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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/14 12:17






            その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』






 日米開戦から二ヶ月、戦局は大方予想通りに進展していた。



 まず北欧。協定諸国の支援を得て善戦していたフィンランド軍だったが、赤軍のなりふり構わぬ攻勢に押されじりじりと後退中である。
 その凄まじさは超低空飛行した旧式輸送機から落下傘なしで歩兵を降下させるとか、スキーを履かせた兵に持てるだけの食料を持たせて多方面から徒歩侵入させるなどといった狂気の沙汰が赤軍では日常になってしまった程だ。
 「一キロ進むために一個師団が溶ける」とヴォローシロフ元帥は嘆いたが、費用対効果を無視した力圧しは確実にフィンランド軍の体力を削り取っていた。

 日米開戦を受け、日本軍の北進はないと確信したクレムリンは極東軍を更に削減し、浮いた戦力を西へ運んだのだ。
 更に合衆国からの物資が黒海方面から供給されるようになった影響も大きい。
 肝心の指揮系統は回復が遅れているが、これも刑務所から軍隊経験のある政治犯を条件付きで釈放したことにより見通しが明るくなってきた。赤軍は復活しつつあるのだ。

 対するフィンランドだが、協定諸国からの更なる支援を受けつつ奮戦を続け、そして講和を切り出す時期を伺っていた。
 元から勝てる相手ではない。しかし言われるままに領土を渡せば全てを奪われる。だから、守れるものだけでも守り通すために彼らは戦っているのだ。

 どのような形になるにせよ、講和は成るだろう。日米が開戦し独英の停戦交渉が暗礁に乗り上げた今となっては、クレムリンの主が怖れていた協定諸国軍によるレニングラード侵攻は有り得ない。
 夏までに北方を安定させたいソヴィエト・ロシアと国家としての致命傷だけは避けたいフィンランドには、講和すべき理由がある。



 続いて東欧。 こちらはにらみ合いが続いている。
 ロシア領西側と、ポーランド戦のどさくさに紛れて赤軍が制圧した旧バルト三国には延々と続く野戦陣地が築かれている。
 対するドイツ軍側は東プロイセン以外の防衛ライン構築を控えめにしていた。ポーランド及び占領したソヴィエト領土内で機動戦を行う気満々なのだ。敵地への侵攻はその後、という訳だ。
 赤軍の機動力を押さえるために要所要所に防衛拠点を建設し対戦車障害物などの敷設を行っているが、敵と比べれば陣地作りの熱意は低い。それよりもまずは装備の充足と物資の蓄積を急いでいた。

 ルーマニアなど東欧そしてバルカン半島の諸国は次々とドイツ第三帝国と同盟を結んだ。ソヴィエト・ロシアという人食い熊に対抗するには、ナチス・ドイツを後ろ盾にするしかない。フィンランドへの赤軍侵攻が事実上のお咎めなしとなってしまった以上、国際連盟は頼りにならない。
 それに、熊と違って狼ならば、飼い慣らせる可能性がある。当然ながら防共協定にも参加している。

 独伊日などからの援助が目当てではあるが、ソヴィエト・ロシアの下腹を脅かす点で援助を望まれている側にとって無駄な投資ではない。東欧諸国は戦争など望んでいないが、それを信じるかどうかはロシア人達が決めるのだ。
 日独との戦争で連敗し今また小国相手に手こずっている現実が、赤軍への侮りを産んでいる。主要な協定諸国はそれぞれの逼迫度と懐具合に応じて、クレムリンの主を刺激しすぎない程度の支援を新しい参加国へ送っていた。


 独仏国境付近は、デンマークが第三帝国により保障占領された。デンマークとしては中立でいたかったようだが、両陣営から見て放置しておくには地勢と勢力が良すぎたのだ。
 バルト海や北海で頻発した大小の海戦で英仏海軍が痛手を受けたこともあり、北欧とドイツを結ぶ交易路は安定している。ドイツがデンマークに配置した航空戦力の傘がある限り、北海の制海権は英仏のものとは言えない状態が続くだろう。

 既にベルギー・オランダ両国は軍の動員を開始しているが、元から軍が弱体な上相手が精強無比のドイツ軍とあって兵達の士気はなかなか上がらない。それはそうだ、開戦以降負けなしの軍隊と戦うのは誰だって嫌だろう。普通の人間ならば。
 ドイツ空軍対英仏空軍の航空戦は、もはやいかなるプロパガンダをもってしても隠しようがないほどの優劣が見えていた。
 英仏側も4機編制など敵の戦術を取り入れ対抗しようとしているが、あまりの損害に北フランスに展開した航空戦力は活動不能に陥りつつあった。英国自慢の新鋭戦闘機部隊も全滅判定が下され、本国へ帰還している。

