「ファック! ファック・ユー! ロベルトマリンポリスが、オールウェイズ治安を守る我々が、気障男がピロートークの中で洩らした犯罪自慢ですらも見逃さない私が、こんな事許すものか!」
パーティに沸き立つモルビー・エスチレン邸、モルビーの私室
一人の女がモルビーの個人端末にヘッドバッドをかましながら泣き喚いていた
普段は豪快が服を着て歩いているような女傑であるのだが、今は己の所属する組織の情けなさに涙と鼻水を洩らしながら暴れている。千年の恋も醒める酷い面だ
「今時ダブルロックなんて洒落臭いんだよぉ!」
電子機器の差し込み口に、剥き出しの銅線を直接捻じ込む。銅線の先には可愛らしいピンク色に着色された亀の甲羅のような機械がある
これの御蔭で目的は果たせる。同志であるミハイルに望むものを届けることが出来、全ては報われる
しかし、流れる涙は止まらなかった。情けないったらありゃしない上に、自分がこの後どうなるかも気付いていた
ドアを蹴破って、長方形の押し型に無理やり詰め込まれたような板顔の男が入ってきた
モルビーだ。シャンパンのシャワーに塗れたのだろう黒髪を、象牙の櫛で整えながらの登場だ
「全くお前ときたら」
「ひぐっ」
「どうした? 何時もの様子とは全然違うじゃないか」
一生の不覚だ、と思った。まさかひぐっなんて無様な悲鳴を洩らすなんて
でもまぁ、良いか。自分の一生は、ここで終わりだ
「モルビー、あたしゃね、あんたのトロ臭さにいっつも苛々してたのよ」
「ほぉ、それで?」
「今回ばかりは感謝するよ」
げらげら笑って、人差し指をエンターキーに叩きつけた。同時に、モルビーは腰部の銀の刺繍が施されたガンホルダーからリボルバーを抜いていた
そして、女の脳天が吹っ飛ばされるのも、同時であった
「…………ミハイルか。相変わらず周到な奴め」
――
「まだ我々はあの趣向を凝らしたディナーを味わい尽くしていないのだが?!」
「食い物の恨みは深いんやでぇ!」
「状況が変わった」
一切の空路交通法を無視して爆走するエアカーの後部座席で、テツコとジェットはもんどりうって倒れたり窓ガラスに鼻っ柱を打ち付けたりしながらミハイルに抗議する
「私の同志が上手くアドリブを利かせてくれてな。のんびりしては居られなくなった」
「君に同行すると何一つ良い事が無いと、今日思い知ったよ! マリーシアンに、礼の一つも言わせてもらえないとはね!」
「アレの事ならもう心配しなくて良い」
バックミラーに写るミハイルの目が光る
テツコは絶句した
「手持ちの弾丸を全て撃ち込んできたからな。礼や謝罪の類は、いつか死んだ後にでもゆっくりとしてくれ」
「…………なん……」
「言っただろう、アレを排除しなかったのは利用価値があったからだ。無くなれば殺すさ」
テツコは怒りで顔を真っ赤にした。この男は、この男は、ふざけやがって
そう口に出そうとした時、ジェットがぬぼーっと力の抜ける声を出す
「ぴんぴんしてんねやけど」
「何?」
テツコは後ろを振り返る。防弾仕様の強化ガラスの向こう側に、マリーシアンが居た
背中と太腿、踵から青い光の尾を引いている。航空警察が使っている個人飛行用の物とは段違いのブースターだ
鋼鉄色の両手にはアサルトライフルを捧げ持っている。ジェットが訂正を入れた。「軽機関銃や」らしい。テツコにはそこまで見分けがつかない
際どい恰好だった。レオタードのようなタイツのような、判別しにくい布が、辛うじて二つの乳房と秘所を覆っているに過ぎない
率直に言うとエロい
「ランチャー構えてんねやけど」
「あ、あ、あ」
マリーシアンが姿勢制御を行った。背部でその重厚な存在感を誇示していた折り畳み式のグレネードランチャーが持ち上がる
二つ折りにされていた砲身が広がり、黒いモノクルのような何かがマリーシアンの右目を覆った
テツコは茫然と呟く
「それは困るよマリーシアン」
ぽしゅ、と思っていたよりも間抜けな音がした
「ぼさっとしてんなや! 回避機動!」
「少し黙っていろ! 舌を噛むぞ!」
覚えていろよ、ファルコン、マクシミリアン、そして何よりミハイル
