この小説は『小説家になろう』様でも連載させていただいております。
俺という人間について語ろうと思う。
俺こと西オサムを一言で表すならば『ダメ』なやつだ。
夢も目標も何もない。死んでないから生きているだけ。誰にも迷惑を掛けないけれど誰にも相手にされない。そんな石ころのような存在だった。
昔は、曖昧ながらも夢があったような気がする。小説家になりたい――そんな願望を高校生の頃持っていた俺は、当時何も知らないただのガキだった。
何も知らない――知ろうとさえしていない、そんな頭の悪いガキ。
最初の挫折は、大学入試だった。別に志望していた学校に落ちた訳ではない。少々変わった試験ではあったが受かりはしたのだ。
ただ――金がなかった。
高校の授業料をアルバイトで稼いだ金で支払っていた俺には、当然貯金なんてものはなかった。奨学金も考えたが、父親はその頃、丁度職を失い得ることが出来ず、何も決まらないまま高校を卒業してしまった俺。
あるいはそれだったのであれば、俺はまだ、『挫折』という言葉を使わずにすんでいたのかもしれない。運が悪かった、一年働いてお金を貯めればいいと、そんな風に純粋に思えていただろう。
だけど俺は、知ってしまった。
高校時代、俺は親が学費を払えないから自分で金を払った。
きっと父親も大変なのだろう。そう思い、働いていた。
だけどそんな俺は、最後に学費を払いに行った時に聞いてしまった。
俺は高校三年間、ずっと奨学金をもらっていたらしい。
それを聞いた俺は正直心の底から喜んだ。合格自体は出来ている。だから後は金さえあれば学校に進学出来るのだから。
高校三年間、月に一万と六千円が入っていたらしい。12×3×16000ならば合計は51万2千円だ。入学金と前期の学費には十分に足りるはず!
そう思い、3年間勤めていた焼き肉屋のバイトから帰り、急いで親に確認して見れば……父親は悪びれることなく、一言の謝罪もなく一言――使った、と、そう言った。
それが多分、俺の人生の、最初の挫折だ。
怒りさえ、込み上げてこなかった。
ずっと金がないとそう思っていたからこそ、俺は働いて、自腹で学費を出していたのに。
あいつは、知っていて、俺に黙っていて、使ったと、そう言ったんだ。
言葉も、出なかった。
愕然、なんて言葉は、その時の俺に一番適していたと、そう思う。
どんな表情を浮かべていればいいのかさえ、分からなかった。
五十万……高校生の俺にとってそれは、異常なまでの大金だ。それを、将来俺が払うと言うのに、あいつは使ったとそう言ったんだ。
その日の夜、俺は泣いた。ベッドの中で、どうしようもないほどの絶望に、他に何をしていればよかったのか、分からなかったから。
だけど、絶望はまだ終わらなかった。
高校を卒業した俺は学費を稼ぐために給料の高いパチンコ屋に就職した。そこで待っていたのは社会の洗礼だった。『大人は皆、責任を持ち他者を労われる素晴らしい存在』なんて幻想を抱いていた俺を殺す、そんな洗礼。
アルバイトをしていたとはいえ長い時間を働くなんてことをしたことがなかった俺は初めての就職に困惑しながら働いていた。今だからこそ言えるが当時の俺はあまりにも出来が悪かった。作業が遅い、仕事が雑。人間関係の機微に疎く、とろく、何をやらせても失敗ばかり。
最初の一ヶ月は新人ということもあり皆が助けてくれた。
だけどそれが二カ月になると周りの人間の目は鋭くなり、三ヶ月目では誰も手伝わなくなり、陰口やあからさまな舌打ちに代わり、そしていじめになった。
大の大人が、本人の目の前で『○○くんはうんたらかんたら』と小声で、それも聞こえるように話すのだ。
今思えば滑稽でさえあったけれど、当時の俺はそれがひどく辛くて悲しかった。悔しいと思えないのは俺に意気地がなかったからだろう。
そんな環境で働ける訳もなく、半年でそこを止めた。
人間不信のおまけもありだ。最悪だった。
だけど最悪なんて言葉を使えるだけ、俺はまだその時はマシだったんだ。
高校の先輩に誘われて働きだした工場で三カ月が経った時、急に姉に家族会議をすると集められた。親戚の伯父も含めるモノだと言われ、断ることが出来ず集められた俺に、伯父はこういった。
――借金がある。
誰に? 俺の父親に。
何の? 家のローン。
何で? 払っていなかったから。
いくら? 二千万。
……俺は、言葉も出なかった。
働きながら、学費を溜めながら、それでも俺は家に月に二万円入れていたんだ。だと言うのに、お金を払っていない? ふざけるな!
