剛剣アシラッドを殴る時、奇妙な感覚がある。彼女は俊敏に攻め、俊敏に護る。攻め方は大胆で、護り方は意外にも堅実だ
だが攻めの気性が防御を捨てさせる事も多い。肉体への負担を抑えようとする意思を確かに感じるのに、時として実に簡単に命を投げ出そうとする気配がある
そして、何度痛打を与えても全く怯まない。彼女の精神は痛みを学習しない
「(このサイコパス、無痛症か!)」
ゴッチはアシラッドを投げ飛ばし、民家に叩きつけながら舌打ちした
止めを刺す余裕は無い。乱戦と言うのは大体そうだ。背後から鼻血をだらだらと流したロクショールが飛び掛ってくる。同時に、ホーク配下の騎士達が一斉に剣を突き出す
ゴッチは包囲の一角に向かってショルダータックルを敢行した。騎士の刃がゴッチの肩を傷付けたが、極軽傷だ。常軌を逸して硬く、そして柔軟性を失わない超硬度のゴムを思わせるゴッチの筋肉は、容易に刃を通さない段階まで来ている
騎士を二人盛大に昏倒させて囲みを破り、追撃に対応するため振り返る。……前に、起き上がったアシラッドが嬌声を上げながら襲い掛かってきた
「ゴッチぃぃぃ殿ぉぉぉー! 私を、受け止めてぇぇぇー!!」
「うるせぇ!」
「殺ったァ!」
絶叫するアシラッドと、気勢を上げるホーク。そしてホーク配下の騎士達を押し退けて、ロクショール
「雷獣! 御首頂戴!」
そこに、怒り心頭と言うべき形相のラーラが飛び込んでくる
「いい加減にしろ貴様等!」
炎の壁が吹き上がり、もっともゴッチに近かったアシラッドとホークを舐った。寸前で身を引いたホークは篭手を焼き焦がされるだけで済んだが、既に剣を振り被っていたアシラッドは炎の奔流を受け、肉体が爛れる痛みに悶絶する
「ほぉ、炭にしてやる心算だったが。何の加護やら」
驚いたようなラーラの呟きと、聞くに堪えない悲鳴。ゴッチは舌打ちしながらもその隙を見逃さずアシラッドにボディブローを放った
既に拉げていた鎧を今度こそ鉄屑に変えながら、ゴッチの拳はアシラッドを貫いた。放り投げられたボールのように地面を転がりアシラッドは動かなくなる
炎の一舐めで肉体に痛打を入れた瞬間、何らかの臓器が複数破裂する感触があった
死んだな、とゴッチは感じた
「あーあ気にいらねぇ! 死にやがった! ラーラ、この馬鹿が!」
「そんな場合か!」
「何様の心算だ?! あぁ?!」
「だからそんな事を……!」
「押し包め! 命を捨てる覚悟でだ!」
ホークの鋭い声が飛ぶ。彼の配下は疲労しきっていたがそれでも命令に服従し、盾を前面に押し出して全方位からゴッチとラーラに迫った
そして誰よりも早く走るのは矢張りロクショールだ。金の髪を鬣のように風に躍らせ跳躍すると、蜂が刺すように鋭く突きを繰り出してくる
狙いはラーラ。ゴッチの盾になるように仁王立ちする炎の魔術師は、最早避けて通れない相手だと覚悟したのだ。狙われたラーラはゴッチ直伝のファイティングポーズに瞬時に移行し、両の足を流れるように後方へ滑らせる
スウェーバックだ。眼球の前まで恐ろしく伸びてきたロクショールの突きに戦慄しながら、ラーラは頭を低くして今度は前へと足を滑らせる
正にクソ度胸と無謀さを兼ね備えた突撃だった
短い回転範囲ながらも十分に遠心力の乗ったフック気味の拳がロクショールを打ち据える。ロクショールは込み上げて来るどうしようもない吐き気と痛みに膝から崩れ落ちた。ラーラは其処から更にロクショールを蹴り転がし、とどめに鳩尾にストンプを加え、徹底的に痛め付ける
