――――1582年4月5日
秀綱らからの報告を受けた俺は早速、軍の編成を済ませて皆に通達する。
安東家に当たるのは安東通季、安東種季、三浦盛永、鈴木重朝。
本来ならば、宿敵である愛季との戦である以上、主力を向けておきたいところだが……。
今回に関しては軍勢を分ける必要があるためそうはいかない。
かと言って、通季達だけに任せるのは如何しても不安が残る。
愛季を相手に回して勝つには相応の準備が必要だからだ。
特に奥州の大名家の中でも多数の鉄砲を持つ安東家に対抗出来るだけの鉄砲は戸沢家にもあるが、その鉄砲の力を存分に活かせる武将はそう多くない。
俺を除くと重政、重朝、昌長といった根来衆、雑賀衆の者達に限られてくる。
そのため、多数の鉄砲を持つ安東家と戦う際には如何しても畿内で引き入れた者達になってしまう。
重朝を通季の援護に差し向けるのは当然の事だと言っても良い。
南部家の九戸政実に当たるのは戸沢政房、的場昌長。
北の鬼の異名を持つ、奥州一の名将が相手となる以上は此方も畿内で小雲雀と呼ばれた鉄砲使いである昌長に任せる以外に選択肢は無い。
今回はあくまで小野寺家の救援ではあるが、政実が戸沢家の領内に攻め入って来ないとも限らない。
それに迎撃の準備は既に整っていても、政実には並大抵の武将では全く歯が立たないのは明らかだ。
となれば、此方も常人では及びも付かない領域の武将に任せるしかない。
昌長に白羽の矢が立つのは当然の事だろう。
少なくとも今の戸沢家中で政実を相手にして戦えるのは満安か昌長の何方かしか居ないのだから。
庄内に残すのは戸沢盛吉、大宝寺義興。
安東水軍はあくまで牽制を目的として動いているだけに過ぎないが、義光は虎視眈々と庄内を狙っている事でも知られているだけに油断は出来ない。
もし、庄内を空にしていたら其方に攻め入ってくる可能性は充分に考えられるだろう。
肥沃な土地と港町を持つ、庄内は今の戸沢家にとっては最重要とも言うべき土地であり、今後の発展も大きく望めるだけに失う事は死活問題だ。
そのため、守りには主力を必ず残しておかなくてはならない。
一門衆である盛吉と庄内とは縁の深い義興を残すのは当たり前の事であった。
そして、最後に最上家にあたるのは矢島満安、鮭延秀綱、奥重政、服部康成、白岩盛直、前田利信を始めとした戸沢家の主要人物達。
場合によっては父上か兄上の助力も必要となる可能性も考えられる。
正直、難敵である義光を前にして、重朝と昌長の力を借りられないのは痛手だが、こればかりは仕方がない。
愛季と政実に対しても出来る限りの精鋭を送らなければ此方の戦線が崩壊してしまう。
完全に包囲される形だけは何としても避けなくてはならない。
狙い済ましたかのような同時侵攻は明らかに義光の手口であろうが、目的としてはあくまで此方の軍勢の分散が本命だろう。
思惑に乗るしかない状況に持ち込まれてしまったのは俺の責任ではあるが……元より、戦の準備を済ませていたために迎撃に移る事に問題は無い。
皮肉な事だが、上洛の準備を進めていたが故に容易に迎撃態勢を執れるのだ。
俺は舌噛みしつつ、皆に通達を終えるのだった。
「……盛直」
「これは利信様。如何なされましたか?」
盛安から此度における戦の編成を通達された後、利信は盛安の守役である盛直を呼び止めていた。
「うむ……盛安様の事でな。御主は何か気付いた事は無いか?」
「……理由は解りませぬが、殿は焦っているように見受けます」
「やはり、御主も儂と同じように見ていたか……」
利信は自らが懸念していた盛安の様子が盛直にも同じように映っていた事で溜息を吐く。
杞憂であれば良いと思っていたが……守役として盛安とは最も深く接してきた盛直がそう言うのならば間違いは無い。
「私もその事が気になり、何度か御諌めしましたが……聞き届けては頂けませんでした」
「盛直の言葉でも駄目であったか……。となれば道盛様や盛重様でも無理やもしれぬ。諌める事が出来る方が居るとするならば……今は亡き、政重様くらいのものか」
危いと見ていた利信は盛直でも諌める事が出来なかった事に落胆する。
戸沢家中で最も盛安と接してきた盛直ですら諌められないとなれば、父である道盛や兄である盛重でも難しい。
盛安が無条件で進言を聞き届けてくれそうな人物が居るとするならば――――今は亡き、政重だけだ。
