「……魔法陣、か?」 眩しさに目を細める修が呟いた。 辿り着いた場所は、円形のコロシアムのような場所。 その全てを埋めるように巨大な魔法陣が敷かれていて、 「……っ! マサキっ!!」 陣の上には彼らが求めていたフィンドの勇者――正樹が確かに立っていて、数多の魔物の屍が転がっていた。 「…………はぁっ! ……はぁっ!」 剣を握ったまま、ニアの声にも反応しない。 彼の息遣いだけが、その場に響いている。 「服が……赤黒くなってる」 春香が苦々しい表情で呟いた。 魔物の返り血か、正樹自身の血か。 いや、どちらもだろう。 ところどころ破けている衣服からは傷跡が見え、周囲の魔物からは斬り殺された痕が見える。 血が乾き変色するほどに長い間、戦い抜いた結果だ。 「行くぞ」 四人が陣の上へと降り立つ。 そして駆け寄ろうとした瞬間、 「…………っ!!」 正樹が反応した。 優斗達に気付いた、という反応ではない。 剣を振りかぶり、まるで襲うように飛び込んできた。 「っと、危ねぇな」 修が前に出て、正樹の一撃を防ぐ。 「……っ!」 さらには二撃、三撃、四撃と凄まじい勢いで攻撃をする正樹。 「意識が朦朧としてんのか?」 息は絶え絶えで、剣を振るう右手からは血飛沫が舞う。 だが、一撃一撃が強力。 まるで自分の身体を無視した攻撃を正樹はしてくる。 「天下無双のじいさんより鋭い攻撃じゃねぇか」 もしかしたら全盛期の天下無双とも同等ぐらいの剣技かもしれない。 「ニア、悪いな! ちょっと攻撃かますぞ!」 上段より振りかぶった剣戟を防いだ瞬間、修は左肘を正樹の顎に見舞う。 そしてバックハンドでこめかみを打ち抜くように叩いたあと、思い切り吹き飛ばした。 「マ、マサキ!!」 ニアが駆け寄ろうとするが、優斗が止める。 「ちょっと待って」 「待てるか! 私はマサキを助けに来たんだ!」 「僕らだって同じ。だから修は“目を覚まさせる為”に二度、攻撃をしたんだよ」 でなければ攻撃なんてしない。 「…………はぁっ! …………はぁっ!」 けれど正樹は剣を杖にしながら、無理矢理に立とうとする。 瞳の焦点は未だに合っていない。 「まだ意識が朦朧としてやがんな」 「それだけじゃない。何か変な魔力の流れが正樹さんに向かってる」 足下を優斗は指す。 この魔法陣から魔力が正樹に伝わっている。 「“変な”って何だよ?」 「変としか言い様がない。ただ、これが余計だってことぐらいは分かる」 また正樹が突撃してきた。 今度は優斗が防ぐ。 「正樹さん!」 声を掛けてみる。 だが、反応はない。 代わりに横薙ぎの剣閃がやって来た。 「……僕でも駄目、か」 正樹には届かない。 息を吐いた。 「ごめんね」 風の精霊を使い、思い切り壁まで吹き飛ばす。 そのまま風で押さえつけた。 修が訊く。 「で、どうするよ? 気配でも消してみるか? 意味ねぇと思うけど」 「だろうね。気配が無いっていう違和感を覚えられるでしょ」 今の正樹は気配が無い故の違和感を捉え、空気の揺れさえも敏感に察知するだろう。 二人は互いの服――僅かに斬られた痕が残る場所を見て、息を吐く。 「無駄に強すぎるな」 「さすがは正樹さんってところかな」 魔物を全て倒す為に幾つか枷を外していた優斗達に対して、微かでも攻撃を届かせた。 現にフィンドの勇者を見据えれば、彼は押さえつける風を斬り散らしている。 「……う……ぐっ!」 ただ、やはり身体は正直なのか正樹は剣を地面に刺し身体を支える。 誰の目から見ても限界だ。 いつ倒れてもおかしくない。 けれど、 「…………ボク……が……」 その時だった。 彼の声が優斗達の耳に届いた。 「……ボクが……守る。…………だれも…………死なせない……」 正樹が呟いた。 何度も何度も。 誓うように。 口にした。 「マサキ……」 「……凄いね、フィンドの勇者」 ニアの瞳が潤み、春香は同じ勇者として素直に尊敬の念を示す。 「たぶんぼくは……あそこまでなれないよ」 勇者として他を助ける。 もちろん、だからこそ勇者だということは分かってる。 けれども意識が朦朧として尚、あの言葉を告げる自信は無い。 「……違う」 けれどニアは首を振る。 「あんなのはマサキじゃない。確かにマサキは言うけど……そうじゃないんだ」 ニアが一番敏感に感じ取っていた。 優斗が示した“狂った王道”。 植え付けられた“勇者”という概念。 きっと、このことなのだろう。 普段の正樹でも同じ事を言うだろうけど、何か言い様のない違和感がある。 正樹っぽさが無い。 「どうすんだよ? あの様子だと“殺す殺さない”の話になるぞ」 修が結論を言った。 おそらくは死ぬ間際まで戦い続けるだろう。 そして彼を御する為に力を振るえば、正樹は間違いなく死ぬ。 「意識がはっきりさえすれば、正樹さんなら抵抗できるはず」 「頭でもぶん殴るのか? さっきやったぞ」 修がやってみたが、駄目だった。 だから優斗は別の案を出す。 「修じゃ届かなかったし、僕でも無理だった。それなら……」 残りは一人。 「ヒロインの登場、でしょ?」 