「ら、らぁい……獣ぅ……ぅ」
「あぁ! だから嫌だったんだ!」
ゴッチは失神したロクショールを横目で確認し、うんざりだとでも言いたげに悪態を吐いた。そうしていながらも次々襲い来るマグダラ騎士達を悉く粉砕し、ラーラに寄せ付けない
絶叫を上げる一人の騎士の腹に変則的なトゥーキックを突き込み、その背後から飛び出してくる騎士をダッキングからのアッパーで瞬殺する。ゴッチは舌打ちした
次々襲い掛かる有象無象の群れを次々と返り討ちにし、這い蹲らせ、最後に躍り出てきたホークの両手首を握り締める事で封じる
「ご、ゴッチぃ……、まだ、マグダラ軍団は……」
両手を捻り挙げられ、痛みから脂汗を流すホーク。ゴッチは軽く、そう、軽く頭突きを食らわせてホークを昏倒させた。そして吐き出した言葉は、やっぱり罵声だった。心底がっかりしていた
「見ろ、この有様だ。健気に助け合って俺に挑みかかってきた虫けらどもの努力が全部台無しだ。この馬鹿女が」
ラーラは流石に反論した。鼻を鳴らす様はゴッチに負けず劣らず怒っていた
「少しばかり危うそうに見えましたが?」
「だったらどうした。折角上々の気分だったのによぅ……」
「……ボスの身を案じ、助けに入った私をぶっ殺すとか仰られましたな、そういえば」
「あぁ? マジでぶっ殺してやったって俺は構わねぇんだぜ」
「おい、お前達」
腕組みして展開を見守っていたゼドガンが、とうとう動いた
首を鳴らして肩を解すと、背中の巨剣の柄に手を掛ける
「まだ終わっていないぞ」
あぁその通りだ、とゴッチは返した。ゴッチがゼドガンの事を忘れる筈が無かった
飄々としていて良く解らないが、戦いに喜びを見出す男だ。ゼドガンが戦いたくてこんな事をしたと言うなら、ゴッチだってもういい加減それを拒むことは無い
怒りが頭の天辺まで来ているのだ。今更奴の負傷、或いは死を厭う事があるか
「……おう、これがお前の望みか? どうしても俺と戦りてぇってんだな」
「そうだ。だが、今はそういう事を言っているのじゃぁ無いぞ」
「あ?」
ゼドガンはゴッチの頭上を指差す。正確には広場に存在する神々の聖堂、その屋根の上だ
ゼドガンの指に吸い寄せられるようにして上を見上げたゴッチが見たのは、青白い影が其処から飛び降りる瞬間だった
ダージリン・マグダラ。黒いローブを脱ぎ捨てた彼女は、白と青の装束をはためかせながら、両足を折り曲げた体勢で、鷹のように飛んだ
――
ラーラは大声で命令していた。咄嗟の事態に指揮官としてよく反応していた
「全員散れ! 逃げろ! 決着が付くまで決してここには近付くな! 砂の首巻は動けない者を担げ!」
巨大な氷塊が瞬きする間に空中に出現する。これを予期しえた者は居らず、動揺しない者もまた皆無だ。ダージリン配下のごろつき達は悲鳴を上げながら逃げ始める
ダージリンの魔術の成せる技であった。噴水広場全体を纏めて押し潰さんとするその巨大な氷の塊に、流石のゴッチも唖然とした
本当に瞬く間だった。ダージリンが空中で突き出した右手に小さな氷の塊が現れたかと思ったら、それは周囲の大気から“何か”を急激に吸い上げ、ゴッチの体積の十倍以上もの質量へと変化していた
「ぐあっしゃぁぁぁぁ!!」
家屋や広場のオブジェを破壊しながら降って来た氷塊を、ゴッチは気合の掛け声と共に受け止める
一tは確実にある。しかし見た目ほど重くないのが唯一の救いだ。嬉しくもなんとも無いウェイトリフティングにゴッチは悲鳴を上げる事になる