大叔父であり、奥州でも有数の知恵者であった政重ならば諌める事が出来ずとも最善の一手を打つ事が出来たに違いない。
「……恐らくはそうでしょう。しかしながら、殿が上洛を目標としているのには深い理由があるように思えます故、私からは反対する訳には参りませぬ」
「解っておる。盛安様に近しい御主では焦っている事を諌めはしても、上洛に関して肯定している事くらいはな」
それに盛直はあくまで盛安と同じ上洛派である。
盛安が何処か焦っているように見えるとの見解が同じでも、根本的には意見が違う。
「だが、上洛する事を反対しておらぬ盛直の進言も受け入れぬとは……。盛安様は如何なされたのだろう?」
そのため、盛安が拙速に過ぎる事だけが如何しても解らない。
盛直も恐らくは現状を全て片付けてからにするべきだと進言しているはずだ。
上洛するにあたって懸念される最上家を始めとした大名と雌雄を決する事は寧ろ上策ですらある。
例え、上洛にするにしてもある程度の決着はつけるべきだ。
「……私にも解りかねます。されど、殿には我らには及びも付かぬものが見えているように思えます。……まるで、天下の形勢を既に知っているかのような」
しかし、盛直から見た盛安の方針は決して間違っているようには見えないらしい。
余りにも遠くを見ているように受け取れる上洛という方針は奥州よりも更に大きな視野で物事を見据えているのだと盛直は見ている。
今までの盛安の動きが常に他の奥州の大名の先手を打って動いていたのはもしかするとそういった側面があったからなのでは無いかと。
鎮守府将軍の件にしても、庄内の件にしても、唐松野の戦いの件にしても全てが最上家、安東家に先んじる形で動いていた。
守役として盛安の間近で仕え、上洛の際にも同行した盛直には利信にも見えていないものが見えているらしい。
「……そうか」
ならば利信にはこれ以上、言う事は何もない。
盛直は盛安の真意を察しているが故に焦っている事について以外は諌めなかったのだ。
長年戸沢家に仕え、盛安のブレーンとして働いてきた利信だが……。
此処に至っては自らの見る目の衰えが出てきた事を感じるしかない。
上洛を反対した事については間違っていないと断言出来るが、盛安が如何なる真意を持っているかまでは見抜く事が出来なかった。
守役という立場があるからとはいえ、利信よりも30歳以上も若い盛直が主君を此処まで理解しているとなれば重臣としては立つ瀬がない。
利信は戸沢家の世代が完全に次の時代に移っている事を実感する。
最早、自分の時代は終わったのかもしれない。
道盛や盛重が早々に盛安に後を委ねたのもそれが何処かで解っていたからなのか。
利信は自らの限界が確実に近付いてきている事を実感するのであった。
――――同日
――――天童城
「さて、先陣を頼貞ら最上八楯に委ねたが……。御主は如何思う? 景綱」
戸沢家侵攻にあたって天童頼貞ら最上八楯に先陣を任せた義光は伊達家からの援軍である片倉景綱に意見を求めていた。
「最善の一手でありましょう。天童頼貞殿は戦況を冷静に判断出来る御方ですし、延沢満延殿は悪竜の異名を持つ、矢島満安殿にも劣らぬ無双の勇士。
無類の強さを誇る戸沢家の先鋒が相手となっても出端を挫かれる心配はありませぬ。やや、後手に回る事になりますが相手の出方次第でも如何様に対処出来ましょう」
先の佐竹家、相馬家との戦で武名を馳せた景綱であるがやはり、只者では無い。
如何にして戸沢家に当たるべきかは義光と同じように全貌が見えているようだ。
「それに安東愛季殿、九戸政実殿を動かされた事で戸沢殿は軍勢を分散させなくてはならなくなりました。現状は義光様の思惑通りに事が進んでおりまする。
また、黒脛巾の情報では唐松野の戦で活躍した雑賀衆の鉄砲隊は此度の戦には参陣しておらぬとの事。撃ち合いとなれば此方が不利なのは変わりませんが……。
圧倒的な数で圧される事はありません。流石に互角とまではいかないでしょうが、肉弾戦を仕掛ける必然性も無く、時間をかけて戦を進めれば勝機はありましょう」
「……見事だ。流石は伊達の鬼と呼ばれし者よ」
景綱の見解に肯定の様子を見せる義光。
黒脛巾を使って戸沢家を独自に探らせているのも好印象だ。
弓、鉄砲を使った射撃戦になると此方が不利である事も包み隠さずに言ってきた事を踏まえれば、客観的な視点でも双方の軍備を見極められている。
