「や。高山さんおはよう……西ヶ丘さんどうしたの。新手のプレイ?」 昇降口で下駄箱から自分の靴を美月が出していると、バスケ部所属のクラスメイトの女子が通りがかりに挨拶をしてきた。 どうやら朝練終わりのようで上気した頬の彼女は美月の背中を指さす。 美月の首元にがっつりと腕を回して寄りかかって寝息をたてながらも、一応自分の足で立つ麻紀が張り付いていた。 「おはよう。寝不足で朝から突き抜けてて、電車の中で寝かせてからずっとこの状態。一応は歩いてくれるからこのまま連れて来たの」 「いつも通りって事か。西ヶ丘さんらしいね」 クラスメイトはその説明で合点がいったのか、特に聞き直すでも無く何事も無かったかのように頷いている。 美月自身もどうかと思う説明だが、それで納得されてしまうのが西ヶ丘麻紀だ。 クラスメイトや学校関係者達は麻紀の奇行と無駄に高いスペックやら奇妙な特技にある程度は慣れているので、校門での服装チェックや昇降口までも、特に注意も注目もされずにすんだが、それもどうだろうと美月は思わずにいられない。「あ、そうだクラスの男子が、西ヶ丘さんに用事あるらしくて教室で待ち受けてたよ」「なんの用事か聞いてる?」「さぁ。詳しくは知らないけど新作端末がどうとか言ってたから、ハードの購入とか改良の相談に乗って欲しいのかも……でも西ヶ丘さんその状態で大丈夫?」 麻紀の普段の奇行や問題行動は明らかにアレだが、かろうじて紙一重の向こう側に立っている。 面接やら中学の内申書等、人格面は最低レベル評価ながらも、試験で満点をたたき出したから合格した。 今年度から定期学力テストの上位者発表がされなくなったのは、麻紀対策で相当強化された試験問題ですらも、その元凶が易々と全教科オール満点をたたき出したせいで、2位以下の普通なら優秀と評価される生徒達が自信喪失しないように教師側が配慮したから。 マントなどという明らかな校則違反や、そのエキセントリックな言動が厳重注意レベルですんでいるのは、将来的な名声を見込んだ学校側の思わく等々。 いろいろな噂があるが、麻紀が中学時代には学校の総電源と引き替えに家庭用小型核融合炉を稼働させ、そのセンスを疑いたくなる形ながらも高性能端末を作り出すほどに、学力のみならず工作技術にも長けた生粋の実戦派ナードであることは誰もが認めることだ。 だから技術的な事で麻紀に尋ねたり、故障した私物や学校の備品の修理などを求める生徒や、教師は思いのほか多い。 麻紀のほうは麻紀の方で、頼られるのが嬉しいのか、自分の趣味に合えば気軽にサクサク引き受けるので、その迷惑すぎる性格ながらも、見た目の良さと、それに反したなじみやすさである程度は受け入れられていた。 もっとも受け入れられた理由の半分は、美月というリミッター兼外付け常識回路にして絶対停止装置が陰に日なたにフォローを入れているからというのも大きいだろう。 「たぶん大丈夫だと思うけど、ちょっと気をつけてあげてくれるかな。朝からお母さんと揉めたみたいだから」 抱きついては良いと言ったが、この無理な体勢でここまでぐっすりと熟睡してくるとは思わなかったのが正直なところだ。 ただ朝の麻紀のハイテンションな躁状態は極度に高く、登校前にも家でいろいろやらかしている。 普段は強気一辺倒だが、下手にスイッチが入れば、自分の行動を思い返した反動で麻紀は鬱状態になる。 躁状態が高ければ高いほどその反動は強くなるので、今日の勢いでは一気に反極の状態になりかねない。 少しでも寝てフラットな状態に戻ってくれればと、起こすようなこともせず、美月は歩きにくいのと、学校までの人の目についてはあえて無視して登校してきていた。「あ~……了解。他の連中にもスイッチは押すなって回しとく。