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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] 『番外、資料編』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する
Date: 2021/06/14 12:19




           『番外、資料編』




・日本戦車

 1929年(昭和4年)に採用された89式中戦車が、近い将来起きるであろう世界大戦において力不足であることは明らかだった。日本陸軍は新時代に対応した兵器体系を編制すべく、1934年に戦車区分も再設定した。
 それまでとは異なり、新制度では戦車の区分は重量でなく使用目的で為されることとなった。
 機動性を優先した軽戦車、防御力を優先した重戦車、汎用性を優先した中戦車、火力を優先した駆逐戦車、直接戦闘以外に使用される工作戦車や回収戦車などである。
 なお、砲戦車という分類も存在するがこれは機械的には自走砲と同じものであり、編制上の都合による名称分けに過ぎない。全く同一の車体が、戦車隊に属せば砲戦車となり砲兵隊に属せば自走砲となる。


 予算や技術の都合から、最も開発しやすい軽戦車の設計が優先されるのは当然であり1935年夏には95式軽戦車の試作が完了し、採用された。これは自重12トンの車体に最大厚35ミリの装甲を備え、舗装道路上を時速55㎞で走行可能という超優良兵器であった。
 ただし試作車に搭載された主砲は威力不足であると判定され、後にボフォース社製の37ミリ砲に換装させられている。これは日本国内でライセンス生産され続けた優秀な火器である。

 特筆すべきは高出力かつ高信頼性の水冷ディーゼルエンジンを搭載していた点である。水冷式発動機は砂漠や寒冷地の使用に適さないという従来の意見が封殺されるほどに、このエンジンは優秀であった。
 全車両に搭載された高性能無線機は陸軍のみならず海軍のものと通信できた。僚機や近隣の友軍、後方司令部はもちろん砲兵や航空隊との連携が可能な通信機器と制度は日本軍の電錘(浸透)戦術に必須であり、以後の戦車にも無線機が必ず搭載された。

 平地なら10㎞先まで双方向会話通信可能な無線機、800メートル先の停止目標への100%命中を可能とする照準器、貨物を満載した輸送車両を追い抜ける路上速度、標準的な塹壕や鉄条網を乗り越えられる機動性、狭軌鉄道でも輸送可能な車体寸法、10時間連続走行後の稼働率95%以上という高い信頼性、10日間連続使用中の必要整備時間平均1時間以下という耐久性。

 後世の軍事マニアからオーパーツ呼ばわりされる傑作戦車である95式だが、軽戦車とは思えない調達価格(初期ロットで約11万円)と軽戦車ゆえの戦闘力の限界が問題となる。
 またその二人用砲塔は車長が無線手を兼ねているだけでなく、砲手が装填手と同軸機銃の射手を兼ねているため操作性に難があり、実戦において性能諸元表どおりの火力を発揮することは熟練兵でも難しかった。



 これらの点を改良したものが98式軽戦車である。再設計された98式の車体構造は95式より更に洗練され作業工程数で二割以上、調達価格で三割半減少した。
 ただしこの改修は当初の予想を越える予算と時間を消費するものとなり、一説によれば95式から98式への改修箇所は15000以上に達したという。

 ドイツ戦車の影響を受け三人用に大型化した砲塔には装填手用の座席と旋回ハンドルが用意されており、装填手は余裕があれば砲塔の旋回を早めることが出来る。また車長用ペリスコープだけでなく視界確保と歩兵対策にピストル穴も設置された。ただし車高の問題で砲塔バスケットは採用されていない。

 最大厚こそ40ミリに留まったものの全体的な平均装甲厚は95式より格段に増しており、避弾経始を大胆に設計へ取り入れたことと装甲材の進歩の結果、98式は軽戦車としては相当に高い防御力を持っている。事実、本車は欧州戦線でも「並の中戦車より固い」と現地戦車兵から好評であった。
 設計変更と装甲厚の増加により車内の容積が減少した結果、95式よりも乗り心地が悪化したが、日本陸軍では小柄な兵が多いこともあって他国ほど深刻な問題にならなかった。



