白いフード付のローブは、それほど多く用いられている訳では無いが、ロベリンド護国衆に所属する人間の旅装だった。すっぽりと体を覆い隠してくれる頑丈なそれは、ロベリンド護国衆の根拠地が標高の高い山にあるからか、保温性が高い
用い方を誤れば、暑いだけと言う事だ。姿をロベリンド教徒のそれへと変えたゴッチは、同じようなローブを着込んだレッドと共に、ティトが手配した荷馬車の上で静かにしている
手綱を取るのはゼドガンだ。彼は馬の扱いが非常に上手く、下手な騎兵よりも馬を好いておリ、また馬に好かれる性質だ
しかし少々問題がある。アナリアの街々の周辺や、主要な街道は、兵士たちが警備している。世情が世情だけに、呼び止められることが、ままあった
そこでまず兵士達は、国中探しても容易に見つからないであろう、稀な偉丈夫であるゼドガンを見て、訝しがるのだ。荷馬車の御者役が似合う風体では、どうしてもない
「は、ロベリンドの長殿とは知らず失礼いたしました。最近では、反乱軍の者共が小細工を弄し、この近辺も俄に騒がしくなっております。お気をつけ下さい」
「感謝します、実直な騎士殿。ですが、私は騎士殿の規律とその配下諸氏の忠実さを感じ、この旅程の安全を確信しております。お気になさらず」
「お褒めに預かり光栄に思います。旅路に幸あれ」
だが、ティトが相手をすると、大抵は今、颯爽と背を向けて騎乗した騎士のように、大して疑いもせず素通りさせた。ロベリンド御国衆の護衛(戦闘集団に護衛と言うのも奇妙な話だが)とすれば、ゼドガンの存在も不思議ではなかったし、或いは不審な物を感じ取っていたとしても、強硬に調べることなど出来なかったに違いない
ティトは間違いなく貴人である。そして、荷馬車の手配と、変装の用意、ゴッチには体現しえないアナリアの礼儀作法、全く気が効いていて、有用な人材だった
「見ると良い、ゴッチ、レッド。あの兵士達、前が歩くのにつられて歩くのじゃない。あの騎士の号令一歩一歩を踏み出している」
「進めと言われて進むだけなら、ガキにだって出来るだろ」
「ふ、ティトの言う通り、忠実と言う話だ。きっと目の前が海だろうが崖だろうが、号令一つで乗り越えるだろう。ああ言う軍が周囲を取り締まっているとなれば、この近辺は確かに平和だろうな」
騎士の号令の元、一糸乱れぬ行軍で去っていく二十人程の兵士達
ティトはふ、と息を吐くと、素早く荷馬車に攀じ登ってゴッチの隣に転がるようにして収まる
「うー、真面目な騎士様だったねぇ。息が詰まるなぁ」
「ティト、お疲れさん。ここいらはペデンスに近いだぜ。まぁ、切れ者がうじゃうじゃしてても、可笑しくないだぜ」
眠たそうな目をしたティトが完全に気を抜くのを見て、ゴッチは乱暴にフードを取り払った
「息が詰まる? こっちの台詞だってんだ。チ、こそこそと鼠みてぇだ」
「堂々と動いて、俺は詰まらない戦いで調子を崩したくない。ここ暫くは面白い相手ばかりだったからな、今更凡百の輩を斬ったところで、醒めてしまうだけだ」
「……褒めたり貶したり、ハッキリしねぇ奴」
ゼドガンは、やはり自然体である。自然体で、ロクでも無いことを普通に言う。ここ数日気分が良いと漏らすゼドガンは、言葉通りに気分が良さそうで、常よりも饒舌だ
ゴッチは再び進み出した荷馬車の揺れを感じながら、ラーラに命令する
「火ぃ」
ゴッチ達の白いローブとは対照的な、黒い直垂の裾が持ち上がる。深呼吸する音が聞こえてくる
首筋に何かチリ、とする物を感じて、ゴッチはラーラの手を掴んで斜め上を向かせていた
ボ、とゴッチの眼前を掠めて、天に向かって消えていく火線。ゴッチが干渉しなければ、ゴッチと、その隣で大欠伸をしていたレッドの頭は、今頃丸焼けだったに違いない
