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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その二十『マンハッタン島の取り引き』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/01/02 12:55






            その二十『マンハッタン島の取り引き』





  【1941年6月10日午前9時45分 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市】
 


 ニューヨークには観光名所が多いが、そのなかで最も有名なものは自由の女神像であろう。独立百周年を記念して造られたこの巨大な銅像は、アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴として扱われている。
 女神像が象徴しているのはあくまでもアメリカ式の自由と民主主義であり、それが他国人の共感を呼ぶとはかぎらない。
 日本海軍の、辛辣な発言が多いことで知られる某大佐のように「合衆国にあるのは自由と民主主義ではなく放埒と衆愚だ」とまで言う者もいる。


 彼だけでなく、この当時の日本人はアメリカ式民主主義について「融通無碍に過ぎて受け入れ難い」と感じている者が多数派だ。
 日本的に観ると平均的合衆国国民の主張する民主主義は大雑把に過ぎるというか、真面目に考えていないとしか思えない。
 成立以来一度も国民選挙を行ったことのないソヴィエト共産党政権や重慶国民党勢力を「民主的」と称揚する一方で、合法的選挙によって選ばれた議員達で運行されている日本帝国を「独裁下にある」と罵るのがアメリカ合衆国の政府見解であり世論である。非難とか批判というのは、もっと柔らかい表現で成されるものだ。

 日米両国の感覚が一致しないのは民主主義の定義だけではない。例えばアメリカ的感覚では中華民族は自由と平和を愛する文明人であるが、日本人は残虐で道理を弁えない蛮族である。
 その理由について、何が蛮族的で何が文明的なのかを巡って日米の人間が議論や意見交換をすると、これがさっぱり纏まらない。平均的な日米国民が真剣に語り合えば語り合う程、双方が「相手には真面目に話す気がない」と確信してしまう。

 日本的価値観からすれば「文明とは信仰であり真の信仰とはキリスト教である。他の自称宗教は良くて淫祠邪教に過ぎない」とか「真の信仰を持たない日本人は蛮族である、なぜならキリスト教徒ではないからだ」といった平均的アメリカ人の主張は狂人の譫言にしか聞こえない。トートロジーを論拠にする輩を正気と見なす文化は、日本では極少数派だ。

 合衆国的価値観からすれば「政府の主張は論理的整合性を保つべき」とか「政府は国民を等しく保護すべき」という日本的な観念自体が有り得ない。
 合衆国の選良(ELITE)たちには、敵国の指導者層のうち少なくない割合の人数が合衆国で言えば初恋前の女子小学生よりも政治的に幼稚(NAIVE)な感覚の持ち主であるなどと、想像することすら難しい。つまり日本人が真剣に語れば語るほど、合衆国人は愚弄されているとしか感じないのだ。

  
 つまるところ両国は文明の在り方が違うのだ。日本が麻薬密売組織を追放しアメリカが禁酒法を施行したように、社会的な善悪正邪においてすら感覚が異なる。誕生日を迎えた7歳児への贈り物を 現金50セント と 実包付き猟銃 のどちらにすべきかを日米の国民に問うて答えの統計を取れば、正反対の結果が出るだろう。



 リバティ島にある女神像は、日本との正式な戦争が始まって一年半ほどが過ぎたこの時期にも多くの人を集めていた。
 ただし観光地の名物としてではない。女神像は以前にも増して人々の視線を集めているが、観光客が直接的な現金を落としていない現在ではリバティ島は観光地として機能していない。
 日本軍によるニューヨーク空襲から七週間ほど過ぎたが、女神像は海に落ちて砕けたままである。

 4月19日夜の空襲で、土台部分に飛行爆弾を受けた自由の女神像は倒壊した。現在は砕けた残骸の上に、辛うじて原型を保った女神像の頭部が乗っかって波の飛沫を浴びている状態だ。修復、いや再建の目処は未だ立っていない。

 軍事的に無価値なリバティ島は日本軍の攻撃目標ではなく偶然にも流れ弾が直撃してしまったのだが、攻撃を受けた側には関係ない。
 国家理念の象徴を無惨に破壊された合衆国人の怒りはまたも限界を突破した。東京で喩えるなら靖国神社と明治神宮とついでに浅草寺が同時にクレーター痕へ変えられたようなものであり、当然の結果だった。


 
 女神像の残骸を見るまでもなく、日米間の戦局は日本帝国が優位にある。


 英本土の消耗戦は一日ごとに協定諸国側が有利になっている。その理由は多々あるが最大のものは他方面の戦況が傾いたことにより協定軍側の航空戦力が厚みを増した事だろう。
 ドイツ本国では関与を疑われたフリッチェ上級大将ら数名の軍高官が服毒自殺を遂げるなど、4月始めに起きた総統暗殺未遂事件が予想外の大事になり紛糾していたが、後方の混乱は西部方面に配された航空戦力にはさほどの影響を及ぼさなかった。
 元よりドイツの空軍は陸軍と比べればまだナチス政権へ協力的であり、総統の戦争指導にも大きな不満はない。勝ち戦は大概の不満を隠してくれる。

 独日伊仏を主力とする協定諸国軍の航空戦力に対し、連合軍側も北米で量産した航空戦力を投入し続けている。だがブリテン島に向けた航空機の過半数は送る端から大西洋に沈められ、あるいは港湾や空港で破壊されていた。
 大型爆撃機などは北米から直接、小型機は洋上の改装空母から飛ばして英本土の飛行基地へ移すことができる。しかし精密機械である航空機は絶えず整備を行い部品を交換し続けなくては戦力を維持できない。一種類の部品が、たとえば燃料点火プラグが港で船ごと沈めば動かなくなる。

 ブリストルのような本土の西側にある港まで空襲されていたように、以前から連合軍側はブリテン島の制空権を得ていなかった。
 そして遂にこの時期、41年の春から夏にかけての時期にブリテン島周辺の制海権と制空権は、航空戦力の差が如実に出て協定軍の優位が確定した。数の力は大きいのだ。

 特に新鋭の日本海軍正規空母部隊が、日本本土からの増援と黒海方面から転進した戦力が欧州の西端に集結し活動を始めてからは、連合軍が船団を大型化し護衛を強化しても護りきれなかった。

 商船改造の護衛空母は機動性も耐久性も皆無である。特に航空戦力に対して脆弱であり、正規空母を中心とした機動部隊に狙われれば一溜まりもなかった。
 艦載機はスズメバチのようなものであり、巣である航空母艦が潰されると後は死滅するのみだ。航空戦力がなくなった輸送船団の運命など語るまでもない。

 そもそも護衛空母を矢面に出すこと自体が間違っている。護衛空母やフリゲート艦は少数の潜水艦や航空機の襲撃を防ぐことはできても、機動部隊の正面攻撃に抗う力はない。
 日本海軍の補用空母と米海軍の護衛空母は、字面は似ているが全くの別物である。戦闘力において、騎兵部隊と驢馬に乗った子供の群れほども違う。
 もっとも、日本海軍の補用空母と正規空母の間にも拳銃騎兵(カラコール)と有翼騎兵(フサリア)ほどの戦力差があるのだが。

 開戦から一年半足らずで既に150隻を戦力化し更に一年以内に300隻以上を建造できる生産性は素晴らしい。
 しかし逆に言えば造る端から、一週につき3隻ずつ沈めば米国製護衛空母は開戦から2年半、つまり後1年以内に絶滅するのだ。それ以降は造ったとしても乗る人間がいなくなる。


 何度も繰り返して言うが、戦争は数である。

 仮に命中率100%の火砲があるとして、命中率1%の火砲と撃ち合うと確率で言えば99%勝利する。のこる1%は相打ちだ。
 命中率100%の火砲1門が命中率1%の火砲100門と撃ち合えば、確率論的に最初の一発で確実に相打ちになる。その後でも敵にはまだ99門の火砲が残っているので、新たな命中率100%の火砲を5門や6門持ってきても撃ちまくられて壊滅するだけだ。
 命中率100%の火砲が命中率1%の火砲百門と撃ち合って勝つには、11門以上の数が必要となる。

 斯様に数の力は大きい。個々の質で圧倒的に優っていてもある程度以上の数の差があれば敵わない。そして英本土方面の連合国軍は質でも数でも押されているのだ。



 重慶政権の降伏と合流以来、チャイナの軍閥諸勢力は南京政権(汪兆銘派)により統一されつつある。
 軍事的な安定でいえば、現地基準では既に統一している。後は残存する弱小軍閥及び匪賊の討伐を為すだけだ。
 日本軍が一線級の航空戦力をチャイナ地域に貼り付けておく必要性はなくなった。