 97式中戦車の普及以前は日本陸軍において上記二種の軽戦車が主力であり、普及後も偵察や哨戒などはもちろん治安維持や訓練などに使用された。生産数が多かったこともあり、自走砲や架橋戦車など工作車輌に改造されたものも多い。
 生産台数は95式98式合計で2万5千輌ほどと推定されるが、日本国外でのノックダウン生産や改造改修が多いため完全な把握は困難である。



 2式軽戦車は98式を新素材と新機材の導入による性能向上と費用低減を狙い再設計された。
 念願の砲塔パスケットを採用し、生産性や整備性も含めて評価の高い2式戦車であるが、配備の始まった1942年夏には既に戦争の帰趨は決していた。
 当時は既に軽戦車の存在価値に疑問が投げかけられている時期でもあり、前線からも「高性能な軽戦車よりも凡庸な中戦車を」との要望が強く、2式軽戦車の生産数は上記二種に比べ小規模である(諸説有るが各種合計で1900輌程度)。




  98式軽戦車(欧州仕様) 
 車体長:5.45m 全幅:2.2m 全高:2.43m 全備重量:14.7t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<寿MS4型>簡易水冷星形ガソリンエンジン340馬力
 最高速度:時速47km 航続距離:260km 乗員数:4名
 装甲厚:砲塔前面40mm、車体前面35mm、砲塔側面:25mm、車体側面:25mm、車体背面15mm
 武装:42口径37mm砲1(弾薬搭載量105発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量1670発)、煙幕弾発射装置8



  2式軽戦車(本土仕様) 
 車体長:5.55m 全幅:2.2m 全高:2.62m 全備重量:17t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<寿MS7型>簡易水冷星形ガソリンエンジン403馬力
 最高速度:時速45km(路上) 航続距離:240km 乗員数:4名
 装甲厚:砲塔前面50mm、車体前面37mm、砲塔側面:30mm、車体側面:25mm、車体背面20mm
 武装:42口径37mm砲1(弾薬搭載量86発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量1200発)、煙幕弾発射装置8






 77計画と呼ばれる符丁のもとに開発されたのが96式重戦車である。これは「次期大戦においては主砲直径70ミリ以上、正面装甲厚70ミリ以上の重戦車が必須となる」という重戦車派閥の主張を取り入れたものであったが、開発中の中戦車二種の開発が失敗または遅延した場合に備え、早急に開発されることになった。
 いわば保険である。ほぼ同時期に(当時としては)大口径火砲を搭載した支援戦車がドイツで開発されたことは興味深い。重戦車ではないもののドイツの4号戦車レオパルドもまた、本命中戦車の予備として開発されたからだ。

 96式は短時間で確実に戦力化することを狙って設計されたため、技術的には平凡な構造となっている。
 それでも日本戦車としては初めて砲塔バスケットとペリスコープを採用しており、咽頭マイクとヘッドフォンを使った車内通信が可能だった。

 97式中戦車の性能が良好であり、後続の戦車開発も順調であったためその生産台数は少なく、各種合わせて580輌である。ノモンハン事件で約70輌が実戦参加したことが初陣であり、その後もチャイナ戦線での歩兵直協やマンチュリアでの防衛任務などに使われた。
 スペイン内戦やトルコ軍への軍事支援などで少数ながら欧州にも送られている。使用した現地兵からは「戦車のなかでは居住性が良く、重戦車のなかでは扱いやすい」と評価された。事実として、当時の重戦車としては比較的信頼性が高い機材である。

 1941年当時には一線級と言い難くなっていた本車であるが、航空・砲兵の支援や形成炸薬弾・粘着榴弾の使用そして搭乗者の技量などの要素から、実戦で使用したトルコ軍におけるロシア製戦車との撃破比率は優位にあった。



