そして優斗が怪我をしてから二週間後。彼は診察室で手の平を何度か握り締めると、続いて肩を回す。 「……ん」 痛みはなく、何かが張る感覚もない。異常がないことを医者に伝えると医者は大きく頷いて、 「うん、怪我はもう問題ないようですね。今日で通院もお終いですよ」 「ありがとうございました」 優斗は頭を下げて病院を出る。特別に何かすることもなかったので、トラスティ邸へと帰る。 広間に足を運ぶとエリスとマリカがいた。 「もう大丈夫なのね?」 「ええ。完全復活です」 右腕をぐるぐると回して問題ないとアピール。するとマリカが遊んでいた積み木から目を離して優斗を見る。 「マリカ、おいで」 優斗が呼ぶと意気揚々と駆け寄ってきた。 「ぱ~ぱ!」 飛び込んできた娘を優斗はしっかりと抱き上げる。今までより重いと感じたのはマリカが少しばかり成長したことと、おそらく優斗の右腕の筋力が僅かでも落ちていたりすることも関係しているのだろう。 「フィオナはもう出たんですか?」 「ええ。最後までマリカのことを気にしてたけど」 「相変わらずですね」 優斗はマリカを抱いたままソファーに座る。フィオナは今日、平民で初めてできた女の子の友人と一緒に遊びに行っていた。 「楽しんでくれればいいんだけど」 「ですね」 元々はココとの繋がりから出会って、フィオナ、ココ、女の子、そして卓也が護衛として一緒に買い物をしているはずだ。 そしてココが繋がりを持てた理由として、ラッセル一味が関わってくる。 というのも、ラッセルの状況がどうしようもなくなったからだ。金を使ったところで罪が回避できるわけもなく、完全に罪人となった。なので学院に登校どころか普通に退学になったとされている。 つまりラッセルがいなくなり新学期が始まってからというもの、平民を見下す数人の取り巻き貴族達の威圧が衰退を辿っていた。 彼らは平民が貴族と気軽に話そうとしていたら口出しをしていた。しかし中心人物がいなくなったことによって出来なくなった。 要するにラッセルという傍若無人で矢面に立つ人物がいなくなったから、迂闊に自分が槍玉に挙げられたくはない、ということだろう。 「ユウトはどうするの?」 「マリカの面倒でも見てますよ」 「あら、暇なのね?」 「……なにを頼む気です?」 「クッキーを作りすぎちゃったのよ。だからマルスに届けてほしいなって」 テーブルの上に山ほどのクッキーがあった。小さく袋詰めされてあり、一五袋ぐらいはありそうだ。 「多すぎません?」 「まあ、マルスに渡せばどうにかなるでしょ」 「テキトーですね」 とはいえ優斗も暇なのは間違いないし、面倒だとも思わなかったのでエリスのお願いを快く了承した。 「マリカと一緒に行ってきますよ」 優斗は大きな紙袋を片手にマリカと一緒にトラスティ家の門をくぐると、守衛長のバルトが二人の姿に気付いた。 「おや、ユウトさん。お出かけですか?」 「はい。マルスさんに届けものをしてきます」 「マリカ様もご一緒に?」 「ええ」 優斗が肯定する。と、抱いているマリカが紙袋に手を伸ばした。 「どうしたの?」 「あ~ぅ」 そのままぐいぐいと手を伸ばしていくので紙袋を近付けてあげると、マリカがクッキー袋を一つ取り出した。 ここでやっとマリカが何をしたいのか優斗も気付く。なのでバルトに近付いた。 「あい」 愛娘はバルトがすぐ近くなると、クッキー袋を向けた。 「マリカ様?」 「バルトさんにマリカからどうぞ、ですって」 マリカの行動の理由を知ってバルトの顔が綻ぶ。 「これはこれは。ありがとうございます」 「あうっ!」 目的の王城まで辿り着く。一応は異世界の客人、ということなので門番との軽い挨拶程度で中に入れる。 「義父さんって確か国防大臣だから、こっちの方で良かったはず」 前に飲んでいた時、一度しか聞いたことがない場所を朧気な記憶頼りに向かう。 「ちゃんと聞いておけばよかったな」 フラフラと城内を歩いていくと、前方に幾人も引き連れた人物が現れた。 「あっ、王様だ」 ささっと隅に避けて頭を下げる。しかし赤ん坊を連れて城内にいたら、さすがに王様の目にも留まる。マリカであればなおさら、だ。 「おお、ユウトではないか」 王様から名前を呼ばれたので、頭を下げたまま優斗は返事をした。 