その十四『とある老教師の午後』
やあやあ、みんな久しぶり。あけましておめでとう。
うん、今年もよろしく頼むよ。
お土産? 茶菓子かね。丁度良い、お茶にしようじゃないか。
たしかそっちに先月買った紅茶の缶が‥‥。
あ、僕のは砂糖を入れないでくれたまえ。
うん、この饅頭は猛烈に甘いからね、甘くない飲み物の方が合うと思うよ。
ははっ 確かに気の利いた名前じゃないが、分かり易くて良いじゃないか「ソコトラ饅頭」ってのも。
ああ、もう四十年近く前になるが行ったことがあるよ。インド洋のガラパゴスとはよく言ったものだね。機会が有ればまた行きたいぐらいだよ。
駐在研究所のギースラー教授は‥‥うん、元気なのは解っているよ。うん。今でもクリスマスカードと年賀状のやりとりはしているからね。彼とももう20年は会っていないなあ。
いや、饅頭ができたのは精々十年ほど前だよ、日本人観光客に売れるものが欲しいと手紙で相談されてね。
あのときは「昭和の御代でもあるまいし饅頭なんて」と娘にまでくさされたが、今ではあの島を訪れた日本人の殆どがお土産に買って帰っているそうじゃないか。ありふれているというのは、それだけでも充分価値があるものだよ。
‥‥饅頭の味は変わらないな。あの島の自然にも変わらないで欲しいがそうもいかんだろうね。
良し悪しの問題ではなく、変わらない筈がないのだよ。ロストワールドはそう簡単に成立しないからね。
いや、特定の条件下でなら太古の生物層がそっくりそのまま残された地域が実在することも有り得るよ? 現実世界でもね。
身近な場所で言えば南西諸島や、この日本列島だってある意味ロストワールドと言えるからね。
恐竜がいるような大掛かりなロストワールドは現存していないが‥‥大型両生類や単弓類や偽鰐類が闊歩する、恐竜にとってのロストワールドなら白亜紀に実在したという説があったね、そう言えば。
詳しいことは今後の発掘調査待ちだが、なんとも浪漫のある話じゃないか。
で、饅頭だけが土産じゃあるまい?
旅の土産と来たら思い出話に決まっているだろう。さあさあ話してくれたまえ。君はソコトラ島で何を見て、何が印象に残ったかね?
ほほう、霹氷海岸の戦車。マチルダ重戦車に98式軽戦車が追突したやつかね、うんうん。
ん? あの戦車は二輌とも本物だよ。砂浜に置いてある97式戦車は撮影用に作られたハリボテだがね。
ハリボテを組んだのもトラクターで引っ張ったのも僕だし、英国軍の元戦車兵に聞き取り調査をしたのも僕だ。間違えようがない。
初耳? そういや映画撮影の手伝いをしたことを、君達には話してなかったかな?
ドイツ語版の人員一覧に僕の名が入っているよ。機会があったら確認してみてくれ。
ああ、うん、ソコトラ島攻略戦で空母赤城と加賀が舷側砲で支援砲撃したのは本当だよ。映画の中のように戦車隊と撃ち合ったりはしなかっただろうがね。
いや、それは前提に無理があるよ。わさわざ敵戦車の砲弾が届く距離まで空母を接近させる必要が海軍側にはないじゃないか。
20センチ砲なら、戦車砲の反撃が届かない遠距離からでも大概の戦車を潰せるんじゃないかね?
現場の航空優勢は確実に取れていたのだから、砲艦の真似事をするにしてもあえて海岸近くまで接近することもあるまい。
死過重だと言われていた両空母の両舷砲だが、あの瞬間には有用だったよ。
それがサンフランシスコ沖の悲劇を招く一因となってしまったのは歴史の皮肉だがね。ソコトラでの「空母による艦砲射撃」という前例が小沢提督の判断に影響を与えたことは間違いない。
成功体験という甘い罠に克つのは本当に難しいのだよ。
もしも、蒲生大尉の突撃が間に合わなかった場合、かね?