 東シベリアが日本勢力圏に加わり、極東におけるソヴィエト・ロシアの継戦能力は事実上失われている。
 弾薬はまだしも液体燃料が決定的に足りていないのだ。石炭や薪だけでは広大すぎる勢力圏を動かしきれない。
 ウォッカを始め現地で不足する液体燃料やその他の物資が、シベリア鉄道の西側からでなくウラジオストック港やマンチュリア方面から送られてくる限り、東シベリアの情勢は変わらないだろう。
 更にいうならばソヴィエト政権はロシア帝国の後継であり、その政治機構は皇帝役がいないことには動かない。空座となった帝位を巡って内紛の続くクレムリンは、極東どころかモスクワ市内すら支配し切れていなかった。


 ウクライナとベラルーシでは協定諸国の支援を受けて、地元出身者を中核とした結合自治政府が発足した。
 ウラーソフ元帥を首班とするこの政権は、主に元赤軍将兵で構成された反共解放軍を主体とした組織である。故郷をアカから取り返さんとする彼らの士気は高く、戦線はモスクワ目指して順調に北上している。
 河川を主軸とする彼らの兵站は健全と言える水準を保っており、水路が凍結する季節までに鉄道の支配領域を何処まで広げられるかがロシア戦線の焦点となった。


 東南アジア、オーストラリアとニュージーランドを含む太平洋地域、インド及びインド洋の三地域は日本側に与した勢力が押さえており、旧宗主国特に連合国側の影響力は薄まる一方である。
 自国内の内紛や新興国同士の諍いが絶えないが、その殆どは日本帝国の指導部(大本営)が許容できる範囲に収まっている。当該地域の指導者達は色々な意味で傑物揃いであり、超えてはならない一線を理解していたし己の率いる組織を問題なく掌握できていた。 


 中東とアフリカの諸勢力は大部分が日本帝国に友好的または中立寄りの立場をとっていた。
 それらの土着勢力は反共協定諸国に刃向かって何か利益が出るという訳でもなく、当然の態度だった。
 英国が仕切っていた通商網は日本と伊仏西の協定諸国により乗っ取られつつある。中東やアフリカでも今次大戦で損が出たが致命的ではなく、土着諸勢力の中でも先見の明を持つ指導者は積極的に次の覇者達と誼を通じて新たな得を求めた。


 戦闘と混乱の続くメキシコも、自称正統政府はともかくとして日本軍の優勢は確実となった。
 中南米諸国のうちチリなど太平洋側の国家は日本側に付き協定諸国に入っただけでなく、正式な軍事同盟を結んでいる。
 ブラジルなどの大西洋側南米諸国は現在でも連合国寄りだが、大西洋の制海権がもう二割ほども協定諸国側に傾けば雪崩を打って鞍替えするだろう。より強い勢力、より儲けの出る側に付こうとするのは当然である。

 現政権が自治権の一部を投げ捨てる勢いで対米協力をしていた弱みを持つ幾つかの国家では、寝返りの際に粛清の嵐が吹き荒れるであろう。だがそれで他の全てが救われるのなら安いものだ、と各国の粛清される可能性が低い者たちは受け入れていた。

 40年12月のパナマ運河破壊は実行した米国側にとって国防上やむを得ぬ選択であったが、その緊急避難的破壊行動により政治経済治安等々あらゆる面で大打撃を受けた中南米諸国の反感は大きかった。
 覇者の覇者たるは他者と隔絶した暴力があればこそ。海軍という暴力装置を失ったことを中南米諸国に悟られかけている合衆国の覇権が揺らぐのは当然である。ヤクザ者と主権国家は暴力を失えば全てを失うのだ。

 既に合衆国海軍は再起の可能性を失っている。
 人が死にすぎたのだ。いくら船や火砲弾薬があっても船乗りがいなくては海軍に意味はない。開戦以来積み上がった損害は合衆国の補充能力を超えてしまった。増える人間より減る人間が多いという、単純な現実が其処にある。
 カリブ海・メキシコ湾と北大西洋で、そして本土内で現在も消耗が続いている。損害は拡大する一方だった。


 普通の戦争ならば、文明国間の外交延長線上にある戦争なら、とうの昔にホワイトハウスを群衆が取り囲み講和を求めていただろう。普通の戦争で、相手が普通の国ならば。

 
 実際のところ、日米戦争では普通なら行われている筈の講和へ向けた動きが鈍かった。鈍いと言うより存在が疑われる水準だ。
 常識的に考えれば水面下であっても講和交渉が進められている筈なのだが、日米間では一向に話が進んでいない。
 交渉が暗礁に乗り上げた訳ではなく、船出すらできていないのだ。交渉の「こ」の字を書こうとして止まっている状態である。

 それも無理はない。この時期の日米外交は混沌の渦に呑まれていた。
 具体例を挙げれば、赤十字を掲げ日本本土から中立国へ捕虜送還に赴いた客船が米海軍の潜水艦に襲撃され沈没し、しかも救助作業中に再攻撃されるといった事件や、ポルトガルの日本大使館へ向かった米国の特使が大使館前で反米派暴徒に殺害されるといった事件が頻発していた。

 もはや大戦継続による世界経済そのものの破壊を狙うしかないコミンテルン。
 資本主義の帝国と異教の神政帝国を噛み合わせ続けたい、モスクワと敵対する共産主義者。
 独伊仏など、あとしばらくは日米に戦争を続けて欲しい欧州諸国。
 宗主国とその出資者の破滅を望んで止まない、各植民地の独立運動家たち。
 植民地を切り捨てる為に始めた戦争を断行したい、門閥貴族化した某国の外務官僚閥。
 戦争の夏を謳歌する一部の高級軍人達と、軍隊にしか居場所のない一部の将校や下士官兵達。
 本人だけが理解できる妄想を抱き衝動の命じるままに行動する、極まった思想家達。
 未だ軍拡の投資を取り返していない、出遅れた資本家や大企業。
 目の前の売り上げしか見ていない、大手新聞などの大規模情報伝達業者。
 この機に乗じて自勢力の拡大と競合他社の衰退を狙う、宗教業者の共同体。
 憎悪と恐怖に取り憑かれ、復讐に駆られる一般市民。

 その他様々な勢力が戦争の継続を望み、様々な形で和平工作を妨害していた。上記の例は氷山の一角ですらない。 


 米国人の自覚的な傲慢さだけでなく、日本人の無自覚な尊大さが交渉難航の一因でもあった。例えば彼らは今次大戦においてオランダと戦ったという自覚が薄かった。
 一般的日本人の意識では極東オランダ勢力は、勝ったことを自慢したらかえって恥になる域の弱者であった。
 戦争を喧嘩に喩えて言うなら「敵(米英)を殴りにいくとき、足元でうろちょろしていた子犬(蘭)を軽く蹴って退かしたら死んでしまった」程度の存在でしかなかったのだ。子犬を蹴り殺して自慢する侍などいるわけもない。

 人は侮辱に敏感だがそれ以上に無視に敏感であり、無視よりも意識外の扱いに敏感である。無視もまた反応であり、反意や敵意の表れなのだ。
 世界の支配者の一員であるという優越人種主義を拗らせた欧州人にとって日本帝国やオーストラリアの抱く列強思想は、存在すら許せぬ悪魔の教義であった。


 相次いだテロ行為や軍事攻撃により、幣原喜重郎元外相を始めとする多くの死亡者を出した日本外務省は機能不全に陥った。
 統計上、この時期の外務省中米方面勤務者はメキシコ戦線の陸軍将校よりも殉職率が高い。軍隊と違って死傷者が続出する状況で組織を回す技能を持たない日本外務省の戦列は短時間のうちに崩壊した。
 外交官の敵前逃亡者や戦場神経症患者が続出し、踏み止まった者たちが次々と倒れていく姿は悲惨としか言い様がない。勿論のこと、外務省の役人にではなく日本国民にとって。

 この戦争の、日本内部から見た根本的要因は四半世紀ほど前から連続した外交的失敗にある。というよりも、前大戦勃発から5.15事件あたりまでの日本外交は殆ど失策しかしていない。外交による勝利が途絶えていたのだ。