「ご無沙汰しております」 「面を上げよ。ここにいる者達はお前の素性を知っている。マリカのこともな」 王様が朗らかに教えてくれたので、優斗は顔を上げた。 「怪我の具合はどうだ?」 「今日で完治しました。問題ありません」 「そうか。それは安心した」 ほっとした様子の王様。マルスから逐一報告は受けていただろうが、実際に怪我が治った優斗を見て安心したのだろう。 「マリカも元気か?」 「この上なく元気に過ごしています」 優斗の返答を嬉しそうに聞く王様。するとマリカが動いた。先ほどのバルトの時と同様に紙袋に手を伸ばした。 「マ、マリカ!」 止めようとするが遅い。マリカが紙袋からクッキー袋を取り出して王様に突き出す。 「これは?」 興味津々に王様が袋を見つめる。観念して優斗は説明をした。 「……クッキーです。エリス様が作りすぎたため、マルス様へ渡すように頼まれたものなのですが……」 そして罰が悪そうに優斗は伝える。 「どうやらマリカは王様にも差し上げたいようで……」 おそらく、髭のおじさんとして覚えていたのだろう。しかし王様は柔和な表情を浮かべ、 「おお、これはありがとう」 マリカから袋を受け取ると、クッキーを一つ取り出して食べる。 王様なのだから少しは危機感を持ってほしいと優斗は思ったが、龍神であるマリカが直接渡しているのだから王様も問題ないと踏んだのかもしれない。 「ふむ、美味い。エリスにも感謝の意を述べておこう」 「ありがとうございます。エリス様も喜ばれます」 「ああ、あとアリシアにも顔を出してくれると助かる。先ほどまで公務であったから今は暇をしているだろう」 「分かりました」 「では、我は別の公務が残っているのでな」 もう一つクッキーを取り出しながら王様が去っていく。完全に姿が見えなくなってから、優斗が大きく息を吐いた。 「マリカ、あの人は一番偉い人なんだからね。おいそれとクッキー渡しちゃ駄目だよ」 「あい?」 マリカが首をかしげた。この上なく可愛らしいが、意味がわかってないのは明白だった。 「……まあ、いいか」 問題なかったことだし、気にしないでいこうと優斗は思った。 続いてアリーの部屋の前に辿り着く。護衛にお目通りを願うと、簡単に通された。 部屋に入る際に護衛から一人で来るのは珍しいと言われたが、優斗がマリカも一緒だと茶目っ気を出して返したら、苦笑して謝られた。 「ユウトさん、いらっしゃってたのですね」 「ちょっと用事があってね。それで城内を歩いてたら、王様からアリーが暇してるって聞いて寄ってみた」 「ありがとうございます。公務が終わってどうしようかと思っていたところでしたので」 部屋の中に入るとメイドがテキパキと動いてお茶の準備をしており、なぜか三席分用意されている。 「……がっつりと話す気満々だね」 「暇ですから」 やっと公務が終わったところに丁度いい生け贄が飛び込んできたので、問答無用という感じだ。 「こっちを無視した強引なところ、本当に修の影響を受けたって思うよ」 アリーが席に着いたので優斗も座ろうと思ったが、その前にマリカが腕の中で動く。やりたいことが分かったので紙袋からクッキーの袋を取ってマリカに持たせた。 そしてアリーの前まで優斗はマリカを抱えて歩いていく。 「あら、どうしたのですか?」 「あいっ!」 マリカが元気よく両手を突き出した。 「えっと……クッキーですか?」 「義母さんからのクッキー。作りすぎたからって義父さんに処分を頼む途中でね。ちょうどいいからアリーにもおすそ分け」 「ありがとうございます。マリカちゃんもありがとう」 アリーがマリカの頭を撫でるとマリカが満足そうにした。 ついでに優斗も何袋か処理しようと思って、二袋追加してテーブルの上に出す。 「フィオナさんとココさんは今頃、お友達と買い物中ですものね」 クッキーをかじりながらアリーが呟いた。 「羨ましいの?」 「……まあ、一緒にいるのが平民の子ですからしょうがないですわ。王族のわたくしが加わったら遠慮しそうなので気が引けますし。ただ、羨ましいことには変わりありませんわ」 「王族は遠すぎるからね、仕方ないことだけど」 貴族はギリギリ大丈夫かもしれないが、王族は恐れ多いと思っている人は多いだろう。 