「ごめん、耕太君……」
「気にしなくていいさ。
リアルの折衝役と調査班のまとめ役で一杯々々なんだから、夕子さんこそ無理しないで」
「でも……」
エントランスを離れ、ホテルの自室へと場所を移した夕子は、SfS(Struggle for Supremacy)の世界に来て以来、特別な存在となった耕太へ縋るような視線を向けて、謝罪の言葉を口にした。
元々、大学のサークルで先輩後輩だった二人は、お互いがSfSオープンβの第一次参加者であることを知り、ゲーム内で落ちあう約束をしていた程度の仲に過ぎない。
だが、強制ログインに続き、誰とも知れぬ声からデスゲームの開始を宣言されたことで、その約束が当日に果たされることはなくなってしまった。
リアルでの容姿が再現されていることやログアウトができないといった細々とした異変が囁かれ、声の話した内容が企画されたサプライズイベントなどではなく、真実であるのではないかという意見を誘う一石を投じ、遂には重なり合う波紋の如く動揺が五千人の観衆へと広がったのである。
やがて、ざわめきと共に溢れ出した不安は、パニックを誘発した。
そのような秩序も何もない渦中で、公式ページのスクリーンショットで紹介されていた南門の辺りという大まかな待ち合わせ場所で巡り合うことなどできようはずもない。
結局、二人が逢えたのは、克己が自治会を立ちあげ、食料の暫定的な配給が何とか確立され始めた三日目のことだった。
生来気弱な部分の多い夕子は、大学生活を送る上で、必要のないメガネを掛けることで、気丈な自分と振る舞いを作ってきた。
もはや一つのアイデンティティとして確立されたそれは、デスゲームと化したSfSの中で、自らの均衡を保つために持てる能力の全てを発揮させてしまう。そう、更なる責任を自ら呼び込み、遠からず潰れてしまったに違いない重圧を、夕子は招くべくして招いていた。
いつ自ら死を選んでも不思議ではないような当に崖っぷちの状態で、耕太は夕子の前に姿を見せたのである。彼女にとって、知人である耕太の登場がもたらした安心感がいかばかりのものか、それは想像に難くない。
そして耕太は、縋りついて泣き崩れる夕子を突き放せるような人物ではなかった。
唯々、泣き続け、疲れ果てて眠ってしまう彼女の温もり。それが、邪悪に高笑いをあげながら、自分の腹に突き立てたナイフを何度も抉ってきたレッドインプとの死闘をトラウマの一歩手前に押し止め、自らの手で命を断つことの意味を蘇らせることになったのである。
必要とする者がいるからこそ、自らの行動の意義を自覚し、痛みを呑みこんだということなのだろう。
だからこそ、耕太は目覚めた夕子にキスをしながら護ってみせると誓い、三つも年下の彼に彼女が寄り掛かるという今の関係が出来あがった。いや、頼られることで、自らの精神の安定を耕太が得ている以上は、双依存に在るという方が、より正確であるのかもしれない。
何れにせよ、二人は二人でいるからこそ、精神的な危なさから回復する術を持っているといえた。
「前にも言っただろ。
俺は爺さんのおかげで、自分の手で動物を捌くことに慣れさせられてるんだ。他の奴より、まだマシなはずだよ。
そりゃ、女は血を見るのに慣れてるって冗談はよく聞くけどさ、夕子さんに今、そういうことをやれっていうのは無理な話だって。
それに、俺には夕子さんみたいに、調査なんかできないんだからさ。適材適所っていうやつなんだと思う。
だから、今の状態に何の問題もないんだって」
「ばか……無理しないでよ」
「無理なんかしてないって」
弱々しいながらも笑みを取り戻した夕子は、耕太の瞳を数秒見つめ、その瞼を閉じて静かに唇を突き出した。爪先立ちのまま、じっと待つ夕子の唇に、耕太の唇が近づいた瞬間、来訪を告げるチャイムが鳴り、克己が訪れたことを表示するウインドウが表示される。
「まったく……酒田さんも空気を読んで登場して欲しいよな」
女性と付き合うことに慣れていない耕太と奥手の夕子。二人のゆっくりとした付き合いは、二度目の接吻を前に止められたのだった。
