ファイティングポーズに力が籠る
ゴッチは割と怪我をする方だ。ロベルトマリンの平均から見ても常軌を逸したタフネスと回復能力を持つから、「自分は死なない」と信じ切ってしまう
だから痛みに強く傷を恐れない。本人の獰猛な気質もあるが、ゴッチのような特異な身体能力を持つ者は、大体そうだ
ゴッチにとっての重傷と言う奴は余人にとっては全く違う。常人には致命傷となる物を、ゴッチは耐え抜く。大抵を取るに足らない軽度の物と捨て置いてしまう
逆にゴッチがハッキリ“重症だ”と感じる傷を負わされた時、それを稀な事態だと自覚しているゴッチは激発する。これもまた、本人の獰猛な気質が後押ししている
詰まりゴッチ・バベルと言う男は、傷を負ってからが本物だった
「内臓抉られたのは久しぶりだぜ」
ゴッチは舌打ちしながら突き破られたドレスシャツ越しに二つの傷を抑えた
傷はゴッチの筋肉の操作により圧迫されて既に止血が完了している。そして今も目に見える速度で細胞が盛り上がり、治癒が続いている
露出しておらず目にすることは無いが、腸も大体同じだ
ゴッチは脊髄に熱が走るのを感じた。激しい怒りと、僅かな尊敬だ。激しい感情に己が支配される予兆を感じている
脳が怒りに塗り潰される過程をハッキリと感じとりながら、ゴッチは思う
大体、何時も、命の危機を感じる事はある。“こちらの世界”でも多くは無いがそれはあった
かつて殴り倒したアシュレイと骨の竜などそうだった。カザンも得意の獲物を持って本気になったら解らない。北の山のなんたらとか言うゴーストの親玉もレッドに言わせれば危うい状況だったらしい。ダージリンだって今ハッキリしたが、十分に自分を殺傷するに足るポテンシャルを持っている
命の危険はある。ゴッチは完全に無敵ではない
だが、そんな漫然とした“命の危機”よりも
今しがた腹に突き込まれた二本の鉄の塊の方がよほど
“俺を感じさせた”
「ダージリン、ロクなんとかってぇあのメスガキ、それにイカレたクソ尼。……お前だお前、この変態女
揃いも揃って……俺を本当に怒らせる……女どもだァッ!」
ゴッチは叫んだ。滅茶苦茶な叫びだった
野獣のような男お得意の野獣のような咆哮と言う奴で、全身に雷光を迸らせ、眩いばかりの閃電の中で只管に絶叫する様は、本当に人知を超えていた
「うおおおあぁぁッ! あぁぁぁぁらぁぁぁぁッ!!!」
青天の空に雷が走る。落雷ではない。怒髪天を突く勢いのゴッチから放たれた雷光が天空に向かって走ったのだ
轟音と超常の出来事に戦場が凍り付く。ゴッチの雄叫びに恐れ慄くのは当然マグダラ軍団だけではなく、ラーラの配下達もだ
天へと昇って行った雷光が消えても、ゴッチの体から放出される稲妻は収まらない。耳に残る奇妙な異音と共に、静かに、しかし力強くその屈強な体躯を這い回っている
「こっからは遊びじゃねぇぞ」
明らかに放つ雰囲気が違っていた。ゴッチはよく怒る男だが、これは一際違っていた
「違う、私じゃない、私が……」
「うぅぅるせぇぇ!」
「私、違う!」
ダージリンが駄々を捏ねる様に泣き喚いた。何時もの取り澄ました顔からは絶対に想像できない取り乱し方だ
「その通り彼女ではなく、私ですともぉ!」
逆に喜び勇んだのが誰もが知っている血塗れ騎士、剛剣アシラッドだ。喜色満面の様子で隠し持っていた予備の長剣を二本抜き放ち、腕を開いて切先を地面へと向ける
「この……アシラッドですともぉぉ!!!」
アシラッドが上げたのはきゃっきゃと言う子供の様な笑い声だ。念願の玩具を手に入れた様子の彼女を見て、ゼドガンがロクショールの背中を叩く
幸い戦場は凍り付いてしまい、斬りかかってくる破落戸も居ない
「ほら、お前も行かんか」