「シュウ様も今日はイズミさんとクリスさんと一緒に遊んでいるそうですし」 「レグル家で何かやってるって言ってた。クリスの胃に穴が開かなければいいけど」 「ふふっ、本当ですわね」 あの二人と一緒に行動して真面目にどうこう、というのは絶対にないだろう。 「あ~、でも良かったです。ユウトさんがいなかったら、今日は暇で死んでいましたわ」 「ちょうど良かったってことだね」 とはいえ自分もマルスにクッキーを渡したら暇だ。マリカとどこかに行くにしても、アリーが一緒で問題はないはずだ。 「一息ついたら城下でも行く?」 優斗の提案にアリーは目をぱちくりさせる。 「いいのですか?」 「義父さんにクッキーを届けたら暇だしね。暇人は暇人同士、遊びに行ってもいいでしょ」 優斗が茶目っ気たっぷりに言うと、アリーが小さく笑った。 「そうですわね」 アリーが着替えている間にマルスのところへと辿り着く。取り次げばすぐに会えることになった。 「おや、ユウト君にマリカじゃないか。どうしたのかな?」 「マルス様にプレゼントです」 義父と呼ばれなかったことに少し落ち込むが、マルスはここが王城だからと気を取り直す。 優斗はマリカに一袋だけ渡して、紙袋自体はテーブルの上に置く。 「エリス様からマルス様にクッキーの差し入れです。どうにか処分してくれと」 「あいっ!」 今まで通り、持っているクッキー袋をマリカがマルスに手渡す。 「おおっ、ありがとう」 孫に直接手渡されて表情が緩むマルス。 「わざわざすまないね」 「いえ、暇でしたから」 「このまま帰るのかい?」 「先ほどアリシア様と会ったので、彼女と一緒に遊びにいこうと思ってます」 「分かっているだろうけど、くれぐれも粗相のないように」 「大丈夫です。アリシア様の許容範囲を超えるような粗相なんて、僕にはできませんから」 修や和泉にも耐えられる彼女だ。優斗がどんなことをやっても粗相のうちに入らないだろう。 マルスも言っていることを理解してか、それもそうだなと笑った。 そして優斗が義父に頭を下げて執務室から退室すると、アリーがすでに待っていたので三人して市街へと出る。 「なんていうか珍しい組み合わせだね」 「ですわね。いつもはほとんど家庭教師ペアですから」 「あうっ」 するとマリカがここにいるぞ、とばかりに優斗の腕の中で主張した。 「ああ、ごめんごめん。マリカも一緒だもんね」 だからペアというのはおかしい。優斗がぽんぽん、とマリカの頭を撫でてあやす。するとアリーは興味深げに、 「マリカちゃんって抱いてみたりすると、やっぱり重みがあるものでしょうか?」 「あれ? 抱いたことなかったっけ?」 修を始めとして男性陣は馬になったり肩車したり色々とやっているので、てっきりアリーも抱っこぐらいはしていると思っていた。 「ありませんわ。一緒に遊んだりはしますけど、抱き上げる機会はありませんし」 「じゃあ抱っこしてみる?」 ひょい、と優斗はマリカをアリーに向ける。娘も彼女なら嫌がるわけもない。 「いいのですか?」 「ものは試しって言うから。とりあえずやってみたらいいよ」 マリカを一度下ろしてアリーの側に預けると、彼女は恐る恐るといった感じで抱き上げた。 「あっ、思ったより重いですわね」 「見た目年齢で一歳半? ぐらいだしね。それに会ったときより何キロかは増えてると思う」 マリカはマリカでアリーに抱っこされると、きゃっきゃっと喜んでいる。 「しばらく抱っこしてあげて。マリカ楽しそうだから」 「分かりましたわ」 「あれ? あそこにいるのってユウトくんじゃない?」 平民の女の子──リーネがふと前を見ると馴染みのクラスメートの姿があった。 アイスクリーム屋でお金を支払っている。釣られてフィオナ、ココ、卓也が視線をアイスクリーム屋に向けると、確かに優斗の姿があった。 優斗は四人に気付いていないのか、近くのベンチに向かった。 カップを二つ持っていて、片方をベンチに座ってマリカを膝に乗せているアリーに手渡す。 「もう一人はアリシア様よね?」 「そうです」 「だろうな」 「抱っこしてる赤ん坊ってアリシア様の子供……って、ありえないわよね。だったら一大ニュースになってるもんね」 なんとなく、隠れるように優斗たちを監視する四人。 