攻撃を振り抜く前の決着。 世界最速を望む二人が違わずして行った、己が最速の到達。 けれど『最速』という意を得ることができるのは、たった一人だけ。 だから――ピストは腕に込めた力を抜いた。 ほんの僅か、踏み込みが遅かったから。 レイナが振り抜いた曼珠沙華はピストに当たることなく、すぐ横を通り過ぎる。 炎も触れることなく、そのまま空中へと霧散していった。 そしてレイナは穿った体勢のまま告げる。「貴方が持つ最速の意は――頂く」「……ああ。遠慮なく持っていってくれ」 瞬間、二人は同時に剣を鞘へと収めた。 そして勝った閃光烈華は僅かに上を見て、負けた瞬剣は僅かに下を見る。 数秒して視線を戻した瞬間、レイナとピストは違わずして笑みを零した。 克也はそんな二人の様子を見て、胸元をぐっと握りしめる。 「……ヤバイな、ミル。全身、鳥肌が立った」 互いの誇りを懸けた瞬撃。 最速という称号を求めた勝負。 聞いただけでは絶対に響かない戦い。「何て言ったらいいか分からない。だけど俺は……ほんと、震えたんだ」 言葉にできないのが悔しい。 表現する方法が思い浮かばないのが悔しい。 ちゃんと自分の胸に届いたと表したいのに。 伝えたいことはしっかりと響いたと告げたいのに。 ただただ、胸元をきつく握りしめることしか出来ない。「それが分かるなら、きっと、だいじょうぶ」 ミルは克也の言葉に対して、理解していると言うように彼の胸元にある手に触れる。「克也は、ちゃんと、強くなる」 タックスが理解してほしいと思ったことを、しっかりと理解したのだから。「そのために、教官も、克也に見てもらいたかった」「その通りだ」 気付けばタックスとピストが克也達の側にいた。 ピストは克也の表情を見て、大きく頷く。「誇りを懸ける戦いがどういうものか、分かったみたいだね。いやはや、俺も身体を張った甲斐があったよ」 結果としては負けてしまったけれど、それでも満足してないかと問われたら満足している。「誰も傷つかないのに、逃げたくない戦いもあるんだな」「もちろんだ。相手から逃げて持ち続ける『意』には何の価値もない。そしてそれは俺の誇りに反する」 誰よりも自分が速いと思っているのに、負けそうだからと逃げてしまえば誇れない。「悔しかったはずだ」「負けた瞬間はもちろん悔しかったさ。だけど奪われたのなら奪い返せばいい。俺の速さに対する想いは、彼女に負けたぐらいで揺るがない」 最速という自負は奪われた。 だが最速に対する想いは揺るがない。 むしろライバルができたことで、よりいっそう欲しくなったし価値が高まったとさえ思う。 ピストは満足げな様子を見せると、タックスに続く言葉を促した。 「セツナ、これからお前も築き上げていくんだ。それはピストやアクライト殿のような速さでもいいし、精霊術に関することでもいい。守護者としての自覚でも何でもいい」 克也の肩に手を置きながら、タックスは一番伝えたいことを口にした。 守りたいものを守りたいと動ける克也だから。 だから次に教えたいのは、守る以外にも存在する理由。「お前が誇りたいと思ったことを、確かに誇れるようにしよう」 間違いなく誇っていけるように。 抱いた想いが確かに誇りとなるように。 譲れないものがあった時、譲れないと言えるようにしていこう、と。 タックスはこれを教えたかった。「……ごめん、教官。色々と伝えたいことがあるんだけど、今の俺はこれしか言えない」 克也は上を向き、強い意志が灯った瞳をタックスに対してぶつける。「頑張る」 単純明快、けれど何一つ文句のない返答にタックスもピストも破顔した。「それでいい」 ◇ ◇ ゆっくりとした足取りで、レイナも和泉のところへと戻る。「見ていたか、和泉?」「ああ。しっかりと見させてもらった」 レイナが最速に勝った瞬間を。 だから自分達のやってきたことが、間違っていなかったと確信を持った。 「そうか。それは頑張った甲斐があったものだ」 僅かに笑みを浮かべたレイナだが、いつものような覇気はない。 というよりは、立っていることもやっとの状況。 力ないレイナの身体を和泉は優しく抱きしめる。「全身全霊を込めたんだな、レイナ」 肉体のリミッター解除と限界まで注いだ魔力。 だからこそ彼女の瞬撃は身体への負荷が大きい。 和泉は目を瞑ったレイナの髪を撫でながら、彼女がやったことをはっきりと言葉にする。「ゆっくり休め。そして次に目を開けたあと、しっかりと噛み締めろ。お前が『最速』の意を得たことを」「……違う。私が、ではない」 確かにその意を持ったのはレイナだ。 けれど一人だけの功績ではない。