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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その十七『英雄の名』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/14 12:15






            その十七『英雄の名』





  【1941年2月13日午前11時00分 トルコ共和国 トレビゾンド近郊の簡易造船所】




 島国と違い大陸の冬は寒い。三方を海に囲まれていても、大陸と陸続きである半島の冬もやはり寒い。
 だがアナトリア半島の冬は海が凍り付くほどではない。なので進水作業は滞りなく進められていた。

 一応、法律上は船舶に分類されるのだが今まさに専用船台から斜面を滑って海に入ろうとしている物体は、船と素直には呼びにくい代物だった。
 四角い。薄青色に塗られた船体は定規で測ったかのように角張っている。艤装を済ませた完成品は波よけ板が付いているので幾らか船っぽい外見となるが、進水時点では本当に四角い塊としか表現できない。
 しかも材質はコンクリートである。鉄骨や鉄板や合成繊維も入っているが、この四角い物体は大部分がセメントと砂と砂利でできているのだ。

 コンクリート船。それが日本帝国が現代総力戦における輸送力確保において出した結論の一つだった。
 早い話、適当な沿岸の土地を地盤工事で固め、その上で風呂桶じみた船倉と機関室と燃料タンクその他を組み上げ、その周りに鉄骨を立体格子で溶接してから合板で被い、隙間にコンクリートを流し込んで乾したのち合板を取り外した代物である。
 一口にコンクリート船と言ってもその形態は様々であり、普通の船舶と同じく流線型の姿を持つものも多い。本日この船台から進水するこの船がたまたま四角い姿形をしているだけの話だ。


 安く、早く、簡単に作れる。その点では各国各地域で造られている戦時急造船と同じだが、コンクリート船は急造船以上に造る場所を選ばず、製造時だけを見れば価格が安い。鋼材も節約できる。
 なによりも優れている点は沈みにくいことである。船体を分厚く被う鉄筋コンクリートは戦艦の装甲よりも対弾性に優れ、外壁に穴が開いたとしても二重構造の内壁が破られない限り人や貨物が入っている箇所には水も染み込まない。
 反面、重量が嵩むため船足は遅く燃費も悪い。耐久性も悪いし改装が難しいので長期運用性は最悪だ。しかし使い捨ての、長くても2~3年浮いていれば事足りる輸送手段としてならこれで良いのだ。

 戦争はいつか終わる。具体的な時期は解らないが5年とか10年とかは続かない。実際に戦火を交えぬまやかし戦争ならともかく、大国が存亡を賭けて殴り合う総力戦がそういつまでも続く訳がない。
 ならば半端な性能故に戦後でも使えてしまう、安物の輸送船を造りすぎて持て余すよりは、用が済んだら沈めて魚礁にしてしまえるコンクリート船を量産する。
 構造が単純なコンクリート船は処分も容易い。ドックで上板を外し、エンジンなど使える部品を取り外してから隙間を合板や発泡樹脂で固めてしまえばあとは適切にして妥当な場所に沈めるだけだ。

 自国産業においては長持ちする高品質製品と使い捨て前提の低品質製品のそれぞれどちらかに偏らせた物品生産を目指し、中途半端な品質の製品は他国産業界に任せる。それが日本帝国の方針であり、実際に終戦まで日本製の通常型船舶は一定水準以上の品質を保つことになる。

 実際の話、カイザー造船所のリバティ船などは日本人の好みに合わなかった。日本帝国は占領した米西海岸地域の工業力を極力活用する方針だったが、当時の日本人的感性からは一重船底で隔壁なしなどという簡易すぎる構造は受け入れられない。
 米国製戦時急造船に乗り込み実地見分した日本海軍の某大佐などは「こんなものがLIBERTY(自由)なら、俺は自由(リバティ)なぞいらん」と広言して一部から問題視されたが、それはまた別の話である。


 コンクリート船は輸送用としてだけでなく、直接戦闘にも使われる。機銃や爆雷投射機を搭載して通商破壊戦で自衛するだけでなく、強力な火砲や電波探信儀を搭載して移動要塞として、また沿岸や河川で砲艦として活動したり複葉機や回転翼機の母艦として支援任務に就いたりしている。

 地雷や統制型トラックと共に「日本を勝利させた三つの兵器」の一つに挙げられることもあるコンクリート船は、日本勢力圏だけでなく地中海やバルト海付近でも量産され、各地に投入されている。協定諸国の海軍が勢揃いしている1941年初頭の黒海もまた、例外ではない。


 本日たったいま進水したこのコンクリート船は、午後に行われた検査で船底の一部に崩落が発見された。後になって解ったことだが破損した理由は簡易造船所の作業員に赤化思想かぶれの者がいて、コンクリートに砂糖を混ぜ込んだためだった。
 練り上げられるときに砂糖が混入すると、コンクリートの結合力が弱まり脆くなる。混ざった量次第では、子供が指でつついて壊れる程だ。

 幸いにも混ぜられた砂糖の量は少なく、崩落した体積も小さかったので欠落したコンクリート部分を発泡樹脂で埋め水中用接着剤で強化繊維入りの樹脂板を貼り付ける応急処置を施せば問題なく航行できると判断された。
 そしてクリミア半島沖でイタリア空軍の海上飛行基地に付属する対空要塞に改装され43年初夏に廃棄処分されるまで、この船は実際に運用されることになる。





     ・・・・・



 世界大戦が始まってから約一年半、日米戦が始まってから一年あまりが過ぎた。今年のクリスマスも戦争中に始まり戦争中に終った。
 再来年あたりはともかくとして次のクリスマスもまた戦争の中でやらなくてはなるまい、と多くの戦争当事国市民たちは覚悟したり諦めたりしている。実際の話、戦火は年が明けても鎮火する兆しが見えない。



