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カツトシの言葉をきいた人形は、すがりつくように目を見開きカツトシをみつめた。
「ほぉ、んとに?」
「あ、ああ、少し長くなるらしいが、順調に回復しているそうだ」
そう告げると人形は、今にも涙こぼそうな瞳をゆるやかに閉じ、祈るかのようにゆっくりと手を胸元で組み合わせ。
そうしてぽつりぽつり。
「……よかった……よかった……」
抑揚のない声でも心底安堵したように彼女は、なんどもなんども呟いた。
カツトシは、その姿を複雑な気分で眺めていることしか出来なかった。
先ほど動揺したぶんカツトシは、あらためて人形を観察する。
床に座っているので、正確には把握できないが女性にしては身長はやや高めで。
白いワンピースを着ており細い体躯によくにあってはいるが。カツトシは何処となくマネキンを連想した。
華奢ではあるが貧相というわけでもなく。その胸部には、けっしてなだらかではない豊かな曲線が描かれていた。
下品なことを言えば、体だけを見れば成人女性のそれと同じであった。
しかし。
長くツヤのない黒髪に光を映さない無機質な瞳、薄い唇と血色というよりも薄いピンク色のシリコン肌。
部分部分や顔の造形そのものは、綺麗で端整ではあるが。
どこまでも異質で、人と違うなにかであり。動く人形としか言いようがなかった。
それでもカツトシが恐ろしさや気持ち悪さを感じないのは、今彼女の顔がとても柔らかな、安心と慈愛に充ちた表情を浮かべていたからであろう。
「あのひとは、、ぃきてぇぃる」
「……ああ」
事実を騙した罪悪感がチクリとカツトシの胸をさしたが、相手はえたいのしれない人形だと自分の頭をガシガシ掻いてごます。
それよりも迅速に明らかにしなくてはならないことがあった。
「あー、その、……あんたはいったい何なんだ?」
そう問うと、人形はそれまで浮かべていた柔らかな笑みを引き締め。
僅かに姿勢を正し。彼女は、はっきりカツトシの目を見つめながら、淀みない声で告げた。
「私は、――の妻です」
カツトシは、一瞬くらりとめまいを感じた。
ニーチェのおっさん、あんたは正しかった、神は死んだ。少なくとも兄が殺したんだろう。
あの人は、天才だった。
一流と言われる大学をトップで卒業をして。
どんな奴らよりも一歩も二歩も進んだ考えをもっていた。
答えは自分で作り出すものだ。なんてクサイことを真顔で言うぐらいミーハーな人だったが。
それを実現させる力を持っていた。
右斜め上方向で。
「あなたは、だ.れ?」
「俺は……俺は、カツトシだ。あんたの夫の弟だよ」
若干うなだれながらカツトシは答える。いろいろな意味でもうなにも考えたくなかった。
そう言えば昔「嫁が画面から出てこないから変換機作る」とか言っていたが。
こういうことだったのだろうか、なぜこうなったし。とカツトシは、さらにうなだれた。
そんなカツトシの様子を人形は、無表情にみつめていたが、何かを思い出したのかカツトシのほうにへとゆっくりと手を伸ばしてきた。
その動きにカツトシは、いったいなんだなんだと驚き困惑する。
「Dぁして、かお」
「俺の顔は、とととと取れないからな」
「…………かお、ちかズけて」
何をしたいんだとカツトシは考えたが、無表情なうえに無機質な人形の瞳からは何も読み取ることはできず。ただただ沈黙だけが流れる。
結局、長い沈黙に耐え切れずカツトシは、人形の手に恐る恐る顔を近づけてみることにした。
先ほどより近い人形のシリコン肌顔を見ながら、再び緊張をつのらせる。
「いた、かったら、ごめぇんなさい」
「マジなにするつもりだ!?」
人形は答えず。変わりに、ややぎこちない手つきでカツトシの頭を撫ではじめた。
ノムラ・カツトシ今年21歳、おとめ座。生まれてこのかた母親以外からのいい子いい子であった。
「おとうと」
人形はそう呟き、わずかに顔をほころばせて撫で続ける。
彼女の腕が動くたびに、何かが回転する音やカチャカチャ金属同士が触れる音がカツトシの耳に入ったが、不思議といやな感じはしなかった。
それはたぶん彼女の手つきが、ぎこちないながらも優しげだったからかもしれない。
