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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その十九『上海の夜』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/14 12:16






            その十九『上海の夜』





  【1941年5月22日 21時00分 チャイナ南部 長江下流地域 上海市】




 文明は天から降ってこない。火山の火口から湧いてくるものでもない。
 平地に生えるものである。

 より正確に言うなら適度に温暖で必要水準以上に肥えた土壌を持つ、河のほとりである平地に生える。
 乾燥した土地では駄目だ。寒冷な土地では駄目だ。万年単位で氷河の底だった痩せこけた土地も駄目だ。平地が狭すぎても駄目だ。平たすぎて水が流れず溜まってしまう広いだけの土地も駄目だ。
 更にいうなら土地に適した栽培作物も要る。育てやすく大量に収穫でき栄養豊富で保存性の良い作物が。
 大量にそして安定して供給でき、長期間保存できる食料がなければ文明は育たない。
 
 文明とは即ち余裕である。金銭に喩えるなら可処分資産だ。
 それは人間社会の活力が積み上げられ結晶化した精華なのだ。早い話が余剰食料、特に栽培効率と保存性に優れている稲科穀物の備蓄である。お薦めは米か麦かトウモロコシか、穀物ではないが甘藷と馬鈴薯だ。粟や稗や黍などその他の作物でもまあ、文明を作れなくもない。

 繰り返そう。文明の本質とは食料の余剰備蓄である。食料の余裕が商品と市場を生み出し、経済の根本となり技術を育てるのだ。
 食料が豊富にあるからこそ人口が増える。備蓄があるからこそ社会の分業化が進み専門職が誕生する。
 大勢の専門職が競い合うから技術が高度化し、より高い作業効率をもたらすために知識基盤の大規模共有化がなされ、学問が体系化される。
 そして集落が大規模化し都市となる頃には、生活効率の維持と向上のために倫理を規定し徹底させるべく宗教組織が結成され教義が定められる。

 文明の本質が余裕である以上、極地などで高度な文明が育たないのは当然なのだ。
 アラスカやグリーンランドの原住民が摩天楼を作らないのは、彼らが無能だとか怠惰だとかそんな理由ではない。むしろ充分以上に有能で真面目である。そうでなければ餓死か凍死が待っている。

 極地の自然条件は厳しすぎる。間抜けが生き延びることは不可能だ。
 逆に言えば大量の間抜けが生き延びられる土地であるからこそ文明が育つ。文明は生存に直接寄与しない間抜けたち、直接的には生産性へ寄与しない異能者たちが駆り立て加速させるものなのだ。そう何処までも。
 食うや食わずの生活をしているものが歌舞音曲にうつつをぬかせる訳もない。より良い生活、より高い生存確率を得るための資産蓄積や技術開発ですら、厳しすぎる環境では成果を出す前に潰えてしまう。

 現在、いや過去も未来も含めてその痕跡を残すであろう文明というものは、開けた土地と充分な水量と優秀な農作物そして過酷すぎない生態系という、恵まれすぎた条件の下に育ち華開いた存在なのだ。
 少なくない人々が、特に文明国とか列強とか呼ばれる地域の恵まれている人々は忘れがちだが、人が生きていけるという事はただそれだけで奇跡に等しい。気楽に生きていける環境となれば奇跡の自乗である。
 もしもサハラ以南のアフリカ大陸にマラリア蚊とツエツエ蝿が生息していなければ、人類史が激変していたことは間違いない。ひょっとしてら現世人類(ホモ・サピエンス)の紡ぐものではなくなっていたかもしれない。


 そういった視点に立てば豊かな土壌に雄大な河川が流れるこの土地は、文明の保育所としてなかなかの優良物件だった。
 実際に古代から大勢の人々が集まり、文明と呼ぶに充分なものを作り上げ保っている。





 ある土地において有力な商品が、地域や国家に名産品や特産品というものが存在するからにはその逆に産出しない、あるいは産出はするものの高価すぎて競争力のない商品が存在するのも理の当然である。
 ある地域では露天の鉱床から只同然の経費で掘り出せる資源が、海を隔てた隣の地域では必需にして希少な高額物資であることすら有り得る。
 価値の差が存在するからこそ貿易が成り立つが、完全に自由な貿易が行われれば競争力のない国内産業が崩壊してしまうだろう。

 たとえば国内の製鉄所で転炉を回すよりも外国から屑鉄を買ってきて溶かした方が安上がりで高品質‥‥となる国では鉄屑を買う製鉄業者の方が多くなる。経済原則から見れば高くて低品質な商品に拘る業者は淘汰されてしまうし、されるべきだ。
 しかし国防の面から考えれば国内産業は保護されねばならない。カルタゴの例を見るまでもなく、存続に関わる事業を切り捨ててしまった国家は滅びるしかない。

 故に関税というものが出来る。自国産の商品が100ドル、外国産の同じ商品が50ドルならば後者に100%ないしそれ以上の輸入税を掛けて自国商品が価格負けしないようにする訳だ。
 結果として租界が生まれた。そこはチャイナであってチャイナではなく、列強が支配するが列強そのものではない。
 そこには関税がなく、全ての商品が素の競争力で晒される。だから世界中から商人が集まり、金銭次第で何でも手に入る。ただし、手に入れたものを無事持ち帰るには金銭以外のものが必要になることもある。


 此処は上海。魔都と呼ばれるチャイナ最大の租界。
 港には世界の全てから船が集まり、市場にはあらゆるものが商品として並ぶ。

 屋台に山積みされた色とりどりの飾り帯と色紙は、先月あたりまで残っていた菓子折包みの類を包んでいたものだろうか。
 市場に並んでる商品は春物から夏物へと替わりつつあり、服屋では薄手で鮮やかな色彩の綿シャツなどが増えている。
 日本軍放出品の軍手や軍足を扱う露店の向かい側で売られているのは生活機材だ。目玉商品は大村電機の掃除機と宇佐工業の洗濯機だが、おそらくどちらも盗品だろう。同じく電気動力式の扇風機や炊飯釜なども置いてある。

 同じ天幕の下に並べられている古めかしい火のし器具(アイロン)は電源コードこそ付いているものの、その熱源は内蔵される炭火などであり電力は使わない。なのに何故飾りでしかない電源コードが付いているかと言えば、付けたものを電機製品の横に並べておくとこれも電熱式だと勘違いした客が買っていくことがあるからだ。
 骨董品を改造し断線している電源コードをとり付ける労力と在庫が捌ける利益が、釣り合うかどうかは怪しいものだが商売とはそんなものかもしれない。


 泥の付いた野菜が並べられた露店の横には、生きた鶏や猫が入った竹籠を並べた食肉店がある。その更に横の露店で並ばされているのは襤褸を纏い首輪を付けられた少年苦力たちだ。中には明らかに幼児、いわゆる文明国でなら幼稚園に通っているであろう年頃の子供もいる。
 苦力(クーリー)とはチャイナ地域における人夫や労務者のことだが、ここで取り引きされているのは名目上そう呼ばれているだけで実質的には労働奴隷だ。
 僅かな金額で売られ、貧しい食事を報酬として労役に就き、特に理由もなく鞭で打たれる存在である。
 
