九人のタウラを前にして聖堂の壇上卓に着いたラーラの心境は、言うまでもなく複雑であった
昨今の教会には知る人ぞ知る醜聞と言う物が多くあり、そしてラーラはそれを知る人間であったが、タウラの事は認めている。
タウラになるには能力がいる。更にタウラは、信仰心に篤いかどうかは知らないが、神の名の元に概ね道徳的で正しい行動をする
だからラーラはタウラに対して一定の敬意を払っている。そのタウラ達にたいして、まさか彼等の専門職業である退魔についての“講義”を行うことになるとは、思ってもみなかったのだ
「これが今集まる事の出来るタウラの全てです。ラーラ殿、早速……」
代表者面して凛々しく言うシェン。ラーラは溜息を吐きたい気持ちだった
陽光の差し込む聖堂は不思議な神聖さがある。火の戦神ラウの兄弟神であったとされる岩と鉄の神ヘベンの、優美な笑みを浮かべた偶像を奉った聖堂で、時折神父が管理整備に現れる以外は特に人の出入りの無い場所だ
ヘベンは最も長命であり、友の神々の死を見たくないがため目を閉じ、開かぬ神だと言う
壇上卓の頭上、ラーラの背後で穏やかに微笑む偶像は、閉じた目でラーラと九人のタウラ、そして複数の軍団から派遣された騎士達を見下ろしていた
「ヘベンの聖堂で、とは。それ程までにカシーダが恐ろしい物か」
ラーラが何気なくカシーダの名を口走ると、タウラ達は皆一様に身を強ばらせた
カシーダはその一睨みで容易く人を殺す。名を呼べば地の果てまで追われ、魂を抜き取られ、カシーダが飽きるまでその手慰みの玩具として甚振られる
それがカシーダを知る者の共通認識だ
全ての呪いを跳ね返すと言う、ヘベンの加護に縋りたくもなるのだろう
説教はこの件を元に作ろう。ラーラは堂々と口を開く
「その恐れ故なのだ、タウラの方々。貴方達が思っていたカシーダなど、全てとは言わないが大体嘘っぱちなのだ」
「嘘っぱち? 此処に来る途中寄ったアロンベル殿の屋敷では、兵士達が死んでいたが? 狼が股座に噛み付きでもしたような凄まじい形相だった。あれも嘘っぱちか」
「カシーダは儀式と恐れを操る。あの卑怯者が殺せるのは掌の上にいる者だけだ。若しくは奴の話を鬱陶しく思わずに聞いてやれる聖人か。……貴方達の方がよくご存知では?」
用意された椅子に座らず、身体を斜めに傾がせて立つタウラが声を出して笑った
「手厳しい。我等全員、不甲斐なさで目をくり抜きたい思いだ。だが……あー、カシーダの魔力は強かったし、恐れを完全に捨てされる物じゃぁ無いだろう、人間と言うのは」
成る程な、とラーラは頷く。どうやら彼らはカシーダに打ち勝つ力となった“特別な要素”があると思っているらしい
確かに、間違いではないだろう。レッドの力は正にそう言った物だ
だがそんな事言えば、我々は全員魔術師だぞ。とラーラは胸を張る。結局カシーダより我々の方が強かった、とそれだけで終わってしまう
「では、貴方達は私から話を聞くのではなく、レッドを連れて歩くのが良い。奴一人居れば実体を持たない虚ろなる者達など、嵐の夜の雨のごとく大群で降ってきても相手にならないだろう」
「魔術師レッドには……以前からよくご助力頂いています。矢張り彼が解決の要であったと言う事ですか」
シェンが羊皮紙を握り締めながら言う。羽ペンを掌中で弄びながら凛々しく笑う様が、嫌に溌溂としている
「そもそも我等は魔術師だ。レッドは万物の真理を覗き見る為の第三の目を持っており、ボスは天地をも貫く雷鳴の男。私ラーラ・テスカロンは竜すら焼き殺す火の寵児、炎の愛娘である。前提からして違うのだ」
「確かに真似できる事ではなさそうだが」
「結局の所、我等が地力で勝っていた。そうなる。神々とて世界の一部なれば、カシーダは弱者故に我々に淘汰されたのだ」
「そこだ」
タウラ達がいきり立つ。鼻息を荒くし、好奇心に目を輝かせ、普段人々の尊敬を集める神官にはとても見えない
「その地力の部分を聞きたいのだ、魔術師殿。道中遭遇した物事について細かく話してくれ」
ラーラは首を傾げて、仕方なく道中の事を話し始めた