「私達が得た『最速』だぞ、和泉」 一人では出来ない。 けれど二人だから出来たこと。 騎士と技師が互いのことを十全に望んだ結果だ。 そして最後、タクヤとリルが労いの言葉を掛ける。「よくやったな、レイナ」「凄かったわよ」 レイナは二人が近くに来てくれたことを感じながら、振り絞るように声を出す。「これでもう、間に合わないことはないぞ」 最速を目指そうとした最大の理由。 それはこの二人を守れなかったこと。 けれどそれは昔であって今は違う。「次は、という言葉は嫌いだが……」 あのような瀬戸際の戦いにおいて、次を考えること自体がおこがましい。 だが自分の失敗を救ってくれた仲間がいる。 そんな失敗をなかったかのようにしてくれた卓也がいる。 だからこそ二度と同じようなことがないように、「次は絶対に間に合わせる」 最後にそう伝えて、レイナは気を失うように眠った。 リルと卓也は彼女の言葉を聞いて、顔を見合わせる。 そして小さく笑った。「バカね。それだと卓也の格好良いところが見れないじゃない」 自分達が始まった切っ掛けそのものが無くなってしまう。「だけど、そうね」 彼女がその一件で己が目指す場所を抱いたのだとしても、自分達の始まりがあったのだとしても。 その時に『守れなかった』という気持ちが今の彼女を作っているのだとしたら、「ありがとう、レイナ。これまでもこれからも、ずっと頼りにしてるわ」 そう言ってリルは眠っているレイナの顔を優しく擦るように撫でる。 と、その時だった。「彼女は大丈夫なのか?」 ピストがレイナの様子を見て、心配そうに声を掛けてきた。 質問に対し、和泉は素直に首を縦に振る。「問題ない。魔力を根こそぎ注ぎ込んだ上に、肉体のリミッターを解除する魔法まで使用した。身体の負荷が大きく今は休んでいるだけだ」 和泉が返答すると、ピストは感心するように目を瞬かせた。「肉体のリミッター解除をする魔法、か。さすがに俺もそれは考え付かなかった」「けれど本当に一撃のみだ。それ以降のことは全く考えていない破滅的な一撃と考えていい」「とはいえ俺には不可能な技だよ。速さと威力の両立、というのはね」 ピストの攻撃は簡潔に言ってしまえば軽い。 速度に全てを捧げているからこその弊害だと言っても過言ではない。 もちろん相手にダメージを与える分には回数を重ねればいいので、大して困ることはないが、「威力と技術を最も求めた速さと融合させる。だからこそ謳われた二つ名、か」 そう言ってピストは小さく笑んだ。「このままだと俺の『瞬剣』も霞んでしまいそうだ」 速度すらも威力に変換できる彼女の華やかさは、きっと皆のことを魅了するだろう。 しかし和泉は首を捻った。「そうか? 正直、こちらは裏技ばかりで得た最速だが……そちらは王道でその速さだ。どうしてそこまでの速さになるのか、興味がある」 地面を炸裂させ、その反動を十全に用いて飛び込む。 さらには風の魔法も用いて加速する。 王道中の王道であり、それは誰もが納得し羨むほどの技術だ。「俺としても彼女の――いや、違うか。君達の速さには感嘆してしまったよ。蹴り出しから到達までが、おそらくは一つの魔法なのだろうとは思うけれど」「……本当に感心する。よく気付けるものだ」 修や優斗が早々に看破したことは、さすがに納得してしまう。 だがトップクラスの冒険者も、やはり同じように理解と把握が早かった。「もし望むのなら教えるが、どうする?」「質問に質問を返すけれど、君も分かってるんだろう? 技師さん」 望むものが同じだから、同じことをする。 確かに正しいように思えるが、「一緒の道を辿るのは面白くないさ。求める頂は同じだとしても、道は別でいいはずだ」 そうやってこそ、誇りを持てる。 だからこそ楽しいと思える。「そうだな。その通りだ」 和泉は素直に同意し、「なら次に挑む時は更なる技術と速度、威力を携えて挑ませてもらう」「……挑む? 俺が君達に挑む側じゃないのかい?」 たった今、行った勝負はレイナが勝った。 であれば次に挑む側はピストなはずなのだが、和泉は首を横に振る。「いや、違う。確かに最速は頂いたが実力で勝っていない以上、俺達は挑戦者だ」 ピストが持つ最速は奪った。 しかし実力的には未だ劣っている。 であればレイナと和泉はこれからも挑戦者だ。「なるほど。最速であると誇って尚、彼女と君は満足しないんだね?」「一応は俺もレイナも達成すれば一時、満足はする。が、その場にずっと立ち止まることが出来ない人間だ」 まだ先があることを知っている。 まだまだやれることがあると分かっている。