 劣勢明かな英仏両国は航空機、特に戦闘機の増産と搭乗員の育成を急いでいるが間に合いそうもない。
 育てるのが間に合わないなら募集するしかないが、飛行免許持ちの傭兵や義勇兵はフィンランド戦線へ行った者が多く、「危険」で「給料や待遇が悪い」上に「開戦理由が碌でもない、大義が疑わしい」という三重苦そろった北フランスの空へ、自発的に来る者はそう多くなかった。



 チャイナ地域では各軍閥の小競り合いと、一強としての地位を固めた南京政権(汪兆銘派)の勢力拡大が続いている。そして米国から重慶を拠点とする国民党軍(蒋介石派)への援助も、インド洋から中立国タイや英領ビルマ経由で今も続いていた。

 ドブに金を流し込んでいるのと大差なかった日米開戦前と違い、最近はこの援助が戦略上大きな意味を持ちつつある。
 チャイナ地域の勢力図変化、そして重慶国民党軍の一部と南京政権が水面下で取り引きを成立させたことにより、重慶からドイツ勢力圏まで航路が繋がったからだ。
 ソヴィエト・ロシア以上に取り引きしやすい大手と販路が繋がった国民党軍は、前にも増して横流しを続けている。

 つまり極端に言えば、新大陸から延々と海を越え山を越えて運ばれた蒋介石派向け援助物資は、重慶で貨物船に積み替えられてまた延々と河を下り海を越え山を越えてベルリンまで運ばれるのだ。物資の代金は南京政府が、つまり日本が金塊や医薬品などで内通した重慶国民党の各軍閥へ支払った。

 代金を肩代わりしてもらったドイツは、バーター取り引きの交換比率を調節したり日本がライセンス生産しているドイツ製兵器のパテント料を値下げするなどして長期間で借りを返していくことになる。

 重慶国民党軍のこの行いは、どうしようもないくらいの裏切り行為だが現地担当者が挙げる再三再四の報告も無視して米国は相変わらず蒋介石派へ援助を続けていた。
 重慶国民党は組織として既に先が見えている。しかしその裏切りは米国にとって致命傷にならない。チャイナを操る傀儡が欲しければまた適当な軍閥を援助漬けにすれば良いのだ、所詮チャイナ戦線に投入した物資など端金に過ぎない。

 どういう訳か極東情勢に関してのみ知能障害を起こす大統領以外の、ホワイトハウスの住人達はそう考えあえて放置していた。日本を殴り倒せばチャイナ利権が丸ごと手に入るのだ、細かいことはその後で構わない、と。

 軍閥には違いないのだが、現在の南京政府は民主主義でも漢民族でもなく汪兆銘個人に忠誠を誓った、現代の清流派とでも呼ぶべき清廉潔白で、そして清流派と異なり本当に清廉で有為有能な青年将校団が集団運営する、極めて特殊な軍閥なのである。
 そのことの実態や意味に気付いている者は、ホワイトハウスにはまだ一人もいなかった。

 

 マンチュリアでは日本軍が赤軍の圧力減少を利用して軍の改変を急いでいる。これは日本軍だけではなく満州国軍や内モンゴル軍も同様に、だ。
 日本式の装備と戦術教本で再編されたこれらの軍隊は、以前とは比べものにならない精鋭部隊となりつつあった。一部の部隊は、こと満州やモンゴルでの戦闘に限れば日本軍の上を行くであろう。

 ソ満国境線付近の要塞線構築と地雷などの敷設埋設作業も24時間体制で進められていた。作業現場の労働者には現地の漢族や朝鮮族や白系ロシア人達以外にも、ポーランド人やユダヤ人など新参の移民達が多く含まれている。
 言葉だけでなく文化や信仰の違いから、数多い新顔を迎え入れた現場にも市街にも摩擦と軋轢が絶えなかったが満州政府の厳しくも公平な統治と、遅配無くたっぷり支払われる日給が不平不満の爆発をどうにかこうにか押さえ込んでいた。


 フィリピンでは、日本軍による軍と軍施設への砲爆撃と機雷封鎖が続いている。米側の戦力、在フィリピン艦隊と航空部隊は連日の戦闘で無力化した。
 フィリピン軍は要塞に立てこもり交戦を続けているが、敵の日本軍は上陸してこないので陸上部隊は活躍のしようがない。

 フィリピン諸島は西太平洋海上交通の要所である。海洋国家である日本はフィリピンの港湾群を利用しなくてはならず、合衆国との戦争となれば真っ先に攻略し占領しようとする筈。
 それが米軍の見通しであったのだが、台湾や海南島の港湾施設が拡大充実されたことや日本商船の性能が大幅に向上したこともあり、フィリピン諸島の戦略価値は日本側にとって激減していた。

 機雷で封鎖されているにも関わらずマニラ市などの都市部にも農村部にも密輸されたと思しき武器弾薬が溢れている。
 大地主の私兵と独立派ゲリラと騒ぎに便乗する強盗団などが跳梁跋扈して、ルソン島の治安は悪化する一方だ。
 なお、米国政府が日本軍によって供給されていると決めつけたこれらの火器類は、その殆どが米国製もしくは米国式規格に合わせて製造されたものである。
 マニラの闇市場では22口径ロングライフル弾を使う小動物狩猟用ライフルや、45口径ACP弾を使う先込め単発式の拳銃が弾薬と共に一山幾らで投げ売りされている。