自分達が如何に冷静で迷わず、且つ恐れ知らずであったか。適当な推測と脚色を交えながら
武勇伝と言うのは多少誇張するくらいで丁度良い
――
斑模様の大蜥蜴にしがみつかれながらレッドはギターを鳴らす
シューシュー言いながら舌を出し入れする蜥蜴が、パクリとレッドの耳朶を甘噛みした
あふん。と息を漏らすレッド。気持ち悪い
「だっはっは、悪かったって。次があったら無理はしねーからさぁ」
レッドは右肩の上ぬらぬらと光る爬虫類の頭を撫でる。目を細めてシューシュー言う大蜥蜴
やがて大蜥蜴はレッドの言葉か、愛撫のどちらかに満足して、淡い燐光を散らしながら消えた。斑模様の大蜥蜴シュポス、レッドの過去の友人である
ジルダウ湖のほとりにある林には今、人ならざる者達が集まっている
人やら、鳥やら、犬やら。切株の上で歌うレッドを見守るように、様々な姿形を持った蒼い光の群れが
友よ。レッドは矢張り歌う
「御免だぜ。次は頼る、本当さ」
古い様式の甲冑を纏った騎士がレッドの前に進み出てきた
篭手に包まれた分厚い握り拳が突き出される
レッドもそれに答えて、拳を突き出した。合わさる生身の拳と青い影
燐光が弾けた。レッドがカラカラ笑っていると、青い影達は姿を消していく
「あんがと、俺の友達よ」
暫くここで歌おう。夜が来て、朝になるまで
――
ゴッチは自室でぼうっとしていた。机の上に投げ出した爪先を見つめながら、何故か訪ねてきたオーフェスの話をどうでも良さげに聞き流す
どうもこの気苦労の多い婆様は、ゴッチの元に……正確に言えばラーラの元に集まった高位の神官達の事を気にしているらしい
「(俺が宗教屋と結託して何か企んでるとでも思ってるのか)」
最初はタウラの神官達の相手をするのがどうしても嫌で、ラーラに指示するだけで自分は屋敷でだらだらしていた
それがオーフェスの相手をする破目になるとは……
「聞いておられるかね、魔術師殿」
「あぁ……聞いてる。俺の部下の飼ってる犬が、アンタの花壇を滅茶苦茶にした話だったな」
「……」
「ジョー……冗談だ、聞いてるさ」
必要な事だけな
だからゴッチは、ほぼ何も聞いていないに等しい
「どうやってタウラの司教達をああも集めたのですかな? 何の為に?」
「本人達に聞けよ。言葉に力を持たせるとかなんやかんやで、嘘が吐けないとほざいてたぞ。そもそも俺が、あんな胡散臭いすっとぼけた事しか言わない連中を集めるかよ」
「はぁ……。どうも年を取ると心配症になるようで。魔術師殿はどう見ても……信心深くは見えないんでねぇ。ロベリンドやタウラとの関係、気になってしまうのさ」
「そんなにか? ……まぁ、お前等だって洋服箪笥の奥に秘密の手紙の一つや二つあるか」
「嫌な例え話だねぇ」
オーフェスは和やかに微笑みながら頭を回転させている
ゴッチの教会に対する……いや、宗教に対する姿勢。神そのものに対する意識だ
オーフェスの見立てでは、ゴッチ自身は教会の事を商売道具の一つだとか、その程度の物としか捉えていない
そんな男の元に急に神官が集えば気になると言う物だ
エルンストやその先代は首都から遠く離れた領地を発展させ勢力を増した。いわば辺境である
数多の蛮族と戦い、時に庇護し、或いは服従させた。彼等はそれぞれに信奉する物が違い、それ故に異教の神々とも多く触れた
そういった経歴は教会から睨まれるのに十分な理由となる。カノートから巫女を攫ったカザンの事もある
オーフェスは慎重だった
「攻めるにも守るにも使い道があるので、彼らは」
「悪どい婆さんだ」
「魔術師殿には敵いませぬがね」
話した感じでは、ゴッチが教会と組むと言うのは考えづらい
だがゴッチ配下のロージンが新たな販路として教会関係者用の様々な物資を手配しているのは確かだ。オーフェスはそこいらの諜報も抜かりがない
その動きにゴッチは関与していないのか、それとも嫌っている風を装っているだけなのか
「……あぁ、まただよ」
ゴッチは、急に溜息を吐く
なんでもない世間話をするような視線の裏にある、オーフェス緊張感に気付かないゴッチではない
どうしてたかが宗教屋如きをそうまで気にするんだ?