自棄になって吐き出そうとした罵声は、悲鳴に変わる。天地がひっくり返ったからだ
グレネード弾は前代未聞のバレルロールで身を捩るエアカーを捉えることはなかった。高層ビルの一つに直撃し、爆音と共に外壁を抉り、亀裂を生じさせる
エアカーに直撃すれば、言うまでもなく拙い威力だ
「右サイドに出てきおったでぇ!」
「流石に戦闘機と違って、背後までは取らせてくれんな」
呑気に報告するジェットに、運転席から黒い物体が放り投げられた。銃だ。所々に銀のラインが通っており、それが引き金に集束している
ジェットは引き金の前部にある正方形のブロックを手荒に叩いた。がしょ、と音を立ててスライドしたブロックに満足げな笑みを浮かべ、銃床に付いているレバーを持ち上げる
「エネルギーショットガンかいな! サイボーグ相手やしパルスガンがよかったなぁ」
「さっさと撃て!」
「失礼しまっせ」
「んむぐぐぐぐ」
ジェットに押し倒されて、テツコは呻く。豊満な乳房に顔面を抑えられ、息も出来ずに喘いだ
窓から銃身を突き出すジェット。マリーシアンは体を倒して地面と水平になり、その上でボディ前面をエアカーに向けていた。当然、二丁の軽機関銃はエアカーを狙っていたが、ジェットの突き出すショットガンを確認したマリーシアンは左手の軽機関銃を腰部にマウントし、その上で左手の甲を突き出す
ジェットは我武者羅に連射した。秒間三発。ひゅーんと言う耳障りな音を立てて、反動を生じさせないエネルギー兵装は規則正しく紫色の散弾を発射する
マリーシアンの左手から生じた緑色の六角壁がそれを防いだ。半透明のシールドの向こう側で、マリーシアンが目を細めたように、ジェットには感じられた
「ダッチワイフ一体にどんだけ金掛けとんねん!!」
「あぁ面目ない、モルビーのくそったれの趣味だろうよ」
言うが早いか、ミハイルは思い切りハンドルを切った
エアカーが車体を斜めにし、大きく右に曲がる。狙いは明白だ
「む、無茶をー!」
「舌を噛むと言ったぞ!」
エアカーはマリーシアンに激突し、そのままビルの壁面にめり込んだ
マリーシアンは何の偶然か車体に引っかかったようで、エアカーとビルの間で激しく摩り下ろされる。がりがりと何とも言い表しにくい音が響く
ビルの切れ目。そこで何とか車体から離れ、マリーシアンは体勢を立て直した。エアカー及びビルの壁面と接触した時に、軽機関銃を破損、或いは喪失したらしい。グレネードランチャーは言わずもがなだ。しかし、生体部分には奇跡的に損傷が無かった
ブースターから光の尾を引きながらクルンと一回転すると、お返しとばかりにエアカーに向かって突進してくる
「あぁー、こらあかんでー」
ジェットが苦笑いし
再びショットガンを構えた
「なーんてニャ!!」
紫色の散弾がマリーシアンを打ちのめす。咄嗟に防御態勢に入ったようだが、それ故に姿勢制御が崩れるのはどうしようもない
マリーシアンは姿勢制御と空力抵抗を上手く使い、ジェットの射角から逃れた。都合が悪いと思ったジェットは、ミハイルの手荒い扱いによって歪んでしまったドアを蹴り開き、そこからエアカーの車体の上へ躍り出る
アサルトパンツに付いていたチェーンの端を取り外し、テツコへと投げ渡してきた。じゃらじゃら鬱陶しく揺れていたそれは、伸ばしてみれば結構な長さがあった
「博士さん、しっかり握っといてやぁ」
上から車内を覗き込むジェットは、逆さまの笑顔で鼻をふごふごさせながら言う
そこから熾烈な防衛戦が開始される。体当たりを仕掛けようとするマリーシアン、近寄らせないジェット。あわあわ言いながらチェーンを握りしめるテツコは、はしたないと思いながらも助手席の背凭れに足を絡みつかせて必死に踏ん張る
「あかん、下から来る気や! 博士さん踏ん張ってぇーな!」
ジェットがぴょんと飛び降りるのを、テツコは絶望を滲ませた目で見た
直後に手に掛かる重みが激増する。チェーンを巻きつかせた手がミリミリと、そうミリミリと音を立てた。テツコの荒事に向かない手は裂けて肉がはみ出そうだった
「いだだだだだだだだ!」
