「なんで兄弟の事そんなに気にすんのん?」
「……」
「ダっちゃんのそれはさ、なんつーのか、あー……、思い込み……いやいやいや、難しい話だと思うんだぜ」
「難しい話?」
「兄弟はつるむのは良いけど傷の舐めあいはしねぇんだぜ。何故なら傷は癒すからだ。傷を負わされたならばその相手に必ず復讐するからだぜ」
「不愉快な表現だ」
「……兄弟は気分屋だぜ。賽の目は読めない。でもシャバいと思ったら絶対にやらない。“上手いやり方”って奴を平然と無視する。照れ屋だから俺が言うと怒るだろうけど、その生き方にはプライドがあって、そのプライドの為に死ぬ準備が出来てる。まぁ、兄弟のファミリーなら誰もがそうなんだろうぜ。……つまり、シャバい奴は絶対に認めない」
「私は多くを望んだ心算は無い。……その心を理解しようと思っただけだ」
「……なら、もっと毅然としなよ。……誰にも、己の運命にも、もって生まれた物にも怯えず、胸を張りなよ。……兄弟は無慈悲だぜ。同情を引く為に摺り寄ってくるだけの相手なんて気持ち悪がるだけさ」
「好い加減にしろ!」
「北風みたいにクールなダっちゃんがそんなになるんだぜ。図星って自覚あるんだぜ?」
「……私の、恐れ……、私の、卑怯な部分……、私の……」
――
「烏滸がましい! 物知らずの小娘如き、この……」
ラーラが勇ましく啖呵を切ろうとした時、巨大な氷柱が地面から突き上げた
切先は鋭くしかもでかい。水気など少しも無かったと言うのに、全くの無から氷柱を生み出したのだ
ダージリンの凍える氷の魔術。ラーラは直後に吹き荒れた猛烈な吹雪に吹き飛ばされる
実態のない風に打たれたとは思えない強烈な衝撃があった。突然の事に抗えなかった
「ぬわぁっ!」
とても女が出すような悲鳴では無かった。ラーラは木造りの家屋へと叩き付けられ、その雨戸を打ち破って無様に転がる事になる
その様をしっかりと目撃していたゴッチは大袈裟に頭を振って舌打ちした
でも、笑っていた
「テメェと……カザンぐらいだ。腰抜けエルンストの連合の中で、俺と対等に口を聞ける資格があるのは」
「し、暫し御待ちを!」
めげずに家屋からはいずりだしてきたラーラが言った。そんな炎の魔術師を無視してダージリンは手を掲げる
氷の刃に白い風が集まる。急展開に場に居る誰も動けなかった。目の前の情景が異常であったと言うせいもある
魔術、魔術と恐れられていても実際その力を目の当たりにしている者はそう多くない
ゴッチに“お上品”と称される素行の良さ、ダージリン・マグダラの凍て付く風と来たら尚の事である
ダージリンが地に手を這わせる。凍える風が唸りを上げ周囲を荒れ狂う
そしてそれを一振り
地面から無数の氷柱が伸び、ゴッチに向かって殺到した
「私の頬を叩いた、私を拒絶した」
「なぁにぃ~?!」
ゴッチは腕を交差させて防御の体勢に入る
スーツは防弾防刃製だ。複数の層に別れた極薄の繊維層がそれぞれ別種の攻撃への耐性を持っている。場合によってはライフル弾すら防ぐ
……筈だ。少なくとも以前のスーツはそうだった
このファルコンからのプレゼントの性能を把握していなかったことをゴッチは悔いた。ただのスーツにしては異常な重量がある事を考えれば何らかの仕掛けはあるだろうが
果たして複数の氷柱はゴッチの肉体を貫かなかった。しかしその衝撃までは殺しようがない。幾つもの先鋭物が猛烈な勢いでぶつかってきたのは間違いないのだ
ゴッチは胸から上、特に首を守り、全身を襲う激痛に耐える
