのみに留まり、重大なダメージを与えるには成りえなかった。
「ちっ、私が知る限り最硬度のマテリアルで錬成したはずだが......さすがに硬い、いや柔らかい?金属やセラミック系統の複合装甲とは少し違うな、装甲の弾性が与えられる圧力に合わせて柔軟に変形しているのかなソレ。いっかい距離を取るかぁ」
無数の槍達は次々とベルセクスの装甲の前に爆発させながら刃折れしていく。
サイードが両手から錬成術によるソレイスを生成すると、無数の槍のトラップから抜け出したベルセクスとの斬り合いに場面は発展する。
ベルセクスが振るう大剣から放たれる高出力エネルギーの斬撃をサイードは二度交わして接近する。
サイードとベルセクスの一つ一つの剣戟によって生じる尋常ではない別次元の衝撃波が、周りのプラットフォームの設備や地盤を崩壊させていく。
傍にあったサイードを乗せるはずだった航空機はあっという間に押しつぶされて粉々になり、パイロット達の肉体は人であった事を忘れているような有様であった。
上層ターミナル内では爆音の警報が鳴り響き、人々は我先にとエレベーターや階段に飛び込み下層へと下り始める。
サイードは様々な錬成術で様々な近代兵器を試すように錬成する、成形炸薬で貫けなかった装甲を、今度は磁界によって収束させたプラズマ弾を電磁加速で発射する、共和国軍主力戦車主砲の電磁加速プラズマ砲を生み出しながら、臨機応変にベルセクスの重厚装甲を物理的に軟化させひずみを蓄積させる。
サイードが行使可能な物質圏内で有効なダメージを与える為には、ベルセクスの装甲を何としてでも削ぐことが先決となる。
ベルセクスは大剣を振り回しながら向こう見ずに動き回る。
猛烈な勢いだけで突き進むその姿からはまるで理性など感じられず、サイードは猛獣の相手をさせられているかのようであった。
そして、ベルセクスの繰り出す一撃一撃が全てサイードにとっては致命傷となり得るもので、真っ向から斬り合うには余りにリスクが大きすぎる。
錬成した火砲でベルセクスの立地面を破壊しながら、ベルセクスの突進ルートを歪めさせ、ギリギリの隙でベルセクスの一撃を交わす。
ベルセクスが繰り出す剣戟は大剣で出していいような速度ではない、風の抵抗をも無視するその様は、まるで本当に物理法則でも無視しているかのような錯覚をサイードに憶えさせる。
大剣を振りかざした後の鋭利な突風がサイードの肌に細やかな傷をつけるが、サイードは持ち前の再生能力でそれを瞬時に再生する。
サイードはデュナミス評議会メンバーの中では余り戦闘タイプに属す方ではない、単純な実力で言えば最下位クラスであろうともサイードは自覚していた。
だがそれを補うように彼はミナーヴァが所有する世界書庫から異邦錬成術を習得し、そのおかげで現にベルセクスとの純粋な戦闘を辛うじて繰り広げることが出来ている。
数十分に及ぶ剣戟のさなか、セクター3の上層ターミナルは衝撃波で見る影もなくすっかり崩壊しきっていた。
足場を崩し、落下しながらサイードとベルセクスは戦闘を足場のない空中でも繰り広げる。
戦闘による衝撃でセクター3上層部分は倒壊一歩手前にまで迫っていた。
「そろそろ頃合いかねっ!!」
サイードはそう言うと横目で巨大な貯水タンクの存在を近くに確認する。目をハッとさせると再び錬成術を展開し、巨大な四角い格子状の構造物を第一壁から第十壁までの何重にも折り重ねた壁を作り出し、その檻の中にベルセクスを閉じ込め、その中央に錬成の過程で破損させた貯水タンクの水を入り組んだ経路から注ぎこむ。
「―――これで燃え尽きろ馬鹿たれがっ!!」
そう言うと内部からは紅い光が漏れ出し、突如内部は灼熱地獄と変貌し始める。まさしく火葬とも呼ぶべきか、核融合実験炉のようなその格子オブジェクトは、有限領域内で万象がプラズマと化す極めて複雑な構造体となった。
