本来なら貨物搬入口に使われるバックヤードを抜けて、駐機場へ出ると真夏の暑い日差しがプレイヤー達を出迎えた。 今世紀半ば頃からテロを警戒し、空港内の警備体制が格段に厳しくなり、特に国際空港である羽田空港においては、乗客の乗降はボーディング・ブリッジを用いる事が義務づけられており、メンテナンスフロアやエプロンへは本人確認型IDをもつ登録職員以外は、原則立入禁止になっている。 それが今日は大手を振って空港の裏舞台に立ち入れるとなれば、一部マニア層の血が騒ぐのは致し方ないだろう。 歓声をあげるやら、落ち着きなく辺りを見回す程度ならまだマシ。 エプロンのアスファルトにほおずりしている者やら、放置されている空港車両を別アングルから何十枚も撮影する者、ここに飛行機の現物があればと涙を流して悔しがる者など悲喜交々な情景が展開されている。「クソ。手が足りねぇな……シンタの野郎に先に吐かすべきだったな」 メイン会場となる駐機場に組み立てられた特別ステージへと、一足先に出ていた井戸野浩介は、夏の日差しと続々と集まってくる人の多さ、そして何より取材対象の多さに辟易していた。 空港の端を見れば、架空の宇宙機を自由自在に宙を舞わせる大型投影装置。 空港内のあちらこちらでは新しく設計されたとおぼしき宣伝映像VR端末が稼働中。 これらだけでも十分にVR業界専門誌である『仮想世界』の特集ページを埋められるネタだが、浩介の勘ではもっと大きなネタが今回のイベントには隠されていると訴える。 太陽風の影響で航空機の飛行が世界的に禁止されて今は閉鎖中とはいえ、国際空港の一部を丸まる借り受けるなんて無茶が効くわけが無い。 だが相手が普通でないことを平気でやってくる連中。 空港を借り受けるために、各方面に手を回し、根回しを行い、利益を提供して、仲間を増やしていったのだろう。 浩介の興味はその提供した利益。 ディケライアが、粒子通信を軸に革新的なVR技術を次々に発表して、周囲の業界を巻き込みさらに力をつけているのは周知の事実。 アノ連中が、意味も無く空港をオープニングイベント会場に選ぶとは思えない。「どんな交渉しやがったんだ。あのコンビ……ちっ、喫煙所くらい設けろよな」 苛立ちを沈めるために煙草を出そうとして、全域火気厳禁と書かれた注意書きを思い出して舌打ちをしてポケットに戻すと同時に、仮想ウィンドウが立ち上がりVR通信の通話要請が届く。 送信相手名を見ると丁度文句を言いたいと思っていた三崎だ。 あまりのタイミングの良さにどこからか監視しているのでは無いだろうかと、疑いつつも受託ボタンをタップする。「なんだよ。暇じゃ無いだろシンタ」『おう。忙しいぜ。そんな状況でも優先するネタあるがいるか?』 カメラが近くに無いのか、音声のみを飛ばしてきた三崎は挨拶もそこそこにすぐに用件へと入る。 もうじきイベント開始だってのに、この期に及んで何か仕掛けてくる気かこの策謀家はと浩介は呆れる。「ゲームの新規要素を宣伝ってならうちは無理だぞ。硬派系業界誌だからな」 仮想世界が取り扱うのは、あくまでもVR業界全体。 いくら規制後初の今話題の新規開発大型VRMMOといえど、ゲーム内容で特集を組むわけにはいかない。 今回の取材内容もPCOのビジネスモデル、世間に及ぼす影響、そこで用いられる新規技術の発展性が主な内容になる予定だ。 無論浩介とてプレイヤーの一人。 ゲーム内容に興味が無いわけでないが、さすがに仕事優先だ。『わーってるよ。これでも仮想世界定期購読者だぜ。そっちはいくらでも書いてくれるのがプロ、アマ問わず、いるから問題ねぇよ。ちょっとサプライズで仕込んでいる新規技術が二つほどあるんだが……』 時間が無いので大まかな概要だが、三崎が仕込みを解説し始める。 