「何でだよ……。
何で、こんなことになってんだよ……」
充の涙混じりの声が、風に揺れる草原に大きく響いた。
宮間耕太(みやま こうた)と美馬夕子(みま ゆうこ)が故人となった翌日。二人に縁のあったプレイヤー達の手によって、葬儀は粛々と進められている。
腐敗の兆候すらなく、ただ彫像のように静かにベッドの上に横たわっていた二人の死は、庁舎の表示情報を調査していた自治会員によって、間接的に第一の確認がなされた。
直接的に二人の死が表示されたわけではなく、プレイヤーを殺害した要注意人物として榊信一郎らの名前が表示されたことにより、その凶刃の的とされそうな人間の安否を確認した所、死んでいる二人が発見されたのである。
その訃報を受けた自治会長の酒田克己(さかた かつき)は、急遽、戦闘班を呼び戻し、信一郎らの捜索と捕縛を命令する一方、耕太達の死体がロッティングコープスへと堕ちる危険を考え、その警備を指示した。
しかし、その懸念が現実化することはなく、モンスターによって殺害されなければ、アンデッド化することがないのではないか、という推論を調査班員に立てさせるに止まったことは不幸中の幸いといえるだろうか。
とはいえ、モンスターに変じることがないと本当に証明できたわけではない。
いつまでも死体を安置しておくわけにはいかず、かといって土葬という手段は、数々の映画で描かれている死者の蘇生をイメージさせてしまう。
だからこそ、牧場の近く――二人の逢瀬を見ていたプレイヤーの話から、そこが相応しいだろうという意見が寄せられ、火葬の準備が整えられることと相成ったのである。
「何でだよ! 何だって宮間さんが死んでんだよ!
俺、少ししか話してないんだぞ。
宮間さんに、ありがとうございましたって、それだけしか言ってないのに!
それだけしか昨日は言えなかったのに、何でこんなことになってんだよ!
榊の奴、あいつ何やってんだよ!
何でこんなことしてんだよ!
何で宮間さんが死ななきゃいけないんだよ!!」
克己を始め、誰もが沈痛な表情で唇を噛み締める中、皆の心情を代弁するように、しかし、周囲の気持ちを慮ったわけでもなく、自らの激情を充は吐き出していく。
牧場襲撃の折、差し出された手を払ってしまった充は、そのことをずっと気に病んでいた。
考えの甘さを露呈し、反抗的な態度を取っていた自分が危地に陥った際、それでも耕太が助けてくれたことを曲解することなく理解したからこそ、充は気に病んでいた。
そのため、謹慎期間中、誰とも会わず、一人部屋に篭もって自分の行動を思い返していた充は、耕太に謝ることを――そして、それ以上に感謝の言葉を伝えることを心に決め、でき得るならば、耕太に付いて戦闘を学ぼうと決意していたのである。
だからこそ、耕太の命が呆気なくも失われてしまった事実が許せず、その実行犯である信一郎に対して、今まで持ち得たことがないほど強い怒りを覚えてしまう。
「赦ささねぇ! 絶対に赦さねぇぞ、榊ぃっ!!」
強く打ちつけられた拳は雑草を弾き飛ばし、黒い土を大きく抉る。
地面にめり込み、それでも尚、力が篭められて震えをみせる拳の横に、しなやかな足が音も立てずに舞い降りた。
「小杉君、宮間君達にお別れを言いなさい。
あの二人を、そんな言葉で――呪いのような言葉だけで見送るつもり?」
「篠田さん……?」
視線を上げた先には、自分を見下ろしてくる赤いチャイナ服に身を包んだ篠田陽子(しのだ ようこ)が居た。
若草色のチュニック姿が多い中、彼女の纏う夕陽よりも赤いチャイナ服は、鮮烈なまでに際立っている。
だが、鮮やかであるからこそ、平均的な日本人が葬儀に出向く衣装としては場違いに過ぎるだろう。場の空気を読むことに長けたムードメイカーの陽子が、そのような配慮を怠るなど、とても信じられるものではない。
陽子の凍ったような表情を見つめたまま、充は思わず呆然と言葉を失っていた。
「少しは落ち着いた?
