「げ、アイツぁ」
あの時の俎板娘。ゴッチは、思わず机の陰に隠れる
――
朝起きだしてみれば、何故か酒場の中にカザンとベルカが居た。追われる身の癖に、少しも恐れる事無く裸の上半身を晒して向き合うカザンに、ベルカは跪いている
汚染されたロベルトマリンでは味わえない、明るい朝の雰囲気の中で、二人は厳かだった。立ち入る事の出来ない、奇妙な空間があった
どういう展開だ、これは。ゴッチは息を殺しながら、事態の推移を見守る
「今では俺も反逆者だ」
「…………はッ。以前、ここでお見かけした時から、もしやと思っておりました」
「頭を上げろ。元より、お前が其処までする謂れはない筈だ」
ん、とゴッチは眉を顰めた。予想外の事が起きている
ゆっくりとベルカが立ち上がる。ベルカは泣いていた。強気な瞳が、泣いていた。ゴッチがベルカと接触した時間自体はそれほど長くないが、それでも軽々しく泣きを入れる女ではないと思っていた
「これをお持ちしました」
ベルカは背負っていた剣を差し出す。カザンが初見の時に持っていた、布で巻かれた長剣だ
カザンは難しい顔をしつつも、それを受け取った。小さく礼を言うカザンに、ベルカは唇を噛む
「カザン様、無念です。何故我々に何も言ってくださらなかったのですか」
「これは……恥ずべき事だよ。何が言える」
「妻を娶って軍を退く、その程度の事では無いですか。貴方の下で働けないのを残念に思いはしても、責めるなどあり得ません。そんな狭量な者は、我が団には居りません」
「……この剣を、よく届けてくれた。今となってはこの剣がアイツの形見だ。どのような方法を用いたのかは知らないが、感謝する」
「これからどうなさる心算ですか」
「東にでも行くさ」
「……反乱に、参加を?」
「そうなる。或いは、お前と戦場で見えるやもしれん」
無理だ、とゴッチは舌を出した。ベルカもこの世界の平均よりかは遥かに“出来る”ようだが、カザンの足元にも及んでいない
カザンが本気でやったら、戦場で出会った瞬間死ぬだろう
良いのかね、ともごもごするゴッチの視線の先で、ベルカが俯いた
「それだけですか? ……他に、仰る事はないのですか?」
「ベルカ」
「団の皆も、この国の現状を憂えています。貴方が号令なされば」
「俺は思想で戦うのではない」
「どうせこのまま軍に残っても、良い事はありません。カザン様の直属であった銀剣兵団は、冷遇されるどころでは済まないでしょう。それを解っていながら」
「ベルカ!」
カザンが右拳を額に宛がった。瞑目する様に、カザンの動揺がありありと表れている
暫しの沈黙の後、カザンは腕を振り払った。全て、決まったようだった
「ベルカ、我が兵に伝えろ。一族全て死罪となるを恐れぬ者は、カロンハザンに従えと。銀剣兵団の先行き、この俺が預かる」
「はッ!」
応答と共に胸の前で拳を打ち鳴らし、ベルカは酒場から出て行く
暑苦しい奴らだな、とからかいの言葉を放ちながら、ゴッチは漸く隠れるのを止めた。予想していた事だが、カザンは少しも驚かなかった。気付かれていた心算は、ゴッチにはない
カザンは、小さくぼそぼそと呟いた
「寄せられる好意を利用して、惨い事をしているな、俺は」
「良いんじゃねぇの? 自分から扱き使ってくれって擦り寄って来るんだからよ。それより、まだ本調子じゃねぇみてぇだが、これ以上は面倒だ。俺は一足先におさらばするぜ」
「解った、俺達も急ぐ。合流地点はどうする」
気を取り直したように言うカザンに、ゴッチは間抜けな顔で聞き返した
「はぁ? どういう意味だそりゃ」
「?」
「あん?」
「いや、あん、ではない」
「あぁ?」
「合流地点だ。余り人目の及ばぬ所が良いが」
「俺とお前らの? …………なんで俺が、態々お前と合流せにゃならねーんだよ」
今度はカザンが間抜け面になった。腹を抱えて笑うポーズを取りながら、ゴッチは大声をあげる。これは、お笑い草と言う他ない
「おいおい、俺がこのままお前の言う事をヘイコラ聞くとでも思ってたのか?! 助けたのは、喧嘩を決着させる為だぜ! 他に理由なんざねぇ、なんでこれ以上お前を助けてやらなきゃいかんのだ」
「……決着?」
「そうだ、手前が毒なんぞ食らってなきゃ、とっくに喧嘩してたよ」
「喧嘩するために喧嘩相手を助けるとは、また何とも言えんな」
ゴッチがポケットに手を突っ込んで前傾姿勢になる。鋭い瞳で、上目使い
年季の入った、貫禄のあるガン付けだった。この表情と視線と威圧感は、只管に恐い。特にゴッチのこれは、万国共通人獣鳥魚の区別なしだ。下手したら、虫にも効く
「手前にゃ解んねぇだろうなぁ。手前は人気あるし、それなりに高い地位に、ちょっと前まで居たんだろう? そりゃ、解んねぇだろうなぁ」
ゴッチはべぇ、と思い切り舌を出した。生理的嫌悪感を誘う挑発行為であるそれも、ゴッチがやると異様な雰囲気があって更に凄味が出る
カザンは、苦笑しながら聞いていた
「俺ぁアウトローだからよ、ならず者だからよ、へへへ。舐められたら終りだ。特に、俺みてぇに馬鹿ばっかやってる奴はな。喧嘩の勝ち負け一つ、適当にしてしまってはいかんのだ」
其処まで言うと、ゴッチは両手をポケットから引き抜いた。威圧的な雰囲気は嘘のように消え、何時もの横柄な態度が現れる
「なーんつって、まぁ、結局、大半のところは意地だけどよ」
カロンハザンが腕組みする。視線は、真っ直ぐゴッチに向いていた
堂々とゴッチを真正面から見据えてくる。怯えも、媚びもなく、こうも真っ直ぐに視線を向けられることは、稀だった。力強かったが、気負う訳でもないその視線は、ファルコンのそれにすら似ていた
カザンは徐に口を開いた