 何の皮肉か、おまけで付いている45口径弾の実包10発の方が余程製造費ががかかっていそうなこの粗製拳銃‥‥なんと銃身は水道管のぶつ切りだ!‥‥は『リベレーター(解放者)』なる通称で呼ばれていた。


 グアム島やウェーキ島など小島の米軍は日本海軍の急襲を受け、早々と無力化している。ミッドウェイ島やハワイ諸島上空にも時折水上機が現れ、小型爆弾やビラを投下していったが爆撃で大した被害は出ていない。
 むしろ潜水艦による通商破壊戦の方が問題だった。Uボート部隊が英国に与えている被害と比べれば軽いが、それでも既に10万トン以上の商船がハワイ近海と西海岸で沈められている。
 対して米海軍による日本勢力圏内への通商破壊は、マニラ軍港への空襲で備蓄されていた200本以上の潜水艦用魚雷が残らず誘爆したこともあり、目立った成果はまだ上がっていない。


 小規模なものとはいえ自国の拠点が次々と無力化し、一方敵の損害は開戦のきっかけになった事件で与えたもののみ‥‥という状況に焦った米海軍は乾坤一擲の大作戦を計画した。
 米太平洋艦隊の主力である戦艦8隻、空母3隻を中核とした艦隊をフィリピンに送り込み、阻止に出てくるであろう日本海軍と決戦を行うのである。

 扶桑級と伊勢級が退役したとはいえ、新型を含め最大9隻の戦艦を使える日本側に対して旧式艦8隻では分が悪いという意見もあった。
 だが、フィリピン戦で艦砲射撃に当たっている金剛級二隻の砲身命数が、艦隊戦に参加するのは不可能としか考えられない数の対地砲撃が行われたこと。呉沖で被雷した陸奥の損傷が予想外に大きく当分の間出航できないこと。そして新型の高速戦艦である浅間級一番艦が機関部の故障によりこれまた出撃不能になったことが、米海軍に勝機を見させていた。


 これらの情報は、ドイツの反政府と言うよりは反総統な勢力から英国に漏らされ、米国に伝えられた。
 日本帝国は以前と比べて防諜に気を配るようになったが、どういう訳か味方や敵ではないと判断した相手には極端に防御が甘くなることが多かった。
 特に駐独大使である大島大将はその盛大な漏らしっぷりで、英国の諜報関係者から「ベルリンの大穴」と呼ばれるほどだった。

 金剛級は元巡洋戦艦な上に艦齢30年近い老朽艦で俊足以外に取り得のないブリキ装甲、16インチ級主砲を持つ長門級は一隻のみ、謎の新型戦艦常陸級は長門級にそっくりな外見からして大幅な性能向上はない筈。
 こちらにも16インチ砲を持つ戦艦が3隻ある、日本の艦船が英国の模倣品にすぎない点を考えれば最悪でも五分に持ち込める。

 であれば、こちらの残り5隻で金剛級2隻を瞬殺し、むこうの残る3隻を8隻がかりで袋叩きにすれば良い。
 時間が経てば日本海軍の戦艦が次々と修理や整備を終え、あるいは新造された戦艦が訓練を終えて戦線に加わる。
 少なくともあと一年は、時間は日本軍の味方なのだ。今のうちに叩けるだけ叩いておかねばならない。

 8対9では厳しいが、8対5なら勝ち目は充分にある。その判断に傲りは無かった。無い筈だった。





  【1940年3月14日 午後1時 ローマ郊外 とある日本風建築物】



 「そう思うんならそうなんやろな、そいつの頭んなかでは」
 「ですな」

 ローマ郊外に数年前建てられた日本風の建築物。あくまでも日本風であって、日本家屋ではない。ここは訪れた客に日本料理を振る舞う場所、つまり料亭だ。
 その中庭で、二人の男が池の鯉に餌をやっていた。初老の小男と、中年の男。

 二人は従業員でも経営者でもなく、地元の人間で客である。が、馴染みの上客である彼らのために料亭側は出来る限り便宜を図るつもりであった。加えて今日は貸し切りだ。
 二人が池の鯉に餌をやるくらいのことを咎める者はない。

 ちなみに餌へ群がる色とりどりの魚類どもは、出すべき所へ出せば大衆向け乗用車よりも高額で取り引きされる存在だ。同重量の黄金、とまではいかないが純銀より高価である。
 残念なことに食材としての価値は地味な模様の同種に劣っている。単純に、煮ても焼いても食べると不味い。


 「で、どないなった?」
 「戦艦はカリフォルニア、メリーランド、テネシー、アリゾナが。空母はレキシントンとレンジャーが。巡洋艦は重軽合計で7隻が沈みました。駆逐艦は21隻」

