「現界座標チェック開始……」 我が相棒アリシティア・ディケライア嬢ことアリスは、半径百メートルはあるだろう球状VRブリッジの中心で静止すると、その銀髪から突き出た多次元レーダーという名のメタリックなウサミミをピンと立て左右に動かしながら、意識を集中するためか瞼を閉じた。 今日のアリスはこの間のスーツと同系色の紅い作業衣のような上下一体型のつなぎを身に纏っている。その背中と二の腕の辺りにはデフォルメされた兎の耳のようなシンボルマークが刺繍されている。 アリス曰く兎の耳のような感覚器官こそが、多次元を感じ取れる者、通称ディメジョンベルクラドの証であり、同時にアリスの惑星改造会社の代々続くシンボルマークの元となっているとのこと。 アリスはこのつなぎぽい服やら、シンボルマークを気に入っているようだが、俺の感想は正直微妙。 第一印象は引っ越し屋の派手な制服。しかも地球換算で外見15才くらいにしか見えないアリスが着込んでいるのだから、単なるコスプレにしか見えないと断言できる。 もっともリアルの仕事で忙しいからと、アリスからのヘルプ要請を半月近くも待たせていたところに、そんなこと言えば機嫌が悪くなりそうなので黙ってはいるが。「空間値オールグリーン。現界に支障なし。リル。現界シーケンスに移行して」 アリスの声は硬く、その横顔もこわばっている。 緊張している様が見て取れるんだが、しかしその顔が本当にリアルで、強く意識していないとここがVRだという事を忘れそうになるほどだ。 普段触れているVRは現実と遜色ないほどに精巧になっていると思っていたのだが、段違いの技術レベルの宇宙製VR空間に触れたことで、地球のVRがまだまだ稚拙な部分が多いと気づかされる。 なんというべきか空気や感覚的な物の再現度のレベルが違うとでもいえば良いのだろうか。 『はいお嬢様。残留跳躍エネルギー規定値以下を確認。太陽系第五惑星木星軌道への現界開始します』 金属のような響きを持つ固い女性の返答がブリッジに響く。 しかし声はすれども、俺の視界内にいるのはアリスのみでその姿は見えず。 でもそれも当然。声の主の名は『RE423Lタイプ自己進化型AI』という正式名称を持つ創天のメインAIであり、宇宙人的に見ても若すぎる社長だというアリスのお目付役でもある通称リルさんだ。『太陽系内現在星図表示』 リルさんのアナウンスと共にブリッジ下部に太陽系の3D縮尺映像が表示される。 煌々と輝く巨大な太陽から始まり、水星、金星、地球、そして火星と小振りの惑星が続く内太陽系はガラス玉のように綺麗で、帯のように広がる小惑星帯を挟んで外側に連なる木星、土星ら外太陽系の妖絶に輝く星々。さらには各々の惑星を彩り付き従う無数の衛星達。 子供の頃に宇宙館で見た天体図とよく似ているが、それよりもより壮大かつ精密で事細かい映像に年甲斐も無いが少しワクワクする。なんというかハイレベルなジオラマを見ている気分だ。 どうやら俺に判りやすいようにとリルさんが気を利かせてくれたようだ。 うん。ちょこっと話しただけだがなんというかよく出来た人(?)という印象に間違いはなさそうだ ポップウィンドウに浮かぶアリスお手製の説明書が作業手順毎に細かな説明や図を入れて注訳もしてくれているのだが、申し訳ないが判りにくい。 これはアリスが悪いのでは無く、技術レベルの差が現代と中世以上にかけ離れている所為だろう。 アリスらから見れば、原始人といってもまだ生ぬるいかもしれない地球人である俺にいろいろ判りやすいようにと苦心している様は見て取れる。 だが両手に抱えれるほど大きく透明な立方体の中で不規則に動いて目まぐるしく変化する数字の群れを指して時空間数値表と称する物やら、空間相違座標軸線などと宣って幼稚園児が無軌道に気の赴くまま書いた落書きのような線の群れなど理解しがたい概念を元に解説されても意味がわからない物が多い。 しかたなく次元転移式超空間跳躍やら重力圧縮による空間湾曲等というSF物の知識でかろうじて拾える単語をつなぎ合わせつつ状況を見ているところだ。『現界復帰位置第五惑星木星軌道確定いたしました。六連恒星弯曲炉フルドライブ。次元値改竄順調です。