クソッタレ
「クソッタレぇぇ!」
身を屈めたゼドガンがちゃっかり気絶したロクショールを担ぎ上げていた。当然ゴッチにそれを咎める余裕など無い。同じように身を屈めたラーラに怒鳴りつける
「ラーラ! 潰れた蛙みてぇになりたくなきゃ何とかしろ!」
「言われずとも!」
ラーラは両の手をゴッチの支える氷塊に差し伸べた。ゴッチが掌に奇妙な振動を感じたかと思うとダージリンの繰り出した氷塊は一瞬で融け落ち、大量の水となってゴッチやラーラ、広場に倒れ伏す者達を濡らす
そしてその瞬間を待っていたかのように、ダージリンがゴッチの上に振ってくる。左の手に凍て付く風、右の手に氷の剣
眼光は鋭く妖しい光が渦を巻き、髪はより冷たい白銀色に光り輝いている。平素の冷淡かつ無感動な鉄面皮は崩れ去り、口端を戦慄かせて叫んでいた
「ゴォォォレェェェムッ!!」
当然、その程度のことでゴッチが怯むわけが無い
「掛かって来いやァァッ!!」
ダージリンが右手の剣を振り翳し、冷気を纏った左手を這わせれば、それは先ほどの氷塊のように急激に質量を増大させた
ダージリンの身の丈を越える氷の剣だ。ゴッチは身を屈めて全身の筋肉に力を込めると、拳を振り被る
激突の瞬間、パンチ
と見せかけて、身体を一回転させてキック
それはダージリンが剣を繰り出すタイミングをずらし、虚を付いた。氷の剣を身を捻ることでかわしつつ、刀身に痛烈な蹴りを叩き込む
氷の剣は根元から折れ飛び、ゴッチはダージリンを見事にキャッチしていた。すっぽりと懐に収まったダージリンの細い首を完全に捕らえたゴッチは、情け容赦なく締め落としに掛かった
「呆気ねぇ……つまらねぇ展開だ……。終りってのは……。ラーラ! てめぇのせいだぞ!」
「まだ仰るか。呆れた方だ」
ミチミチと肉を絞る音がする。小さな音だったが、ダージリンの血流を停止させているのは想像に難くない
ゴッチはダージリンの耳元で囁くように続ける
「まぁ、最後にそこそこ根性見せたな、ダージリン」
耳障りな呼吸音。苦しさに喘ぐダージリンはガクガクと身体を揺らしながらゴッチの腕に手を這わせる
そして掠れ声で何事か呟いた
「……うぅぅ……れ、し……いぃ……」
「……あ?」
ゴッチは肉体の異常に気付いた。四肢が急激に熱を失い、ゴッチの制御を離れようとしていた
ダージリンが手を這わせたゴッチの腕。表面にうっすらと霜が張り、浮き上がった血管は青く変色している
「ボス! 早く始末を!」
拙い、と思ったときは既に遅かった。ゴッチの手はピクリとも動かせず、足は氷付けにされて地面に縫い付けられていた
ダージリンがするりと指を動かせばゴッチの腕が何かに操られるようにゆっくりと開いていく。ラーラが血相を変えて両手に炎を纏わせる
血流が回復し、もんどりうって倒れたダージリンにラーラは飛び掛る。そこに氷の壁が地面から競り上がった
「これは、融けない……?!」
氷壁に肩からぶつかっていったラーラは全身から炎を噴出させた。しかし、融けない
それどころか氷壁は聞き慣れないメキメキと言う異音を発しながら自己を肥大させた。瞬く間に大きく、高くなり、広場の端から端まで伸びてゴッチとダージリンを寸断したのだ
こんな程度で足止め出来る心算か、とラーラは吐いた。氷の壁の向こう側、光の屈折によって歪に歪んだダージリンが、妖しく爛々と光る目でラーラを睨む
「こんなモンでぇ……!」