そして上半身を振り乱した。自身に激突した氷柱を腕の一振りで粉砕して、ゴッチはがはぁ、と猛獣のような息を吐く
「どうしてだ、どうして。……どうして、どうして! どうして私を怒らせる!」
「何喚いてんだ阿呆みたいによぅ!!」
ゴッチは飛び掛かっていく。巨大な氷の壁が一瞬にして生み出され、それと正面衝突した
ショルダータックル。一メートル以上もの厚みがある氷壁を強引に砕く
「舐めんじゃァねぇぇぇぇ!!」
咆哮しつつ尚も前進するゴッチに弓矢が向けられる
指揮杖を掲げるのはホーク・マグダラ。いざと言う時に躊躇する男ではない
敵と見れば攻撃する。当然の事を当然に行う
「ダージリンを援護!」
それに触発されたのはラーラだった
埃塗れなのも構わず怒号を上げ、駆け出した
「ボスに続け! 奴等が如き烏合の衆が何する物ぞ!」
チィィィ、と独特の呼気が響く。ダージリンが身をくねらせ再び冷気を集めている
ゴッチの全身を這い回る青白い稲妻がとうとう溢れ出す。猛然と飛び掛かる雷獣とそれを迎え撃つ凍える風
二人が激突する。ダージリンの生み出した氷壁が再びゴッチを押し留め、今度は跳ね返した
クソッタレ。ゴッチの悪態が響く
「えぇーい血の気の多い若造どもめ! 本当の本当に馬鹿どもめ!」
溜らずエルンストが右手を振り上げた。エルンストの周囲で身構えていた兵士達が気勢を上げて前進を開始した
彼等親衛隊は主君を侮辱されて血液を沸騰させていた。ずっと、ずーっとだ
諸侯達にしたってこのまま引き下がるわけには行かないと思っていた。及び腰になる者など一人としていない
「見つけたァ! 大将首じゃ、ぶっ殺せ!」
そこへ新たな破落戸達が加わった。街中至る所で騎士達の狩り出しを行っていた者達だ
彼等は皆それぞれ理由を持っている。帰る場所が無いのをラーラに手懐けられたり、借金で首が回らないのをゴッチの差配で救われたり、元々の屑がゴッチ一派の威勢を恐れて恭順したり
様々な理由だったが共通点がある。彼等は皆貴族様とか騎士様が嫌いだ
アナーキストなのだった
ホーク軍団が矢を放つ。青白い雷光が辺りを眩く照らす
ゴッチは両腕を盾にして亀のように身構えた。ピーカーブースタイルだ。ダージリンの氷柱で抜けぬ防御が、弓矢で抜ける筈はない
右の頬が裂け左の耳朶がざくりと破れる。額にも矢は突き立ったが角度が良かったか肉を抉りはした物のゴッチの堅牢な頭蓋の上を滑り致命傷とはならない
しかし矢の後を追うようにして氷の剣が飛ぶ。流石のゴッチも堪らず身を捩り回避した
「このラーラ・テスカロンより……業に長けると言うのか!」
熱風と共に火柱が生まれる。異常な熱が周囲の兵士や破落戸達を炙り、虫でも払うかのように追い散らす
ラーラが苦々しく言い捨てながら炎の壁を生み出したのだ。しかしダージリンは冷気を纏って平然とそれを踏破する
生物が本能的に恐れる火と言う物を全く恐れていない
「私は“へた”さ。……だが、生まれた時からだ。私はただ一人、己をすら呑みこまんとするこの力と相対してきた」
ダージリンが冷たい目でラーラを睨む。今までのラーラとの付き合い方、受け流すような態度とは明らかに違う。ハッキリとした敵意を含んだ視線だ
「昨日今日に現れて、御情けでゴーレムに飼ってもらっているような半端者に、私が劣ろう筈はない」
「何よそ見してくれてんだコラァッ!」
其処に獣の如き素早さで飛び込んでいくゴッチ。雷の渦がダージリンに殺到し、如何なる手段でした物か、ダージリンはその光の波を捻じ曲げた。もうもみくちゃだった。其処彼処で誰かが殺し合いをしていて何が何だか解らない状態だった