「ひ、火ィー! ラーラ、俺達に何か恨みでもあるのかだぜ?!」
「す、済まないレッド、そんなつもりは無かった」
ギャーギャー騒ぐ二人を他所に、二度ほど煙を吸って吐いたゴッチは、厳しい口調で言った
「オイ、ラーラ、なんで苛立ってんだ、お前」
「別に、そのような事はありません」
よく平然と言ったものだった。アナリア国軍を見る度に殺気立つラーラに、気づかないゴッチではない
――
レッドは異質な男だ。聞くところによればゴッチにとっての異世界の生まれで、魔術師であり、しかしアナリアだけでなく、ロベルトマリンにも深いコネクションを持っているように、ゴッチには感じられる
多少の制限がある物の、自由に“あちらとこちら”を行き来し、両方に複数あるのだろう拠点の存在を匂わせない
詰まり、現状レッドを縛ることは出来ないのだ。ロベルトマリンだろうが、アナリアだろうが、なんだろうが
ゴッチを除いて行われたテツコとレッドの話し合いの結果、現状維持と言う結論に至ったのには寧ろ当然だ。しかし可能性としてはレッドを“保護”し、ワープゲートまで護送せよと言われる事も在り得たゴッチとしては、ほっと安堵の息を吐く場面であった
安堵の息? どういう意味合いで?
「…………クソレッドがよ…………」
「あー? どうした、兄弟?」
「ふん」
「なんだよ、何、俺ってば何かしただぜ?」
心配などしている訳では無いのだ、断じて
「ラーラ、アイツ、何なんだ? 火の扱いに馴染み始めたと思えば、兵士にビビってコントロールが悪くなりやがる」
荷台の縁に両脇を乗せて、気怠そうにゴッチは問い掛けた。レッドはフードを弄りながら、目を伏せている
当のラーラは荷馬車の隅でこくりこくり船を漕いでいる。昨日の夜番はラーラだ。一睡もしていなかった
「うーん、うーん、……俺が勝手に話すのもなぁ」
「…………まぁ、良いか、良いわ。俺のミスだ。俺に奴の事情なんて関係ねぇし、奴に俺の事情なんて関係ねぇ。だよな? 邪魔にならなきゃ良い」
「ふーん……」
「なんだよ」
「いやぁー? 別にぃー? べぇっつにぃー?」
隼団のソルジャーは、団の同輩以外に気を使ったりなどしない。ラーラの身の上を心配するなど、有り得ない
身内以外の者には、契約以上を求めるな。不干渉。必要な物は契約と取引で、それが無理なら奪うだけ。ファルコンの教えは、極めてクールでイカしている。と、ゴッチは思っている
取り繕うように自分の言葉を撤回したゴッチに、レッドはニヤニヤと笑いかける
その何とも背中がムズムズしてくるニヤケ面を見て、ゴッチは額に青筋を浮かべさせた
びゅ、と音を立てて、鉄拳を繰り出す。何度も拳を食らうたび、いい加減慣れてきたのか、レッドはそれを紙一重で避け切る
ギターをくるくる回して、狭い荷台の上をごろごろ転がり始める。ゴッチから距離を取ろうとしているのだ
「ひょーほほほほ! 別になんでも無いんだぜ、兄弟。本当さぁー!」
「クソ、ニヤニヤすんな! 待て!」
「止めてー、暴れないでー、調子、悪いんだ……、頭に響くよ……」
寝惚けているラーラの足元までレッドが転がっていったとき、不審な物を感じ取ったのか、ラーラの四肢がびくりと痙攣し、風のような速さで翻った
シッ、と、食いしばった歯の隙間から漏れる空気の音。一瞬で覚醒状態まで到達し、立ち上がったラーラは、自分の足元にある物が何なのか良く確認しないまま、全力で拳を振り下ろす
鋭い拳は情け容赦なく、レッドの鼻面に突き刺さった。レッドは聞くに耐えない悲鳴を上げ、頑丈な後頭部で荷台の下部を凹ませた後に、盛大に鼻血を噴出した
