「今だ、投擲!」
巨大な蛾の赤い瞳を睨みつけながら叫んだ小杉充(こすぎ みつる)の声を合図に、十五本のピルムムルスが放物線を描く。
始まりの街から僅かに橋を一つ越えた場所に存在する森。スリーピングフェアリーとレッドインプが棲まう森は、本来の攻略レベルで云えば、あくまでも草原での戦闘の次に挑むべき初心者用の戦闘フィールドだろう。
だが、モンスターのレベルが如何に低くかろうと、ゲーム的な死が現実の死に直結する現状では、その危険度は高いと云える。事実、これまでに魔法契約を行うために訪れたプレイヤー達の中から、幾人もの死亡者を生み出した最初の難関が、この森なのである。
具体的には、敏捷性の高いレッドインプは、林立する木々を利用したトリッキーな動きでプレイヤーに狙いを付けさせず、直接的な攻撃力をほとんど持たないスリーピングフェアリーは、睡眠魔法による遠隔攻撃を放ってくる。
また、眠りに落ちた者に贈られるスリーピングフェアリーによるキスという名の特殊攻撃は、吸精という効果を伴い、およそ半日ほどの間、プレイヤーの動きを三割近くまで減じてしまう。
そして、この両者の攻撃が噛み合った時――そう、スリーピングフェアリーの攻撃によって動きを制限されたプレイヤーにレッドインプが襲い掛かるというコンビネーションが成った時、初級レベルのプレイヤーにとって、それはあまりに凶悪極まりない連携攻撃となる。
レッドインプとスリーピングフェアリー以外にも、この森では、凶暴性を増したジャイアントクロウラーの存在が脅威といえるだろう。
彼らは森の中心部に存在する開けた場所にまばらに生える木を利用し、枝から吊り下げた繭の中で一週間ほどの期間を経て、羽化を果たす。その際、動けぬ繭を守ろうとする本能が、近づくプレイヤーを排除しようとするのだ。
更に、このジャイアントクロウラーの防衛本能は、成虫である巨大な蛾――ビッグモスにも引き継がれており、麻痺の効果を持った毒鱗粉が、視界を黄色く染め上げるほどにばら撒かれることとなる。
だが、それらの危険を知りながら、それでも森の深奥にまで踏み込むことが、戦うことを選択したプレイヤーには必須となる。
魔法行使に必要不可欠な杖等の魔法媒体を手にしただけでは、Struggle for Supremacyの世界で魔法を使うことはできない。そう、魔法を行使するためには、森の深奥を訪れる必要があるのだ。
地・水・火・風・光・闇の六属性に分かれる魔法を使用するには、各属性との契約が必要となる。具体的には、広大なフィールドの各地に散らばった魔法陣の上に立ち、魔法媒体を中心に配して決められた呪を唱え、各属性との契約を終了しなければならないのである。
そして、先ず初めに契約のできる風の魔方陣が、この森――ジャイアントクロウラーの羽化場には、存在していた。
「よし、かなり弱ってる。そろそろ動きそうだ。
ビッグモスが離れてる間に全員の魔法契約を終了させるぞ。
慌てずに急げよ!
契約中の奴以外は、周囲の警戒を怠るな!」
場を仕切る充の言葉を受け、ギルド【黄金の蜂蜜酒】のマスターである大海健二(おおみ けんじ)は大きく頷きを以って応え、自らもまた口を開いた。
「ああ、分かってる。
近藤(こんどう)、順番通りにお前からだ。早くしろ!」
「分かってます!」
ビッグモスはゲーム的に言うなら、フィールド単位で配置されているボスモンスターに分類され、本来であれば、ある程度レベルを上げたプレイヤー達が、経験値やドロップアイテム狙いで格好の獲物とするモンスターでもあるだろう。
だが、ビッグモスを撃破しようとした際に引き起こされるデメリットが、プレイヤー達にそれを躊躇わせる。
地上に落ちたビッグモスが絶命するまでの間、毒鱗粉を撒き散らしながらもがくことによって、肝心の魔法契約が不可能となってしまう。大地から染みだす魔力で描かれた魔方陣は、モンスターによってたやすく掻き消されるほどに脆弱なものであり、その回復も自然に任せるしかなく、一定期間の使用が不可能となってしまうのだ。
また、空中で倒すそうにも、ヒットポイントがある程度減った時点で、ビッグモスは回復のために森の中へと避難してしまう。木製の投擲槍が、攻撃の主体である今、ビッグモスが逃げるまでに倒しきることは、中々に難しい。
勿論、レッドインプやスリーピングフェアリーを警戒しながら戦わなければならないことも考えれば、更にコストパフォーマンスは悪くなるといえるだろう。
そのため、魔法の取得のために訪れるプレイヤー達は、ビッグモスを倒すのではなく、追い払うことを選んでいる。
「どうやら、上手く全員が契約できそうだ。
ギルドを代表して礼を言っておく」
「これが仕事だ。
だが、まだ事は終わってない。
気を抜くには、まだまだ早いだろう?」
「そうだな……」
素っ気ない態度に肩を竦めながら、それでも健二は、充を邪険に思うことはない。
