――――1582年4月1日
「……」
まるで示し合わせたかのように齎された数々の報告に俺は無言で天を仰ぐ。
戸沢家自体の準備に関しては何の不足もない。
領土整備も軍備拡張も全てが整っている。
畿内へ遠征するという目的が前提であっただけに防備に関しても改良型ミュケレット式銃やギリシャの火を始めとした装備を配備していた。
だが、それはあくまで安東家、南部家といった戸沢家と深い因縁のある相手と戦う事を踏まえてのもの。
最上家に関しては極力、戦端を開かない方針で俺は準備を進めていた。
しかしながら、義光は戸沢家の準備を最上家へ侵攻するための準備と受け取り、俺が畿内での方策を練っている間に先手を打ってきた。
此度の示し合わせたかのような各大名家の侵攻は間違いなく、手引きをした者が居る。
それが奥州で可能であると断言出来る人物は津軽為信か最上義光のどちらかのみ。
盟友である為信が動かない事が確定している以上、権謀術数に長ける敵は義光しか居ない。
「……くそっ!」
だが、義光が動いただけでは今の状況を生み出す事は出来ない。
その中でも最たる例が最上八楯の参陣だ。
長年に渡って敵対し、幾度となく義光を撃退してきた名将、天童頼貞は先代である義守の忠臣。
深い確執がある義光に味方する理由は存在しないはずだが――――。
一つだけその条件を覆す手段が存在していた。
それは義守が最上八楯に傘下に加わる事を要請した場合である。
史実では確執の深さもあってか、義光の政策には一切関わらず、動く事が無かった義守。
先の時代でも義光と義守の確執の深さは歴史を知る者ならば多くの人間が知っているだろう。
だからこそ、義守自らが義光のために大々的な行動を起こすは無いと見ていたのだが――――。
「利信の見通しの方が正しかったか――――!」
此処で唯一、俺に対して上洛を反対していた利信の見通しが正しかった事を思い知らされる。
利信は戸沢家の勢力が拡大した事で義光では無く、義守の方が危機感を持つ可能性がある事を知っていたのだ。
これは遠い先の知識でしか義守の事を知らない俺では決して気付く事が出来ない義守の側面。
還暦を迎え、長年に渡って出羽の情勢を見てきた利信だからこそ、その可能性を考慮して上洛に反対していたのである。
事実、今の状況で俺が不在となれば如何なる事か知れたものじゃない。
敵は安東愛季、最上義光――――そして、九戸政実。
更には伊達家の旗印までもが見えるとの秀綱の報告を踏まえれば伊達家、最上家、安東家、南部家が敵だと言う事になる。
四方の敵を同時に相手をしなくてはならないと言う事は俺が自ら指揮を執って対処する以外に方策は無く、戦力も分散させなくてはならない。
また、愛季は庄内の動きを封じるために酒田の町付近で水軍を活動させてきた。
安東家は鎌倉時代より続く水軍を率いる家柄の一つで、九州の松浦家と並ぶ程の歴史がある大名である。
そのため、奥州で最も強大な水軍を要しており、海上においては安東家とまともに戦える大名は存在しない。
先の唐松野の戦い後に安東道季が戸沢家に付いた事で此方も水軍を得てはいたが……。
上洛の準備をさせていた事もあり、愛季の側に残った水軍とは矛を交えないように命令を出していた。
恐らく、愛季は俺が水軍を動かしてこない事を察し、牽制を行う事にしたのだろう。
各方面で敵を抱える上に水軍の動きまで制限されてしまっては最早、上洛どころではない。
利信の進言は正に当たっていたのである。
「だが、諦めるにはまだ早い。今回は間違いなく、最上家が起点だ。ならば、短期間で最上家との戦に勝利出来れば――――」
上洛も可能だし、包囲網の中心である可能性が高い最上家さえ降せば状況は一気に変わる。
南部家の政実は長くは遠征出来ないはずだし、安東家だけに集中出来るようになれば俺が不在でも雑賀衆に任せれば問題は無い。
問題は酒田に居座っている水軍だが……此方は手懐ける手段は無くもない。
派閥が直属の上司にあたる道季の派閥と傑物である愛季に従う派閥に分かれているだけだからだ。
交渉の余地は充分にあるし、主家が危機となれば退くしかない。
最上家が中心となって戸沢家に当たってきている以上、要を崩せば瓦解させる事は充分に可能である。
各個撃破する時間が無いのならば、一気に片を付けるまでだ。
此方からの打つ手が直接介入する以外に手段が無い以上、彼の天下人を助けるにはそれしかない。
俺はそう結論付け、迎撃のための軍の編成に着手するのだった。