「その膂力、その技、付け加えて、魔術。ならず者のままで良いのか。それで満足か」
僅かの間、硬直したゴッチは、理由もなく無邪気に笑った。そう見せかける為の擬態か、本当に笑っているのか、見ただけでは判別の出来ない笑顔だった
ただし、ゴッチの米神には青筋が浮いていた。カザンはそれに気付いていたが、言葉を押しとどめようとはしなかった
「何の為の力だ。何の為の喧嘩だ。何故生きて、何故戦い、何故傷つくのか、お前に理由はあるか」
「……お偉い元騎士様は、言う事が小難しくていかんぜ。何が言いたいんだ、糞野郎」
「俺と来ないか、ゴッチ・バベル。俺は復讐の為に戦う。もう、誇りのある戦は出来ないだろう。だが、勇猛で高潔な指導者達にお前を紹介する事ぐらいは、まだ出来る。その力を正しく振るえる場所を、必ず見つけてやろう」
「馬鹿馬鹿しいぜ、何を言い出すかと思えば」
ゴッチは足音高く歩きだし、酒場の出口へと向かった。拳骨が飛ばないだけ、紳士的である
数歩歩いたところで、背中に重みを感じた。水を吸った布が落ちてきたような、気持ちの悪い重みだった。咄嗟に手をやるも、空を切るばかりで重みの正体を発見できない
ゴッチは、振り向いた。腕組みしたままのカザンが居る
カロンハザンという男の威圧だった。カザンの気配がゴッチに取りついて、重圧となっていた
「その力、我欲の為にのみ用いても、虚しいだけだぞ。己の命よりも重い物を、探してみないか」
「馬鹿が、俺ぁ……いや。お前みたいな奴に限って……いや。あーあー! もう! 問答したって仕方がねぇんだよ、ったく」
二回も、ゴッチは口ごもった。言い掛けた言葉を二度も止め、右の眉を吊り上げて米神を揉む
綺麗な事を言いやがる、この男は。しかしそれは、ゴッチには全く魅力のない話だ
復讐の為にこの国を滅ぼすと、血を吐くように誓っていながら、その癖未だ“高潔な騎士”であろうとしているように、ゴッチには感じられた。
捨てた物にしがみ付いているように見えたのだ。胸がムカムカするような気がするのは、そんなみっともない所を見ているせいか?
ゴッチは頭を振った。この男は、俺に何を聞こうとしたのか
何の為の喧嘩。考えるまでもない。自分で考え、自分で行う、自分の為の喧嘩だ。喧嘩をやるとしたならば、それ以外のやりかたがあってはならない
「下らん、と賢しらな振りをして言うのは簡単だが、逃げも同然だぞ、それは」
思わずゴッチは怒鳴り返した。そんな事をしても意味がないのは解っていた。だがカザンを前にすると、少なからず冷静さを失う。ゴッチは認めたくは無かったが、自覚していた
カザンを格別に意識していた。意味がないとは思っても、勝手にぽろぽろと、怒声が零れて行った
「何様だよ、お前はよ! 一体何モンなのか、この俺にでっけぇ声で言ってみろ!」
「カロンハザンだ」
「女一人面倒見れねぇ、そんな情けねぇ甲斐性なしだろうが! 俺は生まれてこのかた自分の暴力の面倒見てきたぜ! 今さら喧嘩の仕方だ、理由だ、なんだぁ、お前に説教される謂れはねぇんだよ!」
あー、気分悪ぃー。ゴッチはカザンを突き飛ばすと、今度こそ酒場から出た
意外にも、静かな町並みがある。早朝故の静けさを、一人で木端微塵にしながら、ゴッチは肩を怒らせて歩いた。困ったように笑いながらカザンが見送っているのすら、気付けなかった
「畜生、あぁー、気に入らねぇっつーか、何つーか。殺してやれば良かったかも知れん」
ロベルトマリンであぁも偉そうに説教を垂れる輩がいたら、或いはそうしていたかも知れない。それ以上に、自分で助け出した者を自分で殺すと言うのが、全く無駄に思えたのが大きいが
そもそも何故こうまでカザンが気に掛かるのか。理由がない以上は、相性の問題と言うしかなかった
ちょっとでも思い出せば、脳内に澄まし顔のカザンが現れた。気分を害するほどの美男子が、訳知り顔で腕組みしている。ゴッチは、クワ、と恐い顔をする
「(クソが、俺一人で熱くなって……。これでは道化だよ)」
――
アーリアから逃げだす前に、一目ダージリンの屋敷を見ておこうと思ったのは、感傷からであった
何だかんだ言って居心地の良い場所だった。ダージリンが戻って居れば、こっそり挨拶していくのも悪くはあるまい、と思っていたのだが
しかし、いざ屋敷に来てみると、見知った侍女が数人の兵士に輪姦されかかっており、流石のゴッチもこれは予想外の展開で、思わず噴き出した
「な、なんだお前は!」
「何だ……って、取り敢えずしまえよ、その粗末なモンをよ。しかし朝っぱらから野外で、とか、盛り過ぎだろ、常識的に考えて」
兵士達の注意がゴッチに逸れたのを好機と見て、侍女が泣きながら、己の秘所に一番槍をつけんとしていた兵士の股間を蹴り上げた
うげ、とゴッチは青褪める。あの痛みは、女には解るまい
侍女の両腕を抑えつけていた兵士が、怒声を上げて侍女の頬を張った。その瞬間には、ゴッチが踏み込んでいる。横面に炸裂したヤクザキックで、兵士の首があらぬ方向に曲がっていた
更に一人が、芝生に放りだしていた剣を引きよせた物の、それを抜き放つ前にゴッチが肉薄している
あらよっと、全く気負いのない掛け声と共にジャーマンスープレックスが繰り出され、兵士は声を発しなくなった
「さて、後は……あらぁ?」
一番最初、侍女から股間を蹴り上げられた兵士は、泡を吹いて白目をむいていた
――
簡潔に言ってしまうと
ダージリンが処刑されるらしい
「はぁ? どうしてそう言う事になっちゃう訳?」
「それが……反乱軍の手の者を匿っていた等と、在らぬ罪を着せられて……。アラドア将軍の屋敷に忍び込んだ者が居たとか」
俺の事か!