※ ※ ※
「お邪魔……だったかな」
じっとりとした夕子の責めるような視線に居心地の悪さを感じながらも、通されたソファーにゆったりと腰を落ち着けた克己は、あえて軽口を叩いてみせる。
その悪びれるどころか、からかいさえ含んだ調子に、耕太は苦笑を浮かべるしかない。
「いえ、別にいいんですけどね」
耕太もまた夕子の視線に冷や汗をかきつつ、肩を竦めてみせた。
「それで、酒田さん。わざわざ訪ねてきた理由は何なんです?」
「ああ、それなんだがね。
実際のところ、牧場の建設が成功するかどうか。そのことについて、どう考えているかを知りたくてね。こうして、お邪魔したわけだ」
「そうですね……」
会議中の指導者然とした態度から一変し、少しフランクな態度で接する克己の姿が、彼本来の姿だといえる。
とはいえ、自治会という組織を切り回す長には、口さがない者から道化だの大仰だのと陰口を叩かれようが、ある程度の演出が必要となるのもまた事実。
そのことを夕子によって聞かされている耕太は、まだまだ克己の切り替えにギャップを感じながらも、何とかサークルのOBに接する程度には親しげに応えるようになっていた。
「かなり、きついことになると思いますね。
会議で高津さんが気にしていたみたいに、どの程度の繁殖率が期待できるのかとか、餌がどのくらい必要になるのかとか、後は、根本的に家畜として扱えるのかって問題が山積みですからね。
正直、狩るだけなら、今の装備でも問題はないと思いますから、その方が問題は少ないと思いますよ。
西部劇みたいにロープを使って生け捕りなんていう真似でも出来るんなら、いいんでしょうけどね」
「でも、それでも安定的に数を供給することを考えるなら、牧場が必要になってくるのが問題よ。
牛がいるなら、豚や鶏、馬だって期待できるかもしれないし」
自ら提起した議題の否定的な側面を挙げる耕太に、夕子が肯定的な意見を上げた。それは会議中に見られた流れと変わらない。
「やっぱり、そういう流れに落ち着いてくるか。
だが、それとは別の――実際に牧場を作る上での細々とした部分での懸念はどうだい?
僕としては、実務的な部分での実現可能性こそが知りたいんだけどね」
「そうですね……」
克己の言葉に、実際に牧場を作ろうとする風景を予想しながら、耕太は考えをまとめていく。
「麻痺毒でもあれば簡単ですけど売ってませんし、作れてもいませんからね。小石でも投げつけてアクティブにしておいてから、地味に牧場までトレインしてくる必要があるでしょう。
ただ、橋を二つ越えてますから、フィールドのモンスターの攻撃が、かなり怖い物になってると思います。それに邪魔されずに安全に運んでこれるかが、かなり疑問ですよ。
上手くスタンしてくれれば、引きずってこれるとも思うんですけど……」
現状では、橋などによってエリア単位で敵の分布が区切られているらしいことが判明しており、牛の居る草原では、ブレードウルフにグライドキャットというモンスターが棲息している。
戦闘と同時にモンスターの生態調査を担う耕太は、それまでと同じように川を挟んで射程圏内に入ったところを攻撃し、モンスターの概要を確認している。
そして、双方共に近接攻撃しか持っていないことに安堵はしたものの、その移動の速さに危機感を抱いていた。
ブレードウルフは陸棲のモンスターであり、グライドキャットも滑空距離が短いらしく川を越えてくることはできないため、遠距離攻撃によって安全に倒すことはできるものの、そのテリトリーに侵入してともなれば、話は違ってくる。
「どちらにしても、牛を運ぶためのルートを確保するために、戦闘班の大部分を回さないとダメでしょう。
まずは、ブレードウルフとグライドキャットをトレインしておいて、その後で牛を運ぶ必要があります。
途中のスリーピングフェアリーは森から出てこないからいいんですけど、レッドインプもトレインしておかないといけないですしね。
弓は32しかないですから、全部使うことになりますけど……いいんですか?