 前大戦における不義理と国際社会の実状を無視した外交交渉は日英同盟の破棄に至り、自国民保護と国際協調を忘れ去った自殺的対応が中華軍閥の増長を促し、現実を無視した軍備軽視と非戦嗜好が赤色勢力の封殺を失敗させ、目先の国益すらも顧みない支離滅裂な独断専行が国際連盟における孤立を招き、限度も節度も弁えぬ自国軍部への攻撃が社会不安を呼び、溜まりに溜まった社会不安はテロ事件やクーデター騒ぎを引き起こし、相次ぐ内紛と不祥事は日本帝国の国際的信用を墜落大破の上に炎上爆発させた。

 この全てにおいて外務省の責任は極めて大きい。外務省だけに問題があった訳ではないが、一つの課の外交官が全滅した程度で償える程軽い罪ではない。それが現在の日本国内を覆う空気である。
 幣原派閥を始めとする親米勢力が壊滅状態に陥ったことから、以後の日本外務省は「現政権下の米国とは交渉不可能」「英米を分断すべし」と主張する宇垣外相らが完全に主導権を握ることになる。

 皮肉にも、以後の外務省は見違えるほど健全な省庁へ生まれ変わる。短期間のうちに、根本的に、そして不可逆的に。
 宇垣外相は第三帝国の人種政策に対する舌禍事件で職を辞した前外相と同じく外部出身者であった。その過程と成果に賛否両論と毀誉褒貶あるものの、容赦ない改革で陸軍を生まれ変わらせた実績があった。
 古巣である陸軍のほぼ全てから恨まれることになっても改革をやり遂げた男が、赤の他人である外務省の官僚達に配慮する訳がない。旧外務省を構成していた者たちからも大いに憎まれたが、宇垣一成がそれを気に留める事は一切なかった。
 

 
 対する米国側は、外交戦の場での死傷こそ少なかったが後方での内紛が以前にも増して激化していた。
 一度「対日協力者」の疑いを掛けられたが最後破滅するしかないのでは、内部闘争が収まる筈もない。
 手強い政敵を一撃で、事実か否かは関係なく倒せるのだ。この状況で自重できる者は少ない。自重すれば売国奴の汚名を着せられて、投獄か私刑かあるいはその前に死ぬことになる。運が悪ければ死んだ方がまだマシな目に遭う。
 

 銃は剣よりも強し。
 刃物は余程上手く使わないと数人しか殺せないが、銃は素人がぞんざいに使っても数十人を容易く殺せる。
 殺人愛好者に近代兵器の使用権を渡せば大虐殺が起きる。ならば権力の亡者が必殺の政治的武器を持てばどうなるか。
 答えは壮絶な内部抗争の連鎖である。近代フランス史を見れば解るとおり、共和制の民主主義を標榜する政体とはもともと狂暴極まりないものなのだ。
 彼らはあまりにも自由であり、紛うことなき正義なのだから。正義は決して妥協しない。容赦もしない。

 
 アメリカ合衆国は現在、実質上の内戦状態にあった。
 まず内部の敵と戦い、その余力で外部と戦っていた。
 事実として、合衆国の人的資源は外部との戦争よりもむしろ内部闘争により失われている。
 古くからある警句は正しかった。書物を焼く街では、遠からずして人も焼くようになるのだ。

 合衆国の陸・海・海兵隊三軍の諍いは他列強国であればそれだけで継戦不可能になるであろう酷さである。何処の国でも各軍は仲違いしているものだが、現場の部隊が友軍を積極的に見捨てる軍勢を持つ文明国は北米地域にしか存在しない。

 地域間、人種間、民族間、宗派間の対立も市街や野山で実弾が飛び交うようになって久しい。
 だが物的にも人的にも最も被害が大きいのが、貧困層と中産層と富裕層の闘争だ。

 名家の出に非ずば人に非ず。合衆国において貧乏人に人権はないし、富裕層出身者以外が金持ちになることはほぼ不可能だ。
 ただそれでも百万に一つの例外が存在し、成り上がれた実例がある限りアメリカンドリームは実在する。たとえ特定の人種と民族と宗派に属する者に限られていても。

 一握りの富裕層が富と特権を独占し世襲する、実質的な貴族支配体制にある米国内における下級層の造反劇。言いがかり一つで誰でも‥‥とまではいかないが大概の場合は気にくわない誰かを火刑台に送れるお祭り騒ぎ。
 それが親日派狩り、イエローパージ運動の一面だった。


 状況は合衆国にとって宜しくない。特に内側との戦いにおいて事態は深刻だった。
 合衆国は強大だが、その強大さに見合うほど強靱ではない。特に政治的な意味で。

 あらゆる大国がそうであるように、アメリカ合衆国の政治はお粗末である。
 いや、お粗末になった。その昔は、今と比較すれば大きな問題がなかったがモンロー主義を通せなくなった時点で、他の列強と勢力圏がぶつかるようになった時点で合衆国の内政は破綻が約束されたのだ。

 広大な領土を持ち、長い長い国境線を多数の国々と接している国家の内政が巧みであった例はない。
 広すぎる自国も多すぎる隣国も面倒事の塊だからだ。
 面倒事は次の面倒事を呼び、政治家も役人もその対処に手一杯になる。内紛の制圧や諸国との外交に時間と人材と資金を注ぎ込まなければならない以上、他の所で人手と予算を抜かねばならなくなる。
 痒いところに手が届くような、きめ細かく行き届いた統治など望むべくもない。

 内政の破綻は経済の破綻を呼び、その結果として外交が破綻し戦争が起きる。
 歴史における大概の事例と同じく、今次大戦も内政に失敗した大国が外部に敵を求めたが故に起きた。それは日米のみならず蘇独伊仏英全ての列強で、程度の差こそあれ共通している。

 
 無論、最低限以上の見識と愛国心を持つ合衆国人たちはこの状況を打開すべく行動している。そのうちの最も有力な勢力の一つは、この日の朝からニューヨークの某所へ集まり会合を開いていた。




     ・・・・・



  【同時刻 ニューヨーク市 マンハッタン区5番街350 エンパイアステートビル】



 ニューヨーク州の別名である EMPIRE STATE を意訳すれば「帝権の地」とでもなるだろうか。現代におけるローマ、文明の代名詞である世界帝国の中心地を自負するが故の呼び名だ。 

 地上102階建て、地上高443.2m。20世紀の帝権を象徴するべく建てられたこの建造物は、一等地の優良物件である割には空き部屋が多い。建造当初から市場の要求というか需要を無視して建造された、箱物行政の産物であるからだろう。
 ただし人口密度が低いのは秘密裏の会合を開くには都合が良かった。人が少なければその分警備にも防諜にも手間が掛からない。スラム街の雑踏を歩くのと広大な牧場で乗馬に興じるのとでは、どちらが要人を警護し易いかは本職に訊くまでもない。
 このマンハッタン島で一番高い建造物は交通の便がよいこともあり、ニューヨーク市で合衆国の中心的な人々が集まるにはまずまずの場所である。

 会合はこのビルの高い階層にある会議室で行われている。
 広く天井が高い部屋の一方の壁には壁面全体を使って世界地図が貼りつけられ、その上には色分けされた小札付きの虫ピンが無数に突き刺されている。小札に描かれた絵と記号は簡略化された各国軍の戦力を表しているのだ。
 地図の上に表された戦況は完全に正確ではないが、軍事の素人にも分かり易いという点で用途を充分に満たしていた。


 「この戦争は負けだ。これ以上続けても儲けが出ない」

 戦争の決着はどちらかが継戦能力を亡くした時点で決まり、勝敗は国家大戦略上の目的を達成できたかどうかで決まる。
 今次大戦におけるアメリカ合衆国の国家目的は経済の建て直しであり、目標は欧州経済の掌握であり、手段は世界大戦であった。
 アメリカ合衆国は前大戦期とその後の栄耀栄華をもう一度繰り返そうとしたのだ。より大規模かつ徹底的に、全世界を跪かせるために。早い話、欧州が焼けたら北米は肥えるのだ。

 そのために時間を掛けソヴィエト・ロシア、ナチスドイツ、大英帝国等々の欧州諸勢力に投資した。規模の意味でも意義の面でも、合衆国経済界にとり主目標は欧州でありアジアは副目標だった。
 地勢から言って合衆国が第二次欧州戦争で勝たせるべき、勝ち残らせてその後の同盟国とするべき勢力は英国である。言うまでもなく 大 と 帝 の字がもう付けられない状態の、だ。