現界までカウント開始いたします。15…14…13…12…11……』 リルさんのカウントダウンと同時に創天が出現するポイントが星図の中に点滅する光点で示される。 それによると創天の出現ポイントは、太陽を中心に円を描く惑星群の中から第5惑星木星から少し離れた同軌道上だ。 少し離れたといっても宇宙的尺度の話。創天と木星本星は地球と火星程度には離れているだろう。 太陽に近くその超重力の影響を大きく受ける内太陽系は、創天ほどの巨大質量船では跳びにくく、火星と木星の間に広がる異物の多い小惑星体への跳躍も危険が大きい。 そこで木星が持つほどよい高重力をアリスが跳躍出現位置としての目印に捉え、リルさんが上位である超空間側を跳ぶ創天と下位である現実空間の出現ポイントの次元値相違を無理矢理に近づけている最中……らしい。 まぁあれだ。創天の主動力がSF小説で古来からお馴染みな反物質炉とかなら、まだまだ遠い未来の超技術だが地球科学の延長線上で想像できるんだが、アリス達の技術はさらにその斜め上をいってやがる。 創天の主動力は次元圧縮した特殊フィールドにO型恒星を連ねる事で空間を湾曲崩壊させ穴を開けて上位存在世界と接続し、この宇宙に本来存在するエネルギー総量よりも膨大なエネルギーを引き出し利用可能とする『六連O型恒星湾曲炉』 アリス曰く、短命稀少なO型恒星をしかも六個も使った主炉は今では原則製造禁止となっており、宇宙ひろしといえど創天と同級亜種の『天級』数隻に積まれた物と、銀河系各要所を常設で繋いでいる跳躍門にしかないという。 この圧倒的なエネルギーにより、光年単位距離をナビゲートができるディメジョンベルクラドさえいれば、創天は銀河文明でも数少ない例外である光年単位跳躍を可能とする船となり、それどころか一つの恒星とそれに連なる惑星で構成される恒星系丸々一つを、フィールドで覆うことで内部の物理法則やら時間流をある程度は改変して星の軌道や位置すらも易々と変化させることができる。 地球の遙か上をいく技術レベルをもつ銀河系各文明の中でも屈指の恒星間跳躍能力と恒星系改造能力。この二つの力が創天が恒星系級改造艦と呼ばれる由来だそうだ。 はっきり言ってここまで発展した科学技術、というか別路線を歩んでいるとしか思えない技術体系だと理解不能な領域。 アリス達の技術は科学と呼ぶよりもオカルトといった方が合っている気がするんだが。『跳躍完了。現在位置確認。ナノセル放出開始。各種映像表示します』 太陽系星図に記されていた点滅していた光点表示が、銀色の外装をもつ巨大な衛星級外宇宙船へと切り替わり、同時にブリッジ全体が全天モニターへと変化した。 上下左右を見渡して見れば無数の星が輝き、横には離れていても強い存在感を放つ木星が鎮座する。高速で回転し渦を巻く大赤斑が少しずつ形を変える様も見て取れるのは感動的ですらある。 ついで俺は今いる創天の全貌を映し出している周辺映像へと目をやる。 白銀色の装甲に覆われた一切の凹凸も傷も見られない極上の真珠のような外観と星と見間違えるような大きさ。 数多の星が輝く満天の星空の中でも一際目立ち地球の月とほぼ同等だという大きさを持つ衛星クラス船こそが、アリスが率いるディケライア社が誇る恒星系級改造艦創天。創天はその船体の各部からうっすらと漂う靄のような物を放出している。 瞬く間に広がって創天を覆い隠しはじめたヴェールのようにも見えるそれらは、ナノセルと呼ばれる拳大の分子機械集合万能ユニットだという。 アリスと知り合わなければ、おそらく俺が生きている内には見ることができなかっただろう景色と未知の超技術の産物をVR世界とはいえこうして見学できるのだ。これだけでもアリスに感謝だ。「目標地点との誤差0.0001%。原因判明。ナビゲータの空間精査に不備アリ……もう少し頑張りましょうお嬢様。三崎様に良い所を見せようとして手際よくなされようとしているのはお察しいたしますが、常時よりも事前探査が雑になっております。不可点です』 俺がつい声を無くし驚きで宇宙空間を見渡している一方で、リルさんが少しばかり厳しい口調でアリスをしかりはじめた。 