分厚いカーテンで締め切った薄暗い部屋の中で濁った目をモニターに向け男は一心に仮想コンソールを叩く。 部屋の中にはVR用補助機器である大型管理槽が一つだけ置かれている。専門業者に維持管理を任せれば数ヶ月から年単位でのフルダイブを行える発売当初から、業界最高峰のスペックを誇った最高級品だ。 しかしそのような高級機具以外には、そこらに脱ぎ散らかされた衣服やら完全栄養点滴の空になったアンプルが散乱しているだけで、室内には家具らしい物は何もない。 生きる糧の食事も、出歩くための衣服も、彼にとっては最低限度しか必要ない。彼にとってここはリアルは、本当の世界ではない。仮の世界。 本来ならばこのような唾棄するべき世界など離れていたい。しかし今はそれもままならない。 彼が本来いるべき世界は奪われた。 完璧な世界達への門は1日に二時間しか開かず、無数の世界の中でも彼が愛した世界はとうの昔に消滅した。 誰のせいだ。誰のせいだ。誰のせいだ。誰のせいだ。 ルールを無視する奴のせいだ。ルールを悪用する奴のせいだ。あの崇高で素晴らしい世界を欲望で汚した低俗な奴らのせいだ。 あの素晴らしき世界でトップを取り続けるために俺が費やした月日と情熱を奪いやがった。 不完全でどろどろした嫌な世界でしかないリアルにしがみつきRMT等という汚れた制度の犬である亡者が、天罰を受けたというのになぜ俺が世界を奪われなければならない。 間違っている! 間違っている! この世界は! リアルはやはり間違っている! 天すら間違っている! なら…………ならば俺が罰を下す。あの素晴らしきVR世界を汚そうとする低俗な奴らに罰を下してやる。 世界を奪われた憎しみが彼の心に渦巻く。 かつて彼は、とあるVRMMOゲームの一つにおいてトップランカーの一人、PKKクロガネとして君臨した正義感に溢れるプレイヤーだった。 レアアイテムを持ったプレイヤーに集団で襲いかかるPKギルド。 初心者や格下プレイヤーを悪戯に狙ってはすぐに姿を消すPK。 そのような無法者を打ち倒し、ゲーム内の秩序を保つPKK専門ギルドの長として数多の同胞を率いて、PKプレイヤー達の情報を集め、対策を練って勇猛果敢に戦ってきた。 そんな彼の本質はリアルであろうと変わらない。国内数百万のVRプレイヤーを殺した、不正者達を社会的に抹殺する。それが彼がリアルで見いだした新たなPKKの形だ。 しかしリアルの束縛が彼の身体を拘束する。それは睡眠欲や食欲と呼ばれる生物として本来有るべき欲求。 だが不正を憎む彼の執念はこんなリアルのルールでは止まらない。 脳内ナノシステムにより肉体と精神を強制的に覚醒させ、栄養補給は点滴で済ませれば問題無い。偽物のリアルの肉体なぞ所詮機械と同じ。いたわる必要など無い。 むしろこの骨と皮ばかりのくせに、泥のように重いポンコツのような肉体は彼にとって邪魔でしかなかった。 リアルに対する苛立ちと、自らがあるべき姿を奪われた憎しみが、さらに彼の精神を鋭く、そして歪めていく。 自分が本来生きるべき世界。仮想世界であれば思うままに複数のコンソールを操る風のような俊敏性があった 懲罰を与える為に鍛え上げた剣や魔術のスキルがあった。 志を同じくし、あの世界で生きる仲間達がいた。 だがその全ては奪われた。奴らだ。不正者だ。奴らが正義の裁きを恐れ奪い去ったのだ。 奪われた者の憎しみが彼を前に進ませる。 数日、場合によっては数週間を掛けて獲物を追い続け、プライベートをさらし、破滅させる。 VRという理想世界を欲望と金で汚し、規制された今でも不正を平然と行う汚れた者達の情報をさらしあげる。 それだけがここ半年の彼の生き甲斐”だった”。 彼は不正者を心底より憎むが、一度くらいの過ちならば許してきた。