鋭い剣技によって腹を裂かれ倒れる砂の首巻
羽交い絞めにされたまま短剣を突き刺される騎士
咆えるホーク。怒るラーラ。蒼くなるエルンスト
特にエルンストはショックを隠し切れなかった。エルンストには一つ確信があった
それはゴッチが最後の一線を踏み越えていない、と言う事だ
ゴッチの手勢によるエルンスト軍団への襲撃は確かに素早く、容赦が無かったが、規模に比べて人死にが殆ど無かった
何故か。エルンストの脳裏には一つしか答えが浮かばない
後の交渉の為だ。だから極力殺さないようにしている
それがこんな乱戦になってしまったら台無しではないか。エルンストは脳みそが沸騰する思いで指揮を続ける
「回れぃ! 西から回れ! 東の通路は適当な物で塞いでしまえ! 二人やれ! オースタンを呼べぃ!」
乱戦の中統制を保っていられるのはエルンスト以外ではホークの周囲のみだ
そのホークも敵と切り結ぶ距離におり完璧な統率とは言い難い
拙い場所に引き込まれた、とエルンストは歯噛みした。ゴッチとその一派はここらの地理に精通している。抜け道一つとして知らぬ事は無い。更にこの広場は大して広くも無く、騎士達は存分に勇を振るえぬ
「(しかし何故だ。何故こ奴等はこうもゴッチの為に戦える。これほどの短期間にこんな連中を揃えることが出来るのか、あの男は)」
破落戸など雑兵は兎も角、実戦を潜り抜けてきた精兵に掛かれば追い散らされる羽虫のような物だ。それほどの練度の違いがあり、今この場でもそれはハッキリ現れている
しかしゴッチの配下の者達は逃げない。不利な状況に会ってまだゴッチの事を信じている
そういった兵を育てるのに、自分ならばどれほど掛かる
そして育てても完璧ではない。なぜなら勇敢な兵士とは育つ物ではなく、産まれた時から既にそうなのだ。どれ程鍛え、目を掛け、恩情を与えた者でも、逃げる者は逃げる
「(人は本能は殺せない。生きようとする心は特に。それを捻じ曲げさせるだけの物が奴にはある。奴の持つ暴力とは、そういう物か)」
人を勇敢にさせる力とは不思議な物だ。エルンストは弁舌を鍛えてそれを身に着けた
だがゴッチのそれは根本的に違う。其処に居るだけで手下が勇を振るう。日頃鬱屈と過ごし、大した力も持たず、群れねば何も出来ない弱虫達が
まるで己がゴッチにでもなったかのように戦う
エルンストは唸った。一瞬、号令を飛ばす事も忘れて地団駄を踏んだ
「(……や、奴が……欲しい!)」
「盟主殿! 御下がりを!」
「(奴は強い。カザンをぶつける必要がある。何と言う事だ、あの男が要だ。奴一人の行動の為にこのエルンストが掛かり切りだ。切り札を放つ算段すらしている)」
「兵ども! エルンスト様を御守せよ! 恩義に報いよ! 名を立てよ! 諸君らの鋼の肉体、鋼の精神が、破落戸どもに破られよう筈がない!!」
「(マグダラの所の小娘は、何となく解る。自分に近しい者として奴を欲したのだ。このエルンストは……)」
己の持ち得ぬ、手に入れられぬ物をこそ欲しがるのだな
「退けぇぇぇい!! 無駄死には許さぁぁん!!」
「盟主殿!!」
「逃げよ! 怪物の戦いに付き合う必要は無い! エルンストの為に死ぬな! エルンストの為に生きよ!」
エルンストは己の思考に区切りを付けた。元よりエルンストは行くよりも退く方が得意だ