ゴッチとオーフェスでは認識が違っていた。ゴッチは教会の事を何の力も持たない存在だと思っていたが、オーフェスそうではなかった
あぁ面倒臭ぇ
「……迷惑な話だ」
「は?」
「迷惑だと言ったんだ。俺は婆さんにも、宗教屋にも用は無いのに、テメエら勝手にキーキー騒いでやがる。うんざりする目付きだぜ」
オーフェスは苦笑いした。苦笑いで誤魔化す他無かった
「そもそも俺が何か言って、それを信用する程真直な性根してないだろう。手駒をあちこちに走らせてるんだろうが。この上どうして俺の自由な心休まる時間を奪おうとするんだ?」
自由な心休まる時間とは噴飯物の物言いである。少なくともオーフェスにとっては
ジルダウを恐怖と混乱の渦に叩き込んだのは、複数の条件が重なったとは言え他ならぬゴッチだ。それが“自由な心休まる時間”などと
が、そのような思考を僅かでも顔に浮かべる老婆ではなかった
「いやいや、そのようなつもりはありませぬ」
「俺の目的は知ってる筈だ。我等が貴公子ルーク殿は正直者の好青年のようだからな」
「……魔術師殿、目的地へ行きたいだけなら、何も我々を勝たせるだけが方法ではないのでは?」
「そう来るか……。結局の所、俺と話をしたい訳じゃねぇんだろ。……婆さん、俺をイラつかせたいんだな?」
「まーまー、落ち着かれよ。そんなに意地の悪い事ばかり考えていると老けますぞ」
ゴッチは身を乗り出してオーフェスを威嚇してみせる
が、同時に仕方ない事だとも思う。ゴッチだったらゴッチのような奴は信用しない。そもそも自分のビジネスに便乗してそこいらを漁りまわるような奴が居たら、目障りだ、殺しているだろう
「…………タウラとか言う連中と渡りを付けてやる。そこからは好きに貢物でも何でもすれば良い。奴等と仲良くしたいんだろ? 俺には理解出来んが」
カノート神殿とか言う物についてゴッチは詳しく知らないが、それでも王都とべったりだと言うのは理解できる
その蜜月関係の隙間にエルンスト軍団が入り込むと言うのは、きっと自分が想像する以上に難しいのだろう
感謝しろよ、とゴッチは鼻を鳴らす
オーフェスは身を強ばらせた。直後には何事も無かったかのように平然としているが、額には汗が浮いていた
「だからもう帰れ」
「それは……」
「どうやら俺の“野暮用”が奴らの目に止まったらしい。良い印象を与えたようだ。それに、その“野暮用”で奴らは俺に対して大きな借りを作った。……少なくとも連中はそう思っているようだな。まぁ、貰える物は貰うさ」
「その“野暮用”について詳しく聞きたい所ですな」
「さっきも言ったろうが、奴等に聞けよ。奴等の言う事なら信用出来るんだろう?」
怒らせてしまいましたのぅ、とオーフェスは矢張り笑う
ゴッチの倦怠感は頂点に達した。犬を追い払うように手を振って退出を促す
エルンスト軍団の軍師筆頭相手にこんな態度を取る者はそう居ない。オーフェスは無礼な扱いを受けたと言うのに、明るい笑顔で席を立った
「もう面倒な話をしに来るなよ。場末の酒場でケツを売ってるガキですら人を笑わせる事が出来るのに、アンタはどうだ? 只管俺を疲れさせる」
「ははは、何の。お礼をさせて頂きます故、これからもこの婆の相手をしてやってくだされ」
「……早く失せろ。俺がエルンスト軍団への嫌がらせの方法を考え始めない内にな」
オーフェスが扉の向こうに消える。ゴッチは大きく息を吐き出して、椅子に深く腰掛けた
激しく疲労していた。其処に現れるゼドガン
「オーフェスの護衛がピリピリしていて、屋敷の者達がそれにあてられてな。一触即発だったぞ。……ゴッチ?」
