状況を簡単に整理したところで早速、方針を決めて準備を進めていこうと思う。
現在の戸沢家はそれなりに懐事情が良いため、少しばかりでしかないがやっておける事が幾つかある。
まずは川の治水。
角館城は天然の要害にあるが、周辺には桧木内川、玉川、院内川と複数の川が流れており、水の事情には恵まれている。
だが、水の事情に恵まれているという事は逆に洪水などにも悩まされる事にも繋がる。
川等の水源があるだけで良いというわけではないのだ。
しかし、川が流れているからこそ、領内に水を引く事によって水田の開発を手助けしたり、運輸・灌漑の効率性をあげる事が出来るのも事実である。
洪水や氾濫を防ぐ事が出来れば領内に川が流れている事は大きな利点であり、強みとなる。
そのため、治水は重要な事であり、行わなくてはならない事であった。
実際に史実においても出羽国内では幾つもの治水工事があり、北楯利長、直江兼続、佐竹義宣といった人物達が治水に着手している。
治水を行う事は石高を上げるためだけでなく、領内の安定にも役立つものであり、時間が必要であると言う点を除けば長所は多いのだ。
だが、この時代に行われていた堤防を築く方法や植林を行うという治水工事では労力も財貨も多く要求されてしまう。
しかし、後の時代の治水工事の方法である河川の合流地点そのものに新しく水の流れを作るという方法ならば堤防を築くよりも労力を必要としない。
寧ろ、工夫次第では財貨も比較的少なくて済む可能性すらある。
金山を保有しているとはいえ、無限ではないその資金を有効活用するには工夫も必要なのだ。
せっかく、知識の中に遺っているのだから有効に活用させて貰う。
幸いにして、時間があるという意味でも盛安が家督を継承した当時は比較的、戸沢家の領内は安定している。
本格的に動き出す前である今のうちに出来る範囲だけでも良いから治水を進めていくのが上策だろう。
次に鉄砲の導入について。
この時代の鉄砲は種子島に伝来され、各地に広まったと言われる火縄銃が主流である。
鉄砲の使われた合戦は1575年の長篠の戦いが最も有名であるが、疑問視される部分も少なからずある。
実のところ、戦国時代では弓矢による殺傷率の高さが極めて高いからだ。
そのため、戦においては弓矢の方が恐ろしいものであり、使い勝手が良い。
弓矢は射手にも影響されるが速射を行う事が出来、この時代の弓は素材の工夫により威力が増す方向に改良が行われている。
更には改良が加わったために射程も伸びているのである。
弓矢は長年に渡り、弓が主流であったために大きく発展したといっても良いだろう。
しかし、鉄砲には弓矢にない利点もある。
殺傷率の高さでこそ弓矢に劣っているが、それはあくまで命中率の問題であり、実際の威力は命中さえすれば弓矢以上に殺傷が可能な武器であった。
その威力は近距離において、散弾銃に比肩する――――または凌駕するほどであり、強力且つ危険な代物である。
一般的には何故か火縄銃の威力は低いという認識が広まっているが、それは幕末に洋式銃を装備した倒幕軍に火縄銃を装備した幕府軍が脆くも敗れたのが要因だろう。
また、現代の時代の日本各地に『火縄銃の銃弾を受けても貫通しなかった具足』が文化財として遺されているのも事情に含まれる。
しかし、戦国時代の足軽などの具足を射撃した結果によると厚い鋼板を用いた胴の部分であっても簡単に撃ち抜くほどであったという。
実際の印象とは裏腹に威力が弱く、使い勝手の悪い物と認識される火縄銃ではあるが、戦国時代においては非常に強力な武器なのだ。
雑賀衆や根来衆といった鉄砲の使い手として勇名を馳せた者達が多数存在しているのも決して間違いではない。
火縄銃は命中率と雨天では使用する方法が限られてしまうという欠点を除けば武器として優れた代物なのだから。
技術や工夫によって欠点を補う事で火縄銃は武器として大きな力を発揮出来る。
やはり、火縄銃は出来る限りで導入しておきたい武器なのである。
だが、東北では火縄銃を集めるのは難しく、鍛冶師を招くにも設備が整っていない。
これまた治水工事と同じく、時間を要さなければ準備を進める事は出来ないだろう。