意味があって着てきた服だけど、こういう風に役立つなんて思わなかったわ」
充の無言の動揺の意味を理解した陽子は、寂しさで彩られた微笑を浮かべて言葉を続ける。
「ねえ、この服の意味って、やっぱり気になる?」
「それは……はい……」
「そう。じゃあ、話してあげるわ。
ま、私が話したかったからっていうのもあるんだけどね」
「……」
耕太の遺体へと視線を向け、陽子はほんの少しだけ表情を緩めた。
「牧場の建設が上手くいって、ようやく落ち着いた頃のことよ。
ほら、美馬さんと宮間君の仲を指して、悪い噂が立ち始めたでしょう?
その切欠になった二人のデートの時にね、私、ちょうど服屋さんで二人が買い物をしているのを見つけたのよ。
もちろん、私がそんな二人を見つけて、からかわないわけがないわ。
先に美馬さんが外に出て、宮間君が会計をしようとした時に、服を強請(ねだ)ってみたのよ」
懐かしそうに話す陽子の表情とは裏腹に、その細い指先は、チャイナ服の裾を血色を失うほどに強く握り締めている。
「試着室で裸を覗かれたって美馬さんに泣きついちゃおうかな~って感じにね、からかってみたの。
宮間君って、美馬さんに対しては本当に弱いから……強気で何が望みだって言いながら、それでも声が震えてて……本当に……可愛かったわ。
たぶん、私って宮間君のことが好きだったのね。気になる子にちょっかいを掛ける小学生の男の子みたいに、あんな風にからかってたんでしょうね。
それに、美馬さんのことが羨ましかったのもあったかな。私、宮間君が美馬さんに買ってあげた服よりも、最初は高いのを奢らせようとしたんだもの。
でも、彼女よりも高いものを買ってもらえるとも思ってなかったから、ちゃんと断られることを予想して、美馬さんのよりも安い同じようなこの服を隠し持ってたのよね。
それで……本当に、宮間君てば、彼女より高いものを買うのは……、なんて言うんだもの。
結局、あの二人の間に入る余地なんて、端からなかったのよね。だから、買ってもらった後に……また、いじめちゃったわ……」
遺体を見つめる瞳が、本当に見ているのは過去の耕太達の姿なのだろう。
陽子の目尻には、大きな涙の粒が光っていた。
「美馬さんの待っている外に、一緒に出ましょうか、ってね。
でも、それだってできるわけがないから、私にからかわれて遅くなったって言えばいいって、そんなフォローまで入れちゃったわ。
私、美馬さんのことは嫌いじゃなかったし――ううん、むしろ好ましいタイプだから、結局は、二人が一緒に居て楽しんでる姿も気に入ってたんでしょうね。
だから、自分の心を――宮間君のことが好きなんだっていうことを、私はからかうことが楽しいんだって誤魔化してたんだと思うの。
けど、こんな風に、もう二度と会えなくなるって分かってたら……叶わない願いでも、告白してたらよかったかな、って思えてきて……せめて、自分の気持ちだけでも知っていてもらいたかって……そう思えてくるのよ」
充へと向き直った陽子の頬を、涙が伝い落ちていく。
「だからね……好きな人から貰った最初で最後のこの服をね、私は着てきたの。
美馬さんに、私は宮間君のことが好きでしたって宣戦布告するためにね。
そして宮間君に、あなたのことが好きでしたって宣言するためにね」
「篠田さん……」
涙に塗れた陽子の笑みに、充は自然と気圧される。
「それと、もう一つ。
二人が言っていた皆が自立するまでの安全を図るためにって考えを、私が継ぐって宣言する意味もあるわ。
二人は仲良く遠くに行っちゃったけど……でもね、二人は自分達が言っていたことを、もう実現することはできないのよ。
だからね、私が代わりにそれをするの。
宮間君がやりたかったことを、私が代わりにやろうと思うの。
宮間君と一緒に遠くに行っちゃった美馬さんにはできないことを、私がやってみせようと思うのよ。
ある意味、これって女の意地よね。
だって、好きな男の望みを、私が叶えるのよ。美馬さんじゃなくて、私が叶えられるの。
あは……これも結局は、宣戦布告なのかな。
こんなゲームの世界に囚われるなんて不思議なことがあるんだもの。もしかしたら、死後の世界っていうのがあって、二人に会えるかもしれないじゃない。
だから、もし二人に会えたら、私は宮間君のことが好きだから願いを叶えてきたわって言うつもりよ。
宮間君のことが好きだから……だから、その願いを私は叶えてみせたのよって……羨ましいでしょって、そう美馬さんに言うつもりなの」
「……」
充だけではなく、葬儀に参列する者は皆、固唾を呑んで陽子の言葉に聞き入っていた。
「だからね、私はここで立ち止まるつもりはないわ。
大好きな宮間君の望みを、私は叶えてみせるんだもの。
私が宮間君のことを、どれだけ好きかってことの証にするんだもの。
立ち止まってなんかいられるわけないじゃない」
じっと充を見つめ、陽子は一拍の間を置いて口を開く。
「小杉君はどうする?
