翌日、早朝からカイアスとルカが会いに来た。 すでに起きて帰り支度をしている二人に挨拶をしに。 「もう帰ってしまうのかい?」 「そうだね。そろそろ娘とも会いたいし」 仲間が見てくれているから心配はないが、会いたくなってしまった。 「フィオナは正しく“愛”を使えたかい?」 カイアスがフィオナに問うと、笑みを浮かべて彼女は頷いた。 ほっとする従兄に優斗が感謝する。 「……ありがとう、カイアス」 「何に対してだい?」 「全部に対して、かな」 きっとフィオナが自分に対して怒ったことは、彼が言ってくれたからだろう。 「君達の為になったのなら、幸いだよ。君をパーティーに誘ったことは、少々申し訳なさもあったからね」 自分が誘わなかったら、昨日の出来事もなかったろうから。 「気にしないで。パーティーのことがあったから、僕は少しでも歪みを正せた」 カイアスが気にすることじゃない。 「今度、ルカさんと一緒にリライトに来てほしい。歓迎するよ」 右手を差し出す。 カイアスは笑みを浮かべて、その手を握った。 「ああ。二人でお邪魔させてもらうよ」 カイアス達が出て行くと、入れ替わるようにウィルが入ってきた。 フィオナは眉間に皺を寄せたが、優斗はウィルを見ると一言、 「殴ったことは謝らないよ」 そう言った。 ウィルは聞いて、少しだけ顔をうつむかせる。 「貴方が……傷ついたって聞いたさ」 「君は関係ない。僕は僕のせいで自分を傷つけた。君がどうこう言う問題じゃない」 これに関してウィルは蚊帳の外でしかない。 「……だったらぼくは、どうすればいいさ?」 優斗に対しても、師団長に対しても。 発端が場外へと押しやられている、この状況。 「変なことを言うね。君は悪いことをしてないでしょ?」 けれど、そんな疑問を持つほうがおかしい。 「この国にとって、異端は彼の方だ。だから君は彼を傷つけたことに対して、堂々としていればいい。傷つけて尚、馬鹿な奴だと嘲ればいい。僕に関しては勝手に傷ついたアホだと笑えばいい」 「……なっ!?」 「今までだって、ずっとそうだったろう? 問題にすることじゃないよ」 今更問題にするほうが不自然きわまりない。 昨日、同じようにカイアスも言ったが、優斗のほうが言葉は苛烈だ。 「だからこれからも他人の女を奪っていけばいい。そして誰かを傷つけ、傷つけ、傷つけて、そして女性を囲みながら笑えばいい」 笑んで、誇って、女性を奪われる男性を嘲て、己に告げればいい。 「自分は格好良いんだから当然だ、と」 ウィルにとって恥じるべきことではないはずだ。 自己矛盾一つない。 「僕とは一生相容れない考えだけどね」 とはいえ、相容れる必要はない。 人それぞれであり、国によって恋愛事情が違うのであれば。 「行こうか、フィオナ」 優斗は促す。 フィオナが頷くと、二人してウィルの隣を通り出て行く。 残ったウィルは一人、呆然としていた。 「…………」 しばらくして、ドアが開く。 兄と義姉が入ってきた。 「ユウト君達はチェックアウトしたみたいだから、このままでは宿の人の邪魔になってしまうよ」 カイアスがウィルの肩を叩く。 ウィルはゆるゆると顔を兄に向けると、 「師団長に……会ったほうがいい?」 馬鹿なことを言った。 カイアスは軽く目を見張るが、 「死にたいのであれば、会えばいい。私は止めないよ」 ばっさりと吐き捨てる。 「いや、ユウト君と違って私は師団長を止めることができない。だからお前が師団長と会うのであれば、死を覚悟しなさい」 止める力があるから、彼は止めた。 けれど自分にはない。 だから、会うなら殺されると思ったほうがいい。 「謝ることは……できない? 謝って許してもらうことはできない?」 「できると思うかい?」 それで済むラインはとうに過ぎている。 「お前が申し訳ないと頭を下げても、殺さないでと嘆いても、怒らないでと叫んでも、何一つ彼の溜飲を下げることにはならない」 なるわけがない。 