目標位置と僅かな誤差でタッチダウンできたようだが、どうやらリルさんはその些細なずれがお気に召さないらしく、コンマ四桁以下なんだから良いんじゃないかとも思うんだが、「うぅ……リル。採点が厳しくない? ほとんど同位置でしょ。それに何時もは成功してるんだしいいでしょ」 アリスも俺と同様の感想なのかばつが悪そうに拗ねた顔を浮かべたのだが、その瞬間ブリッジの空気がさらに冷たく変わった気がする。 無風状態のはずなのになんというか心胆寒からしめる風が通り過ぎたような感覚とでも言えば良いのだろうか。 アリスはしまったとつぶやき青ざめた顔を浮かべている。 『……お嬢様。そのような僅かばかりという油断が重大な事故に繋がるのです。短距離跳躍程度ならば誤差無く跳んで頂かねば困ります。本来であれば創天は銀河でも数少ない超長距離連続跳躍機能を持つ船です。ですがお嬢様の現状のナビゲート能力のままでは、性能の1割も発揮できておりません。宝の持ち腐れというものです。しかも我が社の財政状況は過去に同事例がないほどに低迷状態であるのですよ。創天のオーバーホールに一回でいくらかかるか。現状の身の丈を考えるのならば、創天を放棄し小型改造艦に乗り換えても十分でございますのに、お嬢様が泣いて嫌がるので全従業員の善意の協力の下、無理して保持しているのですよ。それを思えば半人前とはいえ、長である自覚を持ち自己を厳しく律し鍛錬に励むものでしょう。それがこの程度の短距離跳躍でミスをし、さらに反省もせずとはいかがなものでしょうか』 淡々とした声のままだがリルさんの容赦がないダメ出し。ゆったりとしたしゃべり口調なのに口を挟む事ができない響きは、説教しなれていると感じさせる風格十分だ。「あ、あたしだってちゃんと考えてるってば」 アリスもうーっとうなだれ頭の耳がしゅんと丸くなっている。 ちらちらと俺の方に助けを求めるような視線を飛ばすのがやっとのようだ。 そのウサミミを見れば目に見えて落ち込んでいるのが判るが、説教の内容から考えてある意味自業自得なんでかける言葉が見つからない。『そうでしょうか? さらに苦言を呈させて頂きますなら、今回の窮地もお嬢様が成人し長距離ナビゲートを可能な状態にあればいくらでも挽回できた事例です。ここしばらくはいくらでも練習の機会がございましたのに、毎日毎日新規惑星開発プランの参考にするといって、地球のゲームで遊びほうけていらっしゃったのはどちら様でしたかお忘れですか? お望みならばここ数年の生活映像を三崎様にもご覧いただき感想を』「判ったから! 判ったから! うー反省してます。ごめんなさい。もっとちゃんとするから。ともかくシンタの前でお説教とかやめてよ。あたしのイメージがダメな子になるからやめてってば。うーぅ。シンタ違うからね。何時もならもっとこう、ちゃんとやってるんだからね」 羞恥が限界に達したのかアリスが半泣き声でリルさんに謝りながら、ついでに俺に弁明しだした。頭のウサミミは落ち着き無くピコピコ動き、錯乱状態に陥っていることを示している。 ん。これはちょっとまずいか。アリスと付き合いは長いのでその性格やら思考は理解しているんだが、こいつの場合はテンションが下がったり落ち込んでいるとミスが増える傾向がある。 しかもここまでは本番前の下準備にすぎない。次の工程からが今日のメインなんだが、これからの工程にアリスはあまり乗り気じゃ無い。 元々テンションが低かった所為で何時もは成功しているという短距離跳躍をミスしたのもあるかもしれない。 なんかこのままだとミスを挽回しようとして焦ってまた失敗しそうだな。で、さらに説教コースとなるか。嫌がるアリスに無理矢理、頼み込んだのは俺だ……仕方ない。助け船を出すか。 アリスの精神状態を立て直し万全たる能力を引き出すには…………そうだな。怒らせるか。それが一番手っ取り早い。 しかし何せアリスは勘が鋭い。不自然な言動をすればすぐにこちらの意図に気づくかもしれない。そうなると上手くいかないかもしれん。と、なるとだ、「あー安心しろアリス。お前の評価は人生捨てた廃人ランクで固定してあるから。どう転んでもダメ人間、ダメ宇宙人だ」 どうでもよさげな口調はわざとではあるが、ある意味で本音で語る。 