  96式重戦車(欧州仕様) 
 車体長:7.05m 全幅:3.48m 全高:3.53m 全備重量:39.4t
 懸架方式:リーフサスペンション方式
 エンジン:<L42>統制型水冷ディーゼルエンジン400馬力
 最高速度:時速25km(路上) 13km(不整地) 航続距離:200km 乗員数:5名
 装甲厚:砲塔前面70mm、車体前面60mm、砲塔側面:40mm、車体側面:40mm、車体背面20mm
 武装:30口径75mm砲1(弾薬搭載量72発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃2(車体前面+砲塔同軸、弾薬搭載量4180発)、煙幕弾発射装置8





 軽戦車は戦力的に限界があり、重戦車は必要とされる戦場に辿り着けない場合が多すぎる。故に日本陸軍が主力と頼むのは中戦車となっていくが、97式戦車はそんな期待に応えるために設計された。
 設計面では三人用大型砲塔や砲塔バスケットの採用などドイツ戦車の影響が強い。しかし避弾経始の大胆な採用や駆動系の一体化などドイツ戦車に与えた影響も大きい。
 品質管理とカイゼン運動による価格及び工数の低減、機械的信頼性の飛躍的向上、設計の合理化、人間工学の徹底などの要素は「97式の衝撃」と呼ばれ、日独で後に共同開発が行われる主因となった。

 97式中戦車の設計思想は万能を目指しておらず、その実態は「軽戦車屠殺者」である。マンチュリアで機動戦や陣地での籠城を行い、数に優るロシア製軽戦車・装甲車・各種車輌を駆逐することを目的としていた。
 当時の中戦車としては分厚い装甲と長砲身の57ミリ主砲は、遠距離からの砲戦で一方的かつ確実に仮想敵の機甲部隊を削っていくための武装である。
 そのため現場からは対歩兵戦闘での火力不足を訴える声が強く、主砲を96式重戦車のものと同じ75ミリ歩兵砲に換装した歩兵直協用や専用砲塔に30ミリ機関砲を連装配置した対空用などの派生型が生産され、通常型と組んで運用された。

 97式中戦車は日本が最も多く製造した戦車であり、最も多くの戦果を上げた戦車でもある。生産総数は各国合計で約4万8千輌。これは二次大戦において米国のM4系戦車に次ぐ生産数である。



  97式中戦車後期型(欧州仕様) 
 車体長:5.66m 全幅:2.51m 全高:2.67m 全備重量:19.32t
 懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
 エンジン:<JMS2型>水冷ガソリンエンジン400馬力
 最高速度:時速49km(路上) 26km(不整地) 航続距離:200km 乗員数:4名(車長、砲手、装填手、操縦士)
 装甲厚:砲塔前面60mm、車体前面60mm、砲塔側面:35mm、車体側面:30mm、車体背面25mm
 武装:50口径57mm砲1(弾薬搭載量126発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量2200発)、煙幕弾発射装置8




 97式中戦車(三菱案)に破れた25トン級中戦車(小松案)を一部改修して採用したものが98式中戦車である。
 98式の原設計案は狭軌列車で貨物輸送できない車体寸法と全般的な完成度の低さから不採用となったが、逆に言えば97式に比べ拡張性を残した構造になっていた。
 将来的な戦車技術の向上を図るため、また三菱系以外の軍需産業を育てるためにごく限られた数で生産されることになった98式中戦車だが、大戦勃発による戦車需要の高まりに応えて増産された。

 98式中戦車の構造はドイツの三号戦車に強い影響を受けており、三号戦車の拡大改良型と言える。
 装填手用の後方機銃など、原型となった三号戦車に比べ対歩兵戦闘と味方歩兵への火力支援能力を重視してあり、どちらかといえば歩兵戦車寄りの設計思想であった。
 車体や砲塔に複数設えられた覗き穴には防弾処理された魚眼レンズが使用されており、乗員の視界が非常に広かった。車内と外部に取り付いた歩兵が直接会話できる有線通信機と拡声器を最初から備えていた点からも歩兵直協を重視した設計であったことが伺える。