「ミハイルのあほー! もっととばせや!」
「我儘言うな!」
「手が千切れてしまう!」
「そらそらぁー、掛かってこんかいこのスティールダッチワイフ! ジェットの射撃はRMAの現役マークスマン仕込みや! 舐めんやないでぇー!」
「嘘つけ馬鹿、車体に中る! 射角を考えろ!」
テツコは泣いた。疲労とストレスのピークに達し、何故こんな目に会うのかも解らず、ただ振り回される己の境遇に、泣いた
「ふぇえええええ」
「さっさと撃ち落とせ!」
「しゃあらかし! 簡単に行くかいな!」
「うぇぇぇ、えぇぇぇん」
「クソ、新手だ。地下に入る、注意しろ!」
「え、ちょ、ま」
ミハイルは航空警察仕様のエアカーが現れたのを見て、すぐさま決断した。モルビーの息が掛かっていないポリスチームなど、極めて限られる
一台と一機は、爆音を上げながら地下へと入る。線路が引かれた地下鉄用搬入口だったようだが、十五メートル程の高さがあり、最低限エアカーを走らせるには十分な広さがある
しかし、それはマリーシアンにとっても同じことだった。幾ら広いとはいえ、外よりは遥かに動きを制限されるエアカーに、マリーシアンの攻めは苛烈さを増した
車上へと戻ったジェットが荒い息を吐きながら叫ぶ
「地面スレスレを飛びぃや! 下から来られんのはやっぱアカンわ!」
「聞こえんぞ! 何だと?!」
「しーたー! 高度さーげーぇーやー!」
「ん?! 止めろ……? 出来るか!」
テツコは涙を拭って、取り繕うようにすまし顔をした
「トンネル内の音反響で聞き取り辛いが、高度を下げろと言っているようだ」
「ほぅ? 成程、良い事を思いついた」
「良い事? 嫌な予感しかしないな」
「ジェット! 聞こえているか?!」
「なんや! 今忙しいねん!!」
「下を取られても、無理に守らなくていい!! 俺が始末をつける! テツコ、マリーシアンが下に回ったら教えてくれ」
なるようになれっちゅーんや。ジェットの罵声が飛んできた
そう言う内に、マリーシアンがエアカーの下を取る。ジェットはミハイルの言葉に従ってそれを追わず、テツコの手は引き千切られずに済んだ
「行ったぞ!」
「ふぅ」
ミハイルは溜息を吐きながら、思い切りエアカーを下降させた
先程の焼き直しである。エアカーはマリーシアンを踏み潰し、地面との間でサンドイッチにする
パンズに挟まれたハムだ。マリーシアンは。猛烈な摩擦によって再び摩り下ろされていいるマリーシアンから、酷い金属音がした
「容赦のない男だ!」
「耳が遠くて聞こえんな!」
「えぇでー! くたばってまえや、ダッチワイフ!!」
一仕事終えた、とでも言うように指の関節をぼきぼき鳴らしたミハイルは、眉を顰める
地面に、それもこのエアカーの直線状に、妙なでっぱりがあった
照明設備が稼働しておらず、気付けなかったのだ。「やれやれだ」ミハイルが溜息を吐きながら米神を揉んだ瞬間、激しい衝撃と共にエアカーが浮き上がる
鼻面をでっぱりに激突させて、車体後部が持ち上がった。きゃぁぁぁと悲鳴を上げ、シェイクされるテツコ。同じくぎにゃぁぁぁと悲鳴を上げ、投げ出されるジェット
エアカーは一回転し、線路との摩擦によって火花を撒き散らしながら壁に激突する。テツコが意識を保っていたのは、そこまでだった
――
「で、どうすんねや。ジェット、こんなん扱えへんよ。そっちは?」
「手に余る」
「普段ならツールを常備しているが……」
「今は無理って事かいな」
目を開くと、髪の毛が揺れていた。鼻先を擽られて、むずむずする
テツコはジェットに背負われていた。埋めた首筋から感じる汗の臭い。身体に纏わりつく埃。無理な体勢。決して、安眠に適した寝床とは言えなかった
面倒事は、まだ終わってはいないのだ。全てが夢で、自分はコガラシの操作端末の前で居眠りをしているだけ、と願望を思い浮かべてみても、目は覚めない
テツコは大きく溜息を吐き出す。ジェットが首をテツコの方に反らした。能天気な間抜け面がふごふご言っている
「博士さん、目ぇ覚めました?」
「…………ずっと寝ていたかったよ。そちらの彼は?」