ゼドガンは疲労困憊と言った風情のゴッチを暫し見詰めると、素早く距離を詰めて逞しい大胸筋に軽く拳骨を当てた
「あ……! お……! っぐ……!」
全身を苛む痛み、痺れ。僅かに身じろぎするだけで熱を持った関節が軋む
激しい筋肉痛と関節痛。声に鳴らない悲鳴を上げるゴッチ
ゼドガンは肩を竦めてニヤニヤする
ゴッチがカシーダを殴り倒すときレッドが使った魔術は以前の物とは趣が違うようだった
その気になれば土手っ腹に開いた銃創を三時間で完治させる事の出来るゴッチが、未だに筋肉痛に苦しんでいる。とんでもない魔術である
「もう大分良いようだな」
「何しやがる!」
「レッドの魔術は恐ろしいな。ジルダウに君臨する古代の神よりも恐ろしい男に、こうも情けない声をあげさせるのだから」
ゴッチは舌打ちを繰り返した。ゼドガン、この男、カシーダを倒した時の話をしたら酷く不機嫌になったのだ
話を聞くほどに(自分にとって)相当面白い事態であった事を悟り、それに参加出来なかったのが痛恨事であったらしい
もう三日も経つのに未だに根に持っているようで、年甲斐もなくゴッチにちょっかいを掛けてくる。次こそは俺が最も面白い敵と戦うのだ、と息巻いている
まるでゴッチの元に敵と荒事が舞い込んでくるのを確信しているような物言いだった
「クソ、まだ言ってやがる」
「俺も試してみたい物だ。レッドの魔術を背に受けて小山程もある敵を斬り捨てるのだ。堪らんな」
「その時はゼドガン、副作用の激痛に悲鳴を上げるお前の全身を丁寧に揉みほぐしてやる」
「……ん? 骨が砕けて死ぬぞ。……死ぬぞ」
ゼドガンは短い間に深く熟考し、死ぬぞと二回言った
ゴッチが全力で自分の肩を揉む姿を想像してみたのだが、一揉みで肩の骨は粉々だろう
「お前が按摩をするなんて……。掛かったが最後、二度と腰痛や肩の凝りに悩まされる事は無くなるだろうな。皮肉だぞ? 解っているだろうな」
「抜かせ。ロージンなんて嬉し泣きしてたぜ」
「ロージンに按摩を施したと言うのか? 本当か?」
ゼドガンは真顔で尋ねる。ゼドガンから見たロージンは、確かに健全で丈夫な肉体を持っては居たが、とてもゴッチの怪力に耐えられる程ではない
見立てが違ったと言う事か。ゼドガンは己の不明を恥じた
「……人は見掛けには寄らんと言う事だな。ロージン、あぁ見えて類稀な肉体を備えていたか」
一方ゴッチは「何ってんだコイツ」と言う顔をした
「何言ってんだお前」
と言うか口に出した
俺だって手加減くらい出来る
「しかし、三日経過してこれだ。俺も少しヤバイかもな」
「……?」
「……高々数日の間に寒気を覚えるほど年をとったって事さ」
――
夕暮れのジルダウ湖は妙に不気味に見える。今でこそジルダウの街は活気があるが、ずうっと昔、四方八方の蛮族をアナリア王国が打ち払うまでは、ここも寂れた場所だった
その頃のジルダウ湖には嫌な伝承が幾つもあった。人間を引き込む水魔や、水面を駆けるバイコーンとそれを駆る冥府の騎士。果ては、ジルダウ湖の最も深い部分には大穴があり、その穴は見えざる無数の手を持つ恐ろしい水の精霊の住処に繋がっている、なんて物もある
嫌な御伽噺と相まって、嫌な雰囲気だった
「なぁ、レッド殿」
湖の畔で、憂いを帯びたアロンベルは己の手の甲を見ながら尋ねる
「我が友と部下達は……」
右手の甲からのたうつ蛇のように肘まで伸びる火傷の痕のような引攣り。カシーダの呪いの証だった。目の前でギターを磨いているすっとぼけた魔術師に言わせると、三日もあれば全身に広がり、命を奪う筈だったらしい
今はもう何ともない。時折ピリピリとそこが痛むのだが、どんな得体の知れない物に反応しているのやら、アロンベルは考えたくもなかった