咄嗟にゴッチは作り笑いする。へぇー、なんて驚いて見せて、無関係を装う
脳みそを動かせば、まず疑問が出てきた。幾らなんでも早過ぎだと感じた。この世界には監視カメラもなければ、遠く離れた相手との交信を一瞬で可能にするような通信手段も無いのだ。少々、神速に過ぎる
「何か怪しい奴は居なかったか」
「…………そういえば、二名程、事の前より姿の見えない者が」
「じゃぁそいつらだな。裏で手を回されて、付け込まれたんだろうよ」
自分が仕出かしたことなどおくびにも出さないゴッチに、侍女はころりと誤魔化された。動きの速さを考えれば丸きり嘘とも思えないから、口から出まかせという訳でもない
侍女はあられもない姿を隠そうともせず、平伏してゴッチに懇願する
「お願いです、ゴッチ様、どうか、ダージリン様を。特殊な印を刻まれて、ダージリン様は魔術を封じられているのです」
またこういう展開かよ。ゴッチは眉を顰めた。が、これは自業自得と言うべきだろう
――
「お主も気持ちは解るが、馬鹿な事を考えるで、ないぞ。せめてあの娘の最後を看取ってやれ」
「はい…………」
時は既に、夕刻であった
最低限汚れだけはない物の、くたびれ果てた、最大限他者の同情を誘える身形で、侍女は大げさな装飾の施された屋敷の前に平伏していた
ゴッチの感性で言えば少々奇妙な、遥か昔の貴族のような形をした髭面の男が、配下を伴い、踵を返して屋敷の中に消える
侍女はそのまま暫く頭を下げ続け、誰も戻って来る気配がないのを確認すると、急いで立ち上がって走り出した
屋敷を出て直ぐの道には、ゴッチが待っていた。事の成り行きを見守っていた
「……明日の昼、だそうです。アーリアで最も大きな広場で執り行う、と」
ダージリンの処刑の話だ。侍女は、膝をがくがくと震わせながら言う
「明日か、また、随分と急ぐな。信用できるのか?」
「バロウズ様は、軍に置いて多大な信頼を寄せられる、将軍であらせられます。偽報をお掴みになる事はないかと」
「その、バロウズ自身がお前に嘘を吐いた可能性は?」
「他の方達と違い、ダージリン様も嫌う事無く接してくださいました、バロウズ様は。そのような事はないと信じたいですが……」
ふぅん? と素気なく返して、ゴッチは服を整えた。ダージリンの屋敷で間に合わせた使用人の服は、ぴっちり肌に張り付いて来るようで、どうにも気持ち悪い
この侍女は、ダージリンの故郷である北国で、ダージリンが五歳の頃から傍仕えをしていたらしい
忠誠心も一際、と言う訳だ。逆に、今回裏切ったと目されている二人は、アーリアで現地登用した者達らしかった
ゴッチは一度バロウズの屋敷を振り返って、歩きだす
「しかし、とっ捕まえて事の審議もせず、翌日にゃ死刑執行か。大した国だ。大した司法制度だ」
司法制度、に唾吐きかけて、或いは上手く利用して今までやってきたゴッチだったが、このアナリア王国の強引さには少々驚いた
ゴッチの背後に寄り添いながら、暗い顔で侍女が言う
「国王陛下は、ダージリン様と……ダージリン様の兄上様、大殿様を恐れているのです。ダージリン様は魔術師で、その上大殿様は今代の国王陛下をよく思ってはいらっしゃらないようで……、事と次第によっては、アナリアへの反逆も辞さぬ、というお方ですので……」
危険な因子だ。内乱中の国にとっては、特に
今の侍女の口ぶりからすれば、ダージリンの故郷はまだ残っているようだ。数日前にダージリンと話した時の事を考えても、そうだろう
しかしこの国は内乱中だ。そんな危険な火種が転がっているのなら、とっくの昔に粛清するか和解するか、なんらかの解決策を施していてもおかしくあるまい
何故、生き残っているのか? そこまで考えて、ダージリンの顔が脳裏を過る
そうか、あの時、ダージリンは自分が故郷に居つかないからだ等と言っていたが
「ダージリンは、人質って訳か。マグダラ家においたさせないための」
侍女が沈黙する。ゴッチはそれを、肯定と受け取った
となれば、ダージリンの故郷である北国を攻める段取りも、アナリア王国は既に済ませているのだろう。人質を殺しておいて、人質を差し出した側が怒らないなんて、そんな虫のいい話はない
早急に攻める事は無くても、最低限、ダージリンの兄を殺害する準備ぐらいはある筈だ。一国一城の先行きなんて難しい物は、指導者の能力に左右されるのだから
「あんな恥ずかしい城に住んでる偉そうな王様を、兄妹そろってビビらせてる訳だな。痛快な話じゃねぇか」
豪壮な装飾が施され、至る所に青い旗が翻る巨大な城の威容は、ゴッチにはこけおどしにしか見えなかった
「それにしたって、明日ってのは矢張り早過ぎる。幾らダージリンが魔術師で、奴の実力にビビってるとは言っても」
ダージリンを殺害した後、ダージリンの兄とやらと一戦交えるなら、多少の準備期間は欲しい筈だ
以前から練られていた策であれば、既に準備が済んでいたとしても可笑しくは無いが、そうすると今度は準備が良過ぎるような気がしないでもない
ゴッチは路地裏に入って木箱に腰を下ろし、少しだけ黙考した
「なぁ、お前ら“北国”の奴ら以外で、ダージリンを助けたい奴っつったら、誰か居たりするか?」
「…………恐らく、居ないと思います。私達は北の蛮族と呼ばれて、疎まれております」
「そーかそーか。だが……今をときめく反乱軍様なんて、どうだ? 魔術師の力、ついでに言っちまえば、マグダラ家とやらの力、欲しいんじゃねぇか?」
「確かにそうかも知れませんが……。それが今、何だと?」
ニヤニヤ笑いながら、ゴッチは思い返していた。確か、実際にカザンが捕えられるよりも以前に、カザンの窮状を予見し、それをウルガの故郷であるらしい“ミストカ”だとか何とかにリークして、救助させようとした者が居た筈だ
最もウルガ達自体を当てにしていた訳ではなく、少しでも時間を稼げれば、と言った具合の目論見だったようだが
どうもソイツが怪しいな、とゴッチは踏んでいる。純粋にカザンに心酔している者の独走かも知れないが、反乱軍の手の者、と言うのも無い訳ではない。気に入らない事に、カザンは強く、また強いだけの男ではなかった
反乱軍とやらは、欲しい筈だ、ダージリンも、カザンも
「と、まぁ、そんな根拠のねぇ話を省いたとしても」
「?」
侍女は首を傾げた。沈黙していたゴッチが唐突に放った言葉の意味を掴みかねていた。人の心を読む術などもたないのだから、当然である
カザンとあの俎板娘がダージリンを助けるってのは、どうだ?
