「ゴッチ、待って。重いのよ。置いていかないで」
「貸せ」
「あ、ありがとう。半分で良いの。手を繋ぎましょう?」
「好きにしろよ」
左手にじゃれついてくる女のふくよかな肉体を、ゴッチは抵抗せず受け入れた。女の持つ荷を奪うように持っても、お決まりの舌打ちも無かった
癖のある白髪から、花の香りが立ち上る。過去、恐ろしい目にあって、それで白髪のお婆ちゃんになってしまったのだと悪戯っぽく笑った女は、何時も白い花の香りの香水を付けていた。甘ったるい、眠気を誘う匂いだ
商売女で、イノンと名乗った。不規則な生活と、人体への害を考慮しない化粧の多用は商売柄と言ってよい。イノンの素肌は荒れていた。きり、と開いた瞳と、薄い桜色の唇が、年齢相応とは言えない若々しさを放っているだけに、残念な事情である
イノンは商売女の癖に、極めて大人しい気性だった。時として言いたい事一つ言えない弱さと言もえる気性だったが、気を使うのが上手く、嘘も駆け引きも使わない素直さがあり、それらが愛嬌といえた
「……んん~~」
イノンが顔をくしゃりと歪めて、ゴッチの肩に頭を擦り付ける。甘ったるい匂いが散らばる。寄り添うイノンの身体が、人体の微妙な温かさを伝えてくる
時折彼女が見せる幼子のような仕草も、愛嬌と呼べる物だった。ゴッチも本当に少しだけ、気に入っていた
「大きいねぇ」
イノンが、握った手を持ち上げて言う。ゴッチの掌は、イノンのそれより、一回りも二回りも大きい。こうして朗らかに笑うイノンからは、商売の臭いがしなかった。夜の女とは思えない程だ
「…………あぁ」
「ねぇ」
「んん」
「今日は居るの?」
「居るさ」
「私が出るまで?」
大きな通りを外れて、人気の少ない路地に入る。商売女は表には住めない。ゴッチの足元を、薄汚れた子犬が駆けていく
イノンの笑顔に陰が差す。日陰に入ったからと言うだけではない
「お前が戻るまで居るさ」
「ねぇ、もっと居て」
「……あぁ、居るさ。夜が明けるまで」
嬉しげに笑うイノンが、繋いだ手を開いたり、また結んだり、悪戯をした。そのくすぐったさを甘んじて受けるゴッチは、小さな笑み一つ零さない
程なくして、イノンの住まいに辿り着く。皹が入ったぼろぼろの石壁に、元が何色だったか判別することも出来ない赤茶色に汚れた扉
北の方角から風が吹くと、生臭い臭いがする。ゴミの廃棄場に近すぎるのだ
「ねぇ、ふふ、ゴッチの服、洗ってあげる」
イノンに手を引かれて、ゴッチは赤茶色の扉の中へと進んでいく。イノンの大人しい笑い声を封じるかのように、扉は閉じた
――
ゴッチはミランダで売春婦のヒモになっていた
――
元々ゴッチは、ミランダ以外ではのうのうと生活できない。アナリア国軍は、ゴッチを見つければ雪辱せんと襲ってくるだろう。何せ、目立つ風体だ
だから、ティトについてロベリンド護国集の本拠地に向かうのも面倒だったし、酒場の親父がそろそろ何か掴んだ頃合だろう、と、アーリアまでのこのこ出向く訳にも行かなかった
そんな訳で、ゴッチはミランダに居た。ミランダで、ティトとゼドガンの帰りを待っているのだ。先の冒険の報酬として、ゴッチは、ロベリンド護国衆とゼドガンの協力を受ける約束になっている
言うまでもないが、メイア3捜索の協力である
今の所、ティトは護国衆本拠地に一度帰還し、ゼドガンはゴッチの代わりに、アーリアの酒場へと情報を回収しに出向いていた。ゴッチは一人きり、極めて暇を持て余していた
