商業エリアに隣接するアンネベルク荻上町店の1階フロアには、VR再現機能を備えたレンタルルームがいくつか用意されている。 部屋全体を3Dプロジェクターとする、前時代的ではあるが高規格VR環境システムを採用しており、主流VR技術のコアであるが脳内へ異物を入れるナノシステムへの抵抗感をもつ顧客や高年齢世代などナノシステム非使用者をメインターゲットに会議やプレゼンなどへの使用目的で売り込み、レンタル料金1時間2万円という高額設定ながら、ビジネス街に隣接する立地条件もあってか、そこそこの好評を得ている。 その中の一室。10人ほどが入れる小ルームが、美月達がリアルでの打ち合わせや食事休憩等にもちいる部屋として、荻上町店店長柊戸羽ことギルド【餓狼】マスターセツナから提供されている。 今室内にいるのはつい先ほど撃墜された美月。丁度食事休憩に入っていた峰岸伸吾と中野亮一。 それと美月にVRMMOのイロハをレクチャーしている宮野美貴と、PCOの取材を行っているVR業界雑誌記者である井戸野の5人だけだ。 戸羽は仕事中。麻紀を初めとした他のメンバーは、2階の筐体でそれぞれハーフダイブでプレイ中だが、現時進行形で大荒れのゲーム世界での情報収集に忙しく、リアルに復帰してくる切っ掛けがなかなか掴めてはいなかった。「え、えげつねぇー……情報サイトが軒並み阿鼻叫喚状態だ」 運営の繰り出してきた情け容赦ない手段に引き気味な伸吾が、この騒ぎをまとめた速報情報を部屋中央の大型ディスプレイに投射する。『どこが鉄板ルートだ! 海賊の襲撃じゃねぇか!』『相手AIじゃないかも……少し無駄のある対人戦みたいな動きしてくるんだけど』『敵基地に奇襲しかけようとしたら、NPC艦隊に集結地点を逆奇襲された! どうなってんだ!?』 そこに乗っていたのは、リアルタイムで何度も修正されつづける攻略情報への困惑の声や、まんまとやられたプレイヤー達の怒りが手に取るように判る罵詈雑言な怨嗟の声だ。「潰されまくりか。ミネ君はそのままゲーム関連板での情報収集よろしく。美月ちゃん。実際に戦ってみてどう思った?」「……AIじゃなくて対人戦になったってことでしょうか。あの人が仕掛けてきたとか」 美月の動向を、あの男は、三崎伸太は監視しているはずだ。 伸吾の集めてくれた情報でもAIぽくない行動が目立つという情報も多い。 三崎が何らかのちょっかいを仕掛けてきたのだろうかと、美月は疑うが、「うーん。おしい半分はずれ。運営が仕掛けてきたのは間違いないんだろうけど、中身を入れるにはさすがに規模が大きすぎ。人手が足りないでしょ。ロイドさん。何か情報って出て来ました?」 美月の回答に×マークを出した美貴は、対面に座って仮想コンソールを操っていた井戸野に尋ねる。 「こっちでその名で呼ばれるのは慣れねぇな……ちょっと調べてみたがPCO、つーよりもホワイトやディケライアの協力企業やらグループにいくつか新しい所が来てる。人工知能開発系のマニアックな連中がメインだ」 リアル側からの会社情報を当たっていた井戸野は、VR世界での姿での呼びかけに、くすぐったそうにぼやいてから、集めていた情報を提示する。 VR世界における井戸野の仮想体は、火力絶対主義のギルドその名もずばり【Fire Power is Justice】を率いていたギルドマスターロイド。 セツナの餓狼とロイドのFPJは、リーディアン時代はライバルギルドであり、マスター同士も犬猿の仲でしょっちゅう揉めてはいたが、両者とも美貴達【KUGC】と大同盟を組んでいた有力ギルドの一翼だ。「マニアックですか?」「そう。個性的なAI開発をしている所だな。犯罪者思考再現やら、変わった所じゃ歴史的偉人の思考再現研究なんて課題の所もあるみたいだ。用途が限定されすぎて金にはなりにくい、研究費が回せないって金欠グループをがさっと巻き込んだな」「PCOの高再現可能なマシーンスペックと、仮想世界で蓄積するビッグデータを餌にですか……その代わりにゲーム内AI強化に協力させたと。さすがギルド一のナンパ師」 井戸野のあげた企業・グループリストに目を通した美貴は、学術目的やら趣味的な名目が立ち並ぶのを見て、どう交渉したのかが分かり呆れるしか無かった。 欲しがる物を見抜き、さらにそこから切り込んで落とす。ナンパ師の称号は伊達ではない。 「だろうな……それでこそホワイトっていうべきだな。正式オープン直前にAI改良でクオリティ上げか」 美貴達の知るホワイトソフトウェアとは、当たり前なことを強調するのは変だろうが、【ゲーム会社をやるために生まれたゲーム会社】という表現が出来る位に徹底した会社だ。 ゲームを盛り上げるためなら無茶な企画だろうが、無理矢理押し通す企業風土は新世代VRMMOとなっても変わらず。 そしてそこで水を得た魚のように動き回っている旧知のGMの姿が、二人の脳裏には鮮やかに浮かんでいた。 オープンβも終了間近で、正式オープンに備えていたPCOプレイヤーに、運営側が振り下ろしたサプライズ攻撃は、オープンβテスト時代に開発されたAI思考の裏を付いた特殊戦術や、鉄板プレイのセオリー戦術をことごとく無効化する新型AIの導入。 