じゃあ一応用心して起こさない方が」「ふっ。話は全て聞かせて貰ったわ!」 美月の説明に事情を察した女子が、気を利かせようとしたが、その言葉を遮り、いつの間にやら起きていた麻紀が会話に割り込んできた。 ひょっとしたら最初から起きていたのでは無いかと、疑いたいほどのタイミングの良さだ。「あたしの助力が必要なのは誰! あたしに全部任せなさい!」 目をぐるぐると回したままの麻紀はハイテンションな高笑いを上げると、靴を履き替えもせず、教室へ向かって走り去っていく。 美月が止める間もなく、その黒マントは無数の足跡を残しながら階段の踊り場に消えていった。「……確かに高いね」 「そうでしょ……掃除用にモップを借りてくるね。ごめん麻紀ちゃんの上履きを持っていってもらっていい?」 今更追いかけても遅いだろう。 諦めた美月は、麻紀が残した足跡を消すために近くの教室へと掃除用のモップを借りにいくことにして、麻紀の下駄箱から上履きを取り出すと鞄の中に常備している麻紀用の靴入れ袋に押し込んで、クラスメイトに持っていってもらえるか頼んでみる。 「持ってくのは良いけど。ちょっとは自分でやらせた方がよくない?」 「あそこまでいってると言っても聞かないよ。怒っても良いんだけど、アレ私も痛いし麻紀ちゃん泣くから。それにすごい注目されるからあんまりやりたくないかな」 だが麻紀の世話を焼くのはある意味で自分の為だと自覚する美月は笑ってみせる。「……高山さんの怒り方ってインパクトが強いからね。入学式で西ヶ丘さんを止めたときの話なんて今でも語りぐさだし」 ただ麻紀を甘やかすだけなら美月にも批判が来そうだが、美月の怒ったときの様は周囲をどん引きさせるほど。 その仕草や人の良さそうな笑顔を見れば大人しい文化系女子高生という存在を絵に描いたような美月だが、それは麻紀と出会う前までの話。 この十ヶ月でその見かけとは些か違い、男前だと影で囁かれる方面へと行動や精神面は成長していた。「気分乗らない。やだ」 行儀悪く自分の机にべたっとだれて倒れ込む麻紀は顔だけを上げると、拝み込んでくる3人の男子ににべもなく断る。 昇降口からの猛烈な勢いのまま教室へと登場した麻紀だったが、麻紀の登校を待っていた男子達からの依頼内容に急激にテンションを下げていた。 これなら美月と一緒に教室まで来ればよかったと、クラスメイトから渡された上履きに履き替えた麻紀は、外履きの靴が入った袋を机の下で手持ちぶさたに弄んでいた。 その美月といえば、上履きを持ってきてくれたクラスメイトの話では、麻紀のフォローで廊下を掃除中らしい。 美月に悪いから引き継ぎに行きたいが、協力要請してくる男子達が解放してくれそうにも無く、憮然としたままで一応だが交渉を続行していた。 リーダ格である伸吾。 参謀的な亮一。 そしてムードメーカの誠司。 幼なじみかつ通常型MMO時代からの仲間だという3人組から依頼されたその内容は、近々正式オープンするという大作VRMMO専用に粒子通信VR接続端末を買ってくるので改良して欲しいという内容だった。「西ヶ丘そこを何とか頼む。謝礼は実費+2、いや3割だす。だから協力してくれって」 自分達がVRデビューするとほぼ同時に、最近話題となっていた新作が偶然にも正式オープンする運びとなり伸吾達は参加を決めたらしい。 電磁波対策新規格でありシェアを爆発的に広げている粒子通信用機器をいじるのには興味もあるし、美月用の接続マントを作りたいから資金は欲しい。 だが謝礼をつり上げ食い下がってくる男子に対しても、麻紀の食指はぴくりとも動かない。 人が死なないゲームなら時折美月と興じたりはするが、MMOといえば大量人数が参加して、そのほとんどがプレイヤー操作のゲーム内キャラクターが争い時には殺し合うゲームというのが麻紀のイメージだ。