一糸纏わぬ姿で失神しているイノンに毛布を掛けて、ゴッチはイノンの家を出る。ゴッチがイノンの家で世話になるのは、不定期だった。朝夕を問わず訪れ、直に立ち去る事もあれば、暫く居座る事もある
合流するまでの間ゴッチが宿泊できるよう、ティトが手配した宿もあるにはある。しかし、ゴッチは一度もそこを利用していない
毎日詰まらなそうにミランダを彷徨い、気が向けばイノンの家を訪ねた。職もなく(就職など今のゴッチの状況でする筈も無いが)、家も無く、商売女を食い物にして生活するゴッチは、さぞや下衆に見えることだろう
下衆に見える、ではない。そのまま下衆だった
異世界に来てから暫く立つ。ゴッチの覇気が途切れる時が来たのである。張り詰めたままでは、生きられないのだった
「チ、詰まらねぇ」
――
ある日、ゴッチは道端に高く積まれた露天商の荷物に背を預け、何をするでもなく呆としていた。当然露天商は良い顔をしなかったが、ミランダで商人などやっている癖に肝が小さく、ゴッチが一睨みするとそれでもう何も言えないようであった
酒も煙草も要らなかった。ただ、ファルコンの事や、隼団の事や、テツコにされそうな説教の内容の事や、…………ついでに、イノンの事を考えていた
「ちょっと、アンタ」
空を仰ぐゴッチに、影が覆いかぶさる。声と影の主は、黒髪を結い上げた女だ
ヌージェンと言う、ミランダの娼婦達のリーダー格である。長い睫毛の掛かる釣り眼で流し目されると、居ても立ってもいられない。情熱的な褐色の肌に玉の汗が浮かぶ姿は、敵う者の無い艶っぽさである。――と、誰かが言っていたようにゴッチは記憶している
ヌージェンは、ゴッチの事を不愉快に思っている。イノンは素直な娘なので、ヌージェンを始めとする面倒見の良い夜の女達に非常に可愛がられてきた
イノンに寄生するゴッチを、嫌悪しても仕方ない
「……ん?」
「アンタ、イノンがどこに居るのか知らないかい」
「何故俺に?」
「……ふん、商売だよ。客が来てるのに、イノンの姿が見えないんだ」
ゴッチはヌージェンの遠く後ろを見やって、鼻を鳴らした
「あそこに居るじゃねぇか」
イノンが怪しい微笑を浮かべながら、冒険者といった風体の男と腕を組んで歩いている。漂う奇怪な雰囲気は、娼婦の貫禄か、売女の下品さか、評価の分かれる所であった
イノンと男は、ゴッチの居る方向にゆっくりと進んでくる。ゴッチの腰掛けている荷の横の細道から、路地裏に向かうに違いなかった
「…………イノン……か……」
ゴッチの呟きは、ヌージェンには届かない。ヌージェンはほっと安堵の息を吐き、自慢の肉体を大仰に反らした
「なんだい、心配させやがって。……邪魔したね」
「あぁ」
イノン、イノンか。ゴッチはイノンを見つめているようで、その実どこも見ては居なかった
癖のある白髪が、風に揺れているのが解る。焦点が合わず、ぼやけた視界の中で、一瞬だけ、イノンが慄いた
イノンがゴッチを見つけた。表情に何も出さない所は、流石に夜の女であった。ゴッチは顔を逸らして、イノンを見ようとしない
「これはインガさん。お待たせしてしまったようで申し訳ないね」
ヌージェンが、朗らかに挨拶する。インガと呼ばれた冒険者は既にヌージェンに気付いており、頭を被う赤布を弄りながら、意地悪そうに笑っていた
「ヌージェン、いや、良いさ。最初は待たされるだけ待たされて、からかわれたかなとも思ったが、これはこれで中々。焦らされると燃えてくるみたいだ」