それが大きな犠牲を払う結果になるとは気付かないままに――――。
――――同日
――――大浦城
「義光殿が動いたか――――。祐光、盛安殿は勝てると思うか?」
盛安が最上家に対処する構えを見せた日と同日。
戸沢家の盟友である津軽家も最上家の動きを察知していた。
「腰を据えて掛かれば、盛安様ほどの軍才を持つ御方ならば勝ちましょう。されど――――」
「……短期決戦を挑もうとすれば義光殿の術中に嵌まると言う事か」
「然様でございます。恐らくは重臣である前田利信殿が進言しておりましょうが……如何にも盛安様は何かを急いでいる様子。……説得は難しいでしょう」
「ならば、俺から盛安殿を諌める事も考えねばならぬか」
「はい、殿の御言葉くらいしか盛安様の耳には届かぬでしょう。しかし――――」
盛安が明らかに焦っている事を見通した為信と祐光は今は腰を据えて掛かるべきだと判断する。
家臣である利信が諌める事が難しいのならば、為信が忠告するのが確実だ。
「……嘉成重盛の事か」
「はい。彼の者が立ち塞がる以上、此方も本腰を入れねば勝ち目はありませぬ。それに南部も此方に兵を向けて来ているとの報告も聞いております」
しかし、今の為信には盛安のために動くほどの余裕は無かった。
安東家が誇る名将、嘉成重盛が侵攻の構えを見せているとの報告があり、更には重盛に示し合わせたかのように南部信直が動き始めているとの報告が入っている。
特に信直は父と弟の仇である為信の首を取らんと息を巻いているらしい。
「南部に対しては予定通りに信元を政氏の下に向かわせて守りを固め、安東に対しては俺が自ら相手をする」
為信は南部家に対しては予ての予定通りに盟友である千徳政氏に援軍を送る事で対処し、自ら重盛と戦う事を決断する。
敵が信直である事を踏まえれば、為信が自ら指揮を執って戦うべきだろうが……重盛を相手にするとなれば他の者達では厳しい。
祐光に全てを任せる手も無いとは言えないが、政実に匹敵する事で知られる武将であるだけに為信と祐光の両名が揃って居なくては撃退は不可能だろう。
方針としては為信、祐光が安東家と戦い、政氏が南部家と戦うと言う形が現状では尤も適している事になる。
「となれば、残る問題は蠣崎になりますが……」
「……恐らく、慶広殿は中立を決め込むだろう。父の季広殿が如何するかの問題があるが、な」
そうなれば残る問題は安東家の傘下に治まっている蠣崎家である。
一応、後継者である蠣崎慶広は盛安に使者を送っていたが、現当主である季広の方針は未だに伝わってこない。
奥州とは別天地であり、海を隔てている蝦夷の内部まで探る事はそう簡単な事ではなく、祐光のように謀報に長けた者で無くては調べる事は難しいだろう。
それに季広も優れた為政者であり、領地に不穏な者の侵入を許すような人物ではない。
海を隔てた地である利を活かし、情報を探らせないのは見事であると言うべきだろう。
「何れにせよ、蠣崎に関しては警戒するしかあるまい」
蠣崎家は敵でも味方でも無いと判断するしかない。
為信はそのように結論付ける。
季広も慶広もあの愛季の傘下でありながら、一大名として在り続けているのだ。
決して侮る事の出来る存在ではない。
為信は重盛と信直に備えつつ、情勢が動く時を見定める事を決断するのであった。
それが少しでも盛安の助けになる事を信じて――――。
――――同日
――――越後国北部
「義重様! 氏幹殿!」
2月上旬に常陸の国から出立した私は出羽の国とは目と鼻の先である越後北部に到達していました。
当初の予定では此処で一度、義重様達と合流して、本庄繁長殿の居城である本庄城へと向かう予定。
少人数に別れながら、密かに北上するという途方もない行軍方法で此処まで来たけれど……結果としては流石、義重様と言うしかなくて。
道中では数回にかけて集結しながら各個に北上してきたのだけれども、義重様は一人の脱落者も出す事は無かった。
寧ろ、皆が誰もが未知の行軍方法となるであろうこの方法に勇んで挑んでいる。
佐竹家は強兵揃いで良く纏まっているのは解っていたけれど……。
これが謙信公の後継者と言われる由縁なのかもしれない。
「来たか、甲斐」
「甲斐殿、待ち兼ねていたぞ」
私よりも先に到着していた義重様と氏幹殿が出迎えてくれる。
御二人共、旅慣れているのかは解らないけれど、異常な程に早い。
此処までの合流地点では常に私よりも先だったし……私が遅いだけなのでしょうか?