ダージリンの有用性は高い。魔術師であり、マグダラ家との懸け橋ともなる。カザンとしてもダージリンを救助出来れば、反乱軍の力を増強出来、尚且つ自分をより高く売り込める筈だ
「(反乱軍って、どんぐらいのモンなのかな)」
知らない事だらけなのだから、あまり意味のない推理かも知れないが
「自分の国でちょろちょろスパイ……間諜が、若しくはそれに近い危ねぇのが動き回っていれば、当然勘付く。そんで、勘付いたなら、当然根こそぎ排除したくなる。出来なくとも、力を殺ぎたい」
「はぁ?」
「で、一々探すよりも、誘き出してばーっと行った方がお手軽だ」
「はぁ」
「ついでに、準備期間は与えたくない。万全な態勢でゲリラ屋……遊撃戦されたら、面倒くさくてしょうがない。だから速攻で仕掛けてみる、と」
ゴッチは首をかしげた。面白おかしく考え過ぎたか? 他人事と思って、こういう揉め事であれば良いな、なんて願望を想像してみたが
まぁ、世の中思った通りであった事なんて、今まで一度もないのだ。ゴッチは木箱から立ち上がって、複雑な表情をしている侍女の肩を叩いた
「ゴッチ様……ダージリン様は、あぁ…………」
細い肩が震えている。中々出来る女であるこの侍女も、当然ながら、冷静ではいられない
ゴッチが取りとめもなく話す内に、寒気がする程の実感を得たようだった。どうしようもない現実に、ただただ震えていた
「全部俺に任せてろ。俺もアイツの事、気に入ってるからよ」
「無理で……無理でございます。幾らゴッチ様がご助力下さっても……私達だけでは……。うぅ……うっく」
「そりゃ、お前じゃ無理だ。無理だと思っちまう奴には、無理だ。俺はお前とは違う。アナリア王国には、兵士がどんぐらい居るんだ?」
「わ、私は一介の侍女にございます。ひっく、そのようなこと知る由も御座いませんが、聞くところによれば、五万とも、六万とも」
「五、六万?!」
ゴッチは大げさに驚いてみせる
「けひひ! 俺を殺すにゃ、その十倍は要るぜ」
侍女が顔を上げた。揺るがないゴッチの強気な態度を、信じてみようと思ったらしかった
侍女の視線を真正面から受け止めないゴッチは、顔を背けて、また笑う
「まぁ! お前らの為じゃねーけどな! 俺は俺のやりたい事をやるだけよ!」
――
ゴッチは侍女を宥めると、バロウズとやらが放ったのであろう尾行を殺害して、ダージリンの屋敷へと帰還した
バロウズという男も、伊達で将軍をやっている訳では無いらしい。幾らそう間を置かずして誰もが知る事になるとは言え、魔術師の処刑等と言う一大事だ。平気で情報を漏らしてしまうような男が、重役につける筈もなかった
物は試し、と言った具合だったのだろう。ひょっとしたら、万分の一の確率でこの侍女が危険な事を考えているかも知れない。そう思ったバロウズは、常ならば話す筈もない情報を話し、その上で配下に後を追わせたに違いないのだ。今回に限り、その予想は大当たりだった訳だが
ゴッチの身体の特徴が(恐らく)知られている以上、尾行をそのまま返してやる訳が無かった。懸念事項を一つ消去したゴッチは、しかし「生かしておいた方が使い道があったかね?」と首を捻っていた
主を奪われた屋敷は、ひっそりとしている。それもそのはずで、ゴッチの隣で不安そうにしているこの侍女が、屋敷で働いていた者達全員に暇を出したらしい。“北国”出身の者には、殺戮の可能性があるから故郷へ逃げろと言い含めてあるそうだ
ランプの中で小さな炎が揺らめく客間に、侍女の寝息が立ったころ
ゴッチは歯をむき出しにして笑いながら、腕組みした
「さぁーて…………、どうやるかね」
――
――
目隠しされたまま馬車に乗るのは、ダージリンは初めてではない
子供の頃、父、マクレーンが隠匿していた魔術師としての素養が、国王に知られてしまった時、王都アーリアに召喚された事があった。あの時も目隠しをされ、手足を鎖で繋がれ、まるで罪人のような有様であった
今では本当に罪人扱いだ。ガタガタという振動と時折聞こえる人のざわめきだけが、今のダージリンに与えられる全てだった
人の真似事は矢張り無理なのだと、ダージリンは確信した。胸中の自嘲も、鋼鉄の顔面には浮かび上がってこなかったが、ダージリンは己の愚かさを嘲笑っていた
人ではない。魔術師は。一個の生命として、人と言う種に何ら益する物の無い明確な敵である
術と言っても伝えるべき技ではなく、師といっても教え導く者ではない
ただ強いだけだ。生命として、生存していることが最優先事項であると考えるならば、それを維持し続ける為に有用な強さだったが、人には成れなかった
弱者の振りをして生きる事は、ダージリンは出来なかった。自分を偽れない程度に彼女は素直で、また強情であった
「我が父も、我が兄も」
故郷の北部を思った。帰りたいが、帰れない場所だ。単純に人質である故に、と言うだけではない。例え、アナリアという国が存在していなくても、帰れない場所だ
「私さえ、こうでなければ」
常の彼女ならば決して口にしない台詞である。最近、常で無い事が増えている
人のざわめきが増えてきたと、肌で判る程になった時、馬車が停まり、声が掛けられた
「到着しました、マグダラ殿」
馬車から引き摺り下ろされれば、太陽の光が眩しいほどに降り注いでくるのが、目隠し越しにも判った
なーんてグダグダ言ってる場合じゃねぇーッ
――
「(くっそがぁぁぁ~、気に入らねぇ、気に入らねぇ、気に入らねぇぞ。ムカムカしやがるぜ)」
人の集う広場において、一人だけ異質な衣服を着込み、周囲を威圧し続けるゴッチの苛立ちは、既に許容限界に近付いていた
この世界に置けるスーツの特異さと、その威圧感から衆目を集めるゴッチは、必要以上にあたりを睨みまわして人々を脅す