 百年前の米国南部における黒人奴隷の生活環境は彼らに比べれば楽園に近く、その値段は隣の竹籠の中身よりも平均して安い。
 何もこの都市に限ったことではない。商品価格は需要と供給で決まるものなのだ。悪辣極まりない某帝国主義国家が安値かつ高品質な各種商品を売り捌いた結果、現在のチャイナ地域における人間の価値は漢方薬素材としても急落していた。


 外地から租界に来たばかりと思しき風体の男ども、特に若者を狙ってすり寄る初老の東洋人は数枚の総天然色写真を見本と称してちらつかせ同様のものが入っているという大判の封筒を買い取らせようとしている。
 数十枚入りの封筒は精々菓子パン一つ程度の値段なので迂闊にも買ってしまう者もいる。買い取った解放捕虜らしき白人の若者が内心危惧していたのと違い、中身の写真も見本と同じく半裸や全裸の美女や美少女や、そうではなくとも見る側の好みによっては魅力的な肢体が映し出されていた。
 被写体の人種年齢性別等の要素と傾向は見本の数枚とほぼ一致しており、いわゆる表紙詐欺の類ではない。

 では何処が迂闊かといえば、それらの写真は租界内の書店や購買所で普通に買える新聞や雑誌から切り抜いたものであり、件の売人はゴミ捨て場で拾い集めた古雑誌などから切り抜いた写真を同じく紙塵の中から集めた大判封筒に詰めて売っているからだ。

 この街の住人なら只で手に入る代物に小銭を使わされたことになるが、値段と手間を考えれば詐欺とも言い切れないだろう。
 場末の映画館では更に過激なものが上映されているし、写真なども裏通りで買える。実物が欲しければ娼婦も安値で買える。
 特殊な嗜好あるいは品質や安全性や耐久性を求めだすと値段が加速をつけて上がっていくが、それはどこでも同じ事だ。明日の命を惜しむ者は安娼婦など買いはしない。


 上海事情に疎い新参者を見つけては切り抜きを売りつけようとする男のところにその仲間の東洋人、同郷出身であり元同級生であった同年輩の男がやってきた。
 そして懐から取りだした、日本租界内の屋台から盗んで来たという饅頭を自慢し見せびらかしていたのだがその身振り手振りが大袈裟に過ぎたために、横を通り過ぎようとした中年男にぶつかってしまう。

 はずみで日本人商人の屋台から盗み出された饅頭は路上に落ち、近くにいた機を見るに敏な野良犬が飛びつき咥えて走り去ってしまった。
 その様を仲間にまで笑われた男はぶつかった相手、その場から立ち去りつつあった男に「どこに目をつけてやがる」と掴みかかる。
 だが上下共にジーンズ布の作業服らしきものを着込んだ中年男は振り返りもせずに背後へ手を伸ばし、首根を掴まれた饅頭泥棒は鶏を絞めるかのように頸骨をへし折られて絶命した。
 蝿を払うよりも気軽く人一人を始末した、地味な風体の男は死体を放り捨てるとそのまま歩み去っていく。

 中年男が着込んだ、ジーンズの上着に隠れた両脇下に吊られている大口径回転式拳銃に気付いた群衆は慌てつつも速やかに道を譲った。この通り、いや上海で生き続けたいのなら当然の分別だ。
 捻り殺された死骸は仲間たちが襟首を掴んで路地裏に引きずっていく。
 彼らに仇を討つとかそういった考えは浮かばないし誰もそれを咎めない。牛舎で這いずる油虫が同種を踏み潰した牛に抱くであろう感情しか抱きようがない。絶対的な強者と弱者とはそういうものである。

 一瞬静まりかえった通りは直ぐに元通りの喧騒に包まれた。突然の死などここでは珍しくもない。 



 オーストラリア産の天日塩と書いた幟を立てた塩屋の店先で何事か喚きながら日本軍の軍票を、正確には軍票だと思いこんでいたものを撒き散らしている老人がいる。彼が数ヶ月かけて素人商売に励み溜め込んでいた代用紙幣は日本軍が印刷発行したものではなく、粗悪な偽札だったのだ。当然ながら金銭としての価値は皆無である。
 粗悪品であるから本物と見比べれば紙の質感や印刷技術に一目瞭然の違いがあるのだが、知識がなく感心が薄い者は現物を見比べることすらしない。紙幣に慣れていないのでどれも同じと考えてしまうのだ。
 20世紀半ばになってもネズミ講や寸借詐欺など「なぜそんなのに引っかかるのか?」と端から見ていて不思議に感じる詐欺の被害者は後を絶たない。

 日本軍の軍票は日本本土を除く、日本軍が活動している地域で流通している。チャイナ地域の大都市圏でも当然ながら流通しているが、その価値は平均して額面の8割程で扱われる。偽造しやすい分、本物の円紙幣よりも信用性が低いのだ。
 上海などの日本租界では本物である限り額面どおりの価格で取り引きされる‥‥少なくとも租界内の日本人商店ではそうしないと罰されるので、たとえば租界外で80円相当の商品と交換した100円の軍票を租界内に持ち込み100円相当の商品と交換する、といった方法で儲けようとする者も出てくる。
 そういった手段で端金を稼ぐ者がいれば、欲を出して濡れ手に粟を目論み籾殻だけを掴まされる者も出る。
 
 この老人を嗤う者は厳しく自戒すべきである。別口の馬鹿げた詐欺に引っかかるだろうから。
 いや、おそらくは既に引っかかっているだろう。幸か不幸か騙されていることにまだ気付いていないだけだ。
 付近の店舗から出てきた数人の店員に「店を汚すな糞爺」と袋叩きにされる老人の横で、撒き散らかされた偽軍票を浮浪児たちが拾い集めている。上海には全世界から人が集まるので、偽軍票を受け取ってしまう者は比較的少数派であっても常にいるのだ。もし間抜けが見つからなくても焚き付けぐらいにはなる。



 各露店に並べられた商品は総じて安物であり、やや高額な商品を扱う店舗は天幕の下にある。一例をあげれば安物の瓶や徳利に詰められた白酒や黄酒は天幕の下にあり、露店に並んでいるのは更に安い訳あり品や水増し品だ。
 高級品になると丈夫な壁と屋根に囲われている。同じ割れ物でも銘入りの欧州産葡萄酒や一流銘柄の香水などはこういった店舗でないと手に入らない。
 最高級品となれば要塞じみた建物と軍隊じみた集団に護られる。

 そんな最高級品を取り扱う場所の一つでは、今宵も競り市が行われている。競りに掛けられる商品は実に様々だ。
 客の方も様々であり地元の者もいれば異郷の者もいるし、一目で分かる裏稼業の者もいれば象牙の塔の住人らしき者もいた。