だからカツトシは、なんとなく、なんとなく彼女が満足するまでこのままでいることにした。
「あなた、あのひととそっくりね」
「兄弟だからな」
「はやくあい.たいわ」
「……すぐに会える」
彼女は、楽しみ。と言って笑みを深めた。
少し、胸が苦しくなった。
―
「あーっと、あんたは兄さんの奥さんで。えっと、ロボットなのか?」
「ガイノイドです、わ」
「どっちも似たようなもんだ。はぁぁ、しかし兄さんもえらいもん作ったというか、なんというか。つうか兄が製作者なら関係は親子じゃねーのかと」
カツトシは、ぼやきながらどうしたもんかなーと頭をかきながら天井を仰ぐ。
母親に素直にこのことを言うか? いや、あの人のことだ、喋って動く人形なんぞみたら卒倒するに違いない。身内が2人続け亡くなるのはどうしても避けたい。
ならば何事もなかったように下に降りるしかない。
あとは、この兄嫁さんを説得してなるべく身動きしないようにお願いを……。
カツトシは、ちらりと彼女をみる。
その視線に気づいて彼女は、ピースサインをしながらこう続けた。
「愛さえあれば、もんだいはない、です、わ」
……なんか、もう。全てがどーでもよくなってきた。
脱力して、げんなりとするついでに。
階段からパタパタとスリッパが床をはねる音がきこえてくるではないか。
一階にいる母が、いつまでたっても戻ってこないカツトシを呼びにきたのだろう。
ぁあ……兄さん。
何であんたは死んじまったんだ。
カツトシは、再び天を仰がずにはいられなかった。
――
「で、結局こうなるのかー」
「ひと妻と、でぇーと、ね」
「ソウデスネー、ワーイウレイシナーコンチクショーガ」
その後もれなく家を叩き出されたカツトシは、人形を車椅子にのせて押しながら帰路につくことになった。
なんでも彼女は、脚部に動力がないらしく、動かせられるのは上半身だけらしい。
仕方が無いのでカツトシは、祖父が入院していたころに使用していた車椅子を物置からひっぱりだして人形をのせた。けっこう重い。
しかし流石にこのまま人形と外に出るのは、はばかられるので彼女の顔にはこれでもかと包帯をまきつけとく。
白いワンピースに包帯姿、麦わら帽子をちょいとのせたら、あら不思議。
深窓の病弱なお嬢様に……見える。みえたらいいな、みえるということにしておこう。
カツトシは、本日四度目の大きな溜息をついた。
「一応言っておくけどな、俺は兄さんみたいに接したりしない。あんたをマネキンだとおもって扱う。だからあんたと楽しく喋ったりもしない、おーけー?」
「それで、かまわない、わ。あなたは人間、わたし、わ、キカイですもの……でぇも」
「……なんだよ」
「分かり合えたら、それはきっと素敵なことだとおもうわ」
彼女は、あだっぽい笑みを唇につくり車椅子からカツトシを見上げた。
包帯で顔が隠れているのに、いや、それ故によけいにそうみえるのか。
それは間違いなく大人の女性が浮かべる艶やかな笑みで。
カツトシは、その笑みから顔をそらし黙って車椅子を押しはじめた。
時刻は、もう夕方。夕日に伸ばされた影法師たちが街を歩きだす時間帯だ。
だから急いで帰ろう。少なくともこの赤くなった顔が夕日のせいだと言えるうちに。
とは、考えたものの。
カツトシが住んでいるアパートは、実家から遠いので何かしらの交通機関に頼らずおえない。
つまりは、そう。電車に乗る必要があった。
電車にのる。不特定多数の人達と同じ空間に一定時間過す。
彼女……、人形を車椅子に乗せて。
電車に。
『ヒソヒソヒソヒソヒソ(なにあれ、ちょーきもい)』
『ヒソヒソヒソヒソ(ないわーーこれないわー)』
『ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ(ちょっと羨ましい)』
リアルな想像に、カツトシは身震いした。
いや、でも顔に包帯を巻いてるしよほど不審な動きさへしなければ、というより包帯巻いてるほうがあやしいというか、いや、その、ほら、だかしかしかしかししぃぃぃぃ。
「どお、したの?」
「生きるべきやろうか、死ぬべきやろうか。それが問題やねん」
「ふ、ふふ、へぇんなの。でも、そうね……。
じんせいきてこそ、よ」
――
ゴウンゴウンゴウンゴウン、ゴトン……。