レベル上げのローテーション、完全に崩れますけど……」
「仕方ないだろうな。
今は、どんな小さなものであっても、希望を見せ続けることが必要だよ。
もっとも余裕を持たせ過ぎると、これだけの大所帯だ。内部で派閥なりが出来て、まずいことになる懸念はあるけど……ここで先に空中分解するわけにもいかないさ」
「何か、予兆でもあるんですか?」
耕太に代わって、難しい顔をした夕子が質問を投げかける。
「いや、そういうわけじゃないさ。
ただね、三十も過ぎて会社のことを深く知ってくると、どうにも人の嫌な部分を見せつけられて、暗い方に想像しやすいだけってことだよ。
まあ、あまり気にしないでくれていいさ。責任をとるのが僕の――トップの役目なんだからさ」
「ほんと、嫌になる話ですね……」
「そうだろ?
ま、僕の指示で皆が動いてる形式をとってるし、調査班は君なしじゃ、上手く機能しないんだ。
そうそう君が危うくなるようなことはないと思うよ。宮間君もついてることだしね」
「……」
「酒田さん、そう持ってきますか?」
「悪いね」
顔を赤くして黙りこんでしまった夕子を余所に、耕太と克己の間に小さな笑いが生まれた。
だが、束の間のこと、克己の顔は直ぐに真剣なものへと変わる。
「しかし、それにしても戦力問題が痛いね。
攻略情報が削除されるってことは、本稼動に予定されてたクローズド組との合流なんて夢のまた夢だろうし、同じく順次増やしていくはずだった後発組も来るとは思えない。
おまけに、スタートダッシュ組は未だに連絡をとってこないときてる。
せめて、彼らが情報を分けてくれれば、かなり有利に事を運べるんだけどね」
「ですね」
近年における他のMMORPGと同じく、SfSではクローズドβ参加者の隔離を始めとした徹底的な秘密主義が採られている。
具体的には、ウェブ上への情報の書き込みは会員制の公式ページ内に限られ、関係者以外には閲覧できないようになっていた。また、罰則規定として、公式ページ外への書き込み等は情報漏洩として扱い、事件とした上で賠償金を請求するとまで明記されていたのである。
これは、現実と見紛うばかりの美麗な空間、自らの体を動かす以上に動ける爽快感、そして数々の冒険行を重ねる中でスキルやジョブを探し出すという部分でプレイヤーの関心を長期間持続させる中、計上された膨大な開発費の回収と利益の算出を図るという企業コンセプトに、SfSもまた拠っているが故の当然の選択であった。
また同時に、変換率四倍で三ヶ月間の稼動期間を経た後、オープンβが稼動してからも、クローズドβ組は別サーバでプレイを続行でき、両者のゲーム内時間が一致したところでの合流が明示されてもいる。
こちらは、仮想現実内時間を現実時間に比して引き延ばすことができるようになって以降、リセットにより失うプレイ時間が極端に長くなっていることから確立された不満への対処法だ。
以上のような規定と報酬があるため、規約を破ろうとするプレイヤーは、その数を年々減らしていたが、それでも不心得者が全て排除できるわけではない。
ご多分に漏れず、SfSオープンβのプレイヤーの中にも、知人のアカウントを譲り受けるといった不正ログイン権を得ていた者がいるのだろう。或いは、クローズドβに参加できた知人から情報を得ていた者がいるのかもしれない。
耕太は、始まりの街で混乱から静かに抜け出し、的確に武器屋を目指したプレイヤー達の様子を思い浮かべて、溜息を吐いた。
「あれは、絶対にクローズドβの情報を握ってるはずです。
まあ、その行動のおかげで、レベル上げが上手くいった俺が言うのもおかしいんでしょうけど、そうでないと、勇んで飛び出して、真正面からナイフで攻撃して返り討ちに遭ったプレイヤーと同じ目に遭ってたかもしれませんから、あまり強く言えた義理でもないんでしょうけど」
「まあ、規約的には、そうかもしれんがね」
克己は苦笑を浮かべて、肩を竦めた。
「今となっては、彼らの持つ情報は、喉から手が出るくらいに貴重だ。
二百セットずつ用意されていたらしい武器の内、初めに弓とナイフが百六十八セット、次に杖が百六十八セットが順番で消えたんだろう?