歴史にIFはない‥‥が、もしそうなっていたら、たとえば蒲生車のエンジンが本来の歴史より一分早く止まってしまったら、大惨事になっていたかもしれないね。
あのとき霹氷海岸から目と鼻の先の浜辺には、燃料の入ったドラム缶と武器弾薬の箱が山と積み上げられていた。もし橋頭堡にまで英軍戦車が迫り機関銃弾で爆発物の山を掃射されていたら、上陸したばかりの第9軍司令部までまとめて吹き飛んでいただろう。
もしもそうなったら、ソコトラ島の連合軍部隊は一月や二月は持ちこたえていたかもしれない。
補給や援軍がないから霹氷作戦が失敗したとしても、連合軍が協定軍を海に追い落とすことは無理だろうが、それでも皇軍の進撃に多少の狂いが生じていただろう。
大規模な影響は出ないよ。
40年9月の状況ではたとえ第9軍とソコトラ島攻略艦隊が全滅したところでインド洋の覇権は覆りようがない。
その時点で既にアンザック同盟は元宗主国に三行半突き付けて協定諸国に鞍替えしているし、セイロン島もマダガスカル島も協定国かその同調勢力により制圧済みだ。
南アフリカのボーア人達による蜂起は失敗したが、あれは時期が悪すぎた。せめてあと二ヶ月遅らせていれば‥‥そういう展開にした架空戦記があった? 日本の作家かね? 南アフリカ戦線ものとは珍しい。
‥‥いつの間にか戦記じゃなくって冒険ものになったから読むのを止めた?
まあ、人気商売だからねえああいうものも。
誰得というのかねえ、昔の剣豪もの時代小説にもあったよ、お家騒動の話がいつのまにか陰謀劇の方に主軸が移っちゃって主人公が交代したのが、あれは何というタイトルだったかな? 忘れてしまった。
そういう訳でソコトラ島の連合軍が史実より何ヶ月か長く粘ったところで、インド洋における皇国‥‥協定軍の優位は変わらない。
しかしソコトラ島攻略で躓けば、第三機動部隊がカルフォルニアの戦いに間に合わなくなっていただろう。
米本土上陸作戦における赤城、加賀の活躍は世に知られている通りだからねえ。攻略部隊はより苦戦しただろう。
もしかしたら第三機動部隊が間に合わなければ、上陸作戦自体が延期されていたかもしれない。
そうなれば君がお気に入りな無尾翼戦闘機の出番もあったかもしれないね。
何? その時期では数が揃わないから戦局に影響は与えられない? 解ってるじゃないか。
もしも連合艦隊が第三機動部隊の到着を待たずにサンフランシスコ上陸を進めていたら、か。
よく言われている事だが、それは決して不可能ではなかった。
やや練度不十分とはいえ正規空母の慶鶴と剛龍がハワイで訓練していたし、補用空母の海鷹と神鷹も実戦投入可能だったからね。事実として、サンフランシスコ海戦で撃沈または大破した空母の穴はこれらの空母と陸軍航空隊の増援で埋められた訳だし。
案外、そうなっていたらあっさりワシントンは沈んだかもしれないね。
もしも赤城と加賀が間に合わなければ、その分の航空戦力が充当される筈だろう?
その場合、練度的に考えて補用空母群がサンフランシスコ沖に浮いていた可能性が高い。
で、だ。あの日に戦艦ワシントンが搭載していた特殊合金製徹甲弾は堅牢な装甲を持たない補用空母相手だと大した効果を発揮できないんだ。特にタングステン弾の方は目標が柔らかすぎて信管が作動しないからね。
実際の話、駆逐艦雷はそれで助かったようなものだからねえ。合衆国兵器局がウラニュウム合金弾をより重視したのは当然だと思うよ。
ウラニュウム合金製徹甲弾はあの時点では数が少なすぎたからあれ以上はワシントンに搭載しようがなかったが、もし余剰があれば大変なことになっていた可能性がある。
そして更に言うと、サンフランシスコ攻略戦に赤城と加賀が参戦しなければ当然ながら比叡と榛名もいなかっただろう。その代役として、機動部隊を護衛する戦艦部隊は浅間級か常陸級が2隻となる筈だ。
徹甲弾がない剣があれだけ粘れたんだ、徹甲弾さえ充分あればワシントンは良くて相撃ちに終わっていただろう。
第三機動部隊の護衛に常陸級が一隻でもあれば戦闘の経緯は全く違っていた筈だよ。
陸奥と長門は日本の誇り。確かに長門級は良い艦だが、当時艦歳20年級の旧式艦だったことを忘れちゃいかんよ。金剛級に至っては30年ものだ、近代化改修にも限度はある。
逆に言うとノースカロライナ級戦艦は良い艦だが、過大評価されているね。サンフランシスコ沖海戦の戦果は凄まじい、確かに凄まじいがあれは偶然の産物だ。少なくとも実力どおりじゃない。
いや、ハルゼー提督の能力、その決断力は怖ろしいものだよ。容赦のなさというか思い切り具合もね。
だってそうだろう? 自軍の希望を一身に背負うはずの新鋭戦艦を敵海軍の戦艦そっくりに塗り上げるなんて、誰が想像するんだい? 国父と同じ名前を持っている戦艦に、だよ?