PCOは下手すれば数十億人にも及ぶだろうNPC個人個人を、各々独立した思考AIによって操作するというのが売りで、1つとして同一のクエストが無いと謳っている。 その謳い文句どおり、確かに今までのゲームよりも、明らかにAIの設定レベルが高く、プレイヤー達の行動に即座に反応して、プレイヤー達が苦戦を強いられる場面も数多く見受けられた。 しかし今日は今までとは質が違う。 今まではプレイヤーの行動に対して、AI側が反応し対応する受動的行動がメインだった。 だが今回はAI側からも積極的に動き、状況を操ろうとする能動的行動が増えている。 今回美月が失敗した偵察ミッションなどその典型例だ。 美月が参考にした他のプレイヤーの時は、AIは探査ポットにこれ以上の偵察活動をさせないために、撃墜優先で迎撃レーザーを発射している。 だからこそ撃墜されるのを前提に、探査ポットは囮として空間を歪めるジャミング機能を搭載し、敵がジャミングで混乱していうるうちに本体は逃げ出すというのが、今回の作戦のキモ。 しかし今回の敵AIはレーザーよりも、遥かに遅い迎撃ミサイルを発射し、さらには広範囲に電磁障害をもたらすEMP弾という選択だ。 探査ポットが撃墜されるギリギリまで周辺情報を受け取ろうとしていた美月は、搭乗艦であるマンタのパッシブソナー全開状態で設定してあったが、それが裏目に出た。 宇宙空間を航行する船であるので船体自体には強固な電磁波対策が施されているが、展開していたアンテナ類はそうはいかない。 強力な電磁波によってアンテナ類は焼き切られ、さらにそこから回路に異常電圧が生じ、ステルス機能も含めた船体機能の大半が一時的にシャットダウン。 機能ダウン直後に、EMP対策をしていたであろう敵方監視網によってあっけなく発見され撃墜という流れだ。「うーん……ちょっとまずいわね。スタートダッシュに考えていた方法がつぶされてるかも。リョー君。うちの連中はなんて?」 アンネベルクだけでなく、それぞれの自宅やホームでハーフダイブしてプレイ中のKUGCギルドメンバーは、ゲーム内の各星域に散らばって、情報屋NPCや政府公式情報等を拾い集めている最中だ。 PCOは情報を重視するゲーム。 いくら攻略掲示板で情報を集めプレイヤー本人が知っていても、キャラクターには反映されない。 ゲーム内で確かな情報を集め蓄積、共有してこそ、プレイキャラクターが制限無くステータスを発揮できる。 ゲーム内の膨大な情報に対して、それらを適切に扱うため、校内アーカイブから作りあげた分析ツールバージョン1にデータを取り込んでいた亮一は顔をしかめている。「銀河各所の特S級資源恒星系に各陣営の要塞艦がぞくぞく到着。各所で戦争の幕が開いたそうです……ゲートから遠くて敵キャラは少ないから稼ぎやすいって、スタートダッシュポイントはことごとく潰されたってカナさんが緊急速報飛ばしてます」 潰されたのは戦術だけではないと亮一が見せてきたのは、PCO世界のNPC国家や企業が保有する超大型艦や戦闘艦隊の動きを監視し、経験値を上げているプレイヤー達の情報を集めていた金山からの緊急伝だ。「こりゃモンスター分布の変更っていうよりも、世界全体が有機的に動き出したって表現した方が良いかもな。プレイヤーが美味そうな狩り場だと思えば、NPCも美味いと思うわな。その分、偏りと穴が生まれると」 手元に集まっているのは端的な初期情報だけだが、劇的に状況が変化し始めだした空気を感じたのか井戸野が目の色を少し変えた。雑誌記者からプレイヤーへと。 初期資材や資金集めに有望だった星系が軒並み激戦地に変わり初め、逆に今まで難所だった場所から、戦力が引き抜かれ僅かだが穴が見え始めていると感じ取ったようだ。 「あ……そういうことですか。なんでこの正式オープン間近のタイミングかと思ったら。さすがホワイト。プレイヤー心理を判ってますね」 井戸野の言葉に何か感じる物があったのか、美貴もまた少し雰囲気が変わる。その口元には好戦的な笑みが浮かんでいる。「相変わらずプレイヤーに全力で喧嘩を売ってくる会社だな。FPJの連中にも今日のデータって回して良いか?」「どぞどぞ。うちの関係者なら喜ぶ連中が多いでしょ。難易度上昇を喜ぶ人ばかりですし」 ゲームが難しくなった。集めてきた情報が、考えていた戦略が無駄になった。しかもオープン直前に。 父の事を知りたく必死でゲームに挑もうとする美月からすれば、三崎の嫌がらせかと思えるくらいだというのに、なぜ二人がそんな楽しそうに、嬉しそうなのか理解出来ないでいた。「えと……どういうことでしょうか?」 VRMMO初心者である美月は、集まってきている情報に二人が何を感じたのか理解が出来ない。 戸惑いを見せる美月に対して、美貴は少し困ったような顔を浮かべ、「うーん……あたしも、ロイドさんも感覚だから言葉だと説明しづらいんだけど、感じたのよね。今。仮想の世界だけど、本当の世界が。あたし達が生きるもう一つの世界がね、生まれたんだなって思ったの」 仮想世界の事を、ゲーム世界のことを、まるで現実世界のように語る美貴の言葉の意味が、今の美月には理解が出来無かった。