 曰く、最新鋭の米軍戦闘機であるという分解梱包された飛行機のものらしき部品。
 曰く、杜甫の直筆であるという詩の記された水墨画。
 曰く、理化学研究所の実験室から横流しされた新種の抗生物質であるという冷凍された試験管。
 曰く、某藩王(マハラジャ)の秘蔵品であったという大粒のスターダイヤモンド。
 曰く、仏領印度支那から密輸されてきた元は密猟組織からの押収品であるという象牙の小山。
 曰く、沈没した英国艦から引き上げたという電波探信儀の中核部品。
 曰く、物故してから高名となった大画家が青年期に描いた作品であるという子猫の素描画。
 曰く、赤軍の兵器開発局が試作したという新型軍用小銃の実物と部品を数揃い。
 曰く、ダイムラーベンツが製造したものの不採用となったという要人専用高級乗用車。
 曰く、14世紀フランスで活躍した数学者の未公開論文であるという羊皮紙の束。
 曰く、公式には一年ほど前に夭折したことになっている某伯爵家の令嬢(16歳、調教済み)。
 曰く、11世紀初期のウィーンにいた練金術師が精錬鋳造したというアルミニュウム製の杯。
 曰く、東北地方の旧家の藏から出てきたという北海道と樺太と東シベリアの詳細な地形が記された古地図。 
 曰く、変死した大統領補佐官が事故死した某陸軍大将に送ろうとしていた機密文書だという書類の束。
 曰く、大英博物館の倉庫で忘れ去られていた収集品の一つであるという羽毛の生えた生物の化石。
 
 
 どれもこれも現物から出所由来まで怪しげなものばかりだが、本物が混じっていることもある。
 故に、この競り市は今宵日本軍憲兵隊の襲撃を受けるのだが参加者の殆どはまだ何も気付いていない。一部は最後まで気付かないだろう。





     ・・・・・



  【同時刻 上海市 再開発予定地区 元安ホテル 廃墟の一室】



 「検屍の結果は出たのか」
 「ああ。師父の肝臓から異常な量の金属反応が出た、砒素ではないが何か鉱物系の薬物を盛られたことは間違いない」  


 薄暗い部屋の中にいるのは四人。
 一人目は黒い夜会服を着て、夜中だというのにサングラスをかけた中年‥‥いや若い男。まだ三十にはなっていないだろう。
 全身黒ずくめで、手に持っている硝子杯の中身まで真っ黒だ。

 一人目と差し向かいに、小さくて汚れた見るからに安物の円卓へついている男はもっと若く、二十歳かそこらだ。服装は伝統的な胡服姿だが坊主頭であり弁髪は結っていない。

 顔立ちはまったく似ていないが、二人の体型は双子のようにそっくりだった。同じ競技で、同じ階級で、位置や戦法を同じくするスポーツ選手の体型が似てくるのと同じ理由である。同じ理論と方式と器具を使って鍛え上げられているのだ。

 残る二人は男と女だが両方とも扉の両側に立っている。こちらは黒服男の護衛である。

 護衛の内、男の方は一目でそれと解る。2メートル近い大男であり良く鍛えられた筋肉質の体型をしている上に、顔や黒髪を短く刈り込んだ頭には幾つも裂傷を縫い合わせた跡や火傷跡がついている。
 大男は下士官が着る軍服のようなものを着込んでいるが所属や階級を現すものはない。左右の脇の下や腰に付けたホルスターには拳銃やナイフや懐中電灯や予備弾倉が突っ込まれており、更に短機関銃を革紐で吊して肩から掛けていた。

 女の方は一見して護衛には見えにくい。いわゆるチャイナドレス、満州族など北方騎馬民族系の伝統的衣装を淑女用夜会服風に仕立てたものを着込んでいる。当然、裾の切れ込みは深く、細身ながら減り張りの効いた体型が良く解る扇情的な姿である。
 更に言うと容貌も充分に美しく三つ編みにした髪は長く艶やかで眼鏡までかけている。最近流行の、レンズの大きな縁なし丸眼鏡だ。
 武器らしき物体を携帯しているわけでもない彼女は、素人ならば護衛ではなく情人の類と見なすだろう。


 「臨終を見取った医者は誰だったかな」
 「張先生だが半年前に火事で死んでいる。口封じされたのだろう。師父が倒れる前に、張先生の息子が事業で失敗しているが、先生の蓄えを使って借金を返したからな」

 黒ずくめの男、上海裏社会の幹部は硝子杯の中身を飲み干して言った。

 「当ててやろうか。仁医と名高いが金銭には縁がなかった筈の張医師に払えるとは到底思えない金額を、だろう?」
 「そうだ。日本鬼子の差し金であることは間違いない」

 一年と少し前、日本海軍連合艦隊と米海軍太平洋艦隊の水上決戦が行われるよりも数日前の頃、上海で一人の老武術家が急死した。
 死因は脳梗塞と診断され高齢であったことから特に疑問も持たれなかったのだが、最近になって弟子の一人であるこの若い男が帰国して、師匠が毒殺された疑いがあると言い始めた。
 そして周囲の制止を無視して墓を暴いた男は一人で解剖と検屍を行い、重金属系毒物による中毒死と死因を断定した。


 「で、破門した俺に関係あるのか? その話が」
 「師兄、いや今は違うとしても貴方の功夫(くんふー)だけは信頼している。俺についても同じ筈だ」
 「まあな。技量だけでいうならお前が道場を継ぐべきだった」

 事実として、黒ずくめの男が道場にいた頃からこの男は抜きんでた実力を持っていた。留学に出た時点で既に、人間的なものを排除した力のみで言えば道場最強の門弟だったのだ。
 
 「この腕を貸す。十年でも二十年でも貴方のために使おう。だから奴の居場所を、師父を殺した男のねぐらを教えてくれ。貴方なら知っている筈だ」
 「『凶手公』の居場所なら知っているぜ、ウサギが虎のねぐらを知っているようにな」

 二人に武術を仕込んだ老人が最後に試合をした男は、上海いや長江とそれに繋がる地域で「凶手公」や「DUKE OF DESTROY」あるいは「金剛蝙掌」といった二つ名で知られる拳士だった。そして老人が寸止めで負けている。
 物騒な二つ名を持つこの謎めいた男は、出自不詳の流れ者である。
 2年かそれより少し前から上海とその周辺で活動し、見た目は目立たない只の中年男であった。用心棒から刺客まで裏社会の荒事を、気に入った仕事だけ只のような安値で引き受けている。

 ときには本当に無料で動くこともあり、金銭に拘らないらしいが一度引き受けた仕事に関しては完璧主義かつ冷酷非情である。必要とあれば巻き込まれた者の皆殺しさえ厭わない。標的一人を始末するために走行中の列車を編制丸ごと脱線転覆させたことすらある。
 その怪物じみた強さは僅かな時間で伝説と化していて、しかも日々更新中だった。素手でも得物を持っても、負け無しどころか掠り傷を負うことすら稀である。

 特に拳銃の腕は凄まじく二丁拳銃で15人の兵隊崩れを撃ち殺したとか、飛んでくる銃弾を拳銃の弾で撃ち落としたといった噂まで流れていた。
 それらは所詮噂だとしても既に数百人が屠られその大半がヤクザ者や軍閥構成員である。実際の話だれが何を使っても、爆弾まで使っても未だに仕留められていない。