 まずは北米戦線。
 ハワイやアラスカに続いて、合衆国西海岸一帯は日本軍により制圧された。主な港湾・空港・鉄道そして資源地帯や工場群が占領されただけでなく、ロサンゼルス市など幾つかの大都市が占領され日本軍による軍政が敷かれている。
 小都市や比較的重要でない社会基盤施設に対しては降伏もしくは今次大戦への不参加表明が要求された。
 日本帝国の「我々とホワイトハウスの戦争に巻き込まれたくなければ引っ込んでいろ」という要求に対し、西海岸の各自治体や大企業はそれぞれの返答を送った。

 様々な返答に対して、日本軍はひとつひとつ几帳面に対応した。
 サクラメント市など、敗走する合衆国陸海軍を受け入れ市民が銃を手に取り都市を要塞化して日本軍を待ち構えた都市に対しては航空偵察で確認された戦車や重火器や航空機などの主力兵器そして軍事施設へ集中爆撃を行い、その後再度の降伏勧告を行った。
 それでも日本軍にとって色好い返答が来ない場合は、当該地域周辺に機雷や地雷を撒き交通を遮断して以後放置した。もちろんこの兵糧攻めじみた包囲戦は包まれた側が手を上げれば、受け入れることを前提として降伏交渉が始まる。

 ソノマ市など、中立あるいは無防備都市を宣言し日米どちらとも軍事組織の侵入を拒んだ都市は日本軍からは放置されている。

 サンタ・バーバラやモントレーなど早々と日本軍に降伏した都市では地元自治体による統治が認められ、日本政府や企業により膨大な資金と物資が注入され復興が進められていた。

 占領統治の方針は、基本的にチャイナ地域で行われていたものと同様であり日本軍が駐屯する地域では、慰撫工作も兼ねて便衣兵や工作員ではない善良な市民であれば当該地域の住人でなくとも食事や住居や働き口に困ることはない。
 更には無償で治療や教育も受けられる。
 便衣兵や工作員でも治療などは受けられる。ただし捕虜となって危険性がないと確認されてからだが。

 降伏した諸都市のうち戦禍を浴びたが戦略的価値の低さから日本軍が占領しなかった地域に対しては、復旧した鉄道や港湾などから物資が送られ自治と自活を推奨された。ロッキー以東の合衆国諸州と切り離されてしまった各都市は色々な意味で日本帝国に依存せざるをえなくなっていく。


 あからさまに各都市の分断を狙う日本軍に対し、正面切っての陸戦を諦めた合衆国軍は戦力をロッキー山中まで引き上げた。引き上げに失敗してロッキー山中や抗戦派諸都市に入れなかった米軍部隊は殆どが捕虜収容所か地下に入り、幾らかは僻地の村落や山野に隠れ潜んだ。
 流石の日本帝国も、半年足らずの突貫工事とはいえ要塞化された冬のロッキー山脈を越えられる陸軍はもっておらず、その侵攻はワシントン・オレゴン・カルフォルニアそしてアリゾナ州の一部を虫食い状態に占拠したに留まった。

 なお、日本軍は陸での占領地域拡大こそ控えているが航空戦では相変わらず積極的であり、ソルトレイク市に配置されたユタ軍集団は41年初頭の時点で行動不能に陥っていた。
 所属する将兵は殆どが生き残っているのだが、飛行場や鉄道を破壊され河川と道路には機雷・地雷そして不発弾がばらまかれ足の踏み場もない状態だ。
 動くに動けなくなった米陸軍は、まず自らが冬のロッキー山中で生き残る必要があった。日本軍への対応はその次だ。

 この後も日本本土やマンチュリアで再編成された航空部隊が続々と北米戦線へ投入された。特にその容赦ない航空戦指揮で知られる北米派遣軍航空艦隊司令官塚原大将は、合衆国市民から「サタンの化身」と呼ばれることになる。


 つづいてメキシコ戦線。
 ここではロッキー山中以上の密度で航空戦が行われ、地上ではじりじりと戦線が南下しつつある。
 モハーベ戦車戦における37対1という圧倒的損害比から解るように、アメリカ及びメキシコの両合衆国陸軍は日本陸上戦力に対し不利だった。
 個々の兵器や部隊の練度で劣っていることもあるが、なによりも軍事組織としての戦争経験のなさが致命的である。
 伝統による利点、専門知識や秘訣の伝承よりも欠点である組織停滞と硬直化の回避を重視した合衆国の政体は、長期的(大戦略的)にはともかく、短期的には戦争を不利へと導くものだった。

 具体的に言うと日米開戦直前のアメリカ陸軍には実戦的な戦術教義(ドクトリン)が存在しなかった。
 教義が不効率だとか時代遅れだとかではない。どのように兵を動かして戦うかという戦術面そしてどのように部隊を動かして戦うかという作戦面において、教本どころか統一された見解すら存在しなかったのだ。
 開戦直前どころか日本軍が西海岸に上陸し始めるに及んでなお、米陸軍内では歩兵・騎兵・砲兵・戦車・輜重などの各派閥が、そしてその派閥内でも小派閥や個人がそれぞれの好みな理論を主張し、主導権を握ろうと暗躍したりあからさまに動いたりしていた。
 
 結局はスティムソン陸軍長官が強権を振るって編制させたチームが前大戦で欧州に派遣された将兵へ聞き取り調査を行い、作り上げた戦術教義(ドクトリン)を同盟国軍や米国人義勇兵から得られた最新情報で修正したものが採用された。
 だが、作成中に政策委員会から対日協力容疑で逮捕者が続出したことなどにより検討する時間や人手が足りず、その完成度は至って低かった。

 低い完成度は実戦において錬磨するしかなく、アメリカ合衆国陸軍は将兵をすり潰しながら遅滞戦闘を続けている。
 一方メキシコ合衆国は、日本側について新政権樹立を宣言した自称メキシコ共和国なる勢力への対処を含めた国内の統制に懸命であり、日米の地上戦への関わりはさほど深くなかった。

