手を伸ばし続けた。『大魔法士』の二つ名を。 最強の意を。 『求め爆ぜるは炎の定め』 誰よりも戦ってきた。 『炎は何よりも気高い』 解かれた手を再び、繋ぐために。 『際限など存在しない』 自分が大魔法士になる。 『滾り、迸り、陽炎さえも生まれるほどに熱き想いを貫いてきた』 最強となってみせる。 『烈火と共に戦い抜いてきた』 けれど大魔法士にはなれず。 空っぽの天下無双になっただけ。 『故に我は炎の如く焦がれて生きるのみ!』 ……悔しかった。 数十年の時を経ても未だに思ってしまう。 あの手を握れなかった自分の弱さを。 あの温もりを取り戻せなかった己の未熟さを。 だから今こそ決着をつける。 届かなかった手を、届かなかった想いを。 己に証明する。 『燃え尽きろ!! この意思に焦がせぬものはない!!』 自分は確かに“届かなかった”と理解させる為に。 対するように修も右手を前に突きだしたまま、詠む。 『求め吹雪くは凍てつく波動』 やってやろうと思う。 『凍れる空気、凍れる礫、凍れる飛沫』 負けたいと誰よりも願っている天下無双に。 『命も、魂も、時すらも止まるほどの零豪』 教える、なんて大層な立場ではないけれど。 『我が前に動く者は存在せず』 天下無双に示したいと思う。 『それは無形すらも型成す絶対零度の覇者』 異常の存在が異常である理由を。 同時に二人の魔法陣が輝き、放たれるは燃え尽くす業火と時すらも止まると思えるほど極冷の吹雪。 中央で衝突し、せめぎ合う。 「どうした! これが限界か!?」 魔力を振り絞り、相手を打破しようとするマルク。 今のところは同威力。 ならば、より魔力を込めたほうが勝つ。 マルクはぐっと腰を据えた。 「いいや、そんなわけねーって」 けれど修は軽く首を振った。 相打ちなのはマルクを殺さない威力を見極める為。 だから、 「これから見せてやるよ」 マルクが求めている相手の実力。 最強が共に立っている場所。 「“ただの人間”じゃ到達できない頂を」 何一つ気負いなく告げる修。 「天恵を与えられた者と、限界を投げ捨てた先に辿り着いた者。どっちも人間だけど、人という枠からは外れすぎてる」 同じ人間とは思えないほどの“力”を有している二人。 「だからみんな言うんだ。チートの権化と化け物だって」 修はさらに足を一歩踏み込み、右手を突き出す。 応じるようにグン、とマルクが押された。 「じいさん、ちゃんと防御しとけよ」 魔法陣はさらに輝きを増し、修の右手の甲には『勇者の刻印』が浮かび上がる。 その強さはまさしく『勇者』と呼ばれる存在であり、 「一気に行くぜ」 言葉と共に威力が際限なく増していく。『最強』と相並ぶ『無敵』の真価がマルクを襲った。 ◇ ◇ アリーが予想を告げると、リーリアは小さく首を縦に振った。 「……その通りです、アリシア様」 「それは彼に伝えたことは?」 「いえ、ありません」 ゆるゆる、と今度は首を横に振る。 「お伝えしてもよろしいのでは?」 アリーが問いかけると、リーリアの瞳が揺れる。 ぐっと堪えているようだった。 「……アリシア様。私は……彼の想いを踏みにじる存在で――」 「貴女の知っている『天下無双』は、事実を知らされて貴女を憎むような方なのですか?」 純粋な疑問をリーリアに投げかける。 マルクは彼女の持っている事実を知ったところで、恨んだり憎んだりするのだろうか。 リーリアは顔を上げ、神話魔法を放っているマルクの姿を見詰める。 「…………そんなことは……ありません」 自分が知っている『天下無双』は。 決してそんなことはない。 アリーはリーリアに優しい視線を送る。 「彼はおそらく負けたがっていますわ」 先程の叫びから理解できることだ。 天下無双と呼ばれているからこそ、『どうして大魔法士と呼ばれないのか』と。『最強』という立場に近しい男だったからこそ、思ってしまう。 そんな困惑と決着をつける為に、彼は今……戦っているのだろう。 「追い求めたが故の長い旅路を終わらせる為に」 自分達が生まれるよりも前から歩んだ道を諦めようとしている。 けれど、それで何もかもを終わりにしてもいいのだろうか。 「一つの関係が終わると、そう言ってもいいでしょう。