「……しゲーム嫌い……ゲーム専用接続端末の改造っていっても、MMOならどうせクラウド型でしょ。なら市販品で十分じゃ無いの。ホストの性能次第だから通信機能を強化してもあんまり意味ないし、それにゲームなんてがっつり娯楽目的だから規制条例の影響で一日2時間しか出来無い上に、がっつりやるとゲーム会社の規制に引っかかるでしょ」 自分の嗜好を小さくつぶやいた麻紀は、それだけでは理由が弱いと思い技術者としての目線で乗り気では無い事を伝える。 どうせアレはやるなこれは使うなとゲーム運営会社の方から規制がされている。ハード方面の改良で出来る事は限られている。 わざわざ自分に頼むことも無いと麻紀は机に突っ伏す。「違う違う。ゲーム本体方面での強化じゃ無くて、ゲーム中もリアル側でのネットからクエスト関連情報を随時収集、分類、索引するデータベース機能を追加したい。出来るだけ安くて高性能な奴で。だから西ヶ丘の協力を頼みたいんだっての」 だが麻紀の予想を外して伸吾が頼んで来たのは、ゲームを有利にする機能では無く、ゲーム情報を収集する機能強化というものだった。「なにそれ? MMOゲームって同じやつ何匹も倒せとか、アレもってこいとかの繰り返しばっかの道筋の決まったゲームでしょ?」 嫌いなのであの手のゲームはまずやらないが、麻紀の知る限り、そんな頻度で情報収集が必要になる物では無いはずだ。 あっちに行って、次にこっちに行って、アレを倒してと、他のプレイヤーと同じ道順、同じ流れを繰り返す。 ただただ同じ場所で同じ敵を、何時間も、場合によって何日、何週間も篭もって倒し続ける。 所謂お使いゲーや作業ゲー。 決まり切った作業ルーチンを何度も繰り返す物をイメージする麻紀に対して、「そうだったら苦労しねぇよ。今度正式オープンするゲームPlanetreconstruction Company Online通称PCOは今βテストの最中だけど、テスターの人らから上がってる情報だと、プレイヤーの行動やらNPCの反応で刻一刻と状況や情報が変化してるんだとよ……ほらこれとか見てみろって」 伸吾が取りだした携帯端末に映るのは、関連情報をまとめた攻略サイトのようで、新作だというゲームの基本情報やテスター達の活動報告がまとめられていた。 「狐耳の仮想体って、中の人ってあたし達より年上……大人でしょ。趣味が悪い」 拘りに拘ったと判る気合いの入った狐耳仮想体を見て、中の人はいい年して恥ずかしくないんだろうかと己の悪趣味を棚に上げてあきれ顔を浮かべる。「ふーん。状況や行動次第で影響を受けたNPC同士の大艦隊がぶつかって戦争でゲート通行不能になったり、NPC間でブームが起きて特定の材料が不足したりと、イベント発生の不確定要素が多すぎる。情報収集も特定高位スキルが無い限り、ゲーム内では基本的には自分のいるエリアの基本情報を集められる程度。情報源となるNPC情報屋にも他のプレイヤーが欺瞞情報が仕込めるなど性格が悪く、イベントフラグはとてもユーザーフレンドリーとは言えず、プレイヤーに全力で喧嘩を売ってるとしか……これテストプレイの活動報告とかより、完全クレームぽいんだけど」 クロガネとか言うテストプレイヤーの活動報告を読むと、やたらと運営に対して喧嘩腰なコメントが並んでいるが、そのフィルターを取り払ってみればゲーム内容を上手く言いまとめて、MMOに対してはイメージ程度の知識しか無い麻紀にも分かり易い解説がされていた。 イベントはランダム発生のように見えて、NPCの勢力関係や物資量、プレイヤーの行動など複数の要素と状況が絡み合い繋がって発生する。 