何が気に入らないと言えば、取り敢えず全部と答えるだろう
「(ドイツもコイツもよぉー)」
処刑執行までかなりの急ぎ足で、しかもこの事が布告されたのは当日の朝だというのに、人だかりは多かった
それぞれが好き勝手に様々な推測を立てては、ダージリンに向けての同情と好奇心と怖い物見たさが入り混じった複雑な表情を見せている
ずっと前、ロベルトマリンで政治犯の銃殺刑が放送された時、ゴッチは悪趣味にもその映像を酒の肴にして仲間と騒いでいたが
今回に至っては、どうしても苛立って仕方がなかった
「何を考えているんだろうか……。こんな事、公開処刑なんて、何も意味は無いのに」
ゴッチの周囲には空白が出来ていたが、そこに敢えて踏みこむ者がいた。ゴッチは攻撃的な雰囲気を隠そうともせずに声の主を見る
歩兵の鎧を着た少年が居た。黄金の髪と蒼い瞳を持った、彫像のように計算されつくした顔立ちの、絵に書いたような美少年である
歩兵の鎧がどうしても似合っていなかった。黄金色の少年は激しく疾走してここまで来たようで、荒い息を吐いていた
ふぅ、と大きく一呼吸した後に、黄金色の少年はゴッチの隣に寄ってくる。ゴッチのプレッシャーに気圧されながらも、何とか自分を鼓舞している
「貴方はどう思う?」
ゴッチは腕組みして広場の中心を見ていた。木材で舞台が組まれ、ダージリンの処刑は其処で執行されると思われる
「何だコラ。何で俺に聞く」
「いや……」
黄金色の少年は、額の汗を拭いながら口籠った。確かに、見ず知らずの男に、しかも出会い頭に突然仕掛ける話題ではない
「貴方は、この一件に、否定的だと感じたんだ」
「小僧、手前はこいつらとはどこか違うな」
ゴッチは漸く少年に顔を向けた。そして周囲の民衆を顎で示して、矢張り不機嫌そうに言う
「その小賢しそうな頭を使って考えやがれ。お前みてぇなガキが俺と対等に口聞こうなんざ、百年早ぇんだよ」
少年は俯いた。怒りを孕んだ表情すら美しい
懲りた様子ではないようだった。ゴッチを前に、馬鹿なのか、大物なのか、判別の付かない少年であった
そうこうする内に、一台の馬車が広場に到着する。人々のざわめきは大きくなり、舞台の上に黒い衣装を着込んだ男が立ったとき、それは一気に消えた
「これより、偉大なるアナリア王国に反逆し、逆賊どもに内通したダージリン・マグダラの処刑を執行する!」
ゴッチは唇を噛んだ
馬車からダージリンが乱暴に引き摺り下ろされるのが見える。黒い衣装の男が声を張り上げ、本当かどうかも分からない罪状の詳細を語る内に、ダージリンは舞台の上まで引きずられていった
目隠しをされていた。舞台の上で跪かされ、上から押さえつけられた状態になって初めて、ダージリンの目隠しは取り払われた
「(消耗してやがる)」
ゴッチはダージリンの様子を、簡潔に判断した
「……一部の役人の不正と横暴が、手の付けられない所まで来ているのに、この上更にこんな抑えつるような真似をしたら……」
黄金色の少年が、憤ったように声を上げる
ゴッチがジロリと睨むと、少年は不満そうに口を尖らせた
「……何?」
度胸のあるクソガキだ。ゴッチは苦笑を浮かべる
「黙ってみてろ」
ゴッチは殺気をばら撒きながら、舞台に向けて一歩踏み出した。丁度、黒い衣装の男の罪状読み上げが終了した頃合であった
――
そうよ、どうってこたぁ無い。俺は何時だって力尽くだ
なんつったって――強いって事は、正義って事だからな
「異論あるか、ダージリン・マグダラ」
男の言葉に、ダージリンは応えない。目を薄く開けて、地面を見ていた
何時にも増して表情が無かった。ゴッチは人波を割って広場の中心へと歩き続ける。態々民衆を掻き分ける必要もなく、彼らはゴッチの威圧感に圧されて道を譲った
「待てや」
黒い衣装の男、現場を指揮する騎士、首切り刀を持った半裸の執行人、刑の執行を護衛する兵達、そして民衆
全ての視線が、何の気負いも無く歩き続けるゴッチに注がれる
「俺はダージリンじゃねーが」
ダージリンの表情が初めて変わった。驚愕に息を呑む音が、妙に大きく聞こえた
「異論アリアリだぜ」
「ゴーレム……」
「馬鹿が、そんな弱弱しい面をするんじゃねぇよ。お前はダージリンだろうが……」
舞台の前でダージリンの顔を見上げながら、ゴッチはニヤニヤ笑った
そろり、そろり、と兵が動いて、ゴッチを囲む。不穏な空気を、誰もが感じている
黒い衣装の男が腕を振った。半裸の執行人が首切り刀を一振りして、ダージリンの横まで上ってくる
「何だ、お前は」
「ひっひひひ、何だろうなぁ。なぁ?」
「何をしに出てきた。貴様も反乱軍か? で、あれば、ひっ捕らえねばならんな」
ゴッチは肩を竦める
「実はよぉ、ダージリンの罪状を、ついうっかり聞き逃しちまってなぁ。何? 何だって? つまりダージリンは、この国を裏切っちまった訳だ」
「そうだ。魔術師として厚遇されていながら、この者は陛下の御心を裏切った。許される事ではない」
「はっはっはっはっは!」
黒い衣装の男が憤怒の形相になる。ゴッチの挑戦的で、挑発的な大笑いは、嫌悪感すら覚えるほど嫌らしい物だ
ゴッチには可笑しくて仕方ないのだ。弱い奴が強い奴を押え付けるこの状況は、ゴッチの常識として在ってはならない事だった
「そりゃ仕方ねーよ! こんなクソッタレの豚どもがハバ効かせてるような、腐れた国じゃぁよぉぉーッ! 裏切りたくなって当然ってモンだぜぇぇーッ!」
状況の変化は顕著であった。民衆はゴッチの奇行に唖然とし、兵士達は一様に怒りを顕にした
「貴様、いい度胸だ! 何者か知らんが、それだけデカイ口を叩いてただで済むとは思っていまいな!」
「俺からよぉー、何個か要求がある。当然“いいえ、出来ません”なんて返答は聞かねぇ」