 機材や物資はまだしも、その運用能力で決定的に米陸軍は敵に及ばない。故に機動戦や正面切っての決戦は放棄されている。
 合衆国軍人は馬鹿ではなく、西海岸における一連の攻防から自国陸軍が日本軍と対等に戦えないことを理解していた。来年以降はともかく、今は勝ち目がない。
 ならばと徹底した遅滞戦闘と焦土戦がメキシコ北部で行われている。ハワイの戦い直前あたりから造られていた重陣地や地雷原で稼いだ僅かな時間を活かして、その後方では更なる地雷散布や水源の汚染、そして食料燃料の撤収と廃棄が進められているのだ。

 言うまでもないが橋や鉄道など生活基盤の破壊も熱心に行われており、小規模な米陸軍部隊と頻繁に戦闘を行っていることもあって日本軍の侵攻速度は著しく低下していた。


 パナマ戦線。
 ここでは大規模な軍事衝突は終わりつつある。運河周辺はほぼ日本軍が制圧し、破壊された運河と施設の修復も始まった。米海軍による妨害も艦隊空母ヨークタウンが撃沈されエンタープライズが中破して機動部隊が後退すると下火となった。
 ヨークタウン級空母は優れた兵器だったが、合衆国艦隊空母に共通した弱点である直接的防御力の低さはいかんともし難かった。
 この時期の空母は火薬と燃料の塊が浮いているような代物であり、当たり具合によっては250㎏対艦爆弾一発で火達磨になりかねない。事実ヨークタウンは燃えて沈んだ。

 姉妹艦のエンタープライズと共に、正規空母飛龍を撃沈し蒼龍を小破させる大戦果を上げたヨークタウンだったが損害比だけを見ても勝者は日本海軍である。海戦の結果として米海軍には稼働する艦隊空母がなくなったのだから。
 日本側には戦線復帰した空母翔鶴など後詰めの戦力があったが、アメリカ側にはない。


 制空権がなくては艦砲射撃も長距離爆撃も自殺行為である。中米の地峡部に造られた連合国側の飛行場群は地峡の狭さ故に太平洋に浮かぶ日本側機動部隊から執拗な反復攻撃を受けて壊滅していた。
 合衆国海軍の空母部隊は自由に移動できる利点を活かして善戦していたのだが、延々と続く戦いのなかで消耗していき、撤退するしかなくなった。
 自軍側の機動部隊がいなくなれば、合衆国の戦力はパナマへの接近すら難しい。
 これは潜水艦も例外ではない。透明度の高い南の海では潜行中でも発見される可能性が高い上に、日本軍の哨戒機は電波式や音波式や赤外線式の探知装置を搭載しているのだ。

 パナマをめぐる攻防は、カリブ海とメキシコ湾での殴り合いに移ろうとしていた。この二つの海域における戦いこそが日米戦の焦点、天王山とでも言うべきものであると人々が知るのはもう少し後のことになる。


 大西洋。
 北米とブリテン島そして南北の米大陸、二つの補給線を維持せんとする連合国と遮断を狙う協定諸国の戦いは出血戦の様相を呈してきた。
 輸送船団の大規模化や試作品電波式警戒装置の投入などにより、猛威をふるっていた協定軍の潜水艦部隊は効果と効率が着実に下がり続けている。

 近世の魔女狩りが生ぬるく思える程にえげつなくなっている市井はともかくとして、大統領命令で対日協力容疑者リストから外されたアインシュタインら米国所属の科学者たちは、拘束される前以上の熱心さで職務と趣味と生き甲斐に没頭していた。
 彼らの努力は用兵側の要求を常に満たしていた訳ではないが、多くの場合敵国の上層部が無視できない成果をあげている。

 水上戦力はといえば装甲艦リュッツオーと戦艦ティルピッツが沈没し、その他ドイツ海軍艦艇も小破程度とはいえ破損や乗員の疲労などから稼働率が下がっていた。一時的にではあるが彼我の戦力差は縮まっていたのである。
 この事態を潜水艦の高性能化と新兵器の導入そして援軍派遣により解決しようとする協定諸国と、更なる護衛空母の投入を図る連合国の激突は次第に航空戦が主となっていった。
 双方の損害比率は依然として偏っていたが、ゆっくりとその差が縮まっている。質と量の戦いは大概において量が、数が優る側が有利となる。金持ちは戦争も強いのだ。


 黒海戦線。
 地中海を制した協定諸国海軍だが、その主力であるイタリアとスペインそしてヴィシー・フランスは対ソヴィエト作戦に消極的であった。
 ルーマニアやトルコなどのように直接国境を接していたり、ドイツや日本などのように理由は異なれど政治的にソヴィエト政権の存続を許せない国々と異なり、地中海で纏まった海軍を動かせるこの三国にはあえて黒海に踏み込み、赤軍と戦うほどの理由がなかった。
 実質的に港を塞がれ孤立したソヴィエト・ロシアなど洞穴の熊も同然、出口をふさいで放置しておけばそのうち干涸らびる。そんなところに注ぐ戦力があるならブリテン島を締め上げるのに協力しろ‥‥というのが三国の主張である。

 日独からすれば、大陸国家で大国であるソヴィエト・ロシアへ海上封鎖と戦略爆撃を続けても効果が限定的なものとなる以上その手は使えなかった。
 両国の首脳部は赤軍、いやスターリンに時間を与えれば国民の半数を餓死させてでも数百万の大軍が動員されると断定しており、実際に赤軍は強化されていた。兵士が畑でとれる国に収穫の時間を与えれば、日独の将兵が赤い人津波と戦わねばならない。
 そんなことは真っ平御免と思い切った両国は秘密裏の談合の末、バクー油田を占領した暁にはその利権を優先して渡すことを伊西仏の三国に約束する。

 イタリアの好景気と急成長、更に地中海での勝利もリビアの油田がもたらしたものである。少なくとも全体のうち二割か三割の比率で。
 石油こそ20世紀の重要戦略物質、ならばソヴィエト・ロシアの燃料庫を押さえて防共協定諸国の勝利を確定すべし。
 かくして1941年1月15日払暁、日独伊西仏土希の七カ国は黒海方面へ軍を進めクリミア半島とグルジア地域へ同時上陸を開始した。後世まで語り草となる戦略的奇襲、アレクサンドロス作戦の始まりである。