「……師匠も御無事で何よりです」
「うむ……些か、この老体には答えたがの」
出迎えた義重様が師匠と呼んだのは一人の御老人。
名前は愛洲元香斎宗通様。
陰流の正統後継者であり、燕飛の太刀を編み出した偉大な剣豪にして、剣聖と名高い上泉信綱殿と義重様の師でもある御方です。
「しかし、此処まで無事に来れるとは流石は義重殿じゃの。儂も流石に此度は難しいと思っておったぞ?」
「皆が俺を信じて付き従ってくれたからです。……後は甲斐の発案した足袋や食糧等の恩恵でしょう。現地調達と言った真似も少なくて済みましたし」
「確かに見事なものであった。儂も修行をしていた身であるし、旅慣れているが……。女子だからこその発想なのやもしれぬの」
道中では私と共に行動していた宗通様は義重様の言葉に頷く。
足袋に関してはこの時期に北上するとなると雪も残っている場所もあるし、と考えて用意させた物。
私個人の者はニーソックスを思わせるような見た目にしているけれど、流石に義重様達にそれは何となく危ないので男性向けに作り直した物を渡している。
義重様は以前に私の服装に付いて酷いコメントをしてきたので心配だったけれど、特に気にはしていないみたい。
まぁ……義重様の場合は見た目の拘りや派手さは求めない方だから、実用性さえあれば問題は無いのだろうけど。
携帯食糧に関しては兵糧丸の味や栄養価を調整したり、持ち込む食材に関しても基本的にバランスを考えて内容を具申していた。
戦国時代では如何にも栄養に関する事や消毒等と言った遠い先の時代では当たり前の事が疎かになっている部分がある。
そのため、長期に渡る出陣では病気になる人も多く、それが原因で死亡する人達も多数居た。
少人数に分かれて北上すると言う今回の計画でも人数の都合で状態の確認がしやすいだけに過ぎません。
私はそれを危惧して義重様に食糧や消毒、衛生といった部分の事を伝えていた。
「いえ、全ては義重様の御蔭です。普通ならば私の伝えた事なんて怪しいと思うのが普通ですし」
だけど、私の伝えた事なんて大した事は何もない。
本当に凄いのは私の意見を採用してくれた義重様の方。
私が出した食事や衛生の事なんて遠い先の時代では常識でも今の戦乱の時代ではまだ常識じゃない。
でも、義重様は一通りの説明を聞いた後は「一理ある」として、多くの事を聞き届けてくれた。
普通なら取り上げてすら貰えない可能性もあっただけに義重様の対応は予期出来ないものだったと私は思う。
盛安様に嫁ぐと言う事で最後の手土産に荒廃作物や医療の事を始めたとした私の伝える事の出来る知識の全てを書類のように纏めて義重様に渡したけれど……。
多分、義重様の性格なら後々に全部採用してしまうかもしれない。
「ふむ、儂が思っている以上に義重殿が柔軟な思考を持っていると言う事か。……まぁ、これ以上は気にしても仕方のない事か。
義重殿、越後でこうして集まった以上のは一度、本庄繁長殿の下へ向かってから出羽へと向かうつもりか?」
「はい。程無くして、最上義光殿が動き始める頃合いが近いと見ております故。……それを想定するならば、上杉の助力を得るべきかと考えます」
私の意見を採用した義重様の事を褒めながら、宗通様はこれから如何に動くべきかを尋ねる。
越後にまで到着した以上、上杉家の本庄繁長殿の所に行くのは当然の事で。
義重様は最上義光殿との戦を前提とするなら、是非とも力を借りるべきだと判断しているみたい。
私も今の佐竹家の軍勢だけでは決め手に欠けるかもしれないと思っていたから義重様の判断は正しいと思う。
現状で戸沢家のために動ける可能性が高い上杉家の方面軍は繁長殿が率いる軍勢だけだし……。
新発田重家殿の軍勢は蘆名家か伊達家の動向次第では動く事が出来ない。
義重様が上杉家の助力を得る場合だと繁長殿以外に選択肢がないと判断しているのはその辺りに起因しているのかも。
「……それに万が一の事態があっても繁長殿の下には彼の御坊が居る。そうであろう? 傑山雲勝殿」
私が今後の動向について考えていると義重様が不意に一人の人物の名前を呼ぶ。
「……やはり、拙僧に気付いておいででしたか。流石は義重様ですな」
それに応じながら私達の前に姿を見せたのは傑山雲勝殿。
私は義重様達とは違って面識は無いけれど……越後の長楽寺の住職にして、繁長殿の軍師を務める高僧で上杉家中でも随一の知恵者と名高い御方だと聞いています。
一瞬、何故此処に? と思ったけど、繁長殿の居城である本庄城はもう間近と言っても良い所にまで来ているから雲勝殿が此処に居るのも当然かもしれない。
「繁長様が御待ちです。共に来て頂けますでしょうか」
こうして、雲勝殿の案内で私達は本庄城へと向かう。
もう間も無く、始まるであろう戸沢家と最上家との戦に備えるために。
それに此処まで隠密行動で常陸から越後北部まで移動してきたのだから疲労も抜かないといけない。
最上家がどれだけ強大で恐ろしい大名であるかは義重様達を含めて皆が良く解っている事だし……。
万全の体制を整えてから出羽の国へと入る事になるんだと思う。
それまでに戦が本格化しない事を私は祈っていたのだけど……。
私が思っていた以上に盛安様を取り巻く状況が動いていた事を知るのは本庄城に到着して間も無くの事でした――――。