「うおぉぉ!!」
ロクショールは雄叫びを上げて駆け出す。震える声は恐怖からではない
武者震いと言う奴だ。決着を求める心と憤った感情の解放を求める心が激しく燃え上がっていた
「勝負だ、雷の獣!」
鬼のような形相で
年頃の女子をしてこのように表現するのは本来難しい筈だが
本当に鬼のような形相で、ロクショールは挑戦状を叩き付ける
「馬鹿が!」
ゴッチは怒鳴り付けた。それのみで周囲の破落戸達が跪き許しを請う、凄まじい迫力であった
「お……お許し……お助けぇ……!」
ゴッチが怒鳴り付けたのは彼等ではないと言うのに、破落戸達は真剣に命乞いをした。この場でゴッチの恐ろしさを最も理解しているのは彼らなのかも知れなかった
「この俺に“勝負”だぁ?! 馬鹿がよォ! 調子に乗りやがって!!」
ゴッチは雷光を纏わせた右手で自らの目を覆う。そのまま爪が米神を引き裂いて多大な出血を引き起こすのも構わず、顔面を握り締めた
目が血走っていた
「(矢張り真正面からでは勝機は無い)」
ロクショールはゴッチの纏う雷光を見て考える。ロクショールとて雷を防ぐ都合の良い方法など持ってはいない
ロクショールにとって雷とは天から降る神の力だ。雷雲の中で起こる作用など彼女には知る由も無い。人知を超えた力と言う事だけが全てだ
だからロクショールは、ゴッチが本当に殺す気になれば一瞬で死ぬ。消し炭になる他ない
そしてそれはゼドガンの望むところではない。だからゼドガンはロクショールに事前に一つ言い含めていた
今が正にそれを実行する時だ
「よし、脱げ」
ゼドガンが何の気負いもなく言い放った言葉に従い、ロクショールはまず胸当てを外した
次に籠手と肘当てを外して放り捨て、シャツなど邪魔な布切れと言わんばかりのぞんざいさで破り捨てる様に脱ぎ去り、最後にはとうとう美しい乳房を覆い隠す肌着すら取り払ってしまう
「あぁ?! 何のつもりだコラァッ!」
「雷獣! お前の最も頼みとする物を打ち破りお前を圧倒する! お前を完全に敗けさせてやる!」
唖然とする周囲、更にボルテージを高めていくゴッチ
ロクショールは少しも怯まず、堂々と宣言した
「裸一貫! 私は剣士、剣以外の何も要らない! そしてお前は絶対に斬る! 勝負だと言ったんだ!! 決闘だ雷獣ッ!!」
決闘
何も言えなくなるゴッチ。呼吸が止まった。一瞬、静寂が満ちる
ゴッチは震えた。息が詰まって苦しくなって、身体が勝手に動いて緩慢な動きでスーツとドレスシャツを脱ぎ捨てる
露わになる赤銅色の肉体。鍛え込まれた鋼のようなそれが、みっともなくぶるぶると震えている。何らかの中毒患者のようですらある
何故そうしたかは解らない。本人にもよく解っていない
ただぶるぶると震える両手を握り締め、一言だけ放った
「…………死ね」
ゴッチの体を取り巻いていた雷が消え去る
代わりに肉体の凹凸がよりはっきりとなった。満身に力が籠められ、筋肉の伸縮が活発となり、その隆々さを露わにしているのだ
身の程知らずが。俺と対等だなんて勘違いした、正真正銘の箱入り娘が
馬鹿め
ゴッチが大地を踏み躙るようにして右足を前に出した。その様子を見てゼドガンは満足げに頷いた
「(そうすると思った)」
ゴッチは時に求道者のようにストイックだとゼドガンは思っている。これは大体の者を返答に困らせる持論だったが、ゼドガンは的中している自信がある
ゴッチ己の雷を余りに強力な武器として封印している節があった。当然、その強力さを恐れての事だなどと思ってはいない
ゴッチの持つ独特の美学の為だ。ダージリンの魔術の様な特殊な力を持たぬ相手に、ゴッチは積極的に雷を使わない
