カザンのような、べらぼうに能力があっても、出自が低かったり定かでなかったりする者は、下級の兵士や士官には有難がられるが、地位のある者達からは妬みを受ける
そういう物、と相場が決まっている
ゴッチはカザンの事については、正確に見ているつもりだ。この“異世界”と言うのは、出自で立ち居、振舞いが定まってしまうのだ。教育機関、制度が発達していない証である。出自の低い、或いは定かでない者が蔑視を受けるのも、仕方の無い部分がある
様々な教育を受ける余裕のある者と、そうでない者、これらの細々とした事については、今更言うまでもなかった。もしかすると、既存の権益を守るためには、智慧を付けられては困ると言う、統治側の都合もあるかも知れないが
先日の明け透けな様子を見る限り、エルンストの事だ。カザンを扱き使いつつも、猫可愛がりしているに違いない。妬まれたって仕方ないと言うものだった
――
ルークとの合流後、ゴッチの優先目標は、ペデンスへの侵入へと変わった。これは当然の事だ
で、あるならば、それに対してラーラが不満を持つのも、矢張り当然の事である
「何時までこうしているつもりで?」
「…………」
ゴッチがカザンと再会し、ホーク・マグダラの客分としてエルンスト軍団に同行する事になった翌日、エルンスト・オセは素早く軍を下げた
大胆に距離を取って長期戦の構想を練っている。端から選択肢としてはあったようで、以前より砦の建設が進められていたらしい
今は、ガークデンと言う街の付近に駐留していた。かなりの規模の街であるらしく。当然だが、荒野で寝起きするよりも。利便性は比べ物にならなかった
ゴッチとしては、ここでペデンス攻略の手伝い、或いはペデンス侵入の方策を考えなければいけなかったが
「ボスの本心に沿う所ですか、ここは。私はここが気に入りません。ボスもそうである筈」
「俺の仕事は、まぁ、気に入らなくても我慢しなきゃならん時があるんだよ」
「何を」
ラーラは有り得ないと言わんばかりの表情で、しかし薄く笑った
「無法を己の法となさる人が、急にしおらしいことを仰るとは」
「……今の、聞き逃してやる。が、小賢しい芝居に浸ってんじゃねぇぞ……。良く考えろ、テメェは俺を舐めたんだぜ」
薄暗い天幕の中、椅子に座って足を組んでいたゴッチは、敢えて腰掛ける位置を深く取り直す。何かの拍子にラーラに跳びかかってしまったら、後はもうボコボコにするまで止まらないだろう
ゴッチに、己の物言いを受け流すつもりが無いのを悟って、ラーラは一歩下がり、態度を改める。この炎の魔術師は、ゴッチに対して極めて殊勝であった
「私はお願いした筈です。ラグランまで御連れ下さいと」
「あぁ、そうだな。レッドに頼まれたのは、確かだ。僅かばかりの喧嘩の仕方を教え、ラグランまで連れていけと」
ラーラは胸を張り、直立不動の体勢で更に言い募ろうとする。ゴッチはそれを許さない
「ラぁーラ。俺らが思ってた以上に、ここいらはピリピリしてる。ティトだって誤魔化し切れねぇだろう。何の助けも無く、アナリア国軍の警戒を潜って、ラグランへ到達する。或いは、何の助けも無く、出会ったアナリア国軍を皆殺しにして、ラグランへ到達する。お前に出来る事か?」
「後者ならば、ボスの力を貸してくだされば」
「それはマジに必要な事なのか? テメェの無茶押し通して、それで起きる損得は? 俺の事もあるが、俺の事を抜きにしてもそう変わらねぇ。お前にとって今妥当な行動か?」
ゴッチは、睨んだりはしなかった。敵意の無い視線で、ただじっと、ラーラの瞳を見つめている
手招きする。ラーラは少しだけ迷って、直ぐにずんずんと歩いてきた。ゴッチの、大股の一歩以内の距離
ゴッチは組んでいた足を解き、居住まいを正す。これ以上は何も言うなと、それだけを願っている
これ以上食いつかれたら、もう言える事は一つしか無い。「テメェだけで行け」だ。アナリア国軍の警戒網を打ち破って連れていけなど、虫の良すぎる話だ。そこまでの義理はない
以前のゴッチならば迷わずそう言った筈だ。それをしないのは、今ゴッチが、ラーラを行きずりの中途半端で適当な契約の上でも、己の部下として扱い、操縦しようと必死になっているからだった
「対価があれば、手を貸していただけますか」