 1940年3月11日、南太平洋で日米の海軍による大決戦が行われた。 
 数名ではあるが、イタリア王国の海軍軍人が観戦武官としてこの海戦にも参加していた。もちろん友好国である日本の船に乗って。それ以外にも複数存在する経路を通って、この海戦の情報は欧州まで速やかに伝わった。

 「おうおう、金持ちは違うのう。うちの海軍なら全滅しとるやないか。って、日本海軍はどうなった? 被害は? 何隻沈んだんや」
 「沈んでません。巡洋艦羽黒と那智が被雷により大破、駆逐艦大月以下4隻が砲撃により中破、残りはどれも小破に留まりました」

 日本側呼称でトラック島沖海戦と呼ばれたこの戦いで、日本海軍は完全試合と言って良い勝利を手に入れた。
 不幸にも米太平洋艦隊は歴史上において帝政ロシア第三艦隊と同じ区分けの中に放り込まれることになった。黄色人種の艦隊に袋叩きにされた見かけ倒しの艦隊として。

 「気の毒やなあ、キンメルやったか? その提督」
 「はい。むしろ良くやった方かと」 


 二人は日本海軍の勝利に全く動じていなかった。現在の日本に行った者は大抵そうなる。一度でもあの熱気を肌で感じてしまえば、今の日本と正面からぶつかる気は起きまい。
 この意見に頷く者もいる。現在の日本を知らなくても冷静に両者の戦力を計算すれば、少なくとも米海軍の快勝が有り得ないことは明白だ。奇跡のような幸運が何重にも積み重なって戦術的辛勝、戦略的惜敗が良いところだ。

 元々米太平洋艦隊の戦艦は金剛級と大差ない高齢艦ばかり、いやむしろ長門や常陸級二隻を足して平均し比較すれば連合艦隊より旧式である。更に言えば金剛級なみに小型軽量の艦も少なくない。
 そもそも米海軍には一世紀近く実戦らしい実戦の経験がなく、ルーズベルト政権発足以来訓練費用が削られ続けた結果として練度も危険域にまで下がっている。士官の水準はともかく下士官兵の技量が日本海軍とは天と地ほども違うのだ。

 どのようなスポーツでも職業選手が練習を怠れば覿面に技量は落ちる。一日練習を怠った遅れを取り返すには数日かかるともいう。
 将兵の技量も、訓練の回数と時間が減れば確実に下がる。現政権の発足以来、十年近い時をかけて合衆国海軍の技量は下がり続けていた。
 野球でもなんでも良い、とある職業スポーツ団が数年間に渡り公式試合から内部練習まで、全ての活動を数分の一に減らしてしまった状態を想像してみて欲しい。それがこの時期の合衆国海軍だった。
 僅か8年、されど8年。歪な予算配分は本来強大であるはずの米海軍を骨抜きにしてしまった。外洋海軍を育てるには大国が世紀単位の時間を費やさねばならないが、台無しにするには数年で充分である。


 箱物優先で進められた軍拡により、合衆国の造船施設や火砲の製造設備は強化されている。しかし人員や武器弾薬は足りていない。
 設備投資に金銭や資材を使いすぎたのだ。弾薬庫は立派になったが中身を充足する前に戦争が始まった。
 戦争機材の生産も蓄積も全く足りていない。弾薬どころか水兵の服や見張り員の双眼鏡まで不足気味である。
 辛うじて比較になるのは兵達の士気ぐらいのものだ。現時点では色々な意味で米国海軍は日本海軍に及ばない。

 そして、これだけの戦力差がありながら正面から何の策もなしに突貫していったことから考えて、指揮官や参謀の能力にも高い評価は与えようがない。前線の将兵に負担を押し付けた司令部の面々は特に。
 政府のごり押しでまともな作戦立案は不可能だった? 馬鹿馬鹿しい。そこをなんとか政治家や官僚を宥めてより正気を保った作戦案を通させるのが高級幹部の仕事ではないか。

 英国の某新聞には 小柄な年寄りの素人選手ばかり集めたアメリカのフットボールチームが、大柄で若い精鋭が主力な日本のフットボールチームに惨敗して「はて? 俺(彼)は何で勝てると思ってたんだろう?」と両チームの監督が首を捻っている ‥‥という風刺画が載ったほどだ。


 しかし常に実体験者の数は媒体越しの情報しか持たない者より少ない。そして碌に情報を探さず集めず読みも分析もせず、脳内にあらかじめ用意してある結論をわめき立てる輩は、前者二つの合計よりも多いのだ。
 勝てると信じた戦いに敗れた軍と将を、米国市民は決して許さないだろう。陣頭指揮を取り戦死したキンメル提督はまだしも、その家族には辛い生活が続くことになる。