君らも知っているかね。有名な話だからねえ。
うん、あの海戦でワシントンは日本海軍風のダークブルーに塗られていただけじゃない。ご丁寧にも、その舳先には菊の御紋まで取り付けられていたんだ。シアトルのドックでね。もちろん偽物だが。
ハルゼー提督はドックの作業員に「サムライは勝つためなら嘘をついても構わないんだ、俺らだけが馬鹿正直に戦う必要はない」と言っていたという証言もある。
多分明智光秀のアレだと思うが、本気でやってしまうのがアメリカ人の怖い所だねえ。
アングロサクソンは怖ろしい生き物だよ、本当に。地球上に彼らほど生物を殺すことに長けた種は存在しない。
要は、彼も米軍も必死だったのさ。
必死の者と油断している者とが戦えば、時にはあることだよ。信じられないほどの大戦果とかね。
ほら、チャイナ内戦でも百倍近い戦力差をひっくり返して共産系匪賊が勝ったこともあるじゃないか。戦争屋以外の要素はともかくとして、毛沢東の作戦家としての手腕は評価すべきだと思うよ。戦略や戦術には異論もあるだろうが。
あれは蒋介石が無能すぎたからだろう って?
確かに軍事的には無能だが、それでも数の差を跳ね返すのは凡人にはきつい仕事だよ。
それだと蒋介石にも取り得があったように聞こえる って?
そりゃあるさ。仮にも一軍閥の統領だった人物だよ、全くの無能に務まる訳がないだろう。
蒋介石が毛沢東や汪兆銘らに比べて圧倒的に優れていた点は、アメリカ合衆国から支援を引き出せる能力さ。
具体的に言うと治世力の欠如と祖国への不誠実さだね。君達の言い方なら愚劣で腐敗しているという事だ。
朝鮮の李承晩(イ・スンマン)などがその典型だが、アメリカ政府が後援するのはことごとく発展意識や実行能力や調整能力に欠け、祖国に不誠実な者ばかりだ。
それはそうだ。熱烈な愛国者を支援して政権を取らせたあげく、その当人に「貴国の支援には感謝しているが、貴国の現政策は我が国の利益に反しているので協力できかねる。善処を望む」などと言われても困るだろう?
合衆国から支援を受け続けなければ政権を維持できない能無し、言いなりに操れる傀儡のみを彼らは欲していたのさ。というより、それ以外の関係を想定していなかったのじゃないかな? 蟹は己の甲羅に合わせて穴を掘るというし、ね。
誠実で有能な地元出身指導者に政権を取らせ、影響力を保とうという日本式戦略はアメリカ人には想像も出来なかったのだろう。伝統的に、彼らの戦略は「自分の傀儡でない = 敵」だし、敵に出来る限りの損害を与えて盤面を御そうとするものだ。
なに? 利害が一致しないのなら妥協点を探るのが政治家の仕事だろう って?
それは弱者の選択肢だよ。
少なくともアメリカ人の思考形態ではそうなる。
君が養豚業者だとして、「仲間を殺すな、さもないと実力行使に出るぞ」と言い出した豚の言いなりになるかね?