「ブラヴォです。テツコ・シロイシ博士、お初に御目にかかります。博士の救助の為に派遣されました」
「ジェットの拳骨の犯人やで」
何時の間にか増えていた一人の人間は、どうやら協力者であるらしかった
迷彩服を着て、重量のあるアサルトライフルで肩をとんとんと叩きながら、崩れた敬礼をする男
ブラヴォと名乗った特徴の無い兵士に、問いかける
「ミスタ・ブラックバレーの?」
「直属の上司はアーハス・デュンベルですが、そうなります」
テツコはジェットの背から降りると、そうか、と頷いてブラヴォに歩み寄る
コンクリートの狭い通路であるようだ。長らく放置されているのか、埃まみれで所々に欠損もある
テツコは能面のような表情で、凍えそうなほど冷たい声を発した
「端末を。君の上司の上司に用事がある」
「そいつぁ無理ですな、機密情報も入っているので。それにここは、無線端末では少々」
「だろうな。もし私が死んだら、代わりにブラックバレー氏に大嫌いだと伝えておいてくれ」
「……はぁ、ラージャ」
「で、さしあたっての問題は? そういえば、何のために態々首都上空でバスケットのボール役をやらされる破目になったのかも聞いていないな」
ブラヴォの背後には、緑色のシャッターがあった。表面に埃が張り付いていて、長らく放置されているらしい
右脇に設置された端末がピコピコと音を立てている。これを開けたいのか
腕を組んで壁に背を預けているミハイルは、小さく頷いた
「これを開ければ?」
「そうだ。ここから脱出し、手に入れた証拠をナヴィーグチェイス警察署に提出する」
「そもそも、何の話だ? 何の証拠なんだ?」
「……」
ミハイルの腕時計から光が零れる。ミハイルはそれをじっと見つめた後、淀んだ水底のような不愉快な目をテツコに向けた
「パーティの最中に、私の同志があるデータファイルを送ってきた。本当ならばもう少し時間を掛けて行う心算だった案件だったが。…………データは、モルビー・エスチレンがセックス・ボムの流通に深く関与していることを示している」
ミハイルの中の怒りが漏れ出している。テツコはそれに僅かに気圧され、忌々しげに眉を顰める
灰色の通路がぐにゃりと曲がって見えた。テツコだって、怒っている
自分は人質のような物だ。ミハイルは、自分の仕事が如何に性急で、かつ出鱈目な物なのかをよく理解していた。だから自分をダシに使って、ブラックバレーから戦力を引き出している
性格が悪過ぎて、余程友人が居ないに違いない。だが計算高さ故に生き残っている
「他のどんな人間から隠し通せたとしても、或いは脅迫し、買収し、始末して口を封じることが出来たとしても、私はそうは行かない。このデータで、奴をロベルトマリンの暗い海の底に叩き込む」
「……成程。それでマリーシアンに追いかけ回される破目になった訳だ。……ナヴィーグチェイス警察署に向かう理由は? 公務員の持つ端末は、特定の設備が無ければデータの扱いが出来ないと聞くが、それだけか?」
「あそこの署長は利用できる。警察組織の仕事と後ろ暗い真似を同時に、そして完璧にやってのけるクソッタレだ。野心もある。モルビーを排除する為ならマックスの靴を舐めるぐらいはするだろう」
テツコは鼻で笑った。常の彼女ならば絶対に取らない態度である。ジェットが尻尾をみょんと立てた
「わしゃしゃしゃ、……こら本気で怒ってますなぁ」
端末に取り付き、ディスプレイをコツコツと小突く。壁に収納されていたキーボードが駆動音と共に伸びてくる
「話は分かった。糞食らえ」
「……このデータの為に、少なくない犠牲を払った。何としてもここから脱出する」
「あぁ、同感だ。いい加減研究所の自室でゆっくりと休みたくてね。目的は同じだ。何が言いたいか解るかな? 君が余計な事を言わなくとも最大限の努力をするって事だ。少し口を閉じていてくれ」
ミハイルは面白そうに笑って視線を床に向けた。今更テツコを怒らせたぐらいで、動じる男ではなかった
テツコは、キーボードを叩きながら言う。ディスプレイが放つブルーライトに照らされ、蒼白にも見える顔が、鉄の女に相応しい頑なさを露わにしていた