一日二十時間が最長接続時間だったリーディアンオンラインに、ほぼ毎日二十時間入り浸っていた他に類がない廃人ぷりは、仮想体が愛らしくなければ単なる変人扱いされていただろうってのは紛れもない真実だから嘘はいっていないはずだ。「なっ!? シ、シンタなんか何時もに輪をかけてあたしの評価ひどくない!?」「疲れてんだよ。その上にただでさえ時間が無い状況で難解な単語やら概念を大まかでも理解しようとしてんだから、余計な話を振るな。リルさんもすみません。アリスへの説教はあとでお願いできますか。どうせまだまだ失敗するでしょうから。あとで纏めてやった方が良いでしょ?」 さてこんなもんか。負けず嫌いのアリスのことだ。マイナスまで振り切れば逆に一周するはずだ。 俺の暴言にしばし絶句し呆然としていたアリスだったが頭のメタリックウサミミがプルプルと震えている。「っう! シンタの意地悪! いいもん。私の本気見せてやるんだから! リル! 次の準備! 地球人浄化作戦やるよ! シンタはそこで大人しく見てなさいよ。地球人最後の日を!」 ウサミミがジャキンと立った臨戦態勢に移行してアリスが涙目で吠える。 ん。成功か。相変わらず判りやすい反応する奴だ。怒りにまかせてあれだけ嫌がっていた地球人壊滅作戦にすんなりと入りやがった。「短距離連続転送準備! 目標第三惑星地球! 全包囲後に封鎖圧殺! 一気にけりをつけるわよ! 地球の猿共、ディケライアの前に膝を屈しなさい! 下等生物の地球人共は私の影を仰ぐことも無く消え去るんだから!」 似合わない薄ら寒い笑い声をあげながらアリスが右手を振りあげると、下部に広がっていた太陽系星図から地球が浮上してきて前方に拡大表示される。「転送位置選定開始! リルは連続転送影響による消失値を算出!」 アリスはウサミミを激しく左右に動しながら、拡大表示した地球を覆い囲むように次々に黒い点を表示してマーキングを開始する。 東アジア上空。南米上空。北極圏上空。はたまた太平洋上空。地上から遙か上空大気圏の縁を掠めるように、びっしりと地球を覆い尽くし塗りつぶしていく黒点は飴玉に群がるアリの大群のようだ。 切れたアリスが怒りにまかせて無作為に場所を決めてやっているようにも思えるのだが、地球の横にウィンドウが浮かび上がり、黒点の順番と座標らしき数値のリストが高速で流れ、さらに別のウィンドウに浮かぶ円グラフと連動している様子が見て取れるので、なにやら計算しながら配置しているように見える。 その処理速度はまさに圧巻の一言。須藤の親父さんの作業を見ている時と同じような感覚だ。 あーこりゃ完全ロープレモードはいりやがったな……やり過ぎたか。 ボス狩りやら長時間の狩りが続いてテンションマックスになると入るアリスのトランス状態をギルドメンバーやら知人は通称『完全ロープレモード』と呼んでいた。 常日頃からゲーム内での役になりきる傾向が強いアリスなんだがこの状態は別格。完全にキャラと同化し、最大限の能力を発揮して見せる。 リーディアンオンライントップクラスプレイヤーだった槍騎士アリシティア・ディケライアの本領発揮モードといっていい。 何せ以前このモードに入ったときは、『数集めてとにかく殴れ』な協力プレーが基本デザインのリーディアンオンラインボス戦において、中級ボス相手とはいえ下手すりゃソロで狩りきるんじゃ無いかというくらいのダメージを与えてぶっちぎりのMVPをもぎ取ったこともあるくらいだ。 おそらく今のアリスの気分は地球侵略を開始した悪の宇宙人といったところ……というか、そのものだな。うん。『算出完了。転送事故消失率予想0.2% 十二分な範囲だと判断いたします』「次! 周辺ナノセル跳躍転送形態に変形!」『了解いたしました。全ナノセル転送開始いたします』 リルさんの復唱と共に、創天を映し出していた映像に変化が訪れる。 創天の周囲に広がって漂っていた拳大のナノセル達が結合を開始していく。比較対象が巨大な創天なので今ひとつ判りづらいが、サイコロ状の真四角なそれらはおそらくは大型コンテナほどの大きさはあるだろうか。(失礼いたします三崎様。むらっ気の激しいお嬢様の扱いが上手いと感心せざるを得ません。