「だから俺はこれからも望む力を与えてやりたい。それが俺のやるべきことであり、それが出来ない自分であれば相棒だと名乗れるわけもない」 技師として目指す場所が和泉にもある。 そしてそのために必要なことを、絶対にやり遂げたいと思う。「魔法具に振り回されるのではなく、振り回すのでもない。魔法具と共に在ろうとするレイナは、互いに切磋琢磨できる最高の相棒だ」 そう言って和泉はレイナの頭を優しく撫でる。 と、その光景を見てピストはふと気付く。「……えっと、彼女は君の恋人なのかい?」「ん? ああ、恋人だ」 一も二もなく頷いた和泉に、ピストは考え込む様子を見せて、「……俺も女性に魔法具の点検とかしてもらえば彼女になってもらえるか?」「特別品だろう、それは。それなりの技術力を持ち、なおかつ特殊性を理解している人間じゃないと難しいはずだ」 和泉も既製品の名剣を弄り倒してオンリーワンの名剣へと変貌させた。 なので今の弄りまくった曼珠沙華を他人に見せた場合、絶対に理解されない自信がある。 ピストも理解はしているようで、「分かってるっ! 分かってるが、それでも羨ましいと思うのは仕方ない!」 ぐったりとした様子で和泉に抱きしめられているレイナを指差し、ピストは叫び声をあげる。「しかも、こんなに美人! ものっすごく美人! 羨ましいどころか呪い殺したくなる!」「そこまで焦る必要はないと思うんだが……。その実力があればファンも多いだろう?」 いくら速さが最重要とされていなくても、だ。 瞬剣と呼ばれるほどの実力があれば、ある程度はモテるはず。 どの分野であろうとニッチな層がいるのだから。 だがピストは無駄に胸を張って答える。「ファンは多いが……。一つ、俺の経験談を教えてあげるよ」 アラサー独身であるからこその叫び。 さらに言えば彼の歳で結婚していない男性は二割といないからこその嘆きが木霊した。「速さだけじゃモテない!」 アラサー男の嘆きから一時間後。 ピストはレイナが目を覚ますと、ちょうどいいとばかりに場を後にしようとする。「さて、と。俺はやらないといけないことがあるから、帰るとしよう」「魔法具を早速、改造するのか?」 和泉の疑問にピストは苦笑を浮かべた。「いやいや、君達の結果を世界に伝えなければいけないだろう? 今、現時点の『最速』は瞬剣ではなく、閃光烈華だとね」 こういった場合、ピストだとギルド経由で話を通すのが一番になる。 個人の二つ名と付随している意は、それが事実として世間に流布されているだけであって、別に書面だの証明だのと格式張ったものは存在しない。 なので新しい事実がある場合、どこからか話を出す必要がある。 それが今回はギルドに属している冒険者だから、ギルドから話を流すということ。「というわけで、また会おう。そして今度は試行錯誤し進歩した結果を君達に見せるよ」 苦笑から楽しげな笑みに変えて、ピストは修練場から出て行く。 卓也も和泉と顔を見合わせて、同時に頷いた。「オレ達もそろそろ行くか。レイナも目を覚ましたしな」「ああ。お暇することにしよう」 そして帰る支度を始めると、刹那があらためて声を掛けてきた。「卓先、ズミ先。今回はたくさんのことを教えてもらった。次はちゃんと出来ると思う」 色々と問題はあったけれど、その全てを彼らはちゃんと解決してくれた。 異世界人の先輩として、刹那を助けてくれた。 けれどいつまでも頼り切りは駄目だから、次は彼らがやってくれたことを踏まえたやってみせる、と。 その決意を卓也と和泉にちゃんと伝える。 次いで声を掛けるのはリル。 「リル様もありがとう。ミルが本当に助けられた」 ミルのために一緒に来てくれたことに、心からの感謝を。 そしてリルが軽く手を振ってくれたのを見ると、刹那は最後にレイナへ身体を向ける。「レナ先。何て言ったら分からないが、伝わるものがちゃんとあった」 今でも上手く言葉は思い浮かばない。 けれど伝わったものが、響いたものが確かにあった。「だから頑張る。そう決めたんだ」 たったそれだけの単純な言葉。 しかし、それがどれほどの意味を持つのか、レイナにもしっかりと伝わった。「そうか。ならば私と瞬剣が誇りを懸けた意味はあったということだな」 タックスの狙いが上手くいったのなら良かったと心底、思う。「お前のこれからに期待しているぞ、セツナ」 ◇ ◇ 四人はリライトへと戻ると、夕食を摂りながら事の顛末をアリーと修に伝える。 新たな異世界人に出会ったことと、レイナが『最速』の意を得たことを。 