「そいつぁ……、良いね、イノンが羨ましくなるよ。……インガさんなら心配は無いが、最近女達に乱暴する客が多くてね。イノンは大人しい気性ですから、優しく可愛がってやってください」
「や……やだ、ヌージェン姐さん」
イノンの視線を、ゴッチは感じていた。ヌージェンのからかいを受けながら、イノンは気が気でないようにゴッチの様子を窺っている
「無茶なんてしない、優しくするよ。だが、イノンは素直な女だ。彼女が望んだら、その限りじゃないぜ」
「あらま……、ふふ、それじゃ、ごゆっくり」
下世話な応酬をさらりとこなしたインガは、イノンの手を引いて歩き出す
「…………」
沈黙を保っていたゴッチが動く。右足をゆっくりと持ち上げて、細道の壁につけた
路地裏へと続く道は、人一人分の幅しかない。塞ぐのは容易だ。あからさまに行く手を塞いだゴッチに、インガは眼を細める
「朝っぱらから女ですかい、冒険者さん。えらく儲かってるようで、俺もあやかりたいモンですなぁ」
「アンタ、何の心算だい?」
ヌージェンの険しい表情。ゴッチは首を鳴らして、肩を竦める。嘲弄する気配が滲み出ている
「ヌージェン、この男は、知り合いか?」
「え、あぁ、その」
「娼婦に知り合いは居ねぇなぁ。いや、こんな美人と懇ろになれるなら、火にでも水にでも飛び込むんだがなぁ」
「そうか、それは剛毅な話だ。じゃぁ、見ての通り、俺はこれからお楽しみなんだ。癖の悪い足をとっとと除けてくれよ」
「除けてみろよ、冒険者。お前の腰の獲物が、飴細工で出来てるんじゃぁ、なけりゃな」
インガが腰の剣に手を添えた。場が殺気立つ。露天商の男が、半泣きになっている
「い、インガさん、ここいらで揉め事は……ちょっと。下衆野郎の挑発なぞ、サラッと流してくださいよ」
ヌージェンが困り果てた顔で言った。イノンが縋るようにゴッチを見ている
剣が僅かに浮いて、鞘から白刃が覗く。イノンが震えながらインガの右手に組み付いたのを見て、ゴッチは舌打ちした
「ふん……」
ゆっくりと、道を開放し、横柄に足を組む。インガは少しの間、詰まらなそうなゴッチの顔を睨んでいたが、やがてイノンの手を引いて歩き始めた
路地裏に消えていくイノンは、二度、ゴッチを振り返る。ゴッチは意地になったかのように、イノンと視線を合わせようとしなかった
「この腰抜け野郎! びびっちまうぐらなら、最初からあんなことするんじゃないよ! それにあの人は、冒険者協会でも歴戦のジャルクだ、あんたが十人居たって敵う相手じゃない!」
ゴッチの脳天に、ヌージェンの拳骨が炸裂した。ゴッチはまるで効いていないように欠伸をして、ぼんやりと言った
「ジャルク?」
「……魔物専門の狩人さ。聞いた話じゃ、一晩で二十頭のサンケラットを狩った事もあるらしい。アンタみたいな、半端者じゃないんだ」
「そうかい」
「イノンの邪魔して、楽しいのかい? ふざけんじゃないよ! 次やったら、ただじゃおかないからね」
ヌージェンは、様々な男を観察し、受け入れ、拒絶して、そうやって生きてきた。酸いも甘いも知っていて、人を見る眼は確かだと、そんな自信があった
しかし、ゴッチだけは、何が何なのやら、理解できない。今まで見てきたどの男とも違う。異国の男とはこう言う物なのかと、何度思ったか解らない
本来のヌージェンならば、引き下がりはしなかった。しかし、ゴッチの腹の中にまで踏み込むことに、躊躇か、恐怖か、危険な何かを感じたヌージェンは、踵を返し、逃げ出した
逃げ出したのだ。歩く姿にすら勝気さが表れていたが、その背は汗で濡れていた
ゴッチは空を見上げていた。何もかもどうでも良い気分だった