「謝って済むのなら、お前を殺そうとはしない」 師団長になるほどの男が。 全てを投げ捨てることになろうとも、ウィルを殺そうとしたのだから。 「この後に及んで謝って許されるなんて、そんな甘い考えをしているのかい」 謝って済む、と。 そう思っているのか。 「馬鹿を言うんじゃないよ。憎悪というのは腑が煮え返るほどに焦がすものであり、殺意というのは感情が壊れかけるほどに心が凍える」 倫理や論理など、全て投げ捨ててしまう感情だ。 「理解しろと言ったはずだよ」 昨夜、間違いなくカイアスは言った。 「お前が、一人の人間をそこまで堕としたんだ」 自身の快楽に身を委ねて。 ウィルにとっては“その程度”の問題でも、彼にとっては違う。 「受け止めろと言ったはずだよ」 悪意を、憎悪を。 「昨日のお前は首を振った。けれど、もうそんなことは許されないんだ。実感していないから出来ないなどとは言わせない。出会っていないから分からないとは言ってはならない。もしお前がそんなことを言ったら、お前を守ったユウト君に対する冒涜だ。そして何よりも、お前に妻を奪われて殺そうとまで思い詰めた彼に対する暴虐だ」 優斗が守った理由は関係ない。 守ったという事実のみが大切だ。 師団長が殺すのをやめた結果は関係ない。 殺意を抱いたという経緯が重要だ。 「どちらにせよ」 ウィルに突きつける言葉は一つしかない。 「お前は本当に格好悪いよ」 ◇ ◇ 宿屋を出たところで、見知った顔があった。 「何軒か回れば会えると思っていたが、一件目で会えるとは僥倖だ」 師団長が優斗の前に立っている。 互いに顔を見合わせ、優斗は師団長と隣同士で歩く。 「約束は果たしました」 「そうか」 届けた結果に、師団長は一つ頷く。 「ならば俺の怒りも殺意も、君に免じて押し殺そう。出会わない限り、俺はあいつを殺さない」 それが昨日の約束だ。 ならば男としても、騎士としても。 守ろう。 「……なあ、ミヤガワ」 「何ですか?」 問いかける優斗に対し、師団長は告げる。 「必要以上に己を傷つけるな。君がやったことは間違いではなく、確かに正しいことをした」 「……えっ?」 思わず、優斗は師団長をまじまじと見てしまった。 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。 「一般の視点を持つことなど難しいとは思うが、自身の感情と考えに縛られることはない。俺に同意しても同調しても、君の行動は一般的に正しい。だから都合良く一般的な観念に身を任せていいんだ」 師団長は肩を叩く。 互いの行動はある意味で正しかった、と。 そう言っている。 「……はい。ありがとうございます」 優斗もそれに気付いて、丁寧に頷いた。 「もう一つ、忠告をしておこう」 これは経験者の言葉。 「俺達の在り方は危険だ。故に“最愛”をしっかりと見てあげろ」 師団長はフィオナに目を向ける。 彼女こそが彼の最愛なのだろう。 「そして絶対に離すな」 身体も。 心も。 ちゃんと、寄り添っていってほしい。 「俺のようには……なるんじゃない」 同じ恋愛観を持つからこそ。 同じ感情を抱けるからこそ。 自分のようになってほしくない。 「……昨日、妻に『誰の最愛を傷つけてるんだ』って怒られました」 優斗から紡がれたものに、師団長は軽く歯を見せ、 「そうか」 大きく頷いた。 「良い夫人を持っているな」 そして笑みを向ける。 「さて、堅苦しい話はこれで終わりだ」 伝えたいことは伝えた。 昨日からずっと、堅苦しいことばかりだ。 最後くらい、雑談となってもいいだろう。 きっと優斗と話すことは楽しいから。 そうすることで、今の心の裡にあるものを少しでも忘れたい。 「君はさぞ、名のある戦士なのだろう?」 いきなり確信を突かれて、優斗は返答に困る。 「えっと……その、まあ……そうです」 「しかし、ユウト=フィーア=ミヤガワというのは聞いたことがないからな……。二つ名が先行しているのか?」 