ラーラだって、ゴッチにそこまでの義理が無いことは、よく解っている。解っていて言い募るのは、ラーラの若さだ
ラーラの物言いに、とてつもなく面倒くさい物を感じたゴッチは、手を振ってその言葉を遮る。白い髪、赤い瞳、ゴッチの目の前で、ラーラの全てが不安と恐怖で震えている
ラーラ程の頑固で強気な女が、差し出すのに決断を戸惑う程の対価。面倒臭ぇ、とゴッチは今にも言ってしまいそうだった
「ラーラ、ラグランへは、今は行かねぇ。お前は切れ者だ。俺がゴチャゴチャ言うまでもねぇ」
「……」
「荷物持ちやってりゃ、その間は連れ歩こう。ペデンスの糞どもを追い散らせば、ラグランへも行けるようになるだろう。機会が消える訳じゃねぇ。誓うぜ」
ラーラは何も言わずに俯く
「俺が信用出来ねぇか?」
「……いえ」
「俺はお前に我侭押し付けてるか?」
「…………いえ」
「文句はねぇな?」
上手く言葉を吐き出せないのか、ラーラは胸に手を当て、大きく深呼吸する
僅かな沈黙の後、伏せていた瞳をパチパチとさせ、ゴッチに向き直ったときは、何時もの覇気に満ちた炎の魔術師だった
「はい、ありません」
「よし、行け。そこら辺の奴らに八つ当たりでもしてこい」
「ふ……そうします」
機敏な動作で足を運び、ラーラは何事も無かったかのように天幕の出入口へと向かう
白い手が分厚い布を掻き分けると、その向こう側に相も変わらず眠たそうなティトが居た
「おわ、ラーラ」
ラーラは顔を綻ばせ、軽く会釈すると、言葉を交わさず去ってゆく。ティトは首をカリカリと掻きながら、ゴッチへと向き直った
「……なんだろ、機嫌良さそうな、悪そうな、変な感じだったよ」
「さぁな」
ティトはゴッチのぞんざいな言い口に面白くなさそうな顔をした。声に出して大欠伸すると、目をこする
「くぁ……。ま、良いかな。で、ゴッチ、流石にこれ以上ここに留まると、ロベリンドの立場が悪くなっちゃうから、私は帰るよ。あんまり、恩返し出来無くて申し訳ないけど……」
「あぁ?」
ゴッチにとっては余りにもどうでもいいことだったので忘れていたが、ロベリンド護国衆は常に中立である、らしい。相手にするのは専ら魔物、時折賊の類で、戦争には関与しない
それを思えば、今こうしてゴッチと共にエルンスト軍団の元にいるのは、拙い状況であるに違いない
考えてみりゃそうじゃねぇか。ゴッチは、首を傾げた
「お前、なんでまだ居るんだ?」
「もう、友達甲斐の無い奴!」
「あぁ? 友達だぁ?」
ティトが僅かに怯む。ゴッチは、それを見逃したりはしない
乱暴に、後先考えないのでは駄目だ。全ての言動を熟慮し、責任を負わなければ
ティトを感情の好悪で判断するなら、悪ではない。糞忌々しい墓穴を共に潜り抜けた、戦友とでも呼ぶべき間柄である。少しくらいは、親しくしたとて悪くはない
「だってほら、俺は食ったもん吐いちまうような酷ぇ面だしよ。ティトおじょーさまのご友人には不釣合いってモンよ」
「謝ってるでしょうー? もー……。ま……しかし……ゴッチ、感謝してるよ……」
「……レッドには? もう言ってきたのか?」
肩を竦めながら言うゴッチに、ティトは目を細めながら頷いた
「またな」
「……?」
「んだよ、もしかしたら、会う機会があるかも知れん。レッドの馬鹿と付き合う限りはな」
「かもね」
「未来予知出来んだろ?」
「あはは、……どうかな」
曖昧な笑顔のまま、ティトは背を向ける。ひねくれ者の礼儀知らずにしては、上等な別れである
ティトの髪が、ゆらゆらと揺れていた。眠たそうな顔でふらふらと歩いていたら、まぁ仕方ない
「またね、ゴッチ。カロンハザン将軍と、仲良くしなよ」
大きなお世話だ馬鹿。ゴッチは頭を掻きながら言った
「………………あーあ、カポってのは、全くよぅ…………」
――
昼時、天幕には、昼食が運ばれてくる。何故か二人分来て、首を傾げているとちゃっかりレッドが現れる
「だって一人で食ってたって寂しいじゃーん」
「あーあー、解った……。好きにしろ」
そして、ギャーギャー騒ぎながら食べ始める。きつい味付けの戦場食は、決して美味では無かったが、ゴッチの好みとはあっていた。街に駐留している以上は、食料の調達も比較的容易だ。次からはもっと良い物が出てくると、糧秣係がニコニコ言っていたのを、ゴッチは思い出す
黙っていても三食出てきて、従兵が身の回りの世話をして行く。全くもって、いい御身分であった