けれど今度は貴女が求めている関係があるのでしょう? 護衛としてではなく、憧れにして尊敬を抱いている天下無双に」 アリーは確信を持って問いかける。 彼女は揺れる瞳を僅かに潤ませて……確かに頷いた。 「リーリアさん。それが“もしかしたら”という仮定を考えてしまうほどに、希うものであるならば……」 切なる願いであるとしたら。 「天下無双が届かなかった手を、貴方が別の形で取ってあげてもいいのではないでしょうか?」 言い終わったと同時に視界に映るは、灼炎を吹雪が浸食していく様子。 赤が白に覆われ、そして……消え失せる。 ヒヤリと冷たい空気が漂ってきた。 「……決着、ですわね」 白い粉塵が舞う中、立っているのは――リライトの勇者。 ◇ ◇ 修が仰向けに倒れているマルクへと歩み寄る。 「凍傷とかにはなってねえよな?」 神話魔法を打ち破った後、戦闘不能になるぐらいには攻撃を浴びせた。 コンマ数秒ぐらいだったが、大丈夫だったろうか。 「寒いし痛いわ、小僧」 霰のような物体が突き刺さるように当たるわ、雹のような物体が肌を傷つけるわで散々だった。 というか、この神話魔法だったからこそ生きていられるのだろう。 大抵の神話魔法だと、普通はすぐ死ぬ。 「じいさん暑苦しいからすぐ暖まるだろ。痛みは負けたから仕方ないんじゃね?」 「……まあ、そうだな」 笑う勝者と穏やかな表情の敗者。 マルクは憑き物が落ちたかのように遠い目をしている。 「圧倒的なまでに届かない、か。この儂ですら」 全力の神話魔法だった。 まさしく渾身を注ぎ込んだ魔法を、リライトの勇者はいとも容易く圧倒してきた。 「……やはり強いのだろうな、大魔法士は」 「俺の同等だからな」 修が言っていることは嘘偽りない。 当然であり、当たり前であり、事実。 「だからこそじいさんが求めた『最強』なんだろ?」 「……まさしくその通りだ」 今、自らの眼に映った光景こそが求めた『力』の頂点。 年老いた自分では敵わず、在りし日の自分であろうとも勝つイメージが欠片も沸かない。 天下無双ですらも見えない頂に立っている存在。 「……マルク」 すると、二人の女性が近付いてきた。 そのうちの一人にマルクは目をやると、上半身を起こす。 「情けないところを見せたな、リーリア」 たった一人の男が、求めた道を諦めた瞬間を見せてしまった。 情けないにも程がある。 けれど、 「……私が情けないなどと思うことはありません」 リーリアは決して、頷くことはしない。 なぜならば、 「貴方の勇姿をこの目に焼き付けました」 見たからだ。 この年齢になって尚、破格の実力を持っている『天下無双』を。 「貴方は私が聞いていた通りの……お祖母様の話に違わぬ天下無双でした」 幼少の頃、どんなお伽噺よりも天下無双の話が大好きだった。 ずっとずっと憧れていて、年齢を重ねる事に尊敬も兼ねていった。 実物を見て、さらに大好きになった。 そして今、その強さを目の前で見たというのに情けないなどと思えるわけがない。 「リーリア、どういう意味だ?」 マルクの問いかけに対し、リーリアは決意した表情を向ける。 「私の祖母は……」 そして手の裾を握りしめながら。 声を僅かに震わせながら。 リーリアは彼が手を伸ばした女性の名を言った。 「祖母の名は……ノイエ・コンラートです」 その名を聞いて、彼がどう思うかは分からない。 古き名を懐かしむのだろうか。 他の誰かと結婚した証明を前にして、自分をどう思うのだろうか。 色々とリーリアの胸中に想いが駆け巡る。 「……私は…………」 声が未だに震える。 本当に良かったのか、と思う。 けれど知って欲しいとも思うから。 自分がマルクの何を知っているのかを。 「……ずっと聞いてきました。天下無双の英雄譚を。天下無双に至る前の優しい物語を。私は貴方の話をたくさん聞いて過ごしてきました」 リーリアが語ることにマルクは一瞬だけ目を見張る。 そして――思い出した。 「……気のせいではなかったのだな」 初めて出会った時に感じたこと。 懐かしい記憶に触れる、その色。 「栗色の髪は本当に彼女と瓜二つだ」 当時のことを思い出すかのように、マルクは目を細める。 「お祖母様は晩年、仰っていました」 最後の最後。 