 火力だけでなく装甲と機動性においても水準以上の能力を持ち、居住性及び操縦性に優れた本車は充分に良作と呼べる戦車である。97式中戦車と比べて製造に必要とされる設備が簡易で費用が安上がりである点も、戦争の道具として評価が高い。
 生産数は各国合計で約9200輌とされる。



  98式中戦車(初期型) 
 車体長:5.903m 全幅:2.91m 全高:2.85m 全備重量:26.71t
 懸架方式:トーションバー方式
 エンジン:<統制型12気筒HM>水冷ディーゼルエンジン500馬力
 最高速度:時速42km(路上) 20km(不整地) 航続距離:320km 乗員数:5名(車長、砲手、装填手、操縦士、機銃手)
 装甲厚:砲塔前面40mm、車体前面40mm、砲塔側面:25mm、車体側面:20mm、車体背面25mm
 武装:38口径75mm砲1(弾薬搭載量70発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量400発)
    7.92mm機銃3(砲塔同軸+車体前面+砲塔後面、弾薬搭載量3200発)、煙幕弾発射装置8






 その存在が噂されていた赤軍重戦車(KV、ISシリーズなど)への対抗手段として開発されたのが、100式重戦車である。
 それまでの日本戦車と違い、100式重戦車は必要とされる性能からではなく45トン級という限界枠がまず決定され、そのなかで到達できる性能を要求する形で設計案が纏められた。

 これは日本陸軍機甲戦力の主力である97式中戦車の車体が小さすぎ、将来の改良でも早々と限界に達することが確実となったためである。二次大戦は97式とその後継戦車(1式中戦車)で凌げると日本陸軍は考えていたが、次の戦争そして次の次の戦争でも使える息の長い兵器を開発することも考えていた。
 当座は重戦車として使い、技術の進歩後には近代化改修を行って中戦車として再設計するという計画は一応の成功を見せ、100式重戦車の後継機種が二次大戦以降、日本陸軍における戦車体系で中核となっていく。

 100式重戦車は二次大戦期の重戦車のなかで最高傑作との呼び名も高く、長砲身の88ミリ戦車砲は2000メートル先からあらゆる地上兵器を破壊可能であった。
 反面、防御力に不満を抱く戦車兵が少なからず存在しており、現地改修で砲塔や車体の前面に追加装甲板を施された車体も多い。
 重戦車のわりには重量出力比が良く、幅広の履帯とトーションバー方式の懸架装置を採用していたことから良好な機動性を有していた。しかし巨体ゆえに整備は重労働であり、砲塔内に座席を増設して整備兵を乗せ5人乗りとした車輌もある。
 またその巨大な砲塔は専用の発動機を付けているにも関わらず旋回が遅く、後期生産車輌には砲塔内に乗員定数よりも多い旋回ハンドルを設置したものまで存在する。


 生産総数は各種合計で約8700輌。ドイツに送られたものは現地でティーガーと愛称が付けられ、後にライセンス生産された。
 また本車も各種自走砲や特殊車輌に改造または流用された。欧州戦線ではドイツ軍将兵から100式自走砲(砲戦車)の車体に固定式の戦闘室を設け、105ミリ高射砲を搭載したものをエレファント。同じ車体に150ミリ野戦榴弾砲を搭載したものがナスホルンという愛称で呼ばれている。
 なお、97式中戦車にはシャカール、98式中戦車にはヤーグアール、95・98・2式軽戦車にはフックス1・2・3の愛称が付けられた。