レッドの馬鹿話を聞いていると、何時もより幾分か目を細めたゼドガンが現れた
上半身裸で、大変な量の汗を掻いている。兵達に請われて、鍛錬に参加していたらしい
ゼドガンはゴッチを見てふむ、と頷くと、何でも無いことのように言った
「ラーラの奴が、滅茶苦茶にのされているぞ。相手は二十人掛かりだ。ゴッチが変なことでもやらせているのかと思ったが、違うようだな」
「へ……? そんな訳ねぇだぜ。二十人の二倍居たって、ラーラをやれるもんか。ラーラは魔術師だぜだぜ?」
「炎を使っとらんようだったから、何かあるのかとな」
ゴッチは舌打ちして、天幕入り口の厚布を蹴り開けた。近くに居た兵士達が、目を真ん丸に広げて戦く
「案内しろ」
「案内も何も無いぞ。ほら、あそこだ」
ゼドガンの指差す方に、人集りが出来ている。天幕が立ち並ぶ中で、意図的に作られた広場のようなスペースだ
確かに、妙に騒がしかった。調練の最中の兵士など、決して静かな物ではないから、まるで気にしていなかったが
ゴッチはレッドとゼドガンを引き連れてずんずんと歩いていく。兵士達は、ゴッチを見ると、皆ギョッとした顔で道を譲った
歪な円を作る人の群れの外側で、ゴッチは一喝する
「退きゃァがれ!! ブッ殺されたくなけりゃなぁ!」
突然の怒声。強烈な存在感、威圧感に気付き、圧倒された兵士達は、弾けるように散った。しかし円の中心ではまだ、ゴッチのことなど気にしていないかのように騒ぎが続いている。ラーラが鼻血を出しながら、三人の屈強な兵士達を相手に取っ組み合いの大喧嘩をしていた
丁度、ラーラが、背後から羽交い絞めにしてきた兵士に、後頭部で頭突きを食らわせたところである。ゼドガンが、うむ、と嬉しそうに頷いている
「何やってやがる」
冷たい一言で、今度こそ場の空気が凍る
手を振り上げた状態で固まった兵士を、ラーラは問答無用に殴り倒して、改めてゴッチに向き直った
「…………ボス」
「なんてザマだ。どういうこった」
「こ、これは……」
キョロキョロと、怯えた目で、今にも這い蹲りそうな顔色の兵士が声を絞り出した。ラーラと取っ組み合いしていた最後の一人だ
二の句を継ぐ前に、またラーラが動いた。ラーラは最後の一人の股間を容赦なく蹴り上げ、悲鳴を上げてうずくまったマヌケ面に、全力でつま先を叩きつける。兵士は失神し、ピクリとも動かなくなる
「コイツらは、私とボスを侮辱しました。コイツらはボスの事を、たま……」
ゴッチは手をぶんぶん振って遮る。聞きたいのはそんな事ではない
「憂さ晴らししろっつったろ。お前が痛めつけられてどうすんだよ。ご自慢の炎はどうした」
「これは喧嘩です。魔術を用いるのは無粋でしょう。掴み合いする子供の間に、ミランダローラー殿が大剣を振り回しながら割り込むような物」
レッドがヒヒヒと笑った。ゼドガンは、涼しげに肩を竦めるばかりである
「そしたら、囲んで好き勝手されたと?」
「初めは一対一でした。まぁ、この者達こそ無粋と言うわけで」
ゴッチが吠えた
「馬鹿かテメエは!」
ビリビリと空気が震えた。ラーラが後退り、あまりの怒声に眉を顰める。周りの兵士達は、今にも逃げたそうにしていた。見栄も外聞もなくそうしないのは、恐怖で動けないからに他ならない
ゴッチがべ、と唾を吐く。装った冷徹さが剥がれ落ち、ソルジャーらしい荒々しさが漏れ始める
「無粋? 無粋? テメエはどんだけちやほや甘やかされて育ったんだ? テメエなら、テメエの掟で生きて、テメエの掟で死ぬ。そりゃ間違いねぇ、間違いねぇよ」
「兄弟、どうしたのん?」
頭の後ろで手を組んで、レッドが心底不思議そうに言う。少し黙ってろ
「だが、テメエの思うとおりに喧嘩が運ばなかったら、無粋だ? 甘えんじゃねぇ、こんな木っ端どもが何人で来ても、魔術師なら蹴散らせ! 出来なきゃ粋がってねぇで焼け! 無粋だ何だぁ、そんな恥ずかしい遠吠えは、二度とするんじゃねぇ! 少なくとも、俺の荷物持ちしてる間はな!」
「私は、…………いえ、解りました、…………解りました」
ゴッチは、だくだくと流れるラーラの鼻血を拳で拭う
「良いか、テメエが舐められるって事は、俺が舐められるって事だ。俺が舐められるって事は、隼団が舐められたって事だ。他の事もだ。テメエが負けたら、それは隼団の負けなんだ。言ってることは解ったな?」