 黒海地域に置ける協定諸国軍の軍事行動は、おおむね順調であった。クリミアは攻略開始から11日で完全制圧され、グルジアに上陸した協定軍は20日でバクー油田一帯を確保した。
 が、しかし準備期間が日欧の連絡線再結合から僅か二ヶ月半では全てが上手くいく訳もなく、緒戦の上陸とその後の進撃そして制圧は満点に近かったが、作戦開始から一月が経とうとする頃には問題が明らかになっていた。

 急ぎすぎた計画の無理が祟り、後詰めとなる戦力の移動が遅れ黒海戦線の各地で戦力不足が起きていたのだ。




     ・・・・・



  【1941年2月14日午前0時05分 カスピ海西岸 バクー防衛陣地線 第795堡塁】



 士気が高ければ戦争に勝てるというものではないが、低すぎると勝てない。
 人間のできることには自ずから上限があり、どんなに勇敢で明敏な者であっても物理的な限界は超えられない。だが、突き抜けて怯懦な馬鹿は常人が想像すらできないような愚行をやらかしてしまうのだ。咥え煙草でガソリン車の給油を行う輩などまだ可愛らしい部類に入る。

 その点では第795堡塁の堡塁長、マルコ・ガルボニ軍曹は恵まれている。自分も相方も士気に不足がない。
 まあ、彼自身について言えば昨日休暇から帰ってきたばかりなのに気力が萎えていたり戦争の意義を見失ったりしていたらえらい事である。明日あたりには戦線崩壊確実だ。

 明日の昼から一日半の休暇に入ることになっている彼の相方、アレクサンドロ・イアチノ伍長は上機嫌で仮眠用長椅子に座り手紙を読んでいた。
 イアチノ伍長は二十代半ばのナポリ男である。その顔と樹脂製の防弾ヘルメットを脱いだ丸刈り頭には幾つかの傷跡があるが、戦場で付いたものではない。この戦争の前に、町中でごろつきと喧嘩したときの傷だ。
 ガルボニ軍曹は一度会ったことしかないが、手紙は従軍看護婦である思い人からであろう。何度も読み返している筈だが、恋の最中では飽きなど来まい。出会って一月も経っていないなら尚更だ。

 しかし暇だ。
 明日の再会を待ちかねている相方は良いが、自分は退屈でたまらない。兵隊が最も時間を使う仕事は「待つこと」であり、数年前に兵役を済ませている軍曹は軍隊での暇つぶし方法を幾つも知っている。
 だが目の前、と現代戦の感覚でなら言ってよい僅か数㎞先に臨戦態勢の敵軍がいる状態で密造酒を飲んだり賭け事をする訳にはいかない。
 二人きりしかいないこの堡塁では仮眠でも危険だ、起きている方までうっかり寝てしまったら無人化したのと変わらない。彼らの士気は充分以上に高く、兵隊の義務を放棄する気はなかった。なので寝ているところに不意打ちされるのは困る。

 念のために敵陣方向を堡塁長席のペリスコープ越しに見張ってから、ガルボニ軍曹は防寒長靴の爪先で堡塁主砲の砲架を小突いた。蹴飛ばしはしない、それはもっと丈夫な相手にするべきことである。
 75㎜対戦車砲40年型。ドイツ陸軍が誇る最新型の火砲だが、現場の評判はあまり宜しくない。

 弾道がぶれやすく命中率がもう一つだとか、気分屋で故障しやすいとか、砲身の寿命が短いとかの短所もあるが、今のガルボニにとっては半自動装填式である点が最悪だ。
 おかげで装填手が余所へ引き抜かれてしまい、二人きりになってしまった。対戦車砲40年型はいざとなれば二人で運用できるがそれは「できる」だけなのだ。
 なるべくなら「できる」の前に「円滑に」とか「順調に」といった言葉を付けたいのが現場の本音であり、黒海戦線の将兵達は一刻でも早い増援を待ちわびていた。


 「何かあったか?」
 「いや」

 手紙を防弾服の懐に入れ、ヘルメットを被り直したイアチノ伍長は砲手席に座り主砲付属の照準装置を覗き込んだ。暗視装置の電源を入れて、20秒ほど雪の降る荒野を眺める。

 「異常なし」

 電源を切る。堡塁内には暗視装置用の小型発電機があるし予備の蓄電池(バッテリー)もあるが、節約するにこしたことはない。
 暗闇の向こうで火が灯った。数発の火の玉がこちらへ向かい飛んできて、すぐに視界から外れる。
 やや遅れて独特の飛翔音が天井のスピーカーから流れてきた。人の不安感をかきたてる独特の音は、間違いなく赤軍の130㎜ロケット砲だ。おそらくトラック1台分の弾頭が発射されたのだろう。

 遠くで数発の爆発音が上がる。
 毎日毎夜繰り返されるこれは定期砲撃である。たかが数発ではたいした物理的効果はないが新兵の安眠妨害にはなる。しばらくすると自軍方向、つまり堡塁の後側から甲高い発射音が発生した。こちらは十数秒置きに10発程度連続する。
 察するに100式砲戦車搭載の150㎜カノン砲だろう。こちらも嫌がらせなので撃っているのは一輌だけだ。



 「元気な頃の親父に言われたことがあるよ。戦場は娑婆で想像してるのとは大違いだってな」
 「確かにな。何日もトラックの荷台で揺られて、その次は豪華な棺桶に雪隠詰めときた」

 高級旅館なみとまではいわないが、この堡塁は戦場で寝泊まりする場所としては上等なものだった。
 雪も風も凌げるし凍えるほど寒くもない。懐炉や石灰式の湯たんぽもあるし携帯コンロで湯も沸かせる。豆はもうないがカフェインだけなら還元コーヒーでも摂れる。
 簡易なものだが寝台や便所だってある。あとはシャワーが付けば金銭が取れる宿泊施設だ。
 湿気の高い塹壕で凍傷や感染症の恐怖と戦っている赤軍兵士が堡塁内部を見れば、退屈を嘆くイタリア兵たちへの殺意を押さえられないだろう。