一年のアドバンテージの中で、成長についてのガイドラインが、できあがっていたに違いない。
アイテム販売がなくなることを何とか報せて、協力できるように持っていければいいんだが……牧場の目処が立つ前に、景気の悪い話を公表するのもまずい。
他への不都合が出ても少しくらいは許容範囲だと思って収めるつもりだ。
だから、君達には牧場建設を優先してほしいと思っている」
「了解ですよ。
それに、会長様のご命令とあらば、受けなきゃ不味いでしょう?」
「その通りだ」
(男の人って……どうしてこういう雰囲気を作って遊びたがるのかしら)
ニヤリと仲良く笑みを浮かべた二人に、夕子は思わず額に手をやって顔を顰める。
「なら、これから直ぐにでも行動しますけど、承認の類は、事後で良いんですね?」
「ああ。とりあえず、実行可能なことを証明してもらわないといけないからね。本格的な実行は計画の見積ができて、皆に連絡を回してから公表することにしよう。
先走った物証があると、いつか足元を掬われかねないからね。
まずは、調査班の試料から出してもらうとするよ」
悪巧みというよりは、いたずらという方が適切な雰囲気が、そこにはあった。
※ ※ ※
「あれ、美馬さん。どうしたんすか?
今日って、会議があるから休みじゃありませんでしたっけ?」
自治会で武器職を担っている倉知洋人(くらち ひろと)は、管理官による素材の提供を受けない限り、生産する術を持っていない。
ただのゲームであれば、スタートダッシュが要とばかりに材料採取や伝手による収集に励み、スキルの上昇を目指すところだが、生憎、洋人は自分が痛みに弱く、運動が苦手であることを自覚している。
そのため、スキルを思うように上げられない不満を内に溜め込みつつ、安宿の一階に併設されている酒場の古臭い椅子の上で、呆けていた。
「悪いけど、仕事を頼みたいのよ。
武器の範疇に入るかどうかは少し疑問だけれど、木槌って作れるかしら?」
「木槌っすか?
そりゃ、重量級武器だってステータスさえ揃ってりゃ、軽々と振りまわせるのがヴァーチャルのいいところっすからね。
鉄の塊みたいなハンマーだって鍛えてましたから、同じようなイメージでよければ作れると思いますよ。
これから、やるんすか?」
「ええ、お願い。
試料の方は、それなりに準備してあるけど、今回は比率まで確認する時間も、材料も惜しいの。
申し訳ないけれど、使えるものを揃えること優先でお願いするわ」
「そりゃまた、随分と……ま、努力しますよ」
そして、夕子が牧場の建設について説明する中、三人はレンタル工房へと場を移したのだった。
「ま、まずは木槌を作るってことで。
近森さんのウッドシールドを作ってるとこも見せてもらってから、ずっと考えてたんすけどね。多分、素材に必要な最低量って、体積基準になってると思うんすよ」
「そんな報告は受けてないけど?」
「いや、思いついただけで、何も試してないすからね。
厳密に測定したわけじゃなくて、見た目の記憶でしか判断してないすっからね。報告するわけにもいかないっしょ?
で、まあ、木槌だと多分……材料は、こんなもんかな」
試料用の木材を受け取った洋人は、呼び出したウインドウから木材を選択し、木槌を頭に浮かべる。
思い描くのは、テレビで見たことのある牧場で杭を打つ姿。そこにある木槌がぼやけないように輪郭をはっきりとさせ、細部を想像する。
やがて、目の前に浮かび上がった茫洋とした白い光の塊を、洋人は飴細工師が動物を造るように、二つに分けた内の一つを滑らかに伸ばし、残りの塊へと通して木槌を形作る。
静かな間の後、ポーンという音とともに、白い光は木の色を取り戻し、作成が成功したことを知らせるウインドウが表示された。
「うし、成功。
こんな感じでどうっすか?
問題ないとは思うんすけど」
「どうかしら、宮間君」
「ああ、これなら大丈夫そうだ。
爺さんとこで餅つきをやった時の感じが、ちょうどこんなモンだったと思う。
いい仕事してるな」
「そうっしょ?」
何度か素振りをして具合を確かめた耕太の言葉に、洋人は胸を張ってみせる。
「あとは柵に使う杭と横棒ね。
釘は、前に試作で作ったので大丈夫でしょうし……」
「横棒っすか? 板でもいけますけど、どうします?