「ミスタ・ブラヴォ。聞いての通りだ。このクソッタレは、まだ暫く私に嫌がらせをしたいらしい。君の上司はなんと?」
「どんな事があろうと博士を生還させろと。自分としては、ミスタ・ミハイルと今すぐにでも別れて頂いた方がありがたいのですが。任務が格段に楽になるので」
「彼にその気はないようだ。君やジェットを死ぬほど扱き使いたいのさ。ミスタ・ブラックバレーも同じような事を言っていたのではないかな?」
「戦争屋としては、気分が良いですな」
テツコは隠しもせず舌打ちした
――
「博士さん、開きそうでっか?」
「私が居て良かったな? 一般的な機械知識の他に、総合的な科学知識もある程度必要だ。RMAでは、専門の教習課程があるぐらいさ」
造作もない事であった。シャッター開閉を操作する端末に、テツコは見覚えがあったのだ
テツコの学生時代、校舎施設の門扉制御を行っていたのと同型で、非常に慣れ親しんだ物だった。端末に細工をして門限を誤魔化す程度には
そしてそれは、テツコ達学生の伝統行事とも言える作業で、テツコはそれが断トツに上手い優等生だった
「施設構造体が損傷を受けて、一時的なロックが……。管理キーの類が必要な訳ではないな……。この施しは…………。もう開くぞ」
「早いな、何処で習った?」
壁に背を預けながら鼻を鳴らすミハイルに、実に詰まらなそうな口調で嫌味を返す
「君が、人の太腿をパイの具にするような気の狂った調理法を、何処で習ったか教えてくれたら答えようかな」
「期待に添えなくて悪いが、自己流だ。練習の機会に困らなかったからな、今ではあの手並みだ」
「なら私もそれだ。怖気がするね」
よし、と無駄口を切り上げ、テツコはエンターキーを押し込んだ
緑色のシャッターがずるずると異音を発する。愚図る赤子のようで、素直に開いてくれない
テツコは力いっぱいシャッターを蹴りつけた
「感知器の類にガタが来ているね。碌な施設整備をしてこなかったみたいだ」
「お任せやで。ジェットと博士さんの愛の共同作業や!」
ビシ、と敬礼のような何かをしながら、ジェットがテツコの隣に立つ
二人で息を合わせて、足を振り上げた。どごん。テツコに、ドレスの裾を気にする余裕は、最早存在しない
乱暴だったが、効果はあった。シャッターは今まで愚図っていたのが嘘のように軽快に開く
そしてシャッターの向こう側には、近接戦用のエネルギーナイフを構えるマリーシアンが居た
「え? だから」
マリーシアンはボロボロだった。左腕部を失っているし、生体部分にも大きな傷が見受けられる。背のブースターは完全に歪んでしまって、切り離せないようだった
しかし、表情と挙動には、ダメージが現れていない。ステップを踏んで飛び掛かってくるその動きが、テツコには見えなかった
「それは困るって。マリーシアン」
「博士さん!」
ジェットはテツコを突き飛ばした。間抜け面から間抜けが抜けた
姿勢を下げようとするジェット。マリーシアンは逃がさない。突き出したエネルギーナイフがジェットの頭上を擦り抜ける。瞬間、逆手に持ち替えられ、無防備なジェットの左肩へと振り下ろされていた
サイボーグの圧倒的腕力、と言うか馬力の前に、防刃スーツは役に立たなかった。嫌な音を立ててエネルギーナイフは突き刺さる。直後、電流が放出され、ジェットは絶叫した
「グナアァァァァァァァァ!!」
「ジェット!!」
ミハイルが拳銃を構えた。マリーシアンはジェットに密着し、痙攣するその肉体を盾にする
「クソ、貴様!」
しかし、ミハイルはともかくブラヴォはそれで止まるほど甘くない。咄嗟にアサルトライフルを放り出してマリーシアンに走る
マリーシアンも、盾としていたジェットを放り出した。身を屈めて右ストレート
ブラヴォは左右の掌を重ねてそれを受け止め、同時に体を捻った。突き出した右腕に加わった無理な回転運動は、マリーシアンの体勢を崩す
続けざまにローキック、と見せかけた足払い。マリーシアンは防御しようとした無理な姿勢のまま、床に倒される
そしてそのまま首をへし折ろうとして、ブラヴォは呻いた