相手も自分も持つ物……少し違う感じがするが、対等の条件で相手を痛めつけ、屈服させ、優劣をハッキリさせる事に快感を覚えている
「(雷を操るからではなく……ゴッチ・バベルであるからこそ最強と)」
だからゴッチは単なる殺しならば兎も角、挑戦者を無碍にはしないと言う、言ってみれば何処か不思議な根拠のない確信がゼドガンにはあった
「(奴にはそういう自負がある。見ていて楽しい、難儀な男だ)」
其処に待ったを掛ける者が居た。ゴッチの今直ぐ首を圧し折りたい奴ランキング受賞圏内のアシラッドである
「ちょっと! 私が先でぇしょう!」
「…………」
「ゴッチ殿の悪名を聞くたび、ルーク君の話を聞くたび、私はずぅっとこうしようと思ってたんですよぉ」
「じゃぁ、“そうして”やるよ、纏めて死ね。……ダァージリン、テメェもだよぅ」
びくり、とダージリンは肩を震わせる。つい先程までゴッチと互角の戦いを繰り広げていたとは思えない狼狽ぶりで、眦には涙を溜めている
「わ、わた、私……」
「今になってビビったなんて言いやがったらゆるさねぇぞ」
「私、違う」
「本当の本当にゆるさねぇ、ゆるさねぇからな」
「あぁぁ……あぁぁー!! うわぁぁぁぁ!!!」
ゴッチ・バベルの静かな声に追い詰められ、ダージリンは悲鳴を上げた
最早ゴッチの要求する通り、凍て付く風を身に纏うしかなかった。少なくとも彼女の中に選択肢は無かった
「ボス! 私が……!」
ラーラが鬼気迫る表情で割り込もうとするが、ゴッチはそれにすら怒りを表す
「邪魔したらテメェもゆるさねぇ!」
「何を仰るか!」
「邪魔するなっつったッ!」
そんな様子を見つつ、さて、俺はどうしようかな、と呟いたゼドガンは大剣の柄に手を這わせていた
出来れば一騎打ちが良いな、と考えていた。ゼドガンは何時も飄々としていて、この場でもやっぱりそのままだった
よし、後にしよう。ゼドガンは腕を組み直し、事態を静観する。渇いた石畳を蹴り払い、堂々の仁王立ちの体勢
「俺は後で良いぞ」
ゴッチは無視した。ゼドガンを一目見遣って、そのまま視線を滑らせてホークを睨み付ける
ホークは無言だった。ただ一度、ちらりとダージリンを痛ましげに見るのみだった
「自業自得だ、手前等の」
ぼそり、と言う
決して崩れない鉄の壁。止められない動力。大力の野獣
ゴッチ・バベルは、ぼそりと、底冷えのする声で言う
「誰でも、何人でも、何使っても、何処からでも構わねぇ。
来いよ。死ね」
――
ホークが咆えた。彼の配下達は忠実にその声に従い、各々の獲物を構える
「ダージリンを援護!! この期に及んでは誇り高く戦うべし!!」
敵の大号令に我に返ったラーラは、しかし判断に迷う
邪魔をすれば許さないと言う。ゴッチは気位の高い男だ
どこまでだ? どこまでなのだ? ラーラは逡巡し、葛藤して、漸く指示を出す
「下がれお前達! 砂の首巻もだ!!」
ラーラと破落戸の集団は噴水を盾にするように広場の一角へと引き下がる
状況に慌てたのはアシラッドだ。彼女の目的はゴッチとの死闘であり、ロクショール程度の御邪魔虫が着いて来るのは覚悟していたが、マグダラ軍団までは想定していない
こうなればもうとにかく走るしかない。ごちゃっとした事になるのは間違いないから、走ってどうなる物とも思えないが
「ちょっとぉ待ちなさい! 私が先だと言ってるでしょうが!!」
我関せずと極限まで精神を集中させて鋭い切先を構えるのはロクショールだ
彼女は心の中から己とゴッチ以外の全てを排除した。今彼女の瞳に映るのはゴッチと、振り下すべき剣撃の道筋のみだ
そして矢張り、走る
「雷獣ぅぅぅーーッ!!」
ダージリンは錯乱の手前にあった。ダージリンは己の甘さを自覚した