あと木槌は武器扱いになってるんで俺が担当するのは分かるんすけど、杭とかは釘と一緒で道具系のスキルになると思うんすけどね。
経験値のことを考えたら、高町(たかまち)さん連れてきたほうが良くないっすか?」
「確かにそうね。でも、とりあえずは試作だし、レンタル工房の使用料ももったいないから、悪いけど倉知君にお願いするわ。
それと体積基準で素材の使用量が変わるなら、板よりも横棒の方が量がとれるでしょう?
一度、仮組みをして様子を見てみたいから、杭を二本と棒を四本頼むわ」
「うっす、分かりました。
まあ、俺も【木工製作】は持ってますからOKっすよ。
んじゃ、早速始めますんで」
そして、洋人はアイテムを選択し、杭と横棒を作り上げていく。
その行程を見ながらも、じっと何かを考え込んでいた耕太は、洋人の作業が終わるのを見計らって口を開いた。
「少し、いいか?
ジャイアントワームからドロップする銅鉱石を使って銅を作ってるよな?
それも今みたいにやってるのか?」
「え、ああ、そうっすよ。
どうかしたんすか?」
耕太の質問の意図が分からず、洋人はぽかんとした調子で答える。
「矢を作るときはどうしてるんだ?
材料に木材と銅を使ってるって聞いてるんだが……」
「矢っすか?
それなら、銅と木材を両方選択して、それを矢の形に整形するんすよ。
もっと細かいこと言うと、矢をイメージした時に、さっきの光が二つでるんすよ、色の違うのが。
んで、銅の方にハンマーが表示されるんでゲシゲシ叩いて、その後で木材の方を伸ばして胴体を作ってできあがりっす」
耕太の眉間に寄った皺が深くなる。
「成功率は?」
「今んとこ、百パーっすね」
「なら、ショートソードが作れない理由は?」
「んー、それなんすけど……」
今度は、洋人が眉間に皺を寄せた。
「多分、俺のスキルが足りてないんだと思うんすよ。
ハンマー叩いてる最中に、時間切れっぽい感じで光が拡散して終わりっすから。せめて必要回数でも表示されりゃいいんすけど、それもないっすからね。
あったら、どの程度レベルを上げれば届きそうかってのも分かるようになると思うんすけど」
「……」
洋人の言葉に、耕太は深く深く考え込んでいく。
「宮間君、何か考えついたの?」
「いや、もしかしてとは思うんだが……。
悪いが槍を作ってみてもらえるか?
材料には銅じゃなく、これを使ってもらってだ」
耕太が差し出したのは、会議の前にロッティングコープスを倒して手に入れたナイフだった。
反りのない直刃のナイフは、大きさといい、形といい、確かに槍の刃先として使えるように思える。
「これ……どうしたの?」
「悪い。ロッティングコープスからドロップしたやつだから、まだ申告してなかった。
時間もなかったし、少し余裕もなかったからな」
「あ……そう、そうよね。
うん、事後申請でも全然問題ないから大丈夫ね。
私の方で、武智君には後で申請しておくから大丈夫よ。
他にはある?」
命の矢面に立たされている戦闘班が、ある種の優遇を受けることは、本来の姿であるだろう。
だが、どうしても戦闘班に対する装備や薬、何より食料配給の優遇は、とかく不満の対象になり易い。
そのため、ドロップアイテムの管理は徹底されており、これを破れば、何らかの処分が下されることになる。それを心配してか、第三者である洋人の前で、夕子は慌てる素振りを見せたのだった。
「後で渡すよ。
それはそうと、今はこっちが優先だ。
悪いんだけど、頼めるか?」
「いや、構わないんすけどね。
木材使ってもいいんすか、美馬さん?」
「え、ええ。今回の分は、試料として私が管理している分だから、使ってもらって構わないわ」
「なら、やってみるっすね」
普段の夕子からは想像できない慌てぶりに驚きながら、洋人は渡されたナイフをアイテム欄から選択し、半信半疑のまま、難易度の一番低そうなショートスピアをイメージし、アイテム作成の手順を進めてみる。
「あれ……マジに材料選択できてる……」
木槌と同様、洋人の前には光が広がった。
おそらくは、赤味を帯びた光が刃の部分を、やや赤味を帯びた白色の光が柄を、白い光が木材を表しているのだろう。
「タイムアップがあるんだろ?