「アイス食べてます」 ココが美味しそう、と呟き、 「なんか食べ比べしてるな」 卓也も美味そうだな、と思い、 「時折、赤ん坊にも食べさせてるね」 リーネが疑わしそうに二人を見る。傍から見て仲良さそうにアイスを食べていた。 「赤ちゃんが何者かはわかんないけど、あの二人ってもしかして“そういう関係”なの?」 一方で、アリーはどうしたものかと頭を悩ませる。 「ユウトさん、気付いてますか?」 「気付くなっていうほうが無理じゃない?」 「ですわね」 四人組が建物の影から自分達を覗いている。異様な光景と異様なプレッシャーとが相まっているので、見られている二人には簡単に気付けた。 「完全な姿を現してないけど、あれってフィオナ達だよね?」 「おそらくそうですわ。何をしているのやら」 紙カップを潰してゴミ箱に捨てる。 「問い詰めます?」 「別にいいでしょ。害はないし」 四人組ということは平民の女の子もいるだろう。だったら、無理に王族が向かってギクシャクさせても可哀想だ。 「次はどこ行く?」 「わたくし、平民の方々が行く小物屋にはまだ行ったことがありませんから、行ってみたいですわ」 「了解だよ。じゃあ、行ってみようか」 優斗はマリカをアリーから預かって歩き始めた。 歩き去って行く二人と赤ん坊の姿を見て、リーネとココはすぐに動き出す。 「追うわよ」 「追います」 「……マジか?」 リーネとココの発言に卓也が軽く難色を示した。別に彼も尾行することがつまらない、と思う性質ではないのだが、どうしたって今はやめておいたほうがいいんじゃないかと思う。 けれどリーネとココは目の前の光景に夢中で、 「当然でしょ。こんなに面白いことないじゃない」 「そうです!」 完全に乗り気になって、すでに追いかけ始めている。けれど、さっきから喋らない人物が一人いる。だから卓也は難色を示した。 「…………」 無言を貫いているフィオナが怖くて、卓也は乗り気になれなかった。 「あれほどヘタクソな尾行もないと思う」 「もしかして見つかるのを待っているとかでは?」 「いや、さすがにないって」 何をしたいのか分からない尾行連中を引き連れながら、優斗達は目的の場所へと辿り着く。 小物専門の雑貨屋に入っていくと、ガラス製品からネックレス、ブレスレットまで安物の光物が揃っていた。しばらく二人で物色していると店員が話しかけてくる。 「彼女へのプレゼントをお探しでしょうか?」 店内には優斗達しかいない。ということは、自分達二人に向けられたものだろう。 マリカを抱いて仲良く見ていたのも、余計に勘違いを助長させたのかもしれない。 「あら、恋人に見えます?」 アリーが調子に乗って優斗の空いている左腕にそっと右腕を絡ませようとする。 長年の社交経験からか、流れるような動きだった。 「おいこら、アリー」 けれど優斗がペシっとチョップをかます。 「“これ”は従妹なんで。それで“これ”には妻へ送るプレゼントを一緒に見繕ってもらっているんです」 さすがに王族がここにいるはずないだろうと思っているのか、アリーが王女だと気付いてはいない様子の店員。 とはいえ従妹だと言っても髪の色やら何やら全部似ている点はないのだが、優斗の言い訳に普通に納得していた。 「では、何かありましたらお声を掛けください」 一礼して店員が去っていく。するとアリーが、 「わたくしを“これ”呼ばわりするなんて」 軽く額を擦りながら、悪戯して満足げな表情をするアリー。 「悪ノリするアリーが悪い」 「けれどよくもまあ、さらっと嘘が付けますわね」 「できる性格だから仕方ない。ただ、アリーも出会った頃は清純だったのに、どうして悪戯とかするようになってしまったんだろうね?」 優斗も意味ありげなことを告げる。二人は顔を見合わせると笑った。 「僕達のせいか」 「そうですわ」 小さく笑い声をあげる。 「結局のところ奥様に何か買ってあげるのですか、わたくしの従兄様?」 また悪戯めいた表情で訊いてくるアリー。優斗も同じような表情で乗った。 「何か買うことにしましょうかね。従妹が僕の大事な奥様に見繕ってくれるそうだから」 店内にいる二人は仲良さげに回っている。