迷い、悩む時間と言うのはそれだけ部下の負担となるのをよく心得ていた。逡巡したならば退くべし、とエルンストは己を叱る
「(今は退こう。だが見ておれ、このエルンスト、己で言うのも何だが器のでかさだけなら大陸一よ。貴様ら一切合財纏めて、天下万民の為にその能力を使い切る場を与えてやろう。我が軍中にて!)」
王たらんとする者は心が広くないとなぁ。エルンストは大喝する
エルンストの号令で軍団はじりじりと下がり出す。ラーラも無理に追わせようとはせず、好きにさせた
エルンストが下がればホークを締め上げる事が出来る。そしてホークを崩した後はダージリンを締め上げるだけだ
ラーラは配下どもを叱咤しながらマグダラ軍団に襲い掛かっていく
「ボス!」
「邪魔ァ! すんなァ!!」
ゴッチは雄叫び上げてダージリンとぶつかり続ける
ダージリンによって氷塊が生み出され、ゴッチがそれを砕き、生み出され、砕き、その末に肉薄しては稲妻と雹の嵐をぶつけ合う
ダージリンがゴッチと互角の戦いをするのはラーラにとって驚愕の事であった
ラーラにとってゴッチは最強の存在である。だが無敵ではない。出し抜く手段、戦法は確かにあろう
しかし強い。純粋に強い男だ。それと互角に渡り合うとは
「弓手! 隊列直せ! ダージリンをもう一度援護だ!」
「……仕手ども、私に続け! 北の田舎者を黙らせる! 氷の魔術師はその後に嬲り殺しだ!」
ホーク配下からの圧力が強まるのを感じたラーラは即座に手下達に号令した
確かにダージリンの力は驚嘆に値する。だがゴッチは勝つ
ゴッチが負ける筈がないのだ。ラーラは歯を食い縛って二人のぶつかり合いを見遣る
「(或いは私が……あの人形女に敗けている……?)」
クソ、とラーラは吐き出した。今はホークを抑えるしかなかった
ホークはホークで悪態を吐いていた。満足な手勢の無い今、エルンストが退いてしまっては敗北は免れ得ない
正しい判断なのは間違いない。オーフェスの算段としてはペデンス攻略にジルダウを必要としている。交通、水利の二つに置いて大きな意味を持つ拠点で、だからこそゴッチがこの街を乗っ取った時ですら蛇が出てくるのを恐れて藪を突かなかった。ゴッチを容認したのだ
争うより関係の修復を急ぐ。エルンストは冷静だ。何も見失っていない
「(しかし、このホーク・マグダラが。北の大地の男が)」
しかしホークはエルンストを理解しつつも戦いを継続する
そもそもこの乱戦はマグダラ家が戦端を開いた。正確には乱心したダージリンだが、エルンストには関係のない話だ
ホークはマグダラの名代とも言うべき身代で、本人の戦功や能力の事もあり、エルンストですら下にも置かぬ扱いを心掛けている。家格は同格とは言え未だ家督は無く、しかも若いホークに対して十分以上に気を使った対応だ
しかしこれでは関係の悪化は免れぬ。マグダラの影響力は低下するだろう
ならば尚、戦果が無くてはならぬ
と、言うのはホークの言い訳だった
「(妹を見捨て、強敵を避け、戦闘音楽を背なで聞くなど、堪えがたい)」
ラーラが炎を纏って飛び込んでくる。ホークもこの期に及んでは理解している
魔術師は厄介な存在だ。只管に兵力をすり減らしながら持久戦をするしかない。疲れ果てた所を討ち取るしかないのだ
しかもラーラは配下の扱いが巧みだ。調べさせた経歴では兵を扱うような経験は全くない筈なのに
書物の内容を詰め込んだだけの頭でっかちでは無かったのだ。天賦の才と言う物を前にしてホークはにやりと笑う
「円陣! 敵を侮るな! 特にあの魔術師は!」