ゴッチと戦って、そこから先が自分には無かった。子供の用に喚き散らして良く解らない感情をぶつけただけだ
このような展開は彼女の目的では無かった。ゴッチに力を証明したかった。それは即ちゴッチを殺傷せしめる事だが、彼女の望みはゴッチを傷つける事では無かった。二本の長剣がゴッチの腹に突き刺さった時、それに恐怖した
矛盾している。こんな心算じゃ無かった、こんな筈ではなかった
「(ゴーレムに見捨てられる。失望される)」
理路整然とした思考なぞ望むべくも無い。ギラリと自らを射竦めるゴッチの視線が、更にダージリンから冷静さを奪う
「(どうして私をそんな目で見る。私は強いじゃないか)」
嫌だ、とダージリンは叫んだ
何が嫌だと、理屈をつける事すらできないまま、ダージリンは氷の剣を握り締める
「……もう嫌だ……!」
――
ゴッチの背に騎士が一人組みついた。捨て身となってゴッチを抑え、味方に自分事貫かせる心算らしい
ゴッチは頭を思い切り反らして騎士の鼻面に後頭部を見舞う。鼻を砕かれて猛烈な鼻出血を起こしながらもゴッチを離そうとしない騎士に対して、ゴッチは感情を抑える事をしなかった
「邪魔ァッ!」
脇から回された騎士の手首を握力に任せて握り締めて粉砕する。絶叫する騎士の鎧の胸元に指を差し込んで、有無を言わせず引き摺り倒した
そして、軽く(ゴッチから見て)頭を踏みつける。騎士は石畳と熾烈な一騎討ちをする事になり、そのまま失神した
そこに兵士が飛び掛かってくる。綺麗な姿勢での綺麗な袈裟切りだ
ゴッチは気負いなくするりと足を前に出す。理論ではなく感覚で相手の距離感を乱し、相手の剣が振り下される直前にその肘に右ストレートを突き刺した
関節が逆方向に曲がる。兵士は歪な形になった己の腕を見て唖然とし、次に革鎧の留め金を掴まれて、力任せに放り投げられた
噴水の中に叩きこまれてそれきり起き上がらない
「シィィィ……」
口を“い”の形に歪ませたゴッチは、身を沈ませ、両腕を大きく広げながら独特の息を吐く
奇妙な迫力があった。その迫力に圧倒されて足を止めてしまった兵士に、ゴッチは踊り掛かる
腕を掴んで捻り上げる。激痛に身を捩り、体勢を崩した兵士をお手玉でもするかのように上に放り投げ、両足を掴んだ
ジャイアントスイングだ。ゴッチだって男だから、プロレス技だってこなす
「何だアレは……、まるで、人間を石ころか板切れみたいに……」
気合一発、ゴッチはジャイアントスイングで増大を続ける遠心力を開放し、兵士を自由にした。自由になった兵士は束の間自由に空を飛び、そして同僚の組んだ円陣に頭から突っ込む。自由の代価は高くついたようだ
「どうした……来いやァッ!」
怯んだ兵士達がゴッチの挑発に唸り声で返した。即座に戦列を組み直して盾を構える。その戦列の背後に控えていた弓兵達は、ゴッチただ一人を狙って斉射を行う
ゴッチは石畳に指を這わせる。適当なとっかかりを見つけると、矢張り恐ろしげな雄叫びを上げる
何らかの器具も、準備も無く、ゴッチは肉体の力のみで地面に埋め込まれていた石の板を引き摺り出した。大の大人よりも重量があるだろうそれを平然と持ち上げて盾代わりにし、終いには投擲の構えを取る
兵士達はもう堪らなかった。ホークはすぐさま命じた
「避けろ! 退避だ!」
必死になって兵士達は逃げた。空飛ぶ石版は一軒の家屋に激突し、石壁を粉々にして砕け散る
「雑兵は下がってぇ、なさぁぁーい! ゴッチ・バベルと踊るのはこの私ぃ! 剛剣アシラッドォォォーッ!!」
アシラッドのその絶叫は、発情しきった猫が媚びるような声にも聞こえた。アシラッドは二本の長剣を掌で回転させながら、とても全身鎧を着ているとは思えない速度でゴッチを目指す