――
「何も言わないの?」
「あぁ」
「ありがとう」
「いや……」
娼婦達が共同で使用する水場は、日に二度程掃除の手が入り、清潔に保たれている
裸体を惜しげもなく晒して体を清めるイノンを、ゴッチは無遠慮に眺めていた。夜のミランダをぼんやりと浮かび上がらせる灯火は、イノンの白い肌も同じように照らし出す
「ねぇ、ゴッチは」
「んん」
「私のことを愛してるんじゃない。解るもの」
「……かもな」
「ふふふ、誤魔化さないんだ」
井戸から汲み上げた水を頭から被って、イノンはごろりと寝転がった。井戸の水は冷たかったが、ミランダは湿気が多く、気温も高めだ。水を被って丁度いい具合である
イノンは、ゴッチを誘っていた。羞恥があるのか否か、イノンは腕で己の両目を被っている
「何時もここでヌージェン姉さんと遊んだの。色んな事教わったりもしたけれど」
「あぁ」
「どんな事習ったか、ゴッチにも教えてあげようか」
「いや」
「ばかぁ」
「……あぁ」
イノンがじたばたした。石畳の上に僅かに溜まっていた水がバチャバチャ跳ねて、ゴッチにも降り掛かる
濡れたままのイノンが、起き上がって髪を払った。ゴッチの背に己の背を合わせるようにして、膝を抱えてしゃがみこむ。ゴッチを濡らす事など、まるで気にしていなかった
「ねぇ、今日は?」
「居るさ」
「ずっと居て」
「あぁ」
「朝が来てもずっと居て」
「……居るさ」
「ねぇ」
ゴッチは天を見上げる
「私の事、愛して」
「…………やめろ」
イノンが身を翻して、ふくよかな肉体をしな垂れかからせてくる
愛とか、そんなモンはねぇ。ちょっとばかり、居心地が良いだけだ
ゴッチは強がって居る訳ではない。愛なんてねぇ。繰り返し、胸の中で繰り返す
――
更に三日後、ゼドガンの帰還。ミランダローラーとして、偉大な大剣として名声を欲しいままにする男は、普段色町に姿を表すことはないらしい
それが何の前触れもなくひょっこりと、色町の寂れた通りに繰り出してきた物だから、ちょっとした騒ぎであった
ゼドガンは、何をしていても涼しげな男である。名声、優れた肉体、成熟した精神。ゼドガンという男は、大した人物である
それはつまり、娼婦が擦り寄っていくのに何の不足も無いと言う事だ
腰までしかない石塀に腰掛けて人の流れを見ていたゴッチが、その流れの中にゼドガンを見出したとき、彼は何人もの女をべったりと侍らせて、珍しく困ったような笑みを浮かべていた
「あら……ミランダローラー様。このような所に御出でになるなんて、随分と珍しいことで」
「人を探していてな。お前が女達の纏め役か?」
「ヌージェンと」
片目を瞑って悪戯っぽい笑みを浮かべたヌージェンが、色気のある会釈をした。普通の男なら、これでころりと行ってしまう。後はヌージェンの掌の上だ
そして、ゼドガンが普通の男でないのは最早言うまでも無いことである。歩き難くて仕方がない、とさして困った様子もなく言ったゼドガンの意を汲んで、ヌージェンはゼドガンに張り付いていた女達を下がらせた
「どうです? はしたない私達を哀れに思うのなら、少し遊んでいかれては。ここは狭い場所。ゼドガン様の探し人も、そうする間に見つかるかと」
ヌージェンが、ゼドガンの心を擽ろうとしている。一冒険者、しかしミランダローラーだ。上客であるのは間違いない
ふと、眼が合う。ゴッチは小さく笑った。本当に、どんな時でも顔色の変わらない男だった
「確かにここは狭いみたいだ」
「は?」