 「まったく、アカの戯言やマフィアの賄賂に引っかかるからや。バカやのう」
 「巨人は愚かなものと決まっとります。でないとこっちは何もできまへん」

 それはそうだ。もしも米国の統治機構がその国力に匹敵するほど賢明であり、建国以来一分の隙もなく国家を運営していたならば今頃は全世界どころか月の裏側まで星条旗が翻っているだろう。


 数日後の話となるが戦場からの離脱に成功した戦艦4隻も損傷が激しく、結局真珠湾のドックへ入れた戦艦はネバダのみ。
 彼女は同じく大破した空母サラトガと共に療養に専念することになる。オクラホマ以下3隻は帰還不可能と判断され味方駆逐艦により雷撃処分された。

 米国がこの一戦で失った大型艦は総計で戦艦7、艦隊空母2、巡洋艦9隻。これに駆逐艦、潜水艦、輸送艦や小艦艇も含めれば喪失は50万トン近くになる。
 死者・行方不明者は海軍だけで1万6千とんで5名。未曾有の大被害だ。
 後方に控えていた輸送艦隊は海戦の結果を見て引き返したので、陸兵達は無事ハワイへ帰還できたのがせめてもの慰めだろう。


 普通の国なら、いや列強であっても継戦が危ぶまれる数字である。日本海軍の中にも、これで手打ちとなると考えた者は少なからずいた。

 米国の世論はかつてない敗北に爆発した。宇宙の果てまで爆発した。
 連邦政府は「海軍は奮闘した、敵にも高速戦艦ヒラヌマとタカサゴ2隻を始め多大な損害を与えた」と発表したが、敗北に憤る人々を鎮めるには及ばなかった。

 米国の大学からは学生の姿が消えた。祖国の危機に若者達は挙って軍に志願したのである。
 高校以下の学校からも多数の生徒が消えたが、その殆どは担当の軍人や現地の保安官などに諭されて教室に帰ってきた。
 女学生達は軍に志願こそしなかったものの、少なくない人数が軍の応援団を結成して兵士達にエールを送り、そうでない多くの女学生は社会奉仕活動へ積極的に参加した。

 もちろん志願者は学生層だけではない。老若関係なく多数の市民が軍に集まり、そしてその多くが軍や軍需工場へに組み込まれていった。
 政府の財政窓口には個人団体を問わず寄付金が殺到し、各地で市民が自警団を結成して銃後の守りを固めた。固められるついでで踏み潰される者も出たが、他の時代や他の国家で潰されたものたちと同じく、そのうめき声が踏み潰した側の耳に届くことはなかった。

 米国は目覚めた。一発殴られたら二十発も三十発も殴り返すのが彼らの流儀なのだ。たとえ彼らの方から殴りつけたのだとしても、彼らの方からぶつかったのだとしても、彼らの方から相手に近寄ったのだとしても。


 「それにして平沼と高砂はないやろ、もそっと雅な偽名は思いつかんかったんかい」
 「せめて飛騨と高千穂にして欲しかったですな」

 米国人の諧謔はつまらないというのが民族ジョークの定番だが、今回ばかりはその意見に賛同できる二人だった。



 「詰まらんと言えば、あの言い訳もつまらんかったのう」
 「国務長官が入院してしまいよりましたからな。怪しいにも程があります」

 この言い訳とは、日米開戦の引き金となった、いわゆる「ハル・ノート」のことである。

 列強各国の首脳部を(一名を除いて)そろって絶句させた前代未聞の外交要求文書は、合衆国内では偽造文書ということになっていた。
 入院中のコーデル・ハル国務長官も、「私はこのような恥知らずな文章など関わった憶えはない」と断言している‥‥と合衆国の報道機関は言っている。
 これは事実である。戦後明らかになったように、コーデル・ハル氏は実際には「ハル・ノート」制作に関わっていないからだ。名前は勝手に使われて、しかもそれが歴史上で定着してしまったが。

 日本側は文書の写真まで公開しており、ドイツなど防共協定諸国は「これは確かに合衆国の文書でありハル氏の筆跡だ」と日本側を支持しているが、そういった情報は合衆国のマスメディアには無視されていた。


 「なあ、もしかしたらあれ、ホワイトハウスがあとで出したのが本物とちゃうんか? あの馬鹿どもが偽の外交文書書いて、本物とすり替えて野村はんに渡したんやないのか?」
 「否定しきれませんなあ。あの文書と排日論者の主張は、文脈やら思想やらがえろう似とりますさかい」

 この推測は間違っている。日米戦争終結後に解ったことだが、コーデル・ハル氏は二種類のハル・ノートのどちらにも関与していない。彼が野村大使に渡した筈の文書は、もっと穏当な内容だったのだ。

 もともとハル国務長官は、40年初頭の時期に日本と正面から戦うことには反対していた。あと2年、せめて1年半、いや一年だけでも準備に当てないと犠牲が大きすぎる。
 日本との開戦は急ぐ必要がない。というのがハル長官の持論だった。急ぐべきなのはドイツ対策だ。