一方ゴッチの肉体は明確な異常に対し代謝機能を極めて増大させて発熱を図る。ピクシーアメーバの細胞は活発化し、多量の発汗とゴッチの意図しない放電が始まった。ゴッチは熱い息を吐きながら片足ずつ振り上げて氷を砕く
腕も足も辛うじて動く状態にはなった。ゴッチは全身に青白い電流を走らせながら、震える両腕を引き寄せてファイティングポーズを取る
「ゲェ、カハッ、……前に、そうして、やった賊は……、三つ数える間に動けなくなった」
ふらつきながらダージリンが立ち上がる。近付かなければやられる、とゴッチは思った。ダージリンを相手取って選択を誤れば、敗北すると感じた
「流石にゴーレムは違う」
「笑わせんじゃねぇよ」
ゴッチは身を屈めて前進した。足の状態は怪しかったがそれでも動いてくれていた
激しい運動と共に己の血の巡りを感じた。ゾッとするほどに冷えている。心臓が激しく痛み、身を絞られるような違和感がある
前進を阻むように生み出された氷壁をショルダータックルで叩き割る
ダージリンは転がるようにしてゴッチから距離を取っていた。その周囲には僅かに輝く小さな氷の結晶が舞う。冷気が渦を巻き、今にもゴッチに向けて襲い掛かろうとしている
ゴッチは右手を振り払った。全身を走っていた電流がそこに収束し、紫へと変色する
「ダァァージリンッ!!」
死んでも恨むなよ
ゴッチはそう思った。つまり、ダージリンを殺してしまう可能性があり、そうなっても仕方が無いと考えた。なんだかんだとゴッチはこれまでダージリンに対しては殺意と呼べるほど明確な物を持っていなかった事に気付く
はずみで死ぬのはあり得る事だが、殺す心算で掛かるのは……
――腑抜けた、知恵の巡りの悪い考えだ。ゴッチは気勢と共に下らない思考を押し流す
突き出されたゴッチの右手。紫電がのたうちながらダージリンへと走り、引き裂かれた空気が異音を放つ
紫色の稲妻はダージリンの周囲に漂う結晶の渦に直撃し、そしてそれを突破出来なかった。無数の結晶の領域に飛び込んだ稲妻は急激に勢いを失い、霧散してしまったのだ
「あぁ、やっぱり理屈がわからねぇ!」
ゴッチはがぁぁと唸り声を上げ前進を続ける。距離を取られる訳には行かない。稲妻が通用しないなら、己の最も信頼する暴力で叩き伏せるしかない
「でも死ねィッ!!」
ダージリンは逃げなかった。それどころかゴッチに立ち向かうため、前に進んだのだ
ゴッチは驚いた。ダージリンが自分に対してそれをするのは完全な悪手だと思っていた。そしてだからこそダージリンがそれをする筈は無いと
些か虚を突かれた。しかしその程度で怯みはしない。ゴッチは即座に姿勢を整え、左のジャブを放った
ジャブはジャブでも、ゴッチのジャブだ。それはダージリンの額に直撃し、ゴパ、と言う打撃音とは思えない奇怪な音と共にダージリンの身体を跳ね上げる
ダージリンは僅かに身を引き、顎を下げていた。辛うじて打点をずらして威力を殺し、最も硬いと思われる頭蓋骨部分で受け止めたのだろう。ゴッチの元の狙いは顎先だ
しかしそんな事は本来問題にならない。その程度の要素はゴッチの膂力を前に防御策足り得ない
氷晶の渦が問題だ。キラキラと漂う結晶の領域に拳が侵入した瞬間、急に手が重たくなった。粘度の中に無理やり拳を通すような感触。氷壁を破られたダージリンは早くも防御策を改めたらしい。有効打では無い
ダージリンは確かに大きく仰け反った。しかし、目が
ダージリンの爛々と光る目は、ゴッチを捉えて離さない