 まさに怪物。一説によればその正体は悪魔に魂を売って不老不死となった魔人であり、高徳の僧に捕らえられ嵩山少林寺の地下へ封じ込められていたが、封印から二百年以上の時を経て清朝政府へ寝返った破戒僧により解き放たれ、少林寺を滅亡させたという。


 「誇大広告極まれり。奴の名は高森直人、大陸では高直と名乗っているが日本鬼子だ。美国(アメリカ)では『東洋の恐怖、マスター・カオ』というリングネームで闇格闘興業の悪役を務めていた」
 「聞いたことがあるな。食い詰めた腕自慢が一攫千金目当てで出ては死んでいる賭け死合だろ。それで負け無しならたいしたもんだが」

 禁酒法が廃止された後のアメリカ合衆国ではマフィアなど闇社会の資金源が酒からそれ以外の娯楽に、麻薬や女や銃や賭博に切り替わった。賭博は格闘技興業でも行われ、地下の闇試合ではどちらかが死ぬまで続けられる文字通りのデス・マッチすら行われた。
 件のマスター・カオなる男はルイジアナ州ニューオリンズの地下闘技場で27戦連勝を成し遂げたものの、鉄板死合となって賭けが盛り上がらなくなったことを嫌った興行主の意向で本物の灰色熊と素手で闘わされる羽目になった。

 その夜のメインイベントは闘いではなく只の食事風景となる筈だった。しかし両者が檻に閉じこめられた途端に会場の地下室が停電し、暗黒の中で電気の流れなくなった柵が破られ灰色熊が脱走。翌朝に熊が射殺されるまで死者35名を出す大騒動となる。
 なお、その大多数は闇の中で恐慌を起こした観客同士による圧死である。数少ない例外となった興行主とその護衛を撲殺したマスター・カオなる男はこの騒動の後姿を消し、以後の消息は不明‥‥と、調査を担当したニューオリンズ市警の報告書は纏めている。
 それが1938年5月のことだった。
 
 「汚い手で半端者を嵌めて功夫(くんふー)が成ったと勘違いしている愚か者だ。正面からやりあえば、師父はもちろんだが俺の敵ではない」
 「ここだ。二階の一番奥の部屋に泊まっている」

 黒ずくめの男は、懐から出した紙切れにとある廃屋の住所を書いて「明日はどうだか解らねえがな」と口にしながら渡した。若い武術家はその内容を憶えると紙切れを返す。

 「恩に着る」
 「待ちな。持って行け」

 上司の合図に従い、護衛の大男は小さな革鞄を円卓の上に置き蓋を開けた。中にはオガクズを詰めた麻袋と、その麻袋を凹ませた空間へ埋め込むように手榴弾が三発入っていた。真新しい手榴弾は野球の硬球のように丸く、鋳鉄製の表面に縫い目のような縄状文様が付けられている。

 「九九式、日本軍の使っている手榴弾で一番闇市に出回っているやつだ。使い方は解るな?」
 「ああ」
 「一発一年。帰ってこれたら使った分だけ腕を貸せ。踏み倒しても良いがその場合は二度と上海に入るんじゃねえぞ」
 「解った。朝までには終わる」

 元同門の男が去った後で、新しく開けた瓶から中身を注ぎつつ黒ずくめの男は護衛たちに尋ねた。

 「で、どうなんだ」
 「彼に勝ち目はありません。そこらの畑で捕まえてきた青虫を猫に嗾けたほうが勝機は高いでしょう」
 「馬鹿かお前? アレが素手や銃や爆弾で死ぬタマなら誰かがとっくの昔にぶっ殺してらあ」

 知識と知性は別物であり、経験が必ず見識となるとは限らない。群盲は象の全体を把握できないが、目開きならば必ず象を理解できる訳でもない。その証拠に、象へ要らぬ手出しをして踏み潰される輩に盲人はまず居ない。
 何も見ても聞いても自分の都合の良い方にしか受け取らない者は、何処にでもいる。


 老人の死が凶手公と呼ばれる男の仕業ではないことを三人とも理解していた。虎や羆がそうであるように、圧倒的強者に毒など必要ないのだ。普通に殴ればそれだけで獲物は死ぬ。

 「あの糞爺の死因が毒殺なら、下手人は誰かってことを聞いているんだ」

 傷顔(スカーフェイス)の大男はアメリカ人のように肩をすくめて、彼なりに会得している捜査の基本を述べた。

 「一に金銭、二に痴情、三四がなくて五に怨恨。殺人事件の動機はそんなものです。毒殺のうえ被害者がまがりなりにも達人と呼べる腕であるのなら、行きずりの犯行である可能性は排除して構わないでしょう」
 「糞爺と銭関係で揉めてて、嫁を寝取られてた奴がいたな、そういえば」

 大道廃れて仁義あり、という言葉もある。道理が通じない時勢だからこそ人徳がもてはやされる。古来この地で徳治が称揚されるのはつまるところ、道理というものが通用しない社会しか存在しなかったからだ。
 世に正義も仁徳もなければ人は金銭と伝手に頼る。
 件の老武術家の門下生で、腕っ節に自信のある者たちが暗黒街の顔役にまで登り詰めた元兄弟弟子と接触を絶やさないことは当然であり、黒服の男の耳にはかつての師匠とその周辺の事情が様々な形で伝わっていた。

 「第一発見者、被害者の身内、被害者が死んで最も得をした者の順で疑うべきかと」
 「全部当て嵌まるじゃねえか。幸せな頭した弟弟子で命拾いしたな、跡継ぎは」

 
 自分から飛び出した道場だ。その主と息子の、骨肉の争いなどどうでも良い。今夜の大捕物から不確定要素が一つ減ったことが大事なのだ。
 「凶手公」の周りには名前を売りたい無謀な連中が有りも掴めもしない隙を狙っている。そこにもっと無謀な者が殴り込みをかければ、人食い鮫の群に機関銃弾を撃ち込んだような狂騒と食らいつき合いが始まる筈だった。

 そうなれば、上海の闇に君臨する無冠の王者が今夜の捕り物とそれに連動して起きる抗争に介入する確率が下がる。最悪でも事前に情報を掴んでいる分だけ被害を他の組織になすりつけ易くなる。だから徒労でも失敗でもない。
 黒ずくめの男はそう納得して、独特の薬臭さを漂わせる黒い炭酸飲料の瓶を空にした。

 「ねえボス。それ、美味しいの?」
 「不味いぞ」

 癖になるがな、と呟いて席を立ち明かりを消して、硝子杯と二本の空き瓶だけを残し三人は闇に消えていった。
 おかげで翌日の朝、この一室に偶然通りかかった浮浪児は真新しいガラス製品を拾い、屑屋に売って得た小銭で温かい飯にありつけた。
  

 


     ・・・・・




  【同時刻 上海市市街 日本租界の外れ】


 既に米国の一部と日本本土のほぼ全域でテレヴィジョン放送が始まっていたが、その両国でも娯楽の王様は未だ映画だった。
 当然ながら上海にも無数の映画館が存在しており、傑作から駄作まで数限りなく上映されている。それらの中でも映画を見るだけなら一番安上がりな施設として野外映画館がある。
 野外に建てられた巨大な白無地の看板、あるいは建物の壁などを銀幕に見立てて映写しているのだ。

