―――帝国首都ブリュッケンには、中央区にレイシス教会の大聖堂が存在する。レオとクライネは、アイザック大佐から言い渡されたとある任務を引き受け、大聖堂を取り囲むように均等に配置された3つの巨大建造物の一つの時計台【第一ツァイトベルン時計台】に向けて足を運んでいた。
その任務とは、禁書指定エリアに赴き、アイザック大佐指定の電子データを専用チップで抜き取ってくるというものだった。
レイシス教会。教会とは言われているが、宗教的な側面は殆ど存在しないと言っても良い。あるのは力のみを追い求める純粋経典的な信念だ。だが名目上国教的な性質を持ち合わせ、他国の国際認識上は実際そうなっている。
しかし、共和国領内で軍閥や企業ばかりを相手にしてきたレオにとっては、こういった北方方面の一般的知識は完全に蚊帳の外の情報でもあったことから、帝国領でレオが目にする光景や情報は目新しい新鮮さそのものだった。
このオンラインネットワーク全盛の御時世、本来であれば嫌でも他国情勢関係の話など勝手に情報として伝わってくるものだが、レオがいた辺境の地域では当該区域の検閲関係で知れる情報にも限りがあった。
まさしくこの地においては、レオの知識は赤子も同然と言える。
たかだか時計台であるはずのこの構造物が、なぜがこれだけのスケールを誇るのか。理由は、その付属された図書施設にある。この建築物の大半は開架式の図書空間であり、そこは由緒正しい国民で賑わう公共スペースでもある。特に学院育ちの多いブリュッケンの人間は極めて読書家な気質があり、この場はある種の洒落た娯楽施設とも言え、それ故に人で溢れかえる事からもこれだけのスペースが必要なのだ。
街から時計台に続く道は、時計台を囲むように存在している人工湖を越えるために四方から巨大な架け橋が掛かっている。そしてその橋を丁度渡ろうとする二人の姿があった。
「―――でっかい橋だな、それに往来も滅茶苦茶多い。あの時計台の麓にテーマパークでもあるってのか?」
レオは背伸びをしながらそう言って、冷えた白い息を吐く。
「そうですねー、大半は慎ましやかな図書施設なんですけども。この辺りは勤勉な国民が多いですからね。あぁーいう場所は特に人気なんですよーあぁさむっ」
レオの隣に並んで歩くクライネは、濃淡のある黒髪を靡かせながら関心のない物言いでそう言う。
その後彼女は、両手を口元に当てて息を吐きかけ手を温めた。
「勤勉......ねぇ......」
「......何か言いたそうですね?」
余韻のある発言をするレオに対し、クライネは深堀るようにそう言った。
「いや、別に。ただ、そんなにエリート気質な国民を抱えておきながら何故このお国のお偉いさんは戦争をおっぱじめてしまうのかなってね、不思議に思っただけさ」
「......レオさんの疑問はごもっともですね。私達も同じ感想をこの国に対して抱いていますよ」
「ほぅ?」
「それはさておいて、そろそろ目的地に着きますよ」
何気ないやり取りを終えて橋をしばらく渡った後、時計台のある麓の人工島に十分ほどで辿り着く。入り口はオープンな作りになっており、辺り一面様々な箇所でガラスが使われ、そのガラス越しに本棚が陳列している様子や読書を勤しむ人々が窺えるといった開放的な空間となっている。
「思ってたより静かな場所って訳でもないんだな」
中央の建物の方へと向かうレオ達の進路の前に、子供たちが駆け巡ってそれを一時的に遮る。お堅い図書施設、というよりはまるで憩いの場である公園のような印象をレオは受ける。
「ところで......なんでアイザックは俺にこの任務を引き受けさせたんだろうか。俺って一応あんたらの保護対象なんじゃないの、こんな迂闊に外をうろついてもいいのかねぇ」
「......さぁ、大佐の事です。何かお考えがあるんでしょう。それに、この辺りは尋問枢騎官の予定巡回航路からも外れていますし、そこまで警戒する事はありませんよ。まぁただの人手不足かもしれませんけど」
「そ、そうか。そういうもんか」
クライネは、レオの質問に素っ気なくそう答えた。
時計台の中へ入り、中の階段を二人は上がっていく。
やがて上層の方に着くと、オープンに陳列していた本棚達は消え、代わりに電子コンソールが陳列し始めた。
窓ガラスもなくなり、日の光が入り込まなくなると、上方の方に進むに連れて、部屋は全体的に暗くなっていく。明らかに読み物をするには最悪の環境だ。
そして気づけば人気は完全に失せはじめ、物静かな空間が広がり始める。
上層階に辿り着き、奥の方に進むと頑丈なコンソールが付いた両開きドアが現れる。
しかしここまでに警備員らしき面影が見当たらなかったことから、レオは状況に疑心を抱き始める。
(妙だな......、重要な禁書指定エリアのはずなのに、警備員が一人も見張ってないなんてことあるのか?)
