「宮間君、忙しいところをすまんな」
「いえ、大丈夫です。
それで牧場の被害は?」
ざわめきに彩られた牧場へと駆けつけた耕太に、克己は爪跡も生々しい柵とのんきに地面に生えた草を食む牛を視線で指してみせる。
「ご覧の通り、特に問題らしい問題が残っているわけではない。
ただ、これは運が良かっただけの話だろう。
たまたま君のところのメンバーが、牧草の搬入に訪れていて助かっただけのことだ。
もし、彼らがいなければ、柵内に入り込んだグリーンインプによって、牛が傷付けられていただろう」
「何で牛が?」
克己の説明に、耕太は首を傾げた。
モンスター同士が争いあう事実は確認されていない。ゲームシステムに縛られている部分がある以上、協力することはあっても、敵対するなどとは考えられなかった。
「実は、だ。
見落とされていた事実なんだが、牧場に入れられた後、牛のステータスは家畜へと変化していたらしい」
「家畜? モンスターにステータス表示は……」
克己は頭を横に振り、耕太の疑問に答える。
「そうだ。モンスターのステータスは表示されない。だからこそ、戦闘は慎重にならざるを得ず、我々の誰もステータスの確認などしなくなっている。
逆に、その辺りのことについて、細見君は今までフィールドに出たことがなく、また会議に参加していたわけでもないため、全く知らなかった。
これまでのゲームの経験からステータスの確認はあって当然だろう。そのため、我々にその点を質問するはずもない。そのデータを使って育成を順調に進めていたことを報告することもなくな。
正直、盲点だったよ……」
「……」
自治会上層部において情報の独占を狙っているというわけではない。
モンスターとの戦闘において、戦闘の目安になるであろう相手のステータスが覗けない事実や、夜になればモンスターが活発化するなどのマイナス要因によって、不安を増長させないがための措置である。
だが、こうしてSfSの世界で生きるための最低限の常識となるべき部分で問題が表面化してしまっては本末転倒であると云えるだろう。
只でさえ、耕太と夕子の仲についてあらぬ噂が流れ、男と女の関係だからこそ、戦闘班に対する物資の優遇が行われているのだという事実無根の敵意が渦を巻き始めているのだ。
口さがない誰かによって、自治会上層部が情報の隠蔽を画策し、私服を肥やそうとしているなどと騒がれては困ったこととなる。
組織を預かり、自治会員に対して責任を負うべき立場の克己にとって、今の状況は非常に拙いものとなっていた。
なればこそ、分かり易い行動を起こし、風向きを好転させる必要がある。
「宮間君、夜の襲撃……あり得ると思うか?」
「多分……」
力を抜けば項垂れてしまいそうなほどに気を重くしながら、耕太は頷いた。
「そうか。なら、牧場に警備員を常備させるべきだな」
「はい、不足の事態に備えて、できれば二チーム置くべきだと思います。
ただ疲労を考えると、休日扱いのチームをこれから夜半まで、草刈りのチームにはこれから休憩を取らせて明日の朝までっていうのが現実的だと……。
皆、気がついていないだけで疲労は溜まってる。このまま戦闘シフトに入ってるメンバーを充てたところで、夜のモンスターに命中させられるかどうか分かりません」
「そうか……」
先程、牧場を襲ったグリーンインプは一匹のみ。だが、その襲撃頻度は分からず、襲撃してくる数も確定したわけではない。
とりあえずの一夜を乗り切ることへの不安は、決して小さくなることがなかった。
※ ※ ※
「ちょ、ちょっと待ってください。
こんな暗い中で、どうやって戦うっていうんですか?
グリーンインプだって、夕方になると洒落にならないくらい速く動き始めるんですよ。
それが夜になったら、手がつけられるわけないじゃないですか!
俺達を殺す気ですかっ!?」
「昼間言ってただろ。草刈りがどうのこうのってな。
なら、言った分だけ働いてみせろ。
戦いたいんだろ、お前?」
信一郎の抗議に、耕太は冷たく答える。
その返答は、信一郎だけに向けられたものではない。彼を代表とするかのように後ろに並ぶチーム全員に向けられたものだった。
「そ、そりゃ戦うのに文句はありませんよ。
でも、こんな無茶な状態では戦えないって言ってるんです!」
耕太の声と視線に一瞬気圧されたかけながらも、信一郎は必死で言葉を続ける。
「俺達だって、ショートスピアを貰ってから、この六人でやってきてます。だから、昼間の戦いで失敗するようなことはしませんよ。
それは、態々俺達の様子を見にきてた班長だって知ってるでしょう?」
「ああ、そうだな。それで?