違法VR店を利用したとしても、彼の警告に従い過ちを恥じれば許すという形で。その程度の度量が無くては、再びギルドを率いることは出来ないからと自らの行動を戒めていたのだ。 いつの日か彼の行動に感化された同胞達がまた集まり、やがては大きな動きとなり不正者達を根絶できれば再び世界の門は完全に開かれるだろう。 自分はこの世界の危機を救う救世主となる。閉鎖された世界の門を再び開いた救世主へとなるのだ。 約束された近い未来を思えば、一度限りの過ちを犯した不正者を見逃すことを我慢するのはそう難しくないと思い込んでいた。 だがそれは過ちだった。間違いだった。見逃した不正者の中に大罪人がいた。 定期購読している業界誌の中で見つけた、規制され閉ざさされた中でも新たなVR世界を切り開いていく勇者達の中に、数ヶ月前に寛大な心で見逃してやった男がいた。 その来歴を調べた彼は憤慨した。 理想の世界を作り管理していく立場に有りながら不正な店を利用し、あまつさえ今になって救世主顔で彼の前に現れたのだと。 許せない。許せない。この男だけは許せない。 かつて自らと同じ住民という立場にありながら、理想世界の神となった男だけは。 彼が心より渇望した立場を得ながら、裏切った男だけは。 憎悪と憎しみと嫉妬が、彼の心を変える。 無差別対象に対して突き出ていた棘のような悪意が一つに収縮精錬し、明確なる一本の剣へと変貌を遂げていく。 その剣の名は殺意。 彼が突き刺すべきそのターゲットはVR業界誌の中で憎たらしい笑みを浮かべていた。 右のウィンドウには来週に迫ったVR同窓会事業企業向け説明会の参加企業の情報。 左のウィンドウに映るのは先ほどアリスから送られてきた偽造プロフィールと、ディケライア社の地球におけるダミー会社の社歴にネットバンクの口座状況。 暖房の効いた自室で炬燵に収まり左手に持った発泡酒をちびちびと飲みながら、『仮想コンソール挟み打ち』で、目の前に展開した二つの網膜ディスプレイを読みつつ修正やチェックを入れていく。 右手の五指をフル稼働させた須藤の親父さん直伝のこの技は、上下に展開した仮想コンソールをほぼ同位置で使い分ける事で、腕の移動を極力無くして時間を節約する荒技だ。 半人前と言われる俺はまだ片腕の挟み打ちすら苦労するが、先輩方では右手で挟み打ちしつつ左手を通常の三枚操作がデフォ。肉体制限の離れたVRでは『両手挟み打ち』で4つのコンソールを操る人もいる。 ちなみにこの変態技術の創始者である須藤の親父さんは昨年末の修羅場において、”リアル”で『両手挟み打ち1枚すかし』で計8つのコンソールを操りやがった。透かしって……どこまで化け物だあのはげ親父は。 兎にも角にも使えりゃ便利なのは確かなので暇を見ては練習しているんだが、ゲームのように訓練した分だけ確実に経験値が着実に積まれていく仕様じゃないリアルじゃモチベーションを保つのが難しいとか考えてしまう辺り、まだまだ先は長そうだ。 「アリス。口座資金はオッケーだよな? ある程度金無いと相手にされないぞ。っち、もう終わりか」。『リルが先物取引での利益率を少しあげたから、口座資金が先週より5割増して、当面の運転資金は確保完了だよ。あ、それとうちの会社の方の幹部だけど、ノープスなら説得してこっちに引き込めるかも、まだ確定じゃないけどうまくいくと思うよ。あのお爺ちゃん面白いものが好きだから、シンタの計画をしったら協力させろって来るはずだよ』 いつの間にやら空っぽになった空き缶を置いた脳裏に響くのは遙か彼方の銀河にいる我が相棒ことアリスの声。 今現在アリスは本社でもある惑星改造艦創天でディケライア社の仕事やら裏工作をこなしつつ、来週に開催されるVR同窓会事業企業向け説明会への最終準備にいそしんでいる。