ゴッチはジャブを引き戻す。胸と腹の筋肉が捻り上げられ、撓る。極めてコンパクトな上半身の回転運動。左腕を引き寄せる運動力を利用した、強力な右ストレート
コンビネーションパンチの本命がダージリンに襲い掛かる
呼吸音すら聞き取れる距離、必中の間合い
その筈だった
「ゴーレム」
右の拳はラーラの心臓の手前、何も無い空間で止まっていた。先程よりも尚硬い、土嚢でも殴ったような感触はあった
無数の氷の結晶が儚い燐光と共に舞う。その空間の半ばほど。そこから一向に進もうとしない
ゴッチは顔色を変えた。ダージリンがゴッチに対し両手を差し出してくる
其処から三本の氷柱が出現し、ゴッチの胸、腹、右足の太腿に突き刺さった
肺と腸を傷つけられ、血を吐きながらゴッチは吹き飛ばされた
――
氷塊によって半壊状態にあった家屋の扉を突き破ったゴッチは仰向けのまま少しジッとしていた
異常な冷気を放つ己の肉体に打ち込まれた三つの氷柱。血液の熱を受けても全く溶け出す気配がなく、それどころか傷口が氷柱の表面に張り付いてしまっている
「(何だ、あの甘ったれ。やるじゃねぇか)」
ゴッチは無言で氷柱に手を伸ばし、張り付いた肉がべりべりと千切れ剥がれるのも構わず氷柱を引きずり出した
激痛だった。アシラッドから受けた痛みすら凌ぐ
「……俺のパンチが……」
同時に、声に出す程度には、ショックを受けていた
ゴッチはこの異世界の人間と言う物を完全に見下していた。知能指数は知らないが、少なくとも肉体的な性能では圧倒的に劣る相手だ
……というのは抜きにして
やはり、自慢の拳が完全に止められたというのが、ショックだった
パワー、タフネス、そして発電能力。ゴッチは徒手空拳のまま小火器で武装した特殊部隊兵士にだって立ち向かえる
それが、年端も行かない小娘に
「……まだ負けてねぇ。お遊び気分が過ぎただけだ。……そうさ、負けちゃいねぇ……!」
ゴッチは三つの氷柱全てを取り除くと、のそりと起き上がって家屋を出た
外では荒い息を吐くダージリンと今にも襲い掛からんとするラーラが向かい合っている。ラーラがやっとの思いで突破した氷壁が融け落ちていくのが見えた
「ボス……き、傷が」
ゴッチの気配に振り返り、その肉体に空いた大穴からぼたぼたと零れ落ちる血を見て流石のラーラも蒼褪めた。極低温下に置かれた周辺の細胞が十全に機能せず、回復が遅々として進まない
だが、ゴッチは笑っていた
「ゴーレム」
「おいダージリン」
「……」
「おい、ダージリン!」
どこかおびえたような、唖然としたような、とぼけた表情のダージリン
ゴッチは気にしない
「てめぇ、やりゃぁ出来るじゃねぇか!」
頭痛に顔を顰めたのはラーラだ
胸と腹と足に尋常でない大穴をあけられていながら敵を賞賛するのか、しかもああも楽しげに
獰猛そうに笑ってみせるゴッチ。ラーラの頭痛が増す
「私を……褒めたのか? 私を認めたのか?」
「何だと? ……餓鬼臭ぇ事言ってんじゃねぇ。もっとシャキッとしろよ」
「…………ゴーレム、私は貴方を傷つけた」
「あぁ。腹の底からひんやりさせられたぜ。……頭も冷えて良い気分だ。もう1ラウンドと行こうじゃねぇか」
「ゴーレム、私は、私は、本当は」
ダージリンは肩を落として俯いた。戦いを続行しようとする気配は既に無い
ゴッチはくだらねぇと吐き捨てた
「……私は」
「テメェの目的なんぞ知らねぇが、泣き言なんて聞かねぇぞ」
「………………良いじゃないか……良いじゃないか!」
「あぁ?」