 日本租界の端、高い塀と電流の流れる鉄条網でスラム街と隔たれた位置にあるこの野外映画館は観客から直接の料金を取らない。看板の近くに軒を並べた出店や屋台の売り上げで上映者は利益を出している。
 今も看板には日本製の娯楽映画が数カ国語の字幕付きで上映されている。幕末期、19世紀半ばの日本を舞台にした剣劇ものだが何故か場末の一膳飯屋のお品書きにカレーライスがあり、主人公の浪人はカレーを食べると普段の三倍は強くなるという無茶苦茶な内容である。

 しかし考証面以外では至って真面目に作られた良質の娯楽作品であり、普通に人気が出ていた。今も観客たちの多くは主人公が悪党どもを次々と叩きのめしあるいは切り捨てる姿に拍手喝采を送っている。
 人気の理由は出演者の魅力もある。主人公を演じる三船某なる新人男優は活劇場面以外では演技がもう一つで、いわゆる大根役者だったがヒロインを演じる山口淑子なる女優は、日本人でありながら上海でも香港でも最も支持者の多い俳優の一人だった。


 上映中の映画本編には特に感心なく飲み食いと会話に集中している者たちもいる。屋台の列から少し離れた位置に座る四人の若者は、それぞれが持ち寄り買い求めあるいは注文したものを円卓に並べ酒宴を楽しんでいた。

 「では、田と遼の前途を祝して乾杯!」

 音頭と共に打ち合わせた日本製黒ビール入りのジョッキを乾かした四人は同年代、二十歳かそこらであろう。
 みな上海育ちの中華民国人もとい漢族だ。そこそこ身なりが良く、顔つきなどからも中流以上の家庭で育ったことが一目で分かる。
 会話から察するに送別会のような集まりらしい。四人のうち二人、一番体重の軽そうな眼鏡をかけた若者と間違いなく一番体重の重たい赤ら顔の若者が、明日には遠く離れた異郷へと旅立つのだ。

 「しかし大丈夫なのか、田が乗ったら重くて落ちるんじゃないか」
 「なに、僕と教授が軽いから人数で割れば平均的だよ」

 旅立つ二人は上海で育ったし実家も上海にあるが、今住んでいるのは台北である。上海には所属する研究室の教授に連れられて里帰りしているのだ。教授本人としては上海での所用に地元出身者がいると便利だから同行させたまでであるが、人としての常識を一応持っている系統の学者であるので初日と最終日ぐらいは学生たちを自由にさせている。
 二人の恩師、その容姿と気性と、空を飛んでいる時間が長いことから「行者」と渾名されている孫磨覚教授は変人かもしれないが決して不人情な人物ではなかった。

 「それより、本当にこれはいらないんだな」
 「空港で引っかかるからな。なあにアメリカといってもカルフォルニアだ、気楽なもんさ」
 
 友人が円卓の下で手渡そうとした紙袋を、太った若者は押し戻した。ただでさえ漢族に対しては空港などでの検査が厳しい昨今なのに、空港でモーゼル拳銃と実包など預けようとしたら手続きが面倒くさいものになる。
 ついた渾名から分かるとおり彼らの恩師は気が短い。その教え子たちも時間を惜しむが故の空の旅に、余計な手間はかけたくなかった。

 心遣いは有り難いが、正直に言って無用の餞別でもある。
 孫教授ら台北大学第三寄生虫研究室が向かうカルフォルニア州南部は日本軍による軍政が続いていたが、治安は良好であり至って穏やかな場所だった。「ロスは極楽パナマは飯場メキシコ地獄の三丁目」とは当時の新大陸に派遣されていた日本兵たちが謡った都々逸である。
 そもそもカルフォルニアは拳銃の本場なのだ。どうしても必要になったのなら現地で手に入れれば良い。正規の手段でも闇市ででも簡単なものだ。

 無論のこと占領地にありがちな軋轢や問題はいくらでも存在したが、特に問題ないと日本軍や現地住民は捉えていた。チャイナ地域や東南アジア諸国諸地域で磨き上げられた日本軍の統治機構と教本は、北米西海岸でも充分に機能した。
 統治においては攻められる全ての方面からあらゆる方法で攻めたてるのが日本流であり、法と正義の建前に加え札束と物資の実利で叩かれ続けた西海岸は二度目の白旗をあげるしかなかった。
 後世の歴史書ではロサンゼルス駐留軍司令官を評価するものが多いが、今村中将の手腕を考慮に入れても不可解なまでに日本軍の西海岸統治は順調だった。

 米国西海岸諸州、特にロサンゼルスあたりでは己のささやかな誇りのために今日のパンを投げ捨てる者よりも、赤ん坊のミルクのためにとりあえず車庫やクローゼットへ誇りをしまっておく者の方が多かったのだ。
 具体的に言うとカルフォルニア南部の善良な市民たちは、その多くが日本軍や日本帝国へ協力的な地元民への襲撃行為や妨害工作を行うあるいは見逃すよりも通報することを選んだ。
 有効な情報には一報につき100ドルから200ドル、ときには数千ドル以上の高額報酬が支払われたうえに誤報であっても処罰無しという方針であったため日本軍憲兵隊は情報提供者に不足しなかった。
 個人情報は秘匿されているが、現地人通報者のなかには賞金で屋敷を建てた者さえいる。

 日本軍の指導下で組織改革が行われた現地警察の業務効率が以前とは比較にならない水準に上がったこともあり、破壊工作は大掛かりなものであればあるほど難しくなっていた。秘密はそれを知る者が多ければ多いほど保ちにくくなる。
 もちろん破壊工作を知っても通報しない自由を行使した市民もいたし、協力や実行する自由を選んだ市民もいたが後者は速やかに元市民や死人となった。日本流統治は敵と判断したものには容赦がなく、それは場所や相手が変わろうと同じだった。
 

 「まあ、身体を壊さない程度に頑張れよ」
 「解っているよ。いずれは虫害に苦しむ5億の民を救うこの僕が、いま倒れるわけにはいかないからね」

 多くの上海人たちと同じく若者たちも現状を受け入れていた。重慶国民党が分裂解散し、蒋介石が行方不明になり、北西軍閥や山西軍閥など各地の勢力が南京国民党に恭順する姿勢を見せている以上、中華地域の再統一は近い。
 そして再統一が成れば東夷の口出しを聞く必要もなくなる。部外者が中華を引きずり回せるのは内部分裂が続いていればこその話である。これまで繰り返された歴史と同じく、中華統一の暁には自然に華夷の秩序が回復するだろう。
 現に日系の商社が大陸における商取引に占める割合は、ゆっくりとだが確実に下がってきている。上海などの租界でも租界でないチャイナ各地の都市でも、日本人の行商人や個人商店の数は減る一方だった。

 中華帝国の復活は遠くないのだ、何を焦る必要があろう。今はひたすらに力を蓄えるべき時だ。若者が情熱をぶつけるべきことは学問と労働でありテロ行為ではない。そう考える漢族は、上海市内に限れば少数派と呼べなくなってきている。
 とりあえず、彼らの実家は既得権益を保障されているのだからこちらから喧嘩を売る必要はない。もちろん若者達の実家が属する派閥は日本軍と喧嘩にならないよう気を配って立ち回っているし、喧嘩になったときに備えて準備もしているが。