 39年年末あたりに何かを仕掛けて、40年の初春あたりにドイツ第三帝国へ宣戦布告する。それだけでも合衆国経済は救われるし、欧州の統一も防げる。日本との戦いは海軍戦力に余裕ができてからでも遅くない。
 故に、ハル長官は日米の戦争を遅らせることに腐心していた。結局は失敗したがそれは彼の責任ではない。上司と、同僚の殆どと、部下のほぼ全員に結託されていてはいかに彼でもどうにもならない。


 短剣と外套の本場であるイタリア王国の諜報部は、幾つかの偶然に助けられつつも成果を出していた。合衆国の行政機関が共産主義勢力やその影響下にある他の組織に浸透され、半ば以上乗っ取られているという実状に迫りつつあるのだ。
 その下部組織の中には病的なほどに熱烈な排日論者集団も含まれる。というよりも過半数はそっち系だ。
  
 現在の合衆国行政への末期的な浸透具合からすれば、ハル国務長官の渡した文書をすり替えることも、ある一点さえ解決すれば不可能ではない。
 なにせ、当代の合衆国大統領は特定条件下で知能障害を起こしてしまうのだから。


 ちなみに、合衆国国務省が野村大使に手渡したと主張する真ハル・ノート(自称)は

 「一、日本は蒋介石政権を中華唯一の主権団体と認め、他の軍閥と外交を行わないこと。
  一、日本は占領した中華地域から撤退すること。
  一、日本は欧州の戦争に対し中立の立場に立つこと。
  一、日本は一連の武力衝突の真相を究明すべく、合衆国と合同の調査隊を編制すること。
  一、日米両国は、上記の調査により発見した犯罪人をそれぞれの祖国に引き渡すこと。
  一、(以下略)
  なお、これはあくまでも試案であり決定案ではない」

 という、これはこれで戦争になりかねないしろものだが、末尾に付いた「あくまでも試案」という一文が外交的ブラフだと言い張れる要素を残してある。

 「ただ、これだけ重要な文書を手渡すさいにコーデルはんが中身を確認せんちゅうのは有り得まへんわ」
 「そうか無理か」
 「いえ、国務長官や大使以外の両国外交員が結託しとれば充分できます」

 コーデル・ハル国務長官が彼らの知るコーデル氏である以上は、あのような文章を渡す訳がない。
 いかに戦争開始前の合衆国経済が危機にあったとしても、挑発するにしても無茶が過ぎる。コーデル・ハルの手腕ならもっと気の利いた、品のある実質的宣戦布告文書になる筈だった。


 だがしかし、両国の外交官が手を組んでいて、二種類作った外交文書の片方をそれぞれが廃棄してしまえば証拠隠滅完了だ。
 双方の政府は相手を「嘘つきの卑劣漢」として糾弾できる。
 ただ、これは互いの政府間にあった薄い信頼を完全に破壊する行為である。
 戦争になれば出番が増える軍部なら、予算や出世のために戦争を望む馬鹿がいないとも限らないが外交官がそこまでするだろうか? 
 開戦は即ち外交の失敗なのだ。普通ならば。 

 「何処ぞの推理小説でもあるまいし、その方がよっぽど無理やないか。第一、それをやって誰が得をするんや?」
 「大勢が。現にアメリカは戦争景気で大忙しやないですか」

 戦争とは盛大な消費行動である。合衆国の造船所では既に艦船の大量生産が始まっており、今回の損失を埋めるためにその勢いは更に加速している。
 手早く作れる駆逐艦や護衛空母には既に進水したものもある。大型艦だけでも戦艦18隻、艦隊空母30隻が発注され建造が急がれていた。商船に至っては数えるのも面倒くさい程だ。
 もちろん船だけでは戦争はできない。重爆撃機から便所紙にいたるまで北米地域では工場という工場が生産に明け暮れ、工場だけではなく映画などの娯楽産業も景気の向上を受けて活気づいてきた。

 確かに、戦争が起きて大勢が得をした。景気は急激に回復し、国民の意思は統一された。
 もしこの戦争が陰謀によって引き起こされたのだとしても、合衆国国民のうち純粋に被害者だと言えるのは戦死した将兵とその身内ぐらいだろう。今の所は。

 合衆国は解る。景気回復のために起こす戦争の口実が要るからだ。
 では日本は何の為に戦争を欲した? なぜ他国の外交官や官僚と結託してまで戦争の口実を作る必要があった?