  100式重戦車(欧州仕様) 
 車体長:6.85m 全幅:3.50m 全高:3.315m 全備重量:47.1t
 懸架方式:トーションバー方式
 エンジン:<JMS5型>水冷ガソリンエンジン630馬力
 最高速度:時速42km(路上) 航続距離:190km 乗員数:4名(車長、砲手、装填手、操縦士)
 装甲厚:砲塔前面100mm、前面90mm、砲塔側面:65mm、車体側面:65mm、車体背面35mm
 武装:71口径88mm砲1(弾薬搭載量72発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃1(砲塔同軸、弾薬搭載量2700発)、煙幕弾発射装置8





 3号・4号戦車そして97式中戦車の後継機種として日独共同開発されたものが1式中戦車(5号戦車パンター)である。
 97式中戦車がドイツ軍に与えた衝撃は大きく、短時間で対抗できる戦車を開発するために日本軍との共同作業すら辞さなかった。

 対ソヴィエト戦に間に合うことが要求されたため開発速度が優先され、各種設計案のうち最も堅実であると評価されたダイムラー・ベンツ&三菱案が採用された。これにはトート博士らドイツ軍需省の強い推薦が影響したとされている。

 開発速度と確実性の問題から技術的冒険を避け、できる限り既存の部品や技術を使用しており悪く言えば無難な設計となっている。
 とは言うものの避弾経始を重視した傾斜装甲板は新開発の高張力特殊鋼鋼板を組木細工のように組み合わせたものであり、ボルトやリベットを極力廃して溶接と特殊樹脂の接着剤を多用した構造となっている。また駆動系を一体化して整備の簡略化を図ってある。
 足回りもダブルトーションバー、千鳥足式大型転輪、幅広履帯の採用と当時の最新技術が使われており、日独以外の基準で言えば充分に冒険的な設計であった。

 当初案では装甲貫通力と搭載弾数の多さを見込んで75ミリゲルリッヒ砲を搭載した砲塔が用意されていた。
 しかし演習や実戦での戦訓から、整備の負担が重たいことだけでな故障の多さ、遠距離射撃に向かないことや命中率などの問題でが指摘され、ゲルリッヒ砲搭載型は小数採用に終わった。
 量産決定からは従来型の75ミリ戦車砲を搭載した新砲塔に切り替えられている。
 また、防御力低下を恐れてか車体機銃を疎んできた日本陸軍上層部であったが、本車では前方機銃が採用された。


 生産総数は各国合わせて約2万4千輌(二次大戦期のみ)。
 欠点としては戦争機材として不必要に複雑化した機構を持ち、車体が重戦車並に大型化したこともあって隠蔽性の低下や燃費の悪化、故障率と整備時間の増大などの様々な問題を招いている。
 ただし上記の評価は直接の先祖である97式中戦車と比べての話であり、同時期の他国製戦車とならば信頼性においても優っていた。事実として整備を絶やさない限り1式中戦車の稼働率は高く、交換部品の備蓄があれば前線での修理も可能であった。

 戦闘力の評価は高く、重戦車並の火力と装甲を持つ中戦車(あるいは中戦車並に動ける重戦車)として各地の戦場で頼りにされた。二次大戦の実戦において1式中戦車の正面装甲が破られた事例は数件を数えるのみである。
 工程数削減と部品共有化の徹底により調達価格そのものは割安であり、97式中戦車の2割増し程度で済んでいる。



  1式中戦車(中期型) 
 車体長:6.8m 全幅:3.24m 全高:2.85m 全備重量:38.62t
 懸架方式:ダブルトーションバー方式
 エンジン:<L44>統制型水冷ディーゼルエンジン750馬力
 最高速度:時速57km(路上) 航続距離:240km 乗員数:5名(車長、砲手、装填手、操縦士、機銃手)
 装甲厚:砲塔前面70mm、前面60mm、砲塔側面:40mm、車体側面:40mm、車体背面30mm
 武装:70口径75mm砲1(弾薬搭載量84発)、12.7mm機銃1(砲塔上、弾薬搭載量800発)
    7.92mm機銃2(砲塔同軸+車体前面、弾薬搭載量4800発)、煙幕弾発射装置8






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