その速度と来たら裸寸前のロクショールよりも早い。瞳に燃える危険な光は最早待ちきれないと言わんばかりにゴッチのみを見ている
「ジュラァ!」
独特の気勢と共にアシラッドは両腕を振り上げる
そのまま馬鹿正直に双剣を振り下してくる、と思いきや、僅かな時間差をつけている事にゴッチは気付いた
「洒落臭いわ!」
アシラッドの右の一撃をいなし、左の一撃を組み付く事で抑えた
鼻先が触れ合う距離でアシラッドは獰猛に笑い、頭突きを繰り出してくる
ゴッチはそれに頭突きで応えた。そして石頭で勝負してゴッチに勝てる者は、ロベルトマリンでもそうはいない
大仰に仰け反るアシラッドの右脇から、裸身を惜しげもなく晒しながらロクショールが飛び込んでくる
「ジャアッ!」
ゴッチは咄嗟に身を捩り、激しく鋭いロクショールの突きを寸前でかわした
アシラッドを押し退けてロクショールに備える。ロクショールは既に剣を引き戻し、第二撃目の準備を終えている
次の狙いは脳天。潔く思い切りの良い真直ぐな一撃だった
「ジャオアッ!」
ゴッチも黙っている心算は毛頭なかった。相手の攻撃に合わせ、身をかわすのではなく寧ろ前に出るのは、この男のお家芸だ
持ち前の勘で切先を見切り、糞度胸で踏み込んでいく
身を低く、低く、剣の下を潜り抜ける。ロクショールはゴッチとの身長差の問題から頭を狙おうと思えば天に挑むように剣を振らなければならない
自然、下段が疎かになる。ゴッチならば其処に踏み込むのは容易い事だった。必殺の間合いで拳を握り締め、ゴッチはにたりと笑った
「こっちこっちぃ!」
その時金属足甲に包まれた足が強力にゴッチの脇腹を穿つ
アシラッドの仕業であり、それは、そうだ。この女が黙って見ている訳がない。僅かにたたらを踏むゴッチ
そこに追い討ちをかけるようにアシラッドは体を回転させ、踊るように長剣を繰り出してくる
ゴッチは叫んだ。絶叫と共に右肩を前に出し、腰を深く落として左手を顔の高さまで上げ、体重バランスを取る
「ド戯けぃ!」
てつなんたら、とか言う奴だとゴッチは刹那の思考で考えた
ゴッチはボクシング等は熱心に学んだが、それぐらいの物だ。その歪なショルダータックル擬きも当然見よう見まねである
しかしその見よう見まねの一撃は剣閃の内側にするりと入り込み、見事にアシラッドを迎撃する。怪力によって繰り出された攻撃にアシラッドの鎧は拉げ、風に舞う木の葉のように吹き飛ばされる
「らぁいじゅうぅぅッ!!」
「かぁぁ!!」
「ジャアッ!!」
右手で柄を握り締め、左の掌を刃に這わせたロクショールは、身体を屈め引き絞るようにしながらゴッチに肉薄してきた
ロクショールを見詰めるゼドガンが目を細める。激しくて速い裂帛の気合を伴う踏込だ。申し分ない
「どうしてか不思議だったろう?」
ぼそりと呟くゼドガン
「メスガキがぁ!」
ゴッチは両腕を広げてロクショールを迎え撃つ。一撃受け止める事を覚悟した構えだ
急所のみ外して体で受け止め、そのまま骨を圧し折る。首でも背でも腰でもどこでもいい。圧し折ってケリを着ける。それがゴッチの目論見だった
剣は袈裟切り、斜めに振り下されてくる。ゴッチは正確にロクショールの体捌きを捉えている
そして広げた腕を、閉じた。ロクショールを抱きすくめて全身の骨を粉々にする心算だった
そうはならなかった
「なん……?」
気付けばゴッチの胸筋には斜めに傷が刻まれていて、決して少なくない量の出血が始まっている
深くは無いが、浅くも無い。筋線維をざっくり切り裂いてぱくりと開いた傷は、ゴッチにとってはその程度だ
ロクショールは確りと目を見開き、剣を振りぬいた姿勢でゴッチの背後に居た。戦いの場、生死を掛けた場に立ち、その瞳は綺麗に澄み渡り、何か尋常でない物を見詰めている