ほとんどのギルドメンバーが、ブレードウルフを相手に一対一で近接戦闘を挑めるほどにレベルを上げているとはいえ、状況が違えば、単純な力押しだけで対抗していけるわけではないことを、健二は十分に分かっている。
実際、新たなモンスターと相対したパーティーが、その特殊攻撃によって攻撃手段を封じられ、命を落としたという話がちらほらと聞こえてくる。
だからこそ、腕の立つ傭兵として可能な限り手を貸してくれる充は、後発の各ギルドにとって、重宝な存在となっている。
元々、自治会で戦闘班に所属していたプレイヤーの戦闘スキルは押し並べて高く、また、モンスターに対する的確な対処法を心得ている者も多い。それに加え、充の場合は、複数のパーティーを指揮しながら、不意の襲撃やパニックを起こし掛けたプレイヤーに対するフォローを忘れることがない。
パニックに陥った者の気を失わせ、周囲のプレイヤーに退避させるという些か強引な手段を躊躇なく使う辺りに強引さを感じる部分もあるが、命を失うよりは余程ましだといえるだろう。
それを分かっているからこそ、気絶させられたプレイヤーが文句を言うことなどもほとんどない。ただ、プレイヤーを意図的に攻撃することは、充自身が要注意人物として、始まりの街の広報に載せられてしまうことをも意味している。
そのため、充を知らないプレイヤーからはプレイヤーキラー(PK)呼ばわりされ、忌避されてしまうこともままあるのが問題だろう。
しかし、それでも尚、充はプレイヤーを救うことに重点を置いているのだ。
それらのことを知るが故に、今更、充の取っ付き難い態度に、健二が腹を立てるわけがない。逆に、不器用に過ぎるという憐憫を抱いてしまうほどだった。
「――団長、団長以外の契約は終わりました。
団長もお願いします」
「ん。ああ、分かった」
緊張と興奮が交錯する中、夜明けの月の団員達の魔法契約は終わっていた。
魔法媒体を作るには、魔晶と呼ばれる鉱物が必要であり、全員に行き渡らせるには、結構な金額が必要となる。
その準備に費やした感慨を噛みしめ、健二は棒術として使うことを意識して作った特製の杖を魔法陣の中心に突き立てた。
淡い光で描かれた魔法陣の輝きが増し、魔法契約の準備が整ったことの証であるウインドウが開くと、そこには、契約のための呪文が記されており、それを朗々と謳い上げることによって魔法契約は完了する。
そして、緊張で強張っていた頬が緩む頃、契約は恙無(つつがな)く果たされたのだった。
※ ※ ※
「世話になったな」
「いや、そっちの動きが悪くなかっただけだろう。
別に、俺が出張らなくても、問題なく魔法契約は果たせただろうな」
「さて、それはどうだかな。
とりあえず、お前に頼んで、無事に終わったって事実には変わりがないだろ?
どうだ? これから宴会をやるんだが、お前も来ないか?」
「……いや、誘いはありがたいが、遠慮しておこう」
「そうか、残念だな。
ま、途中で気が変わったら、来てくれよ。
たぶん、今日は徹夜で飲み明かすことになるだろうからな」
「……」
資金を捻出したプレイヤーが酒場のマスターとなり、店員は復活したNPCが務めている酒場の中へと、既に黄金の蜂蜜酒のメンバーは姿を消している。
自治会によってもたらされた情報――販売系のNPCの撤去は、確かに事実ではあった。だが、五千人という人数は全てを賄うには少ないと、SfSの現状を作り出した声の主は判断したのだろう。各種店舗に雇用されるNPCは、完全に撤去されてはいなかった。
不動産の登録と同時に、店舗に残されていた在庫の販売利用権とNPCを雇うことが可能となっていたのだ。月毎の給与を支払っている限り、彼らNPCが消え去る気配は、今のところ確認されておらず、各店舗の営業は順調なものとなっている。
また、農場からの収穫やアイテム採取によって、徐々にではあるが在庫品以外の生産も開始され、始まりの街や他の城塞都市は、街としての機能を確実に取り戻し始めている。
「悪いな、それでも……いや、何でもない。
また、何かあったら、声を掛けてくれ。
じゃあな」
「ああ……」
耕太と夕子の死から四ヶ月。そして、自治会が解散して三ヶ月が経った今、SfSの中で生き抜くことの難しさに直面することになった大勢のプレイヤー達は、安穏とした日々を懐かしく思い出している。
それは健二にしても同様だ。
また、自治会会長の酒田克己(さかた かつき)の言葉――すでに自立できるはずという言葉の裏に隠された悲しい事実――事務方と実働班の長という両腕を、突然の死によってもぎ取られたという事実を、健二は噂話として聞き知っている。
そして、その復讐のために充が動いていることもまた公然の秘密となっており、その他者と一線を引こうとする態度もまた知られている。
「紅の復讐者か。
システムの称号交付ってのはどうなってんだか……似合いすぎなんだよ。
呪縛ってのは、あいつのことを指して言うもんなんだろうな……」
閑散とした街の中へと姿を消す充の姿が、まるで闇に呑まれていくように思え、健二は頭を振って、呟いたのだった。