 真相はどうあれ、真実と関わりなく戦争は起こった。そして今も続いている。
 もはや合衆国の国民は、この戦争が早急に終わるとは考えていない。少なくとも今年のクリスマスまでには終わらないだろう。

 日本国民には少なくない数で早期決着を望む者がいるだろうが、やがて理解するだろう。
 彼らの海軍が打ちのめしたリバイアサン(海魔)たちは、ただの露払いであることを。

 「しかし、デラノの爺の尻に火が付きよったのはええが、問題はうちの方へのとばっちりや」
 「米国の工場が本気で動き始めれば、我が国の輸出に翳りが出かねません」

 現在、イタリアは未曾有の好景気だ。農作物も工業製品も戦争景気で売れ行き好調である。投資された資金が順調に回りだして好況が次の好況を呼んでいる。
 イタリア政府の大規模公共投資や産業育成、そして汚職の追放や役所の合理化運動、民間の犯罪組織追放と治安強化が上手く噛み合わさった結果である。

 列車が時刻表どうりに来る、賄賂を払わなくとも町役場で待たされない、生ごみが決められた日の朝に残さず回収される。そういった諸事諸々が人々の生活を快適にした。
 より安全に、より幸せに、より豊かに。日々の糧と娯楽があれば市民は暴れたりなどしないし、未来に希望があれば喜んで働くのだ。

 当代の首相は近年稀にみる、いや今世紀きっての名政治家として称えられ、その人気はとどまるところを知らなかった。

 リビアで有望な油田が見つかり外貨で石油を買う必要がなくなったこともあり、イタリア軍は機械化が進んだ上に訓練が行き届いた結果かなり強力になった。
 なので内政や外交だけでなく軍事面の評価も悪くない。まあ、娘婿の忠告を聞いてアルバニア問題を穏便に解決したことも大きいが。

 新生イタリア軍は決して弱くない。しかしスペイン内戦での消耗は決して軽くない。
 祖国の防衛や地中海での海戦ならそれなり以上に戦えるが、ドイツや日本の真似事をするにはまだまだ実力不足だ。

 内政は絶賛もの、対外戦争でもまずまず無難にこなしたこともあって現政権‥‥というかその首班の人気は高い。
 冗談抜きで、首相が街を歩けば女学生の黄色い悲鳴が上がり書店では写真集が飛ぶように売れている程だ。
 どこぞの国と違い、宣伝のための省庁まで作って国民に個人崇拝や神格化などを押し付けてはいないのに、である。


 しかしここで本気を出した米国製品が欧州に流れ込めば、イタリアの儲け口が削られてしまう。ドイツとその傘下だけが顧客では厳しすぎる。まだまだイタリアの工業化は遅れていて、遅れを取り戻すにはまだまだ時間が必要なのだ。

 「やっと石油が回り始めた所なんや、イタリアが潤うには時間がかかるでぇ」
 「電力事業が順調なんは助かりますな。ドイツや東欧がアルミを幾らでも買うてくれますわ」

 飛行機から電線まで用途の広いアルミ材は、電力が足りない国や幾ら発電所を増設しても需要に追い付かない国へ良く売れていた。このなかには英国も含まれている。
 無論レートは他の国々より悪いが、英国としては背に腹は変えられない。いくら米国の支援があっても、ブリテン島に備蓄された資源資材は減る一方なのだから。  

 「ウィンストンが日本と繋ぎを付けたがっとるさかいな、紹介料代わりに食料品の買い入れでも増やさせよか」
 「あそこも内情火の車やし、支払い大丈夫ですかいな?」
 「払えんのなら金鉱でもなんでも担保にさせたるわ」 

 米国の、あまりの負けっぷりに一抹の不安を感じた英国は日本と米国の停戦仲介も視野に入れている。彼らの主敵はドイツなのだ、米国が日本にかまけるあまり欧州への派兵が遅れて、英国が致命傷を負ったあとでナチを打倒されたのでは意味がない。

 「さあ、これで状況が動くで。わしらの値をつり上げるなら今や」
 「ほどほど、ほどほどが肝心です。欲かきすぎても恨まれますさかい」
 「わしを誰やと思うとる。カエル喰い共とは違うわい」

 日和見をいつまでもはできない。ならば最高の時期に最高の間合いで勝者にすり寄る。それがイタリア王国の隆盛に繋がるはずだ。


 防共の志は同じでも、イタリア王国にドイツや日本と心中する義理はない。もちろん英米とも。仏と露? 彼らが首を吊るときに、楽に逝かせるため足を引っ張るぐらいならしてやっても良いだろう。
 全ての他国は自国の礎。スラブやゲルマンやサクソンの蛮族が洞窟で生肉囓っていた頃から謀略と外交の中で生きてきた地中海人の末裔達は、全てを祖国のために利用する気満々であった。

 もちろんそこには自分自身も含まれている。必要とあれば自らも犠牲にする者が、他人を犠牲にすることを躊躇う訳がない。

 「友達は大事にせんとあきまへん」
 「おう、いずれ裏切るためにな」

 数年前の訪日で強化した人脈を使えば、偏屈で知られる当代の英国首相が納得する程度の成果は上げられるはずだった。
 幸いにも現在のイタリアは経済でも文化でも日本と深い繋がりがある。その親密さは第三帝国総統も羨む程だ。