彼らが自らを「支配者としてさだめられた者」と定義していたことを忘れてはいかんよ。
ある意味で、当時のアメリカ合衆国人にとっては「他国」というものは存在しなかったのかもしれないね。
心理学者によれば産まれる前の人間の赤子にとって、他人とは存在しないのだそうだよ。
文字通り母親と一体なのだからね。
自分と違うから他者であり、自分の思うとおりにならないから自分以外の人格なのだよ。
いつでもどこでも、好きなようにできる相手に配慮など必要ないだろう?
自分が好きなように操れる存在は自分と対等ではない、つまり弱者は道具であり奴隷なのだよ。合衆国というかアングロサクソン的価値観では。
まあ、欧州系文明は皆そうだがね。むしろ日本やオセアニアの文明の方が少数派だと言える。
一例として挙げるなら欧州社会において「人類種の幼生体への愛着」という概念が発見されたのは19世紀も終盤へ差し掛かってからなんだし。
そうだよ? 君らだって毎日使い捨てている便所紙に愛着なんてないだろう?
ふう。‥‥お茶おかわり。
ありがとう。
ん? 何かね?
二次大戦における合衆国勝利の可能性? そういうことは軍事研究会にでも訊きたまえ。所詮僕は門外漢だ。
いや、茶菓子が足りないといっているんじゃない。だからその煎餅はしまっておきなさい、明日食おう明日。
しょうがないな。では個人的な、茶飲み話として聞いてくれたまえ。
結論から言えば、当時の合衆国に戦略的大勝利の可能性はない。
ははっ 慌てない慌てない 茶飲み話だと言ったじゃないか。
質問も反論も大いに結構だが、もう少し話を聞いてからにしてくれたまえ。
つまりだ、戦争とは外交の一種だろう? そして外交は政治の一種であり、政治とは経済の一種だ。
経済とは人間の生活そのものであり、生活を効率よく動かすのが政治だよ。
うん、原則的にそうなるのなら、それを全般に当てはめたって良いじゃないか。
そして当時の、米民主党政権下のアメリカ合衆国は経済と政治が間違っていたんだ。これを外交の一部でしかない戦争でひっくり返すのは不可能だよ。国家大戦略よりも更に上の段階で間違えているんだからね。
ああ、軍事ケインズ理論で成功したのは日本帝国だけだし、その日本にしても軍事予算の占める割合は決して高くない。正確に言えば30年代の積極財政は土木ケインズなんだ。弾丸列車然り、海底トンネル然り、運河掘削然り、人工島然り、成層圏射出塔然り。
高橋是清こそケインズ理論の体現者‥‥というよりケインズが是清の政策を理論化したと言うべきなのかな?
ナチスドイツ? 彼らは戦勝後に手痛い代償を払ったじゃないか。軍事経済なんて導火線に火の付いたダイナマイトをバトンにしてリレー競争しているようなものさ。いつか必ず爆発するんだ。
二次大戦に参加した欧州諸国のうち、一番得をしたのが早々と手を挙げたデンマーク・オランダ・ベルギーそしてフランスだというのが何とも皮肉だね。自由貿易さえ可能であれば、植民地など重荷に過ぎないのさ。
スイス? あの山奥の僻地に巣くっている山賊共は交戦はおろか何処にも宣戦布告していないじゃないか。
何故か終戦後に連合国から賠償金をふんだくるのには成功したようだが、皇国政府は戦勝国と認めていないよ。僕個人もだが。
話を戻そう。軍事ケインズ自体に無理がある、軍拡による経済発展は必ず自壊することは解っているね?
そう、再生産に向かないからだ。戦車で畑は耕せないし大砲は国境線の引き直し作業が終われば無用の長物。供給過多を解消するためならともかく、それ以上の軍備拡張も戦費拡大も国家財政にとって自爆行為だ。
軍拡と軍事行動により需要を作り出そうとするのは正しい、ただし国力の範囲内でならね。当時の米民主党指導部、いやFDRは合衆国の生産力を一桁間違えていたとしか思えないよ。
それとも勝ち目が見えない戦いをあえて選んだのか‥‥?
もしもFDRことフランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領でなかったら、かい?