「はい」
「ここに居る全員に思い知らせろ。俺とお前の名前を思い出すだけで、失神するくらいにだ」
ゴッチはくるりと踵を返した。ラーラも同様に、くるりと背を向ける
ボソ、と、地の底から響くような声で、ラーラは獰猛に笑った
「殺しはしない。が、……悪く思うな、元より貴様達が売ってきた喧嘩だ」
凄まじい熱気と共に炎が噴き上がったのは言うまでもない。兵士達の絶望の悲鳴。誰一人として、ラーラは逃がさない
うへ、とレッドが眉を顰めつつも、ニヤニヤ笑った
「なんだよ。もうとっくの昔にファミリー扱いなんだぜ」
「……止めねぇのか?」
どういう意味があるのか、レッドはゼドガンの右肩を二度叩いて、ラーラに向かって突撃していく
「あぁぁー、ラァーラー! やりすぎちゃ駄目ぇぇぇぇー! だぜぇぇー!」
「結局似たような結果になった」
「ふん」
ゴッチは全部終わったとばかりに自分の天幕に向かって歩いていく。ゼドガンも肩を竦めつつ、それに続いた
この件が、大事になってゴッチ自身に跳ね返ってくるのに、大した時間は必要なかった
――
「ラーラに二十人ぐらい焼かせた。レッドも居たから死人は出ちゃいねぇと思うが、ちょっとしたいざこざになるだろうな」
薄暗い天幕でコガラシの光を電灯代わりにして、他愛もない世間話をするように、ゴッチは言った。テツコはそれを理解するのに、数秒もの長い時間を必要とした
『…………』
「テツコ?」
『あぁ……いや、大丈夫だ。どういう事情か、説明して貰えるかい?』
「さぁ? よく解らん。が、一つだけ解るのは隼団が侮辱されたって事だけだ。ラーラもボコボコにされてた。だから焼かせた」
『ゴッチ……ゴッチ! 君という男は、どうして私がほんの少し席を外した間に、そこまでぶっ飛んだ真似が出来るんだ?』
「この件に関しちゃ、何言ったって無駄だぜ。百回同じ事が起こったとして百回同じ判断をする。絶対だ」
コガラシが激しく明滅する。小さなサポートメカを通して怒気が伝わってくるようだった
対するゴッチは余裕の表情である。従兵に持ってこさせた酒器に酒を注ぎながら、葉巻をゆらゆらさせている
「ロベルトマリンの隼団。小せぇ癖に粒揃いで、クソ度胸の塊みてぇなタフな一家。おぉ、おぉ、ファルコンは偉大な男だ」
『何?』
「この評判は、ファルコンや俺の兄弟達がぶっ殺したりぶっ殺されたりしながら漸く作ったモンだ。この評判と、ファルコンの冷徹で巧妙なやり口があるから、隼団はロベルトマリンで飯が食えてる」
ゴッチは恐ろしい形相で机を叩いた。こんな顔をテツコにするのは初めてである
「異世界だろうが何処だろうが、舐められたら許さねぇ。隼団と付き合うなら覚えておきな」
『それで私を黙らせようと? ゴッチ、私達が常にどれだけの仕事をしていると思うんだ? ……いい機会だから、ゴッチに少し言っておく。…………私は寛容主義者だよ、隼団の不可侵の部分も理解しよう。だけれども』
しかし、いくら凄んで見せても、鋼鉄の女であるテツコは、勢いで押し切れる相手では無かったのだ
或いはテツコは、自身に対する処方を編み出したのかも知れない。怯みもしないテツコにニヤリと笑ったゴッチは、次のテツコの言葉に思わず腰を浮かせ掛ける
『それで私達の努力を無碍にして、しかも顧みないのは、納得出来ない。私は君達の生存の可能性を上げるために、決して楽観せずにデータを解析して、カオル・コジマのような変態とも格闘して、私だけじゃない。途方も無い量の作業を皆でこなしているんだ。それを、他ならない君自身が危険に嵌り込むような真似をするのでは、どうしたらいいんだ、もう、どうにもならないじゃないか』
「…………」
テツコの泣き言である。流石のゴッチも、ドキリとする。テツコは弱みを見せて泣き落としに掛かるような女ではない。少なくともゴッチは、そう思っている
テツコは平然と、さも当然のようにゴッチを説得しているつもりなのだろうが、或いはテツコ自身が追い詰められているのではないか。そう考えだすと、テツコの言葉の端々に、見なければならない物が沢山含まれているような気さえしてくる
『誰が言ったか忘れたけれど、自ら死に向かう者を救うのは、どんな名医にも出来ない。頼む、ゴッチ』
「…………チ、手強い相棒だよ、テツコは」