レッドは何気なく顔を上げた。一点の曇りもない煌く瞳が、真直ぐアロンベルへと向いている
「…………」
アロンベルは言葉に詰まった。聞けばレッドは答えるだろう。だが望む答えが得られないと言う事が、何となく分かってしまった
「……もしこの先、さまよう彼等を見つけたら、その魂と尊厳を取り戻すのに全力を尽くすだぜ」
ポツリと言ったレッドの体から青い光が溢れ出す。それは舞い上がる火の粉のように、或いは蛍が群れるようにして宙を踊り、天へと登っていく
湖面が跳ね返す月明かりと、レッドの放つ青い燐光
アロンベルはレッドが自分から視線を外すのを確認してから、くしゃりと表情を歪めた。ほんの一瞬だけ
ドラゴンを討伐した直後だった。アロンベルが、タウラとなった幼馴染と再会したのは
彼は、詳しい事は話せないがやんごとなき身分の方が消息を絶った。邪悪で危険な儀式の生贄にされた可能性が高いと言った。この時点で既に自分は幼馴染に庇われていたのだな、とアロンベルは全て終わってから漸く気付くことが出来た
その場にはアロンベルと無関係ではないと言えなくもないレッドも居た。アロンベルの幼馴染と交友があり、手を貸していたのだった
「もし、と無意味な事を考えることがある。もしアリハーがあの祭祀場を見つけさえしなければ……」
「そうだぜ、アリハーは死ななかった」
「……解っては居るんだ。その時は、他の誰かが死んだんだろうな。だが、教えてくれレッド殿。何故あの時私に教えてくれなかったのだ。カンスレーの者達がアリハーを殺したのだと。それともあの時に限って死んだアリハーの声が聞けなかったのか?」
「カンスレーの連中はカシーダの奴隷だったんだぜ。本人が自分達をどう思ってるかは知りたくもないけど、少なくともカシーダは自分の玩具を取り上げられて大人しくしてるような奴じゃないんだぜ」
アロンベルの幼馴染アリハーはカンスレーの山の民によって惨殺され、カシーダの生贄にされた。少し別行動を取った本当に僅かな間に不意を撃たれたのだった
アロンベルがそれを知ったのは全てが終わってからである。本当は、ゴッチ達が決着をつけて戻ってくるまで淡い希望を抱いてもいた。友が生きていて、助け出されて帰ってくるのではと
「では今ならば良いんだな」
レッドは黙り込む。アロンベルの願いは瞭然だ
カンスレーの一切合切を焼き尽くす事である。出来る事ならば呪われた山ごと消し去ってしまいたいとすら思っている
迷い込んだ旅人を惨たらしく殺し、邪神の生贄にするような山の民だ。私憤のみではない。滅ぼさねばならない。少なくとも、小領とは言え、辺境とは言え、アナリア王国の民を僅かでも治めるものとして
おためごかしは今やアロンベルの得意技の一つだった
「……アロンベルの怒りは正当な物なんだぜ」
「レッド殿は? 平然としていられるのか?」
「そんな事ないよ。……だけど、あの連中の今後を思うと寧ろ哀れにすら思うんだぜ」
哀れ? アロンベルが疑問を言葉にする前に、レッドは言葉を続ける
「連中の事が脳裏を過ぎるだけで、辺りの物を手当たりしだいに引き裂きたくなる奴が、何人居ると思うんだぜ? 彼等は絶対に怒りと恨みを忘れない。カシーダが打ち倒された今、それが何処に向かうかなんて」
「……そうか。最も正当な権利を持つ者によって復讐は果たされるんだな」
レッドは湖面を見詰めている。アロンベルもそれに習う
明るい気分になど、なれなかった。復讐を果たした者達はその後どうなる? すんなりバヨネや、“心正しき者達の神”の元へゆけるのか? 彼等の先達や祖霊達が、諸手を上げて迎えてくれるとでも? カシーダの呪いに侵された者達を?