ゼドガンはヌージェンの横をすり抜けて、ゴッチを目指す。あっさりと袖にされたヌージェンは、少しの間きょとんとしていた。まさかこうも平然と拒絶されるとは思わなかったに違いない
「……おう、お帰り。……悪いな、使い走りみてぇな事させちまって。で? 当然、俺が幸せになれるような土産があるんだよな?」
「あぁ……うん。…………どうした、お前、…………本当にゴッチか?」
「ケ、何だいきなり。密林の猿が服着て、野垂れ死にし掛けてるようにでも見えんのか?」
「猿みたいだと言う自覚はあるのか。覇気が無いぞ。今のお前はまるで」
ゼドガンは顎に手をやって、暫し考える
「場所を移そう。こう、囲まれていると遣り辛いからな」
ゴッチとゼドガンの周囲に、人の輪が出来ている。ミランダローラーと色町のろくでなし。野次馬どもの、話の種にはなるようだった
――
「あんまり意味ねぇなぁ」
「人気者は辛い」
「くく、言ってろ」
ゴッチはゼドガンに連れられ、色町の手引き場に入った。客と娼婦、或いは男娼を引き合わせるための場で、軽食や安酒なども出している
決して落ち着ける場所ではなかったが、外で周りを取り囲まれているよりは、幾分良い。そうゼドガンは言ったのだが、結局手引き場の中でも、二人の周囲には野次馬の群れが居た
「酒場の親父に会ったか?」
「あぁ。……客が彼の事をバースと呼んでいたから、少し驚いたがな」
「……そういや、そんな名前だったか。で、情報は?」
ゼドガンは周囲を見渡した。野次馬達が好奇心を顕にしながら、聞き耳を立てている。その中にはヌージェンや、よく見かける娼婦達も居る
給仕に持ってこさせた酒を勢いよく煽って肩を竦めると、ゴッチは続きを促した。摘みが無くても酒が進む性質で、酒だけを欲しがる事も多い男であった
「……お前が探していた、ラグランの場所を探り当てたらしい」
「何?! ……いや、続けろ」
「ミランダからずっと東に、ペデンスと言う街があるのは知っているか? バースは、困り顔で言っていたぞ」
「ドイツもコイツも、そこいら中で噂してやがる。きっと寝床で腰を振ってる時も、どっちが勝つかって話してるに違いねぇ」
「寝物語には血生臭いな。まぁ、そのペデンスの南に、ラグランはある、のだそうだ。正確な位置は不明だが。自信なさげな態度の情報屋から買ったネタは、得てして中る。正にこれだと思うがな」
「そりゃ経験則か?」
ペデンスの南、ラグラン
ゴッチは、知らず知らずの内に笑っていた。ここに来て漸くの、重要な情報である
正直、アーリアのバースには毛ほども期待して居なかった。何かあれば儲け物、くらいに考えていたのだが、まさかの大穴である
ゴッチの眼に灯が点る。愉快そうに笑うゴッチを、ゼドガンはからかう
「今、少しだけ、以前のお前に戻った。捕まえたサンケラットの尾に、油をかけて火を付けた様な感じさ」
「ハハ! なんだそりゃ、どうしてお前の冗談は、そんなに救いよう無く不器用なんだ。で、何か曰くがあるんだろう? そのラグランって所にゃ」
ゼドガンが酒盃を優雅に揺らして、表情を引き締めた。空気が変わる。ゴッチは構わず、飲み続けた
「……十五年前、アナリアは戦争状態にあった隣国と講和した。俺が10歳かそこらの時だ。食料も碌に無く、賊の類があちらこちらを当然のように闊歩していて、国としてはかなり危険な状態だったと思う」
「十五年前……? そういや、レッドの奴も……」
