とある夜、救急情報センターに奇妙なコールがかかった。
はじめに耳を劈くハウリングが飛び込み、その中から女性とおもわれる声がノイズ交じりに、流れた。
それは酷く機械的な声色で、発音もどこかたどたどしく、とても人が話すような声とはおもえなかった。
そのコールをとった係の者は、悪戯かと考えたが、ハウリングとノイズをかきわけてよく聞くと、どうやら人が倒れたらしい。
だが幾らこちらが様態や場所などを聞いても助けをもとめる言葉しか返ってこない。
しかたがないので、電話番号から居場所をわりだして向かうことになった。
ハウリングまじりの助けをもとめる声は、通話が切れるまで続いた。
――
兄が死んでいたらしい。
元々体か弱かった人だったが、流行の風邪に飛ばされるように流されたらしい。
弟であるカツトシがそれを知ったのは、葬式も何もかも終わってからのことだった。
兄とはソリが合わなかった、というより。兄が全てで回っていたあの家でカツトシの居場所はなく、そんな兄を僻み喧嘩をくりかえし。
結果として漬物石なみの扱いに耐えれずに、カツトシは高校卒業と同時に家を飛び出した。
住むところを転々と変えているうちに、兄のことも家のことも陽炎のようにぼんやりゆらゆら薄れていた。
そんななかでの訃音だった。
あまり良い思いでがない相手とはいえ、どうでもいいとは言わない。
兄は、プライドが高く皮肉ったもの言いをする人だったが、人一倍感受性が強く、お人好しだった。
カツトシも小馬鹿にされながらもよく勉強をみてもらっていた。
そういえば子供の頃、アイスを落としたときに兄は、俺はアイスは好かん。と食べかけのアイスを差し出してきたことがあった。
嫌なことばかりなはずなのに、思い出す思いでは皆楽しかったものばかりで。
ふと自分が泣いてることに気づいた。
ああ……、兄は死んだのだな……。
カツトシは、自分の張り詰めた糸がはじける音をきいた。
――
一言でいえば兄は天才だった。
そして今なら言える、大馬鹿野郎だったと。
――
「はぁ? 人形が救急車をよんだぁ?」
「もうね、ほんっっっと気味悪くてね、今にもギコギコと動きだしそうで、もうほんと怖いのッ」
久しぶりに会った母は、兄の作った人形とやらがたいそう恐ろしく、夜も寝れないとのことらしい。
そんな人形さっさと捨てちまえばいいのに、とカツトシは言うが。兄の遺作であることは元より、1分の1スケールの人形をおいそれと不燃物の日に出せるかッ。と逆切れ気味に返された。
それはまぁたしかにそうか。と頷くと。
「だからカツトシ、あんたもって行きなさい」
こう言われるしまつである。憎まれっ子はこれだから辛い。
兄の愛玩人形なんぞ色々な意味で気持ちが悪くて願いさげである。
さらによなよな動き出し兄を探す声も聞えるというらしい、兄の妄執でもしみついてるのかっ。
とは言ったものの……。うーむ、とカツトシは頭を抱える。
いや悩む必要なんてないはずだ、1分の1フィギュアが部屋に置かれてみろ。
アウトだろ!?
フリーターといえども働いている身のカツトシとしては非常にまずい。
同僚にでも見られたらそれこそ……。
「や、やっぱ無理ッ絶対無理だッ!」
「この親不幸者! あんた母さんがかわいそうだとおもわないのかい!」
「だったら息子がかわいそうだと思わんのか、だいたい俺は兄さんの線香あげにきただけなんだぞ!」
「あんた今頃になって、兄さん兄さんって。お墓に布団は着せられないのよ」
というふうに侃々諤々、売り言葉に買い言葉。母とカツヨシはやいのやいと言い合っていると。
ごとん。
二階から明らかに大きな物音が響いた。
「そ、その人形ってもしかして……」
「二階に置いてあるわ」
「あー……そう」
暫しの沈黙。
「カツトシ……あんた」
「じゃっ! おれ帰るわ、二回忌のときにでもよんでくれ」
カツトシは、そう早々と告げて家から逃げ出そうとした。
「みてきなさい」
しかしまわりこまれてしまった。
コマンド!!
――
曰く、兄が理想の彼女を求めて作ったやら。
曰く、兄は、その人形に一日中かたりかけていたらしい。
曰く、その人形は意思をもち喋るとか。
駄目人間じゃーねか兄さん、カツトシは兄の奇行におもわず溜息をつく。
兄は、その人形とアパートで二人暮ししていたというのだから、本格的に頭が逝ってたのではなかろうか。
そんな兄の遺作であり奇作をこれから確認しにいくわけだが……、カツトシはまた深い深い溜息をついた。
それは兄の部屋においてあるという。
いったい兄のアパートからどうやって運んできたのか気になるが、それはそれとして。
ゆっくりと兄の部屋に近づく。緊張しているのか何時もより心臓の鼓動が早い。
カツトシは、じっとりと手のひらが湿っていくのがわかった。おちつけ、なんてことはないと自分に言い聞かせる。
ドアノブを掴む。僅かに軋んだ扉から少し懐かしいにおいがもれた。
……ああ、そういえばこんなにおいだったな。
「兄さん、ちょいと入るぜ」
カツトシは、それこそ昔のように兄の部屋へと入った。
部屋の明かりをつけてあたりを見回す。
ダンボールで壁や床がうまってはいるが、部屋の雰囲気は変らず何処か懐かしさを感じさせた。
ちょっとしたノスタルジーに涙腺がゆるむ。
カツトシは、ぐずぐずと鼻や目を擦り感慨にふける。ああ歳をとると涙もろくなっていかん。
「……ないて、るの?」
「ないとらん、男が泣いていいのは、生まれたときと彼女を寝取られたときだけだ」
……はて、俺は今誰と会話したのだろうか? カツトシは首を右へと捻った。
捻った視線の先には、えらく華奢で端整な女性が床に脚をなげだして、ダンボールにもたれかかるように座っていた。
カツトシは、右へ捻った首をこんどは左へと傾けた。
そうすると彼女も首をそちらへとゆっくりと傾ける。
「あなた、だあ.れ?」
どこかもの憂鬱さをふくんだ切れ目をこちらに向け、薄幸そうな薄い唇をかすかに開き。
抑揚のない発音で彼女は、カツトシにそう語りかけた。
そう、語りかけてきたのだ。…………人形が。
ドッドッドッドッと血が駆け巡る音がした、体全体が熱くなるのを感じ、さきほどより比較にならないほど手汗をかいている。脚は根が生えたように動かない。
思考が一つの考えでループしては止まる。なにか、なにかなにかなにかしなくては。
どうするどうするどうするどすればどうすればどうどうどうどヴどうどヴと。
オーバーヒートを起こすカツトシを手前、人形はさらに質問を重ねてきた。
「――さんは、どぉこ?」
人形が兄の名を呼んだとき。不思議と震えが止まった。
それは……それは、あまりにも、人形が……。彼女が悲しそうな顔をしていたからで。
今にも涙をこぼしそうに表情を歪ませる彼女の悲痛な面持ちに、カツトシは……。
「兄なら入院中だ、すぐに良くなる安心せい!」
一つ、嘘をついた。