その為にどこで何が起きているや何が売れているかなど、情報価値が極めて高いゲームデザインとなっていた。 しかしゲーム内では、広範囲の情報を集めるためには設備やスキルが必要となり、足りない場合はゲーム内情報屋を使ったりと代替え手段もあるが、嘘や誤報が紛れ込んでいる可能性も有り。 プレイヤー側の対策として、リアル側でリアルタイム攻略情報を集めてプレイに役立てる方法もあるが、これにも難点が1つ。 プレイヤーの分身体であるゲーム内キャラクターは、ゲーム内で得た情報によってステータスやスキルレベルが変化する。 だからプレイヤーが知っていても、キャラクターは知らないという状態で、キャラクター能力が低下するという、なかなかに意地の悪いデザインのようだ。 ただプレイヤーが情報を知らないと知っているでは、やはりゲームの攻略速度は段違い。 だから、麻紀の協力を借りてリアルから幅広い情報を収集、リアルタイムで分類できる高機能筐体を作りたいと伸吾達が頼んで来た理由も、一応は納得出来た。 しかしあまり気乗りしない麻紀は、リンクを辿って他のテスターのコメントをぱらぱらと適当に流し読みしていく。 プレイヤーの少ない辺境域で採掘>加工>販売で良い感じに儲けられる鉄板稼ぎプレイを見つけ独占商売が出来るとAIに指示を出して2日ほど放置していたら、同業NPCが行程をまねて値下げ競争が起きていて不良在庫を抱え込んでいた。 辺境惑星で銀河平均価格よりもやたらと安い建造アイテムを見つけて、大量仕入れでコスト低めで新造艦が建造できた。 発掘ポイントを見つけて他のプレイヤーに見つかる前にと大規模採掘をしていたら、惑星所有者NPCから環境破壊で訴えられ賠償金を払わされた。 著しい環境破壊が起きた惑星で環境蘇生ミッションの最中。森に木を植えて成長を見守ったり、湖を作って魚を育成したりとスローライフ満喫中。 祖霊転身という特殊ギミックを使って惑星大気圏で戦っていたら、勢い余って軌道塔をへし折り、大規模テロリストとして賞金首状態になって、その惑星国家から今現在大艦隊を差し向けられて逃亡中。 どっかの馬鹿が軌道塔をへし折ったおかげで復興特需で大もうけ中。 このゲームでは今までの常識捨てろ。痛い目見る。 まだテスト中のゲームにしては未知数のイベントやプレイヤーにも到達できていない地域がやたらとあるようで、プレイヤー達が驚く展開が多いようだ。 手探りで進むテスター達の一部は、何時ものゲーム感覚で行って痛い目に遭ったと嘆きと怨嗟の声を上げていた。「規制された制限時間を逆手に取った特殊機能時は従来型VRアクション系、通常はハーフダイブでプレイ可能な育成、戦略、戦術等諸々のMIXタイププレイの新世代VRMMO……なんかいろいろ無理して失敗してないこれ? すごいごちゃごちゃしてる気がする。しかも規制前のゲームだけじゃ無くて、通常型MMOの一部からもキャラやスキルを統合ってカオスな感じがするんだけど」 規制の影響回避や斬新な作りを狙おうとしすぎた際物ゲーム。 それを誤魔化し旧ユーザーさらに新規ユーザを引きつけるために、規制で終了したいくつものゲームや、VRとは無関係なMMOゲームとまでコラボしその要素をぶち込んだ。 言うなれば味の濃いごちゃ混ぜな代物。 麻紀が抱いた印象はそんなところで、決して良い物では無かった。 「実際そういう意見はあるみたいだけど、やってみると奥が深いんだってよ。やれることは異常に多くて、自分達で動いて考えるNPCの嗜好なんかを先読みして上手く使えば低スキルでも面白いように一気に稼げるとか、ともかく自由度が高いゲームだってよ。ほらここのゲーム紹介みてみろってこれでほんと一部だからよ」 基本プレイスタイルは惑星改造会社に所属する社員からスタート。 