あんまりボーっとしてる余裕はないんじゃないか?
多分、ナイフの柄を切り離して、木材とナイフの刃の部分を合わせれば、槍ができると思うから、まだ余裕はあると思うけど」
「あ、ああ……す、すんません。
ハンマー出てないから、その通りだと思うっす。
直ぐに作っちゃいますんで」
そう言うと、洋人は滑らかな手付きで、赤味を帯びた白色光を取り分け、刃と木材であろう部分を繋げて整形してみせる。
そして、製作の成功を知らせる音に続いて、もう一度音が鳴り響くと、ウインドウが二つ浮かび上がった。
「スキル【武器合成】……。
はは、まさか属性の付加ならともかく、こういうのがありとは思わなかったすよ……。
は、はは……」
引きつった笑みを浮かべる洋人を余所に、夕子は耕太へと向き直った。
「宮間君、すごいわ。
これで他にも武器ができるようになるかもしれない。
お手柄じゃない」
「あ、ああ。しかし、本当にできるとは思わなかったな。
なあ、スキル経験値は、どうなんだ?」
「そうっすね」
言葉通り、自分が提案したにも関わらず、少しばかり呆気に取られた風の耕太の言葉に、洋人がウインドウを操作する。
「んー、【武器作成】は、さっき木槌を作った時より低いっすね。
多分すけど、部分部分で作るほうが、難易度的には低くなるから、経験値の取得が低くなるって感じじゃないかと思うんすけど。でも、今回は【武器合成】の方もスキルは上がってるっすから、どっちもどっちって感じですかね。
あ、でも……こういう感じで合成って方法があるってことは、今後必要になるはずっすから、こっちの方がお得になるのか……。
でも、長柄物じゃなくて、合成で作れないような武器も多いんだろうし、どっちが得なんすかね……」
「戦闘班からすれば、とりあえず武器の射程が上がるのが嬉しいってところだな。
痛覚が軽減されないから、剣での攻撃には皆、二の足を踏んでるところもあるし、ショートスピアなら投げて使う事だって出来るだろうしな」
「そうっすか。
とりあえず、自分の方は【武器合成】のスキルを上げてみたい気もするんで、仕事があるならやりますよ」
「ああ、頼む。
そっちも大丈夫か、アイテムの数とか?」
耕太の問いに、夕子は頷いた。
「ええ、大丈夫よ。
好き放題使われるのは拙いけど、戦闘班の危険度が高いのは誰だって分かってるもの。
それに試料用の意図に適うものだもの。誰にも文句は言わせないわ」
三人は新たなスキルについて検討し、今後の武装強化の可能性を話し合うのだった。
※ ※ ※
「予定通りにやるぞ。
チームリーダーの指示に従って、各チームはモンスターをトレインしてくれ。様子を見て、俺が牛をトレインする」
「はいはい、お任せくださいな。
宮間君の方こそ、しっかりね」
戦闘班副長の篠田陽子(しのだ ようこ)のおどけた態度に、緊張に包まれていた戦闘班員から笑いが巻き起こる。
下手に固くなるよりは、適度に力を抜くほうが失敗する事は遥かに少ない。空気を読み、その場を和ませる彼女の性格は、窮屈な現状の中にあって、得難いものであった。
「大丈夫だ。俺に任せろ。
お前らこそ、頼んだぞ。
少しくらいなら、牛をトレインしながらだって、避けきってみせてやる!」
苦笑を浮かべ、あらためて檄を飛ばすと、その景気の良い考えに鬨(とき)の声が上がり、牧場のメインとなるべき招待客――牛の捕獲が始まった。
三人ずつに別れた八チームが、決められた通りに整然と進路の障害となりうるブレードウルフとグライドキャットに攻撃を仕掛けていく。
武器屋から手に入れた弓はセルフ・ボウであり、射術スキルを磨いてきた彼らは、射程百メートルのラインを誰もが誇っている。
