皆が帰ったあと、アリーは一人で優斗が読んでいた資料に目を通す。 「……大魔法士と始まりの勇者が倒した魔王の中で、彼らと同じ意を持つ魔王」 開いたページに記されている、とある名を指でなぞった。 「魔竜王ベルゼストと魔人王ヴェルダード」 宮川優斗が対等である、と示した敵だ。 彼は言っていた。 『封印されているのか、転生でもするのか、はたまた不老不死で復活でもするのか、もしくは同類が出てくるのか、どうなのかは知らないけどね。少なくとも同類だとしたら僕とマティスのように“同じ”なんだと思うよ』 本の中で魔王は倒した、と書いてある。 けれど決して“殺した”とも“消滅した”とも書かれていない。 言葉の綾としか思えない捉え方だが、優斗は楽観視をしない。 最悪の可能性を考えれば、確かに導かれる。 「最強と畏怖された魔王に無敵と恐れられた魔王、ですか」 アリーは小さく笑う。 「ふふっ、まるでお伽噺ですわ」 過去にあったはずの出来事。 今になっては想像することさえ難しい、あまりにも突飛な存在。 けれど魔王だからありえない、と笑い飛ばすことは出来ない。 現代において、ここには1000年の時を超えて蘇った大魔法士と始まりの勇者がいるのだから。 「動いたところで意味はなく、知ったところで我々にはどうしようもない」 彼らのことを探すなんてナンセンスだ。 可能性があるからとだけで人々を動かすことは出来ない。 仮に見つけたところで、修と優斗以外が相手をするなんて不可能。 「ただの懸念……。確かにそうですわ」 所詮は世界の在り方を運命論と捉えているからこその話。 現実味などありえない想像の産物だ。 アリーは立ち上がり、窓から夜空を見上げる。 「これからも多々、トラブルは起こることでしょう」 面白いことも面倒なことも、たくさんの出来事がまだまだ起こるだろう。 「ですが……もし世界が綺麗に並べられてなく、未来が確定していないというのなら」 理路整然としていない、雑然としたものだとしたら、 「これだけは願わせてほしいですわ」 空に浮かぶ月へアリーは願いを込める。 「ただ、幸せな日々を」 つまらない日々も、辛い日々も。 たくさん過ごした彼らだから。 これ以上に苦しいことなど必要ない。 「わたくしの仲間が傷つかない日々を」 今という日常がいつまでも続くように。 両手を合わせ、願う。 その時だった。 「アリー、何やってんだ?」 いつの間にかリライトの勇者が部屋の中に入っていた。 どうやら扉を開けて左手をノックする形を取っていることから、自分が気付かなかっただけらしい。 「飯の時間だぞ」 「あら、もうそんな時間でしたか」 アリーは机の上に置いてある開きっぱなし本を閉じて、扉に向かう。 「手間を掛けさせてしまいましたわ」 「気にすんな」 二人並んで歩く。 目的地までは遠いので、軽い世間話を始めた。 「そういやさっき、王様からなんかの会議に出てみる気はないかって言われた」 「えっと……ああ、あれですわ。勇者会議です」 「勇者会議?」 修の首がこてん、と傾いた。 「平和を守る為の情報共有を行う場、とでも言えばよろしいでしょうか。リライトはまだ勇者を公表していないというのに、会議に出せと小うるさい勇者がいるのですわ。こちらとしては突っぱねてもいいのですが、修様に会議を慣れさせるにはちょうどいいとも思いましたから。とはいえ修様次第ですわ」 やりたくないのであれば、出る必要はない。 こちらとて出す理由もない。 「まあ、別に構わねーよ。俺もちょいちょい練習しないといけないかんな」 「分かりました。では参加ということで」 アリーがにっこりと笑みを浮かべる。 「ついでにパーティメンバーが幾人か会議に参加できるので、わたくしも参加しますわ」 「……王女が勇者パーティってすげえもんだよな」 「事実ですから」 「そりゃそうだ」 「というより、修様一人にしたらわたくし達の胃に穴が空きますわ」 「ひでーな、おい」 流れるような会話のあと、互いに顔を見合わせ破顔する。 いつものやり取り。 いつもの会話。 けれどこれが本当に尊いものなのだと、アリーは思う。 だから願うのだ。 何もないことを。 ◇ ◇ 「ただいま」 家の中に入ると、フィオナがいつものように玄関までやって来た。 「お帰りなさい、優斗さん」 笑顔で優斗を出迎える。 彼女は手が空いている時、かならず優斗の送り迎えを欠かさない。 毎度毎度のことなので面倒じゃないかとも思うのだが、フィオナは簡単に言ってのける。 『一番最初に優斗さんに会えて、一番最後まで優斗さんを見ていられるんですよ』 ただ、それだけの理由。 けれど彼女の中では最高の理由だ。 優斗は表情を崩して、名を呼ぶ。 「フィオナ」 「はい、なんですか?」 笑顔のままの彼女の手を優斗は取る。 そして引き寄せた。 背に手を回し、閉じ込めるように抱きしめる。 突然すぎてフィオナの顔が朱に染まっていく。 「えっと、あの、その……と、突然どうされたんですか?」 「ん~、何となくね」 優斗は腕の中にある温もりを実感する。 彼の中から懸念は消えない。 “対等”が存在するであろう、という懸念が。 だからこそ想像してしまう。 もし存在した場合、導かれる結末までが容易に。 「…………」 自分の強さの至り方は異端だ。 都合というものを踏みにじり、運命すらねじ曲げる。 しかし、だ。 彼にご都合は存在しないからこそ言えてしまうことがあった。 自分は都合よく何かがあって急所は外れない。 自分は運良く何かがあって奇跡が起きたりはしない。 キリアに告げた言葉はそのまま、自分に跳ね返る。 要するに言えることは一つ。 “対等”と相対した場合、宮川優斗は内田修よりも死ぬ可能性が断然に高いということ。 これは揺るぎない事実であり、曲げられない真実だ。 だから頭の中には入れておかないといけない。 大切なものを守る為に。 「ゆ、優斗さん? えっと、ですね。そのやり方だと私が抱きしめられません」 「いいのいいの。僕が抱きしめたいだけだから」 とはいえ可能性なのだから、本筋を忘れてはいけない。 この優しい日々のことを。