「お! まじか!? ノープスさんいりゃ戦場デザインとかも結構良い感じで行けるな」 恒星系デザイナーというノープスさんなら、宇宙戦闘の舞台にふさわしくかつプレイヤー達が楽しめる戦場を考えてくれそうだ。 こりゃ朗報だと俺は歓声を上げて新たな発泡酒へと手を伸ばしてあおる。 炬燵で火照った身体にはそのキンキンに冷えたのどごしが気持ちいい。 うん。労働後の晩酌に良い情報。これぞ至福だ。『ダミー会社の社員もうちの社員の中で協力してくれそうな人に演じて貰うように頼んだから確保オッケー。もちろんローバーの課題の方もあるから、他の社員には秘密裏にだけどね』 社長自ら裏バイトを斡旋する企業か。どんだけブラックだと思いつつ俺は発泡酒を喉に流し込んでいく。 普段は安っぽい酒もこう順調だと実に美味く感じるんだから現金なもんだ。 不自然で無いように資産を整え、地球におけるディケライア社を作っていく作業は、ネットが大きく発展した現代だから可能な偽装工作。 リアルに本社を持たず全てがネット上に存在して、社員間のやり取りもそちらで済ませる企業は主流ではないが、それでもそこそこの数が世界中で存在しているので怪しまれることは無いだろう。 しかしディケライア社が書類上だけで存在すれば良いわけではない。 そこで働く社員も必要だがそれ以上に必要な物がある。 今回のような複数の企業が絡む合同事業となると、リアルでの発表会会場のレンタル料やら機材の調達など、その他諸々で負担を求められることもあり、先立つもの、ぶっちゃけ金がいる。 その為にアリスに一定の金を用意しておけと言ったのだが、そのアリスが選んだのは先物取引による資金調達だった。 何ともリスキーな選択だが、そこは宇宙でも有数の稼働年数と惑星改造艦のメインAIとして数多の星の気象変動データを持つリルさんがいる。 その気になればこれから先の予想どころか、地球にばらまいたナノセルを使って気象に干渉していくらでも利益が生み出せるそうだ。 元々はそのナノセルを維持するために必要な各資源を地球上で買い求める為の購入資金を稼ぐために使っていた手だそうで、通販で買った物資を指定の倉庫へと搬入させ、それを分解、吸収してナノセルを作りだして使っていたらしい。 ただ派手にやって怪しまれると元も子もないので、儲けも必要最低限に抑えていたそうだ。ちなみにアリスのリーディアンオンラインの料金も細々と稼いでいたそのネット口座からの引き落としらしい。「利益率を上げるって……そんな簡単なもんなのか。まさか言ってた気象いじくった不正操作とかしてないだろうな。勘弁だぞ。黒スーツとサングラスな連中にストーカーされるのは」 気象状態いじくって豊作も不作も自由自在に出来そうな連中相手じゃ、百戦錬磨の相場師も相手にならないだろう。『大丈夫だって。リルが過去のデータとか流れから予測を出してるだけだし。利益率を上げたって勝ちすぎない程度に抑えてるから、あの人達も気づかないと思うよ。あそこの国の人達は昔からしつこいけど、シンタとの回線は完全防諜仕様にしたっていうから、シンタの存在には気づきようも無いってば』 冗談半分の俺の軽口に、アリスは心配しすぎだと笑い返しやがった…………おい、実在するのかあの組織? 俺は炬燵の上のつまみをいれたコンビニの袋の横に置いた牙手のひら大のガラス玉のような光沢を持つ透明な玉へと目を向ける。 水晶玉のようにも見えるこれこそが、リアルタイムでのやり取りを可能とする超次元通信という胡散臭い技術の端末。 水晶から伸びたケーブルが俺の首のコネクトへと直結され、創天へと送られる観測情報に紛れ込んでの秘匿接続を可能としていた。 