「その時の戦争で、神か悪魔か、凄まじい強さを誇った男が居た。アナリア王国第一王子で、インクレイと言う名だったんだが、この男が指揮を取ると、全く負けが無かった。同時に、苛烈で残忍な面も持っていたがな。インクレイが新たな武勇伝を打ち立てるたび、詩人にそれを聞かされた俺は興奮して、夜も眠れなくなった物だ」
「どんな関係が? おい、俺が何時、お前の成長記録を交えて話せと言ったんだ?」
「……少しで良いから静かにしろ。アーリアまで出向いて手に入れた情報を、丁寧に教えて欲しければな。……で、だ、このインクレイという王子、講和を結んだ時、病で急死しているのだ」
「ほぅ」
「暗殺、と言う噂もある」
「ほぉ! 今夜からこの国の隠密どもに寝首かかれないよう、酒と女を控えなきゃいけねぇな」
「……ふふ、お前が話せといった」
ゼドガンは一応声を潜めいたが、確かに、こんなところで平然と話せる内容ではない。どんな身の上の人間が、どんな聴力で聞いているか解ったものではない
が、ゴッチはそんな事を一々気にするほど慎重な男ではない。……という言い方は正確ではない。ゴッチは、異世界に置いて、何も恐れる物が無いだけだった
今度は、二人して同じタイミングで酒盃を煽る。ゼドガンに至っては、少し、頬に赤みが掛かっている
「思っていた通りの反応だ。お前って奴は、冒険者の中にかなう者がないくらい、度胸のある奴だよ。さぞかし問題だらけの両親の元に生まれ、問題だらけの場所で育ったんだろうな。俺には全部解っているぞ」
「……けっけっけ。そうだ、大当たりだよ。親父は酒場を一軒、中に居る四十人のろくでなしごと燃やし尽くす殺人鬼で、お袋は実の息子に目隠しさせて、下着を引き摺り下ろす色情狂だったぜ。養父がまともじゃ無けりゃ、俺はずっと以前に、首から上が無かっただろうよ。マジでな」
「おい、俺は何処に突っ込めば良い。まともな養父? お前を見てるとそれは無いと断言できるな。ひょっとして、今のはゴッチ一流の洒落か?」
「いや、よく出来た養父だ。俺にはない礼儀と教養があって、切れ者だぜ? 殺した奴の死体を海に沈めて絶対発見されないようにすりゃ、葬式の手間が省けて感謝されると、本気で思ってるようだがな」
二人は揃って大笑いした。周囲を取り囲む野次馬まで、陽気な気分になるような笑い方だった
にやけ面のまま、ゼドガンが何度目か酒盃を煽ったときだ。二人が腰掛けていた席に、陰が差す。野次馬の円陣で出来ていた空白を突っ切っての乱入だ、誰だって気になる
半ば出来上がりかけていたゴッチとゼドガンは、何事か、と、遠慮も無く同時に睨みつけた。鋭い二対の視線が近寄ってきた人物を貫く
手引き場の給仕だった。幼いといって差し支えない年頃の少年で、手に、軽食の乗った盆を持っている。注文した覚えは、無い
「ひっ……!」
「何だコラ」
「い、いえ、こ、こちらは、高名なミランダローラー様に、私どもからの、お、御持て成しで御座います」
「……あぁ? 俺の分は無ぇのか?」
「す、す、直ぐにお持ちします!」
「ゴッチ、あまり脅かしてやるなよ。……あぁ、コイツの分は必要ない。……そうだろう、ゴッチ?」
「ゼドガン、お前、畜生、ここの代金はお前持ちだからな」
「ティトから支払われた報酬があるだろう」
やんわりと窘めるゼドガンに、ゴッチはガリガリと頭を掻いた。張り詰めていた風船から、、あっという間に空気が抜けていった感じだ
ゼドガンが丁寧に礼を言い、軽食を机に置かせると、給仕を下がらせた
「人気者は、辛い」
「チ、気が抜けちまったよ。抜けすぎて、油断しすぎて、怪しい奴にケツに直剣突っ込まれちまうかもな」
