愛奈のことが終わって少しした頃。 王城の中にある会議室で、ドランド=ナス=ワルドナ公爵より報告を受けた王様は顎髭を触りながら考え事をしていた。「ドランドよ。真相の究明、という点で考えれば二人ほど当てはある」 他国との貿易を担当しているワルドナ公爵から今し方聞いたことにおいて、その対策が簡単に出来るであろう人物は二人しかいない。「アリシアとユウトだ」 その言葉に対して、同席していたマルスも否定の言葉を出すことはしない。 聞く限り、適任という意味では間違いなく優斗とアリーだと思っているからだ。「そして大魔法士を呼ぶとなると、そのままユウトにやってもらったほうがいいのだろうが……」 もちろん相手方の主張を飲んでやるのならば、だ。 ワルドナ公爵は隣に座っているマルスを見ながら答える。「ですが此度の主張はさすがに度が過ぎてます。我が王の願いも慮るのであれば、やはり断固として拒否すべきだとは思うのですが……」 マルスは義父として優斗のことを溺愛していると言っても過言ではない。 そして今回の相手方の要求を飲んでしまうと、また厄介ごとに関わらせてしまう。 それはワルドナ公爵とて望むところではない。「マルスよ。お前はどう考える?」「我が国のことを考えるのであれば、解決すべき事案だとは思います。またワルドナ公爵が困惑している様子を察するに、アリシア様か我が義息子を連れて行ったほうがいい、という考えも間違いないかと」 要するに金額だの何だのと数字で戦っていない、ということ。 視点も考えも全くの別物である必要がある。「ですが義父としては、やはり義息子に頼りたくないのが実情ではあります。ただの学生であることを謳歌して欲しいのは、何も我が王だけの願いではありませんから」「となるとやはり、断りを入れるとしましょう」 彼としても厳しいことには変わりないが、それでも王様とマルスの言葉が心からの言葉だと知っている。 ワルドナ公爵がマルスの考えを受け入れて拒否する姿勢を示す。 だがマルスは感謝の表情を浮かべながらも言葉を加えた。「しかし義息子との父子水入らずの旅行という誘惑には、抗いがたいものがあります。初日で片付ければ、残るは義息子との観光スポット巡り。貿易国家であれば良い酒もあることでしょうし、それはとても魅力的です」 突拍子もないことに王様もワルドナ公爵も目が点になる。 勉強としてワルドナ公爵に同席している息子のドロニスも、マルスの想定外の言葉に思わず口を挟んでしまう。「よ、よろしいのですか!? というより一緒に行く気なのですか!?」「もちろん。我が義息子も王城にいることです。話だけでもしてみましょう」 と、ここでマルスはドロニスを見てから尋ねる。「そういえばドロニス君はうちの義息子と会ったことはあったかな?」「い、いえ。大魔法士様と直接、お話しさせていただいたことはありません」「であれば君から交渉してみるといい。ユウト君は今、アリシア様の部屋で書類作業をやっている頃だろうから」 ◇ ◇ マルスに言われて、ドロニスはアリーの部屋まで歩いて行く。 そして部屋の前に立っている近衛騎士へ優斗に会いに来たことを伝えると、少しして部屋の中からちょっとした話し合いが聞こえた。『もうちょっと! もうちょっとだけ処理して下さい! 時間が費やされてしまう分だけ、わたくしの夏休みが消えてしまうのですよ!?』『少し話すだけだろううし、すぐに戻ってくるよ。というかクリスと二人で終わらせてくれたら僕的にラッキーなんだけど』『無理ですよ。三人でも一時間は掛かる代物です』『クリスの言う通りだよね。まあ、出来るだけ簡潔に済ませるから』 そう言って優斗は部屋から出てくる。 そしてドロニスと顔を合わせると、恭しく頭を下げた。「初めまして、ドロニス様。宮川優斗と申します」「こ、こちからこそ突然の訪問、大変申し訳ない。ワルドナ家の長子、ドロニスと申します」 お互いに頭を下げてから、優斗はドロニスに質問する。「僕に用があるとのことですが、何かしら困った事情がおありでしょうか?」