「せぇのぉっ!」
陽子の掛け声を合図に、構えられていた得物達が動き出す。
急造されたショートスピアが、僅かに先行した三本の矢によって動きを止められたブレードウルフへと突き立たち、その豊かな生命力を一気に削りきる。
セルフ・ボウの攻撃力を遥かに凌駕するショートスピアの存在は、自治会戦闘班の戦闘熱を高める起爆剤となった。
これまでは、僅か三十二セットしかない弓をローテーションで使い回し、一人が弓で少しずつモンスターの体力を削っていくのを、もう一人が護衛のために待ち続けるという手段を、彼らは採ってきた。
これは、PT(Party)の上限人数が六人に設定されており、六人が中途半端な威力の弓で強いモンスターを攻撃するよりも、一人がグリーンインプのような弱いモンスターを個別に攻撃するほうが、若干ながら効率が良いとされたためである。
だが、ショートスピアによる投擲に三本の矢による同時攻撃を付け加えた場合、ブレードウルフすら一蹴できるとなれば、PTを組みつつ、当たるを幸いに薙ぎ倒していく方が効率は良くなってくる。
万が一、ショートスピアの第一投が外れたとしても、残った二人による第二投・第三投が控えているという安心感もある。
また、第一投が成功すれば、その投擲した槍を回収する間に、次のターゲットを殲滅することも可能となる。
これだけの好条件が整えられれば、自らのレベルアップに熱中しない者などいないわけがなかった。
「ふー、これで三十匹目ね。
そろそろ休憩にしましょうか」
「まだまだいけると思いますよ。
明日になったら草刈りなんですから、いけるところまでいっちゃいましょうよ」
「そうそう。レベルってのは、上げれるとき上げとかないと」
「ですよ。新しいスキルなんですし、ここで上げておくべきですって。
スタートダッシュ組が、どこまでレベルを上げてるか分からないんですから、負けないためにも続けるべきだと思います」
「そうは言ってもねぇ……」
苦笑の下で、陽子は戦闘班員たちの浮かれすぎとしか思えないテンションに頭を悩ませてしまう。
ショートスピアによって得られた【槍術】【投擲術】という二つの新たなスキルは、安全優先の観点から主に投擲攻撃が採用され、【投擲術】のスキルが重用される結果を導いた。
誰もがチマチマと攻撃するよりも、一撃で相手のHP(Hit Point)を削る槍の投擲を選ぶのは当然だといえる。
また、皆のスキルを平等に上げていくという自治会の育成方針の下、明日は牧場で必要とされる草刈りが一日中待ってもいる。
そして彼らは、生産職を初めから選んだプレイヤーではなく、自らの命の危険を理解して尚、戦闘職を選んだプレイヤーだ。その傾向からすれば、牧草集めのような地味な仕事が敬遠されるのも、仕方のないことなのだろう。
だが、ショートスピアの登場によって、一週間に三日の戦闘シフトから、十二日に十日の戦闘シフトへとローテーションは組みなおされ、戦闘日に任意で休む形式となっている今、戦闘職としての待遇は随分と改善されている。
だからこそ、そのことを忘れたかのような声をあげる彼らに、陽子は拙いものを感じてしまうのだった。
(参ったわね……。
宮間君から聞いた懸念そのものじゃない。
あの子、そこまで機微に聡いとは思えないから、会長さんの仕込みかしら。
でも、どっちにしても拙いわ。
調子付いてる時に、下手な言い方は逆に刺激しちゃうだけだし……。
もう。こんなことなら、宮間君にこっちに来てもらうんだったわ)
牧草採取担当チームの指揮と護衛に付いている耕太へと内心で文句を並べつつ、陽子は額から一筋の汗を流しながらも微笑み、疲労による危険性を説くために口を開くのだった。
※ ※ ※
「こ、腰が……。
班長、そろそろ休みにしませんか?」
耕太の横で、ショートソードを鎌代わりに振るっていた榊信一郎(さかき しんいちろう)が、ぼやくように呟いた。
モンスターを相手に振るわずとも、草刈りで【剣術】スキルは上がっていく。だからこそ、始まりの街周辺の比較的安全な場所であるにも関わらず、戦闘班員が牧草を集める役割を担っている。
だが、やはり戦っているという実感がなければ、如何に牧場を支えるという重要な役割との二つを兼ねられても、面倒くささが先に立ってしまうのだろう。
間を空けない休みの要望に、耕太は顔を俯かせた。
「榊……三十分前に昼休憩が終わったばかりだろ。
文句言わずに、牧草を集めろよ」
「でも、班長。この姿勢は辛いですって。
それに、このくらい休憩したところで、問題ないはずでしょ?」
「お前なあ……」
頭の奥がクラリとする重い感覚を晴らすかのように、耕太は頭を振る。
「言っていいことと、悪いことがあるだろ。
第一、こうしてたって【剣術】スキルは上がっていくんだ。
安全にレベル上げができてる状態で、何が不満だ」
「いや、だって……俺達、戦闘職で他より苦労してますよね?