 故に1930年代になる直前、大恐慌と共に合衆国からドイツへの支援と投資は打ち切られた。餌を与え育てる段階ではなくなったからだ。
 アメリカ政財界にとっては最初からドイツは屠殺予定だった。時期が来ればベーコンや腸詰めや缶詰にされる、森に放された豚なのだ。

 豚は生きているのではなく、生かされている。
 かつて「狼は生きよ、豚は死ね」と語った男、しばしばヴォルフ氏なる偽名を使い、己の肝いりで整備した機甲戦力の主力兵器に「ヴォルフ(狼)」という愛称を付けた第三帝国総統は、彼なりに祖国の運命を察していたのだろう。
 事実としてルーズベルト大統領始め米民主党指導部は、ドイツ勢力の排除を早い段階で決めていた。屠殺すべき時期の来た家畜というよりは駆除すべき害獣として、であるが。

 ロシアには東欧とそれより東側を統治できるであろう能力と実績があり、英国には西欧を制御してきた能力と実績がある。
 ドイツにはない。ビスマルクとヴィルヘルム一世ならまだしも、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに欧州を統治できる能力と意識などない。
 本質的に田舎山賊に過ぎないナチス党には、ドイツ本土にオーストリアやチェコを加えた中欧地域だけで精一杯だろう‥‥と合衆国の政治中枢、大統領を始めとする有力な政治家とその後援者は断定していた。

 故に1930年代半ばになって、日本帝国はドイツと組んだ。英米と組めなくなった以上、他に組む相手がいないという事情もあったが、日本にとって欧州を纏めるものなど不要であるという本音もあった。
 日本帝国は欧州諸国が滅びない程度に衰退してくれることを望んでいた。日英同盟は欧州勢力が健在である事が前提だったが、日独同盟は欧州が衰退する事を前提として組まれている。

 明治政府の発足以来、いや遡ればミカドの祖先が飛鳥盆地の片隅に居を構えていた頃から、日本の国是は「攘夷」なのだ。
 平たく言えば「俺の縄張りで余所者がでかい面をするな出て行け」である。学術的根拠に乏しいことを承知の上でいえば、縄文期からまったく変わっていないであろう。

 結果として合衆国は国家大戦略上の勝利を失った。再び欧州は焼けたが焼け跡を占拠したのは独伊を中核とする勢力であり、欧州市場に合衆国の産物が入り込む余地は当分の間ない。

 これから数年間戦争を続けて協定諸国を打ち倒したとしても、そのときには合衆国の経済は破綻している。
 総力戦は金銭がかかるのだ。合衆国の国力は膨大だが無限ではない。既に戦費は1000億ドルを超えた。おそらく、いや確実に年内に1500億ドルを突破し、2000億ドルの大台に迫るだろう。

 ユーラシア大陸の帰趨は既に決した。ソヴィエト赤軍は野戦で粉砕され再起不能、英国海軍は死に体である。英蘇両国以外の勢力、仏国自由政府などの連合国側勢力には戦局を動かせる実行力がない。
 合衆国が勝つためには独力で劣勢をはね返さなくてはならないのだ。

 それは不可能である。現実を直視できる、最低限の知性と見識を持つならばそう結論するしかない。
 現在の規模で戦争を続ければ遅くともあと4年以内に経済が破局する。合衆国が負担できる戦費は、総計で6000億ドル程度なのだ。何をどうやってもそれ以上は出せない。
 その全てを費してもドイツ第三帝国と日本帝国を焦土と化すことは難しく、実際にできたとしても合衆国は経済面で破滅する。市場経済への信仰が失われドル紙幣は紙切れとなり、10年前すら比較にならぬ混乱と荒廃と貧困が北米地域を覆い尽くす事になる。

 通貨とは信用の具現であり、社会関係の産物なのだ。
 社会が破綻すれば金銀も宝石も塵屑に等しい。黄金そのものは食えないし、着ることも住むことも出来ないのだから。



 「損切りを決めるには早かろう。需要はまだ残っているぞ?」
 「国内だけなら、な。だがあと2年も戦争を続ければ我々の製品は完全に欧州市場から閉め出される」

 会合の場にいる総計13人の男達は身なりが良かった。合衆国市民の99.99%から見て莫大と言える金銭が掛かっているし、金銭を掛けただけでは手に入らないものを身に付けている。それは物質的なものに限らない。

 ただそうでない者たち、会合の面子ではなく参考人として呼ばれた例外がこの場には2名いる。
 一人は動力付き車椅子に座る白衣の老人。体躯は痩せ細っているが若い頃はかなりの美男子だったのではないかと思わせる容姿の持ち主であり、その物腰から高い知性が感じとれる。

 もう一人は白い軍服を着て立っている軍人らしき中年男。らしきというのはその男が着ている軍服は合衆国陸軍のものに似ているが、他に誰も着ていない特別仕立ての衣装であるからだ。
 階級章は少将である。服に被われた中身は階級に比べて異様に若い。おそらく三十代後半といったところだろう。
 顔つき体つきは一般的な軍人らしくない。はっきり言えば肥満体だ。
 ただ太いだけではなく、軟体動物じみた奇怪な柔らかみを感じさせる。疲労からだろうか、その目の周りには濃い隈が出来ていた。

 この場には身なりの良い男達と異分子2名以外にも秘書やら技師やらが相当な人数でいる。しかし彼らは演台の上の黒子と同じく居るが居ない扱いとなるので数に数えない。求められない限り発言することもないし、発言したとしてもそこに人格は求められない。磁気式録音テープの再生機と同じ扱いだ。
 異分子たちも黙っている。彼らは出自も人生の軌跡も異なるが、言葉の使いどころをある程度以上に心得ている点で一致していた。


 というわけでこの場で喋っているのは身なりの良い男達のうち数名である。より正確には一人が喋り、他の数名が代わる代わるその相手をしている。
 先程から自説を唱え続けて譲らない男の額には太い青筋が浮かんでいた。もしこの場が食事会であり男の座る席の前に食器類が並べられていたら、彼はナイフを掴んで投げつけていたであろう。それも機関銃並の勢いで次々と。 

 「ダンピングなど長続きできん、戦争が終わればエンペラーからの資金投入も終わるだろう。そうなれば‥‥」
 「ヒロヒト帝の介入がなくなれば日本企業同士が価格競争を始めるよ。その場合も敗者は君だ。ついでに性能の競争でもな。違うとは言わせないよ、君は日本軍が北米に持ち込んだ車輌のほぼ全種類を手に入れている筈だ」

 反論はない。ぐうの音も出ない。
 言われた側も理性では分かっているのだ。合衆国、いや彼の誇る大量生産機構が日本帝国のものに劣っていることを。採算度外視の投げ売り(ダンピング)云々は建前である。

 現実を理解しておくことと発言を現実に沿わせることは違う。「己は正しく他者は邪」「俺の物は俺の物、貴様の物も俺の物」それがアメリカ魂‥‥の暗黒面のうち一つである。
 都合の悪いことを一々気にしていたら大貴族もとい巨大企業の経営者などやっていられないのは何処でも同じだ。

 建前は大事だ。本質ではないからと軽視すれば酷い目に遭う。世間には自分が掲げる建前を軽んじられたと感じただけで、軽んじていると感じさせた者の命を狙ってくる輩が幾らでもいる。



 地元(ホームグラウンド)で戦っているからには当然だが、合衆国の軍部や大企業は日本産の兵器や物資を多数手に入れていた。
 その大半はメキシコに割拠あるいは跋扈する各勢力からの横流し品であり、前線では小規模ながら鹵獲装備だけで編制された部隊すら存在し活動している。
 研究材料としても充分な数が入手してあり、かつては部品の一部ぐらいしか手に入らなかった三菱98式艦上戦闘機も現在では複数の完動品が各地で試験されていた。

 日本製品といえば安物の繊維とブリキの玩具だったのも今は昔。41年夏の現在では合衆国の知識層において MADE IN JAPAN は畏れを込めて囁かれている。高性能、低価格、手入れ簡単で故障知らずであり生産性も高いことが知られているのだ。
 特に戦場で日本産の兵器や消耗機材と出くわした将兵達の驚きは大きく、テキサスの前線では横流し品を実地検分した現地司令官により「雷雲と日本軍戦闘機からは退避せよ」とか「日本軍戦車に対しては五倍以上の戦車を投入すべし」といった通達が出された程だった。