『ゴッチ、答えてくれ』
「起きた事をなかった事には出来ねぇ。するつもりも無ぇしな。…………だが、テツコの言った事は覚えておく」
『…………外せない要件で外出する。研究所直通の端末を持って出るから、何か事態に動きがあれば直ぐ連絡を』
「……心配するな。通信を切断するぜ」
光の消えたコガラシを懐にしまい込み、ゴッチは大きくため息を吐いた。あー、やれやれ、であった
テツコの研究所の端末は、別の研究員が何の気なしに漏らした話だが、最軽量の物でも二十二キログラムだ。幾ら高機能とは言え持ち運びたがる者は居ない。大抵は、腕時計型の通信機かノートパソコンで済ましている
それを持って出ると言うのだ。テツコがどれ程神経質になっているか聞かずとも解る。これ以上彼女を蔑ろにすれば、二人の関係は……連携は、壊れてしまうだろう
「(…………テツコ・シロイシ、か)」
珍しく、まるで似合いわない事この上ないが、ゴッチが多少の反省と共に天を仰いだ時、図ったかのようタイミングで、レッドが天幕に入って来る
事実、時を見ていたようで、レッドは何時もと比べて幾分か落ち着いた様子で訪ねてきた
「話しは済んだだぜ?」
「あぁ、たった今な。どうした?」
「ふーんだ。兄弟の大好きないざこざ発生だぜ。ラーラが呼び出されて、なんか超虐められてるみたいなのさぁ。ほら、なんだ、その、あれ……えーっと、軍事法廷みたいな感じ?」
ぐあ、と吠えて、ゴッチは椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がり、机を蹴り倒した。放り上げられてから絨毯に落下した酒器は、音を立てて割れてしまった。年若い従兵が慌てて駆け込んできて、凄まじいゴッチの怒気に硬直する
「あぁ? 俺が呼びに行った時以外は近づくなと言っといたろうが……!」
「ひゃいッ! し、しかし、僕の所まで音が聞こえましたので!」
「…………お前、ここを片付けとけ。レッド、案内しろ」
「ほらほら、急ぐだぜ兄弟! ゼドガンは先に行ってるってよぉ!」
言うが早いか、レッドは足早に歩き出す。後ろを見ながらであったので、背の高い水壷の持ち手に腹部を強打して悶絶する
「ぐおお……前方不注意……だぜ……」
ゴッチは懐のコガラシを執拗に小突いた。今ならば、テツコはまだ出発していまい
天幕を出る前に、ゴッチは従兵の肩を軽く叩いた。従兵は驚き、飛び上がって、その後へなへなと座り込んだ
――
「諸君等は勘違いしている! 誇りや名誉とは自分達の物だけだと思い込んで、余人を尊重しようと言う心が無いのだ! このラーラ・テスカロンと我がボスは、その浅ましさを正したに過ぎない!」
「……では炎の魔術師のお嬢ちゃん。お前さんは、決してエルンスト軍団に仇なそうと考えている訳ではないのだね?」
「私の個人的感情は置き、貴女の言う事は肯定出来る。しかし逆の言い方をするならばエルンスト軍団、引いてはエルンスト・オセ殿が我らを「タマルガが如き習性」の者達と侮辱し、軽んじるならば、決して捨ておかないだろう。私も、ボスも」
巨大天幕の中からは、威勢の良いラーラの啖呵が聞こえてきている。入り口の番をしている二人組の兵士達は、ゴッチの悪相を前にして真っ赤になったり真っ青になったり、今にも倒れそうな顔色になっていた
この男に詰め寄られて平静で居られる者が、エルンスト軍団に何人居るのか。職務上すんなりと通すわけには行かず、そしてゴッチは兵士達の職務を鑑みるような男ではなく、正に彼らにとっては悲鳴を上げたくなるような状況である
兵士達の必死の泣き言も、ゴッチには通用しない
「い、いえ、その、自分は、ご、ゴッチ・バベル殿がいらっしゃるとは伺っておりませんので」
「なんだコラ、木っ端ども。俺が来たら適当にお喋りでもしてろと言われたのか? ぶち殺……」
「まーまーまーまー! まーまーだぜ!」
『どういう娘なんだ、ラーラと言う娘は。弁明しているようで、喧嘩を売りつけているんじゃないか!』
コガラシの向こう側で、テツコが頭を抱えているのが、手に取るように解った。ゴッチが二人になったような、そんな風に感じているに違いない
天幕はざわめいている。しかしそんな中でも、老女の穏やかで何処か面白がっているような声が、よく響く