一つは新規開発された合成素材を用いた衣服チェンジシステム。 話を聞けば浩介もよく知る鳳凰こと大鳥が作成した物との話。『俺もさっき見たばかりだけどユッコさんやら、沙紀さん辺りが興味持つだろうよ』 デザイナー三島由希子と医療グループ経営陣に属する西ヶ丘沙紀。 どちらも三崎が友好関係を築いている有力者だ。 人脈やコネを余すこと無く無駄なく活用する三崎のことだ、既に売り込み路線が頭の中に出来上がっていることだろう。「ホウさんもまた面白いもん作ったな。アリスの援助か?」 『らしいな。一般向けにはまだまだ課題が多いが使えそうだろ』 VRデータと連動してある程度までなら自由自在に形や色、堅さまで変える事が出来る素材というのは、確かに面白い取材対象となりそうだ。 しかし少し弱い。 三崎が言う通り商品化までの道のりはまだまだ先のことだろう。「それで本命はなんだよ。時間が無いからもったいつけてんじゃねぇぞ」 メイン会場の方に目をやれば水蒸気を用いた大型スクリーンにオープニングイベント開始時間までをカウントダウンする大時計の針が残り3分を切っている。 主催者側というか、黒幕であろう三崎がのんびりしている余裕は無いはずだ。『さすが見抜いてんな。今回の目玉はプレイヤーの位置情報を利用するためにゲームに導入した粒子通信技術を用いた完全地上型測位システムあったろ。それの改良バージョン。そう聞けば空港でやる意味はわかるだろ』「…………高高度でも使える奴が開発中って噂はあったが、プレイヤーの俺が言うのもなんだが、たかだかゲームのイベントでやるなよ」 三崎の口から出た思わぬ言葉に、浩介はしばし絶句してから、ほとほと呆れかえってため息と共に吐きだす。 巨大太陽風『サンクエイク』 その発生から一年近くが過ぎても、今も地球大気圏上層部を激しくかき乱す電磁波の嵐が起きている。 張り巡らされていた衛星網は、ずたぼろに切り裂かれ、月面はおろか低軌道衛星との情報リンクすら途絶したまま。 アメリカなどから幾度か観測ロケットが打ち上げられているが、それらは全て大気圏突破後に通信途絶している。 衛星を用いた地球航法衛星システム。いわゆるGPSは利用不可能となり、さらに地上施設からの電波による旧式の位置情報システムも、軽度とはいえ地上まで影響を及ぼす電波障害で不具合が頻発している。 それらの恩恵を得ていた航空機や自動運転車等や、工事現場で用いられる測量システムなど影響は多岐に渡っていた。 早急な代替えシステムの構築が急務とされていたが、十年単位は少なくとも掛かるであろうというのが有識者の見解だった。 ディケライアが表舞台に出るまでは。 重力波、電磁波の影響を受けない新たなる通信規格。 円熟していた量子通信技術をさらに発展させた粒子通信という胡散臭いも、確実にそこにあった技術を持って、世界を瞬く間に巻き込んでいった様は圧巻のひと言だった。 しかしその粒子通信技術を持っても影響の少ない地上はともかく、航空機の飛ぶ高高度はまだ取り返せていなかった。 だが今の三崎の発言はその空も取り返す為の第一歩が踏み出されたという宣言だ。『そいつはアリスに言っとけ。あの最強廃神兎がゲーム優先なのはロイドも知ってるだろ』 あの小憎らしいまでに思惑通りに周りを巻き込み踊らせる手腕は、旧リーディアンプレイヤーなら誰もが三崎の手だと知っている。 そしてディケライア社社長アリシティア・ディケライアが、三崎伸太の唯一無二の相棒だとも。 ディケライアの後ろに隠れて糸を引いていたのは間違いなく、この飄々とした男だ。「そりゃお前もだろうがシンタ。