先ほど店員がやって来た時も仲良く笑い合っていた。 「むぅ、やはりアリシア様はユウトくんとデキてたのか」 「いやいや、ないから!」 リーネの発言に慌てて卓也が否定した。 「本当?」 「いろいろと事情はあるが、とりあえず優斗とアリーがくっ付くことだけはない!」 「じゃあ、どうして二人っきりで?」 「…………」 なんとなくフィオナからの無言の圧力が強まった気がする。焦って卓也が弁明した。 「えっと……だな。アリーは友達少ないし、たまたま予定が合ったのが優斗だったんだ」 これなら筋が通る。リーネも卓也の弁明には納得した様子。 「確かに納得せざるを得ないわ。アリシア様と対等に接してるのって貴方達ぐらいだものね」 普通は気後れするものだ。自分達の国の王女なのだから。 「というか、別にアリーは王族とかどうとか気にしないけど」 「向こうはそうでもこっちは気にするものよ」 「まあ、無理にとは言わないけどな」 買うものを買ってお店を出る。 「気付いたらいなくなってましたわね」 「会計してる頃には距離を開けたみたいだね」 まだ側にいるかもしれないが、別にどうということはない。優斗は二つの袋をアリーに見せる。 「片方はフィオナさんへのプレゼントって分かるんですが、もう一つは何ですか?」 「こっち?」 片方がフィオナへのプレゼントだということは選んだアリー自身が知っているのだが、もう片方はいつの間にか優斗が買っていた。 「こっちはアリーへのプレゼント」 「えっ?」 素で驚きの声をあげるアリーに優斗は袋を渡す。 「中を見てもいいですか?」 「どうぞ」 アリーが袋の中を確認する。すると正方形の物体が入っていた。 「サイコロ?」 けれど取り出してみると、ちょっと違う。よくよく見てみると、正方形が九分割されている。 「こっちでの名称は分からないけど、僕達が知ってる名前としてはルービックキューブって言うんだ。修がこれ得意だから教えてもらうといいよ」 再度、アリーが驚きを表す。いつも思うが、優斗はどうすればここまで気が回るのだろうか。 さりげなくフォローだってするし、今みたいに修との切っ掛けを作ってくれる。 「……本当、シュウ様がいなかったらユウトさんに惚れてしまっていたかも分かりませんわね」 「残念ながら僕は奥様に操を立ててるよ?」 なんて宣う優斗だが、表情は冗談を言っている時の顔だ。 「でも王族の夫にするには身長と顔が少し足りませんわ」 「おいこら、ちょっと待て」 優斗がツッコミを入れると、アリーは朗らかに笑う。 「ユウトさんは本当にわたくし達のことを考えてくれますわね」 「大切な仲間だから当然のことだよ」 しかも大半は同年代とのコミュニケーション不足だから、優斗もできる限りのことはしたいと思うのだ。 アリーをしっかりと王城まで帰して優斗も帰途に着く。まだ一八時にもなっていないが、マリカは自分の腕の中でぐっすりだ。 「ただいま戻りました」 「お帰り、ユウト」 広間に行くとエリスが迎えてくれた。優斗はマリカを広間にある小さな布団に寝かせる。 「フィオナは?」 「閉じこもってるわよ」 エリスが教えてくれた内容に優斗は軽く頭を抱える。 「……うわぁ」 「何かあったの?」 「あったわけではないんですが、何となく理由はわかります」 おそらくはアリーと出掛けていたのが原因だろう。 「夕飯までには機嫌を直しておきなさいよ」 「分かってます」 とりあえず優斗はフィオナの部屋に向かう。彼女が閉じこもる、ということは怒っているのか落ち込んでいるのか。なんとなく怪我をした次の日のことを思い出した。 ──最近、フィオナは情緒不安定になりやすいな。 と、腕を組んだ日のことが脳裏に浮かべながら、フィオナの部屋の前へと到着する。 コンコン、とノックをしてみる。 「フィオナ?」 「…………」 「フィオナ、聞こえてる?」 「聞こえてません」 「聞こえてるじゃないか」 こういう妙なところで律儀なのが本当にフィオナらしい。 「どうして尾行してたフィオナが怒ってるの?」 「…………」 「見てたなら分かると思うけど、アリーと遊んでただけだよ?」 「……知ってます」 じゃあ、なんで閉じこもってる。優斗は頭をガシガシと掻くと、再び引きこもりに質問する。 