そんな疑問を遮るようにレオはクライネに声を掛けられる。
「―――いいですかレオさん、ここから先は例の禁書指定エリアです。手筈通りお願い致します。入室記録と監視ドローンカメラはこちらで偽装しておきますが、室内を管理しているセキュリティシステムの強制再起動が15分置きにやってきます。その段階で施した偽装工作は一時的に無効化されるので、長居は不可能です。システム改竄ログの形跡が発見されれば、直ぐにでも治安維持部隊が急行してきますので、室内作業はざっと10分内で済ませてください」
「......あぁ、まぁ予め指定してもらってた端末にこれ。ぶっさすだけだしな。なんの難しいことはない。余裕だ」
レオはそう言いながら渡されていたデータを抽出するための専用チップを取り出す。
「そうですか、ではやりましょうか。私はこれから管理室に向かいますね」
クライネはそう言うと、壁に穴をあけるための道具と思われるリペアツールのようなものを鞄から取り出しゴーグルを顔に取りつけた。
「レオさんはここで待って、扉が開くまでの間待機しててください。管理室は無人ではありますが、認証を通さなければ入室できないので、壁に穴をあけてちょっと入ってきます」
クライネはそう言うと、荷物をまるごと持って元来た道を走って戻っていった。
「そこは物理で解決するんだ......」
そして、クライネが去ってから約5分後。門が開かれる。
「よし、やるか」
―――門が開かれ、禁書指定エリアの中に入る。
中はドローンタイプの監視カメラがいくつも浮遊していて、青白く光るデータサーバーと思わしき無機質な物体が大量に陳列していた。
クライネの話によれば、映像系のセキュリティは偽装されているので、一先ずドローンのことは気にしなく良い。
更に室内の奥側に進み、この専用チップが刺さりそうな場所を探していると、やがてぽつんと孤立したサーバー管理ターミナルと思わしき機械を見つける。
「分かりやすいな」
レオはその端末の元へと赴き、すぐにICチップを指定のハブに突き刺した。あとは自動で抽出してくれる。
ハブに接続させてから約5分が経過しようとした頃、突如クライネから耳元の通信機に連絡が入った。
「―――ん?クライネさんか?まだ時間的余裕はあると思うが」
レオはそう言うが、すぐにはクライネからの返事がなかった。その間を不思議に思えたレオは、つかさずクライネに呼びかけようとした。だがその時、クライネの声が通信機に入り始める。
「......レオさん、かなりまずいことになりました......」
「......どういうことだ?」
「2つの生態反応がそちらに向かっています......」
クライネからそう連絡を受け、携帯していたAEタイプのピストルを取り出し、近くのサーバーに身を隠してすぐさま入り口の方を警戒する。
「警備兵か?どうする?始末すればいいのか?」
「......いえ、それは......」
クライネの歯に衣着せぬ言葉に、レオの脳内では嫌な予感が巡り始める。
「......クライネさん......」
その通信からしばらく間が空いて、クライネは震え声で返事を返す。
「2つの生態反応は......警備兵などではなく......。"レイシス"です......」