「あの……その通りです」 世界で一番有名な二つ名を持っている。 「何だ? 歯切れが悪いな。変な二つ名でも付けられたか?」 「いえ、そんなことはないんです。ただ、今はまだ箝口令が敷かれてますし、それ以上に信じてもらえないというか……」 とりあえず国規模で大々的に公表されない限り、信じる人は少ないと思う。 「箝口令が敷かれているのに……有名なのか? まあ、ならばせめて、その二つ名が意味するものくらいは教えて欲しい」 師団長は気になってしょうがない。 が、言っただけでバレること頃合いだ。 優斗はちょっと悩むが、ここ最近は行く先々で名乗っていることだし、師団長も言いふらすことはしないだろう。 「最強です」 「……なに?」 「僕の二つ名が冠するのは世界最強です」 もう一度、伝える。 「………………」 師団長はしばし、固まった。 けれど、いきなり吹き出す。 「くっくっくっ。なんだ、なんだ。君はもしや歴史上で一人しか名乗ることの出来なかった二つ名を持っているのか?」 「信じられませんか?」 「いやいや。確かに君の二つ名には相応しい」 値する実力の持ち主だ。 というか、戦った身としては信じてしまう。 「君はどこの出身だ?」 「リライトです」 「というと……、ああ、あれだ。君に似た歳に『閃光烈華』がいるだろう?」 「閃光……烈華?」 誰だ。 聞いたことのない二つ名だ。 「ええと、なんだったか。世界闘技大会学生の部で優勝したチームにいたはずなんだが……」 思い出すように言葉を並べる師団長に、優斗はもしやと思う。 他国ではこんな二つ名が付けられていたのか。 「もしかしてレイナさん――レイナ=ヴァイ=アクライトのことですか?」 名を出され、師団長は頷く。 「おお、その娘のことだ。知り合いか?」 「僕の仲間ですよ」 優斗の言ったことに、師団長がまた笑う。 「であれば、あの強さも当然か」 「いえ、どちらかと言うと師が良いんだと思います。基本が出来ていたのと、同年代に目標とすべき人物ができた。だから短期間であれほどまで伸びたのだと思いますし」 さらには和泉という技師もいる。 強くなるには最適の環境だろう。 「師とは誰なんだ?」 「リライト近衛騎士団副長、エル=サイプ=グルコント様です」 「……ほう。彼女の勇名は世界中に轟いている。ならば閃光烈華が強いのも当たり前か」 「えっ? 副長ってそこまで凄い方なんですか?」 「知らないのか?」 下手をしたらリライトの団長よりも有名人だ。 「いや、知り合いではあるんですが……なんというか、ちょっと僕にとって危ない人なんで。他国での評価をあまり聞いたことがないんです」 何となく怖くて、聞く気になれないのが実情だった。 「俺が聞いているのは、清廉な剣技と高潔な魂、そして女性随一の強さと美しさを兼ね備えた彼女は世界中の女性騎士の中で憧れの存在だということだ。一説によると各国でファンクラブもあるらしい」 「……マジですか?」 「本当だ」 師団長が首を縦に振る。 優斗が思っていた以上に副長はとんでもない人だった。 「なんだ、噂とは違うのか?」 「……いえ、たぶん世間一般にはそうだと思うんですけど……僕とフィオナにはもう……なんていうか――」 ◇ ◇ そして、何ともない雑談を交わしながら……高速馬車の乗り場へと辿り着く。 ここでお別れだ。 「ミヤガワ」 「何でしょう?」 聞き返した優斗に、師団長は昨晩に決めたことを話す。 「俺はコーラルを出る」 切っ掛けは執事に言われたことだった。『でしたら、国を出られてはどうですか?』と。 無論、コーラルの騎士である以上、国を出ようとは考えてもいなかった。 しかし執事は言った。 『己を殺して国に仕え、民を守ったところで誰が喜びますか? まず第一にすべきは自身が幸せになることです。騎士とは義務で護るべきでも責任で闘うべきでもありません』 年の功、と言ったところだろうか。 思わず納得させられた。 