男の憤怒もまるで気にせず、ゴッチは指を突き付けた。ここまで傲岸不遜な者は、この場の誰もゴッチの他には知るまい
大胆と言えば良いのか、どうなのか、誰も解らない。ただ、ゴッチが身の程知らずなのか、そうでないのかは、これから解る
「まずはダージリンからその汚ぇ手を離せ。そうしたら謝れ、『天下無敵の魔術師、ダージリン様にご無礼を致しました』っつって。その次は広場に集まった、この馬鹿面どもだ。『本日はどうもお騒がせしました。すいません』だ。で、最後に、全員這い蹲ってこの俺に許しを請え」
ゴッチが中指をおったてる。誰もその行為の意味を知らなかったが、ゴッチの挑発だと言うのは見て取れた
「『豚の分際でお手数掛けさせて申し訳御座いません。お許し下さい』ってなぁぁーッ! まぁ、絶対ぇに許してやらねぇけどよ! うわあーっはっはっはっはっは!!!」
「……執行せよ! この馬鹿者はその次だ!」
執行人が首切り刀を振り上げる。同時に、ゴッチは自慢の拳骨を振り上げた
ダージリンの瞳が丸くなって、ゴッチの右拳を凝視している。ゴッチが身体を撓らせたかと思うと、その姿が掻き消えた
ように、見えた。ゴッチは黒い衣装の男を通り過ぎて、首切り刀を振り上げる執行人のがら空きの懐に潜り込んでいた
「うわぁぁぁぁーーっはっはっはっはっは!!!」
屈強な執行人の体がくの字に折れ曲がる。鳩尾に減り込んだ拳骨と、執行人の口から飛び出す血反吐。致命的なダメージを内臓に受けている。注意の回る物なら、吐き出した血の量で致命傷だと言うのが察せただろう
執行人の背がゴッチより高いのは不幸と言うべき事であった。ゴッチはどちらかと言えば、見下ろされるのを好まない
激痛に身を捩り、頭を下げたのが最後だ。気合一発の拳。二発目にも、当然容赦は無い
目にも留まらない速さとはこういうことを言う。大半の人間は、事が終わってから漸く拳を振り抜いた状態で静止しているゴッチを確認できただけだ
そのときにはもう、執行人は顔面を陥没させ、民家の壁を突き破って絶命していた
「なん」
ダージリンを押え付ける兵士は二人居た。その二人の頭を同時に押さえ、大きく息を吐き出す
後は力任せだ。アルミ缶を潰すように、よいしょと掛け声を掛けて押し潰せば、兵士二人は舞台に顔面を突っこませて意識を失う
ジロ、と黒い衣装の男を睨み付けると、既に声にならない悲鳴を上げながら、舞台上から遁走していた
全くあっという間の出来事であった。誰も彼も動く間がなく、ポカンと口を開けるだけだった
「ダージリン、調子は」
「…………体が動かない。背に、魔力を封じる紋章が」
「どうやれば取り除ける?」
「皮を剥ぐのが、手っ取り早い」
「なら、今すぐは無理だな」
「……くくく、済まない。貴方には、立て続けに迷惑を掛ける」
「少し暴れるぜ。大丈夫だ。指一本触れさせやしねぇー」
ゴッチは右拳と左の掌を打ち合わせた
「ドイツもコイツも掛かって来いやァッ!!」
一斉に兵士たちが踊りかかる
――
ゴッチ無双中
「入れ食いだぜ、ヒャッホォォォーッ!!」
襲い掛かってくる兵士達を片っ端から薙ぎ倒してゆく。もみくちゃ、入り混じっての乱戦とでも評すべき所かも知れないが、乱戦と言うにはちょっと弱い
何せ、ゴッチとダージリン二人きりに並み居る兵士たちが襲い掛かっているのだ
アリの如く群がる渦の中心で、アリでは敵う筈も無い凶悪な何かが暴れていた
揶揄でなく吹き飛ぶ兵士達。当初詰めていた兵士達は三十人前後。ゴッチは何の遠慮もなく、瞬く間にそれらを喰らい尽くして行く
ダージリンが足枷になっていたが、まるで問題にならない戦力差である。感電を恐れて雷が使えなくとも、何のハンデにもなっていない
「あぁコラ! 全然足りねぇぞ! 再編成の最中かぁ?!」
区切りとして、最後の兵士の意識をラリアットで刈り取ってから、ゴッチはドン、と舞台を踏み鳴らす
力を篭めすぎて、いい加減に作られた処刑用の台座は脆くも壊れてしまった。ゴッチはダージリンを抱きかかえて舞台から降り立つと、乱暴にそれを蹴り飛ばし、止めを刺してしまう
野次馬の民衆を押しのけて、敵増援が現れた。今度は何十人いるのか、知らない
横一列に並んで、弓を携えている。騎士らしき男が掲げると、兵士たちは一斉に矢を番えた
ゴッチはダージリンを抱き寄せて、スーツを脱ぐ
「カモォーン! カッモォォォーン!!」
ゴッチが何時もの様に舌をべぇと出して、スーツを振り回す
騎士が剣でゴッチを指し示した。一斉に放たれる矢。ゴッチは、雨のように降ってくる矢に向けて、スーツを振った
防刃、防弾のスーツは、矢の斉射を容易く無効化した。バラバラと転がる矢に、民衆が奇声を上げた
ゴッチは苦しげに呻くダージリンをスーツに包んで、舞台の残骸の近くに転がしておいた
振り向けば、更に新手だ。お次は重厚な槍と巨大な盾を構えた重装備の一隊。此方も綺麗に整列して、一直線に走りこんでくる
ゴッチは、自らも走った。にぃぃ、と口を三日月の形に歪め、助走をつける
五歩、足で地面を叩き、其処で跳躍。ゴッチの足癖の悪さが輝いていた。観衆の視線を釘付けにする華麗なドロップキックだった
最初の突撃の一列は、五名で編成されていた。中心の一人の盾にドロップキックは受け止められ、しかし勢いを殺がれることなく吹き飛ばす
慌てて立ち止まった他の四名の内一人に、ゴッチは奇声を上げながら組み付いた。重たい槍の穂先を脇で抱え込み、無茶苦茶に振り回す
最初の内は兵士も抵抗していたが、長くは保てない。転倒し、槍を奪われた兵士はすぐさま立ち上がろうとしたが、米神に激しい衝撃を感じ、意識を飛ばす。兜がなければ意識だけとは言わず、儚く命を散らしていたのは想像に難くない