 なんといっても防御力が違う。
 ドイツ軍の5号戦車パンターは一昔前の重戦車なみに装甲が厚い。厚みだけでなく被弾経始を取り入れた設計と材質強度の優越性も換算すれば英軍のマチルダ2などより数段上の打たれ強さを誇る。
 只でさえ頑丈なパンター戦車の砲塔に空の弾薬箱を貼り付けて空間装甲とし、その上に300㎜以上の厚みを持つ鉄筋コンクリートで屋根を作り被ってある。
 この堡塁の砲塔部分は、攻城砲級の重砲弾や大型爆弾が直撃でもしなければ一撃では破壊されない。

 上と同じく速乾性コンクリートと廃棄装甲板と特殊樹脂で囲まれた堡塁の下半分は地面に埋め込まれている。この795堡塁は重防御の火力点(トーチカ)に、車体部分が修理不能となった戦車から外された砲塔を乗せて各種増加装甲を施した代物なのだ。
 戦車砲もそのまま一緒に付けてくれたら最高だったのだが、そちらは砲身が折れた一式中戦車に乗せ変えられてしまった。やむなく使っているこの砲は壊滅して後方に下げられた対戦車砲部隊の予備品である。
 
 堡塁は地面にめり込んだ構造であり、戦車を壕に入れて半ば埋まった形にするいわゆるダック・イン戦術状態に近い効果がある。
 機動力はないが防御力は高い。壕に入った戦車と違って何が起きても動けないが、その代わり内部容積や動力に余裕があるので長期戦向けだ。

 これらの堡塁は戦線の膠着から数日ででっちあげられた急造品ではあるが、それなりに役立っていた。
 戦果の大半はT26やT28などのブリキ缶であるため対戦車エースを名乗るにはやや実績不足だが、ガルボニとイアチノの二人だけでも既に両手の指に余る数の装甲兵器を仕留めている。



 1941年2月中旬、赤軍は黒海戦線全域で攻勢に出ていた。ソヴィエト・ロシアの全食料生産のうち7割以上を占めるウクライナと石油総生産量の8割以上を占めるバクー油田を奪回しないことには戦争が続けられない。
 もう新大陸からの支援は届かないのだ。レンドリース再開には最低限で米海軍の再建と日本海軍の打倒が必要であり、待っていれば2年や3年はかかる。

 このままではロシアと共産党に明日は来ない。いや、ちっとも明るくない明日で良ければ来るが。
 故に赤軍は攻勢に出るしかなかった。


 「晩飯、何食ったっけ?」
 「ツナと野菜のスープ、リングイネ入りの何かだか良く解らねえ煮物、フルーツバー、サラミソーセージ、栄養剤入りの飴に還元コーヒー」
 「そうだった。あと昨日のドーナッツの残りとカップ麺か」

 冬場の戦場は腹が減る。二人は堡塁内をごそごそと捜し回って菓子や常備薬や文房具の入った布袋を見つけた。
 元々は日本軍宛に送られてきた慰問袋である。銃後の女子供が前線の「兵隊さん」を慰めたり励ましたりするために手紙や手製のお守りなどを添えて送るものなのだが、資本主義的な需要と供給の都合により日本本土の百貨店などでは出来合いの、まるで惣菜を詰め込んだ弁当箱のような慰問袋が売られていたりする。

 愛国心や国防意識があるには有るが日常生活のあれこれに追われていて、それでいて財布の中身には余裕のある層がそんな慰問袋を買いいれ、手紙などを同封して本国から各戦線へ送られるのだ。
 甚だしきは同封する便り自体が商品として売買されている場合すらあり、それら一目で既製品と解るような慰問袋はかえって現場の士気を削ぐとして兵站部でさし止められている‥‥という話をイアチノ伍長は顔なじみの看護婦から聞いていた。


 二人が隠匿していた袋は元からの中身に加えて配給品から市販の物まで、多種多様の菓子や保存食が詰め込まれている。手紙が入っていなかったのは内容に問題があったから抜かれたのか、それとも最初から入っていなかったのか。
 入っていたとしても日本語で書かれている以上、イタリア兵たちには読めないが。

 前線兵員の不足と反比例して黒海戦線の兵站線は安定しており、兵達の気力補充と現地民への慰撫用として嗜好品を含め食料供給は潤沢だった。日本軍などは和菓子や酒、味噌や醤油などを造る専用艦まで用意した程だ。
 それらの日本文化に根ざした伝統的食品は別として、協定諸国の将兵達にも日本から送られてくる食品の評価は概ね高かった。特にチョコレートは安くて美味いと好評であり、イタリアの菓子職人や工場経営者の一部を悩ませている。

 余談ながら日本本土におけるチョコレートの普及はユダヤならぬ「カシヤの陰謀」と、宣伝映画の連携技で女学生などが贈呈用として買い求める風潮が定着した結果である。
 現在では、国民的英雄と目される一部軍人達に日本全国の婦女子から山のように洋菓子が贈られる年中行事ができてしまったのだが、それは黒海戦線の将兵にはあまり関係ない。
 西竹一少佐や加藤建夫中佐などのスタア軍人達を擁する陸軍に比べ知名度で劣る日本海軍が、巻き返しを図り国内向け宣伝に励んでいることは更に関係ない。

 なお、陸海とわず日本軍将兵には大本営から「顔見知りから直接渡されたもの以外、手作りの菓子を受け取ってはならない」と布告されている。
 これは菓子屋の陰謀に乗せられた女学生の中に、熱病の特効薬であるキニーネと害獣駆除用の猛毒であるストリキニーネを混同するという、当事者にとって笑えない錯誤をしでかした者が存在したからだ。
 