どうだろう? イエロー・パージにしても日本人絶滅計画にしても、FDR個人のものではなく米民主党指導部の大半が賛同していた訳だからねえ。
もしFDRが二期目の途中あたりで事故死していたとしても、政策は大して変わらなかったんじゃないかなあ。
無定見の権化であるヒューイ・ロングあたりが大統領になっていたら別の意味で凄いことになっていたかもしれないが、彼は米民主党の主流派に嫌われていたからねえ。
では、米共和党が政権を取り返していたとしたら‥‥って、それはかなり無理がある前提だよ。
バブル経済を放置して大恐慌を起こしてしまったのは米共和党なんだ。FDRと米民主党がそれ以上の失態をやらかさない限り政権の維持や奪取は難しいだろう。
ならフーヴァー政権が1929年秋からの恐慌と不景気を起こさせない、または小恐慌に押さえられる可能性はないのか って?
ないよ。米共和党は保守の原理主義だ。
自由主義の原理原則に従わないことはできない。
君達は日本人としての観念で物事を見すぎている。原理主義者とは原理原則からはみ出ることができないから原理主義者なのだよ。
自由主義の原理原則に従う限り、経済は放置されねばならない。政治権力による介入は最小限に押さえられねばならず、バブル経済を発生させない事や発生させてから破裂しないように制御することは、その原則に反するのだよ。
それこそアレだ、政府が市場経済を統御するなど、自由主義者からすれば人間をゾンビにしてしまうようなものさ。
君らだって、「何百年でも生きられるゾンビにしてやる、だからこのゾンビ薬を飲んで死にたまえ」と言われても嬉しくないだろう? たとえ本当にゾンビとして復活できるとしても、目の前でそれを実践されたとしてもだ。
言い換えてしまえば君達は反ゾンビ原理主義者だ。いや、僕だってゾンビは御免だけど。
自由経済原理主義者にとっては、経済上の自由がなければ死んだ方がマシなのだよ。
そうだよ? 当時の、そして建国以来の合衆国人がいう自由とは銃を手に取る自由であり、手に取った銃で誰かを撃ち殺す自由だ。
経済的に言えば野放図な経済活動に邁進して恐慌を引き起こす自由だ。
彼らの言う自由、彼らが求める自由には「自制する自由」や「協調する自由」は含まれていないんだよ。
それは彼らからすれば隷属と屈服の言い換えに過ぎない。
愚かに見えるだろうが、それは君達がフンコロガシを見て不潔な生き物だと思うのと同じ事だ。
フンコロガシから見れば牛馬の糞は安全で清潔な食べ物なんだ。同じように向こうから見れば、日本人は自ら奴隷になり虐げられることを選ぶ愚か者なのだよ。
うん、彼らの歴史や世界には、およそ真っ当な君主や政府は存在しなかったし、これからも存在しない。
彼ら自身が求めていないからね。だから彼らの作る政府は常に大企業とその持ち主達の言いなりなんだ。「民主主義はその市民の民度に応じた指導者しか選べない」というのは動かしようのない事実だ。まあ、他の政治制度でも同じなのだがね。
合衆国人が国益という言葉の意味を真に理解しているのなら、大陸鉄道を骨抜きにしてしまうような愚行は起きなかっただろう。
いや、ヘンリー・フォード氏個人に全てを帰すのは公正ではないな。功罪が極めて大であることは確かだが。
当時の合衆国人には、立憲君主制というものがどうしても理解できなかったんだ。
君達は生まれながらにして陛下の赤子であり、皇国の民としての自由を持っている。だから、彼ら合衆国人達の「自由を脅かされる」恐怖を理解できないだろう。僕だって完全に理解している訳じゃないがね。
そうだね。日米両国の相互無理解こそが戦争の原因なのだろう。
日本だって合衆国を理解していなかったからこそ戦争に訴えた訳だからね。
どこまで話したかな?