アリス達が観測用にばらまいているという分子機械であるナノセルが結合して発生した水晶玉を初めとして、実は異星人であったアリスとのやり取りにもすっかり慣れてしまったが、他人に聞かれたら即入院を勧める電波な状況、会話だとふと思う。 この水晶玉こそ宇宙へと繋がる機械だったんだよ! ……うむ。電波電波。まるでVR中毒患者のような妄言だ。「あー……プロフィールは少し変更をいれたから後でチェックしとけよ」 黒服サングラスという恰好で世界的に有名な秘密組織に好奇心は惹かれるが、細かく聞くのも怖いので、今の話は忘れようと極力思いつつ、手直したプロフィールを見つつアリスへと確認を続ける。 アリシティア・ディケライア(24) ドイツ系アメリカ人。サンフランシスコ在住。 あちらでは数多ある少人数独立系VR系企業の一つであるディケライア社の元社長令嬢であり現社長。 つい半年前までは日本の大学へと留学しており、日本におけるVR文化の発展性やその独創性を学んでいたが、俺と最後にあった日に先代社長でもある父親が突然の病気で無くなり緊急帰国。 精神的動揺に加えて葬儀や会社関係の整理のために多忙を極め、日本在住中に入り浸っていたリーディアンのラスフェスにも参加できず、交友関係があった俺を初めとした連中とも連絡がとれない状況になっていた。 その後、遺産整理も終わり精神的にも落ち着いたので俺に連絡と取ると同時に、志半ばで倒れた父親の後を引き継いで社長に就任した新米社長という筋書きだ。 在籍証明書偽造や出入国記録の改竄などを初めとして、アリスが地球人で日本へと留学していた物証を作成するために犯した犯罪行為のオンパレードはリルさんの手による物。 曰く、地球売却、地球人総ジェノサイドという大事の前には、この程度の犯罪行為など少時。地球技術相手に時効までごまかしきるなど造作も無いので問題無いということだ。 最悪偽造がばれそうになったら、関係各者の脳内情報を書き換えて”本当”のことにするそうだ。 具体的にはナノセルで作ったアンドロイド体を用意したうえに、証言が出来る大学時代の友人やら下宿のおばちゃんを後付けで制作とからしいが……ここまで反則技術を繰り出されると細かい事を気にしたら負けだろうな。『シンタの言っている変更点ってどこ? あんまり変わってないと思うんだけど』「ん? あ。わりぃ。アリスのプロじゃなくて会社の方に書いてた。っち、まだまだミスが多いか挟み打ちだと」 こんなんだから、まだまだ半人前だと親父さんやら佐伯主任に言われるんだろうな。なんつー基本的なミスをと反省しか無い。っていうか飲みながらやってたのが失敗か。「……ほれゲームの企画を持ってくるなら、なんで絶賛VR規制中の日本なんだって突っ込まれそうだろ。いくら俺の知り合いだからって、理由付けとしちゃ弱いだろ」『えと、これか……でもシンタこれも理由には少し弱くない? 打倒HFGOって、確かにちょっとは恨んでるけど、あたしアメリカ人って設定でしょ』 手元の資料を確認しただろうアリスが疑問の声を上げる。 俺が用意したバックストーリーは打倒『『Highspeed Flight Gladiator Online』 HFGOは世界展開していた大規模ゲーム。本国であるアメリカに次いでプレイヤーの多かった日本を撤退したのはあちらにも痛いだろうが、それでも今日も世界中でプレイヤー達が鎬を削っている。 VR規制の発端ともなった死亡事故が起きたHFGOが、今も絶賛稼働中なのを見て、恨み言の一つも言いたいのは俺を初めとした国内のVR関係者やプレイヤーの本音だろう。「そっちはおまけ程度の要素だ。アメリカ発の名実共に世界最高のVRMMOを越えるゲームを制作するっての親父さんの夢であり、今は遺志となったって筋書きだ。親の意思を継ぐってのは、恨み言より受けが良いからな。