「しかし、十九人の兵達を半死半生にするのは、生半な理由で許されて良いことでは無いじゃろ」
「私は放つ言葉と一挙一投足の全てに、命を失う覚悟を備えている。エルンスト軍団の兵はどうか? 自らの放った暴言の罪を、死で償う事も出来ないのか?」
「人が傷を負えば、更に死んでしまえば、それは大きな損失! 悲しむものも居ろうて! しかし、言葉は? どれ程鋭かろうと、放たれた後は消えるだけじゃ!」
「解っている癖に詭弁を操るその不貞不貞しさが私は大嫌いだ! それが我らを軽んじていると言うのだ! 仮に、今日私が仕置きした彼らがエルンスト殿を罵倒したならば、死罪である筈!」
「中々言うのう。如何に二人の魔術師を従え、また自身もそうであるとは言え、多寡が冒険者の小集団の首領であるゴッチ殿と、万の精兵を完全に統率し、アナリアの危機を救うために立ち上がった数多の諸侯から盟主に戴かれるエルンスト様が、同格と?」
「我がボスがエルンスト殿に従う謂れはなく、また従った事実もない。そして持つ勢力の強さがその人物の格であると言う、如何にも貴女方らしい弄れた価値観に合わせて差し上げたとしても、ミランダローラーを含む我らが一団の実力は、決してエルンスト軍団に劣るものではない。詰まり、同格である!」
なんか凄いこと言ってる
冷や汗を流すレッドの呟きが風に攫われる。ゴッチとしては聞いていて非常に気分の良い啖呵だったが、レッドやテツコに取ってはそうでもないらしい
何か言おうと呻き声を漏らしていたテツコが、ふと冷静さを取り戻す
ルークから、通信を受けたらしい。唸っていた時より幾分か涼し気な声が、じんわりとゴッチの心も冷やした
『……いや、まだだよ。今件の天幕の前だ。……? 解った。伝えておく。……ゴッチ、ルークから連絡だ。話しがあるので天幕に突っ込んでいかず、そこで待っていてくれと』
「(あの餓鬼が?)」
『今回の件を丸く収めるため、上手く動いてくれているようだ。少しは明るい展望が望めそうだよ』
老女の大笑いが聞こえた
「ふぁーっはっは! お前さんのような恐れ知らずは、初めて見る! 本当に、ここにエルンスト様が居らんで良かったわい」
「ふ、何故か?」
「エルンスト様の前でそんな大口叩かれたら、エルンスト様が許してもこの私が許すわけ無いだろう青二才の小娘!」
「私の内には重ねた年月以上の物が幾らでもある! が、それでも貴女が私を若さ故に侮りたいのだとしたら、好きにすれば良い!」
「居直りおって、全く困った奴よ! ほら立っとらんと座らんかね。お前さんには山ほど説教してやらにゃならぬ」
どうやら中の状況は、今すぐ何がどうこうと言うほど切羽詰っては居ないようだった
ゴッチは片方の兵士の胸ぐらを掴み上げる。掴み上げるでは済まず、そのまま己の頭上に釣り上げた
「わ、わわ!」
「おわ、兄弟?」
『ゴッチ、手荒な真似は……』
ゴッチは聞かず、もう片方の兵士も同じように釣り上げる。左右の手に大の男を一人ずつ掴んで持ち上げる様は、何とも異様な光景であるに違いない
「この糞ども……、人が訪ねて来てんだぞ。聞いてるとか聞いてねぇとか知るかボケ。俺が来たらテメエらは飼い主にキャンキャン摺り付いて、とっとと俺を中に入れるよう取り計らうんだよ」
『ゴッチ、あぁ、そうだ、そういう踏み止まり方だ。欲をいえばもう少し友好的な態度で居て欲しかったけど』
テツコが何処か嬉しそうに言う。その時、剣だけを佩いた軽装のルークが緊張した面持ちで走り込んできた
「ゴッチ先任!」
「ふん、お前か。なんだァ? その呼び方」
ルークが眉を顰めても、それは仕方の無いことだった。今のゴッチは、兵士を二人縊り殺す寸前にも見える
「ゴッチ先任、一先ず私の話しをお聞き下さい」
「とっとと言えよ。早くしねぇとこいつら天幕に放り込んで、あのバーさん殺っちまうぞ」
「兄弟、ロベルトマリンのアウトローなら、お婆さんには優しくするだぜ」
ルークはゴッチにするりと近寄り、耳元に顔を寄せた
ふわりと甘い香りが流れる。異世界でまで香水とは、大した余裕だと、ゴッチは露骨に眉を顰めた。耳打ちしたいのは解るが、必要以上に顔を寄せてくるのも気に入らなかった
「(今回の事、大きな問題にはせず、オーフェス殿とゴッチ殿の間での貸し借りと言う事で決着させます)」
オーフェス? あのバーさんか?