その時からだ。俺にとって父親が、この世で一番煩わしいものになったのは。
いっそこんなやつ捨てて一人で生きてやろうとも考えた。だけど借金を払わなければ連帯保証人である伯父に迷惑がかかるようになっている。自分の父親のせいで多少とはいえ世話になっている伯父に迷惑を掛ける訳に行かなかった俺は仕送りを増やし、溜めていた貯金を使い果たした。
それでようやく、残り一千万と少し。
残りは月に七万円入れれば伯父に迷惑はかからないようになった。
俺の貯金を使い切り、他にも家族や親せきに迷惑を掛けてようやくスタートライン。そして俺の残高は0。
……笑えない冗談だった。
更に笑えない状況は続く。
貯金がない俺は必死で父親を経由しなくていい奨学金を探した。
そこで見つけたのが新聞奨学生という制度。学費を出してもらう代わりに学校にいる間契約した支店で働き続ける――そんな制度だ。
他に手がなかった俺は縋りつく思いでそれに応募し、何とか進学できた。一応保証人がいる制度だが、それは離婚した母親に頼んで事なきを得た。
そうして、毎朝早く起き、仕事をし、勉強しを繰り返していた俺に届く連絡。
――父親が、事故を起こしたと言うモノだった。
料理の修業に出ている弟が、そこの先輩とケンカになったらしい。父親はそれに対して文句を言うため原付で弟の職場に行く道で、事故を起こした。
それだけ聞けば息子思いのいい父親と取れるだろう。
だが父親は、このゴミ野郎は――酒を飲んで運転していたんだ!
あいつは、規則以前に常識である飲酒運転の禁止を無視して原付に乗り、誰かの家の塀にバイクごとぶつかりやがった!
自業自得もここまでくれば笑えなかった。
あいつは、自分の飲酒運転が原因で母親が出ていったというのに、家族の前でもうしないと誓ったのに、それでもなお、やりやがったのだ!
……死んじまえ。俺はそう思った。
医者の話では脳に大きなダメージを受けたらしい。その報告を受けた俺が最初に抱いた感想だった。
家族にも、それこそ一番親しい弟にも告げなかった俺の本音。
誰にも言わなかったけれど、間違っているのは分かっているけど、それでも俺はそう思わざる得なかった。
迷惑しか書けない父親が、本当に死んでほしかったんだ。
だって、そうだろう!? 自分のせいで母親が出ていったのに! 自分のせいで借金がバカみたいにあるのに! 自分のせいで俺が普通の学生生活さえ送れなくなったのに! あいつは罪を犯したんだ!
まるで俺を、俺たち家族を不幸にするために!