 「アドルフの奴、わしがミカドから刀貰うたの本気で羨ましがっとるさかいな」
 「あまり見せびらかすと可哀想ですよ」
 「どこがや、あいつ権力乱用してドイツ中から集めた値打ちもんの刀、死蔵しとるんやで。わしなんか涙飲んで秘蔵の兼光手放したんやぞ。日本に帰すんが無理ならせめて博物館にでも入れんかい」

 切っ掛けがチャイナ贔屓が多いドイツ国防軍への嫌がらせだったとはいえ、対日政策の大転換からの外交の戦果で今の経済や戦況がある以上、ナチス党としてもその教義には一時目を瞑って日本との軋轢を避け友好を深めなければならない。
 著者個人にとって、もはや黒歴史と化した『我が闘争』初期版の回収や、幕末から明治初期にかけて日本から流出した美術品骨董品の帰郷運動など第三帝国政府も色々と手を打っていた。
 ケルン市で夏に開かれる日本式の花火大会やベルリン・フィルの定期遠征など遅まきながら文化交流も進められている。

 が、例外というか当初の目的とずれてしまった事もある。
 数年前のことだが、日本通のハウスホーファー博士から「日本精神を理解するには日本の武術を学ぶとよろしいでしょう」と勧められた総統閣下は剣術を選んだ。
 選んだ理由は「五十を過ぎた身でも使うことができ、健康や体調の維持に役立ち、万一の時に護身できる」と同じく日本通のカナーリス提督に勧められたからだ。そしてどういう訳か彼には剣術の適正と才能があった。

 後はまあ、なまじ権力がある剣術数寄がたどる定番コースである。刀剣収集マニアと成り果てた総統閣下はレコード鑑賞の回数が減り、その分刀の手入れが日課に加わった。
 日本皇室贔屓な刀剣マニアが、皇室御用鍛冶師が打ち上げた刀を自慢されればそれは羨むだろう。


 「まさかアッティラの末裔に納豆勧められる日がくるとはのう。世も末や」
 「我が軍の将兵にも好評ですよ、納豆カプセル剤は」

 第三帝国総統の日本趣味は美術品骨董品から文芸や食文化にまで連鎖した。そして日本製携帯食料の便利性や機能性食品の効能、なかでも納豆の栄養価に注目して周囲や軍や友好国首脳陣にまで勧めまくったが、日本人でも苦手な者が少なくない食材が欧州で広まる訳もない。
 結局は栄養剤の主原料とすることで双方が妥協した。燻煙や真空乾燥で乾燥処理した納豆粉末をその他有効成分・ビタミン剤などと共にカプセルへ詰め込んだ栄養剤は、軍や病院での臨床結果も良好で支給された前線の兵達からも「元気が出る」と好評だった。
 更なる増産と協定諸国への輸出も進められているのだが、味覚的な賛同者が得られなかった第三帝国の最高権力者は今日も不満げに、一人地下室で手作りの納豆を食べている。


 ナチス勢力が宣伝放送で繰り返す「アーリア人の純血性」など、典型的イタリア男たちにとっては寝言以下の妄言であった。時折「お前らはフン族の子孫やろが」と突っ込みたくなるが、それは流石に可哀想なのでしない。

 そもそも社会ダーウィニズムなど根本が矛盾しているではないか。この世の基本法則が弱肉強食で適者生存ならば、劣等民族などとうの昔に滅び去っている筈だ。
 今まで生きのこっていること自体が強者の証拠である。弱く愚かに見えるとしたらそれは見方がおかしいのだ。
 所詮この世に民族の優劣など有り得ない。優れた個人と劣った個人が、知者と愚者が、勇者と腰抜けが、良い女とそうでもない女がいるだけだ。



 「お客様、支度が整いました」
 「おう。今いくで」

 中庭に現れた女将‥‥伊日混血の元女優が二人を呼んだ。本人の調理技術はともかく両国の味と文化への理解が深く、人の使い方に長けているという点で選ばれた女主人だ。店主として有能なことはこの料亭の繁盛具合で解っている。 


 「麺料理の王様はスパゲッティ・マルゲリータやけど、ここの蕎麦はそれに次ぐで」
 「悪いけど僕はそれ、賛成できません。一番はオリーブオイルと塩だけで食う『絶望のパスタ』です」
 「何言うとんねん自分、『絶望のパスタ』名乗ってええのは塩だけのパスタや、油は入れたらいかんやろ」



 第40代イタリア王国首相にして初代統帥、ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ。
 その娘婿ガレアッツォ・チャーノ伯爵。

 彼らはあらゆる意味でイタリア人だった。その身体の何処を切ってもイタリア的要素しか出てこないだろう。
 彼らは人生を、旨い食い物と美味い酒を、歌と踊りと芸術を、良い女と恋を、何よりも家族と故郷を愛していた。 
 彼らが祖国より優先するのは家族であり身内であり故郷だ。祖国はそれらを内包しているから、そう簡単には切り離せないからこそ尊い。


 彼らは真にイタリア的な愛国者たちだった。祖国が彼らとその家族と故郷を裏切らない限りにおいて。 



続く。



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