 比較すると合衆国産工業製品の評価は宜しくない。欧州諸国やロシアのものと比較すれば全般的に優位にあるのだが、日本製品と比べると見劣りする。
 MADE IN USA の印が刻まれた工業製品の品質が落ちた訳ではない。日本の九州島にある、宇佐地方を根拠地とする宇佐財閥系企業の製品にも MADE IN USA が刻印されているという事と、これまでアメリカ製品だと思いこんでいた製品のうち何割かが実は宇佐工業や宇佐文具のものだった事に気付いた人々が増えただけだ。

 一度染みついた印象(イメージ)はそう簡単には離れない。前大戦期やその前後にやらかした自業自得の積み重ねとして、安かろう悪かろうの代名詞となった日本製品はその後どれ程に性能や品質を向上させても評価が低いままだった。
 法螺話としか思えぬ勢いで技術力を身に付け品質を向上させた1930年代に入ってなお、当の日本人にすら日本製品は人気がなかった。一般的な日本人が自国製品に自信を持つようになったのは僅か数年前、チャイナやマンチュリアの戦場で国産品が他列強諸国の兵器を圧倒するようになってからだ。

 タイガー計算機のように、中身は全く同じでありながら商品名を西洋風に変えただけで売れるようになってしまった事例も多い。
 なので近年の日本国内では紛らわしい企業名や商品名を使う輩が以前にも増した。というか続出した。宇佐をUSAと書き変えただけの企業はまだ良心的な部類に入る。


 日米以外に比較対象となる有力な商品が存在しない東シベリアからマンチュリア、チャイナ、東南アジア、オーストラリアにかけての地域では米国製車輌は三級品扱いされている。これらの地域にある車輌は日本製とアメリカ製の他は屑鉄しか存在しないのだ。
 ニュージーランドやマダガスカル、南アフリカ、インド、北米西海岸諸州ではまだ二級品扱いだがこちらも日本製車輌の普及と共に評価が下がり続けていた。
 欧州では地域によって違い、北欧や南欧では三級品扱いだが中欧や東欧では二級品扱いされている。


 車輌だけを見ても欧州市場は日本製品に制圧されつつあった。第三帝国自慢の機甲部隊にしても平均すれば師団あたりの所有戦車は三割以上が、トラックに至っては半分以上が日本産もしくはその系譜である。
 1940年度の日本国内における車輌生産数は1000万輌を超えた。満州国や欧州各国でのノックダウン生産を含めたならば更に100万輌ほど増える。
 燃料と交換部品付きで車輌が送りつけられてくるのだ、ドイツ人でなくても後のことはひとまず忘れて受け取るのは当然だった。それに只で貰っている訳ではなく、協定諸国は血で支援の代償を支払っている。

 なお日本で製造されるものの設計が、日本ではないことも依然として多い。
 例えば日本軍の標準装備のうち口径12.7㎜の重機関銃はイタリア、7.92㎜の多目的機関銃はドイツ、6.5㎜の軽機関銃はチェコで設計されたものだ。
 更に言えば日本陸軍で最も一般的な野戦砲や迫撃砲の原型はフランス産であり、ロシアの影響を受けた兵器も珍しくない。日本軍の航空機に使われる大型発動機は、先祖をたどっていくと半数以上が米国を開祖とする系譜だ。



 無論のこと戦争を止めればそれで即座に合衆国製品が売れる訳ではない。だが取り引きはできるようになる。

 「日本人に出来たことなら我々にもできる。日本から製造技術を導入し我々の製品に競争力を取り戻すのだ」

 戦争を止めれば商取引も技術提携もできる。品質管理などの、日本や協定諸国の生産現場で使われている様々な技術や理念を手に入れることも出来る。分析と模倣と改良と拡大再生産が合衆国産業界の得意技であり、国家間の技術交流が健全な状態になれば現在の遅れも10年かそこらで取り返せる筈だ。
 現に日本帝国は十年足らずの期間で爆発的な成長を遂げている。詳しい理論や具体的な手法の要諦までは漏れてきていないが、日本国内に新設された大規模工場の生産現場で革命的な変化が起きていることは、この会合の面々の耳にまで届いていた。

 「あれは東洋の特殊な条件があってこその事例ではないか? 参考になるとは思えん」
 「今世紀の初頭にも聞いた言葉だな。思い出したのはそれから10年ほど後のフランスでだが」

 日露戦争において明らかになった永久陣地の防御力、特に歩兵突撃に対する機関銃の突破阻止力は各国の観戦武官らによって本国へ伝えられたが、受け取った側は全く考慮しなかった。ロシアと日本の間だからこそ起きた事例であり、文明国の戦争には関係ない、と。
 その結果、欧州の戦場で屍が地を埋め尽くすことになった。

 確かに日本帝国の経済成長は狂気の大規模公共投資あってこそであり、皇室財産を担保にして内貨の裏付けとするという日本独自の成功要素があってこそではあるが、合衆国には合衆国にしかない長所がある。
 戦争を止め現政権が退陣すれば合衆国政府がケインズ教授を再雇用することも可能であり、そうなれば戦争なしで充分に経済発展できる筈だった。

 ニューディール政策にしても途中までは上手くいった。成功の一歩か二歩手前、永続的な景気回復の寸前まで到達できたのだ。
 景気回復の目が出た時点で緊縮方面へ政策を切り替えるという誤断さえなければ内需拡大と共に経済成長が起き、戦争などやるまでもなくなったであろう‥‥という意見は未だ根深く存在する。
 なお、浅い地層の根は大物を残して引き抜かれ、意見を述べた者はそれを直接の理由としていないが大概が墓か檻かあるいは取調室の中へ入っている。この場にいる、身なりの良い男達は太すぎてホワイトハウスの住人達にも引き抜けなかった部類だ。


 「それがジャッ‥‥日本人の利益になるとは思えないが。何を取り引き材料にするつもりだ?」
 「合衆国の労働人口は4000万人を超える。これは日本帝国のそれを超える数だ」

 数は力であるが質の問題も忘れてはならない。野球のルールを知らない連中を幾ら集めたところで試合を始めることさえできない。何かを為すには最低限の保証が必要だ。
 この点、合衆国の労働者は非常に優秀である。文明国であるからには当然であるが、物理的な意味で労働に適していない子供と老人を除く人口層のうち7割以上が労働や契約や法規の概念を理解しているし、更にその内の7割以上がそれらの概念を遵守できる能力を持っている。

 喩えるならば野球の練習場へやってきた連中へ「バットで人を殴ってはいけない」ことから教え込まねばならないのが、文明国とか一等国とか呼ばれる国家以外の国民である。教えようとすると持たせたバットで殴りかかってくるなら二等国、バットを持たせた瞬間に殴りかかってくるのが三等国だ。
 下には下があり、四等国ぐらいとなるとそもそも練習場にやって来ることすらない。四等国以下の国民には時刻とか約束とか所有とか対等とか親交とか遊技とかの概念のうち幾つかが、甚だしきはその全てが存在しないのだ。

 そんな連中までも使っているというか、使わねばならないのが日本帝国の現状であった。属領を含め一億以上の勢力圏人口を誇る日本帝国の労働力は実を言えばかなり危険な、いわば爆弾を抱えている状態なのだ。
 だからこそ日本帝国は欧州やロシアなどから人身売買じみた手段を使い移民を集め続けている。
 その日の飯にも困る難民でも一等国の文明人であれば、いや二等国や三等国の流民であってさえも四等以下よりは望ましい。文字通り話が通じるだけ、まだマシだ。


 日本の資本家にとって合衆国の労働人口は脅威であるし魅力的でもある。合衆国の生産力と消費力は充分に取り引き材料となるだろう‥‥と身なりの良い男達は結論付けた。

 合衆国の一般的な労働者は労働と法治の概念を理解できるし遵守もできる。少なくとも遵守する範囲を間違えない者の方が間違える者よりも多数派だ。小学生であっても、合衆国では渡されたバットで即座に殴りかかる者はそういない。
 文明人であるならば、手にしたバットで殴りかかる前に相手の実力や人数を調べておくのは当然だ。特に銃器携帯の有無を。