ルークは小さく頷いて続ける
「(オーフェス殿は悩みを抱えておられまして、しかしそれを解決する為の人手が無い状態で御座いました。しかし、そこにゴッチ先任がいらっしゃられた)」
「(それの解決を条件に、この件を手打ちにしろと?)」
「(いえ、もう少し駆け引きします。先任は思わせぶりな態度を取ってください。『ゴッチ・バベルは態とオーフェスに借りを作り、オーフェスが依頼し易いようにした』そういうシナリオで行きます。ホーク・マグダラ殿がその“嘘”の下地を、オーフェス殿に上手く仄めかしてくれていますので)」
回りくどい。ゴッチでなくとも、そう感じた筈だ。余りにも回りくどい
「(何故だ? ……って言うかお前近いんだよ、余り引っ付くんじゃねぇ)」
「(もう少し我慢して下さい。オーフェス殿は、無思慮な行動を嫌うお方です。行き当たりばったりで兵士十九人が大怪我をするのは許せなくとも、策謀を積み重ねる過程で兵士十九人が大怪我をするのは許せてしまうお方なのです。マクシミリアン様にも似たようなところがありますから、理解できます)」
「ふ……ん」
畳み掛けるようにルークは言う
ホーク・マグダラの取るポーズとしては、エルンストの側近であるオーフェス・サデンには積極的に協力したい。丁度ゴッチ・バベルと言う、協力するための戦力も現れた
しかし、ゴッチ・バベルにも立場がある。幾らマグダラの客分とは言え、エルンスト軍団に都合よく使い回されては面子に関わる。軽く見られるのは許容出来ない
では、適当な揉め事を貸し借りの材料として、周りの者達に“ならば仕方ない”、と思わせる理由をでっち上げる。都合よく、エルンスト軍団の兵士達がゴッチ・バベル一党を侮辱した
こんな感じで進めたいのです、とルークは締めくくった。ホーク・マグダラはゴッチ・バベル一党の件に関してオーフェス・サデンに借りを作るどころか、その真逆、恩を売れるのだと
頭がぐるぐるしそうだった。こんな茶番がオーフェスとやらの好みなのか?
それともコレこそが、周囲にとって都合の良い「バランス感覚」と言う奴なのだろうか。ゴッチは唾を吐く
兵士二人を放り出して、ポケットに手を突っ込んだ。ルークが緊張からか、僅かに顔を赤らませながら唾を飲む
「ふん……まぁ、…………何が何でも、ペデンスには行かなきゃならんしな」
エルンスト軍団に嫌われないように、“出来るだけ”紳士的に行こうか。ゴッチはお約束のように、天幕の入口を蹴り開く
――
「待たせたな、お前ら、俺の顔が見たくて仕方なかったんだろ?」
礼儀も何も無く、尊大を思い切り全面に押し出しながら、ゴッチは大股で歩く
天幕の奥には、水晶を埋め込んだ頭巾を被った老女オーフェス。それを取り巻くように数名の騎士、護衛の兵士
それと向かい合うようにして、ラーラとゼドガン。ラーラは仁王立ちしてオーフェスを睨みつけ、ゼドガンは何時ものように飄々とした態度で用意された椅子に座っていた
鋭い視線をオーフェスから外し、ラーラが振り向く
「ボス、御出でになるのが早過ぎます。私はまだ、彼女等をやり込めていません」
「お遊びはそこまでだ。後は俺が話す」
気怠そうにゴッチが手をふれば、ラーラは不満そうな顔をしながらも端により、ゴッチに場所を譲った
ゼドガンはゴッチを見遣ったかと思うと、小さく笑って腕組みした。ゼドガンに相応しい涼し気な佇まいである
「……おや、ゴッチ殿ですか。私はまだ、そこの小娘に説教し足りんのですが」
「オイ、ラーラは俺の荷物持ちだ」
ゴッチはラーラの為に用意されていたらしい椅子に、遠慮なく座る
オーフェスの細い目を覗き込む、どこまでも見通すような嫌らしい視線であった
「ラーラの文句は俺に言え。率直に、解りやすくな。……言いたいこと解るか? 時間の無駄遣いはしたくねぇって事だよ」
「お前ら、席を外しな。今から、この魔術師殿と大事な話があるんでね」
ゴッチの気性を見たオーフェスの決断に、周囲の騎士達は逡巡せずに立ち上がり、歩き出す。オーフェスがそう言ったのなら、どんな内容であれ彼等に否やは無いのだ