 「この駄菓子だがよ、チョコレートの卵からドードーの模型が出てくるのは解る。よっく解る。ドードーは鳥類だからな‥‥卵から産まれて当然だ。だがな、マンモス(毛長象)が出てくるのはいったいどういう事だぁ?」

 マンモスは哺乳類であり卵から産まれる訳がない。それとも日本の象は卵から産まれるのかといきりたち、これ食べた小学生が象が卵生だと誤解したらどうしてくれる、と駄菓子片手に地球の反対側へ喚くガルボニ軍曹をその相方は両手で扇ぐようにして宥める。

 「解った解った。とりあえずほら、この葉書に苦情書いとけ。切手張らなくても製造元へ届くから」
 「イタリア語で通じるのか?」
 「日本軍は将校どころか看護婦みんながイタリア語できるんだぜ? 菓子屋にだってできる奴ぐらいいるだろ」

 玩具入りのチョコレート菓子を貪り食いながら兵隊達は葉書を書くが、結局この夜に書かかれた葉書が製造元へ届けられることはなかった。





 「この戦争、勝てるよな」

 眠気覚ましには歌うのが一番良く、話すのはその次の次ぐらいには良い。なのでイタリア兵達は無理矢理にでも話題を捜す。何度も繰り返した話でも構いはしない。

 「現に勝ってるじゃねえか。バクーとウクライナを押さえてる限りアカは日干しだし、じきにジョン・ブルどもも干上がるさ。そうなりゃヤンキーも講和するしかねえよ」
 「そうだよな。この冬を乗り切りさえすりゃ、アカどもに逆転の目はなくなるか」

 二人の会話は戦況の分析などではなく、日本軍が流している謀略放送の受け売りにすぎない。しかし一定以上の説得力があった。
 問題は、謀略放送はソヴィエト・ロシア側でも受信できるし赤軍指導部はそんなことを聴くまでもなく現状を理解している事である。
 愚かでなくては共産主義など信奉しないし狂っていなければ赤軍将校などやってられないが、それでも赤軍指導部の中核は怖ろしく優秀なのだ。全員が無能なら赤軍は革命成就前に自壊している。ロシアの冬は無能を許さない。


 「拙いな」
 「ああ」

 どのくらい拙いかといえば黒服のマフィアが満面の笑顔で贈り物を届けに来たぐらい拙い。
 玩具入りチョコレートを食い尽くす頃には二人とも理解していた。今夜は赤軍の陣地が静かすぎる。よくない兆候だ。
 定期砲撃こそいつもと同じく30分おきに撃ち込んでくるが、それ以外の雑多な音が少なすぎる。

 一月程度の実戦経験でも、鉦や太鼓を鳴らしながら盗みに入る空き巣がいないのと同様に赤軍は攻勢前に静かになることを知るには充分だった。欺瞞のためにロシア民謡や古典音楽を大音量で流すことはあるが、慣れれば不自然さを察知できる。
 前回の攻勢から明日で四日め。無理をすれば連隊規模の強襲をかけられる。将校どころか下士官としての教育すらろくに受けていない二人はそこまで理解していないが、兵隊的というか動物じみた感覚で危機が迫っていることに気付いていた。

 「問題はいつ、来やがるかだが」
 「遅くても夜明け前には来るだろうなあ」

 人間の集中力はその時間に最も弱くなる。古くから劣勢である側が夜襲を選ぶ理由の一つだ。
 ガルボニは戦車内の雰囲気を残す堡塁長席に座り、有線電話の受話器を手に取った。報告・連絡・相談は兵隊の義務だ。言われなくても解っていることであっても、言わないよりは言った方が良い。

 「それにしても、なんで俺が堡塁長なんだろうな」
 「上がいなくなったからに決まってるだろ。俺だって一月で二階級も上がるとは思わなかったぜ」

 現地昇進したのはイアチノだけでなく、ガルボニが車輌運搬船からトラックごとグルジア港に降りたときは上等兵だった。今は下士官で古参扱いである。開戦前の兵役で伍長勤務経験があるとはいえ無茶な人事だが、人がいないのだから仕方ない。
 今では二人とも「戦争が終わるころには中隊長ぐらいには出世しているかもな」という冗談(ジョーク)さえ言わなくなった。現実味がありすぎて笑えない。




 兵隊の勘は良く当たる、ただし悪い方だけだが。
 二時間後に始まった赤軍の夜間強襲を、第795堡塁を含む防衛陣地は三度に渡ってはね返した。優秀な装備と、潤沢な物資と、信頼できる指揮官と、命を懸けるに足る理由を得たイタリア兵は世界最強なのだ。
 球技の試合と違いチームが定員割れしていても戦争はできる。この堡塁だって定数の三分の二しか人手がない。


 「なあ相棒」
 「なんだ相棒」
 「もしここを抜かれたら、アカどもはバクーまで一直線だよな」

 答えの分かり切った問いである。ここが最終防衛線であり、彼ら以外に敵を止められる戦力はない。あるのならもっと楽ができている。

 「俺らの知らないうちに何処かから援軍が来てない限り、そうなるな」

 このときバクー防衛陣地へは、第三帝国武装親衛隊のダス・ライヒ独立機甲連隊を始めとする援軍が接近しつつあった。防衛戦将兵の士気が高い理由の一つでもあるが、間に合うかどうかは微妙なところだ。


 大概の戦いと同じくポーランド戦役は負けた側により多くの戦訓を与えていた。赤軍が得たものの一つが、ドイツ軍に砲戦を挑めば手持ちの砲兵部隊は瞬く間に削られてしまうという事実だ。制空権がない状態で自分の数倍目敏くて素早い敵と殴り合えば嫌でもそうなる。
 砲兵の射程や一発当たりの威力はまだしも、命中精度と砲撃頻度において赤軍は協定軍に対し圧倒的不利にあった。展開能力と隠蔽性そして堅牢さにおいても大きく劣っている。弾薬備蓄量と供給能力でも劣勢だ。