ラーラには余裕が無い。危険に対して、過剰に反応してしまう。冷静でないのだ
「ぐあぁぁー!」
「え、あ?! れ、レッド、何故こんなことに!」
「ラーラぁ、よくやった!」
ゴッチはラーラの健闘を讃え、その背をばしばしと叩いた。そして痛みに震えるレッドにストンピング
ラーラは一瞬唖然としたが、直ぐにゴッチを止めに入る。だが、今更どう取り繕っても、初撃を入れたのはラーラだ
レッドを一撃で撃沈した拳は、覚醒直後に放ったにしては、本当に力強く、見事な拳であった
ふうふう荒い息を吐きながら、ゴッチは葉巻を銜え直す。レッドは自分の事よりもギターの方が大事なようで、ギターケースに付着した埃を涙目で払っている
「別にさぁー、兄弟、意外と面倒見が良いなって思っただけなんだぜ。良い兄貴振りだな、と」
「…………何言ってんだ、テメェ。コイツぁなんだ? 荷物持ちだ。隼団じゃぁ、ただの荷物持ちをファミリーとは呼ばねぇんだよ」
苛立たし気なゴッチの言葉に、ラーラが怯む。起き抜けだが、ゴッチが自分に対して、余り好意的でない話をしているのは解った
「でもさぁ、結構……熱の入った手程きをさぁ……」
「勘違いしてるようだから言ってやるぜ、レッドよぅ。俺が良い子ちゃんで居てやれるのは、テメェの脳味噌の中でだけなんだぜ」
胸がチクリとした。当然だが、罪悪感を覚えたわけではない
コガラシの接触があったのだ。暫く沈黙を保っていたテツコが、ここに来て口を挟んだ
『ゴッチ、その物言いは、じゃれ合いを超えているよ』
「(あぁ? テツコ、今まで俺が、じゃれ合ってるように見えたってのか?)」
『君の……、その横暴で強情な所は、君に限って言うなら、プラスに作用している部分もある。でも、彼らに対して傲慢に振舞っても、良いことはない』
「(おい……、テツコ、何を……)」
『私は、君のそういう振る舞いは、好かない。ゴッチ…………』
ゴッチはガリガリと頭を掻いた
不満そうに鼻を鳴らすと、どっかり座り込んで白いフードをかぶり直す
そして、ボソリと言った
「チ、……言い過ぎた。悪かったよ」
レッドは唖然とする
「へぇー…………へぇぇぇー…………、ふぅん、ほぉ」
「…………」
「ほっほぉー…………べっつにぃぃぃー?」
「ラァァーラッ! その馬鹿を這い蹲らせろ! 俺の足元にだ!」
――
――
「そのレッドと言う……、青年、興味があるな。クリムゾンジャケットのレッドか」
「テツコや他のスタッフも興味津々だったな。一応、こちらからの接触は控えるように言っては居るが」
「ソルジャーにもか?」
「…………いや、特に何も制限してない。今の所は、上手く関係出来てるみたいだったからな」
人っ子一人いない寂れた公園のベンチに、ファルコンとマクシミリアンは座っていた。このベンチは、何時もならガムがへばり付いたり、泥と埃で汚れていたりするのだが、今は綺麗に磨きあげられている
二人から見えない位置に居るマクシミリアンの部下が、細かく気を使ったらしい。ご苦労なことだ、と困ったように零したのは、ファルコンではなく、マクシミリアンの方だ
「面白い。理屈ではないのだな。……こちらとあちらの繋がりが、感じ取れるのか。彼に協力してもらえば、もっと大量のワープポイントを把握出来るかも知れん」
「……面白くない事態じゃぁねぇのか? ワープポイントが今の所全部で三つ、安定した実用に耐えうる物がたった一つだからこそ、アンタの掌の上で事が収まっているんだろう。この上規模が拡大したら、他所から茶々が入るかも知れん。それに、ロベルトマリン国外のポイントが発見された時は、どうする?」
「ジェファソンの技術は我が国が独占している。その管理も処女を扱うかの如く丁寧だ。アドバンテージは崩さん」