ぼろぼろと目の両端から涙の粒を零しながらダージリンは喚いた。幼児のような泣き顔にゴッチは声を荒げざるを得ない
突然の暴れぶりと、その後の狼狽振り。躁鬱と情緒不安定だ
境遇から精神疾患を持っていても不思議ではなかったが、ゴッチはそういった手合いが得意ではない
「何が良いんだよ。俺に何をさせてぇ。この俺がお前の思い通りに動くと、本気で思うのか?」
「私は本当はマグダラじゃないんだ! そうさ、私は凍った谷の裂け目でマクレーン様に拾われただけ! 本当に人間かどうかも定かじゃない!」
「聞いてねぇよそんな事……。俺はお前のお涙頂戴なんぞどうでも良い」
「私への義理立ての為に父も兄も窮地に立つことになった。人々は私を受け入れない。私は溶け込めないんだ。何処に行っても、誰と居ても、私は」
ゴッチはダージリンの胸倉を掴み上げた
「いい加減にしろ! しらねぇよ馬鹿が! シャキッとしろって言ったじゃねぇか! 聞いてもいねぇことをベラベラとこの気狂い女が!!」
「優しくしろよ! もっと私に優しくしろよ! 私はどうすれば良いんだ……! ゴーレムにまで拒絶されたら、もうどうしようもないじゃないか! 何処に行けって言うんだ!」
ゴッチに掴み上げられたままダージリンは泣き喚き、ゴッチの分厚い胸板を何度も何度も叩いた
現実を受け入れられない、自分の思い通りになら無い事に腹を立てる子供その物だ。何ともいえない空気に口を噤んでいたラーラも唖然とする
「このような……幼稚な女に、今までしてやられていたと言うのか……」
「うるさい! うるさい! お前だって私を拒絶する! お前はいいだろうな! 勝手に私を目の仇にして八つ当たりするんだ!」
「……それは、お前が余りにも図々しいから……」
「お前が良くて何で私が駄目なんだ! 私の方が、もっとずっと戦えるのに!」
ゴッチの手を振り払い泣き喚くダージリンの様には狂気が在った。長く、執拗に精神を追い詰められた人間の形相だ。ロベルトマリンの肥溜めでゴッチはこういった顔を何人分も見てきた
ゴッチは唾を吐いて地面を蹴り払った。瓦礫を退かして皺と埃だらけになったドレスシャツとスーツを引っ張り出し、乱暴な手付きで汚れを払う
特殊な繊維の頑丈な仕立てで損傷が見られない。この下らない戦いの中での最大の救いだ
「ゴーレム!」
ゴッチは無視して歩き出した。滅茶苦茶になった地面に足を取られ、転がるように走りながらダージリンは追い縋った
「私は強い! そうだろう?!」
珍妙な光景だった。呆けたような表情でラーラは見送る。ずんずん歩いていくゴッチと、置いてけぼりにされそうな子供のようにその後ろを走るダージリン
ダージリンの必死な様子はラーラを困惑させた。人らしい感情の無い、氷の人形とまで罵った相手だ
それが今は、哀れなほどに泣き喚いている
「待って!」
「離れろ」
「ゴーレムが望むならもっと強くなる! 戦いが貴方を満たすなら、私がそれになれる! あの炎の魔術師のように敵と戦えと言うなら、誰よりも上手く戦って見せよう!」
「離れろ、クソッタレ」
ゴッチはダージリンの腕を捻り上げ、それから乱暴に突き飛ばした。尻餅着いて倒れるダージリン
明確な拒絶にダージリンは絶望の表情を浮かべる。ゴッチは全く感情の無い無表情のままで、冷たくダージリンを見下ろした
「イライラするぜ、お前」
呼吸を止めたダージリンの横をゴッチは擦り抜けていく
「…………クソッタレゼドガンは何処へ行きやがった?」