優斗はニアの背中をポンと叩く。 彼女は自分が指名されると、僅かに驚きを見せたが……決意したかのような視線を優斗に送る。 「どう……すればいい?」 何をすれば正樹を助けられるのか。 端的にそれを訊いた。 「物理的な衝撃でもありだろうけど……精神的な衝撃でもいいはず。何をやるかはニアに任せる」 自分や修では駄目だった。 だとするならば、たぶん彼に“届く”のはニアだけ。 「前に言ったけど、改めて伝えるよ」 イエラートで。 正樹の異変に気付いた時に伝えた。 「正樹さんを救うのはニアの役目だ」 ニアがゆっくりと正樹に近付いていく。 春香が僅かに首を捻った。 「かいくぐれるの? あのフィンドの勇者の攻撃を」 「かいくぐる必要はないよ」 優斗が真っ直ぐに正樹とニアの姿を見据えながら答えた。 「正樹さんは僕達の存在を察知して攻撃をしてきた。だから僕だろうと修だろうと、近付けば絶対に攻撃を受ける」 ずっと魔物が来ていた。 その全てを倒さなければならない。 だから感じる気配全ては敵だと認識していた。 瞳の焦点すら合っていない今は、さらに顕著だ。 「なぜなら正樹さんにとって、僕らは異物だから」 敵意、闘志、気配全てに反応して、攻撃を加える。 「でも、一人だけ例外がいるんだ」 おそらく今の正樹にとって。 唯一と言っていいほどの存在。 「ニアは一緒にいて当たり前なんだよ」 最初に仲間となった少女。 この世界で、誰よりも正樹と共に過ごした少女――ニア・グランドール。 彼女だけが別。 「どれだけ意識が混濁していても、竹内正樹ほどの男がニアを攻撃することはありえない」 ◇ ◇ 一歩ずつ、ニアは正樹に近付いていく。 肩で大きく息をしているのが見えた。 ――本当に……頑張り屋なんだ、マサキは。 優斗達を攻撃してきた範囲に足を踏み入れる。 けれど、正樹はまだ動かない。 ――どうしてか、最初に出会った頃を思い出すな。 まだ駆け出しの冒険者だったニアはフィンドで運悪く、シルドラゴンに出会った。 正直、絶体絶命だと思った。 一人で勝てるわけもない。 普通の人間が勝てるはずもない。 殺される、と。 覚悟を決めた……その時だった。 『君、だいじょうぶ!?』 正樹が凄い勢いでやって来た。 そしてシルドラゴンを相手に剣を抜いた。 ――なんて無謀な人なんだろうと思った。 でも、彼は勝ってしまった。 ボロボロになりながら。 最後にはシルドラゴンに勝利した。 ――それからは、ずっと一緒だ。 彼がフィンドの勇者だと知って。 諸国を巡る旅に出ると知って。 一緒についていった。 ――たった二人での旅も、悪くなかった。 行く先々で問題が起こったけれど、それも今となっては大切な思い出だ。 ――ジュリアが加わって、ミルが加わって……ミヤガワに出会った。 今も後ろで、内心は心配そうにしている大魔法士に。 ――助けを求めて本当によかった。 当時は心底ムカつく奴だと思っていた。 正樹に対して傲慢とも言える物言いと態度。 なのに正樹は懐くように彼と一緒にいようとするし。 冷酷なまでの視線は正樹と全く違くて、正直好かなかった。 ――けれど自分達がおかしくなったことを教えてくれた、唯一の男だ。 誰も気付かなかったことを、たった二度会っただけで指摘した。 ――今もこうして、助けてくれる。 ニアだって『大魔法士』という存在がどういうものか、理解はしてる。 歴史で二人しか名乗れなかった二つ名。 最強の意を冠し、その影響力たるや大国の王とも同等。 けれど言ってくれた。 『今、ここで行かなきゃ僕は……彼の友達だなんて言えないから』 たった、それだけの理由で。 大魔法士と呼ばれるほどの少年は動いてくれた。 ――なあ、マサキ。 ニアは一歩ずつ、近付いていく。 ――今、マサキを救う為に大魔法士と勇者二人が来てくれてるんだ。 あと少しで彼の場所まで辿り着く。 ――こんなに凄い人達が救おうとしてくれてるんだ。 一歩、二歩、三歩、と。 距離は無くなっていく。 「マサキ」 これで、到着。 彼の前まで立てた。 「戻ってきたんだ。マサキを救う為に」 たくさんの心強い味方を連れて。 戻ってきた。 「ちゃんとミヤガワに伝えたよ。だから来てくれた」 正樹の肩に触れる。 肩で息をしているから、大きく上下している。 顔だって、俯いているからよく見えない。 触れた先は若干、冷たい。 けれども確かな温もりがある。 「マサキのおかげだろうけど、私も頑張ったと思う。リライト王の前で色々と言ったんだぞ、私」 安堵して、安心して、涙が零れてきた。 ちゃんと彼が生きてる、という実感がたまらなく嬉しい。 「だからもう、一人で頑張らなくていい」 ニアは正樹の顎に手を置き、上を向かせた。 未だ瞳の焦点は合っていない。 「私がここにいる」 衝撃を与えろ、と言われた。 自分が正樹を殴るなんて出来ない。 じゃあ、どうすればいいか。 ぱっと思い付いたのは一つだった。 「これからもずっと私が一緒にいるから……」 顔を近付ける。 微かに首を傾げ、 「目を……覚ましてくれ」 正樹の口唇にキスをした。