ここでファルコンは、少し前にTV端末で放送された番組の事を思い出した
白いスーツの威勢の良い男が、ロベルトマリンの政治家を相手に、威勢良く弁を振るっていた。この軍部の妖怪が言う通りに、異世界の事柄に関するロベルトマリンのアドバンテージは大きい。大き過ぎる。攻撃したい輩は、掃いて捨てるほど居るだろう
「色白坊ちゃんとかが、えらい剣幕で騒ぎ立ててるようだが?」
「……チューズ君の事か? 大声で聞こえの良い事を言っていれば、確かに“効く”。が、まぁ、アレは長くは続かん」
「ん? ……名前までは知らんが、それはどういう事だ?」
マクシミリアンは、腕時計型の情報端末で資料を流し読みしている。余裕の笑みは崩れない
「非常に残念だが、彼が絶対に公には見られたくないであろう物を発見してしまった。重ねて言うが、非常に残念だ。中々切れ者と思っていたし、彼のスーツの着こなしは、私は嫌いでは無かった」
「…………あぁ、そうかよ」
ここ最近、辟易とした表情を、ファルコンは隠さなくなった。マクシミリアンの謀に付き合わされていると常に思う。行動の速さが、異常だ
速いと言う事は強いと言う事と、ファルコンは常々言っている。正にその通りであった。その上で、拙速と言う訳でもない。中々仕事に芸がある
「しかし、ソルジャーが行方不明と聞いた時は何を企んでいるのかと思ったが、結果が出ているようで何よりだ
ファルコンは沈黙を返す。何食わぬ顔で懐から葉巻を取り出した
「抜け目ない男だ。まだ私を警戒しているのか?」
「そうだな、俺の仕事を、もう少し手伝ってくれたら、多少は殊勝になってもいい。おっと、ジェットを送りつけてくるとかは駄目だ」
ファルコンは、使い捨てにされるのは御免である。この男、マクシミリアンにとって有用であるか、興味を引く対象であるか、弱みを握るか。それらの内一つでも成し遂げ、維持し続けるのは、これは中々難しい
無難なのは、弱みを握るとまでは行かなくとも、共犯者と言う立場だ。例えばファルコンが警察組織に捕まった時、マクシミリアンに実害が及ぶような関係であれば、そんな関係であれば
つまり、ファルコンは与えられた仕事を独力でこなしてはいけなかった。マクシミリアンに関与して貰わなければいけなかった。もっと明確な形で共犯者になって貰わなければ
そういった腹は、マクシミリアンとて承知していた
「良いだろう。検討して、数日中に更に具体的な支援を行う」
「助かる。で、話は戻るが、その魔術師レッドだ。どういった対応を取れば良い?」
「…………幸いにも、レッドはソルジャーに対して非常に友好的なのだろう。そのまま関係を深めてくれ。」
「ふ……ん……、了解した。では、失礼する。これからアーハスさんとランチでね。戦艦内での面白い話を聞かせてくれるんだとよ」
よちよちと、素っ気なく歩いていくファルコンは、公園の出口に差し掛かって、ニヤリと笑った
「(まさかゴッチの奴が、本当に行方不明になっただけだと知ったら、あの妖怪野郎どんな面をするかな)」
ファルコンがマクシミリアンを恐れるように、マクシミリアンもファルコンを侮ってはいなかった
だから思い込んだのである。まさかファルコンの養子ともあろう男が、間抜け面晒して迷子になどなる筈が無いと
「…………」
嫌味を言われるぐらいどうってこない、と泰然としていたファルコンだが、その態度もマクシミリアンの勘違いを煽る結果になった
「(あぁ……言ってみてぇ~、言ってみてぇぞ……!)」
無論言わない
――
――
『ゴッチ、私が見ていない間、どんな事があった?』
「(……何だ? 報告は、もう纏めてある筈だろ)」