「北の! 矢張り貴様は叩いて潰す!」
ホークは眉を吊り上げて頭を振り乱した
オールバックに整えた髪が乱れ、怒気が乗り移ったかのように逆立つ。怒髪天を突く勢いである
まるで獅子の鬣であった
「無駄口叩かずやって見せよ!」
弓手の狙いを集めさせる。ラーラに炎を使わせない事こそ肝要だ
――
ゼドガンは目を瞑り背筋を逸らしていた。天を仰ぎながら眠っているかのようにも見える
ロクショールはその横でジッと待つ。近くから剣戟の音が聞こえる。然程離れていない広場でエルンストやゴッチ達がぶつかり合っているのだ
「屋根の上と言うのは気持ちいいな」
唐突にゼドガンが呟いた。ロクショールは頷く
古ぼけた家屋の上で天を見上げる。空が近いのは気持ちの良い事だ
情勢、身分、因縁、そんな物から僅かでも解放されたような気がした
当然、気がしただけだが
「本当ぉですねぇ」
間延びした声で応える者が更にいた
特徴的な鷲面の銀兜。白いマントの内側に、蜥蜴の描かれた盾が覗く
腰には二本の長剣が怪しく光り、ベルトに備えられた投擲用の小剣が物々しさを助長させる
剛剣アシラッド。強敵と流血を望んでやまない恐ろしい剣士は、何の因果かロクショール達と行動を共にしていた
「エルンストが退き下がるようだ」
「耳がぁ宜しい事で」
「ゴッチに肉薄する機会も望めるだろう」
「いやぁ楽しみだなぁ」
「お前には言っていない」
ぴしゃりとゼドガン
アシラッドが愛しげに長剣を撫でる
「別にぃ私はー、ゴッチ・バベルではなくて、偉大な大剣ゼドガン殿でもぉ、全然構わないんですがねぇ」
「また次の機会にな」
アシラッドは素直に引き下がる。「怖いんですか」などと下らない挑発はしなかった
確かにアシラッドは剣と敵と血が好きだが、手当たり次第に斬って回る悪鬼羅刹ではない。と自分では思っている。飽くまで自分では、だ
「さ、ついてこい」
ゼドガンは軽い身のこなしで屋根から屋根へと飛び移る。とても巨大な剣を背負っているとは思えない身軽さだ
ロクショールは銀の胸当て越しに自分の鼓動を確かめた
乱れてはいない。ゴッチと相対する瞬間に備えて、心の臓が力を蓄えているのを感じる
そしてロクショールも屋根から飛んだ。アシラッドはとっくの昔に駆け出していた
広場へは瞬く間に到着した。多くの破落戸や兵士達が乱戦を繰り広げており、壮絶な有様だった
広場周辺は負傷者達で溢れている。流石にどの陣営も戦線離脱した者達に襲い掛かったりはしていない
中心にロクショールの目的はあった。激しくぶつかり合うゴッチ・バベルとダージリン・マグダラ
二人の戦いは人知を超越していた。ロクショールは思わず震えた
「あれが魔術。しかしあの少女……氷の魔術を使うと言う事はダージリン・マグダラ殿。何故ゴッチ・バベルと?」
「癇癪持ちだったのだ」
「そんな話は聞いた事がありませんが」
「俺には解ったよ。最近、人間を眺めるのが富に面白くてならない」
そういう物かと納得して、ロクショールは視線を戻した
凄まじい戦いが依然続いている。眩い雷光と氷柱が撃ち合い、二人の周囲に無人の空間を作り出している
唾を呑んだ。人間の関われる戦いではない。限界を超えている
どのように迫れば一合剣を合わせる事が許される? 不可能だ
ロクショールは無言でゴッチの横顔を見詰めた。ロクショールは目が良い
凄まじい横顔だった。戦いに昂ぶり、歪み切った、獣のような、悪魔のような……
「どうだ、わくわくするだろう」