現状は100~200前後の数が揃えられれば御の字といったところか。
限られた中で手を打つとするならば江戸時代以降で一般的な方法とされた床下土による硝石製造の方法である。
戦国時代では硝石は主に輸入に頼っており、実際に輸入する事が出来ていたのも貿易が可能であった一部のみだ。
硝石は高級品で、数多く求めればそれだけ財貨が必要になる。
その点も踏まえておかなければ簡単に資金不足となってしまう。
硝石の製造もまた時間が必要とされる事ではあるが、今の段階で始める事とする。
出来る事ならば、鉄砲に詳しい雑賀衆か根来衆の人物を引き込みたいが、それも時が進んでからの事。
数年の後に成果を発揮するものは出来る限り進めておかなくてはならないのだ。
何れにせよ、家督を継承した今の段階から既に戸沢盛安の新たな歩みは始まっているのだから。
「利信、領内の治水を行いたいのだが……」
「治水でございますか……それは中々の妙案ですが、我らには堤防を築くほどの余力はありませぬぞ」
物事は思い立ったが吉日。
早速、前田利信を呼びつけて治水についての意見を尋ねる。
しかし、この時代の治水はやはり堤防を作るか植林を行うかが主流であるため、利信も難議を示す。
「解っている。だから、違う方法で行うのだ。堤防を築くのではなく、川の合流地点そのものに新しく水の流れを作るという方法でな」
「むむ……それは思いつきもしませなんだ。確かに新たに水を引くという手法であれば堤防を築くよりも楽に出来まする」
新しい治水方法を伝えたところ、それは盲点だったという表情をする利信。
先の時代では主流となっている方法でも今の時点では主流ではないがために発想としては思い当たらなかったようだ。
「如何だ? 出来そうか?」
「はい、数ヶ月ほどの時を頂きますれば可能かと存じます」
「解った、治水は利信に任せる。俺よりも出羽国の地理に詳しい利信ならば、見事に果たせよう」
「畏まりました。この前田利信、身命を賭して期待に応えてみせまする」
こうして、利信を奉行として治水工事へとあたらせる事とした。
史実における利信は智勇共に兼ね備えた人物と言われており、盛安が織田信長へと使者を送る際に利信を抜擢したのもその才覚を見込んでの事である。
畿内や東海方面に比べれば遠い田舎でしかない奥州の小大名の家臣でありながら、中央の人物達との駆け引きを任せるに足る人物が利信なのだ。
尤も、史実ではとんでもない事をやらかしている面もあるため、中央に派遣するからは悩ましいところである。
暫くは内政面で力を発揮して貰い、織田信長へと友好の品を届ける時が来るまでに如何するか考えるとしよう。
織田信長に品を届ける頃には是非ともやっておきたい事があるしな……。
「殿、お呼びにより参上致しました」
「ああ、待っていたぞ。政房」
次に若手の家臣であり、戸沢家が誇る武勇の士である戸沢政房を呼びつける。
政房はまだ20歳にもならない若さだが、出来る限り軍事に関係する事は政房の経験とさせておきたい。
「比度、政房を呼んだのは他でもない。御前には俺の馬廻りとなる軍勢を鍛えて貰いたいのだ」
「何と!? そのような大役を私に御任せ下さるのか! しかし、盛吉様や盛直殿を差し置いても大丈夫なのですか?」
政房の疑問は尤もだ。
これは俺の守役を任されている白岩盛直や戸沢家一門衆の戸沢盛吉を差し置いて若年である政房に軍を任せると言っているのと同じなのだから。
「構わぬ、政房の武勇を見込んでの事だ。俺は将来、御前が天下にも名を残すであろう武将になるであろうと思っているのだ」
「も、勿体無き御言葉……。殿、この政房の働きぶり、是非とも御覧あれ」
「頼りにしている。して、政房に鍛えて貰いたい軍勢だが……」
俺は政房に戦に備えて鍛えて貰いたい軍の説明をする。
現在の段階で馬廻りとして常に置いておけるのは300人前後。
後は場合によって徴兵するなり、石高が上がって動員出来る兵力が増えてからだ。
政房には鉄砲と騎馬の訓練を重点的に行うようにと指示をする。
特に騎馬には鉄砲の音などで驚かないようにさせる事。
また、若い馬を選んで早い段階から鉄砲に慣らさせておくようにと告げる。