伊達の鬼と言われるだけの軍事才覚は間違いなく持ち合わせているだろう。
「良き守役を持ったものだな。……政宗よ」
義光は景綱の器が本物である事を認め、伊達家からの援軍の総大将として参陣している政宗に問い掛ける。
政宗がこうして此度の戦に参陣しているのは先の戦で佐竹義宜に不覚を取った事により、著しく失墜した名声を少しでも取り戻させんと考えた輝宗の気遣いだろう。
次代の当主となる者が戦は不得手であるともなれば、奥州探題を務めた家柄である伊達家も取るに足りないとされてしまう。
そうなれば、戸沢家と佐竹家によって崩された奥州の勢力の均衡がこのまま決定的なものと成り兼ねない。
其処の部分において義光と輝宗の判断は完全に一致していた。
此度の戦に政宗に機会を与えるべきであると言う事について義光からは特に反対するものはない。
寧ろ、政宗の資質が自らの見立て通りに政治、謀略方面だけにしか無いのか否かをはっきりさせる事が出来る。
動かすには面倒な部分もありそうだが、景綱が傍に付いて補佐をするのであれば大きな問題は無いであろう。
「……伯父御に言われるまでもない」
景綱の事を褒められているのは悪い気分では無いが、自分には期待していないと思っているかのような義光の言葉に政宗は不満そうな様子を隠せない。
出羽の驍将の異名を持つ義光が如何なる者かは耳が痛くなるほどに母、義姫から聞かされてきた。
智、仁、勇を兼ね備え、奥州では並ぶ者が居ないとまで言われる智謀を持つ人物が最上義光という者であると。
しかしながら、如何にも政宗は義光とは肌が合わないような気がしてならない。
放蕩で片目を失って以来、何かと弟の小次郎ばかりを目にかける義姫の実兄と言う事もあるのだろうか。
全く異なる人物ではあるが、根本の部分では似ているところがあるようにも見える。
「……その若さで俺を前にしても不敵な態度を取れるのは大したものだが、御前は既に武将としては佐竹の後取りに大きく劣る事がはっきりしている。
斯様な態度は唯々、自らの器の未熟さから逃げているだけに過ぎぬ。折角、景綱が付いているのだ、此度の戦ではもっと良く学ぶ事だな」
「……ふん」
だが、義光の言葉は確かに的を射ていた。
政宗の心中を全て悟っているかのようだ。
義重には軽くあしらわれ、義宜に不覚を取った政宗は陣頭に立って戦う彼の者達には決して敵わない。
元より、気質や学んできたものが違いすぎるのだ。
軍神と呼ばれた上杉謙信の軍配を継承した勇猛な武将であるだけでなく、剣聖の弟弟子であり、高名な剣豪でもある義重の教えを忠実に受け、教育された義宜。
それに対して虎哉宗乙から学問の教えを受け、景綱に剣を学んだ政宗。
学問に関しては濃密なものがあるが、義宜ほど戦に関係する事を学んだ訳ではない。
ましてや、片目を失っている身では限界もある。
今では視界の片側を失っているという不利を感じさせる事は無いほどにまでなっているが……それでも義宜を超える事は出来ないだろう。
その事は決して認めたいとは思わないが、政宗自身は何処かで実感していた。
「伯父御こそ、夜叉九郎を侮るなよ。俺の初陣の時のように思わぬ敵が現れても知らんからな」
それ故に政宗は義光に言い返す。
思わぬ敵は全く予期しない形で現れ、戦況を一気に引っくり返してくるものであると。
初陣にして早々にそれを味あわされた政宗は何処かで警戒すべきだと義光に示唆したのだ。
政宗の返した言葉はあながち、間違いでは無いだろう。
(ほう……やはり、頭は働くらしい。政宗めには上杉が動く可能性を伝えてはおらぬが……自分でも理解しているか)
政宗の言葉に現状の見立てが正しい事に思わず笑みが浮かぶ。
義光自身としては完全に近い形で包囲網を形成したつもりだが、政宗はそれでも盛安を侮るなと言う。
確かに此処までが思惑通りに行き過ぎている節がある。
戦に挑む上で一番、懸念しなくてはならないのは慢心から生まれる隙だ。
政宗に言われずとも義光はそれを理解していたが……。
初陣だけでそれに気付く事が出来るようになったと言う事は先の戦の敗北は決して無意味ではない。
戦については天性の才覚を持ち合わせている訳では無いようだが、義光は政宗の器が確かなものである事を垣間見る。
それを確信した義光は満足した様子で扇子を鳴らすのであった――――。