復讐することが悪いことかどうか、それは私にだって分からないわ。
だって榊は、私の好きな人を殺したのよ。赦せるはずがないでしょ?
でもね、それだけじゃ……それだけじゃ宮間君が、美馬さんが悲しいじゃない。
二人が何も残せなかったなんて、悔し過ぎるじゃない。
だからね、私は復讐を優先させるつもりなんてないわ。
復讐に狂ってなんかやるもんですか!
ねぇ、小杉君。あなたは、どうする?」
「俺は……」
陽子の強い言葉は、充を元気付けるための演技なのか、それとも、凶愛の危険を孕んだ真実の言葉なのか。
それは、言葉を向けられた充に分かることではなかった。
ただ、自らが選択を問われ、帰路に立たされていることだけは、不思議と理解できてしまう。
「俺は、俺は……」
充は視線を宙に彷徨わせながら、唇を戦慄かせた。
※ ※ ※
初期設定のまま飾り気一つない充の定宿(じょうやど)に、申し訳程度に朝の光が降り注ぐ。だが、それが快適な目覚めを演出することはなかった。
身に纏った服が重く感じるほどに汗は浮かび、喉はカラカラに渇いている。
その渇きを癒すため、備え付けのベッドから身を起こした充は、アイテム化したジュースを一気に飲み干していく。
「……また、あの時の夢か。
宮間さん、俺は必ず仇を討ってみせますよ。
誰が何と言おうと、これだけは成し遂げてみせますから。
そうじゃなきゃ、俺は何も進めないんですから……。
でも、宮間さんの目差したものも実現してみせますよ。
そうじゃなきゃ、二人の死が無駄になって……悲し過ぎますから……」
そして充は、瞳に昏い己の意志と、それだけに引きずられない決意を吐息と共に漏らし、陽子に告げた言葉を繰り返してみせた。
巨大な組織として成立していた自治会が克己の宣言によって解散し、皆が自給自足の生活へと足を踏み入れている。
それは、小さな集団が乱立するようになって以来、戦闘力の高いプレイヤーは、それだけで富と権力を蓄えることができるようになったことをもまた表している。
だが、陽子の言葉が引き金となったのだろうか。
自治会の戦闘班に所属し、葬儀の場へと訪れていた皆は、他のプレイヤーが自立できるように今まで培ってきた戦闘能力を存分に発揮し、或いは、傍で見ていた耕太の姿を思い返すようにして冷静な指揮に努め、奢ることを縛(いまし)めている。
その振る舞いが、傭兵としての信用を築くほどになっているのだ。
だからこそ充は、耕太と夕子の想いが確かに受け継がれていることを認識し、未だ復讐に心を染めきることがないのだろう。
しかし、それでも復讐を諦めたわけではない。充の心の根底に、その昏い誓いは大きな標となって打ちこまれている。
「そろそろ、時間か……行くか」
己の心の在り様を自覚していない充は、約束の時間が迫っていることに気付き、頭を振りつつ、部屋を後にしたのだった。
※ ※ ※
「充君? 仕事、ちゃんと終わったんだ?」
「ああ。予定通り、昨日の内に問題なく終わったよ。
これでほとんどのギルドで魔法契約が済んだことになるから、始まりの街周辺で死ぬ奴は、もっと減ると思う。
宮間さんや美馬さんがやろうとしてたことなんだ。
絶対に、やってみせるさ」
「充君……」
充の言葉は、故人となった二人に囚われ過ぎているように思える。
とはいえ、近森瑞樹(ちかもり みずき)と充の仲は、未だ武器の製作者とその使用者であり、友人でもあるという程度の関係に過ぎない。