『君から直接聞いておきたいんだ。……信頼関係を築くには、矢張り私と君に直接的な繋がりが必要だ』
「(言ったろ、テツコ、信頼してる)」
『そもそも、その信頼は何から生まれたものだ? ファルコンが言ったから、私と関係する。そんな御座成りな物では』
「(酔ってんのか……?)」
『そうかも……知れない。ブラックバレー氏から、所員を労う土産が届いた。高級なワインも』
星天を見上げながら、ゴッチは難しい顔をした。テツコは酔っているのか、それとも口だけなのか、今一解らない調子であった
「(……何か、かけてくれ。騒がしくねぇのが良い)」
程なくして、コガラシを通じ、音楽が聞こえてくる
クラシックだった。テツコの純粋な趣味か、或いはクラシックなどまともに聞いたことも無いゴッチへの嫌がらせか、どちらにせよこの選曲には、苦笑する他無い
「(……ロマンチックだな。水の中を漂ってるようなムードだ)」
『解るかい? カーエル・ピガーの「星天」さ。カーエルは神話に登場する、星空を漂う母をイメージしてこれを作曲した。雄大で、不滅の、美しい情景の中を、安堵と共にたゆたう。そう、ゴッチの言うような、水の中も、その心に通じる物がある』
くっくっく、と、ゴッチは小さく笑い声を漏らした。テツコが妙に嬉しそうに語り始めたからだ
鋼鉄の女であるテツコが、今は酷く可愛い
ゴッチにとって水の中とは、決して愉快な物ではない。ピクシーアメーバなのだ。水中を好む訳が無い
ゴッチは、悪意などは無いが、否定的な軽口を叩いたつもりだった。それに気付かない程今のテツコははしゃいでいて、ひたむきだった
――
「…………何を笑っておいでか」
ラーラが身動ぎする。昼間寝こけていたこの半人前魔術師は、夜になっても寝付けずに居た
身体を起こしたラーラは、米神を揉んでしばし瞑目すると、遠慮がちに問いかける
『本当に似ているな、彼女は。……顔立ちではなくて、雰囲気が』
「故郷の友人の事を思い出してた」
「ボスのご友人ですか」
「そうさ」
話し声にゼドガンがのそりと顔を起こしたが、直ぐに寝直した
「中々気合の入った女でな。鋼鉄みてぇに堅苦しいかと思ったら、意外に融通が効くんだ。それに何時も取り澄ましてるかと思いきや、可愛いところもある。面白みのある女だよ」
『ゴッチ……誰のことだ……、その、余り変な事を言うのは……』
「ボスの奥方ですか?」
「友人っつったろ。……相棒って所だな、言うなれば」
『う…………』
テツコは黙り込んでしまった。らしくも無く照れているのか
「ボスの命が輝いているのを感じる」
「はぁ?」
「レッドや、ミランダローラー殿。ティト様に、ボスの仰られるご友人。ボスの中に居る様々な人々が、ボスを満たしている。命の火が輝いている」
「あぁ?」
唐突に、御洒落なポエムに興じ始めたラーラに、ゴッチは眉を顰める
「(おい、テツコ、どういう意味だ?)」
『い、いや、私に聞かれても』
ラーラは手を頭上に掲げる。ぬらぬらと蛇のように、炎がそれを這い回る
火の扱いは、格段に上達してきている。ゴッチがラーラの魔術に付け加えたものは、何一つとしてない。力を恐れる事の無意味さと愚かさだけを教えた
それだけで十分だったのだ
「遠い地から参られたのでしたか、ボスは。アナリアでは、命は火です。様々な信仰、伝承、趣を変えれば童話、それらで、命とは燃え盛る火として扱われています。死した人の魂は、炎となって太陽に辿り着く、等と言う話もあります」
「炎の魔術師だから?」
「……目覚めてから、それが感じられるようになりました。ボスの火も、漸く全容が掴めた。それは、極めて独特です」
「ふん……」