 「諸君、戦争を止める意味と意義についてはこれで全員の了解を得られたと思う」
 「次はその具体的な手段となるが、選挙では拙かろう。時間が掛かりすぎる」

 この会合に集まった男達は合衆国の真の所有者であり、ホワイトハウスの住人にとって大家に当たる。選挙によってもそれ以外の手を使っても、家主に利益をもたらさない住人を貸家から追い出すことは容易かった。
 しかし合法的かつ公明正大な手段を使うには時期が悪い。次の選挙まで待っていては手遅れになる。

 「ならば、暗殺か?」
 「その手もありだな。難しくもない」

 世紀の大戦略家であり人類史上最大最強の独裁者であるフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領も、所詮は政治家に過ぎぬ。
 全盛期オスマン帝国の皇帝が足元にも及ばぬ専制者ではあるが、政治家である以上は宮殿の奥深くに籠もっておくことはできない。必ず外に、納税者達に選ばれたという建前を守るため市民の前に出なくてはならない。
 故に政治家は暗殺されやすい。それが嫌なら名実ともに独裁者として選挙を停止させ常時身辺に親衛隊を貼り付けておく必要がある。

 「選択肢の一つとして残す事には賛成だが、私は別の手を推したい。博士、説明を」

 これまで発言の少なかった身なりの良い男の一人に促され、白衣の老人は車椅子を一歩分ほど前に進めた。
 短い自己紹介に続いて放たれた言葉は爆弾なみの効力を発揮した。

 「端的に申し上げましょう。現在ホワイトハウスにいる大統領は偽者です。少なくともあなた方が知っているルーズベルト氏とは別人です」

 白衣の老人が提示した資料の一つである、当代大統領の診察記録簿(カルテ)の複製には年齢の割には健康な男性の医療的情報が記されている。

 「これは本物なのか!?」

 身なりの良い男達の一人、高速インクジェット複写機で印刷された書類をめくっていた人物が資料に添付された写真の一枚をを見て、血相を変え立ち上がった。

 「何か気になる事でもあるのかね? 素人目にはとりたてて問題ないように見えるが」
 「デラノのご老体は下半身不随なんだ。本物ならな」

 同じ資料を眺めつつ疑問を口にする隣の男に、立ち上がった男は抑えた声で応えた。
 事実である。殆どの人物、米民主党の幹部ですらその大半は知らない、知らされていないことだがルーズベルト大統領は1921年に小児麻痺を患い、以来下半身が動かなくなっていた。
 その状態で、しかもその情報を世間の殆どに秘匿したまま大統領をやっていられる事だけでもルーズベルト氏の手腕が凄まじいものだと理解できる。
 合衆国の市井で大統領が不具者だなどと言ったところで誰も信じないだろう。この場にいる会合参加者にすら、半信半疑の者がいる程だ。


 本職の医者が書いている以上、診察記録には正確な情報が記されるはずである。車椅子を常用している人間と普通に立って歩ける人間とでは身体つき一つ取っても大きく異なるはずなのだ。
 筋肉は使わなければ弱まっていくものであり、長年車椅子を使っている大統領の腿や脹ら脛が写真のような太さを保てる訳がない。

 「そういえば大統領夫人(アナ・エレノア・ルーズベルト)から、ここ暫く夫君と会ってないと聞いたな」
 「前からだろう、それは」

 当代の大統領夫妻がそれぞれ配偶者公認の愛人を抱えていることは、大統領が車椅子を使っていることよりは広く米国の上流社会に知れ渡っている。貴族の当主夫妻なら珍しくもない生活様式だ。

 「いや、子供達とも顔を会わせたがらないそうだ。電話も直ぐにきりあげられるとか」
 「ふむ。病気か何かで影武者(DOUBLE)を使っているとしても、家族にまで隠すのは変だな」

 当代の大統領夫人もまた史上稀にみる水準の政治的傑物である。特に福祉や人権運動においてその功績は絶大であり、もしも彼女がいなければ合衆国の工場や事務所で働いている女性は現状の半分以下になっていただろう。
 大統領夫妻の仲が家庭人としてだけでなく政治的な意味でも冷え込んでいるという話は前々からあった。エレノア夫人は日系人の強制収容に反対していた、いや現在でも反対し続けているからだ。

 人権思想的な信念だけでなく、外交や内政面の損得を計算した上で大統領夫人は強制収容政策の中止を主張していたのだがこの問題について両者に妥協は成立しなかった。
 以後も大統領夫妻は政治的盟友であったが、その距離は次第に離れつつある。エレノア夫人は講和論に傾きつつあるのだ。

 もしも、政治的な意味からではなく大統領、いや大統領に扮した何者かがエレノア夫人を遠ざける為に関係修復を避けているのだとしたら?


 「なるほど、興味深い情報だ。確認する必要があるな」
 「うむ。私はホプキンス補佐官と連絡をとってみよう」

 大統領が重篤状態もしくは死亡済みであるなら事実を公表するだけで事態は急変する。合衆国行政府の人員総入れ替えも容易だ。そうなれば停戦に近づける。
 そこまでいかずとも健康不安をつついて退陣させることを狙えるかもしれない。

 現大統領が就任して8年以上が過ぎた。そろそろ上から退いて欲しいという欲求が溜まっているし、初代から続く「大統領は二期まで」の政治的禁忌を気に掛ける者も少なくない。
 万人に支持される政治家などいる訳もなく、現大統領はその偉大さに比例して敵意と憎悪も集めている。雑草を毟るとかえって増えてしまう事があるように、弾圧を繰り返せば叛意の根が残るのだ。

 統計上、殺人事件において被害者が人妻であった場合、加害者はその夫であることが一番多い。
 被害者が誰かの夫であった場合、加害者がその妻であることも一番多い。
 被害者が未婚である場合、加害者はその親であることが一番多い。被害者が幼ければ幼いほど、特に。
 カインとアベルの昔から人は身内で争っている。20世紀の近代戦においてすら、戦死者の3割程度は味方の弾で死んでいるのだ。いや、身内だからこそ、か。 

 現大統領の側近の中にも大統領の失脚や破滅を望んで獅子身中の虫となっている者が少数ながら存在する。紀元前後のローマであれ20世紀のアメリカであれ、皇帝(独裁者)とはそんな存在だ。
 そんな誰かの一人が持ち出した情報を、この頃大統領に冷遇されていると評判の某将軍が手に入れた。機を見ることに敏であるその将軍は伝手をたどって車椅子の老科学者を動かし、この会合に情報を売り込んだのだ。


 「それで、君の望みは何かね? 将軍」
 「私は出世したいのです。地位と権限がもっともっと欲しいのですよ」

 白い軍服の男は穏やかに言葉を放った。大の男の咽から出ていることが信じがたい、少女のように細く高い声だ。
 これで必要とあれば爆撃機に乗り込んでの陣頭指揮どころか、先頭に立っての敵陣突入も辞さない猛将なのだから人間とは解らぬものである。
 ただし後世でこの男を名将と讃える者は少ない。指揮官としても作戦家としても兵站屋としても並はずれて優秀な人物だが、軍人としてどれ程の美点があろうと戦略爆撃教の原理主義者であるという一点で台無しだ。

 「では合衆国空軍総司令官でどうかね。空軍の設立は戦争終結後になるだろうが」
 「悪くありませんね」

 男達の視線が頷いた軍服から白衣の方に切り替わる。

 「博士、貴方の研究には引き続き投資させて貰おう」
 「ありがとう。大事に使うよ」

 老人が現在行っている研究は基礎的なものであり、発展させたとしても合衆国の勝利には直接的に貢献しないであろう。
 現時点ではこの場にいる殆どの者の利益にもならないが、科学の発展には貢献できる。そんな段階の研究である。
 もう少し詳しく言えば、地殻の構造をより詳しく速やかに調べ解析するための理論と手段そしてその実践証明だ。今はともかく研究が進みさえすれば莫大な利益に繋がると期待されている。油田の類がより見つけやすくなることは確実だ。 





     ・・・・・
 「







 エンパイアステートビル炎上事件。
 1941年6月10日午後2時20分ごろ、同ビルディングの96階付近に空中給油の訓練中であった陸軍爆撃機B17が墜落激突した事件である。

 爆撃機は爆弾こそ搭載していなかったが、給油する側の機体であったため通常の機体が満載した状態より更に3トン以上の余剰燃料を乗せていた。
 この過剰搭載が事故の直接的原因であるが、墜落機の機長が家庭での事案に苦しんでおりLSDなどの薬物を常用していた事などから、身心の健康問題を抱えた飛行士官を機長にしなければならなかった人材不足こそが事故の本質的原因であろう。