しかもその相手が自分の娘くらいの美人とくりゃ、うちの社長を初めとした他の会社の幹部連中にも相当可愛がられるぞ。成人バージョンの仮想体は親父受けを狙えっていった理由の一つだ」 父親の遺志を叶える為に頑張る子供っていう浪花節は、人生もそろそろ晩年を迎え始めた社長らの年代にはたまらないだろ。 VR利用者が多い国の中で唯一HFGOが撤退したのみならず、VR系ゲームが軒並み壊滅して後発組という不安を解消するチャンスが出来た事もあり、自分も愛着があるリーディアンオンラインを開発運営していた日本のホワイトソフトウェアへとアリスは企画を持ち込んできた。 日本国内でゲームとして成熟させて、やがては母国へと逆輸入を初めとして世界に打って出るというストーリーは、心情的にも実利的にもそう無理は無く、何より夢があるはずだ。 『そういうことか、シンタってホント手段を選ばないっていうか、人の感情とか思考を利用するの好きだよね。前からそうだったけど、就職してからさらに強くなってない?』「これでもゲームマスター、GMだからな。いくら技術が発展しようとも相手は人間、お客様だって仕込まれてるんだよ。他人様の気持ち判らないとゲームを楽しんでもらえないだろ」『判るのと利用するのは対極だと思うんだけど……あ、そうだシンタ。仮想体のことでちょっと相談が有ったんだけど。外見で問題があって』 アリスが少し困ったような声で話題を変える。アレか。親父受けするポイントが判らないって所か?「資料としてVRグラビアソフトの売れ筋ランキングサイトのアドレスを送っただろ。あそこを見とけば最近の傾向って判るから出演者の特徴を掴んで纏めれば良いだろ」『シンタ。一応突っ込んでおくけど、あの手のサイトのアドレス送ってくるのって他の人にやったらセクハラだからね。なんであんなに成人指定が多いのよ……うちの男性社員もそうだけど、どこの星でもなんで男の人ってエッチなんだろ。違法系ソフトでいつの間にかライブラリの一角埋まってたし』 相棒かつ宇宙人とはいえさすがに女であるアリスに理想の美女像を語って(胸は美乳。髪はロング)いくのは気が引けるし、俺の好みはおそらく50代とは微妙にずれる。だから参考になりそうなサイトをいくつか送ったんだが、アリスは少し不機嫌そうにぼやいていた。 膨大な記憶量を誇るであろう創天のライブラリをアリスがぼやくほどに埋める違法系ソフトか……宇宙でもエロは偉大なようだ。 未だ未知の世界が広がるであろう宝の山に思わずゴクリと生唾を飲み込む。ディケライア社と関わる理由がまた一つ増えたな。『シンタ変なこと考えてないよね……真面目に聞いてよね。一応成人バージョンは出来てるの。ただ問題は肉体の造形とかそうじゃなくて空間把握耳のこと。シンタが言う所のウサミミなんだけど無いと調子で無いから付けていきたいんだけど、付けてるとまずいよね?』 こっちの頭の中を覗いているんじゃ無いかと疑いたくなる精度で的確な突っ込みを冷たい声でいれてきたアリスだったが、後半落ちたトーンから考えてどうやら本当に困っているようだ。「企業向け説明会にウサミミか…………親父受け通り越してあざとすぎて引くな。確かにまずいな」 どんなに見た目が良くても、そんな恰好で参加したら巫山戯ていると思われても仕方ない。 ホワイトソフトウェアだけならいくらかフォローできるが、他の参加希望企業からの第一印象は最悪だろう。『でしょ。シンタ達には仮想体だったら不要な付属物に見えるだろうけど、あたしにとっては腕とか足みたいで有って当然の感覚なの。だから動かせないと変だし、消しちゃうと気持ち悪いの』 しょぼんとへたれ込んだウサミミが容易に想像できる。付けてくるなとか、我慢しろというのは簡単だが、アリスの調子が出ないのはこっちとしても困る。 