そうそう、ニューディールも軍備ケインズも破綻したからこそ、合衆国は戦争をしなくてはならなかったんだ。
戦争の主敵が日独だったのは、経済的に当然だったのだよ。
だって君、考えてもみたまえ。合衆国なら二~三ヶ月もあれば大英帝国を干上がらせてしまえるじゃないか。
そんな短期間の戦争では合衆国の生産力に見合った消費ができないよ。
合衆国が欲しかったのは殴り甲斐のある丈夫なサンドバッグなんだ、つついただけで壊れてしまうガラクタじゃない。
軍事的にもだが、当時の世界情勢では合衆国が「英国は見捨てる」と表明しただけでお終いだよ。
戦費が足りないんだ。合衆国の後ろ盾がなくなれば英国は瞬時に破産してしまう。
ナチスドイツのポーランド進駐が始まるまで英国が戦争を避け続けた理由は、結局は予算だからねえ。
余所はともかく、米国からの借金を踏み倒しなんかしたら一発で経済が止まってしまうよ、ギャング団が支払いをしないのと銀行がしないのでは意味が違う。
外交と違って経済で二枚舌は通じないんだ。無理矢理通じさせるならば暴力が要るが、当時の米英関係でそんなことができる力の差はない。
だからそれなりに手強くて、合衆国製の船舶を適量に沈めてくれる敵が必要だった。だからこそ世界有数の海軍を持っていた皇国と、通商破壊能力に定評のあるドイツを敵に回したのだよ。
たとえば赤軍相手では、自沈でもしないと損害がでないからね。沿岸ならまだしも、北大西洋ではそうさ。
ソヴィエト・ロシアの海軍は沿岸防衛用海軍だったんだ、たとえ彼らがドイツ第三帝国に代わって欧州半島を制したとしてもブリテン島の裏側で戦うことはできなかっただろう。
あるいはその為にこそ、合衆国の財界はナチス党を育てたのかもしれないが。
ん? 泡沫野党だった国家社会主義ドイツ労働者党に資金援助を続けたのはデュポンやマリガンといった合衆国の大財閥だよ?
理由? そりゃ、獲物は太らせてから仕留めた方が良いじゃないか。
ユダヤ陰謀論じゃないよ、公式記録にも残っている。そう、無論ユダヤ系財閥も一枚噛んではいるが、それ以外の財閥こそが多く噛んでいるんだ。
まあ、ユダヤ系組織にとってナチス党への投資は完全な無駄ではなかったからね。もしなかったとしたらドイツはあそこまで強大にはならなかっただろうし、そうなれば東欧のユダヤ人達がマンチュリアへ脱出することもできなかっただろう。
ソヴィエト・ロシア及び共産勢力圏内で推定2000万人もの非スラブ系住民が排除され、その半数がユダヤ系だったとされるからね。
ああ、飢餓輸出政策による死亡者は数にいれてないよ、入れれば更にその三倍はいくが。推定一千万人のユダヤ人を殺したのは飢餓や疫病ではなく銃と刃物と棍棒と縄、あとは火かな? 要は人が人の手で殺されたのさ。
バルト三国など協定諸国により解放されたときには人口が元の4割程度にまで落ち込んでいたからねえ。共産主義そのものもだが、僕にはソヴィエト政権を持ち上げる人間がさっぱり理解できないよ。同類だと思われたいのかなあ?
先祖にユダヤ教徒がいないことを証明できなかった自国民をゲットーに押し込めていたナチスも大概だが、それでも欧州史のなかではまだマシなんだよこれが。
フランス革命期やその後のグダグダ具合なんかもう見てられないよ?
ドイツや東欧から来たユダヤ系マンチュリア移民は色々と問題があったが、少なくとも日独ユの三者にとっては得があった。
人手が欲しい皇国と、人あまりをなんとかしたいドイツと、安住の地が欲しかったユダヤ人とユダヤ人だということにされてしまった欧州人たちにはね。
うん、損をした人々は勿論いるよ、大勢。それがどうかしたのかね?