 ‥‥というあたりで、どうかな? 後世に残す記録としては」

 そう言って、白い軍服の男ことカーティス・エマーソン・ルメイ少将は振り返った。
 彼が直前まで見ていた超高層ビルは最頂階から数階下あたりの壁面に大穴が開き、屋上まで火が達し燃え盛っていた。消火活動が行われているが殆ど効果がないようだ。
 航空燃料を過積載した状態の大型爆撃機がビル内部へ突入し炎上したのだ、ちゃちな放水装置などで消せる火力ではない。


 「なにを暢気なことを。あと数分遅れていれば我々も一緒に焼けていたのに」
 「それはない。引き際を間違えたりしないさ、私ならね」

 爆撃機が激突する15分ほど前に、部外者両名は会合の場から離れて難を逃れた。現在は広場に停めたリムジンの車内で火事の様子を検分している。
 念入りな事前工作の甲斐あって、火事の勢いは非常に強い。会合メンバーの生存は絶望的であろう。

 会合の場から離脱する際のさりげなさ、そして途中でエレベーターを乗り換える位置と時期の妙によりこの二人だけは炎と爆発から逃げのびることができた。普通に、いや誰がどう考えても九死に一生を得た奇跡的離脱であり、ルメイ少将がこのテロ攻撃の立案者だとは思わないだろう。あまりにも危険すぎる。

 ルメイ将軍は必要なら何でもする部類の将校だが、己の命を無駄に的とする嗜好はない。つまりこの作戦、先程開かれていた終戦工作派の抹殺は彼にとってどうしても必要だったのだ。
 終戦あるいは停戦を目論む者たちのなかでも、最も有力な集団の一つが先程の会合参加者たちだった。放置しておけば本当に現政権を転覆させ、戦争を停めようとしてしまったかもしれない。

 「私は私好みの戦争をしたい。その為に権限が欲しい。貴方が自分のしたい研究をしたいようにね」

 野球で喩えるならば、州大会を苦闘の末に勝ち残り「いざ全国大会へ! 優勝するのは俺達だ!」と意気込む球児達にその後援者が「全国大会は辞退しろ、代わりに来年度の予算を一割上げてやるから」と言い出せばどうなるか、ということだ。
 そんな後援者はいらねえ! と公言はしないが密かに後援者の排除を目論んで、実行して、成功してしまうのがルメイ少将であった。

 合衆国陸軍の航空隊は大所帯であり、人が大勢居れば変わり者も多くなる。なかには同性と裸でベッドに入りしかもそれを写真に撮る趣味を持ちながらその写真を隠し通せなかった者や、妻子の素行不良が世間に露呈すれば本人が社会的に終わってしまう事態になるまで家庭を顧みなかった者もいる。
 それらの変わり者たちを特定の爆撃機に集めることも、アレコレの証拠を隠蔽し噂にもならぬよう揉み消すことも、身内である陸軍航空隊の高官ならばできる。そしてやった。ルメイ少将は滅多に見ないほどに有能な軍人なのだ。


 白衣の老人は国家予算を使い放題に使って研究をすることを望んでいて、その為なら現在の後援者を売ることも躊躇わなかった。あまり共通点のない二人だが、やりたいことをやるために生きている種類の人間である点では一致している。
 一致しない点の一つは、ルメイ少将は必要とあれば、彼が彼好みの戦争をするために必要ならば何でもやれてしまう存在だが老人の方はそこまで器用な生き方は出来ない、という点だ。

 だから二人は手を組む必要があった。
 合衆国の真の支配者たち、そう名乗るに充分な実力者達を特定の場所と時間に集めるために。


 ニューヨークで一番高いビルはまだ燃えている。
 土地を開墾して農地に変えることは重労働である。なかでも面倒くさいのが木の根の処理だが、労力を節約するには燃やすのが一番だ。
 太すぎて抜けない根も切り株ごと焼き払えば土を耕しやすくなるし、燃やしたあとの炭と灰は肥料になる。今日焼けたものの燃えかすもまた、新たな土壌を豊かにしてくれるだろう。

 「馬鹿は死んでも治らないとはこのことだ。今更止められる訳がなかろうに」

 ルメイ少将は再び火事の様子を眺め、肩をすくめた。
 戦争は始めるより止める方が億倍は難しい。この数字は誇張ではない。前大戦は極論すれば「一人の馬鹿がサンドイッチを食っていた」から始まり、一度起きてからは何億もの人間が奔走しても止まらなかった。誰も彼もが疲れ果て動くのも嫌になってようやく止まった。

 強制収容とその後の処置により、既に30万人に及ぶ日本人と日系人が駆除されている。処理は現在も粛々と進められているので、残る数十万人も遠くないうちに死に絶えるだろう。
 あくまでも政治的方便として提唱された筈の収容と弾圧は、今や完全に手段と目的が入れ替わっていた。合衆国内の意思統一のために行われていた日本人狩りは、弾圧のために弾圧を行う状態となっている。

 日米の戦争が絶滅戦に移行したからには、大統領の退陣程度では収まらない。日本人だけでなく、収容政策の巻き添えになった日本人ではない東洋人やインディアンも相当数死んでいるのだが、それは日本人の怒りを増すことはあっても減らす要素ではない。

 戦場で将兵が死ぬことと、収容所で女子供が死ぬことは同じ事である。
 どちらも国家が計画的に行った殺人行為だ。
 しかし何故か多くの人々が、同じ死であるのに後者をより問題視する。日本人もそれは変わらないようだ。

 戦争を国家ではなく人種単位文明単位での闘争と捉えるならば、積極的に女子供を戦場でない場所で殺すべきである。その方が簡単だし効果も大きい。
 毒蛇を根絶したいのなら、籔という籔を手当たり次第に叩いて親蛇を見つけだして殺すよりも巣を見つけて卵のうちから焼き払うべきだ。バプテスマのヨハネことウィリアム・ランドラム・ミッチェル准将はそう言っていた。
 毒蛇と違って日本人の巣穴が何処にあるかはもう解っているのだから、あとは焼くだけである。


 いま摩天楼の最上階付近で物理的に燃えている人々が出そうとしていた懐柔策は逆効果にしかならない。確かに大概のものが金銭で買える、しかし逆に言えば端金では何も買えないのだ。
 経済的利益を講和の材料とするのは定石だが、それは相場を遙かに上回る高額を出せばの話である。半端な金額で示談を試みれば相手を怒らせるだけだ。

 どの程度が大金でどの程度が端金かについては人によって違うが、合衆国の貴族階級が東洋の蛮族しかも本国から見捨てられた棄民一人あたりに対して付ける値段がどちら寄りかは、言うまでもない。合衆国基準でさえも。
 彼らを擁護するとしたら、棄民云々についての認識は間違っていなかったのだ。日本帝国が列強とは名ばかりの貧乏国で、移民達を切り捨てていた十年前ならば。

 金銭でどうにか出来る段階はとうの昔に過ぎてしまっている。人は恩恵を容易く忘れるが怨みはしつこく残るのだ。初接触以来一世紀近くかけて積もり積もった怨念を、鉄火以外で晴らせる訳がない。
 その怨みの一つ一つならば、例えば日本の理化学研究所が発見し大量生産を可能にした新型抗生物質が、合衆国内では論文を丸ごと複写して国内の学会で発表した化学者の発明とされてしまった事件だけなら金銭と当事者への社会的制裁だけで済んだかもしれないが。

 塵も積もれば山となる。

 自分の論文が名前だけ入れ替えられて他人の功績にされてしまった学者の怨み。
 自分の発明品の特許料を剽窃した側に支払わねばならなかった発明家の怨み。
 自社製品の商標を勝手に貼り替えられたものがアメリカ製品として販売され、しかもそれを詐欺行為として訴えられ、なぜか裁判に敗れ、貼り替えた側に賠償金を支払わされた企業の怨み。
 排日移民法により、苦労の末に開墾した土地を奪われた農場主の怨み。
 為替相場の差違を突いた詐術により金を吸い取られ続け、不平等条約のために法改正すら封じられていた政府の怨み。
 東京湾を白色艦隊に占拠され、皇居へ主砲を向けられるという挑発を受けた海軍の怨み。
 洋上で難破し、通りがかった米国船へ救助を求めたが無視どころか指を差して嘲笑われ放置された結果乗組員の殆どが乾き死にした船乗りの怨み。
 チャイナの都市で近親者をなぶり殺しにされた上にその遺体を「日本軍によるチャイナ市民の虐殺」の証拠と喧伝され晒し者にされた遺族の怨み。