「はい。それなのですが――」 ドロニスは先ほど、王様と父の話し合いを優斗に伝える。 そして自身がこの場に伺った理由も。「まるで手の内が全てバレているかのように、リヴァイアス王国との交渉は全敗している……というわけですね」 端的に言うと、そういうことらしい。 その解決に必要な人材が優斗かアリーが適任だと。 ふむ、と顎に手を当てて優斗は考える仕草をする。 確かに聞く限りでは違和感がある上に、おかしいと断言出来る状況だ。「なるほど。確かに不自然だと僕も思います」「ユウト様もご多忙のところ、不躾で申し訳ありません」「気になさらないで下さい。アリーが夏休みに仕事したくないって泣きついてきたから、手伝ってるだけですよ」 くつくつと笑って優斗はドロニスに笑顔を向ける。 そして、軽い調子でドロニスに返答した。「親孝行するついでに少しばかり関わるくらいなら、問題ないですよ」「よ、よろしいのですか!?」「ええ。義父さんはワルドナ公爵の状況も改善してあげたいと思っていますが、公私混同ぶっ込んで僕と旅行したいのは間違いなく事実ですから」 そうなると、だ。 義息子としては親孝行してあげたいと思う。 前向きな返事が優斗から出てきてほっとしたドロニスだったが、「しかし何故、我が王はアリシア様とユウト様でなければと仰ったのだろうか?」 ふと、不思議に思っていたことを呟いてしまう。 それに自身ですぐ気付くと、慌てて取り繕った。「ああ、いえ、違うのです! 大魔法士様が父より劣っていると言っているわけではありませんので!」 二十歳は超えているであろう青年の慌てっぷりに優斗は小さく笑って、問題ないとばかりに声を掛ける。「ご子息のドロニス様から見ても、ワルドナ公爵は優秀だと思われますか?」「身内贔屓に思われるかもしれませんが、父は優秀だと私は思っています」「だからでしょうね。優秀な人間同士の場であれば、そのような事態には陥っていないのでしょう」 優斗が告げたことにドロニスは首を捻る。 そのような事態に陥っていないと何故、分かるのだろうか。「今回の件、必要なのは優秀さではないんです。だからこそ王様は僕とアリーが適任だと言ったんですよ」「優秀さではない、というのは何故分かるのですか?」「単純なことですけどワルドナ公爵が全敗してるからです。だから別の方向から見据える必要があるのは自然な考えでしょう?」 優斗はそう言うと振り返ってアリーの部屋を開ける。「しかしながら、やはり同意は欲しいところです。なので部屋の中からも意見を取っておきましょう」 言うが早く優斗はアリーの部屋の中に入る。 ついでにドロニスも部屋に招き入れようとした。 王女の部屋に本人の同意なく入っていいのか躊躇われるが、ドロニスに気付いたアリーが手で招き入れる仕草をする。「少し休憩としましょう。ユウトさんだけ逃げることなど許しませんわ」 ドロニスを部屋に入れて、アリーとクリスにも話を聞かせる。 アリーは全て聞き終えると、王様の判断が間違っていないとばかりに納得した。「どれだけ優秀な人間が相手でも、ワルドナ公爵が全敗することはあり得ません」 普通に考えてあり得ないと言える事象だ。「金銭について交渉する場合、必要なのは二つの情報ですわ。一つは正確な数字、そしてもう一つは――」 アリーが問うようにクリスへ視線を送ると、彼は理解していたのか続きを答えた。「ワルドナ公爵の性格、というわけですね。大抵は決まっているとしても、最後の詰めの部分は担当者の匙加減に委ねられるケースが多いですから」 「正解ですわ、クリスさん。だというのに、徹頭徹尾負けているというのは理不尽以上です」 難しいどころではない。 どれだけ優秀だとしても、不可能な出来事だと言いきっていい。「ですがユウトやアリーさんなら、リヴァイアス王国と同じことが出来るはず」「やりようによっては、です。わたくし達とて揺さぶりを用いて、やっと出来ることですわ」 出来ないとは決して言えない。 だが異様な結果に対して、それも当然とばかりの過程がある。 