「“アリシア王女”としても鼻が高いんじゃないの? お付きの騎士が二つ名に意を得たんだし」 リルが嬉しそうにアリーへ話し掛ける けれど王女として考えるのであれば、彼女は首を横に振る。「わたくしが唯一選んだ近衛なのですから、確かな実力があると知っていますわ」 アリーがわざわざ、名指しで選んだ近衛騎士。 公私の私で関わりがあるとしても、そのことに文句が出ないのは彼女の実力と性格故だ。「つまるところ、二つ名に意を得たところで当然というものです」 でなければ指名した意味がない。 と、ここでリルはさらに突っつく。 「じゃあ、アリーとしてはどうなのよ?」「決まっていますわ。レイナさんが『最速』の意を得たのですから、早速お祝いをしましょう」 一転、アリーは満面の笑みで紅茶とケーキの用意を女官に伝える。 しばらくしてやってきた食後のデザートに舌鼓を打ちながら、アリーは笑顔で何度も頷く。 「やっぱりレイナさんは凄いですわね。その歳で二つ名と意を得るなんて」 今日までは自分の護衛ではないと言い張り、仲間であるレイナを褒め称えるアリー。 一方でレイナは嬉しそうにしながらも、一緒のテーブルにいる無敵の勇者を見て、「しかし、あれだな。『最速』を奪ったとはいえ、お伽噺三人衆に対してはどうなのだろうか」 今現在、人間でお伽噺レベルの実力を持っているのは修、優斗、正樹の三人。 火力過多の三人ではあるが、彼らは技術や速度だろうと最高峰を突き進んでいる。 というより未だ実力の全開を誰も見たことがない。 なので未知数ではあるのだが、卓也がモンブランを頬張りながら首を捻った。「今現在、実際に最速を叩き出してるのはきっとレイナだろ。三人ともレイナほどの速さは出したことがないと思う。というか『防げるのに速さで勝負する意味が分からない』とさえ思ってそうだ……っていうか、修としてはどうなんだ?」「まっ、最速に興味はねーな。必要に応じて速度上げりゃいいだけだしよ。やり過ぎたってしゃーないし」 出来るか出来ないかでいえば出来る。 だが限界の速度に挑む理由がない。 というかやるのがだるい。 するとアリーが呆れたように頬に手を当て、「正直、修様とユウトさんの『意』は曖昧なのですわ。『最強』も『無敵』も、特定の何かが優れていると示しているわけではありません。立ち塞がる敵は全て打ち砕く。立ちはだかろうと敵にすらなり得ない……ということですから、ぶっちゃけあれですわ。人間が名乗ること自体、意味不明ですわね。過去に存在した伝説と幻の二人から分かることではありますが、事実として証明してみせているあたり性質が悪いですわ」 初代の大魔法士と始まりの勇者が『最強』と『無敵』だからこそ、そのような『意』がある。 そして彼女達と同種だからこそ、優斗と修が二つ名を得たことも分かっている。 だがその強さが理解の範疇にあるかどうかと問われれば、首を捻るほかない。「そうね。レイナもせっかく得たんだし、誰が相手であろうとも最速を証明していかないといけないわね」 リルが理解するように頷いたが、「そりゃちげーぞ、リル。誰であろうと、だけじゃ駄目だ。誰であろうと何であろうと、が正しいだろ」 修がちょっと違うと否定する。 レイナが得た二つ名の意はそうじゃない。 その程度で終わらせていいものじゃない。「アリーが今、言ったじゃねえか。最強だの無敵だの人間が名乗ること自体が意味不明だって」 二つ名の意にあるものを勘違いしてはいけない。 言葉の捉え方を勘違いしてしまっては、どこかで負ける理由になってしまう。「人間だろうと魔物だろうと変わらねーよ。特にレイナや優斗が得た『最』ってのは、そういうことじゃねーのか?」 優斗がこの世界の中で最強であろうように、レイナが得たのは人間最速ではなく世界最速。 であれば速度で負けるのは人間以外だろうと許されない。 「いつもバカだけど時々、核心を突くようなことを言うな」「……本当よね。あたしも時々、ビックリするわ」 卓也とリルが感心するように笑った。 考え事は苦手な修だが、本質を見誤ったりはしないあたり彼らしい。「つーか優斗が人間や魔物に負けると思うか?」「その通りですわ。わたくしの従兄様、人間だろうと魔物だろうと相対する敵には大体『お前如き』とか言いますもの」 どれほどの強さを持つ敵だろうと“お前如き”と言う優斗。 完全に厨二っぽいが、それも事実として認識しているが故の言葉だ。「とはいえ、だ。いくら私でも恥ずかしくて、ユウトのように言える度胸がないのだが」「問題ない。普段の優斗も恥ずかしがって言えないほどに酷い言葉だ、それは」 和泉がそう返すと、皆で顔を見合わせて大いに笑った。