「……そして、二十人に満たないタウラ達は暫く休む間もない訳か」
虚勢を張って軽口を叩く。アロンベルは意識して口元に力を込めていなければ唇が震えてきそうだった
我が友や、我が部下達が、生ける者に仇成す虚ろなる者としてさまよう。そう考えるとやるせない気持ちが湧き上がってくる。死より辛いことなど、意外と簡単に見つかる物なのだな、とアロンベルは思った
「……あの村の者を二人ほど匿っていた筈だが。あの者達はどうなる」
「クエラとエシューなら、タウラグラネー・シェンが守ってくれる。……外を知ってる娘達だぜ。あの二人にも呪いは付き纏うだろう。……いつか何とかしてあげたいんだぜ……」
「私にしてみたら仇の内だがな、レッド殿」
ぴく、と身を強ばらせたのを察して、アロンベルは慌てて謝るのだった
――
「レッドに会いに行かれないのですか?」
「何でだ?」
「ならば私の仕事を少なくしてくれる訳ですね。ボスにお目通り願いたいとやってくる商人は幾らでもいるので」
ゴッチの私室に入り浸って本を読むラーラは流し目を送りながらにやりと笑った
ラーラはダージリンが、ふと気づいた時には屋敷の中、ゴッチの周囲ですっかりくつろいでいるのが酷く気に入らないらしく、なるべくゴッチの傍に侍るようにしている
「……シェンと他の連中の相手はもう良いのか」
「タウラ内で論を戦わせ、また話を聞きに来るそうです。今度はボスに」
「俺は奴等とは会わん」
ラーラは書棚から二、三冊程見繕うと、無作法にもゴッチの執務卓に腰掛けた
ゴッチも今更何か言ったりしない。ラーラが仕事の時間と私的な時間をどう区切っているかはゴッチには解らないが、プライベートの時のラーラは大体こんな感じだ。ゴッチがどの程度まで許すのか、その限界ギリギリを見極めて楽しんでいる風にもみえる
パラパラと古書を捲りながらラーラは顎に手をやって考え込む
「聞いたな? 俺は奴らとは会わん」
「ボスが彼等を好かないのは知っていますが」
「そう言う事じゃねぇさ」
ゴッチは鬱陶しげに溜息を吐くとスーツを脱いだ。乱暴に投げつけられたそれはラーラの視界を奪う
ラーラはスーツの襟元に鼻先を埋めてジト目になると、防弾及び防刃性の生地の下でもごもご口を動かした
「それはまた。てっきり好きか嫌いか、若しくは頭を地面に擦りつけながら泣く演技が出来るかどうかが、ボスにとっての全てだと思っていました」
「本当にそうなら、五日前ここに来た商人は左手を失わずに済んだろうな」
「……で、何故なのです?」
ラーラはスーツをぶわりと振り回すと何のためらいもなく羽織った。明らかに大きさのあっていないスーツが黒いローブの太腿までをすっぽり覆う
ゴッチは何か文句を言おうとして止めた。まぁこの程度可愛い物だ
「オーフェスが嫉妬するからさ。あのだしがら婆さん、自分に余りにも精気が無い物だから、でっぷり太った宗教屋どもの脂っこい腹を狙っているらしい。自分にも分けろと言ってきた」
「…………成程、ボスばかりタウラと仲良くしているのが気に入らないと」
「奴らが自分の親父か何かだと思い込んでるのさ。俺が悪口を吹き込まないかどうか心配そうだったぜ。……イカレてる」
「…………ははぁ、オーフェス老が何と言っていたのか大体想像できました。……ロージンのせいですね」
「あん?」
「ロージンにタウラ達が集まる事を前もって話しておいたら、喜び勇んで聖職者達の日用品を揃え始めたのです。それがオーフェスの耳に入ったのでしょう。……どうやら我々の事が気になって気になって仕方ない様子」
成程な、とどうでもよさそうに言って、ゴッチは天井を見上げた
ロージンは商人だった。今だってそのつもりなのだろう。彼の持つ経験と人脈その他を信頼して、好きに商売しろと言ったのは他ならぬゴッチだ
余りに関心が無いゴッチ。ラーラは本を閉じてゴッチに向き直った
「……読めぬ御方だ。タウラ達に一目置かれているのです、我々は」
「だから?」
「タウラが私達に一目置くと言う事は、他の神官達は尚更です。きっと、我々と仲良くしたがる者が……、増える、でしょう……」