「……そうか? 戻ってきたように、俺は思うがな」
「ゼドガン、続きを頼む」
ゼドガンは先ほどの給仕に会釈して、焼いた鶏肉をパンで挟んだ代物を、指で摘み上げる
「当時の俺は、病なんて話を素直に信じて、みっともなく泣いたな。俺にとって……いや、俺だけではないか。当時のアナリア人にとって、インクレイは無二の英雄だった。…………本題だ。インクレイは暗殺される直前まで……、これはアナリアが講和を結ぶ直前まで、と言い換えても良い。彼は、巨大な要塞の建設を行っていた。戦争を優位に運ぶための要塞だ。その要塞の名こそが……、ラグラン」
「暗殺、講和、ねぇ? 素敵だと思うよ、マジで」
「お前はマジでどうかしてる、と返せば良いのか? まぁ流石にきな臭いと思うだろうな、確かに。…………インクレイの死が、講和を結ぶ条件の内の一つだった、という話もあるようだ。敵国にとって言うまでも無く恐ろしい強敵で、味方である筈のアナリアにとっても、インクレイは……。バースの掴んだ情報によれば、彼は、要塞ごと焼き尽くされたのだ。今では廃墟同然の焼け跡が残るばかりで、ラグランの存在を覚えている者も殆ど居ないそうだ」
ゴッチは天井を向いて首を鳴らした。反吐を吐くように言い捨てたレッドの表情を思い出す
『身内を鞭で打って、他人の機嫌を取るんだぜ。なんて言ったって、六十年前も、十五年前も、似たようなことをしてきた国だぜ。きっともっとやってる』
「奴め、話すのを渋る訳だ…………。アーリアからここまで、大分遠回りしたが、穴は埋めさせてもらったぜ、ダージリン」
ゼドガンは、軽食をゴッチにも差し出してくる。ゴッチはひらひらと手を振って拒絶した。物を食う気分ではない
その時ゼドガンが、思い出したように言う
「ラグランの位置に関してだが、良い話がある。実は、アーリアでレッドと会った。どうやらレッドの知己に、ラグランの詳細な位置を知っている者が居るらしい」
「レッドだと? ……あの間抜け面した能天気野郎め、ハーセの事はどうしたんだ」
「俺に言われてもな。だが、ハーセの件については、心配要らんと言っていた。あいつ、少し待てば、ミランダに訪れるだろう」
「奴の大丈夫は大丈夫じゃねぇって事じゃねーのか?」
「少しは信用してやれ。だとえ、かつて南の山脈の主だった竜骨に、ギターとやらで殴りかかる無謀な勇者だったとしてもな」
頬を掻く。ゴッチが僅かに、戸惑い気味になった
「……なんつーのかな、ついつい軽口を叩かずには居られんと言うか。まぁ、お前だし、レッドだからよぅ……」
「気持ち悪い事を言うな……。口説き文句は女に使え」
離れてみると、不思議と恋しくなる男だ。レッドは。当初、あの馴れ馴れしさと言うか、人懐こさには辟易する程だったのだが、付き合ってみれば言動からは想像できないほど理性的で、常に他人に気を配っている
陽気で、タフで、奴やゼドガンと一緒に馬鹿なことを言っていると気分が良い
「(ってんなわけねぇ)」
ぼんやり考えた内容に、ゴッチは思わず身体を跳ねさせた。あのダゼダゼ五月蝿いギタリストの前では口が裂けても言えない台詞である
もしも聞いていれば、調子付いて満面の笑みでダゼダゼ言うに違いない。大変疲れる展開なのは、間違いないのだ
一人で勝手に身悶えするゴッチを前に、ゼドガンは首を傾げながら、それでもペースを崩さなかった
「兎に角、レッドとティトがミランダに戻ってこなければ始まらない。……だが、大きな収穫だったようだな、ゴッチ」