お前らは、どうして欲しいんだ?」
耕太の瞳は何の揺らぎを見せることもない。
「それは……だから……そう、もっと人数を増やしてくださいよ。
グリーンインプを安心して倒せるだけの人数が揃えば、文句はありません」
自らの思いつきに安心した信一郎に対し、耕太は尚も追及の手を緩めはしなかった。
「じゃあ聞くが、どれだけ人数がいれば安全なんだ?
夕方から参加していたが、多くて二匹ずつしか攻めて来なかったんだ。十分に一チームで対応できていた。
それに、射程ギリギリで狙えって言ってるわけじゃない。柵をよじ登るなり、くぐろうとするなりして動きを止めたところで狙って倒せばいいんだ。多少暗かったところで、狙いが外れるとは思わない。
おまけに、グリーンインプが相手なら、致命傷(クリティカルヒット)になる心臓や頭をぶち抜けば確実に一射で、普通に当てても二射で十分なんだ。
何を不安がる必要があるんだよ。
それとも何か? お前、昼間にあれだけ偉そうな口を叩いておいて、今更、狙えません、当てられません、で通すつもりじゃないだろうな?」
「……」
ギリリと歯軋りの音を立てながら睨みつける信一郎に負けることなく、耕太は睨み返す。
ショートスピアの貸与から一週間が経ち、それ以前から組んでいた十人の中から、そのまま六人で一チームを形成しているが故、その繋がりは強くなっているのだろう。
無言となった信一郎の後ろから、五人が同じように睨みつけていた。
戦闘班を纏める長として、これは失策以外の何物でもない。確かに、人を束ねる者には、部下からの反感を買ってでも敢えて苦言を呈さなければならない場面はある。
しかし、これからの長い夜、モンスターの襲撃を警戒し、襲撃があれば、これを防衛しなければならない。そのような場面において、長自らが場の雰囲気を治めるのではなく、率先して掻き乱すような真似をしていては意味がない。
まして、自らの私意を反映している点が、問題でないはずがない。
双方ともに敵意を隠さず、不和の空気が満ちていくのを止める術を誰もが知らなかった。
場の雰囲気を円滑に保つ陽子の不在は、あまりに手痛い不足だった。
「何を黙ってるんだ?
答えろよ。答えてみせろよ。
お前らに覚悟があるんなら、その覚悟ってのを見せてみろよ。
街に篭もってる奴らを扱き下ろすだけのモノを持ってるってんなら、今ここで見せてみろよ。
どうなんだよ、答えてみせろよっ!」
「――くっ」
ギチリと歯の軋む音が再び響く。
「黙ってるってことは、見せられないってことか?
なら、さっさと街に戻って、副長にでも泣き付いてきたらどうだ。
自分達の手には負えそうにないから、休憩に入っているチームから助けを出してくださいってな!」
「だ、誰が……誰がそんなことっ!」
気圧された心の反発は、腰に帯びたショートソードに手を伸ばさせる。
上辺だけで取り繕った論理が封殺された今、信一郎らが短絡的にでるのは当然の流れだろう。一触即発の緊張が招いた静けさに、時間が引き伸ばされていく。
永い永い沈黙の後、耕太は表情を歪めて、嘲りの笑みを浮かべた。
「ハッ、ショートソードに手を掛けてどうするんだ?