チュートリアルで操作や初期スキルを覚えさらに専門職に分化して、特殊スキルを習得。 役職やスキルだけで数千、さらに船の種類も基本艦種が数万以上。プレイヤーカスタマイズでさらにその数は無限に広がっていく。 VRデータを作り上げる、手間を考えれば狂気の沙汰年か思えない数が並んでいるが、それほど本気と言うことだろうか。 その馬鹿げたスキルに合わせて鍛え方も無数と有るようだが、基本的な鍛え方は通常のゲームと変わらない。 難所や長距離航行で航海スキルを習得したり、衛星開発で作成スキルを上昇させたり、そして他のプレイヤーや他会社のNPC艦隊への襲撃…… 「…………やっぱ気が乗らないからパス」 途中まで読んでいた麻紀は気分が悪くなり端末を投げ返す。 VRの売りはリアルな映像。 敵艦を撃破した際の映像に映った白い何かの正体に気づいた麻紀は、マントのフードを引き寄せ頭からすっぽりと被った。「ちょ、まてって、マジで頼むって。俺らのキャラがそのまま使えるのもありがたいんだけど、このゲームオープンイベントの賞金がすごいんだっての。様子見だった有名プレイヤーも、続々と参戦表明が来てるくらい今熱いんだよ」 麻紀がほとんど興味を失った半拒絶状態になったのを見て、伸吾が慌てて拝み込んで食い下がる。「どうせ電子マネーの賞金とかでしょ。それになお金で釣るなんて自信が無い証拠じゃない」 VRは素晴らしい技術。 プレイヤー達を集めるために商品や賞金で釣ろうとする行為の効果や即効性は多少は理解できるが、技術屋の麻紀としてはあまり手放しで褒めたい物では無い。「それが違うんだな。聞いて驚け。なんとトップパーティには現金1億円だ。1億だぞ1億。二位でも5千万。千位入賞でも5万って大盤振る舞いだ。すごいだろ!」 伸吾が説得のための切り札を自信を持ってさらす。 一億円など一般庶民には早々縁の無い金額。ましてやただの高校生には途方も無い金額に映るだろう。 それこそ5万でも臨時収入としては破格の金額。 ゲームをやって賞金をもらえるなんて夢のような話。「へぇ……この間ママが買ってたVR医療機器があと少しで買えそうか。すごいね」 だが腐っても名門医療グループの令嬢である麻紀には、あまり驚きは無い。 母親が持って帰ってきた資料で、一台数億円やら、物によっては十億円を超える機器もさほど珍しく無い事を知っているからだろうか。「……そういやお嬢だった」 美月により小遣いを管理制限されているので常時金欠なイメージが強い麻紀だが、基本的にはセレブ側だということを思い出した伸吾は、説得の手段を見失い、がくっと膝を突いた。 報酬という餌の選択を間違えていた事にやっと気づいた。「亮一。続き頼んだ」「いいよ。西ヶ丘さん確かに賞金として世間的には話題になってるけど、僕らの本命はそれじゃ無いんだ」 交渉役を任されていた伸吾に頼まれた眼鏡を賭ける亮一が周囲を伺ってから声を潜めるように麻紀の耳元に近づき囁く。 賞金金額を考えれば、ライバルを1人でも減らすために声を潜めるのも気分的には判らなくも無いが、どうやらそのもったいぶった言い回しからそれだけではなさそうだ。「このゲームはディケライア社が日本のメーカに持ち込んだ企画を元に作られていて、そして入賞者は特定条件を満たすと、ディケライア社本社に招待されるって噂があるんだ。あのディケライアだよ」 ディケライア。 アメリカのベンチャー企業にして、サンクエイク事件後に粒子通信を引っさげて華々しくデビューし、現在も勢力影響力を拡大中の新興VR企業。 だがその日々広がる名声とは裏腹に、実体は謎に包まれているというのが実際の所だ。 