どうするかと考えあぐねた俺は、何となく部屋の中を見渡して、なんの変哲も無いサラリーマン御用達の安売りビジネススーツと一緒にぶら下がるネクタイに目をとめる。「……手はあるな。アリス。動いて耳状なら問題無いか? 本当のウサミミとかじゃ無くて服装の一部って感じで」 飾りっ気の無いストライプネクタイになんで目をとめたのか一瞬自分でも不思議に思ったのだが不意に繋がる。 俺が気になったのは、そのネクタイを通して頭に浮かんだ別のデザインのネクタイだ。そのネクタイでは確かにデフォルメされたウサギが違和感なく存在していた。『そりゃ完璧じゃないけどマシかな、でも服装って……あ! ユッコさんのこと!? そういえばユッコさん有名なデザイナーさんだったってシンタ言ってたよね』 さすがアリス。一瞬で理解してくれた。話が早い。 俺の頭の中に浮かんだのは頼りになる助っ人は、俺とアリスがギルマスを勤めた上岡工科大学ゲームサークル。通称『KUGC』の不動の副マス『ユッコ』こと三島由希子先生。 あの人なら上手いことアリスのウサミミを服装として取り入れるデザインをアドバイスしてくれるかもしれない。「おう。ユッコさんは今回のVR同窓会企画の発案者かつ体験者だからな。百華堂さんの方の計画のことも有って今回の説明会にも参加予定だ。本当ならお前とユッコさん驚かそうと思って二人には黙ってたんだけどこうなりゃ予定変更だ」 ユッコさんは連絡が取れなくなったアリスを心配していたし、会いたがっていた。 アリスもユッコさんには懐いていたし頼りにしていた。 個人的にも恩が有る二人のために、サプライズな再会を用意してやろうと思ったんだが、少しばかり予定を繰り上げる。『そっか。ユッコさんも今回の企画に参加してるんだ。うん。じゃあ今回の計画は絶対成功だね。良かったねシンタ』 先ほどまで不安を見せていたアリスが一転して嬉しそうに笑う。心の底から浮かれていると感じさせる声だ。 ここの所、浮いたり沈んだりが多いアリスに、ストレスで躁鬱みたいな状態になってねぇだろうなとちょっと不安を覚える……考えすぎだとは思うが。 どっちにしろ楽観視しすぎてヘマがでたら目も当てられない。「アリス。言っとくけどユッコさんも忙しい人だから、アドバイスする時間が無い可能性もあるからな。その時の代替え手段も考えておけよ」 ユッコさんを多忙にしている要因は俺自身が深く関わっているんだが、それを棚上げして一応忠告しておく。『判ってるってば。でも大丈夫だって。だってシンタとあたしにユッコさんも揃ったんだよ。ギルドのフルメンバーには全然足りないけど、それでも絶対勝てると思うもん。だってあたし達なら何でもできるってば。”パートナー”のあたしが言うんだから間違いないでしょ』 実に嬉しげなアリスは改めて勝利宣言をかましやがった。しかもキーワード付きの最上級の勝利宣言だ。 最前線を突き進む前衛の俺とアリス。その後衛にユッコさんってのはうちのギルドの基本にして必勝パターンだった。 VRからリアルへ。 ゲームからビジネスへ。 戦場やルールは変われど、今の状況は確かに似通っているかもしれない。 相棒や仲間を信じて一つの目的に向かって邁進していくことに違いは無い。「……そりゃそうだな。”相棒”の言葉は素直に信じますか。んじゃ気合い入れて勝ちに行くぞアリス」 一欠片の不安も消し去ってしまうアリスの堂々たる勝利宣言に乗ることにした俺は、缶を傾け一足早く勝利の美酒を味わうことにした。『 新米GMの資質』と『VRの可能性』の本文中の讃岐弁を変更修正いたしました。 讃岐弁監修を行っていただいた香川在住の緋喰鎖縒様。 この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。