  
 若者たちの卓上から料理が減っていき追加の買い出しに出た頃に、隣の席へ二人の男がやってきた。大柄な、まだ若い白人達である。

 「カツカレーにゴーダチーズを削って乗せてください。付け合わせは福神漬けでお願いします」
 「牛スジ煮込みカレー、刻み茹でオクラ乗せ。あと青梗菜のお浸しを味付けなしで。ピクルスは抜き」

 看板の映像よりも実物の香りに惹かれてであるが、看板がよく見える卓を選んだ二人は隣の売店に声を掛けで席に着き注文した。英語で声をかけられた、まだ中学生になるかならないかであろう金髪の少女は注文を復唱して伝票に書き付け、複写された控えを置いて厨房へ滑り去っていく。
 彼女の店は料金後払いである。この意味を本当に理解しているなら上海生活初心者卒業だ。

 「静かだな。幽霊かと思ったよ」

 随分とテキサス訛りが強かった女給の後ろ姿を見つめているのは、栗色の髪を七三分けにした男である。彼の視線は周りの客よりも数十センチ下、半ズボンやそのすぐ上下ではなく少女の足元に集中している。
 店主の娘である看板娘が履いている靴はいわゆるローラースケートの類であるが、彼が注目したのはその静粛性だ。すぐ傍を通っていったのに、少女の靴に取り付けられた小さな車輪は映画の音声にかき消される程度の音しか立てなかった。

 「冶金技術の差か? いや樹脂系素材かな。想像を絶する強度と精度だとは解るが」
 「本物はある種の地位象徴(ステイタス・シンボル)ですが、市場で売っている代物ですよ。新品を確実に手に入れるなら日本商社か日本軍のコネが必要ですがね。だから交渉してあの娘から買おうとしないでください」

 あの娘へうかつに声をかけると店主が散弾銃出して来ますよ、と相方に釘を差したのは同じく二十代前半から半ば過ぎ程の白人男である。寝不足気味なのか目の回りに隈が出来ており、何ヶ月もハサミを入れていないだろう黒い長髪を首の後で輪ゴムか何かを使い纏めている。
 米国人なら言葉の訛りから解るであろうがこの二人は米国東部の出身だった。ともに大学出の元陸軍少尉である。
 元、がつくのは釈放された捕虜だからだ。流石に今次大戦への不参加を誓って収容所から出た身で現役を名乗るほど彼らの面の皮は厚くない。


 「ところでお前の注文、野菜が足りなくないか?」
 「あなたは私の母親ですか」
 「お前の健康に気を使いたい点ではお前のお袋以上だぜ。お前が倒れでもしたらその分俺の負担が増えるんだからな」
 「わかりましたよ、葉っぱも食べれば良いんですね」

 言うことが日本人とおなじなんだから、と長髪の男はぼやきながら再度女給を呼んで温野菜の和え物と刻みキャベツを追加注文した。幸い懐には余裕がある。


 程なくやってきたカレーとその他を食べながら、二人の男は情報交換を始めた。小声で聞き取りにくい上にアレだのソレだのと固有名詞を極力省いた、他人にはさっぱり解らないやり取りが続く。

 上海は人と物資の一大集結地点であり、当然ながら情報も集まる。世界各国の新聞や雑誌、あからさまな宣伝放送と一聴して普通の放送、ニュース映画に口伝えの噂話。変動する通貨と株や証券類の相場。それらを組み合わせれば十人ほどの集団でもある程度の情報収集はできた。
 戦線への復帰はしないと誓ったが、祖国に利する行為をしないとまでは誓っていない。故に長髪の元少尉は上海の日本租界に住み着いて、商社の現地通訳や上海映画の端役などを行いながら諜報活動に当たっていた。
 七三分けの元少尉は同じようにしてグアムの捕虜収容所から出て、友人の伝手を頼ってつい数日前に上海へやってきたところである。

 「鉄道屋(のヘイワード上等兵)は元気でしたか、それは何より」
 「前より(時給は)低いが、マシな職場だと言っていたよ」

 元々の比率からいって捕虜は士官より兵隊の方が多いのが当然であり、同じようにして収容所から出た米軍兵士たちは思い思いの場所に移って暮らしていた。中には自由の身になった後も収容所の近くで収容所にいたころと同じく砂浜でナマコを拾い集めたり畑でパイナップルを収穫したりしている者もいるがそれは少数派だ。
 件の上等兵は長髪少尉の元部下だった。そして七三分け少尉の知人でもある。彼は鉄道員不足のあまり給与水準が上がりに上がったオーストラリアへ渡っていたが「どこに行ってもジャップがでかい面をしている」ために辞めて上海へ流れてきたのだ。

 「上海だと日本人の顔が縮むわけもないでしょうに」
 「本当の理由はこっちらしいぞ」

 七三分けの元少尉は捕虜生活中に日本兵から教わったというか伝染したボディランゲージ‥‥小指を立てる動作で事情を説明した。つまるところヘイワード元上等兵の退職理由は、職場周辺の若い娘達に連続で振られたためだ。
 これを彼は元米兵が元日本兵に比べてオーストラリア娘から需要がないからだと捉え、そのことに耐えられなかったのである。

 「有り得ない、訳じゃないよな」
 「人気が出るような行動は宣伝されてませんからねえ、我が軍は」

 上海が実質的に日本勢力圏内にあることを計算に入れても、米軍の評判は芳しくなかった。豪州の鉱山町では更に酷いであろう。北米大陸における焦土作戦の凄惨さは太平洋の反対側まで様々な形で届いている。
 報道写真やニュース映画で描かれる米軍の姿が半分でも本当ならば、元米軍兵の前から婦女子が消え去るのも当然である。
 目の前の自称元米兵が同類だとしたら貞操どころか命が危うい。


 戦時動員態勢が続く日本本土では青年男子の不足から見合い斡旋所に閑古鳥が鳴いている。巷では「足りぬ足りぬは、工夫が足りぬ」という戦意高揚標語から一字を抜いた「足りぬ足りぬは、 夫が足りぬ」という戦時冗句が流行っている程だ。
 日豪同盟樹立前後でその理由はともかくとして計数十万人に及ぶ男達が出ていった豪州でもまた、婿不足というか男日照りというか、男女の人口比率が偏っていた時期があったことも確かである。

 しかし生物学的理由からも元々人類種の雄は大概の場合余り気味であり、件の上等兵が訪れたときには既に需要が満たされていた。彼と同じ事を考えた者は彼が思っていたよりも多かったのだ。

 豪州政府の統計で見ると1940年に結婚した豪州人のうち約三割が外国人又は移住者を伴侶としており、そのうち半数近くが日本人だった。
 数で言えば元ないし現役の日本兵が日豪間での国際結婚当事者として一番多いのは当然だが、日本人の看護婦や通訳やタイピストなどと結婚したオーストラリア男も少なからず存在している。