話を戻そうか。
FDRを含め、民主党指導部やその支持者が戦争を舐めていたのは確かだね。
それまでアメリカ合衆国が戦った対外戦争は楽勝ばかりだったから無理もないが。
例外は独立戦争やカナダとの戦争ぐらいじゃないかな。あと内戦だが南北戦争。
メキシコともスペインとも、一部部隊の苦戦はあっても戦争全体で言えば遠足のようなものだった。
まともな、というのも変だが国家や民族の命運が掛かった総力戦など、やったことがなかったからね彼らは。
そう、アメリカ合衆国は敵とも呼べない格下か、なれ合いができる身内相手としか戦ったことがないのだよ、二次大戦前まではね。
一次大戦? 合衆国は疲労しきっていたドイツ第二帝国を殴りつけただけじゃないか。あれを戦争と言い張るのなら隅田川は毎年夏に戦場になっている事になるよ。
合衆国将兵にとって、初めて総力戦を行う敵が協定諸国軍だったことは不幸としか言い様がないね。
カモ撃ちしかしたことのない者が空気銃持ってヒグマを狩りに行くようなものさ。
あくまでも個人的な意見だが、合衆国が戦場で負けた理由はこれだと思うんだ。
彼らは遠足気分でヒグマを撃ちに行って返り討ちにあう素人でしかなかった。
人がヒグマを狩るには、強力な武器とヒグマの習性などに対する深い理解、そして何よりも数が必要だ。
ケダモノを仕留めるのにだってそれだけの事をしなくてはいけないのに、人間を相手に舐めてかかれば負けて当然だよ。
日本軍もサンフランシスコやフロリダ沖で酷い目に遇わされたがね。
ただ戦略・政略・経済において皇国の指導部がホワイトハウスの面々より優れていたかというと、どうだろう?
違っていたのは真剣味というか追いつめられ具合だった気もするね。むしろ冷静でなく、広い視野を持たず、被害妄想に捕らわれていたからこそ皇国政府は思い切った戦争指導ができた訳でもあるし。
当時の皇国政府が抱いていた切迫感や危機感は、君らには解らないだろうなあ。僕だって本当に解っているとは言い難いが。
歴史上の存在になってしまった今と違い、日本にとってアメリカ合衆国とはそこまで強大な敵だったのだよ。理解不能な、ね。
まあ、戦術面で優っていたのは確かだね。特に緒戦で勢いに乗れたのは大きいな。
武器の性能や数については、開戦当初では明らかに合衆国側が劣っていたからね。
互角に近いのは潜水艦ぐらいかな? ただ、潜水艦も魚雷の信頼性不足には泣かされたようだが。
うん、もしも開戦前からメイド・イン・USAの魚雷がまともな性能だったら、協定諸国の損害は史実の二倍や三倍ではきかなかっただろう。
合衆国でまともな魚雷が量産される頃には、合衆国にはまともな腕の船乗りが少なくなっていたから助かった。そうでなければ皇軍の勝利はなかったかもしれないよ。
一次大戦で英国を滅亡寸前にまで追い込んだのは潜水艦だったし、二次大戦では滅亡させてしまったからね。
いやまあ、潜水艦だけでブリテン島を干上がらせてしまった訳ではないが、潜水艦がなければ不可能だったことは間違いない。潜水艦が、と言うよりはディーゼルエンジンとリビア油田が干上がらせたのかな?
うん? 第三帝国の指導者がウィルヘルム二世級の大馬鹿者で、二次大戦版ジュットランド海戦を強行したあげく海上封鎖に失敗する?
そんな架空戦記もあるのか、思い切った設定だねえ。ヒトラー贔屓の読者が怒ったりしないかね?
作中ではドイツ指導者は別人? それはそれで抗議が来そうだなあ。
史実でそうならなかったのは、やはり負けたが故にドイツ海軍に戦訓が実ったのだろうね。
彼らは合衆国の弱点に気付いていたのだよ。人間を工場で量産できないという弱点に。
だからこそ彼らは、そして彼らから潜水艦戦術を取り込んだ日本海軍は「船乗りを殺す」ことを主軸にした戦い方を選んだんだ。
合衆国が対潜水艦戦術を身に付ける前に一隻でも多くの船を沈めることで、輸送中の兵員を海に沈めることで、陸に上がってる船乗りを砲爆撃で仕留めることでね。
当時の合衆国の生産力は、名目上の数字だけなら皇国より上だったことを忘れてはいかんよ。
生産効率と生産物の質において劣っていたとしても、圧倒的な数はそれを圧倒できるのだから。竹槍だって10対1なら名刀にだって勝てるじゃないか。
余程の腕の差がないならそうなるよ? なんなら剣道場で実験してみるかね?