死ぬ前になって思いの丈を語ってくれた。 「彼に手は届かなくなった。声も届かなくなった。それでも……」 何もかもが届かなかったとしても。 聞こえてくる二つ名があった。 「誰もが並べぬと謳われた『天下無双』。その『名』を己が誇りとし、生きていけたと」 祖母はそこそこ、幸せな人生だったと言った。 愛は無くとも何不自由なく暮らし、子供を育て、孫も得られた人生。 されど一番の幸せだったものを彼女は手に取らなかった。 その場の雰囲気に流され、今までと違うことが出来なかった。 「だから……もし次があるのならば、今度は絶対に手を離さないと」 あの日、伸ばさなかった手を伸ばして彼の手を取る。 お互いに差し出して、決して離さない。 歳を取ったからこそ、死ぬ間際だからこそ思ったのだと。 皺をくしゃりと深くしながら言っていた。 だから、 「もし……生まれ変わりがあるのならば…………っ」 今度こそは手を取る。 己が想いに人生を殉ずる。 「また貴方に恋をすると……っ!」 誓うように、幾度も口にしていた。 「……っ」 どうしてだろうか。 リーリアの目には涙が溢れる。 これは悲しい話ではない。 ただ一つの選択肢を間違えたが故に起こった、ただの残念な出来事。 どこにでもありふれる、ちょっとした不幸な物語。 「リーリア、それだけで十分だ」 だからマルクが止めた。 奪うという選択肢を見出さなかった馬鹿な男と、流されてしまった女の自業自得な物語に涙する必要など何もない。 けれどリーリアは喋るのをやめなかった。 「……“大魔法士の許嫁”という制度があるからこそ、貴方とお祖母様は離れてしまった。けれど……その制度があるからこそ私は生まれて貴方に出会えた」 自分が今、こうしてここにいる。 マルクと出会えた。 「でも、私が尊敬している『天下無双』を“お祖父様”と呼べる可能性があったかもしれないと思うと……っ!」 生まれていないかもしれない。 でも、それでも思ってしまうのだ。 マルクが祖父であるかもしれない、という仮定を。 「私は悔やんでも……悔やみきれません」 堅い手の平で頭を撫でられた時に。 からかうような声で、やっぱりからかわれた時に。 どうしようもなく『仮定』を思ってしまう。 しかし、 「……はぁ。そなたは本当に頭が悪い」 溜息と同時に呆れた声が彼女の耳に届いた。 「そなたは儂を信頼し過ぎているところもだが、大概にして頭が悪いのも本当に彼女とそっくりだ」 一つのことを見て、他のことを見ていない。 「いいか、リーリア。彼女の孫だというのならば、儂の孫も同じ事。なぜなら初恋の相手だけではなく、幼なじみでもあるのだからな」 幼い頃からずっと一緒だった。 「儂と彼女は兄妹ように育ち、友達のように喧嘩し、親友のように笑い、恋人のように仲睦まじく過ごした。だから血は繋がっていなくても、リーリアが望むのならば儂は祖父になろうて」 何よりも彼女の孫に対して、マルクが憎悪の感情を抱くわけがない。 「これからは好きなように呼ぶがいい」 マルクはリーリアの頭を乱暴に撫でる。 「そしてありがとう。初めて彼女の気持ちを知ることができた」 ずっと幸せを願っていた女性。 でも、離れてからの彼女の想いを初めて知った。 「儂は伴侶とはなれなかったが誇りとなれたのか」 彼女の胸の中に自分はしっかりといた。 「大魔法士になれなかった自分が誇りとなった」 誓ったのに届かなかった。 けれど、彼女はそんな自分を褒めてくれた。 「……ならば儂も誇ろう」 初めて自分の二つ名に対して想いを込める。 「彼女を求めたが故に『天下無双』となったことを」 誰も並ばぬと謳われたことを喜びとしよう。 「そして生まれ変わった時には、今度こそ……」 マルクは立ち上がり、剣を天に掲げる。 その姿は在りし日と同じ姿。 齢を重ね、見目は違っていたとしても。 「……今度…………こそ……っ!」 あの時、大魔法士になると誓った時と同じように。 けれど今度こそは実現させよう。 「儂はノイエと共に生きていく!!」 言葉にして。 声にして。 約束しよう。 「我が名、マルク・フォレスターと我が二つ名――ノイエが誇った『天下無双』の名に誓って!!」 生まれ変わった時には、今度こそ一緒になろう。