しかしお前らGPSの代替えシステム開発って、ゲーム製作に託けて世界征服でもするつもりか?」『とっくに地球征服はクリア済み。次に目指すは宇宙征服』 世間一般ではフィクサーやら黒幕だと言われそうな事をしでかしつつも、三崎は何時もの通りの軽口で答えただけだった。『宇宙征服でも別次元征服でも勝手にやってろこの腐れ外道。全く相変わらずだなお前。記事にしてやるから後で色々インタビューさせろよ。んじゃそろそろ始まるから切るぞ』 俺の返しがレベルの低い冗談に聞こえたのか、ほとほと呆れ声で答えたロイドが通信を切る。 おあいにく様だなロイド。文字通り地球征服はとうの昔に終わっている。 というよりも、征服も何も、端っから地球を含んだ太陽系の所有権は、最初に所有した銀河帝国から、その後継者である初代社長を通して、我が相棒のディケライア社が所有済み。 ちょいと前までなら、売りはらうも、資源として使い潰すのも、アリスの胸先三寸だったと知ったら、ロイドの奴はどう答えたんだろうか?「さてギリギリだがこれで外堀も埋め終わりと」 第3ターミナル屋上から駐機場を見下ろす俺の視界の隅に浮かぶ時計アプリは時刻9時59分を指す。 イベント開始まであと1分。 本来ならば俺もあのイベント会場の裏側で色々動く予定だったが、そちらは予備人員を投入して貰いお役御免となっている。 俺が今からやるのはうちの可愛い娘様の乱入で乱れたPCO計画を、リアルタイムで修正かましつつ、オープニングイベントを全銀河へと打ち込む超特大の爆弾に仕立て上げる事。 仮想ウィンドウを起ち上げ、コンソールを叩き意識時間流を銀河時間へと変更。 全チャンネルリンク起動。 恒星間ネットワーク接続。 途端にスローになったリアル視界情報にくらくらしつつも、各部署へと声をかけ最終チェックを開始していく。 8つの画面が立ち上がり、画面の向こうからは地球で過ごした時間よりも長い付き合いとなったディケライア社の面々が並ぶ。『イコクさん』『創天を中心としたネットワーク設備は問題無い。手入れしつつだが銀河中のどこでも届けられる』 ディケライア社資材管理部部長であるイコクさんは、骨董品となっていた銀河全域での戦闘指揮を可能とする銀河帝国時代の超空間通信設備のステータス情報と共にサムズアップを繰り出す。 さすが信頼と実績の銀河帝国製。設置から数百万年が経ってもなんとか使えるようだ。『シャモンさん』『星系外縁部防衛網は異常無し。どこかの誰かが介入してきても一歩たりとも通す気は無いわよ』 星外開発部部長であるシャモンさんの役目は、今地球がある星系領域及び俺達がこれから挑む暗黒星雲での資源調査船防衛。 例えここが銀河文明の最辺境であろうとも、元々開発予定だった星を盗んだ勢力はいるのだから、敵がいることは間違いなし。 警戒はいくら厳重にしても損は無い。『クカイさん』『は~い。探査ポッドは第三セットまで調整完了。後火星のお嬢の受け入れ先も準備オッケ。いや~お父さん外道だね』 今日は女性体の調査探索部部長クカイさんは滑らかな軟体ボディを振るわせながら、要の暗黒星雲内調査ポッドのセンサー調整が終わったことを知らせつつ、つい先ほど頼んだエリスへの罰ゲームが出来上がった事を教えてくれる。 しかし外道とは何を言いますやら。エリスには是非とも地球嫌いを直して、地球を好きになってもらわないとならいと。 その為の手段は選ぶ気は無いですよと。『イサナさん』『はい。地球圏及び火星圏の環境数値には今のところ異常はありません。長期はお約束できませんが、銀河時間の地球換算数年以内でしたら何とか致します』 星内開発部部長のイサナさんは発光体の女性体を軽く点滅させながら、涼しげな声で答える。 