「ラーラ、お前達もだ。ゼドガン、済まねぇな。大火事にならねぇように見ててくれたんだろ?」
「気にするな。俺はこの娘の気性が嫌いではない」
「ぼ、ボス、ミランダローラー殿も……! 私はまだ言い足りません!」
「レッド、連れてけ」
ぎゃーぎゃー喚くラーラを引きずって、レッドとゼドガンが出て行く
最後に、護衛の兵士達もがそれに続き、天幕の中にはオーフェスと、ゴッチのみになった
ゴッチは飽くまで不遜な態度を崩さない。成程、使い辛そうな男、とオーフェスに改めて思わせるには、十分な態度だった
「……なぁ、俺達は今、力が有り余ってるのさ。だから今回、こんな事になっちまった。暴れる場所さえありゃぁ、なぁ?」
「……暴れられるかどうかは、微妙なところ。……正直を申せば、ゴッチ殿にこれをお任せするのは些か不安。そもそもゴッチ殿の存在が不安。しかし、マグダラのお若いのが無理を押して手回ししてくれたのであれば……。この期に及んでは仕方ないことと心得ましょう」
「あぁぁ? 『婆さん』なんか言ったか? ホーク・マグダラは関係ねぇよな、今回。“そういう話”だもんな」
地図を広げるオーフェスの米神に、ビキビキと青筋が浮いた
『ゴッチ、余り相手を挑発しないでくれ』
――
「ロージンと言う商人が居ります。ガークデンの北部、ジルダウ湖に面するジルダウの街に居を置く、名の知れた大商人です。我が軍は、このロージンからかなりの量の物資を購入しております。特に、武器を」
『……ジルダウの街、把握している。ある程度規模のある街だ。流通の要所で、商人達の街と言い換えてもいい』
「…………どうした? 続けろよ」
「それでは。……ロージンはエルンスト様の挙兵以前より、我が軍と多く取引している商人。しかしここ暫くは、敵方にも多くの武器を融通しておるのです」
地図のある一点に大きく×を打ち込んで、オーフェスはふん、と忌々しそうに鼻を鳴らす
「商人だろ? そんぐらいは当然じゃねぇか」
「バレねば良かった、バレねば。しかしこのオーフェスが尻尾掴んだならば、只では済ませませぬ」
「元気な婆さんだな……」
こっちの世界じゃ、そう言うのはダメなんか。ゴッチは肩を竦めながら冷たい目のオーフェスを見る
「詰まり俺は……そのロージンってのを、脅しつければ良いんだな?」
「……場合によっては始末して頂きたい」
「ほ? 良いのか? 困るんじゃねぇか、婆さん」
「ふん、代わりの商人は育てております。あの鼻持ちならない狸野郎の相手するよりもよっぽどマシなのをね」
やることは解った。ゴッチに相応しい、汚れ仕事である
こういうもんなんだよな。と、何だかすんなりと腑に堕ちた。こういうもんなんだよな
回りくどいことこの上ないが、面子守って、意地になって暴れて、大事になって、取り返しのつかない所に行く前に、無様に惨めったらしく駆けずり回って事態の収拾を図る
感じた気持ちの悪さはこういう事だったんだ。最近妙に持ち上げられすぎて、感覚がズレてきていたのだとゴッチは思った
所詮は、ロベルトマリンのダニだ。だからどうしたと言う事も無いが、変に気取る要素も無い筈だ
隼団は、どんな奴でもビビる残酷で恐ろしい悪党どもの集まりなんだぜ……!
「(ちょいと簡単すぎるが、まぁ俺に似合いの仕事だ。だろう?)」
『……』
テツコは、答えない
「ふん、良いぜ、婆さん。ロージンとやらの件、任された。…………俺に任せておけよ」
黄金の隼が、暗く輝く
――
後書
なんか、凄い不満な出来なので、この回は前触れ無くぐぁっと修正される可能性あり。
そろそろ俺発狂して色々やってしまうかも知れない。コガラシが変形してゴッチと合体とかな!
……くあー、もっと面白く書けるようになりてぇなぁ。
UK氏から指摘して頂いた部分の修正を行い申した。
人名を間違うのは、普通の誤字脱字よりも致命的だよね……。
クリャ氏から指摘して頂いた部分を修正。脳が死んでいる……。