「もしかしてアリーと一緒に出かけたこと怒ってる?」 「怒ってません」 少し大きな声で否定したフィオナに優斗が困った表情になった。 ――いや、怒ってるし。 何一つ説得力がない。あのフィオナが声を僅かでも荒げたことが、何よりの証明になる。 「フィオナ。言ってくれないと、僕も何がいけないのか分からないよ」 「…………」 まただんまりか、と優斗が思った時だ。 「……嫌だったんです」 ぽつり、とフィオナが答えてくれた。 「アリーさんと優斗さんが二人で遊んでいるのを見るのが、凄く嫌でした」 なぜか心がキリキリと痛んだ。 「まーちゃんも一緒にいて、なんというか……私の居場所を取られた気がしました。あとプレゼントをあげているところを見てしまったら、もうその場所から遠ざかりたくなってしまって……」 その光景を見たフィオナが泣きそうになった様子を察して、卓也が今日の集まりを解散させた。 一人になったフィオナはどこにも寄らず一直線に帰ってきては部屋に閉じ籠もり、現状が出来上がったということだ。 「優斗さんとアリーさんが友達同士で遊びに来ている、ということは頭では理解しているんですが、感情が納得いかなくて……」 「……そっか」 彼女の独白を聞いて、優斗は不意に嬉しさがこみ上げた。今日の出来事をそんな風に思ってくれているとは知らなくて。驚いた反面、嬉しくなった。 「ドア、開けてくれないかな」 優しい声音で再度、話し掛ける。数秒、間が開くと鍵の解除する音が聞こえてドアがゆっくりと開く。優斗の目の前には俯いているフィオナの姿。 三週間前、自分の役に立てなくてしょんぼりしていた姿にやっぱり重なって見えた。 「手、借りるね」 優斗はフィオナの右手を取ると、彼女の手の平の上に小さなアクセサリーを乗せた。 「はい、プレゼント」 「……ネックレス?」 銀色のチェーンに繋がれた、ハート型のネックレス。 「フィオナへのプレゼントだよ」 「……どうして……ですか?」 「今までフィオナにプレゼント、したことなかったしね。アリーと小物屋に入ったとき、話題になったからさ」 とはいえ貴族にプレゼントするものにしては。大した値段のものではない。 「安物で申し訳ないんだけどね」 そして先のアリーとの一件に関して弁明しておく。 「ちなみに説明しておくけど、アリーにプレゼントしたのはおもちゃだから。修の気を惹けるようにってあげたんだよ」 つまり自分にとって女性へのプレゼントというものは、目の前にあるネックレスしか存在しない。 「だから、えっと……女の子に送ることを想定して買ったのはフィオナが初めてだから」 別に着けなくてもいい。 「貰うだけ貰ってくれると嬉しいかな」 照れ隠しに頬を掻きながら伝える。これでどうだろう、と優斗がフィオナを見つめていると、彼女の瞳から涙が溢れてきた。 「え? いや、なんで泣くの!?」 突然すぎて優斗はパニックになる。今の流れで泣く場面はなかったはず。 「――っ!」 けれどフィオナは涙を零しながら優斗の胸に飛び込んだ。 そしてぎゅっと抱きつく。 「あの……どうしたの?」 優斗は涙を流しながら抱きつかれている状況に非常に戸惑いながらも、彼女の様子を鑑みて気合いを入れた。 そして恐る恐る背中に左手を回して右手で優しく頭を撫でる。 「嬉しすぎて涙が出てきました」 「……なら、よかった」 ほっと優斗は安心する。少し抱きしめる力を強くして、何度も右手がフィオナの頭を往復する。 しかし、あやしているのに時間が掛かっていたのだろう。 エリスが様子を見に来た。 「ユウト、引き籠もりは手強い?」 気楽に尋ねたが、目の前で繰り広げられているのは義息子と娘の抱擁シーン。 「あらあら、ごめんなさいね」 「うわっ──!」 優斗はパッと手を離したが、フィオナは抱きついたまま離れない。 「……あの、フィオナ?」 「もうちょっと、このままいさせてください」 爆弾発言にエリスは歓喜の表情、優斗は驚嘆の表情を浮かべる。 「ユウト、また声を掛けるから」 スキップでもしそうな勢いでエリスが広間に戻っていく。 優斗はどうしようと思いながらも、もうどうしようもないところまで来てしまっているのだから、しばらくフィオナの好きなようにさせようと甘んじて抱きしめられていた。