ゴッチの態度は少しも変わらない。至極面倒臭そうにラーラを見ている
こうまで「だから何だよ」と言う目付きで見られると、本当に何でもない事のように思えてくるからゴッチは不思議だな、とラーラは思う
ラーラの言葉は尻窄みになった。はぁ、と溜息
「お行儀よくして連中の説教を聞くのが好みか? 勘弁しろ、絶対途中で寝ちまう」
「……はぁ、まぁ、……成程。ま、ボスがそう仰るなら」
はっきりとしない物言いのラーラ。余り見れない類の物だった
物珍しくはあったが、ゴッチは話を切り替える。仕事の話をしたそうだった
「で、俺に何をして欲しいって?」
ラーラは少し考え込んで、変な顔をする
「……えぇ、正直言えば何もして欲しくないですが、してくれると言うなら洗剤の用意をします」
「洗剤? これから会いに来る商人とやらと、屋敷の大掃除でもさせたいのか?」
「いいえ。ボスが高笑いしながら商人に血反吐を吐かせても良いようにです。血は中々落ちないので」
一息に言い切ってラーラは笑った。「言ってやった」と言わんばかりの表情だった
気苦労の絶えない奴だ。ろくでなし共を統率して、いざこざを解決して、この上屋敷の汚れにまで気を使うなんて
そう、冗談めかしてゴッチは言った。が、ゴッチがそう言った途端ラーラは真顔になる
「おいおい……。素晴らしい人物が誠実な取引をしようってんなら、俺だって左手を切り落としたりしないさ」
「確か来るのは女商人でしたな。見てくれの良い、礼儀も教養もある、手土産に酒を持参してくる程度には気の利いた商人です」
「なら、左手はくっついたまま帰してやれそうだな?」
ゴッチはジッとラーラを見ている
皮肉たっぷりにラーラは言っているのだ。なら何かあるのだろう
「手土産を“味見”した者が鼻血を吹いて死ななければ、若しくはボスがレッドに会いに行ってくれていれば、洗剤の用意は要らなかったでしょうね」
ほーぅ、と興味深そうに首を傾げるゴッチ
何となく、その女商人を殺したくないのだなと感じた
「ソイツに何か使い途があると?」
「一商人が取るにしては、大胆に過ぎると思いました」
ゴッチは立ち上がる。ドレスシャツの胸元を開いて大きく伸びをする。ギシギシと未だ痛む身体
可愛い部下の意を汲んで、散歩しに行く事にした
「……解った。俺はレッドの馬鹿の演奏を聞いてくるさ」
ラーラは丁寧に一礼した
――
そろそろ夜が明けるだぜ、とレッドが呟いた
切株の上で手慰みに雑草をこねくり回しながらレッドはジルダウ湖の水面を見詰めている
湖面は深い碧の光を湛えていた。早朝の薄暗い中、微かな陽光を受け止めて鈍く光っているのである
少し、肌寒い。レッドはぶるりと震えて、真紅のジャケットから伸びる白い腕を摩った
「一晩中ここに?」
レッドの隣りに立ち、葉巻を銜えるゴッチが聞く
何故か火を点ける気にはなれなかった。藍の空を断ち割っていく陽の光。風の音。草の青い匂い。今ここにある不思議な空気を壊したくなかった。レッドには「ライターを忘れてきた」と苦しい言い訳をした
「うん」
レッドの返答は実に短かった。常にバカ騒ぎしている男が細い面立ちをへにょりと悲しげに歪めて居ると、やっぱり変な気分だ
桜色の唇が微かに震えているのに、ゴッチは気付く
「どうしたよ。まだカシーダの馬鹿の陰口でも聞こえるか?」
「うーんにゃ。……やぁ、生きてて良かったなって」
「俺の言う事に間違いは無かっただろ? 死にゃしねぇってな」
レッドはやっぱりへにょりとしたまま、うーんと唸る
「実を言うと、半分くらい死のうとしてただぜ」
「あぁ? ンだそりゃ」
「肉体は時に枷と成りうる。生きてる内にゃ何も出来なくても、死んでから出来る事ってあるんだぜ。魂だけになればカシーダと同じ土俵に立てる。そうすりゃ奴を神々の墓場に引きずり込むなんてちょちょいのちょいだぜ。……ダチを巻き込みたくなかった。本当は、兄弟も。もしやられてたら、普通に死ぬより何倍も酷い事になってた」
ゴッチはレッドにデコピンを食らわせた
バヂ、と音がする。少なくともデコピンの音には聞こえないが、間違いなくデコピンだった