いや、歴史上の出来事になってしまったからこう言っているのであって、当時の僕はなんとかなるんじゃないかと思っていたよ。かなり不安だったが、勝ってるうちは気が大きくなるものさ。
戦争と野球を一緒にする気はないが、強ければ絶対に勝てるというものでもないからね。
話を戻そうか。
確かに当時合衆国の国力は絶大だった。統計上の数値だけで言えばただ一国で全世界の4割近い生産力を誇っていた。
だがしかし、そんなものではチャイナや東南アジアやアフリカを制圧しきることはできない。北アメリカの原住民相手でもそれなりに手こずったのだよ、いくら合衆国でも全世界の制覇は不可能だ。
故に二次大戦において彼らの戦略的大勝利は有り得ない。
完全制覇以外は勝利と呼べないよ。合衆国の戦略目標から言ってね。
部分的な勝利では各地に傀儡政権をうち立てるのが精一杯だ。で、合衆国の傀儡にまともな国家運営ができるかな? 蒋介石や李承晩や呉廷琰(ゴ・ディン・ジエム)に?
できるわけがない。
彼らは合衆国に尻尾を振るしか能がないし、そんな指導者しか傀儡にできないのが合衆国だ。
これは善悪の問題ではないよ。国情の問題なんだ。人はそれぞれの立場で最善を尽くそうとしているだけなんだ。
人間も牛糞にたかるフンコロガシも大差はない。違いは他者を転がす糞の種類で詰り嘲る愚かさと、それを窘める知恵の両方が人間にはあるだけさ。
合衆国が音頭をとっている限り、世界市場の健全な発展はありえない。全世界の国々が、そのほとんどが元首や首相に蒋介石や李承晩や呉廷琰と同程度の人材を頂いている図を想像してみたまえ。
したくない? 僕もだよ。
役立たずの傀儡しか選べない以上、合衆国が覇権を握れば全世界がフィリピンやパナマと化すだけさ。合衆国の影響下にあった時期の、ね。
故に合衆国の、FDRの戦略的大勝利はありえない。
たとえ日本列島を全て焼け野原に変えたとしても、たとえ彼が意味不明に嫌っていた日本人を皆殺しにしたとしても、結局のところ合衆国は瓦礫とゴミための支配者にしかなれないのさ。そんなものはとても勝利とは呼べないね。
だから言っているだろう? 原理主義者に妥協はできないのだよ。
白人至上主義者にとっては、日本人と組むぐらいなら死んだ方がマシなんだ。下僕として扱うならまだしも、対等の相棒にはとてもできはしないよ。
イエロー・パージに反対した合衆国内の有識者たちが、誤認や濡れ衣以外の全員が対日協力者であったという事実を忘れてはいかんよ。皇国の理想に共鳴した、合衆国を見限った者あるいは金銭その他の報酬に目が眩んだ裏切り者以外の誰一人として、日系人の拘束や強制収容に異を唱えなかったのだからね。
当時の、いや、建国以来一貫して合衆国では日本人にも日系人にも人権は認められていなかった。滅亡するまでね。少なくとも合衆国内で、対日協力者でない社会的立場のある知識人は誰も認めていなかった。
19世紀後半に至るまで奴隷制度が横行し、20世紀の半ばになっても実質的な奴隷制度社会だった合衆国の異常さを忘れてはいかん。日本人の常識に捕らわれたまま世界の歴史を理解しようとしても無理だ。
合衆国の常識からいえば日本の方が異常な国家なのだろうね。
案外と、FDRが戦争に踏み切った理由は理解不能な日本への恐怖なんじゃないかな。
彼は彼なりに愛国者だったろうからね、愛する祖国が黄色人種国家と手を結ぶ姿を見るぐらいなら滅んだ方がマシだと思い詰めていたのかもしれない。
ん? 脳内で妄想を煮詰めたあげく無理心中を図るストーカーだって、対象を愛していることには違いないじゃないか。
うん、ルメイ将軍やテスラ氏も合衆国を愛していたと思うよ。どういう種類の愛情だったかは想像もしたくないが。
歴史から学ぶのは大いに結構。だが闇を見つめるときは、闇の方も君達を見つめていることを忘れないでくれたまえ。忘れると闇に呑まれるよ。
お茶のお代わりもう一杯、貰えるかな?
続く。