次々に座標を確定させておりましたのに、この消失率とは驚きます) 集中状態に入ったアリスを邪魔しないためか、リルさんがアリスの命令を復唱し実行している傍らで文字チャットウィンドウで俺に語りかけてくる。 先ほどの暴言に対するクレームかと思えば、どうやらリルさんは俺がアリスをわざと怒らせたことに気がついているようだ。(俺にはよくは判りませんけど、すごいんですか?) 俺も同様に口には出さず仮想コンソールを叩いて返事を返す。(はい。現在の我々の技術力で近接領域への連続転送や跳躍を行えば、空間の歪みを蓄積し、対象物質が次元分解される事故の確率がどうしても高まります。これを抑えるには歪み同士の相互干渉により影響を減少させ中和させるのが一般的な方法です。普段のお嬢様なら同規模の転送ミッションでは消失率4%から5%といったところですので、驚異的な精度向上と言えます。)(んじゃ。さっきのミスは帳消しって事で。俺が言うのは筋違いかもしれませんが、あまり叱らないでやってください。ここの所プレッシャーやらで結構やられてたみたいですし) 保護者的立場だろうリルさんの教育方針に口を出すのは失礼かもしれないが、アリスの相棒として先ほどの暴言の謝罪も込めて一応庇っておく。(お気遣いありがとうございます。本日の夕食にはお嬢様のお好きなデザートをお出しする事をお約束いたします) 授業参観中に教室の後ろで小声で語り合う保護者のような会話を俺とリルさんが展開している間にも、ウサミミ美少女による地球人壊滅作戦は着実に進んでいく。 拡大された3D映像地球を覆っていた黒点が一斉に色を塗り替えるように白く変わっていく。 白い点こそが先ほどまで創天の周囲を漂っていたナノセルブロック。 万能ユニットの名は伊達じゃ無く、ナノセルは内部構造を自ら変化させることでナビゲートは必要だが、自ら星系内短距離跳躍を可能とし、さらに数多く集まることで重力ユニット、核融合ユニット、物質変換ユニットやら、惑星改造に限らず日常生活から戦闘まで。ありとあらゆる用途に適した万能ツールへと作り替える事が出来るそうだ。 長大な距離を長時間かけて航行していく外宇宙船において、制限ある物資や積み込みスペースを考慮しフレキシブルを極限まで極めた形とでもいうところだろうか。 ナノセルの説明を聞いたとき、上手いこと操って有人操作なロボが作れたら気分はスペオペヒーロー物だと、いい年して一瞬思って興奮してしまった俺はおそらく疲れている。 『全機転送完了。消失率0.01% ほぼ完璧ですお嬢様』「当然! あたしの本気はまだまだだからねシンタ! 地球人を一人残らず除去したら、ダメ宇宙人って言ったの撤回して謝ってもらうんだからね!」 リルさんの褒め言葉にすら気づかずテンションが跳ね上がっているアリスは、先ほど馬鹿にされたのがよほど悔しかったのか涙目のままで指を突きつけてきた。 ……いや、謝るのは良いんだが、その前提でいくと俺も消去されているんだが。 しかしアレだ。ここ半年で地球売却やら盗まれた恒星系やらで、相当アリスのストレスが溜まっていたんだろうが、地球浄化作戦を進めるアリスは実に楽しそうである。「全ナノセル変化! 時間強制遅延モード! 索敵! 照準固定! 対象地球人類!」 アリスの号令にナノセルブロックが一斉になめらかな鏡面のような平面状へと変化しながら、縦横に広がっていき隣のセルと結合。本当に隙間無く地球を覆い隠し始めた。 これだと地球がどうなっているのか全く判らなくなるのだが、またリルさんが気を利かせてくれたのか別アングルの映像が表示される。 太陽の明かりを遮られたことで、全地上が夜のようになり、地上から漏れる明かりのみで照らし出されるので、造形が判別しづらい映像であったが、すぐに光度調整を入れてくれたのか鮮明に映し出され始める。 どうやらそれは大気圏を覆うナノセルを見上げる映像のようだ。宇宙側から見たときはつるつるとしていたナノセルの裏側は、まるでハリネズミのように突き出た無数の針で覆われている。 針は小刻みな動きを繰り返しながら微妙にその切っ先を変化させている。獲物を探る肉食獣のような嫌な威圧感を覚える。『時間流遅延1/1000……全人類索敵終了。