ロクショールはどきっとした。ゼドガンの発言には恐れが微塵も含まれていない
ふらりと遊びに出るような口調だ。これは、ゼドガンがゴッチの交誼を結んでいるからでは断じてない
ゼドガンは自分が殺されない等と微塵も思っていない。しかしゼドガンにとってゴッチとの戦いとは、それはもう何よりもわくわくする遊びなのだろう
凄まじい人だ
……そしてこの女性も。ロクショールはなるべく気付かれないようにアシラッドに視線を向ける
アシラッドは時折カクカクと不自然に揺れる事がある
そういう時は大抵笑っているか、快感に打ち震えている
危ない人種だ
「……下品、かもしれませんがぁ……、濡れてきました」
「だからお前には言っていない」
「つれないですねー」
剣とは人をおかしくさせるのだろう
いや、逆かも知れない。どこかおかしい人間こそが、剣を手に取るのか
そして、自分も
胸の鼓動が高く、早く、熱くなるのをロクショールは自覚していた
友の無念を晴らし、己の意地を貫く
エルンストに背き、オーフェスに背いた
最早貫き通すのみ
「聞けぇ! 剣士ロクショール推参! ゴッチ・バベルの御首頂戴仕る! 邪魔する者は邪魔をせよ! 寄らば斬るのみ!!!」
ロクショールは剣を抜いて屋根から飛び降りた。ゼドガンとアシラッドが後に続く
わくわくする、と言うのを否定できない
そんな事は毛ほども思っていなかったのに、危機を前にして気持ちが昂揚するのだ
――
新手
しかもゼドガン
ゴッチは素早く視線を巡らせた。ラーラとホークが手勢を駆り激しく競い合っている
ホークは当然ながら配下の扱いはラーラよりも格段に上手い。これは積んだ経験と受けた教育の差がハッキリと出ている。それにその配下も実戦を重ねた兵と破落戸では実力に差がありすぎる
しかしラーラの魔術はその不利を覆して有り余る。ホークはラーラの炎を警戒し、部下の損耗を抑えようとするあまり完全に押し込まれている状況だ
ラーラに任せておけばいい。ゴッチの問題はダージリンだった
ダージリンは強い。思っていたよりも強い、と言う意味で強い。手強い
箱入りのお嬢様では断じてないと思っていたが、足捌きが非常にこなれている。格闘の訓練を非常に熱心に、長期間積んでいるようだった
そしてその氷の魔術
「ふ、ふふ……!」
氷柱をゴッチに叩き付けながらダージリンは笑い始めた
能面のような女が突然笑い出すのだ。しかも底冷えするような雰囲気で
「気味悪い笑い方しやがって」
ゴッチは右手を突き出した。稲妻が放出されダージリンを薙ぎ払おうとする
しかしそれは途中で何かに捻じ曲げられ、天空へと消えた
元来こういった能力の使い方を、ゴッチはこの世界に来てから余りしなかった
ロベルトマリンでならまだしもこの世界の生物にこういう使い方をするとあっけなく決着がついてしまう
しかしその雷も防がれる。理屈は解らないがダージリンの能力は本物だった
「私は強いんだ」
「あぁ?」
ダージリンは踊るように手を振り上げた。空中に霧の塊が生まれ、唐突に其処から巨大な氷柱が突き出す
ゴッチは左の掌を前に突き出す。筋肉を限界まで硬直させて、氷柱を真正面から受け止め、握り砕いた
「こんなにも簡単な事だったんだ! 私は強い! 強いんだ本当は! 誰にだって負けはしない! ゴーレム! 私は強かったんだ!」
氷柱が次から次へと襲い掛かってくる。乱舞する鋭い切先をゴッチは片端から打ち砕いていく
ゴッチの感覚が鋭くなっていく。呼気は早くなり、血は熱く、少しずつ少しずつ反応速度が上がっていく