「おう、助かったぜ。お前の御陰だ、本当に能力のある奴だよ。……ん? 何だよ、にやけ面なのは何時もの事だが、何か企んでるな?」
ゼドガンが笑みを深めた
「勘の良い奴! ゴッチ、暫く遣る事も無くて、退屈だったんじゃないか?」
「…………」
退屈、そうでもなかった。ゴッチの脳裏に、イノンの顔がちらつく
「……そうでもねぇさ。くだらねぇが、それなりに良い所だよ、ここは。アナリア兵や腐った死体どもを、丁寧に御持て成しせずに済むからな」
「んん、ゴッチにしては、殊勝なことを言う。何時からそんなに冗談が上手くなった?」
「マジだぜ? 血や腐肉に塗れなくて良いってのは最高だ!」
「血肉を被って一々嬉しくなっている奴が居たら、そいつは病気だな」
「けっひっひ……」
小気味良い会話が続いた。そうさ、退屈ではなかった。遣る事が無くても、まるでじれったく無かった。のんびりと、ロベルトマリンで腑抜けながら過ごす休暇のようだった
イノンがいたからか? 馬鹿馬鹿しいぜ。ゴッチは頭を振る
「で、何なんだよ」
「実は先ほど協会に寄ったとき、協会の長に、ちょっとした依頼を回されたんだが……。このミランダの近くに、アヴニールがいる」
「アヴニール?」
「“あの地下”でも見たろう、灰色の鬼を。既に討伐の為に十名ほど集められていたんだが、相手が相手だからな、とても足りない訳だ。全員帰らせたよ。却って邪魔になる」
あぁ、あぁ、とゴッチはそこまで言われてやっと思い出した。ゼドガンが真っ二つに両断した灰色の怪物の事を
つまりゼドガンは、冒険者十人掛りでも勝負にならないような相手を、一対一で汗をかく事もなく瞬殺した訳か
「“ちょっとした”?」
「“ちょっとした”依頼だ。見つけて、剣を抜けば、どんな結果になるにせよ、さっくりと片が付く。まぁ、荒事なんて基本そんな物だが。……暇なら、付いてこないか」
あの灰色の鬼を、「ちょっと殺してくる」と言える奴が、こっちの世界でどれだけ居るのだろうか
ゼドガンは、アヴニールを侮っている訳ではないようだった。打ち合えば一瞬で勝負は決まる。勝てばそれで良いし、負けたら死んでいるのだから別に後の事を気にする必要も無い
ちょっとした仕事と言うゼドガンの感性を、少しだけゴッチは知ったような気がした
ゴッチは笑っている。ゼドガンも、当然笑っている。ゴッチは段々愉快になってきて、大きく深呼吸した。声が上擦りそうだった
「どのくらいの間? 昼飯食ってりゃ終るお散歩か?」
「相手が直に現れてくれたならば、斬り合って終わりだが」
「おいおい、そのアヴニールとやらが、そんな気配りの出来る良い奴だなんて保障が、何処にある」
「一人で行かせて、俺が負けて無残に死んでもいいのか?」
「両手両足縛り上げられてからアヴニールの前に放り出されたってんなら、心配してやるよ! ……お前、そんな冗談も言うんだな」
プライドのある男だ、ゼドガンは。別段自分の強さを誇示したり、それを妄信したりしている訳ではないが、俺が負けて死んでもいいのか等と、謙ったような発言は絶対しないと、そうゴッチは思っていた
飽くまで自然体を旨とする男である。ゴッチには、少し真意が図りかねた
「お前やレッドぐらいさ」
ゴッチが、きょとんとした。直に、喉に物を詰まらせたような顔になる
「ば、馬鹿、何だよ、口説き文句は女に使え」
――
後書
フォールアウト3で洒落の聞いた会話の勉強するよ!
ってそんな上手く行くかァァー ○○○しろオラァァー
ゴッチ充電7割完了