「馬ァ鹿。ビビりまくってた癖によ」
「うん……。マジ恐かった。でも死ぬのが恐かったんじゃ無ぇんだぜ?」
「どうだか」
くっくと笑う。どちらからとも無く、笑い始める
陽が少し高くなった。空が朝焼けの色を帯びてきて、山脈が黄金色に染まる。風が弱まっていく
金の光を浴びながらレッドは言った
「ありがとう、兄弟よ」
ゴッチは草叢にばったり倒れ込む。手足を投げ出して大の字に寝転んだ
「実はなレッド、お前がそういう風に兄弟って呼ぶの、……その、なんだ、誤解を恐れず言うなら、余り好きじゃ無かったんだぜ」
相当に選んだと思われる言葉だった。傍若無人の男が心情を慮る相手など、そんなに多くはいない
その内の一人にレッドは成った。短い期間の中で、二人は深く結びついていた
何故かな、とゴッチは思う。相性と言う奴かも知れん
「えぇ~?! そうなのん?!」
レッドは眉毛を八の字にして叫ぶ。驚愕して後悲嘆。がっくり肩を落として恨めしげにゴッチを見た
「……まぁ聞けよ。隼団は……他とはちぃと毛色が違う。……のは知ってるか。零細オフィスの癖にロベルトマリンで幅を利かせてる。渡る橋は何時でも危ない。安心してクソも出来ねぇ日が一ヶ月続くなんてザラだ。だが、俺達はファルコンの手練手管と個々の能力、……何より合金よりも固い結束で生き残ってきた」
目を丸くするレッド
ゴッチは舌打ちして上体を起こす。だから結束なんて言葉使いたくなかったんだ
自分でも似合わないことを言っている自覚はある。あぁ恥ずかしい
「だからその、なんだ、解るだろ? ファミリーをファミリーと呼ぶ事の重たさだよ。今まで何度「クソッタレ」と呼ばれたか把握できないような俺でも、ファミリーに対して敬意を持ってる」
「あぁー。……あおぉー」
「なんて声出すんだよお前。死霊兵か」
レッドは呻き声を上げながらゴロゴロ転がり始めた
クソ、こいつ鬱陶しい。ゴッチはもう一度デコピンを見舞う
「だから聞けっつってんだろ。……今はもう違うんだよ」
「……マジ?」
草叢に頭を半分突っ込みながらレッドが聞き返してくる
「マジだ。……最初はどうだったか知らねぇが、お前が俺を兄弟と呼ぶのは冗談でやってんじゃねぇと解った。少なくとも俺はそう感じた。解ってねぇのは俺の方だった。……お前のさっきの言葉も、本当は信じてる」
死ぬのが恐かったんじゃねぇんだぜ?
レッドの言葉
「レッド、お前は気合が入ってる。自分の死よりも俺の死を恐れた。俺も、俺が死ぬよりファルコンが死ぬ方がヤバイと思ってる。役割上の仕事でもあるが、少なくともファルコンより先に俺が死ぬ心構えで居る。コレはお前の気持ちと同じ物だと思う。お前は尊敬に値する男だ。……寂しいだとか言って鼻水撒き散らして泣くのは減点項目だがな」
レッドはいきなり立ち上がると、ジルダウ湖に頭を突っ込んだ
ゴッチも走り出す。ぐおおぉと雄叫びを上げながらレッドがしたように湖に頭を突っ込む
暫くそのまま。そして二人して同じタイミングで頭を持ち上げ、ぼは、と息を吐き出した
悶絶級の恥ずかしさであった。生涯の恥部であろう、こんな青臭い事をつらつら述べるとは。ゴッチは頭が破裂しそうな思いだった
「いきなりそんな事言われちゃって俺ってばどうすりゃいいんだぜ?!」
「るせー! 知るか!」
犬のように頭を振る二人。水を吹き飛ばして、ゴッチはレッドに指を突きつける
「レッド、お前は隼団じゃねぇ。それに度を越して甘ちゃんだ。ラーラより酷ぇ。だが……悪かねぇ。違いねぇや、お前は……兄弟だ」
レッドは真赤になって湖に飛び込んだ
――
後書
へーい今日も呑んでるかーい。
管理人様はご結婚なさったばかりだと言うのにサイトの問題に対応してくださって、俺のようなアホはのうのうと投稿を続けていて……。
まっこと感謝に絶えませぬ。
今回ふと、青春したいなとか思ったので試してみた。
そしたら臭ェー。男とイチャコラするとか……。
余りに青春過ぎた……。
綺麗なモンだろ……。信じられるか? ゴッチのキャラ、シティオブドッグス見ながら考えたんだぜ……?