だったら、こういう生産系のことは他の奴にやらせた方がいいと思いません?
自治会で実質的に動いてるのって、俺達以外じゃ五十人くらいのもんでしょ?
街に篭もってヌクヌクとしてる連中にも、少しくらいは何かさせないと不公平だとしか思えないんですよ」
高校生の信一郎にとって、今の状況は不公平なものと映ってしまう。
いや、信一郎以外の戦闘班員にしたところで、同様の感情を抱いていないとは決して云えないだろう。
確かに、装備品の無料支給や食料の優先配給が、命の代価として相応しいかどうかを問えば、首を傾げざるを得ない。また、生産系、戦闘系の別はあろうと、同じプレイヤーであることに変わりはなく、ほとんどのプレイヤーが市民を守るべき警官や自衛隊員といった公職に就いているわけでもない。
SfSに生きる人々の大多数は、ゲームを遊びに来た只の一般人プレイヤーに過ぎないのだ。
だからこそ、潜在的な不満は、皆の心の奥のどこかに在って当然なのだろう。
そう、耕太の中にもまた、同じように『何故、自分が……』という不満は、確かに息づいていると云えた。ただ、だからといって自ら生き延びることを諦めるつもりはなく、また、自らが生き残るための行為を他人任せにすることを由とせず、護るべき存在となった夕子を護りたいという意志がある。
今はただ、皆が生き延びるだけの環境をひたすら作り上げることが、結果的に自分達を助けるために必要不可欠なことを耕太は理解し、実践しているだけだった。
同時に、少なからず戦闘班長を担っているという自負もある。
「お前、それでも自分で選んで、ここにいるんだろ。
気持ちは分からないでもないけど、自分で選んだんなら、文句を言わずにやったらどうなんだ?」
「いや、それはそうかもしれないんですけど、それにしたって……」
対して、アイテム購入がなくなることを始めとした危機的状況の全てを知らされず、一戦闘員に過ぎない信一郎らに、耕太のような意識を持たせる機会はなかった。
そして、SfSにおいては未だ安全な距離からの狩りに終始し、命の危険を間近に感じる距離で剣を振るってモンスターを殺した経験を持たない彼らが、余裕ではない慢心に蝕まれるのも仕方のないことなのかもしれない。
「……なら、戦闘班から外れて、こっち専門になるか?
命の危険はないし、力仕事扱いだから、それなりに食料の配給も期待できると思うぞ。
戦闘職と生産職に文句があるなら、替わってみたらどうだ?」
全てを話せないという窮屈さからか、耕太は自分でも挑発的だと思いながら言葉を綴った。
「……嫌ですよ。何で俺がそんなことしなきゃならないんですか。
俺は戦えるんですよ。引き篭もってる連中とは違うんです」
「そうか……」
「そうですよ」
嫌な静けさの中、耕太の草を刈る音だけが響き、永い永い数分が過ぎる。
「宮間さん、会長がお呼びです!」
気まずい沈黙は、街から派遣された急使によって破られた。
※ ※ ※
「牧場の拡大について、細見(ほそみ)君からの問い合わせが来ていますね。
会長、如何します?」
「牧場建設から一週間での要請か。
順調に進んでいるというわけだな。
武智君、高津君、君達の意見は?」
夕子の言葉に、克己はパンを千切る手を止めた。
耕太の元へと急報の届く十数分前、克己達は、いつものようにミーティングの様相を呈し始めた遅めの昼食を取っていた。
「そうですね。
アイテム管理を預かる立場としては、牧草の備蓄や牧場の資材に問題はありません。立場を別にしても、是非とも牛乳を増産して、チーズをもっと作っていってほしいところです。
今は、食べる以外に楽しみのない子供達もいますから」
「食糧管理班としては、是非とも増産して欲しいところです。
正直、配給できる品目が変わり映えしないせいで、不満の声が聞こえています。
試験運用という部分を聞き流して、牧場が作られたという部分がクローズアップされ過ぎているんでしょう。
中には、自治会上層部にだけ提供されている嗜好品があるとまで陰口を叩く者もいるそうですので、問題となる前に手を打ってほしいと思っています」
同じように表情を曇らせるアイテム管理班長の武智美樹(たけち みき)と食料管理班長の高津繁人(たかつ しげと)は、その実、思うところが違っている。
美樹は理不尽に曝されて塞ぎこむしかない子供達のことを憂い、繁人は自治会全体に存在する不満の高まりに危惧を抱いているのだ。
とはいえ、今回の件では方向性を一にしており、両者が激突するような問題点はない。
「では、これを機に牧場の拡大を議論に掛けると――」
レモン果汁を垂らした水を湛えるカップを持ち、克己が締めくくろうとしたときだった。
「た、大変です、会長!
牧場が、牧場がモンスターに襲撃されましたっ!!」
一週間前、自治会にもたらされた希望の光は、早くも暗雲に覆い隠されようとしていた。