ゴッチは槍をゆらゆらと揺らしながら、一本足で立っていた。今しがた兵士の頭部に痛烈な一打を加えたのは、ゆらゆら揺れる槍だった
「荒ぶる俺様のスウィングで、ホームランを量産してやらぁ」
あ、それ、とゴッチは槍を振り被る
襲い来る兵士達を、片っ端から殴り倒していく。どんどんどんどん向かってくるが、どんどんどんどん殴り倒す
誰もが、これは性質の悪い夢だと逃避を始めていた。たった一人を相手に、アナリア王国の兵士達が何人掛かっても敵わない。こんなのは、御伽噺である
既に弓兵隊は弓で狙いをつけるのを諦め、とうの昔に切り込んできていた。そしてやはりとうの昔に、殴り倒されて全滅していた
「貴様! その赤い肌、貴様がアラドア将軍の屋敷に討ち入ったとか言う魔術師か!」
「だったらどうすんだよ、クソ豚野郎が」
目に入る兵士を手当たり次第に殴り倒して、周囲に動く者が居なくなった頃、銀の鎧を着込んだ長髪の騎士が一気に切り込んでくる
そこいらに倒れ付す兵士達のせいで足場が安定しているとは言い難いが、それが苦にならない程度の体捌きは持っているようだった。それなりに広い広場だったが、五十人を超す兵士達が倒れている現状、狭苦しく見えて仕方ない
「魔術は使わんのか、ファルコンとやら!」
「手前らみてぇな豚にゃぁ勿体ねーのよ、俺のイカズチはなぁーッ!!」
騎士が剣を振り上げたのを見て、ゴッチは拳を構えた。ゴッチの野獣じみた反応速度と反射神経は、この程度の剣撃見てから余裕である。騎士の一太刀を受ける前に、必殺する心算だった
しかし、騎士はくるりと身を翻して体制を低くする。騎士の身体で死角になっていた場所で、一人の女が弓を構えていた
「射殺せ、リコン!」
「我が矢で滅べ、邪悪な魔術師!」
放たれる矢。背筋を駆け上って脳天にまで達する悪寒に、ゴッチは大きく身を捩る
この恐怖感。理屈を越えた、本能が感じ取る危機。ゴッチの頭部があった場所を、白い燐光を放ちながら矢が駆け抜けていく
ただの矢ではない。ゴッチが目を剥いた。ダージリンが、苦しげに喘いだ
「ゴーレム……! 魔弓のリコンだ! その弓騎士の矢は、何処までも相手を追い続け、傷口から全てを焼き尽くす……!」
とうとう出た、魔の剣だか、鎧だか、そんなのだ。ファンタジーにはお約束の代物である
ゴッチは兵士達を踏み付けて疾走した。背後をリコンの矢が空気を引き裂きながら追ってくる
旋回性能の高い誘導弾であった。厄介この上ない。ゴッチは民家の壁を蹴って屋根に上り、身を屈める
ぎゅう、とゴッチの額を掠めて、矢が空に消えた。かと思えば、すぐさま戻ってくる忌々しさ
しかしゴッチは、今度は構えていた。右手に雷鳴を轟かせながら、鋭く空を睨む
突き出す拳は負け知らず。リコンだかロコンだか知らないが、そんな小娘の矢に負ける筈もなかった
「魔法の矢、だぁ? しつけーんだボケ!!!」
雷鳴と白い燐光が一瞬だけ拮抗し、直ぐに燐光は掻き消された。ゴッチの電流の圧倒的なエネルギー量は、リコンの矢を遥かに上回っていた
「そんな、私の矢が、こんな簡単に」
「ファンタジー武装何するモンよ」
呆けるリコンに狙いを定め、ゴッチは屋根から太陽を背負い、飛ぶ
長髪の騎士が割り込もうとしたときにはもう遅い。上空から降下してきたゴッチの手刀が脳天に決まり、リコンは倒れ付していた。短く唸って果敢に切り込む騎士の鳩尾に、膝蹴りが入る
一蹴された二人組みを見て、ダージリンが、笑い出した。ゴッチがビックリするぐらい、それは常ならばありえない事だった
「は、あは、……あははは、……ゴーレム、貴方は最高だ」
「……へ、当然だろ? お前は運が良いぜ、この俺のダチなんだからな」
一頻り笑った後、またもや敵増援が現れる。今度は装備からして格が違う、本気の度合いが窺える精鋭達だ
ゴッチは何時ものように、自信満々の笑みを浮かべた。もう誰にも止められない
「さぁ来いよ、まだまだ暴れてやるぜ。俺は今、最高にハイテンションだッ!!」
ゴッチ無双中
――
屍を積み上げて、積み上げて、何を思ってこうまで戦うのか、問うたとしても応えはなく
ただ強く、ただただ強く、強さに理由を求めず、闘いに意味を求めず
「くはー、百人って、ところかい」
ゴッチは手当たり次第に放り投げて、詰みあがった兵士達を眺めて言った。消耗の激しいダージリンは、少し前に仮眠に入った。ゴッチがいる限り、眠りを妨げる事の出来る者などいない
周囲を取り囲むアナリア王国の兵士達は恐慌寸前である。この惨状を見れば、ゴッチに立ち向かう事の恐ろしさが知れると言うものだ
ゴッチは途中乱戦に参加してきた魔獣使いの虎の骸に腰掛け、懐を探る
気付かず、舌打ちしていた。ここ暫くこんな癖が出たことは無かったのに、今になって出てきてしまった。葉巻を探して懐を弄っても、持って来ていないのだから在る筈が無い
ジューダっつったか。逃げ足だけは大したもんだ。ゴッチは絶命した虎の喉を撫でながら言った。どんなに生意気な猫でも、死んでしまえば取るに足らない、可愛い物だった
「ダァァージリン、そろそろ起きろ。俺様の体力と回復力を持ってしても、やっぱキツイぜ。逃げるぞ、いい加減」
傍らのダージリンに声を掛けると、予想通り、既に起きていたかのような軽快さでダージリンは身を起こした
周囲を囲む兵士達が息を呑む。ゴッチが首を鳴らしながら立ち上がったからだ。この怪獣の挙動の一つ一つが、兵士達の恐怖を煽る
「あぁ……暴れた暴れた。暫く荒事は要らんわ。腹ぁ、いっぱいだぜ……」
「ゴーレム……状況は……?」
「大勝よ、このまま勝ち逃げだぁな」
ゴッチが黙って肩を貸す。隙だらけだったが、周囲の兵士達が襲い掛かってくる気配はない
賢明であると、ゴッチのみならず、ダージリンも思う。この男に勝つのは、不可能だ