ゼドガンは破顔した。嬉しそうに笑い、珍しく大きな声を出した。飄々とした態度を崩してまで、ゴッチに教えてやりたかったのだ
「それが理由だ、ゴッチ!」
ロクショールは天賦の才を持っていて、ゼドガンはそれを認めた。ロクショールを煽り、助け、窮地に追い遣った。それは全てその天賦の才故だ
ロクショールの体捌きは言葉に出来ない。目が良く、身体を完全に使いこなす事が出来る女で、本当に刹那の見切りと言う物に秀でている
その女が放つ剣閃、そして身のかわし方、正に風の如き剣であり、手に掴めぬ煙のような回避であった
「お前は最初、胸当てに仕掛けがあると思っていたな。魔術の産物だと。違うさ。その娘が本気になったら、俺でも殺す気にならねば斬れんのだ」
「ゼドガン、お前の雇用主が誰か思い出してみたらどうだ?!」
「これぐらいの勝手は許せ」
少しも悪びれた様子の無いゼドガンにゴッチは怒りを深める
目をこれでもかと大きく見開いたロクショールが剣を構え直した。ゴッチは舌打ちする
周囲を再び兵士達が取り囲みつつある。アシラッドも呻き声と共に立ち上がり、血の混じった唾を吐いてから舌なめずりした
再び脊髄を熱が這い回る。先程アシラッドにも抱いたそれ。己を傷つけられた怒りと、己を傷つけた事への尊敬
ゴッチにとっては、強い者こそ価値がある。力こそ正義で、強き者こそ正しき者だ
「メスガキ、なんつったか」
「剣士ロクショール」
「ロクショール……、どうした。来ねぇのかよ。
あんなもんじゃ、ほれ、この程度だ」
ゴッチは堂々と胸の傷を指し示す。矢張り血は止まり、傷自体も肉の盛り上がりによって見えなくなりつつある
兵士達は慄いた。先程は脇腹に剣を深々と突き刺され、今は胸を綺麗に割られた。なのに今も平然としており、傷は塞がろうとしている
ホークが冷や汗を滲ませながらぼそりと呟く
「成程……。あれ程の力、あれ程の肉体。あぁまでの気位が育つ訳だ」
ホークが自ら鍛えてきたマグダラの兵士は屈強だ。我慢強い
しかしそれもアナリアの人間でいう所での強さだ。人間の思考の及ぶ領域での強さなのだ
ホークの統率もあり、今まで押し殺せていた不安のさざ波が、否応なしに押し寄せる。剣を構える兵士が半ば諦めた表情で不安を吐露した
「雷獣だ。怪物だ。戦う為に生まれてきた男なんだ。……我等全員、ここで死ぬ訳か」
「大いに結構じゃぁありませんかぁ」
傷が一瞬で塞がった様をハッキリと見せつけられてロクショールですら唖然とする中、唯一調子を変えないのは矢張りアシラッド
双剣を擦り合わせ、シャランと鳴らす。アシラッドは震えている。歓喜に
「実は私、濡れっぱなしで。快感の中で死ぬとは、まぁ素敵」
「アシラッドっつったな……。手前の首から下は乞食どもにくれてやるから、楽しみにしてやがれ」
「そんな趣味が……」
「手前のイカレ振りには敗けるぜ。ロクショールにアシラッド、揃いも揃って頭の可笑しい狂犬みてぇな糞女どもだが……」
ゴッチは脇を締めて拳を構える
両腕を開いた大仰な構えではない。その視線は、はっきりと敵を捕らえている
「健気にも俺と戦おうとした世間知らずが居たって事は、覚えておいてやるよ」
「……ジャーアァァッ!!」
「アァァッハッハッハッハァー!!」
兵士達が完全に二の足を踏み、ホークですらこれ以上の損耗を避けようと必死になっている
しかしロクショールとアシラッドはそんな事お構いなしだ。ロクショールは気勢、アシラッドは哄笑と共にゴッチに斬り掛かっていく
その様子をダージリンは見ていた。唇を血が滲む程に噛み締めながら、凝視していた