 もはや伝統的と呼べるまで染みついた人種差別意識が消え去った訳ではないが、日本帝国国民との婚姻が表だって非難される風潮は現在の豪州にはない。
 それは文明の進歩とか人類の調和といった夢想家の寝言が実現したからではなく、表だって襲撃や迫害を行った者たちは砂漠の砂に変えられ、非難に留めた者たちの多くは手切れ金と共に国外へ出ていったからなのだが、とにかく表立っての非難はない。ないことになっている。


 この時期に描かれた風刺画に、『日豪同盟』という題名のものがある。

 風刺画の中央では、白い花嫁衣装を着た田舎っぽい白人娘とちびで眼鏡で出っ歯の日本兵が教会の前で式を挙げている。
 画面右側には羊を連れた農夫(ニュージーランド?)が暢気な顔つきで立っており、そのさらに右にはアオザイなどの民族衣装を着た数人の東洋人女たち(タイ、ベトナムなど?)がハンカチを食いちぎりそうになりながら挙式中の二人を見つめている。
 画面左側には肩に猟銃をかつぎ片手に札束の入った鞄を持った白人の荒くれ者が新郎新婦から離れるように歩き、更に左側には鞭を持った農園主風の白人男(南アフリカ?)が荒くれ者を歓迎している様子が描かれている。
 画面中央やや左側で式を仕切る神父の顔は、オーストラリア共和国初代大統領とそっくりだ。
 そして神父の足元には痩せこけた黒人少女(アポリジニ)がうずくまっていて、左端では黒人の農夫とその妻らしき黒人女が不安そうに農園主と荒くれ者の様子を窺っている‥‥というものだ。

 作者不詳のこの一枚には「日本のいう人種平等とは所詮こんなもの」という風刺が込められていた。なお、微妙に違う版も幾つか存在していて、それらは新郎が日本兵ではなく軍帽を被った猿だったり犬だったりする。

 日本人であっても、よほど無邪気な者でなければ完全にはこの風刺画を否定できない。日本帝国は慈善事業で戦争しているわけではないし、そもそも慈善事業とは金銭以外の利益のために行う行為である。国家の行動が打算まみれなのは当然だ。
 新郎が新婦の実家の庭に埋まっているものを気にしていたり、義父である神父の伝手に期待していたとしても不思議はない。


 それらの事情はさて置いて、上記の通り米軍の評判は豪州でも上海の租界でも悪かった。日本本土は言うまでもない。後々の時代まで日本語圏ではヤンキー(Yankee)という呼び名が「ちんぴら、ゴロツキ、与太者、人間の屑予備軍」の代名詞として残った程である。
 この二人も元同僚たちの言動から度重なる風評被害を受けていて、大いに閉口していた。

 流石に米軍機がメキシコ戦線において小規模の村落まで虱潰しに爆撃し二千ポンド徹甲爆弾で破壊しているといった日本側の報道はでっち上げであろう、軍事基地ならいざしらず只の村落に貫通力優先の徹甲爆弾を使う必要などない。焼夷弾で充分だ。
 しかしメキシコ市が都市機能を失うまで破壊されたことや、その後のメキシコ市で撮影されたおびただしい焼死体の山や、女子供の遺体が車体前面にくくりつけられた米軍戦車の残骸は虚構ではない。
 野戦病院に収容された片腕あるいは両腕を切り落とされているメキシコ人少年たちも、少なくとも数千人が実在している。

 「えげつないなあ、連中は」
 「ええ、容赦がありません」

 文字通り地獄の如き蛮行がメキシコの地で吹き荒れている。そしてアメリカ合衆国の勢力圏内以外ではその大部分がアメリカ合衆国軍の仕業として扱われていた。
 第三帝国の宣伝相ゲッベルス博士などは「合衆国は文明国かもしれないが、合衆国軍は文明国の軍隊ではない」と非難を繰り返している。

 しかし二人は動揺していない。日本軍と日本政府の謀略であることは明らかだからだ。
 直接の証拠はないが前例が山ほどある。フィリピンへの武器密輸もその一つだ。1939年当時のフィリピン内陸部に大量の武器弾薬を送り込めるのは日米の軍部かその息がかかった組織だけであり、それを行って得をするのは日本だけである。
 出鱈目極まる偽外交文書を渡されたと言い張り宣戦布告に繋げ、自ら捕虜返還船を撃沈しておきながら米軍潜水艦に罪をなすりつける日本人の悪辣さは大したものである。日本海軍の師匠が英国で日本陸軍の師匠がドイツなのは伊達ではない。

 殺戮者が正義の仮面を被る事は戦場の常である。自らが害した女子供の死骸を敵軍の戦車に縛り付け、「民を盾とする卑劣な敵」という下劣な宣伝を行う協定諸国軍の厚顔さに、アメリカ人青年達は怖気を禁じ得ない。
 日本軍の恐ろしさは野蛮さや小賢しさではない。チャイナやメキシコという本国から離れた地で蛮行を繰り返しておきながら、問題なく大軍を動かし続けられる運営能力にあるのだ。
 まさに現代の黄禍。アッチラよりもチンギス汗よりも、その軍勢は異質であり手強い。


 「この戦争、負ける訳にはいきませんよ」
 「ああ、こんなもので済む訳がないからな」

 二人が見ているのは英字新聞の紙面端に載せられている、米国本土で街頭に張られているという風刺画である。
 『負けたらこうなるぞ!』という題名がついたその風刺画は米国の長閑な田園風景を描いたものだが、込められた意味は過激なものだった。

 散歩道らしき場所でドレスを着て日傘を差した妙齢の白人女性三人が談笑している画である。ご婦人達の一人は臨月間近らしい大きな腹をしており、もう一人は乳母車を押し、最後の一人は就学前ぐらいの幼児の手を引いている。
 ただし母に手を引かれている幼児は浅黒い肌に縮れた黒髪で顔立ちも黒人(ネグロイド)の特徴が強く出ており、乳母車に乗せられ玩具を振り回している乳児も同じく黒い肌をしている。三人中ふたりがそうなら残る妊婦の腹にいる子もおそらくは‥‥。

 これは「人種平等を掲げる日本帝国に敗れたら、米国の中流・上流階級でも色つき(カラード)との結婚が当然になるぞ」と主張する風刺画であった。
 英語の記事を書いた日本人記者によれば米国南部からの亡命者が出国の際に持ってきたものであり、米国南部諸州では同様のあるいはより過激な風刺画が「白獅子団」なる民間武装組織の手で印刷配布されているという。

 これは眉唾ものの噂だが、南部諸州では白獅子団や類似する自警団的な武装組織と「黒豹党」なる黒人過激派組織が抗争を繰り広げる内戦状態にあるという。実際には其処までいかずとも合衆国内で人種的な軋轢が広がっていることは確かだろう。

 紙面の中央には人種間の軋轢を更に煽る風刺画も載せられている。
 『アメリカの現状』なる題名がついたそれは、北米大陸の形をした差し渡し10メートル程の小島で争う人々を描いたものだ。