俺を殺すつもりなら、早くやったらどうだ。
何処を向いても不満ばかりを押し付ける奴で溢れてるんだ。案外、お前が俺を殺しても、この世界じゃ、罪にはならないかもしれないな。
もっとも、ログアウトができた時、俺を殺したってデータはログに残るぞ。お前は、警察に捕まることになるな。
それでもいいなら、やってみろよ。
……ただし、俺も反撃はさせてもらう。お前が俺を殺そうってんだから、俺は正当防衛を主張するだけだ。
俺は遠慮しないからな」
「……」
「黙るなよ。周りに文句を言うだけで行動に移せないんなら、お前が見下してた街の連中と変わらねぇんだよ。
安全な場所からの経験値稼ぎは確立されてる。誰だって、やろうと思えば、お前と同じレベルにまで育つんだ。
お前らは必要だが、不可欠な存在じゃない。
思い上がるな、この馬鹿どもっ!」
遂に六人は一言も発せず俯いてしまう。
その様を見た耕太は溜飲を下げ、声の調子を普段の物へと戻していた。
「文句はなくなったようだな。
なら、これからが仕事なんだ。気を抜かずに、守り通してみせろよ。
牧場を守ることは、自治会に入ってる皆の希望を護るってことなんだからな」
夜明けまでは未だ遠い、深夜零時のことだった。
※ ※ ※
「ほら、また来たぞ。今度は少しばかり数が多いらしいが、慌てる必要はない。
さっきまでと一緒で、奴らが柵の前で動きを止めたところを狙えばいいんだ。
別に無理して、動いているところを狙う必要はないぞ」
「……」
(思ったよりも数が多いな。
本当なら問題ないんだろうが、誰かが下手をしたら、そこから乱戦になるか)
あと少しで朝陽が顔を覗かせるという時刻、闇の中に浮かび上がったモンスター特有の赤い瞳が、二つ四つ六つと増えていく。
見晴らしの良い草原には、姿を隠す場所などない。出現する数こそ増えているものの、やはり種類はグリーンインプのみ。
幼児程度の大きさの身を伏せたり、或いは跳躍を繰り返すといった狙いのつけ難さはあるものの、それも相手が動きを止めざるを得ない瞬間を待てば問題はなかった。
また、全員が弓を装備し、ショートスピアにショートソードを予備の武器として持っている以上、よしんば近接戦になったとしても後れを取ることはないだろう。
むしろ、問題となるのは、先程から引きずったままの重い空気の方。耕太の背を後ろから狙わないとは言えない状況にこそある。
(くそ……すっきりしたのはいいけど、このタイミングは拙かった。
俺もイラツキ過ぎだ。イラついてたからって理屈で自分より下の奴を責め立てて、ガキかってんだよ……)
鬱々と内心に降り積もっていたものを吐き出し、幾度かの襲撃を防いで冷静になった今、先に信一郎らに取った態度が戦闘班の長としてあるまじきものであったことは、耕太にも理解できるようになっていた。
同時に、人生経験が足りていないとはいえ、そのような言い訳が通用するわけがないこともまた理解しており、それが不必要な危機を自ら招いてしまったことを自覚させ、気を重くさせてくれる。
だからこそ、この場で自分がどう行動するべきかに悩んでしまう。
(単純に謝れば良いってもんでもないだろうしな。
いや、問題のあった部分について謝っておくのは正しいのか……ただ、こいつらの考え方だと、謝った時点で、俺が全部悪かったことにする可能性が高いよな……どうするべきなんだろうな)
草刈りに精を出していた時の対応を思うに、問題の切り分けが信一郎達にできるとは、耕太には思えない。
実際、耕太のぶちまけた八つ当たりにも正しい部分は存在する。
戦闘班に所属しているプレイヤーが、他のプレイヤーに勝っているということはないのだ。他のMMO系ゲーム以上に、生産職の重要性が高まっていることを考えれば、決して許していい風潮とは云えなかった。
とはいえ、人は正論であるからこそ、指摘されれば反発することもある。そして、信一郎達の年齢では、自らの小賢しさを論破されて尚、正しさを許容できるような余地を持つ者は少ない。
もう少し、余裕がある状況で第三者――例えば、陽子のように場を和ませる雰囲気に長けた年上の異性に信一郎らのフォローを任せ、耕太の言動を分からせるといった手段を使うこともできただろう。
しかし、既に事は起こってしまっている。新たな方法を早急に模索する必要があった。
(後で、酒田さんにでも相談するか。
くそっ、夕子さんに逢えないだけで、ここまでイラついた挙句に呆けちまうのかよ、俺って奴は……。
ここで解決しておくべき問題だってのに、何も思いつか――)
だが、耕太の脳は何らの対策を思いつくこともできず、それ以上の思索に耽ることも許されなくなってしまう。
信一郎らに隙ができた時のため、牧場野中央に立っていた耕太の目に、モンスターの影が映っていた。
グリーンインプとほとんど変わらぬ姿だが、よく見れば、松明に照らし出される色合いが違う。また、その小さな体躯から、大剣を持つかのように見えるナイフが握られている。自治会が購入したナイフとは違い、上向きに付いた切っ先を具えた右手に握られるソレは、ボウィーナイフと呼ばれる代物であり、耕太にとって忌まわしい激痛を記憶に刻み付けたモノだった。
(――レッドインプっ!?
まずいっ!)