窓から流れる風景はゆっくりと止まり、微振動と慣性の法則を感じさせつつ電車は駅へと停車する。
<――蚊爪駅、蚊爪駅です。お忘れ物がないよう、お降りください>
女性アナウンスが車両内に流れ、それとどうじに幾人かが席を立ち先頭車両へと移っていくのを尻目にカツトシは、汗を拭った。
あと数駅。どうにか無事に、何事もなく降りたい。
この一時間弱カツトシにしてみれば、それはまさに地獄のような時間であった。
まず視線が痛かった、車椅子を乗っているというのがそんなに珍しいか。
いや、珍しいのだろう。
乗客の誰もが一度は車椅子をみて、それにのっている彼女の包帯姿にギョっとして視線をそらした。
それよりもやっかいだったのが、ご年配の方々だった。
彼女の姿を心配して話しかけてくる、おばちゃん連中の対応にカツトシは、それはもう尽力をつくした。
おかけで? 生姜一袋から始まり。体を綺麗にする水や体によく効くというサプリメントなどなど、それもろもろ以外になぜか数珠なども渡されて。
疲労困憊。カツトシは心底疲れてしまった。
ああ、日本のオバタリアンここに極まりである。
彼女とはいうと全てが初めてで珍しく、最初は、きょろきょろとあたりを見回していたが、カツトシから駅を降りるまで発言を禁止されていたので、流れる風景を一人楽しんでいた。
<――トビラが開きます>
シューッと音を立てて車両の出入り口が開くと、真新しいランドセルをかついだ小学生二人組がキャイキャイとじゃれあいながら乗り込んできた。
乗り込んだところがちょうど彼女の近くだったもんだから、二人はもれなく彼女の包帯姿にギョと驚いたが、すぐに座席のほうへこしかけて。
図工の時間に作ったのだろう、じまんの工作をみせあいっこしはじめた。
「ショーちゃん、それなんなん?」
「ヒマワリやよー折り紙で綺麗につくれたんやよ」
「そーけ~? ここんところ折曲がっとるし、かたがっとるんがいね」
「ここはこれでえーんよ いじっかしい言わんといてまぁ」
「んなきかんこと言うてぇ。そんなさかいショーちゃん、ぶきっちょなままなん」
「これは、かーちゃんにあげるん、えんや!」
「ショーちゃんのママかわいそやじぃー」
「かわいそうじゃい!」
「かーわいっそぉーー」
「うっさいッだらっ!」
こうして子供たちの仁義なき戦いは、火蓋を切って落とされたわけである。
その戦いに勝者はおらず。荒野に、いや、座席シートに顔を泣き腫らしたショーちゃん一人を残し閉幕あいなった。
カツトシは、ああ俺も小さい頃はこんなふうに兄さんと喧嘩したなぁ。と苦笑とも感慨ともいえない憧憬の懐かしさを感じながら。
そこでふと、彼女が、兄の妻と名乗ったキカイジカケ人形が、子供たちの喧嘩をどんなふうにみてなにを思ったのだろうか、少し気になりチラリと様子をうかがったが。
包帯を巻いた彼女の横顔からは、想像できなかった。
まぁいいか、俺にはなにも関係ないことだ。とカツトシは考えるのを早々にやめた。
「かわいそうじゃない……」
ショーちゃんがポツリとこぼす。
きっと母親のために一所懸命に作ったのだろう。しょんぼりとするショーちゃんの姿は乗客たち心をひどく切なげにさせた。
「その花、とてもきれい、ね」
そこに不意に、どこか機械的で、アナウンスよりも抑揚のない女性の声がショーちゃんに投げかけられた。
それが車椅子にのった包帯姿の女性からだったので、ショーちゃんは少しおっかなびっくといった様子ではあったが、顔を輝かせ誇らしげにヒマワリをみせてきた。
「う、うん! かーちゃんヒマワリ好きさけ、頑張ってつくったげん」
よほど褒められたのが嬉しかったのだろう。
ショーちゃんはずずいと、押し見せてくる。
そのヒマワリを彼女は手にとり、そっと自分の鼻もとへと近づけた。
「いい、にぃおいだ、わ」
「そうけ? 紙で作ったし、あんまええ匂いせんぞいね」
「あら、あんまり、にも綺麗だったから。わたしほんもの、と、かんちがいしちゃっ、たわぁ」
「そんなら、かーちゃんも喜んでくれるかな?」
「ええ、きっと」
そう言って彼女は微笑んだ。ショーちゃんもつられて笑った。
車両内に和やかな空気が流れるなかで。
カツトシは、ひとりムスリと窓の景色を眺めていた。