優斗やアリーの場合は過程として、揺さぶりだと明らかに分かることをやる。 だから異様な結果であっても、その過程があるからこそ異様に映らない。 しかし聞いている限り、そうではない。 真っ当にやっているのにも関わらず、今のような出来事が起きている。「本来、劣勢でも納得出来る範囲はあります。それに交渉というのは、妥協するパターンが一番多いのですわ。つまり毎度のように『負けた』とまで思わされるのは絶対にありません」 そして妥協がないほどに打ち負かされているのであれば、「通常の出来事ではないと判断出来ますわ」 何かしら目に映らない異常が絡んでいる。 そう考えていいからこそ、王様は優斗かアリーこそが適任だと言った。 異常事態の正体に気付けるほど、ありえない選択肢すら可能性に入れるから。「まあ、やっぱりその考えに辿り着くよね」 優斗はアリーから同意を得たことで、あらためてドロニスに伝える。「というわけで僕も、悪い結果にはならないように動いてみます」「あ、ありがとうございます!」 優斗の言葉にドロニスは何度も頭を下げる。「それでは私はこれで失礼させていただきます。これより急ぎ資料を再確認し、検討しなければなりませんので」 そうドロニスは伝えると、部屋から出て行く。 三人は彼を見送った後、残った仕事を片付けるために書類を手に取る……ということをしなかった。「それで従兄様はどのように考えていますか?」 確かに異常事態の把握において、優斗とアリーは他の追随を許さないほどに抜きん出ている。 だが、だからといって他の人間には不可能……というわけではない。「僕かアリーをご指名ってことは、もう一つ面倒な可能性があるからね。王様はそこも疑っておきたいんでしょ」「もう一つの面倒な可能性……ですか?」 さも当然のように言った優斗に疑問の表情を浮かべたのはクリス。 アリーは二人の反応があまりにも彼ららしくて、小さく笑う。「クリスさんは今回の一件で、本来は真っ先に疑うべきは何か分かりますか?」「真っ先にですか? それは……」 クリスは問い掛けに対して、頭の中で今回の件を整理する。 そしてすぐに気付いた。「身内による情報提供……でしょうか?」「ええ、その通りですわ」 まるで相手に手の内が全てバレているとしか思えないような内容。 つまり裏切り者かスパイがいると考えるのが自然だ。「ですが話の流れとして、そこを最も可能性が高いものとして疑っていない」 なればこそ他の事実も浮かび上がってくる。「他国も同様のことが起こっている。そう考えるのが必然でしょう」 リライトだけならまだしも、他の国も共通しているというのなら。 各国に内通者を置くのは難しいはずだ。 担当者を裏切り者にするにしても厳しいだろう。「他国も同じようになっているのなら、可能性は多岐にわたってきます」 内容はかなり面倒の様相を呈しているのに、アリーは何も深刻ではないと言うかのように言葉を続ける。「何かしらの異常事態が起こっている可能性もある。裏切り者がいる線も消しておきたくはない。だからこそのわたくし達です」 異常事態の把握能力が高く、さらに自国の人間の裏切りすら平然と選択肢に入れることが出来る。 どちらか片方だけならば優斗やアリーを指名する必要はないが、どちらもとなると二人しかいない。「後で確認するとはいえ、伝達が不足していますわ。これでわたくしかユウトさんを引っ張りだそうだなんて、少しばかり手落ちですわね」 王様も自分達が気付く前提ではあろうが、それでも最初から不足なく説明ぐらいはして欲しい。「さて、ここで先ほどの質問を再びしましょう。意外と厄介な件ではありますが、ユウトさんはどのように考えていますか?」 アリーが話を振ると、優斗は肩を竦めた。「この世界の貿易形態や商売の方法なんて、調べたところで付け焼き刃でしかない。だけど手伝うとは言ったからには、原因ぐらい見つけようと思う」 どこまで解決するかは状況次第だが、それでも最低限は原因の特定だろう。 そして優斗はアリーとクリスに視線をやると、ニヤリと笑った。