その六『太陽の国から来た惨いヤツ』
【1939年10月21日、トルコ共和国東部 首都アンカラ北北東40㎞付近】
かつてフランスの皇帝は「勝利の女神は大砲が好きだ」と言った。
そして戦争の天才であった彼を敗走させたロシアを、その百年あまり後に制した男は「砲兵は戦場の神である」と言っている。
確かに、遙か遠方から雷鳴の如く声を轟かせ破壊の限りをつくす砲火力は神の怒りに喩えられる程に圧倒的だ。
大砲が神の如き‥‥神の鉄槌にも喩えられる兵器ならば、航空機は天馬に跨る勇士の如き兵器だろう。
天高くを飛び敵陣を物見し、誰よりも疾く先陣を切り、窮地の味方を助けるべく救援に現れる。
兵達は頭上に味方がいるだけで士気を上げ、敵味方が入り乱れる空の戦いに声援を送るのだ。
同じように喩えるならば、地雷は毒蛇か毒虫のような兵器だ。
地雷は目立たず、地中や瓦礫の中に隠れ潜み、迂闊に近づいた者に耐え難い苦痛を与えるおぞましい存在だ。
だが求めるに安価であり容易に隠すことができる地雷は、弱く貧しいものたちにとって暴君の寝所に投げ込まれる毒蛇毒虫と同じように、侵略者や圧政者に対する有効な武器になり得るのだ。
では戦車はと言えば、怪物のような兵器だろう。
巨躯を鋼鉄の鎧で被い、地響きを立てて塹壕を乗り越え鉄条網を踏みつぶして進む怪物。
並の兵たちが数人がかり十数人がかりで扱う武器を自由自在に振り回して敵陣を蹂躙し突破する、敵から見れば恐ろしく味方から見れば頼もしい戦争用の怪物(モンスター)。
それが戦車だ。
しかし、そういった視点からするとトルコ共和国の陸軍中尉である、アリー・サハドの前にある戦車はいささか頼りなさ過ぎる怪物だった。
素人が見ても解るほどに古くさく、貧弱である。
無理もない、なにしろルノーFT17なのだ。単独大型の回転式砲塔など設計的には戦車開発史に残る画期的な兵器だが、何分にも小さすぎ古すぎる。重量僅か6.5トン、火力も装甲も機動性ももの足りない。
この戦車、ルノーFT17が製造されたのは前大戦の末期から直後にかけての時期であり、もう20年以上の昔だ。
平時はまだしも戦時には最新型が2~3年で旧式になり、更に2~3年で役立たずになるとまで言われるのが戦車の世界である。もはやご老体やミイラを通り越してマストドンの化石並に古くさい代物なのだ。まだ動くけど。
戦車の後ろに並ぶ車輌も、みんな同じように古くてボロ臭い代物ばかりだ。型落ちの装甲車、荷台に鉄板や木材板を張った廃棄寸前のトラック、エンジン部分を抜き取った米国製大型二輪車などなど。
それらの中や上に、あるいはその周囲やある程度離れた場所には人型のものが立て並べられている。
木材と粘土と麻布で作った等身大の人形に軍服を着せ鉄兜を被らせた人型標的だ。大半の人形は服とヘルメットぐらいしか身に付けていないが、何割かの人形には小銃や銃剣・スコップなどこれまた廃棄品の兵器が縛り付けられていた。
中には背嚢を背負い、行軍する兵士と全く同じ装備を身に付けた人形もある。もちろん服だけしか着ていない文字通りの素敵な状態の人形もある。全く武装していない素手素肌の敵、戦場では是非とも遭いたい存在ではないか。
アリー中尉の前にあるこれらは、本日これから性能を試験する兵器用に用意された標的である。そう、ここは臨時に設えられた射爆場なのだ。
「さて、見せて貰おうか。日本から来た新兵器の性能とやらを」
トルコ共和国と大日本帝国は防共協定を結んでいる。
これはその名の通り共産主義国家、つまりソヴィエト・ロシアへ対抗するための協定であり、協定国は共産主義国家と軍事同盟を結ばないこと(ただし不戦条約は可)や共産主義の蔓延を防ぐために協力すること、具体的には情報や軍事技術や物資を融通すること、防共協定国同士で共同研究を行うこと、そしてその成果を共産主義勢力に渡さないことなどが定められている。
しかし防共協定は直接的な軍事同盟ではない。そして数年前の政変以来、日本帝国は良い意味でも悪い意味でも律儀に条約を守る国家であった。
それ以前からも、有史以来一度も条約を守ったことがない某国や未だに条約の意味を理解していない国家と呼んで良いものか悩ましい某地域に比べれば日本帝国の条約遵守率は低くなかったのだが、それはさておく。