まして、あまり感情の部分に踏み込んでは、容易に充が反発するであろうことが予想される。
そのため、口に出来ないもどかしさが、のんびり屋の瑞樹をして苛立たせていた。
知人に対する単なる同情なのか、共感から来る親近さを根とする心配なのか、それとも恋愛感情なのか。自分の中にある感情が何なのかは、瑞樹にも分からない。
ただ、陽子が失ってから耕太のことを好きだったと告白したことが心に残り、自分の心を早く見つけたいと、瑞樹は考えている。
とはいえ、感情のままに心を乱せば、致命的な失敗をしでかしてしまうかもしれない。
そのことを理解している瑞樹は心を引き締めて、自分にできること――武具の整備に臨むのだった。
「とりあえず、朱雀矛を見せてくれるかな。
そうそう壊れるようなことはないだろうけど、確認しておくに越したことはないんだから」
「ああ、頼むよ。
それと、ダッシュヒョウを五つ出してくれ。
レッドインプの牽制に使ったんだけど、回収してる暇がなくてさ」
自然と耕太を意識しているのだろう。ここ最近の充の口調は、やや硬い物となっている。
それが、僅かながら砕けた調子を見せたため、瑞樹は誇らしい気分になった。
「ん、分かった。とりあえず、忘れるといけないから、先に渡しておくね」
「ああ、悪いな」
差し出したダッシュヒョウの換わりに受け取った朱雀矛を瑞樹が睨むと、通常にはない項目の追加されたウインドウが表示された。
武具の類には耐久性が設定されており、ゆっくりと磨耗し、限度を超えれば壊れてしまうことが、今では分かっている。そのため、スキル【鑑定】は、鍛冶関連の生産職を担うプレイヤーにとって、必須のスキルの一つとなっていた。
「ん、朱雀矛は大丈夫だね。ほとんど耐久値も減ってないよ。
やっぱり、使う材料が高級なほど、耐久値も減り難いみたいのは確かみたい。
でも、逆に言うと、極端に強いモンスターが相手だとどうなるか分からないから、予備の武器は、やっぱり必要だと思うけど……何か使えそうなアイテムは見つかった?」
「ああ、分かってはいるんだけどなぁ。
でも、朱雀矛に使ったようなレアアイテムなんて簡単には見つからないぞ、普通。
それこそ、今攻略中の最前線でボスモンスター狩りでもしてこないと無理だろ?」
「だよねぇ……でも、朱雀の羽は、フィールドで偶然見つけたんでしょ?
他にも落ちてないかなぁ?」
「いや、さすがに、そうポンポンと落ちてないって。
拾った辺りを通るたびに探してるけど羽は見つからないし、朱雀そのものも見つからない。
見つかってれば、情報屋が話のネタにしないわけがないからな。まだ誰も発見してないのは、確かだと思う。
もし、内緒にしてても、見つけてたら俺みたいに武器に使うはずだから、絶対に目立つだろうしな」
「むぅ……困っちゃうなぁ。
あんまり無茶したらダメだよ、充君。
バックアップは大事なんだからね?」
「ああ、分かってるって」
快い返事にほっとしかけた瑞樹は、しかし、充の顔に昏いものをみつけ、直ぐに感情を沈ませてしまう。
充はといえば、そんな彼女の変化に気付かず、自嘲するように小さな呟きを漏らしていた。
「俺が死んだら、誰がアイツらを殺すんだよ。
アイツらを――榊を殺すのは俺なんだから、それまでは絶対に生き延びてみせるさ。死んでたまるもんか……」
(何でよ……こんなんじゃ、宮間さんだって悲しむと思うのに……)
紅衣の復讐者という称号が、瑞樹にはひどく恨めしげなものに思えてしょうがなかった。