延べ110億5678万4291名への照準固定完了』 早いな。おい。というか本当か? こんな短時間で地球上の全人類を個別に認識したのか。どういう探査能力だよ。 しかも俺の知っている国連の発表公式人口より2億以上多いぞ。どこから出てきた? まずい……半分予想はしていたが、アリス達の技術レベルは予想の遙か上をいってやがる。こりゃ無理だ。「ふふ。滅びなさい人類! ガンマレイ一斉発射準備!」 クライマックスに達したアリスの号令に地球を覆い隠すナノセルが燦々と発光を始め、内部の針が雷光を伴う放電現象を起こし始めた。『了解いたしました。エネルギーチャージ終了まで180秒』 いよいよ人類殲滅へのカウントダウンが始まったようだ。というか蓋して三分か。インスタントなみにお手軽だな。 さて、んじゃそろそろ人類を救いますか。 俺はぬくぬくと温まっていた炬燵を名残惜しく思いつつも抜け出すと、テーブルの上に積んであったミカンを手に取り皮を剥いて出来るかどうか一つ確認してから、残った身を口に放り込む。 うん。甘酸っぱくてほどよい旨さだ……しかし出来るかなと思ったら本当に可能かよ。 味に満足しつつ、悪戯レベルの些細な事まで完全再現している宇宙製VRの底知れ無さに若干戦慄する。 地球を救う為の鍵となるミカンの皮を隠し持つ。これで武器は十分だ。 リーディアンオンラインで飛翔したときと同じような感覚で軽く畳を蹴って、宙に浮かぶアリスへと近づく。「あーアリスちょっと良いか?」「なによ! 今更謝っても遅いんだから! シンタはそこで地球人類がゴミのように消し去られるのを見てなさい!」 背後から話しかけた俺に対して振り返ったアリスは悪の宇宙人役に入りきった表情であくどい笑みを浮かべていた。 こいつは本当に。ゲーム外でもロープレ派なのか。「ほれ。これ、見てみろ」 呆れ交じりの静止と共に、テンション最高潮でくるくると回っている金色の瞳を浮かべるアリスの顔の前に軽く握りしめた拳を突き出す。 不審げな表情ながらもアリスが顔を近づけた瞬間に拳を握りしめた。 握りしめた拳の中には先ほど隠し持ったミカンの皮。 絞られた皮から飛んだ飛沫が狙い通りアリスの金色の左目へと命中する。「ひゃぅっ!? 目! 目! 痛い! 痛い!」 お、効いた効いた。やっぱり宇宙人でも痛いかこれは……というか効き過ぎたか。 しゃがみ込んで目をごしごしと擦っているアリスを見下ろしているとさすがにやり過ぎたと罪悪感を覚えてしまう。「リルさん。すみませんカウント中止でここまでって事で。あと冷たいおしぼりって用意できますか?」『はいかしこまりました。カウントを停止。シミュレーションを中止いたします。ではこちらをどうぞ』 俺の頼みにリルさんが快く答えて即座にカウントを中止して、目の前にビニールに包まれたおしぼりを出現させてくれた。 袋を破ってほどよく冷たいおしぼりを取り出して広げてからアリスへと手渡す。「あー……悪い。そこまで痛がるとは思ってなかった。ほれ。いくらVRでもあんまり擦ると痛いだろ。これ使え」「ふぁにすんのよ! シンタ!? シンタがやれっていうから嫌なのにやってたのに! 本当に今日酷くない!?」 ガチ泣きが入ったアリスが俺の手からおしぼりをひったくると左目に当てながら、無事な右目を剣呑に尖らせて睨み付ける。 だがその表情は先ほどまでの役に入りきっていた物では無く、俺がよく知る相棒アリスの何時ものちょっと子供っぽい表情だ。 どうやら狙い通り正気には戻ったようだ。ちとやり過ぎた気もするが。「いやだってな。お前あのまま完全ロープレモードでやってたら地球人類殲滅させたって、あとでへこむだろ……たかだかシミュレーションなのに」 地球売却になったとしたら、浄化作戦が実際にどのような感じになるか確認してみようとしただけだったんだが、アリスが完全ロープレモードに入った事で方針を変更した。 何せアリスの場合、あんまりにも入り込むもんだから、あとで覚めたときに自分の言動を振り返って後悔するタイプだ。だから引き留めたんだが、「だからって止め方あるでしょ!? 信じらんない! シンタほんとに信じらんない!」 