話を戻すと、トルコがロシアから侵略を受けたとしても、防共協定は日本がロシアと直接戦争する理由にはならないのだ。
正式な軍事同盟を結んでいるドイツに対してですら「日独軍事同盟は同盟国が他国から宣戦布告された場合のみ参戦義務がある」として、日本はロシア及びフランス及び連合王国との戦争を避けたほどだ。
もっともドイツとしては日本に参戦されるとかえって困る。日本が戦争当事国となれば、日本からドイツに送り込まれている資源や物資が届きにくくなってしまうからだ。
イタリア領リビアの油田は未だ試掘段階であり、その産出量はドイツ経済を潤すに足る水準ではない。イタリア本国経済にとってすら、唇を湿らすには充分だが咽の乾きを癒すにはまだまだ足りない。
ドイツ国内では従来からの石炭を蒸留して作られる合成石油に加えて植物由来の合成石油を製造する設備が作られ、コストは下げながらも順調に生産量を上げているが、それでも足りない。
特に日本産の高オクタンガソリンと高品質オイルが手に入らなくなれば、いかにドイツ空軍といえど無敵を誇っていられるかどうか怪しいものだ。パッキンなどの合成ゴム製品や点火プラグなどの電装品は言うまでもない。
日本からの輸送船団はドイツの、そしてドイツだけでなく欧州全体に大きく影響を与えている。
国家レベルでの飢餓状態が近づきつつある英国としても、直接あるいは中立国経由で送られてくる日本からの資源や物資が途絶えては困るのだ。
故に英国政府は得意の外交手腕で日本を自国側に近づけようとしている。もっとも米国との両天秤にかけての話であるし、いざとなれば日本との縁を切ることも躊躇わないだろうが。
そんな世界情勢の中でトルコ軍の戦力を向上させるため、そしてその結果としてより多くの赤軍戦力をソヴィエト領南部方面に拘束するために、日本政府は少なくない兵器と物資をトルコへ送り込んでいる。
送り込まれた日本製兵器は信頼性を含めて概ね好評であった。特に98式戦闘機や97式戦車などポーランド戦線で獅子奮迅の闘いぶりを見せている最新鋭の花形兵器は大人気だった。
まあ、トルコに送られてきた97式戦車は主砲にボフォース社製の37ミリ砲か鹵獲品の45ミリ砲を搭載した型であり火力的には劣っている。これは新型戦車砲の生産が間に合わないためだが、マンチュリアですら鹵獲品や代用品を載せた車輌の方が多い状況では文句も言い辛い。
それらの花形兵器だけでなく、トルコには日本から大小新旧取り混ぜた火砲や各種の車輌、燃料・爆薬・建設資材等々の軍事物資が送られ続けている。
実際に国土が戦場になり今もまだ痛手の消えぬスペインや自国を舞台に世界最大と最強の二大陸軍が本気の殴り合いをやらかしたポーランド、そしてこれから戦場になるかもしれないフィンランドに比べれば質も量も見劣りするが、それでもたいしたものではあった。
下心のない‥‥少なくとも露骨すぎる下心は見えない援助を受けて機嫌が悪くなる人間は少数派であり、元々親日派が少なくなかったトルコ国内は親日ムードで染まりつつあった。
アリー中尉はその遙か前、幼少時から親日寄りだった。彼の父サハドはイスタンブールで絨毯屋を営む商人であり、日本を含む海外の商家や商社とも個人的に貿易していたからだ。
彼の家には時折日本人の旅行者が訪れており、明かな日本びいきであった父親の影響もあって日本に関する知識もそれなりにあった。
アリーは公式な通訳は無理だが、観光客の案内が務まる程度になら日本語も話せるし読み書きもできる。彼が日本から送られてきた正体不明の兵器の実験に駆り出されるのも当然だった。
父ほどではないが、アリー個人も日本に好感を抱いていた。彼が今まで個人的に出会った日本人達は皆、善良かあるいは誠実な人々だったからだ。善良で誠実な者も数多くいた。
アリーが不思議に思うのは、観光客など一般の日本人には善良を通り越して間抜けな人々が少なくないことだ。
頻繁に荷物を置き忘れ、財布や貴重品を落とし、現地の者なら子供にも通じない詐欺に引っかかり、見張っていないと危険地帯にまでふらふらと歩いていってしまう。