最終的には騎馬と鉄砲の同時運用――――騎馬隊でも鉄砲を装備出来るようにする。
騎馬と鉄砲は相性が良いとは言い切れない。
だが、これは運用の方法次第で力を発揮する。
正直、活躍出来るかは疑問視されているが、騎馬鉄砲の大きな利点は鉄砲隊と騎馬隊を同時に配置出来る事だろう。
本来の鉄砲隊は当然、歩行なのだが騎馬隊を背後に配置した場合、そのままでは鉄砲隊が騎馬隊に蹴飛ばされ兼ねない。
騎馬隊と同じ位置での配置が出来る鉄砲隊と言う事でその意味は大きい。
合戦時の初戦に鉄砲で陣形を突き崩した後に騎馬隊で突撃するというのは単純であるが有効な方法である。
戦の主役を任せられるほどの物ではないが、戦術としての一つとしてならば在りだろう。
また、騎馬鉄砲という発想は当時では考えられてはおらず、奇襲的な意味合いもある。
少ない限られた戦力で勢力の下地を築くには奇策を用いるのは当然の事だ。
真っ当な方法だけでは如何にもならないのだ。
尤も、騎馬鉄砲は普通の騎馬隊としても運用出来る。
鉄砲はあくまで騎馬隊の装備の一つなのだ。
だが、装備の選択肢を増やすという事は騎馬隊そのものを強化する事にも繋がる。
何れにせよ、限られた戦力を増強し、活用する事は間違ってはいない。
奇策を用いてでも戦力を強化しなくては、戦国時代の奥州を乗り切る事は不可能だ。
何しろ、出羽国内だけでも安東愛季、最上義光といった歴史に名を残した人物達がいるのだから。
史実では安東愛季と戦い、それに勝利した段階で歩みが止まっているが、2度目となる比度はそれよりも歩みを進める。
道が何処まで続くかは解らないが、行く先はとにかく行けるところまで進むのみ。
まずは史実での宿敵であった安東愛季と対等以上に渡り合えるだけの力を養う事――――それが最初の目標だ。
斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たりと称された彼の人物を凌駕しなくては夜叉九郎は先に進めない。
盛安は嘗ての宿敵の姿を今一度、思い浮かべるのだった。
(さて、現状の段階で出来る事はこれくらいか)
利信と政房にそれぞれ新しい仕事を任せて、盛吉や盛直といった家臣達にもそれぞれの仕事を行うように指示を出し終える。
勢力の下地を築くには暫くの時間が必要となる。
家督を継承したとはいえ、すぐに動き始めるのは時期尚早だ。
無理な勢力拡大は現状の戸沢家の持つ力では不相応に過ぎない。
まずは準備を整えてからの話である。
「ふむ……当主としての務めは全く心配なさそうじゃな」
「父上」
何時からか俺が命令を下しているところを見ていたらしい父上――――戸沢通盛が姿を表す。
「儂としては家督を譲るには流石に早過ぎるのではないかと思っておったが……叔父上の見立て通りであったか。流石よの、盛安」
「有り難うございます、父上」
父上からの称賛の言葉に頭を下げる。
しかし、父上の言葉で俺は早くも史実における問題の時が否応にも迫ってる事を察する。
これから戸沢家に起ころうとしている大きな問題――――それは大叔父、戸沢政重の死である。
大叔父は俺が家督を継承した現在、病の床に伏しており、家督継承の儀に参加する事も叶わなかった。
幼少の頃は政治、軍事、学問と徹底的に叩き込んでくれた大叔父は盛安という人物にとっては実の祖父のような存在であった。
戸沢政重という人物は謂わば、師とも呼べる人物であり、長年に渡り戸沢家を支え続けた柱石だ。
父上がそれとなく、大叔父の名を出したと言う事は死期が近付いてきているという事だろう。
「父上、俺はこれより大叔父上を見舞いに行って参ります」
「それが良かろう。盛安が見舞うとならば叔父上も喜ばれる」
「……はい。行って参ります」
父上に後を任せ、俺は大叔父の下へと行く事を決める。
理由は病の床に伏しているのを心配するのは勿論であるが、それ以上に重要な事があるからだ。
先の事を知っている以上、それを放置する事は出来ない。
ゆっくりと近付いてくる、戸沢家に降り掛かかるであろう大きな問題と向き合うために。
俺は大叔父、戸沢政重の下へと向かうのであった。