 赤軍は野砲の自走化や釈放された政治犯の前線勤務などで砲兵隊の復旧と強化に励んでいるが、軍の運動性や意思疎通能力が一朝一夕で上がる訳もない。
 赤軍全体で見れば砲兵隊の練度はポーランド戦当時の水準より落ちている。火砲は工場労働者を擂り潰せば造れるが、学生を擂り潰しても砲兵将校は造れない。

 そこで赤軍の選んだ手はロケット砲の拡充だった。牽引砲とくらべれば素早く自由に動かせるロケット砲部隊を集中して、短時間のうちに敵陣へ大火力を注ぎ込む。
 そうして稼いだ僅かな時間を使い接近させた部隊で平押しをかけるのが今の黒海戦線で赤軍が選んだ戦術だ。

 地雷原は歩兵に踏ませて啓開する。塹壕は歩兵がときに自らを土嚢代わりにしてでも埋める。鉄条網も歩兵がなんとかする。
 瞬発力はあるが持久力のないロケット砲部隊では、勇猛果敢であることを強制されている赤軍歩兵たちでも敵陣へ接近するまで支援するのが精一杯だ。ロケット弾を撃ち尽くしたあとは通常の火砲と突入部隊の頑張り次第となる。
 

 もちろんこれは「防衛陣地に取り付けたら良いな」ぐらいの熱意で行われている攻撃であり、半分以上の意図が威力偵察である。あとの半分足らずは口減らしだ。
 その証拠に夜明けの光がさし始めた荒野に転がる死体は殆どが東洋人のものだ。モンゴルかシベリアかはたまた沿海州かは判らないが、とにかくウラル山脈の遙か東から強制的に集められた即席兵だろう。死体に比べて明らかに銃の数が少ない。

 本命はこの後の第四波だ。今度こそはブリキ缶ではない、まともな戦車や装甲車とまともな訓練を受けた歩兵が主力だろう。
 既に夜は明け、少しずつだが雲も薄くなってきている。赤軍が防衛線を抜けるとしてもあと3時間程度しか余裕はない。晴れてしまえば抜いても意味がなくなる。
 黒海戦線の航空勢力は依然として協定軍側が優位を保っている。航空隊が動けるようになれば、赤軍がバクーへ到着する前に空から集中攻撃されてお終いだ。

 赤軍が2月14日の攻勢を成功させるには、あと3時間以内に防衛線を突破して次の3時間以内にバクー地域に雪崩れ込むしかない。でなければ雪雲が消えてしまい間に合わない。
 時間切れまでに油田へたどり着けたなら、関連の施設を盾にできたなら赤軍は航空機を恐れる必要がなくなる。悪辣な資本主義者であるからこそ協定軍は油田ごと爆撃など出来ない。と、共産主義者なら考える。


 おそらく、ではあるが五度目の襲撃はない。四回目で抜かねばならぬ以上次は本気で来る。本気の攻撃で駄目なら五回やろうと六回やろうと無駄だ。
 時間をかけてねっちりと攻めたところでガルボニたちが疲れ切るより空が晴れる方が早い。大概の場合と同じく、ここでも拙速は巧遅に優るのだ。


 「こちら795堡塁、ゲルリッヒ砲破損。現状では対戦車戦闘不可能。違う、弾薬切れじゃねえ、尾栓が閉まらねえんだよ」
 「弾はあるんだけどなあ。やっぱ新しいだけの兵器は駄目だな」
 「まったくだ。100発も持たねえたあ根性のねえ機械だぜ」

 75㎜対戦車砲40年型は、性能諸元表でなら砲身交換から350発の徹甲弾を問題なく発射できることになっている。
 だがそれは熟練整備兵の手で完璧に整備され、精鋭砲兵によって理想的に運用された場合の話であり、残念ながらこの戦場ではどちらも望みようがない。

 特に即席砲兵たちの技量が足りていない。車輌も火砲も初心者ほど事故を起こすものである。そして余裕とか冗長性といった言葉から縁遠い仕組みのゲルリッヒ砲は、ごく普通の火砲ならばなんともない些細な不手際でも不具合を起こしてしまう。
 2㎞離れたKV1重戦車のどの場所にどんな角度で当てても装甲を貫ける、凄まじい威力を誇るこの砲が前線でいま一つ人気が出ないのも当然ではあった。

 「で、修理班と補充部品は来るのか?」
 「金輪際無理だ。さっきの砲撃で中隊弾列が吹き飛んだんだと。もちろんゲルリッヒ砲の交換部品も一緒だ」

 いま一つな存在であるがそれでもM1897野砲の改造品よりはマシである。同じドイツ軍の払い下げ品でもあちらが配備されていたなら二人とも今頃あの世行きだ。

 「なんてこった。今日の神様は朝寝のしすぎだぜ」
 「もうかれこれ20年は寝っぱなしだろ。起きてりゃアカの革命なんぞ潰れてるさ」

 かなり罰当たりな相棒の悪態を聞き流して、イアチノ伍長は残った武器弾薬を数え直す。
 MG39機関銃が1丁、未使用の交換用銃身が5本、使用済みが7本、残弾約2100発。UJI短機関銃2丁、残弾360発。97式指向性対人地雷が6個。99式手榴弾が12個。
 あとは自爆処理用のダイナマイトを含む工具類と食器兼用の銃剣ぐらいだ。

 対戦車砲の砲弾は各種合計で200発以上あるが使い道がない。砲が撃てない以上容積の無駄でしかない。無駄であるからには処分する必要がある。
 砲弾の処分のため堡塁の外へ出た兵隊達だが、つい先程までの戦闘により作業には一手間かかりそうな事が解った。


 「トラクターか戦車を持ってこないと駄目だな、こりゃ」
 「通れるような隙間はなし、か」

 3度目の攻勢で、その優れた機動性と機械的信頼性にものを言わせて煙幕の中を突っ切り795堡塁の右斜め前20メートル付近まで接近してのけたM3中戦車は、至近距離からの砲撃で爆発炎上した際に自重と爆発の衝撃で地下式の塹壕通路を押しつぶしていた。
 所詮は一週間足らずででっち上げた陣地である、どこもかしこも頑丈とはいかない。場所によっては耐久力に問題があって当然だ。