まあ、流石に軍人や商社の古参社員などにはそこまで危なっかしい者はいないのだが、観光客などの間抜けさはここ数年で更に酷くなっている気がする。
故郷に帰ればそれなり以上の立場にある者やその家族だろうに、あれでよく日本は狡っ辛い欧米列強と渡り合えるものだ。
父親以上の日本びいきで十年以上日本で暮らし日本人の嫁までもらった二番目の兄によれば、勿論日本にも善良でもなく誠実でもない人々は存在するそうだ。
確かに存在するが、そう目立つほどいる訳ではないという。日本人は天使のように善良ではないが、最も善良なイスラム教徒と同じぐらいには善良だ と。
長く付き合っていくと色々嫌な点が見えてくるが、日本人も所詮は人間と割り切れば付き合うには充分なまでに善良なのだと、最近は回数が減りその代わりに一度あたりの文量が増えた兄の手紙にはあった。
・・・・・
その兵器‥‥と言うか組み上がった物体を一言で言い表すなら「糸車の玩具のようなもの」だ。
まず、本体は縦1メートル直径40センチほどの、短い円筒形の金属容器‥‥小型のドラム缶のようなものだ。これの内部には合計して約10キロの爆薬と信管そして廃棄品のボールベアリングが詰め込まれている。
次に円筒を横に寝かせ、筒の両端に空いている穴に樹脂で塗装された太い木の棒通し、固定する。
そしてその棒に車輪を通してねじ込む。車輪は大中小の三種類有るが、大きい順に内側から取り付けていく。
車輪の大きさは一番大きい内側のもので約1メートル半、一番小さいもので1メートル強。
棒は内側が太く外側がやや細くなっており、車輪の中央には車軸を通す穴が空けられている。そして外径の大きさに比例してそれぞれサイズが違う車軸穴の内側にはネジが切ってあるので、取り付けられた大中小の車輪はそれぞれの定位置までねじ込まれることで安定する。
この時点で組み立て中のこの兵器は糸車の両端に小さな歯車を三重に取り付けたような姿となっている。
なお本体の、木製車軸を差し込んだ穴には自転車のもののような空転機能があり車輪がいくら回転しても本体は回転しない。
歯車というのは、鉄パイプを曲げて作られた車輪はなめらかな円ではなく、輪の部分に無数の‥‥いや40枚ほどの小さな鉄板が溶接されているからだ。
その歯の一つ一つは、輪の外側はアルミ系合金が圧着され、内側には推進用のロット燃料が入った鉄製の筒が取り付けられている。
最後に中央の円筒に長さ1メートル直径30センチほどのロケットモーター(推進器)を取り付ける。ロケットモーターは尾部に制御用のヒレがついており、ロケットモーターの先端にあるジャイロによって制御されこの車輪というか糸車もどきを直進させるのだ。
「ロケット兵器なら、最初からこれの頭に爆弾付けて飛ばせば良いんじゃないのか?」
「やってみましたが推力が低すぎて、まともな威力を持った弾頭を載せると自力では飛びません。火薬の質が悪いというか重たい物を飛ばすのに使う火薬じゃないんですよ」
その代わり安価で加工がしやすく煙などが少ないのが取り得の火薬である。
「だから車輪が必要なのか。何のためのに開発したロケットなのか気になるな。しかし、実戦で使い物になるのか? これは。一個組み上げるのに1時間はかかるぞ」
アリー達は知るべくもないが、元々この推進装置は空挺部隊が使用する滑空機(グライダー)の着陸時制動距離を縮めるための逆噴射ブースターとして開発されたものだ。
展開した自軍の兵や他のグライダーなどに噴射炎が燃え移るといった問題があったため本来の用途としては不採用になったものを、戦闘機の使い捨て補助推進装置として再利用しようとしてまたもや失敗した曰く付きのロケットモーターである。
「ノモンハンでは実戦に投入され、それなりに戦果を挙げたという話です。付属の手引き書によれば慣れると一台あたり15分で組み立て出来るとありますね」
「‥‥これを慣れるまで組まされ続けたのか」
日本兵は本当に精強だな、とアリー中尉は友好国の兵士達に感心し、同情もした。
トルコ語に翻訳された手引き書によるとこの珍妙な車輪は「制空権及び有力な砲火力の支援を持たない敵を地の利がある地点で迎え撃つ際に一定の効果を発揮する」とあるが、それは「役立たず」という意味ではないのだろうか?