グリーンインプの襲撃に混じろうとする影は、耕太の腹を嗤いながらえぐり、後に自治会で要注意モンスターとされたレッドインプに間違いない。
とはいえ、自治会においてレッドインプが要注意とされているのには、耕太に重傷を負わせたからというだけではなかった。
始まりの街から橋を一つ越えたフィールド、その森林地帯にレッドインプは棲息している。
レッドインプの存在が確認された当初は、色違いのモンスターであることから、その能力は同系のグリーンインプの単純な強化版でしかなく、初めて見ることになる武器攻撃に注意すればいいだけのものと思われた。
しかし、レッドインプの能力は、それだけではなかった。木の陰に身を潜め、矢の攻撃を防御すると、雄叫びを上げて仲間を呼んでみせたのだ。
二匹、三匹と増えるレッドインプの姿に、耕太達は死に物狂いで戦いを挑み、大怪我を負いながら辛勝を掴む羽目と相なったのである。
そして、平地に誘き出したとしても、矢を避けかねない敏捷性を昼間から具えている事実が、それ以上の関わりを自治会に忌避させた。
だからこそ、レッドインプは要注意モンスターに指定されている。
そんなレッドインプを相手に信一郎達が互せるとは、耕太には思えない。
「レッドインプだ、気を付けろ!
遠藤、小杉、援護しろ。俺が近接戦で片を付ける!
当たらなくてもいい。牽制してくれ!
他の面子はグリーンインプを一歩も牧場内に入れるなよっ!」
耕太は走りながらショートソードを抜き放ち、牧場の柵を一気に駆け上がる。
ショートスピアで薙ぎ払う方が安全なのだろうが、如何せんレッドインプの体躯は小さく、懐に入りこまれては不利になってしまう。
そのため、耕太は矢による援護を頼み、近接戦に打って出ることを選択したのだった。
「キュギ!?」
走り寄る耕太にレッドインプは動きを止め、口に当てていた手を下ろした。
(いけるかっ?)
予備動作の段階で仲間を呼ぶのを止められたのは僥倖だと云える。
このままの勢いで、レッドインプを片付けることができれば、グリーンインプを討ち漏らすこともないだろう。
だが、レッドインプまであと三メートルというところで、その目論見は儚くも崩れ去ってしまう。
「何やってやがる!」
支援の矢が、闇夜を引き裂くことはなかったのだ。
既にレッドインプは体勢を整え、そのボウィーナイフを構えていた。
(くそっ、ここでサボタージュかよ。
時と場合を考えろってんだ)
一矢でも当たっていれば、レッドインプは動きを止め、血飛沫を上げていたに違いない。
しかし、煌めいた銀閃は空を切るに止まり、後ろにステップを踏んで回避したレッドインプは、その勢いを反動に利用して、耕太へと向かって飛び込んでくる。
「舐めるなぁっ!」
振り切っていたショートソードを強引に切り返し、その刃を胴へと走らせた。
過去に戦った時の動きであれば、そのままレッドインプは二つの肉塊と化していただろう。
だが、闇に在って本領を発揮する性が、耕太の動きを凌駕する。
「くぅ、この――」
「クギュアッ!」
その小さ過ぎる体躯を活かし、レッドインプは耕太のショートソードにボウィーナイフをぶつけ、それを支点に宙返りを披露した。そして一拍の間を空けることもなく再び、耕太へと向けてジャンプする。
対して耕太もまた、伊達に近接戦をこなしてきたわけではない。
他の戦闘班員とは違い、矢の通じ難いロッティングコップスを相手にするため、ショートソードやショートスピアでの戦い方を身体で学んできているのだ。
刃を当てにいくだけの余裕がないことを悟った耕太は、ボウィーナイフとの激突によって生じた圧力を支えに、ショートソードの柄をレッドインプの頭にぶつけていた。
「とっとと死ねよ!」
無様に叩き落されたレッドインプの首を目掛けて、今度こそ鋭い切っ先は狙い過たず振り下ろされる。
乾いた粘土を貫いたような衝撃と共に、グチリと嫌な音が響き、赤黒い血飛沫が上がる。既に致命傷であろう一撃に、しかし耕太は念を入れて、刃を二度三度と振り下ろす。
たとえ如何様な傷を負ったとしても、システム上のHPを削りきらなければ安心はできない。頭を潰された状態で思考が続くのかは分からないが、少なくとも耕太自身が内臓をグチャグチャに掻き回されながらもショートソードを振るうことができた以上、システム的な死を与えておく必要があった。
だが、そんな耕太の行為は、喩え事情を知っていようとも、端から見れば気が狂っているとしか思えない凶状と映るのだろう。
レッドインプの赤黒い血で自らを染め上げた耕太が警戒のために周囲を見渡せば、信一郎らが呆然とした目で見つめていた。
「馬鹿野郎! 何を呆けてやがるっ、小杉!」
「えっ――う、うわぁっ!