 そんな訳で塹壕通路は潰れている。掘りなおすことはできるが今はその余裕がない。
 隣の堡塁までは遠くないので、地上を歩けば直ぐに辿り着けるのだが、できることならやりたくない。不発弾を踏んで死ぬのは御免だ。

 
 「‥‥ゴリアテは使えるか?」
 「いける。地面が柔らか過ぎる気もするがなんとかなるだろ」

 程なく795堡塁の裏手から出された玩具のような機械が隣の対戦車堡塁へと走り出した。
 大きさは手押し台車ほど、足回りは戦車のような履帯、速度は大人の早歩きかやや早い程度、四角く平たい車体の上には対戦車砲砲弾が弾薬箱ごと乗せられている。
 

 防諜目的なのか巨人(ゴリアテ)という正反対の名が付けられているこの無線操縦機械は、黒海戦線では手頃な運搬機材として重宝されていた。
 塹壕から塹壕へ、あるいは堡塁から堡塁へ、弾薬や医薬品だけでなく、時には命令文書や負傷兵が積まれて運ばれることすらある。
 なんといっても無線操縦なだけに人的被害が出にくい。地雷や不発弾が埋まっているかもしれない場所を走らせるのにもってこいだ。

 防衛陣地の兵達のなかにはゴリアテに改造を加え、数十㎏の爆薬を乗せて敵中へ突っ込ませた者もいた。しかし操縦者の視界から外れて操縦不能になったり、砲撃跡の穴に填って動けなくなったりでまともな戦果はあがっていない。
 まあ、この両方とも回収しようとした赤軍兵が寄ってくるのを待ってから爆破したので、まるきりの無駄でもなかったが。

 いよいよとなったら795堡塁の運搬機材にも爆薬を詰めて突っ込ませるしかあるまい。角度が良ければ小銃の流れ弾ぐらいは跳ね返せる装甲で被われているために、ゴリアテは爆薬を詰めて自爆すると爆発の威力が増すのだ。

 しばらくして帰ってきた無線操縦兵器の荷台には、お返しのつもりなのか7.92㎜機銃の弾帯が二つと炭酸水やビールの瓶が数本ずつ入っていた。

 「火炎瓶、作っとくか」
 「だな。ないよりはマシだ」


 ちょうど咽も渇いているし中身を捨てるのは惜しい。なので飲む。
 配給品の軍用ビールはアルコール度数が1%強しかないので酔っぱらう心配もない。
 ソーダ水のスクリュー式栓をねじ切り開けながらイアチノ伍長はぼやいた。

 「解っちゃいたが、大王と同じにはいかねえなあ」
 「なんだそりゃ」
 「知らねえのか。アレクサンドロス大王は大遠征から帰ってきた宴会でしこたま酒飲んで酔っぱらってから河に飛び込んだせいで、風邪ひいて死んだんだぜ」

 伍長と同じ名の彼の人は地中海文明圏で「何処の誰と注釈を付けずただ大王と呼べば彼を指す」とまで言われる程の大英雄。しかし偉人であると知っていても具体的な行状功績についてはさっぱり‥‥という層はイタリア人にも存在する。
 その一人であるガルボニは、アルコールの風味は感じるのに幾ら飲んでも酔わない奇妙な液体を呑み込んで呟いた。 

 「悪くねえ死に方だな」
 「おうよ、風邪ひく前に逝けるならもっと悪くねえ」


 ビールと炭酸水で乾杯しているところに、ゴリアテの通った跡を用心深くたどってやってきた第794堡塁の戦友達へ残った対戦車砲弾を引き渡してから、二人は火炎瓶を作った。そして3時間後には全て使い尽くした。



     ・・・・・


 アレクサンドロス3世は紀元前4世紀の頃を生きた人物である。アルゲアデス朝のマケドニア王であり、コリント同盟の盟主であり、エジプトのファラオでもあった。
 戦争の天才、英雄の中の英雄として知られる彼の名は「人民を守るもの」という意味を持つ。



 1941年2月14日午前10時25分、崩壊寸前のバクー防衛陣地は曇天の下を突いて出撃したイタリア空軍による航空支援とドイツ陸軍機動降下兵部隊の到着により紙一重で突破を免れた。
 到着時の現地上空に偶々雲の切れ目が出来ているという、好都合な偶然あるいは奇跡が起きる可能性に賭けた協定諸国側援軍に勝利の女神は微笑んだのだ。

 同防衛陣地の主力であったイタリア陸軍131機械化師団の残存部隊は生存者84名、死傷率9割以上という甚大な損害と引き替えに、そのときまで防衛線を持ちこたえさせた。


 当時バクーにいた従軍看護婦の一人である高梨恭子は、彼女達のいる野戦病院を守って戦死したアレクサンドロ・イアチノ伍長(当時、後に曹長に死後昇進)の遺品を彼の遺族へ届けたが、ただ一つ、彼が最後に書いた葉書だけは遺族の承諾を得て貰い受けた。 

 84名の一人、全治3ヶ月の重傷を負って生還したマルコ・ガルボニ曹長(入院中に昇進)は退院後に再度最前線行きを希望したが、上官から士官学校への入学を勧められ、少しだけ悩んでから同意した。
 その方がより効率的にアカと英米の将兵を殺せるからだ。40年6月5日の英海軍による奇襲攻撃で母親と弟たちを失った彼の心の傷は、戦友達の死によって更に深まっていた。
 1年間の促成栽培教育を受けて少尉となったガルボニは米本土上陸作戦へ参加し、1942年10月のフロリダ沖へ向かうことになる。


 戦争行為から煌めきと魔術的な美が最後の一欠片まで失われた20世紀。戦場には英雄も勇者もいない。
 だが勇者のように倒れた者は、幾らでもいた。


 大戦勃発から1年半あまりが過ぎた。戦火が鎮まる兆しは、未だ見えない。




続く。



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