ピクリとも動かない
「ネック部の駆動には、オリゲール社のクレーン用モーターを改造したものが使用されています」
無表情で告げるマリーシアン。このクソッタレサイボーグ。そう呟いた直後、ブラヴォは壁に叩きつけられた。続いて、問答無用のタックル
やられた。とブラヴォは思った。ブラヴォの叩きつけられた壁面が、僅かに凹むほどの良いタックルだった
「マリーシアン!!!」
ミハイルがハイキックを繰り出す。誤射の危険を冒すよりは、格闘戦に踏み切った
身を翻すマリーシアン。鞭のように撓るミハイルの右足を、エネルギーナイフの切先で迎え撃とうとする
足が串刺しにされようかと言う瞬間、蹴りの軌道が変化した。振り子のように反転して来た道を戻り、更に反転してマリーシアンの脇腹へと減り込む
落雷のような軌跡であった。惚れ惚れするほど見事で、強烈な、嫌らしい蹴りであった
「サガロ・コンバット。ミハイル捜査官、相変わらずお見事です」
ただ、惜しむらくは、マリーシアンに毛ほどのダメージも与えていない事だろう
ミハイルの右足は更に撓り、剥き出しのマリーシアンの鳩尾に吸い込まれる
そのまま身を捻って飛び上がり、軸となっていた左足を使っての後ろ回し蹴り。マリーシアンの米神を打ち抜くが、矢張り少しも効いていない
「無駄です。貴方も知っている筈です。私は既に、そういう身体なのですから」
「あぁよく知っているとも! お前は人間を止めた! モルビーの犬になったのだ!」
「私はサイボーグです」
マリーシアンの瞳の中で、漆黒の円が引き絞られた
その右手が、ミハイルの右手を捉える。咄嗟にミハイルは腰を落として体を振り回すが、振り払えない
マリーシアンが全身を捻った。先程ブラヴォがマリーシアンの右ストレートを受け止めた時の動きに酷似していた
もう、どうもこうもない。ミハイルは安定を失って、容易く押し倒される。そこへマリーシアンの頭突きが降ってきた
鋼鉄のデコがミハイルの額に突き刺さる。メガネが砕けて散らばった。ミハイルは凄まじい形相で拳銃を突きつける
「無駄です」
鋼鉄の腕が、銃口に添えられていた。連続して起こる発砲音。十二発、惜しげもなく吐き出された弾丸は、全てマリーシアンの掌に受け止められていた
これ見よがしにゆっくりと手を開く。ぱらぱらと零れ落ちる弾丸
「奴に先は無いぞ、犬のように従っても利益は無い」
「私はサイボーグです」
「この馬鹿者め!」
「多数のギミックを機能させるために、制御チップにすら頼る機械なのです。機械は命令を疑いません。利益の計算もしません」
ミハイルは静かに激昂した。そして絞り出すように言う
「私から離れろ、人形。お前の負けだ」
何時の間にか、テツコが立っていた
ブラヴォのアサルトライフルを心許ない手付きで構えながら、大きく深呼吸する
この鋼鉄の背中に忍び寄るのに、多大な精神力を必要とした。その上これからこの女性に対して発砲しなければならない可能性が高いとなれば、もう嫌で嫌で仕方が無かった
「マリー……シアン。降参してくれないか。私は撃ちたくないんだ」
マリーシアンは首だけで振り返る。テツコの反応出来ない速度で、その右手が動き出そうとした時、マリーシアンの米神に拳銃が押し付けられた
「鈍ったかね、俺も。これじゃ閣下にどやされちまうぜ」
ブラヴォだった。サイドアームである拳銃を突き出し、ゴキゴキと首を鳴らしている
逃げ場はない。勝敗は決したのである
「機械は死を恐れません。しかし、知りたいことがあります」
マリーシアンは目を閉じて上を向いた。瞼の向こう側には、彼女にしか見えない物が見えていた
「ミハイル、何故あの時、来てくれなかったのですか。貴方が来てくれたのであれば、私は、貴方の為に死んだのに」
ミハイルの拳銃のカートリッジには、四発残っていた
そしてミハイルは、その四発を全てマリーシアンの眼孔へと発射した
――
後書
勢いがなければ即死だった。
誰がって、俺が。
追伸
ファンゴ氏の指摘によって誤字修正
ありがとう御座る。自分では中々気付かないモノだ……。