太陽の元となる原始星を、未知領域である広大な暗黒星雲内から見つけ出さなければ、全ては終わる。 それまではイサナさんに限りある物資で何とかやり繰りしてもらうしかない。『ノープスさん』『技術レベル向上用の星間マップはいくつも出来ておるぞ。礼に今度は地球の酒職人を頼むぞ』 企画部部長ノープスさんの役目が来るのはもう少し先の話だが、今は効率的な暗黒星雲調査を可能とするためのPCO用練習マップをいくつも製作してくれている。 銀河でも有名な星間デザイナーに、ゲーム用マップを作らせるってのはどうかと思ったが、酒で釣れる辺りはさすが変わり者で知られているだけはある。『サラスさん』『今期分の予算は確保してあります。ですが来期以降のことを考えて無駄なく使うように。超過しそうな場合はすぐに連絡を求めます』 ディケライアの金庫番。経理部部長であるサラスさんが有無を言わせぬ口調で宣言する。 夫婦揃ってアドリブで色々やらかして度々予算オーバーしているので、サラスさんには頭が上がらない。 怒らせるなよと他の部長クラスが目で訴えかけてくる辺り、誰が権力者かよく判るってもんだ。『ローバーさん』『星系連合より出された全ての条件をクリアしております。違法行為は現在ありませんがグレーゾーンの行為もありますのでお気を付けください』 ディケライア社専務であり法務のプロであるローバーさんのおかげで今回の計画は形になったといえる。 古くさくて誰もが忘れているような特例条項や、無理矢理な法解釈を使い、隙間を縫って何とか仕立て上げているので無茶は効かないと忠告をしてくれた。 俺は各部署の報告を聞いて一度息を吸う。 全ては今日のため。 今から始める大勝負のためだ。 俺は最後に残していた中央の画面に目を向ける。 そこに映るのは茶髪で長身なドイツ系アメリカ人という偽のプロフィールに身を固めた我が相棒兼唯一無二の伴侶なアリシティア・ディケライアだ。『アリス』『準備万端全部オッケー。羽田にはOP映像が流れ終わると共に視認可能な位置に到着予定だよ』 ナノセル義体を用いて仮初めの身体とはいえ地球にきているアリスは、今羽田に向かって移動中だ。 地球におけるディケライア本社と共に。 情報機密やら、諸々を秘匿するためとはいえ、選ばれたディケライア社地球本社は、何かとマニアックなアリスらしい選択。 あんな骨董品をよくぞ引っ張り出してきたもんだと呆れるしかないが、ありゃ売る方も売る方だ。 画面を一度見回してから下を見下ろせば大勢の人が集まった会場。 そこに向かって、ごたごたが原因で出遅れたのか急いで走っているとおぼしきマント姿の麻紀さんと手を引かれている美月さんが、エプロンをゆっくりと進む姿が見えた。 あの二人を含め、俺がピックアップしている連中は全て会場入りしているか来日済み。 エリスの乱入って予想外の事態はあったが、それくらいのトラブルで泣き言を言ってたら客商売なんぞ出来やしない。 むしろそれを利用して盛り上げてこそ、俺ってもんだ。『舞台と役者は揃いました。そんじゃ参りましょうか……Planetreconstruction Company Onlineゲームスタート』 宣言と同時に、地球圏を覆っていた遅延フィールドが一時的に解除され、打ち上げられた花火の号砲と共に、メイン会場の大スクリーンにゲームのオープニング映像が流れ始める。 同時に大気内にステルスモードで隠されている無数のカメラも起動。「よしよし。初っぱなから良い映像が取れたな。父親の行方を知るために必死な感じが出てやがる。エリスに感謝だな」 息を切らせながらも会場へと走り込んだ美月さん達を、恒星間ネットを通して全宇宙へと生放映し始めた。