「こうまで徹底的に恐怖と屈辱を捻じ込まれては、ゴーレムは、永遠にこの国の恐怖の対象になるだろうな」
「上等じゃねーか。……オラ、ファルコン様のお通りだ! 転がってる奴等みてぇにはなりたくねぇだろ、大人しく道を開けやがれ!」
ゴッチがダージリンと共に一歩踏み出せば、包囲の輪もつられて動く
ざりざりと、ゴッチの周りを取り囲みながら動くみっともない集団は、命令のため逃げることも出来ず、しかし立ち向かっても勝つこと適わず、最早進退窮まっていた
その無様な体たらくを、ゴッチは遠慮容赦なく存分に嘲笑うのだった
――
ダージリンを背負いつつ、早足で街道を進むゴッチは、酷く上機嫌だった。背後を侍女が、瞳を潤ませながら着いてくる
「で、堂々と門から出てきた訳よ。ひっひっひ、完全勝利だったな」
「桁外れな男だ、お前は。しかし、お前にも執着する物があるとは思わなんだ。しかもそれが」
女とは。アーリアを出て直ぐの位置、街道沿いの森に隠れていたカザンは、ゴッチの語った話を疑いもせず受け入れた
嘘か真か、実はどちらでも構わないと言うのもあったし、ゴッチであれば不可能ではない、と言う考えもまぁ在った
カザンは配下の銀剣兵団の内、精鋭中の精鋭五名だけを連れて、ダージリンの護衛を買って出た。この期に及んではカザンにも、ダージリンにも、安息の地は無い。反乱軍に占領され、アナリア王国の支配力が及ばない状況になっている東へと、速やかに逃げる必要がある
この事は、ダージリン自身がカザンと話し合って纏めた事だ。ゴッチに口を挟む余地はなかった
「それよりも、カザン。手前は一体何してたんだ? 何故、あんな所で俺を待っていた」
「…………まぁ、何と言うかな。勘が働いたと言うか。ベルカから、お前がダージリン殿の賓客である、と言う話は聞いていた。もしかすると、ダージリン殿を救い出して来るか、と当りをつけていた」
「処刑の話はどうやって知った。私は、カザン殿の話は聞いていたが、銀剣兵団が揃って出奔したと言う話は聞いていない。つまり、私の処刑騒ぎと銀剣兵団の件は、間を置かず起きたと言うことだろう? 早々に逃げねばならぬ立場の割には、察しが良過ぎないか」
ゴッチの背で目を閉じていたダージリンが、唐突に会話に割って入った
カザンは顎に手をやって少し黙考すると、配下を一人手招きする
人を安心させる笑みを顔に貼り付けた、中年の男だった。男は一礼すると、ダモンです、と名乗った
「都合上こんな成りをしているが、彼は反乱軍からの使者だ」
「わはは、カザン殿、反乱軍とは手酷いですな」
ダモンはわざとらしく頬を掻いて、悪戯っぽく言った
「アナリア解放軍、若しくは、エルンスト軍と呼んでくだされ」
なるほど、とゴッチは嫌らしく笑う。どうやら、先日好き勝手に面白おかしく想像した法螺話は、意外と的外れと言う訳でも無かったらしい
「ウルガを焚きつけたのもコイツか」
「その件については、拳をくれてやった」
「はっはっは、首が捥げるかと思いました。実を言えば今回のこと、冷や汗物でしたよ。たった一人でダージリン殿を助け出してくる男が居る等と、何かの冗談としか思えませんでしたので。一刻も早く逃げねばならない状況です故」
カザンが苦笑した。ダモンは、飽くまでも悪びれない。この愛嬌がこの男の武器であることは、容易に知れる
ダージリンがゴッチの首筋に頭を埋めて、再び目を閉じた。何かを諦めたような、厭世的な雰囲気が漂う
ゴッチが首を傾げれば、ダージリンは何でも無いように応えた
「もう、良いのだ。大体解った。……魔術師のすることなど、何処に行っても変わりはしない」
何か嫌な感じだな、とゴッチは眉を顰めた
――
そうこうしつつ半日も進めば、ベルカ達が待っていた。ベルカの俎板と見紛う薄い胸板は、今日も健在だ
そんな事をぼそりと呟けば、凄まじい眼光が飛んできた。気がする。当然ゴッチは無視したが
少数ながらも馬を確保しており、体調の宜しくないダージリンの移動手段になるらしかった
ロベルトマリンでは、乗馬などする奴は居ない。馬自体がそれほど居ないし、時折見つけたと思えば、殆どが市民権を得ているロベルトマリンの住民だ
ただの動物なのか、市民なのか、パッと見では解らないのが難点だった
ダージリンが侍女に支えられつつ、ゴッチと向き合う
「俺にも都合があるからよ、ここまでだ。まぁ、カザンのボケが居るなら大して問題ねぇだろ」
「…………そうか。ゴーレム、貴方には本当に世話になった。感謝している」
「おぉ、感謝しな。全く、何でこんな面倒事になったのやら、解らんぜ」
侍女がクスクスと笑った。彼女も半泣きになりながらゴッチに何度も感謝の言葉を述べ、いい加減煩わしい程であった
「……もし、東へ来ることがあったなら、私を探してくれ。どうせこの先、反乱軍に参加する他私に道は無い。そう難しくはない筈だ」
「ま、気が向いたら、な」
「気が向いたら、か。…………自分でもよく解らないが、私はもしかしたら、貴方のようになりたい…………かも、な」
首を傾げるゴッチを他所に、ダージリンと侍女はもう一度感謝を述べて、背を向けた
少し離れた位置で、カザン達が待っている。ウルガが何か言いたそうな顔で此方を見ていたのが印象的だった
それ程長くも無い付き合いだったが、気分の良い女だった。ゴッチはブラブラと手を振って、こちらも背を向ける
「……へ、まぁ、言い訳のネタぐらいにはなるだろ。悪い事ばかりじゃねーやな」
――
後書
調子に乗りすぎたぜヒャッホーィ。いい加減マンネリかも知らん。ダメだぁー。
スパシン臭がするな。いや、最強物としては間違ってないけど……。
全く関係のない話だが、ダージリンと言うキャラクターの開発コンセプトは邪気眼だった。