どうも疲れているのやら、アリスと絡むのが久しぶりな所為で加減を見誤っているらしい。 さて、どうやって機嫌を直したもんか…… こうして俺の連休1日目は波乱の幕開けと相成った。 蓋を開けてみれば大成功に終わったユッコさん達の同窓会から1週間後。 世間一般から見れば3週間以上遅めとはいえ、我が社ホワイトソフトウェアは正月休みと称し三日間の完全休業へと突入した。 例年ならば一応実家に里帰りして親父と酒を交わしつつ説教を聞き、お袋の愚痴に相槌をうち、姉貴の所の姪っ子にお年玉やらと、不肖な息子にして親戚のお兄さんみたいなおじさんとしての最低限の役割を果たしている。 ところが今年は実家への挨拶は映像メールだけで済まし、姪っ子に渡すお年玉はネット経由のWEBマネーというかなり不義理な真似をしでかしている。 一応実家には、友人の相談にのるために帰れないと前もって連絡はしておいたんだが、どうにもうちの両親……特に親父の方からは俺への信頼はすこぶる低いので、少しばかり揉める羽目になった。 もっとも大学時代にリーディアンオンラインに嵌まって廃人生活で留年ラインぎりぎりまで単位を落とした上に、その果てには元凶たるゲーム会社に就職したんだから、親としちゃ心配して干渉してくるのはある意味当然だろうかと反省するしかない。 今回はそれ以外にも、VR規制法の原因ともなった未成年者VR死亡事件の影響でVRやVRMMOをあまり知らない世代での評判はすこぶる悪く、お袋もご近所の噂話から仕事とはいえVR世界に繋げっぱなしの息子の心配をしているらしい。 さらに親父に至ってはどこから仕入れたのかうちの会社がピンチな事も調べてやがり、会社関連で変な借金の保証人でもしたんじゃ無いだろうかと疑ってやがった……その情報網と発想はさすが元銀行マンだと感心するやら呆れるやら。 こりゃ一日は実家に帰らないとさすがに無理かと思っていたんだが、『困っている友人って男? それとも女?』 という姉貴からのメールが来たので、まさか宇宙人と返すわけにもいかず、アリスとの間にはそんな感じは無いんだが、一応性別的には女に該当するので女と軽く返しておいたら、理解ある姉貴や義兄が、『伸もようやくゲームじゃ無く、彼女を取るようになったんだから許してやりましょう』と両親の説得をしてくれたらしい。 姉貴……援護はありがたいが限りなくボールだその予想は。 そんなこんなで、いろいろあとのことを考えれば、ちと怖いが、昨年末にアリスと交わした約束を守るために、VR経由とはいえ、俺は恒星間宇宙文明とのセカンドコンタクトを果たしていた。 今回の来訪目的は、詳細な事情説明と簡易な技術説明を受けるため。 正直にいえばアリスの会社の倒産危機やら、地球が売られる寸前(ただし宇宙的時間感覚で地球時間で約100年後)だと言われても、あまりの話にリアリティがなさ過ぎて今ひとつピンと来ていない。 だからアリスによる地球が売られた際に起こる最悪の事態をシミュレーションとしてまず見せてもらっていた。 少しはこれで緊迫感を持てるかと思ったのだが、結果も含めていろいろ失敗だったような気がしないでもない。 俺が原因ではあるが、アリスの暴走で小芝居に走りすぎた感があるのもあるが、無重力ブリッジの中央付近でぷかぷかと浮かんで異彩を放ちまくる掘り炬燵ユニットに収まり、アリスが気を利かせてくれて準備してくれていたミカンをつまみに緑茶色で生姜風味な甘酒を飲みながら観戦するのがまず間違いだった。 気分はアレだ。正月休みで特にやることも無く、何となく深夜にやっているB級SF映画やらディスカバリーチャンネルを見て、晩酌している人生ソロプレイなサラリーマンといったところか……なんか悲しくなった。 宇宙編はこんな感じで技術面のはったりかましつつ、派手に大仰に、だけどある意味こじんまりいくつもりです。 誤字修正ついでに『小説家になろう』様への投稿も開始いたしました。 そちらの方で行間に空行が少なくて少し読みにくいというご意見をいただきましたので、今回だけ試しで地の文の段落毎に1行をいれ、従来通り地の文と会話文は2行空けとしております。 お読みくださりありがとうございます。 ご意見。ご指摘ありますとありがたいです。