ダージリンにはゴッチの変化が解った。どういった物か彼女の語彙では説明できないが、明らかに変わった
最初は取るに足らない物を見る目だったのが、少しずつ、少しずつ、それに価値を見出していく
ダージリンは堪らない不快感に身を捩った。どうしようもなく羨ましく、妬ましく、小さな体躯を苛立たしさに任せて折り曲げ、呻く
「どうして……!」
ゴーレムは自分を見ない。強いんだ。強い筈なんだ
その魔術の強力さ故に人の範疇から逸脱しているダージリンは、人の振りをして必死に人の中に溶け込もうとしている
しかしそれが上手く行っているかと言われれば、否だ
ダージリンから見たレッドは、ラーラは、輝いていた。己を全く偽る事なく自然で、自由だった。何にも怯えず、己と言う物を信じ切っている
何よりゴッチ。矢張り同族は同族の元に居るべきなのだとダージリンは強く思ったのだ
「(私は人ではないのだから、私は私の同胞の元へ)」
そしてそれすら上手く行かない
「この……カスどもが! いい加減に死んじまいな!」
ゴッチにまた一太刀浴びせたロクショールが腕を捻り上げられ、一本背負いの要領で投げ飛ばされる
がら空きの背後から飛び掛かるアシラッドの横薙ぎを、ゴッチは身を屈める事で回避し、そのままタックルを敢行して吹き飛ばす
とうとうホークまでもが剣を抜いて最前線に躍り出てきた。何れはマグダラを背負って立つ男としては間違った判断だ。しかしホークももう我慢がならなかった
ダージリンは見ていた。ゴッチが彼女達に向ける視線
「ゴッチィ! このホーク・マグダラとマグダラ軍団が相手だ!!」
「抜かせ! 纏めてあの世行きだァッ!」
ダージリンの兄であるホークも、何処かゴッチに認められていた。その変質的で歪んだ価値観に認められても、ホーク・マグダラの生涯においては少しも利益にならない。それは解っている
解っているのに、それが堪らなく羨ましい
噴水の傍で雄叫びが上がる。視線を向ければラーラが握り拳を作って咆えている所だった
ここまでゴッチに蔑ろにされて、蚊帳の外に置かれ、ラーラもとうとう我慢の限界が来たようだった
「これ以上、黙って見ていられるか!」
「ラーラァ! てめぇぇぇ!」
「ぶっ殺すならぶっ殺されよ! 私もやると言ったらやる!」
ダージリンは完全に錯乱した。何故自分が認められないのか、それが認められなかった
傷だ。傷と痛み。それしかない
ダージリンは濁った瞳をゴッチに向ける。雄叫びと共にマグダラの兵士達を薙ぎ倒し、アシラッドとロクショールとホークを跳ね返し続ける男を
傷と痛み。強さで以てそれを刻み付けた者こそ、あの規格外の男に認められるのだ
考えてみればカザンだってそうだ
「(ゴーレムを……私の氷の魔術で……
続きをすればいいんだ……さっきの……
私が……私の力が……ゴーレムを)」
傷を与え合う事こそが答えなのだと、ダージリンは思った
傷つけあう事を恐れてはいけないのだ
ダージリンは走り出した。怒号渦巻く乱戦の場に飛び込むためだ
飛び込んで認めさせるのだ。ダージリンと言う女を、ゴーレムに刻み込んでやる為に今行く
「(邪魔だ、誰も彼も。兄も、炎の魔術師も、剣士二人も。私の邪魔になる!)」
ダージリンは両手を広げた。凍える風が吹き始めた
――
後書
あれ
おかしいな。今回で「TUEEんだぜ」完了の筈だったのに。
ひょっとして禁酒すべきか。
sageてるのに態々読みに来てくれて……感想くれる人までいらっしゃって……。
ありがたいけど……御免ね! ご覧の有様だよ!
肌寒くなってまいりました。季節の変わり目で御座います。皆様方に置かれましてはお体を壊すことの無いよう、ご自愛くださいませ。(真面目)