来るな、来るなぁっ!」
担当範囲にモンスターの姿が見当たらず、援護を頼んだことが、小杉充(こすぎ みつる)の油断を大きくしたのだろうか。
いつの間にか現れていたグリーンインプが柵を乗り越え、下卑た邪笑を浮かべながら一直線に充の元へと向かっている。
充が構えていた弓から放たれた矢は見当外れの方向へと飛び去り、信一郎らは突然の事態に、弓を構えることすらできていない。
そして、レッドインプを目指すとき、ショートスピアとセルフボウを邪魔とばかりに投げ捨ててしまった耕太には、グリーンインプを狙い打つ術がない。耕太と充の間に広がる距離の壁は、あまりに高かった。
「何やってる。弓に拘るな! 槍だ、槍を使って牽制しろ!
榊、遠藤、援護しろ! 小杉を見捨てるつもりか!? 早くしろっ!!」
だが、二人は物言わぬ石像と化したかのようにピクリとも動かず、残りの三人は、その配置から弓での援護は難しかった。
充はと云えば、弓を放そうとするものの、その弦に腕を絡ませて自縄自縛の態を晒している。
「この馬鹿野郎どもがっ!!」
グリーンインプの攻撃力を考えれば、これまで上げてきたHPを一撃の下に削りきることなどはありえない。死ぬまでに幾許かの猶予があると考え、痛みを享受してもらっている間に近づき,
斬り捨てるしかないと耕太が断じ、立ち上がろうとした時、視界の端に煌めきが映った。
「――消えてない? 使えるのか、ひょっとして?」
拾い上げたレッドインプの血に塗れたボウィーナイフを、耕太はグリーンインプへ向けて投げ放っていた。
ショートスピアによる投擲に慣れ始めていたのが功を奏した。あと三メートルほどの距離に迫っていたグリーンインプの脇へとボウィーナイフは吸い込まれ、その小柄な体躯を吹き飛ばす。
「ギギィィッ!」
耳障りなグリーンインプの断末魔が上がった。
胴ではなく脇へとやや狙いはそれたものの、一応の安全が確保されたことに胸を撫で下ろしながら、耕太は充の元へと急いだ。
「大丈夫か、小杉?
怪我はない――」
「ヒ、ヒィ、ヒィィ……」
無様な格好で地面に座りこんでいた充は、差し出された耕太の手を払っていた。
レッドインプの血で赤く染まり、自らが抗す術を持たなかったグリーンインプを横からの一撃で葬り去ってみせたことが、耕太を自分とは違う別の何かであると充に思わせたのだ。恐慌状態に陥った彼は、足で地面を蹴るようにして必死に仰向いた身体をズリズリと後退させていく。
その姿にやるせないものを感じ、諦めの境地で周りを見渡せば、信一郎達もまた同様に脅えた視線で耕太を見つめている。
「この有り様じゃ、小杉はもう戦えないだろう。
お前ら……小杉を連れて、全員で街に戻れ。
会長も、今日はまだ起きてるはずだ。報告だけすれば、そのまま帰っていいぞ。
もう夜明けだ。交代するまでくらい、俺一人でも大丈夫だしな」
「――わ、分かりました」
強張った調子で信一郎が応え、五人は耕太を振り返ることもなく、街を目指して充を連れて小走りに駆けていく。
「仕方ないか……」
視線を落として呟いた耕太は、自らの頬を両手で叩き、心を無理矢理に切り替えた。
セルフボウとボウィーナイフを回収し、ショートスピアを地面に突き立てた耕太は、周囲を警戒しながら思い返す。
ロッティングコップスの持っていたナイフは、ドロップアイテムとしてアイテム欄に取得表示が出たのではなく、レッドインプの手を離れたボウィ―ナイフと同様に自らが手にして拾得した物だ。
他のゲーム同様にアイテムがドロップすることもあり、また、ロッティングコップスを倒した時の後味の悪さが頭の回転を邪魔したのだろう。今の今まで、そこにアイテムがあることに気がついていなかったことに自嘲してしまう。
また、ボウィーナイフだけでなく、モンスターが消え去るまでの間に取得できるアイテムのことを思うと、これから更に戦闘体制を見直さなければならないことに気が付き、頭を抱えずにはいられなかった。
「……と、お客さんか。
どうやら、時間帯で襲撃する数が決まるので間違いないな」
ただ一体で現れたグリーンインプの眉間に照準を合わせ、耕太は矢を放つ。狙い過たず、射抜かれたグリーンインプは絶命し、地面に臥し落ちる。
そして、耕太は何か得られるものがないかを検証するため、その死体を探っていく。
闇夜を生き抜いた証であり、暖かさを感じるはずの陽射しに照らされながらも、しかし、どこか寂しげな光景が、そこには広がっていた。