その一億度以上の業火の熱でベルセクスの複合装甲を分解させる算段。
内部のプラズマを閉じ込めて置くための外側の格子、これをプラズマによって融解させない為の試作型磁力線格子が、内部の漏れ出すプラズマで融解しそうになるとそれが合図となり、サイードは巨大な磁力加速プラズマ砲四門を格子周囲に錬成し、その格子オブジェクトを空間から打ち消すように丸ごと吹き飛ばす。
その壮絶な轟音は夜空の彼方にまで響き渡り、サイードの耳からは緩やかな血が流れる。
「如何なる不死性存在であっても肉片すら失えば復活する術などないはずだ......」
サイードは吹き飛ばされた跡地をみて安堵し、ボロボロになった地面に崩れるように座り込む。
セクター3は辛うじて建造物としての構造を保っている、奇跡であると言えるほどの有様だ。
「さすがに......、本当に......堪えたなこれは......」
人類の英知をも結集しえたかのような究極の錬成術による未知の即席科学兵器、ミナーヴァの世界書庫から盗み出した技術とは言え、これほどまでに実用性を伴う錬成が出来たことはサイードの頭脳を持ってしたとしても奇跡に他ならない。
しかし、安堵に浸る時間など束の間の出来事だった、煙が晴れ吹き飛していたと思っていた跡地からは目を疑う光景がサイードの目に映る。
全身から紅光を放つその異形は、ベルセクスの装甲に包まれていた真の姿を露わにする。
「ははっ、ありえねーよさすがに。おめぇの中身、人......ですらなかったかよぉ......」
禍々しい流体のようなその姿は何とも形容し難い姿をしていた。
敢えて言うならば悪魔の姿だ、羽のような背の突起物に、尻尾のような仕草をも見せる流体。その異形に降り注ぐ雨粒達は次々と蒸発していき、周囲に煙を発生させる。
単眼のような風貌を見せる顔面は明らかにこの世の生物ではない事を見せつけていた。
「ふっ、なるほど。これが例のクリムゾン高エネルギー結合体、ヘラクロリアムフォトンの亜種か......。私が全身全霊をもってはぎ取った貴様の重装甲は、その高エネルギー結合体の入れ物を壊したに過ぎないという事か......」
ベルセクスは唸り声のようなものを響き渡らせながら、右手から槍のような物を生成する。
その槍はサイードに向けてすぐさま投擲され、サイードはそれをソレイスで弾き飛ばそうとする。
しかしその槍はサイードのソレイスをまるで熱した鉄棒でチョコレートにでも当てるかのように、サイードのソレイスを融解させる。
それに驚く暇もなくサイードはその槍によって胸部を貫通し、胸元に巨大な穴が生じる。
槍が突き抜けて到達した先に巨大な高層ビルがいくつもあったが、その構造物にも同様に巨大な風穴を残していく。
「ば、馬鹿な......ありえん。理を超越しすぎている......!」
瀕死の様子のサイードの傷口に、再生が行われている様子はなかった。
「体内は滅茶苦茶だ......、これは......」
ベルセクスは膝を着くサイードに近づくと、再び槍を右手で作り出し、その槍で雑草を薙ぎ払うようにサイードの首を軽く刎ねる。
サイードの首を失った胴体はやがて地面へと崩れ落ち、とんだ首はどこへやらと飛んでいく。
それがまるできっかけだったかのように首の皮一枚で保たれていた巨大構造物であるセクター3上層部分は、耐えかねた苦しみから解放されるがの如く流れるように倒壊していく。
この倒壊によって生じた民間人の死傷者数など見当もつかない程に。
ベルセクスによるサイード・ボルトアの粛清劇は、アンバラル領治安維持部隊が駆け付ける頃には既に収束した。
彼らの戦いは、僅か数十分に及ぶ戦闘でセクター3に大きな爪痕を残していった。