 一つ一つを書き記せば本棚を埋め尽くしてなお余る量になる、様々な怨念が凝り固まって『G』と呼ばれる組織が産まれたのだ。そして新たな怨みを食って育ち続けている。
 たとえば忠誠を誓った新たな祖国に裏切られた日系人が、屠所の豚のように殺され全てを奪われた怨みなどが。
 平均的な合衆国人にしてみれば不条理そのものな、逆恨みというしかない感情であるが理非が通じないから蛮族なのである。

 負けることも奪われることも騙されることも罪だ。その罪は勝てるのに戦わないこと、奪えるのに毟り取らないこと、騙せるのに欺かないことよりも更に重い。
 弱く愚かであることより重い罪はない。侵略される罪は侵略しない罪より重い。負けた方が悪く、悪いから負けるのだ。

 成果を横取りされる無能者、論文の剽窃を止めることもできない弱者が学会に出ること自体が間違っている。自分すら守れない者が生きていようとすること自体が間違っている。
 救助を拒否されたなら殺してでも船を奪えば良いではないか、生きようとする意思を持たぬ者には見捨てられたことを恨む資格すらない。

 しかし、この単純な理屈がエンペラーの下僕として飼い慣らされた日本人達には通用しない。だから逆恨みするのだ。
 塵は風で消し飛ぶが怨みは生きている限り、怨みを語り継ぐ者がいる限り永遠に残る。合衆国がインディアンへそうしたように、怨みを消したければ相手を物理的に消し去るしかない。


 「戦争には相手がいるんだ。敵には敵の都合がある」

 人種間戦争を始めたのは日本帝国側であり、向こうにはその意識がなかったとしても日米の戦争は人種問題と切り離せなくなった。
 敵の問題が解決あるいは決着しない限り、戦争は終わらない。故に戦略爆撃は正しい。
 政治思想的に共産主義とは相容れないルメイ将軍だが、クレムリンの主だった人物の言葉には頷かされる部分があった。
 人類社会の問題は、詰まるところ人間が存在するからこそ発生する訳であり、人間が死滅してしまえば問題は存在しなくなる。

 七族共和だろうが八族共和だろうが、日本帝国の政策は合衆国から見れば人種汚染であり文化侵略である。
 日本人の魔の手は世界各地に伸びている。共産主義とコミンテルンの活動を恐れ、憎む彼らだがやっていること自体はさほど変わらない。

 流石にクレムリンと違って、ゲリラ部隊を編制して仮想敵国内で戦闘や破壊工作をさせたりまではしていない。
 しかし留学と称して各国各地域の不穏分子を日本国内に招き、テロと軍事の教育を施すことはやっている。これはと見込んだ逸材には帰国後も資金投入などの支援を絶やしていない。
 今次大戦では日本で訓練された工作員がインドや東南アジアで大暴れした。それら元留学生で、各地の傀儡政権で重要な地位に就いている者は非常に多い。

 合衆国内においても、日本帝国の「啓蒙活動」や「人道支援」に感化された勢力が蠢動している。特に南部地域では「でぶ(FAT MAN)」だの「小僧(LITTLE BOY)」だのといった符丁を付けられた工作員が何年も前から暗躍していた。
 無法は無法を呼ぶ。反乱の扇動も偽札の大規模製造も宣戦布告の理由に充分な、無法の極みだ。米民主党内の過激派が絶滅戦争止むなしと思いつめてしまうのも無理はない。

 彼ら継戦派は、負ければ絶滅させられるのはこちら側だということに気付いているだけマシだ。
 停戦派は、本日焼いた人々はそこが解っていなかった。絶滅戦争を行う意味を。
 合衆国が中南米諸国へ日系人や在住・滞在日本人の引き渡しを要求し、従った半数ほどの国々から送られてきた人々を強制収容所に入れ、合衆国内の日系人達と同様に処分してしまった以上、穏便な講和など不可能だ。

 今は未だその事実が敵国へ詳しく伝わっていない。日本帝国内で、強制収容所に関する情報を手に入れた者たちの半数は与太話と笑い飛ばし、残り半数は信じた者もそうでない者も念のために裏を取ろうとしている。
 もし停戦が成れば、日本帝国は人質にされている筈の日系人や日本市民の釈放と安否確認を求めてくるだろう。講和交渉を進める限り、その要求を惚けきることはできない。

 何故、絶滅戦争をしていた相手が素直に交渉の席に着き、合衆国側の都合しか考えてない要求を唯々諾々と聞き入れると考えられるのか、白衣の老人には理解できない。
 猫とネズミが追い駆けっこをするアニメーション映画でもあるまいし、追い込まれた側が両手を上げれば追い込んだ側が条件反射で止まってくれるとは限るまい。
 チャイナや太平洋そして北米本土で、合衆国人が軍民の区別なく両手を上げた者達へ為した事を、向こうにやり返されないと何故思い込めるのだろう。

 一般的な女子高生が「日系人のなめし革をシェードに張ったランプの灯りで前線の恋人へ手紙を書く」ことと「恋人の兵士が返信と共に日本兵の骨を軸に使ったペンを送る」ことが愛国美談として新聞に挿し絵入りで掲載され、しかもそれが大した話題にならない国で生まれ育った人々とは、そのあたりの感覚が違うのだろうか。



 この戦争は止められない。何らかの決着が着くまでは停めようがない。
 負ければアメリカ合衆国は滅びる。負けないだけでも滅びる。勝たない限り滅亡あるのみ。
 今の情勢で講和したならば日本帝国は最低でも合衆国へ、彼らが想定する完全な平等を要求するだろう。そうでなければ彼ら自身も戦争を止められない。

 そうなれば合衆国は分解する。
 合衆国の国家理念は自由と民主主義だ。自由と平等は相容れない。他はともかくアメリカ人の自由と日本人の平等は絶対に相容れない。
 合衆国の国情に平等は合わない。日本国内でならば問題ないのかもしれないが、北米大陸で名実ともに揃った人種平等を行政レベルで達成すれば社会が崩壊する。

 たとえば人種間の平等が強制されるようになった社会で、白人と黒人が同じ乗り合いバスに隣り合って座るようになったとき、どうなるか。
 発砲事件だけでも今の百倍は起きるだろう。法の信用が亡くなるからだ。

 確実にそうなる。人種平等の建前どおりに、司法の場にも黒人や東洋人が入り込めばアメリカの正義は死ぬ。
 能力的に実行可能かどうかはさておく。
 可能だと仮定して、黒人の検事や裁判官や弁護士がまともに裁判を行う訳がない。容疑者が白人であれば「白人である」というただそれだけの理由で有罪とされるであろう。
 結果、社会から法と秩序は失われ北米地域は無法と理不尽に支配される。行き着く先は良くて内戦、悪ければ文明崩壊だ。

 無論のこと日本帝国は北米がそうなることを、最低でも合衆国が二度と覇権を目指せない程度には弱体化してくれることを望んでいるのだ。
 彼らの国是は有史以前から攘夷である。攘夷を一言でいうなら「自国勢力圏内における他国勢力の駆逐」であり、それは自国以外の全ての国家が衰亡することでのみ達成されるのだから。
   

 車椅子の上で、白衣の老人は肩をすくめ頭を振った。

 「ところで将軍、本当に新しい出資者へ口利きしてくれるんだろうね?」
 「約束は守るよ。予算が降りるかどうかは貴方の研究内容と説明手腕次第だが」

 それは問題ない、と老人は胸を反らした。大統領派でも副大統領派でも、これが日本帝国の勝利を阻む唯一の策だと判断するであろうことを彼‥‥ニコラ・テスラは確信している。

 戦争は個々の損害や戦果ではなく、目的を達せられたかどうかで勝敗が決まる。何をもって勝利の条件とするかを変えてしまえば、勝ち目が見えない状況を変えられる。
 合衆国の覇権成立と永続ではなく日本帝国の覇権阻止を狙う者なら、テスラ博士の研究に飛びつくだろう。

 後の歴史に残る通り、博士の予想は当たった。ホワイトハウスの間借り人達は彼の提案に飛びついた。




続く。
 


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