涼しげな大剣の男はロクショールを担いでとっくの昔に逃げ遂せたようだった
非常に残念だとゴッチは感じた。ゴッチはもう誰でも良いから、ぶちのめして、ぶちのめして、ぶちのめしたい気分だった
――
「きょーうだい」
妙に鼻に掛かる声を出したレッドに、ゴッチは露骨に眉を顰めた
ゴッチの屋敷は喧騒に包まれており、ロージンとラーラが必要な指示を出している。ゴッチは一人執務室に篭り、ジッと身体を休めている
激しく傷付いた身体は問題ない。しかし、それによって消耗している所を下部組織のゴロツキ達に見られる訳には行かなかった
傷を負って尚怯まないのは見る者に畏怖を植え付ける。しかし弱弱しい姿を晒すのは良くない
「誰も入るなと言った筈だ」
「堅ぇ事言うんじゃねーだぜ」
じくじくと痛む三つの傷は漸く肉が盛り上がってきた所だった。ピクシーアメーバの再生能力を阻害し得る条件は幾つかある。許容範囲を超えた湿度。そして超低温下での代謝能力の停止。他にも少々
だが、氷柱を腹にぶち込まれた程度ではそんな事にはならない。魔術と言う奴は矢張り言い表せない何かがある
「ほら」
レッドがゴッチの目の前、黒檀の執務卓の上に腰を下ろし、赤いギターを出現させる。空中から滲み出るようにして現れた真紅のフライングVの光沢に、視線が吸い寄せられる
「敵意を解いて。誰にも見せられなくても、俺は信用してくれだぜ」
レッドが物静かにアルペジオを始めた。フライングVのボディに埋め込まれたミニアンプが優しく鳴き始める
青い燐光がゴッチの周囲に浮き上がる。それらはゴッチの傷に吸い寄せられていき、じわりと熱を持った
「うわぁ、ダっちゃん結構マジだぜ。よく生きてたなぁ、兄弟」
「あんな甘ったれに俺が殺せるかよ」
「クリムゾンジャケットのソロライブをお楽しみ下さいだぜ。四十分ぐらい」
ゴッチは目を伏せた。レッドは何も言わずに弦を弾き続ける
「……レッド」
「うんー?」
「…………首尾は」
「ルークちゃんは上手くラグランと繋ぎを取ったみたいだぜ。その内吉報を運んでくるだぜ?」
「……なら、良い。ここまで暴れたんだ。成果なしじゃ笑えねぇ」
聞きたいのはそんなんじゃねぇだぜ?
レッドはすまし顔で言って見せる
「……ダージリンは、何なんだありゃ」
「何なんだって何なんだぜ」
「何にビビッてやがる。病気だぜ、アイツは」
「……まぁ、精神病になったってしゃーねーだぜ。朝も、夜も、飯の時も、眠る時も、所構わずふとした拍子にダっちゃんは囁き声を聞くのさ」
「囁き声……?」
レッドは唸った。似合わない顰め面をしていた
「ねー兄弟」
「……」
「ダっちゃんの事嫌いなんだぜ?」
「あぁ嫌いだね。あんな奴はどこへでも行ってのたれじねば良いのさ」
「じゃぁ何で気にすんの」
ゴッチは背を丸めた。ジルダウを恐怖で支配する男には似合わない仕草だ
背を丸め、腰を折り、片膝を抱え、ゴッチは少年のように身を護った
「……白い髪、赤い目、華奢な肩、遠慮がちな唇……とかよぅ」
レッドはアルペジオを続ける。ゴッチの声はか細い
「本当、嫌になるくらいに……似てやがるんだ……」
ダージリン、ラーラ、イノンもそうだが、彼女たちが時折見せる仕草、それに重なる何者かの影
ゴッチは思い出す。レッドは切なそうな顔をした
「お母さんだぜ?」
――
後書
ゴッチは白髪フェチ
ダージリンはヤンデレ
ハッキリわかんだね
今回やりたいことが先行して「コイツはこうじゃねぇだろう」見たいな感覚がバリバリ出ちゃったな……