そんな彼らが、己の射程ギリギリからモンスターに狙いをつけてターゲットを自分に向けては、限界まで逃げて走り、いよいよ追いつかれるという所で、次の射手が二の矢を放つ。二の矢を放った者が追いつかれそうになると、三の矢を次の者が放ち、最短距離を直線で追いかけてくる習性を利用したトレインは、最終的に川を挟んで手の届かない場所で、モンスターを釘付けにするのだ。
そして、最後に釘付けにしている者と、その護衛のために残っている者を除き、プレイヤー達は再び次のモンスターを引き付けにいく。
それを幾度か繰り返し、作戦通りに道は開いた。
「――よし、いくぞ!」
最近は、スキル解析のため剣術スキルに偏りつつある耕太だが、それでも遠距離攻撃への慣れが目に見えて劣るというわけでもない。
誰もが二の足を踏む中、初日から弓を使い、細心の注意を払って積んできた経験は伊達ではないのだ。
牛にダメージを与えないための投石でも、三十メートル程度の的を外すことはなかった。
「大丈夫みたいね」
「ま、先に一回確かめてますから、こんなもんでしょう」
細心の注意を払っているとはいえ、不意のエンカウントがないとはいえないため、耕太のサポートを担当している陽子が呟き、安堵の溜息と共に部下が答える。
スペインの牛追い祭りのような暴走は、しかし、レベルアップによるステータス上昇という恩恵を受けた耕太にとって、逃げ切れないというほどのものでもない。
開かれた道を、スタミナの限界に挑むような走りで駆け抜けていく。
「よしよし、これなら一時間程度で牧場に追い込めそうね」
「ええ。宮間さんなら、そのくらいは保つでしょうし、何とかなるでしょう。
戦闘が入ると、ほんとはしんどいでしょうけど」
「ま、そこはこっちの腕の見せ所ね。
それに、これ一回で終わるわけじゃないんだから、どっちかっていうと、慣れの出てくる次以降が、大変かもしれないわ」
「大丈夫でしょう。
緊張を抜ききったらやばいってことは、骨身に沁みて分かってる奴らなんですから」
「それも、そうだけどね。でも、安心するのは全部終わってからよ」
「了解ですよ、篠田さん」
そして、耕太に追い縋りながらも話を続ける陽子の推測通り、三時間後には何の問題もなく、牧場への誘い込みは終了し、番(つが)いの牛が牧場で草を食む光景が見られるようになった。
「会長、ここから先は任せます。
準備は、出来てるんですよね」
「ああ、少しばかり手間取ったが、実家が畜産業を営んでいたプレイヤーを見つけてある。
彼に任せれば、早々手順的な間違いを起こすこともないだろう。
牧場の拡大が順調に進めば、乳製品や牛肉を供給できるようになるだろう。
これで配給にも余裕を持たせることができる。
よくやってくれた、宮間君」
牧場の建設を知り訪れたプレイヤー達の顔に浮かんだ希望の色を意識しながら、周囲に聞こえる声で、殊更に耕太と克己の二人が言葉を交わすのには意味がある。
自治会による周知以上に、人伝に明るい噂を広める方が、このSfSの世界で生き抜くための活力になると判断した上でのことだった。
現に、戦闘班が周囲の警備を固めているとはいえ、始まりの街から外に出ようとしなかったプレイヤー達が好奇心に駆られて、城壁の外に作られた牧場へと足を運んでいるのだ。その目論みは達成したといえるだろう。
このことは、武器作成方法の一端が明らかになったことと合わせ、自治会上層部にとって、好転の兆しのように思えていた。
だが、手探りで探しだした情報は、パズルのピースの一部分でしかない。そして、全体像の見えないパズルを解くとき、手元に与えられたピースだけで間違った像を組み上げてしまうことがある。いや、個別に見れば、正しい事象でありながら、全体を俯瞰してみれば誤りである合成の誤謬というべきか。
その可能性に、今はまだ誰も気がついていなかった。