「本来ならば俺は罪人だ」 ウィルを殺さなかったから、罪は生まれない。 ただ、生まれなくともコーラルの民でもあるウィルを殺そうとした事実は変わらない。 「俺はこれ以上……コーラルの民を護れるとは思えない」 また同じことをしてしまうかもしれない。 「だが、俺は騎士で在り続けたい」 騎士として生きていきたい。 けれどこの国では――幸せと生き様を両立できない。 人生の幸せであるべきことが、異端故に無理になるから。 「だから出ると決めた」 今のままでは自分を殺すのと同義。 騎士としての責任と義務だけで生きるだけになってしまう。 それは本当に騎士として在るべき姿なのか、分からなくなってしまう。 だから願う道を貫くならば。 再び、幸せとなって騎士としての本分を心から全うしたい。 「そうですか」 優斗は頷くと、 「もし――」 言葉を紡ごうとして、 「……いえ、何でもありません」 やめた。 そして笑みを浮かべる。 「昨日、戦ったからこそ分かることですが貴方は強い。だから大国だろうとどこだろうと貴方は再び騎士になれます」 間違いなく。 「貴方の幸せを願っています」 そのまま右手を差し出す。 昨日とは逆の形。 優斗からの握手。 師団長は少し考えると、優斗の手を握り、 「もし、仮にだ。俺がリライトに向かったならば――」 優斗のような、自分と同じ恋愛観を持つ人物が幸せに生きていける国に。 自分が行った時は。 「俺の幸せの手伝いをしてくれるか?」 優しい笑みを浮かべながら。 師団長は告げた。 「……はい」 優斗は頷き、少しだけ顔を崩すと、 「是非とも」 心からの言葉を返した。 優斗は馬車に乗ると、しばらく天井を仰ぎ見ていた。 「どうされました?」 「……自分が子供だな、って思ってさ」 優斗が言おうとしてやめたこと。 飲み込んだ“頼ってくれ”という言葉を。 彼は理解して、あのように告げてくれた。 「やっぱり、大人だよなぁ」 優斗が言うのをやめた理由すらも把握して尚、ああ言ってくれる。 「凄い人だよ、本当に」 彼のために……という意味だって多分にある。 言ったところで問題はない。 けれど今回だけは駄目だった。 意味合いとして独善と贖罪が強すぎる。 優斗が彼の憎悪も殺意も押し込めてしまったからこそ。 二度も同じことはできない。 なのに師団長は頷いて、手伝ってくれと言ってくれた。 「憧れるよ」 昨日出会った人なのに。 心から尊敬できる。 「だから、この憧れも用いて変わっていこうと思うんだ」 まだまだ歪んでいる自分を。 「フィオナを心配させないためにも」 優斗は髪を撫でている最愛の手を取る。 「そこで私のほうへ話を持って行くんですか?」 思いの外、ビックリした。 「僕の歪んでいるところが一番出てくるのは、君へのことだからね。君を心配させない方向へ変わっていくことが、歪んでいる部分を直すには手っ取り早い。あれだけ泣いて叫ばれたら、僕だってそれぐらいは理解するよ」 小さく笑う。 そして、 「ああ、そうだ」 ふと、ちょうどいいと優斗は思う。 「フィオナ」 「はい?」 小首を傾げたフィオナに、優斗は軽く口唇を触れさせる。 「――っ!?」 あまりにも不意打ちで、フィオナは思わず驚いてしまった。 「な、なな、ゆ、優斗さん!?」 あたふたと慌てるフィオナに優斗は声を出して笑う。 「僕の歪みの一つ――不味いくらいの自信の無さをちょっとでも減らそうと思って」 「ど、どういうことですか?」 「どういうことって言っても……君も分かってたでしょ?」 何度も何度もキスをした。 けれど、 「僕から君にキスをしたことはない」 一度だってない。 「だから少しぐらいは自信を持とうと思って」 昨日、フィオナが言ってくれたこと。 「僕しか君を幸せにできないことを」 少しずつでも、この言葉を確固たるものにして。 そして二度と馬鹿なことをして自分を傷つけない為に。 何よりも自分自身を大切に思えるように。 「そのための、一歩だよ」