炎を消し去って、ラーラはゴッチを見据えた。出会い頭にあった、畏れのような物は、消えていた
魔術師となったラーラにとって、人は自分とは別の生き物だ。しかし、同じ魔術師(であると思っている)であるゴッチも、ラーラにとっては未知の生き物だった
理解する、とは、恐を打ち消すことだ
「私に限らず、レッドに限らず、様々な人物との関係を、拒む訳ではないが、一顧だにしない。心根には清々しい程己のことしか無く、余人の不確かな部分に頼らない」
「…………不確かな部分?」
「ボスは、甘えない。「あやつならば」「こやつならば」、そんな、常人が頼みにしたくなる言外の何かに、ボスは期待しない。それどころか、生きる為に必要な力の全てが、己自身の内から発せられている」
「おい、何の問答だ。お前のお詩のお稽古に付き合う気はねーぞ」
ラーラは炎を消し去った。真っ直ぐな瞳
白い両手がするすると動き、円を作る。ラーラはその円を覗き込むように、ゴッチを見ている
円。完結した物。その外からそれを眺める、逸脱した者。ラーラは、魔術師である
「私は人でなくなった。人の道理には、もう縛られない。確たる善悪は無く、己の行いの全てを、己の生死一つで負う。世界が私の器量の中に収まらず、溢れ出したときは、最早死ぬのみ。子どもがそのまま大きくなったかのようなボスを見ていたら、私の中の恐れが消えた。やりたい事を、可能な限り望ましい形で、成し遂げること。それが正しい。もう、迷いはない」
ゴン。ゴッチが、ラーラの頭に鋭く鉄拳を撃ち込んだ。誰が子供か
ぐりん、とラーラの顔が下を向く。そのまま首を持ち上げようとせず、ラーラは俯いたまま言う
「ボスの火は柔軟に見えて、頑固。周囲に寄りかかっているように見えて、その実、奥底では他の何者をも必要としていない。たった一人きりで完結している。他はすべて添え物」
「俺が寂しいヤツみてーじゃねーか」
もう一発、ゴン
「私も、ボスのようにならねばならない。……いや、否が応でも、何れはなるのか……。ただ一人きりで完結した命。ただ一人のラーラ」
ゴッチが少しの間、息を留めた。ラーラの言葉には聞き覚えがあった
ダージリンが、同じようなことを言っていた。魔術師には、物好きが多いらしい
自分のようなのが何人も居たら、いつの日も四六時中大騒ぎだ。きっと碌な事にはなるまい
魔術師という異種族の趣味は、自分には理解し難い。ゴッチは頭をふった
「……でも、昼間、ボスが私を突き離すような目で見た時、少し、動揺したのです」
握りこぶしを準備していたゴッチは、それを振り下ろす場所が見つからず、少し戸惑う
テツコが、面白そうに言う
『フォローをしてあげても良いんじゃないか?』
ゴッチの手がラーラの頭を乱暴に撫でる
「(ロマンティックな奴だ。実は酔ってましたってオチなら、楽なんだがよ)」
『怒るぞ、ゴッチ』
――
ペデンス南西には岩場があった。荒野と言って良いような平原の中に、何故か一箇所、大岩がゴロゴロしていた
荒れ果てた地で、周囲には人の痕跡は何もない。時たま行商人の一団が、近くを通るのみである
何も無いところだが、しかし、ゴッチには吉報があった。
どうやら、僅かばかりではあるが、補給があるらしい。当然、ゴッチへの補給だ。この岩場は既にテツコの調査が済んでおり、目的地の大まかな位置から考えて、補給地として適当と判断されたようだ
本来は、ここに寄る予定は無かった。それを無理に進路変更させたのだ。訝しげな様子の一同を尻目に、ゴッチは縦に長い岩の根元の土を蹴り払う
空気が乾燥していた。何にも遮られず降り注ぐ日差しと、肉体の内を通り抜けて行くような乾いた風が、ゴッチには心地良かった
「こいつか」