社長である女性や、事件後に採用された現地社員はリアルイベントなどで表に出ているが、それ以外の初期社員はVRでのみの活動に限定されていて、全体像を知っている者は、社外には誰もいない。 日本支社などいくつかの活動拠点は持っていても、斬新なアイデアに基づいた新規製品を研究開発しているはずの本社は、現地社員すら行ったことが無いので、未だどこにあるのかすら不明。 株式公開もされていないのに潤沢な資金を誇ることで、どこかの国の研究機関がその母体だの、匿名の億万長者が個人的趣味でやっているだの、滅亡した古代帝国の遺産が使われているだの、果てには地球侵略に来た宇宙人の会社など、眉唾な噂がいくつもある謎の企業。 だがこの企業が飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大中なのは事実。 VR技師を目指す人間には羨望の就職先で有り繋ぎをもてたら将来的に有利になるということや、それで無くても好奇心旺盛な高校生からは野次馬根性から興味を引かれる対象なのだろう。 「僕らが入賞したら、麻紀さんも興味引く情報を」「興味なし」 だがこれも別に麻紀にとって気乗りしない依頼を引き受ける対象でも無い。 ディケライアの技術がすごかろうが、今までの秘密主義を考えるなら、どうせ部外者に公開しても当たり障りの無いところ。 麻紀が面白いと思える情報を持ってこれはしないだろう。 二人目の亮一もあえなく撃沈。「お前らどいてろ。西ヶ丘ちゃんこれならどうよ。前に探しているとか言ってただろ。親戚の兄ちゃんから貰ってきた中古品だけど欲しくないか?」 自信ありげにトリを引き受けた男子生徒誠司が1つのVRソフトを麻紀に呈示した。 軽めな男子のイメージとは真逆なそれは、ゲームでは無く遊びの少ない学術系VRソフト「観測データ天体再現集」という硬派なソフトだ。 観測データから予測される天体想像図をVRで再現したという物で、一風変わったプラネタリム集。 マニアックすぎる内容でわずか数百本の初版だけで絶版。 発行会社も規制事件の影響で倒産し、再発行の目も無いという幻のソフトだ。 このソフトには、天体想像図以外にサンクエイクで壊滅したと言われている月のルナファクトリーの内部再現VRが特典として収録されている。 自分達というよりも、美月と初めてVRへ私用で潜るならこれが良いと麻紀が探し、だがその希少性で諦めていたソフト。「やる! 任せなさい! 斬新なゲームがどうした! あたしに掛かったらあっという間に解析よ! 入賞!? けち臭い! 目指すはTOP! 一位にならなければ意味が無いのよ!」 ソフトの存在を感知した瞬間、麻紀のテンションはマックスまで跳ね上がり、椅子を蹴倒しながら跳ね起き、さらには机の上に飛び乗り高笑いを始める。 西ヶ丘麻紀をどうにかしたいなら、高山美月を絡めろ。 これはフリーダムな麻紀をコントロールする唯一絶対な法則として周囲には認知されつつあった。 我が儘な上に何を考えているのか判らない時が多い麻紀も、自他共に認める親友である美月が絡んだときには、非常に扱いやすいキャラへとチェンジする。 「おらどうよ! お前ら1週間昼飯奢りな!」「お前自信ありげだったの切り札あったからかよ。それで奢り勝負しかけてくるのは汚くねぇか」 麻紀の説得が出来た奴に他の2人が飯代を奢る賭けでもしていたのだろう。 文句を言う伸吾に対して誠司が、「なんとでも言えっての! これで勝ち目見えてきただろ! 俺らがナノシステム入れてからオープン。しかも天才西ヶ丘ちゃん付き! 時代が来てるっての! オープンを遅らせてくれたサンクエイク様々だ、っげふ!」 男子達の方向からはスカートの中身が見えることも気にせず、足を高々と振り上げた麻紀の踵落としが誠司の脳天へと直撃し、その軽口を黙らせていた。