有利な地形で支援のない敵を迎撃してたいして役に立たない兵器を、他の何処に持っていけば役に立つと言うのだ。
「そういえば日本軍の下士官から聞いた話ですが、日本の兵器で『特殊標的』と呼ばれる物は大抵ゲテモノだとか」
「まあ、とにかく使ってみよう。どんな馬でも乗ってみないとな」
アリー中尉は頭痛を堪えて言う。彼の役目は試験を行いその結果を報告することであって翻訳者の能力や誠実さを疑うことではない。
予定時刻をかなり過ぎてしまったが準備は終わった。いよいよ実験開始だ。
ロケット式推進装置付きの車輪は、標的が並ぶ開けた街道を挟むように両脇にある小高い丘の上に並べられている。
ここからロケットに点火しつつ下へ向けて転がせば、敵に見立てたスクラップと案山子の列は車輪の挟み撃ちを受ける訳だ。
「点火」
「「「点火」」」
無線で伝えられたアリーの命令により、一斉に車輪が転げだした。
片方から5台ずつ計10台の車輪が地面に噛み込む歯車から火花を上げつつ転がり出す。
手引き書では塹壕の中に隠しておいて、敵が来たら数人がかりで持ち上げ推進用ロケットを取り付け点火することになっていが、今回は待ち伏せを想定してあるので既に組んだ状態で待機しておいたのだ。
最初は緩やかな加速だったが引力と奮進力の相乗効果でぐんぐんと速度が増していく。十秒足らずの間に車輪は時速にして百キロを越えた。
「ちゃんと直進してるな」
「‥‥ですね。使えないこともないのかな」
ジャイロやロケット制御装置の性能が良いことと演習場の地形や地質が車輪の走行に向いていたこと、そして何よりも確率分布上の偏り‥‥つまりはただの偶然により殆どの車輪が順調に標的を目指し直進していた。
目標との距離が三分の一程度になった所で本体に取り付けられた大型ロケットの推進剤が尽きた。
代わりに車輪が立てていた火花が一際激しくなり、その火花が車輪に取り付けてあった小型ロケットに引火して燃焼を始める。
歯車の歯に当たる部分にはマグネシュウムをアルミ系合金で挟んだ板材が圧着されている。
車輪が回転して地面と激しく擦れ合うことでアルミが削れて粉になりその下のマグネシュウムが露出して、アルミとマグネシュウム自体に火花が引火して、激しく燃え始める。その火がロケットを引火させたのだ。
数十個に及ぶ小型ロケットが生み出す回転力によって車輪は炎を吹きつつ猛烈に回転し加速するが、次の瞬間分解した。
車輪がはめ込まれていた木材がロケットの推力に、より正確に言えば回転力のばらつきに耐えきれなかったのだ。
分解した円筒と車輪は残った運動エネルギーによって標的に向かって転がって行き、接触信管か時限信管のどちらかが作用して円筒が爆発する。辺りに爆風とロケットの破片とボールベアリングが撒き散らされた。
「威力がもう一つですね。やはり速度が落ちることを」
覚悟して炸薬量を増やした方が良い‥‥と続けたかったであろう部下は沈黙する。
その気持ちはよく解るが今のアリーには構ってやる暇もない。
今は見ることに集中すべき時だ。
双眼鏡を覗く彼らの目に映ったものは、彼らの常識を嘲笑う悪意の権化のような光景だった。
火を噴く車輪が、大小合わせて60個に及ぶ車輪が地面を転がり回りあるいはその場で回転しあるいは宙を飛び回っている。
炎と煙を噴く鉄の輪が高速で回転しつつ辺りを駆けめぐり、その場にある全ての柔な物を突き刺し叩き割り固い物に当たって弾かれ、その両方を炎で炙り火の粉を撒き散らしている。
喩えるなら直径一メートル半の巨大な鉄製ネズミ花火に、何本もの草刈り鎌を刃を外に向けて固定した物に火を付けて群衆の中に放り込んだようなものだ。
標的である人形達は焦がされ燃やされ斬りつけられて次々と倒れていく。
そして、ネズミ花火がそうであるように、激しく回転を続けていた車輪は次々と爆発する。