土中に、古ぼけた木箱を発見する
「どうやって運んだんだ?」
『予備のコガラシで運んだ。コガラシは、二型から動力系やその他諸々を強化して、積載量を上げてある。50キロぐらいまでなら、運搬が可能だ』
「へぇ? 俺を抱えて飛ぶにゃ、足りんか」
『あぁ、それは無理だな。100キロとなると、コガラシを基礎設計から見直さなければ。それに、作れたとしてもほぼ別物になる』
淡々と答えるテツコを他所に、ゴッチは木箱を掘り起こし、蓋を開いた
「ん、お」
まずめに飛び込んできたのが、華美な黄金の刺繍である。黒い布地に、翼を広げた鳥のエンブレム
隼のエンブレム。滑空の姿勢で獲物を狙うような、或いは、頭を下げて頭上を睨みつけるような、戦う隼。ファイティングファルコン。極めて細かい所まで縫込まれ、雄々しさが表現されている
乱暴に掴んで、持ち上げた。黒い布地はかなりの重量があり、重力に従って広がったそれは、匂い立つような色気のあるダークスーツだった
「す、スーツに金のエンブレム」
『ファルコンが、細かく注文を付けたデザインらしい。これは、私も開発に関わっている。ただのスーツではないよ』
「こりゃ、下手物じゃねーか。どこで着ろってんだよ」
『そちらの世界では、寧ろこういう物の方が適切なのじゃないか?』
「……そうかなぁ。いや、そうかも知れんが……」
背中に金のエンブレムが施されたダークスーツ。流石に、派手すぎる。何時でも何処でも黄金の隼を背負っているとは、またなんというべきか
くるりと表がえすと、こちらはまだ普通であった。ボタンホールやポケットの縁に、これまた金の刺繍がしてあるだけで、背に比べれば大人しいものだった
「クソ、まだある」
新しいスーツに、ちょっと引き気味のゴッチは、木箱にまだまだ何か入っているのを見つけて、舌打ちした
「スラックス……は良いとして」
スラックスは、特筆すべきことはない。こちらも何か細工があるのか、かなりの重量があるだけで、黒一色の極一般的な代物だ
「ワインレッドの……ドレスシャツ……」
こちらは素直に良い仕立てだとゴッチは思った。ファルコンらしい趣味の良さだと、手放しで褒められる
だが、キンキラキンのダークスーツだけが
これだけが俺の感性と、決定的にズレていると、ゴッチは思った
「…………保留だ」
『ん?』
「保留だ。どんな素敵な仕掛けがあるのかしらねーが、暫くは着ねぇ」
『え? しかし』
「着ねぇっつったら着ねぇ」
不満げな気配が伝わってくる。何か言いたそうなテツコを無視して、ゴッチはスーツ一式を木箱にしまい直した
岩影に生えていた背の高い植物を力任せに引き抜く。荒野に生えているだけあって、逞しい。それで木箱を一巻きし、硬く結んでからひょい、ひょい、と弄ぶ
荷馬車に戻って、ラーラに投渡した。ゴッチの荷物持ちは、ラーラの仕事である
「兄弟、それは?」
興味深そうに木箱を見る一同を代表して、レッドが聞いた
「“あちら”のモンだ。俺の私物だよ」
「あちら……、どちらだ?」
「レッド様の故郷の品って事? 興味あるなぁ」
ティトが、目をとろんとさせながら、ラーラのもつ木箱の草を取り払おうとする
「勝手に開けてみろ、治りかけの肩を優しく揉んでやるぜ」
「げぇっ」
ティトが、ぎょっとして飛び退いた
目的地は近い。もう、二日と掛からない距離だろう。ゴッチは鼻を鳴らして、荷台に寝そべった
――
後書
むしゃぶりつきたくなる様な、可愛い女の子を表現するのはスゲー難しいと思う。
だから俺は常に
可愛い女の子超書きたい、書けるようになりたいな、と思う心
もう駄目だ俺のSSに女の子なんて要らねぇんだ、と思う心
この二つの心と戦っているのだ。
なーんちゃって