「麻紀ちゃん。なんで蹴ったの?」「……」 目を見て問いかけてくる美月に、麻紀がばつが悪そうに顔をしかめて目線を反らした。 麻紀は黙り込んだままで理由は話しそうも無い。「うぉっ……良い物を見られたけど……洒落にならねぇほど痛てぇ」 しゃがみ込んだまま悶絶しつつも馬鹿なことを言っている誠司は幸いというか、意識を失うや、血を流すことも無く軽傷で済んだようだが、一歩間違えれば大怪我していたかもしれない。 せめて自分がもう一足早く教室に入っていればと、美月はため息を吐く。 掃除を終えて教室に入った美月が目撃したのは、机の上に乗っかって踵落としを繰り出した瞬間の麻紀の姿だった。「理由はわからないけど、暴力はダメだよ。ほら謝って」「やだ」 今は聞き出せそうも無いので、もう少し落ち着いてから理由を確認するとしても、とりあえず謝らせようとした美月に対して、麻紀は首を横に振って即答する。「麻紀ちゃんだって悪い事したのは判ってるでしょ。謝るの」「…………やだ」 そのばつの悪そうな態度を見れば、麻紀自身もクラスメイトに暴力を振るってしまった事はダメなことだというのはしっかりと理解しているのは判る。 だが何か譲れない物があるのか麻紀は頑なに謝罪を拒む。 「…………怒るよ麻紀ちゃん」 ここまで来たそうは引かないだろう。 麻紀の両肩に手を置いた美月がゆっくりと最後通告を突きつける。 もしここでも拒むようなら、泣こうが落ち込もうが麻紀に対して怒るだけだ。 美月の声と目がドスの利いた物に変化した事を察した麻紀の背中がびくっと怯えたように震え、クラスメイトさえも無意識につい一歩引き下がり、「待った高岡。西ヶ丘わるくねぇって、誠司が悪いんだからよ」「そうそう調子に乗ってた誠司がこぼした軽口が原因で怒っただけだよ。そうだろ誠司」 美月の最終攻撃が出ると察した伸吾と亮一が慌てて間に入り、悪いのはこいつだと、うずくまってい誠司を指さす。 どうやらこの2人はなんで麻紀が怒ったのか理解しているようだ。「お前らなぁ。ちょっとは心配しろよ……・美月さん悪い俺が怒らせた。西ヶ丘ちゃん悪いな。これやるから許してくれ。協力とか云々抜きで詫びの気持ちだと思ってくれな」 あっさりと売られた仲間に恨めしげな声で文句を言いつつも、立ち上がった誠司が軽い態度ながらも謝り、そのお詫びとして麻紀がほしがっていたソフトを差し出す。 口調は軽いながらも、誠司なりの謝罪の気持ちはそれなりに伝わってきた。「……あたしもごめん。ソフトを貰うからにはちゃんと協力する。実費だけで良い」 その態度に頑なな態度を見せていた麻紀もあっさりと頷いて頭を下げ、さらには頼まれていた事にも協力すると軟化した態度を見せた。「美月もごめん。理由はいいたくないけどあたしも悪い。あと、その……」 麻紀が受け取ったソフトを持ちながら、不安そうな顔で様子をうかがってきた。 理由はどうしても言いたくないらしく、さらには何かを言いよどむ麻紀の胸に抱いているソフトのタイトルに気づいた美月は、何となく事情を察する。 細かな事情は判らないが、おそらく麻紀が暴力を振るった原因は自分に絡んだ事情だろう。 親友が自分を制御できない時がたびたびある事は知っている。 麻紀自身は良いことをしているつもりでも、その時の精神状態や投薬状況で価値基準や善悪のラインが歪んでしまい、周りにも被害が出ているが、一番の被害者はある意味で当人である麻紀自身。 「もう怒ってないよ。それより今日うちに帰ったらそのソフト一緒に見せて貰って良い? お父さんの仕事場って興味あったんだ」 情緒不安定で強く脆い友人が見せる不安そうな表情からその願いをくみ取った美月が優しく微笑んで頼むと、麻紀の表情はすぐに明るくなっていた。