「知ぃるかぁぁぁ!!」
知るかそんな事。ゴッチは四股を踏むように天高く右足を振り上げ、大地を踏んだ。轟音と共に雷光が放出される
全方位への範囲攻撃だ。ダージリンは素早い身のこなしで後退し、再びにたりと笑う
「そうだ……本当はそうだった。誰も私を縛れない、私は我慢する必要なんてなかった。だって私は人間じゃない。……私は魔術師だからだッ!!」
ダージリンの差し伸ばした手から冷気が放出される。猛烈な雹混じりの烈風がゴッチを打ち据え、手足の先から凍りつかせてゆく
指先が満足に動かなくなっていくのを感じつつ、ゴッチはダージリンの顔を見た。先程の笑顔から一転、彼女は顔をくしゃくしゃに歪めて涙すら流していた
「(こいつ……狂ってるのか……?)」
「私は……人間じゃ……ないから……」
クソっくだらねぇとゴッチは思った。ダージリンの間抜け面に怒りすら感じた
こんな所にのこのこ現れて、癇癪起こして、何言ってんだこの小娘
何言ってんだこの小娘は。本当に何言ってんだこの小娘は。何言ってんだこの馬鹿は
「(畜生、寒さで俺までおかしくなってきやがった)」
人間じゃねぇって何だよ。そんなのしらねぇ
どうだって良いじゃねぇか
俺だってナチュラルヒューマンじゃねぇ
でも、ま、人間だよ
ゴッチは凍傷になりそうな手を握り直し、ファイティングポーズを取り直した
鋭い視線でダージリンを射抜く。ダージリンが、泣いている
「んな事、どうでも良い」
「そういうと思った」
「人間でもそうじゃなくても、手前が下らねぇ存在なのに変わりはねぇよ」
「…………」
「解るな? 頭の可笑しい構ってちゃんには付き合ってらんねぇって事だ」
ダージリンは無言で手を掲げた。氷霧が小柄な体躯を包み込み、幻想的に燐光を撒き散らす
そしてダージリンはもう一度だけ、言った
「……どうして……」
瞬間、ゴッチは前傾姿勢で走り出していた
氷柱が二本ゴッチに向かって飛ぶ。ゴッチは更に身を低くしてそれを掻い潜る
次の氷柱が既に来ていた。急停止すると共に体を左に捻れば、それはゴッチの右の米神を掠めてあらぬ所へと飛んでいく
指程の小さな氷柱の連射が来た。ゴッチは目の前で両手をクロスさせると真正面からそれを迎え撃つ
クロスアームブロックで顔面と首を守る。後は走り抜けるだけ
無数の氷柱を跳ね返してゴッチはラーラに肉薄する。頭上に冷たさを感じた
再びの急停止、慣性を無理矢理殺して強引なスウェーバック
特大の氷柱が頭上から降ってきた。大地を抉った巨大な氷柱にゴッチは拳を打ち込む
粉々に砕けた氷の礫がダージリンに襲い掛かる。ダージリンは氷壁を生み出してそれを防いだ
そしてそれはゴッチの狙い通りの行動だ。ダージリンはこれまで、攻撃と守備を同時に行っていない
氷壁と同時に凍結や氷柱の魔術を使っていないのだ。好機であった
「どうしても糞もあるか!」
今までで一番強い力で氷壁に体当たりする。ダージリンの防御を粉々に砕き、右ストレートを放った
ダージリンは紙一重でそれを避けた。腕を一振りすると頭上と地面、二ヵ所から氷柱が生まれ、ゴッチに向かって伸びる
右サイドへのショートステップ。切先を避け切り、次いでゴッチはハイキックを放った。伸びた氷柱を砕き、ダージリンの顔面を狙う
身を沈ませ、ダージリンは最小限の動きでそれすら避ける。そして左手を救い上げる様にして振り上げた
氷の刃がゴッチの頬を薄く裂いた。ゴッチはショートステップからショートステップを繋げる。ダージリンを幻惑するように左右への移動を繰り返し、狙いを付けさせない