最後の一欠片まで燃え切った個体ロケット燃料の奥に仕込んであった爆薬が引火したのだ。
もちろん個々のロケットによって燃焼の具合は異なり、各ロケットが爆発する時間はいくらかのズレがある。
つまり、最初の爆発で割れて飛び散った車輪の破片はまだ燃え尽きていないロケット燃料の推力によって広範囲に撒き散らされてから次々と爆発するのだ。
そして‥‥
「いかん、見るな!」
アリー達は慌てて双眼鏡から目を離した。
砕け散った車輪の破片が激しい光を放ちつつ燃え始めたからだ。
色からしてまず間違いなくマグネシュウムの酸化反応。あの車輪には歯車の歯だけではなく輪や軸部分にもマグネシュウム系の素材が仕込んであったのだ。加えて酸化鉄と酸化アルミも。
砕けた車輪の破片が撒き散らされた一帯は、今や数百個の焼夷弾と照明弾が同時に打ち込まれたような有り様だった。
こんなものを双眼鏡で注視していれば目が潰れてしまう。
正視に耐えぬ檄光とおびただしい硝煙が満ちるなかで、次々と車輌が燃えあるいは燻り始める。テルミット系焼夷弾によって溶けるほどに加熱された鉄の破片を浴びて、標的の燃料や潤滑油が引火したのだ。
・・・・・
「なるほどな。道理で炸薬の量が少ないと思った」
「まさか、車輪の方が本体だとは思いませんでした」
焦熱地獄と化した演習場を眺めつつ、アリー中尉は彼なりに新兵器の特性を纏めようとしていた。
あの燃え盛る車輪が破壊するのは陣地でも兵器でもない。敵兵の心だ。
爆風と破片だけなら兵は耐えられるだろう。その二つは戦場では特に珍しい物ではない。
だが、火花を撒き散らしながら唸りを上げて回転し戦友を切り刻む輪はどうだろう。初めて見る兵が恐怖に耐えられるだろうか。
砕け散った輪から噴き出す溶けた鉄と文字通り目を潰す光は、たとえ即座の死に繋がらないとしても兵の士気を下げ恐慌状態に陥らせるだろう。
もし兵たちが耐えられたとしても馬匹は無理だ。どんなに訓練された軍馬でも暴れ出すに決まっている。
かといって機械化された部隊ならば燃料に引火して、あるいは引火を防ごうとして大混乱になるだろう。
そしてその状態で迫撃砲の斉射や重機関銃の十字砲火を浴びれば、為すすべもなくうち崩されてしまう。
待ち伏せて撃つ側は敵を見る必要も狙う必要もない。事前に調べてある方向と角度へ向けて弾を送り込めば良いだけだ。
確かに、事前に情報が有ればともかく不意打ちでこれをくらえばひとたまりもあるまい。
戦車なら運が良ければ車外アンテナや工具箱を溶かされる程度の被害で済むかもしれないが、随伴歩兵のいなくなった戦車など恐くもなんともない。
戦車だけでは地雷原と対戦車バリケードを突破できないし、戦車から出た戦車兵ば味方狙撃兵の的でしかない。
機銃で地面を掘り返し、障害物を戦車砲で吹き飛ばして接近したとしても、陣地に立て籠もった歩兵部隊を戦車だけで制圧しようとすること自体に無理がある。
火砲や航空機の支援もなく更に随伴歩兵と無線機を失った状態で歩兵陣地に乗り込んできた戦車など、御者を失い目と耳が潰れされた戦象も同然、良く訓練された歩兵にとっては只のカモだ。集束手榴弾と火炎瓶で容易く始末できる。地雷と対戦車ライフルがあれば更に楽に。
「彼らは、何故こんなものを送ってきたのでしょうか」
もし自分がノモンハンでこれを受けたという赤軍の立場だったら、と想像して顔色を悪くしている部下にアリーは
「もう要らないからじゃないかな」
と言った。
「要らない?」
「改良型を手に入れたのだろう。こいつより安価で、扱いが簡単で、効率的に敵の心をへし折るものを」
日本人の改良好きと熱心さは有名である。彼らがこれ程の兵器に注目しない理由も改良を施さない理由もアリーには思いつかなかった。
例えば、現場で一々小型ロケットを取り付けるのではなく工場内で車輪に筒を溶接して、溶接した筒にあらかじめ推進剤と火薬を詰め込んでおけば組み立ての手間が減る。