子供の頃から母親がいなくて寂しかった。母親がいないせいで弟はその寂しさを紛らわせるように俺を殴るようになった。
飯もろくに作ってもらえなかった。服を着替える、身体を洗う。そんな常識も教えてもらえなかった。
部屋が汚かったら何で掃除していないと怒鳴られた。お前のせいで俺がしないといけないのに、あいつは自分勝手に怒り狂った。
……そんな俺が、普通の人間らしい感情を持てる訳なかった。
短大を卒業した俺は、働きながらでも通える学校を選ばざる得なかった。父親の事故が短大の二年生のその最後の時。このまま新聞奨学金で進学するつもりだった俺は就職が間に合うはずもなく、進学先を変えることしか出来なかった。
だけど、通学の往復で2時間。アルバイトで10時間。その上畑の違う大学の講義で訳も分からない俺が学校を続けられなくなることなんて当然だった。
学校を休学して、資格を身につける。そのために多くを学ぶ学校ではなく一点集中で勉強する、自宅学習というスタイルに変えた。職も家から通える場所にし、そうやって生活を送って行った。
だけど俺は、前に進めていなかった。
家であいつを見るたびに、頭を打ち、脳に軽い障害があるにもかかわらずリハビリを抜け出し、就職しては首になるを繰り返し、遂には働かなくなった、リビングでテレビを見るだけのゴミのような父親を見るたびに。
――俺は、こいつを養うために働いているのか……。
そう思うと、もう何もする気が起きなくなっていた。
自分がどうして生きているのか分からない。俺なんてどうでもいい存在。生きる価値もないし、何のために生きているのかも分からない。
俺はいつしか、歩みを止めていた。
いろんな挫折。無意味な自分。
毎日を端然と働き、お金を得て、借金を返す。ただ、それだけの人生。
――それが、俺だった。
西オサムという、俺だった。
たぶん俺は、何の価値もなく死ぬんだろう。今が23歳だから、もう30年くらいテキトーに生きて、借金を返し終わり、誰にも迷惑がかからなくなったら死ぬ。それが俺なんだ。
そう、思っていた。
だけど、その日。振り込み先を間違えて、銀行に足を運んだその日。春の時期だった。俺はその銀行で、銀行強盗に巻き込まれた。
番号札を取り、番号が呼ばれるのを待っていた俺の耳に届いた発砲音。高くない、むしろ腹の奥に響くようなそれに目を見開いた俺。
三人組の男が顔にマスクとサングラスをはめ、拳銃を銀行員に向けていた。
気弱な俺は慌て、怯えながらもしかし心のどこかでは安心していた。こちらが何もしなければやつらが俺に銃を向けることはないはずだ。刺激さえしなければいいのだ、と。
それが分かっているからだろう。他の大人たちも犯人達の命令通り声を荒げたりせず、床に伏せていた。
だが、分かっていないやつもいた。
いや、分かれと言うほうが酷だ。何故ならその子は、子供だったのだから。
小学生くらいの男の子だった。その子が大声で泣いていた。母親が必死であやしているが泣きやむ気配はない。
外にはいつしかパトカーが集まり、男たちはどうあっても逃げられない状況になっていた。そんな男たちが慌て、苛立つのは当然で、その矛先が泣きわめく子供に行くのも必然でしかなかった。
男の一人が、うるせぇぞ! と男の子を殴った。
男の子が更になく。
男が泣き声に更に苛立つ。
そしてあろうことか男は、その拳銃を子供に向けた。
走り出していたのは、自分でも無意識だった。
当然だ。あの子は俺にとって何の関係もない子供なのだ。助ける義務なんてありはしない。
ないけれど、だけど、理由はあった。
大人の理不尽で泣く子供――そんなのは、俺だけで良かったから。
拳銃を向けた男はいきなり飛びかかった俺に反応できず、俺たちはしみどろものに倒れた。運よく男に馬乗り出来た俺はそいつを力の限り殴り付けた。一発、二発。顔面に大の大人の本気の拳が入ったのだ。男はすぐに気を失った。
その瞬間、俺は肩に熱を感じた。
熱い――そう思った時には身体は吹き飛ぶように転がっていた。見れば肩から血が流れている。そこで初めて俺は自分が撃たれたことに気付いた。
同時に、腹に激痛。今度は打たれる瞬間が見えた。仲間の一人が俺に銃を向けていた。銃口からは煙が見えている。撃った証拠だった。
肩と腹。二つから血が流れ出ていく。意識が遠くなっていくのがはっきりと分かった。そんな中で俺は、やつらの視線が今、俺にしか向いてないことに気付いた。
そう、もう……あの男の子に銃口は向いていない。
それが分かって、それだけが分かって、俺は微笑んでいた。
意味がないと、そう思っていたから。
俺には、生きる価値がないんだと、そう思っていたから。
目標も夢も意思も意味も持っていなかった俺。無駄に無価値に無意味に死ぬだけだと思っていた俺はだけど、たった一人、子供を守るために死ねる。
――それを贅沢だと思う俺は、どこかおかしいんだろう。
だけどたぶん、死んだ俺は……最後には笑っていけたんだとはずだ。
それだけで俺は……満たされていた。
それが、俺が六歳の頃に見た夢。
西オサムではない、峰岸ハジメが夢で見て、思いだした――前世の記憶だった。