徐にダージリンの腹を狙った左のジャブ。ゴッチの腕力で殴れば、牽制のジャブも必殺の一撃だ
掌の大きさの氷壁がそれを阻んだ。ゴッチはにやりと笑った。ギリギリの攻めと、ギリギリの護り。ダージリンはギリギリだ。自分はこの女を追い詰めつつある、とゴッチはハッキリ悟る
いや、追い詰めつつある、ではない
チェックだ。ゴッチはジャブを繰り返した
雨の様な乱打と言う奴は比喩表現ではない。ゴッチのスタミナは無尽蔵だ。劣化しないクオリティの高速ジャブを延々放ち続ける事が出来る
ジャブ、ジャブ、ジャブ、段々とダージリンのガードが間に合わなくなる
更にジャブを繰り返し、ゴッチはふとダージリンの顔を見た
焦りと恐怖と哀願
お前がそんな顔をするとは思わなかったぜ、ダージリン
そしてゴッチは右ストレートの為に拳を握り込み
右脇腹に猛烈な熱を感じた
「あがっ」
振り向けば鷲面の兜がある。スリットの隙間で嬉しそうに、楽しそうに細められた危険な瞳
その鷲面の人物の手の長剣がゴッチの脇腹に突き込まれているのだ
しかもゴッチは感じた。冷たい鉄の塊が、腹の中で身を捩ったのを
「(コイツ、刃を捩りやがった)」
痛ぇ、と思う間もなく、ゴッチは絶叫していた
「クソが……あぁぁぁぁぁぁ!!!」
脇腹に埋まった剣の刀身をがっちり握り締める。そのまま強引に引き抜こうとして、今度は逆の脇腹に激痛
二本目の長剣がゴッチに埋まった。最早悲鳴も無い。ゴッチは歯を食い縛ってそちらの剣の刀身も握り締めた
「うふふ……お初にお目に掛かります、ゴッチ殿ぉ……。本当は初めてじゃぁないですけど……、挨拶は初めてなんでぇ」
猫撫で声で言う鷲面の女。その背後でゼドガンとロクショールが破落戸達を切り倒している
ゴッチは苦笑いした。メスガキは兎も角、ゼドガン、お前って奴は
「私、アシラッドと申しますぅ。家名は忘れました、ご容赦を」
「そうかい……そりゃ、ご丁寧に……、どうも……」
ゴッチは力任せに二本の剣を引き抜く。内臓が激しく損傷したのを感じるが
何、初めてじゃない
ゴッチは自分の回復力を信じていた。腸が破れて便が漏れていたら拙いが……
「すごぉい……、普通、死んでますよ」
剣を引き抜くのには成功した。アシラッドと言う女、バカみたいに力が強い、とゴッチは自分の事を棚上げして考えた
脇腹から凄まじい勢いで血が零れ地面を濡らしていく。周囲の破落戸達に動揺が走る
ラーラが悲鳴を上げているのが聞こえた。ダージリンですら唖然とした表情を隠せないでいる
大きく息を吸い込んで脇腹に意識を集中した。細胞が泡立つのを感じる。急速に血が集まり、肉が堅くなっていく。ゴッチの超再生能力の発露だ。出血量が目に見えて低下していく
その変化はアシラッドにも伝わった。アシラッドは子供の用に燥いだ
「凄い! 凄い凄い! ゴッチ・バベル! 嘘でも誇張でも何でもなかった!」
ゴッチは長剣から手を離し、振り向き様に裏拳を放った。それは鷲面を打ち据え跳ね飛ばす
褐色の肌に怪しく艶めかしい黒髪
瞳に危険な色を載せた女が舌なめずりしてゴッチを品評していた
「堪らない。ゴッチ殿を見たら、私ぃもう、果てそうです」
背後でダージリンが立ち上がる気配を感じる。ゴッチは歯噛みする
「(油断したか)」
だがまだ負けちゃいねぇ。堂々とした立ち姿を周囲に示しながら、ゴッチは再び戦闘態勢を整える
――
…………
ノリで押し通すしかねぇ!