 西海岸にあたるところにボートが着けられ、鉄砲を担いだちびで眼鏡で出っ歯の日本兵が上陸しようとしている。
 その下側、メキシコ北部にあたる場所で別の日本兵とアメリカ人らしき牧童たちが撃ち合い、その更に下のメキシコ南部ではポンチョを羽織りソンブレロを被った西部劇の山賊風な二人の男が取っ組み合いの喧嘩をしている。
 南部のルイジアナあたりの場所では中流家庭の若妻らしき婦人が困惑した表情でずり落ちそうなスカートを押さえて立ちつくし、その肩に馴れ馴れしく手を回してにやつく黒人男がいる。
 ニューヨークあたりには札束の山と札束を夢中で数える上流階級風の男。そして五大湖のあたりに商品と書いた札の付いた首吊り用の輪になった縄の山。縄の山の奥に立ち、輪の出来具合を確かめている凶悪な人相の男は鎌と鎚を組み合わせた印のあるシャツを着込んでいた。

 祖国が外敵に攻められ、若人が戦死し、女子供がニグロに狙われているのに東部のエリートどもは売国に励み、アカがそれを見て嗤っている。市民たちよ立ち上がれ、故郷と家族を護れるのは諸君らの銃だけだ! と、まあ、おそらくはそのような意図が込められているのであろう代物だ。

 他国の新聞に載る程度に良くできた風刺画の多くがそうであるように、この絵もまるきりの出鱈目ではない。

 ホワイトハウスの住人たちを始め、現米国政府が容共的かつ親露的で政策が真っ赤っかにアカである上に行政手段がどんどんクレムリン寄りになって行きつつあることは事実である。
 米国の大企業が戦争景気で大儲けしている事も事実である。
 米本土で各家庭のゴム紐までもが市民たちの自主性に基づいて強制的に回収されていることも、市街や農村の人種別人口比率で黒人男性の割合が増えていることも事実である。

 白人男性の多くが徴兵または徴用され東洋人やインディアンやメキシコ人の殆どが収容されたり保護されたりしたが故に、米国本土では社会における黒人男性の比率が増えている。ということは人手不足からの配置替えも増えるわけであり、黒人男性と白人女性が接触する機会も自然と増えることになる。
 接触が増えれば一線を越えてしまう事例も当然増える。犯罪や、当事者たちにとって犯罪ではないがこの当時の米国社会では不適切とされる事件が発生し、刃傷沙汰や駆け落ちといった事態に発展することもまた増えていた。
 偏りすぎているが、嘘ではないのだ。



 新大陸に限らず歴史には実例が山ほど存在しているが、異なる文明に打ち負かされた国家や民族の運命は悲惨そのものだ。
 大祖国戦争、クレムリンがそう呼んだソヴィエト・ロシアの戦争は即ちスラブ文明対西欧文明+日本文明の戦いだった。
 太平洋戦争とホワイトハウスが呼ぶ戦争はアメリカと日本の文明が激突する戦いではあるが、こちらはより凄惨なものになっている。なにしろ双方ともに指導部が敵対者を文明国と認めていない。
 事実、日米両国は和平交渉を口実に中立国などで外交的接触を持ってはいたが、真剣味の薄いやりとりしかしていない。双方ともに講和への意欲が薄いのだ。

 文明国相手でない以上その決着が理性的なものに終わるはずもなく、戦争がまだ続くからには地獄の如き有様がメキシコから広がっていく事は確実だった。
 もしかしたら、いやかなり高い確率で日米どちらか片方あるいは両方とも文明の滅亡を迎えるかもしれない。


 10年前なら、この予想は狂人の妄想として一笑に付されたであろう。だがしかし、科学の進歩はそれを笑い事で済まさない領域にまで達していた。
 20世紀も半ばを迎えている現在、日本帝国もアメリカ合衆国も一文明どころかやり方次第で世界を滅ぼせる力を持ってしまったのだ。地球上の全ての文明国から文明を維持させる力を奪うには足る程度のものを。
 最悪なことに現在の日米両国はそれが可能な状態にある。もし研究中のものが戦争中に完成したならば、あとは首脳部の理性を信じるしかない。


 「で、どうなんだ?」
 「難しいところですね。(人形峠はじめウラニュウム鉱山の採掘が)進んでいないことは確かなのですが」

 上海で溜まっている彼ら元捕虜にとっては本国との連絡を繋ぐだけでも難業であるが、それでも彼らの情報収集と分析は続けられていく。ほんの僅かな情報、たとえば日本帝国によるタングステン鉱山開発状況などが分かるか分からぬかでも戦略に影響するのだから、無意味ではない。

 佐渡金山の採掘再開が象徴するように、鉱工業の発展と採掘・精錬技術進歩は1930年代に入ってからの日本大躍進の要因として、真っ先に挙げられるものの一つだった。
 数年前にマンチュリアや樺太で新たに発見されたタングステン鉱山群は日本帝国にとって「金銭が湧く壷」のような存在であり、世界全体に影響を与えている。

 日本帝国は以前からタングステンの工業利用に注目していた。一例を挙げると有坂38式小銃の銃身はタングステン鋼製である。安価で、その割には優れた性能を持つ日本製工具と工作機械は日本帝国の工業力を支える支柱であった。

 北部マンチュリアの油田のように、これまで産出しないとされた資源が産出しないとされていた地域で見つかることは、稀によくある。それが世界の経済や政治に影響することも極々稀にだが存在する。

 一部希少金属資源の不足からウラニュウム合金を徹甲弾どころか試作重戦車の装甲板にまで使っていた合衆国と比較すればの話であるが、この時期の日本帝国はウラニュウムの軍事転用に消極的だった。自らの勢力圏内だけでタングステンの採掘量は足りていたのだ。

 研究用を含めても日本帝国のウラニュウム採掘量はそう多くないとされるが、ホワイトハウスにはそれが事実なのか欺瞞情報なのか確信が持てなかった。
 ライシャワー博士逮捕事件など、知日派の粛正をやり過ぎてしまった米国本土では各諜報機関の調査能力が日本関係に限っては消滅したと言って良い状態にある。
 情報の量はともかく精度において、上海のカレー屋で盗聴器や望遠鏡を使った遠距離からの監視に気付かぬまま座っている素人間諜たちと大差ない水準まで落ち込んでいるのだ。日本語の平文通信を自力では解読できないことすらある。

 この上海で料金後払いでありながら潰れない飲食店とは無銭飲食をさせない店である。した者は一生後悔することになる種類の店なのだ。日本租界でそれができる店が日本軍の庇護と監視を受けていない訳がない。
 つまりこの二人は間諜として論外である。事実、彼らは自分たちが24時間体制で監視され盗聴されていることに気付いていない。

 故にホワイトハウスの住人たちのうち一部は、情報が錯綜する日本帝国のウラニュウム採掘量を気にかけるあまり睡眠不足の日々が終戦直前まで続くことになる。



 英国が帝位を投げ出し、チャイナ帝国の後釜を狙った勢力がまた一つ潰れ、ロシア帝国が致命傷を負ったが世界大戦は終わらない。
 戦いは続く。
 たとえそれが明日迎える死を明後日に引き延ばすものでしかないとしても、たとえそれが明々後日に全てを巻き込む破滅を引き起こしかねないとしても。




続く。



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