その回転用ロケットも、天候や地面の状態に発火精度が大きく左右される黄燐マッチの親玉のような今の物ではなく、まともな信管を付けるべきだ。無線などで好きなタイミングで発火させられる信管なら更にいい。
いや、その場合は爆弾本体にこそ電波式信管を取り付けておくべきだ。電波による指令を受けて車輪が脱落し、次の瞬間に爆弾が破裂する。時限信管よりもこの方が確かだ。
己がそれほど優秀な軍人ではないと自覚しているアリーでも、この程度の改良策をこの場で出せるのだ。より優秀な軍人がじっくりと考えたのであればもっと的確な改良案を出せるだろう。
大砲は破壊をもたらす天使。
航空機は天駆ける騎兵。
戦車は恐ろしくも頼もしい怪物。
地雷は忌まわしい毒蛇毒虫。
ならば、悪魔の下僕が考案したとしか思えぬこの兵器の改良品は‥‥それはまさに悪魔の化身のような兵器だろう。
私は日本について、日本人について何を知っていたのだ。
今まで出会い、接してきた、誇り高く誠実で幼子のように無防備な日本人達。
だが、それが彼らの真の姿だと言い切れるか? 仮にそうだとしても、全ての日本人が善良であるという証拠にはなるまい。
彼ら日本人とは、日本とはいったい何なのだ?
日出づる国、黄金の国、神秘の国!
東洋の楽園(アルカディア)! フジヤマゲイシャ! ローニン! サムライ! ハラキリ!
開国から60年余にして列強の座にのし上がり、今や世界の覇権に指をかけんとする新興国家!
信義と友愛の国日本! 偉大なる太陽の帝国! 輝ける太陽の‥‥
「名は体を表す か」
イスラム教が起こった土地、いわゆる中東地域では、太陽の印象は決して良いものではない。
アラビア半島での太陽は、天に燦然と輝いて地上の全てを溢れんばかりの悪意で照らしあげ炙りたてて死と苦痛を撒き散らす、悪魔の化身の如き存在なのだ。
冬場に太陽が全く見えない極寒の日々が延々と続く欧州では「君は僕の太陽だ」という言葉は最上級の誉め言葉だが、それを直訳して中東の人間に言えば喧嘩を売っていると思われるだけである。
アリーは思う。日本人とは本当に太陽の如き民族なのかもしれない、と。
太陽は嫌になるほど明るく、誰に対しても平等で、立ち向かう者に容赦しない。
軽く頭を振り、妄想を打ちきる。おそらく日本人なのであろう考案者や送ってきた日本軍の意図など二の次だ。
今はこの忌まわしき兵器を有効利用する方法を考えなくては。祖国のために、故郷のために、守るべき者たちを守るために。
それが軍人の義務だ。
アリー中尉は、ふと気になったことを部下に訊ねてみた。
「そう言えば、この兵器の正式な名前は何だったかな」
「『95式特殊自転走行標的二型』、暗号名は『パンジャンドラム・マークⅡ』です」
何年か後に判ることだが、アリーの推測は間違っていた。
95式特殊自転走行標的二型は単なる在庫処分として送られてきただけであり、日本陸軍はこれより後この種の兵器を製造することはなく、発展型を開発することもなかった。
所詮、特殊自転走行標的は条件の整った演習場でのみ効果を発揮する未熟な兵器であり、より洗練され実用に耐えうるものに成長する前に対抗馬であるロケット砲や無反動砲などの兵器が成熟したために倉庫の隅に追いやられた迷兵器であった。
その最大の戦果は幾つかの同盟国や友好国の軍人に、日本の兵器開発者に凶悪な遊び心を持つ者がいるとを伝えたことである。
間抜けのお人好しばかりが日本人ではない、やる奴はやる、と。
未だ実戦を経験していないアリー中尉たちには、分からない。
世界にはこの珍妙な車輪など比較にならぬ程の悪意に満ちたしろものが、正に悪魔の発明としか思えぬ兵器が幾らでも存在し、そのうちの半分は実際に戦場で使われる事が。
そして更におぞましいことに、残り半分の悪魔の発明は将兵でない者に対して、戦場以外の場所で使われるのである。
続く。