「おや、ルーク君。何の心算で?」
「私は貴女の事など知りませんが、今の貴女に、馴れ馴れしく名を呼ばれたくはありませんよ」
「えぇー……。御免なさい、私はですね、可愛い子が好きなんですよ。それで、何の心算ですか?」
「説明が必要ですか?」
「……いえー、要りません」
眉目を険しくしたルークは、鋭くアシラッドを睨む
僅かにたじろいだアシラッドは、しかし全く深刻そうではなかった。ちょっと嫌だな、その程度である
「ルークとやら、何の心算か。先程から出しゃばって、これ以上は」
「お黙りなさい」
背後からの剣呑な詰問を、ルークはピシャリと斬って捨てた。怒る肩がマントを揺らめかせ、危険な気配を振りまく
堂々たる背中だ。熟練の騎士だろうが何だろうが、口は挟ませない
「黙れるか! 一騎討ちに」
「黙らっしゃい! 三度は言わない!」
「ぬっ」
ルークの気迫に圧されて、カウスの騎士達は黙り込んだ。胸から血を流すリーダー格の騎士を、一睨みで牽制すれば、彼は大人しく後ろに下がる。負けた者に何か一語でも語る資格はない
アシラッドは、右腕で頭を抑えていた。篭手と兜が、軽くコツンと音を立てる。困ったような呻き声も、矢張り余裕に満ちていた
「……ルーク君、一端の騎士であるのならば、まさか殺すなとは言いませんよねぇ。斬り合っているんですよ。斬ろうとするんだから、斬られることもあります。私も彼も其処は変わらない」
「私は其処に口を挟む心算はありません。しかし、市中で剣を抜く蛮行を恥じてください。これ以上騒ぎを起こされては、困る」
「はぁ……蛮行、ですか。それは間違いないですが……、ちょっと傷付くなぁ。私とて、何も思うところが無い訳では無いんですよ。本当に」
ルークは装備している篭手を一擦りして、拳を突きつける。敵意の形を向けられて、アシラッドは僅かに沈黙した
騒ぎを見守る民衆が、そろって息を呑んだ
「捻じ伏せられなければ、解らない方ですか? 貴女は。この馬鹿騒ぎ、鎮圧しますよ」
「仕方ないな。…………お姉さん、興奮してきましたよぉ。うふ」
「ふ、フランシスカ様! 剛剣のアシラッド様ですよ?! 無茶はお止めください!」
侍女が堪らず口を出した時、全ては遅かった
ルークが身体を撓らせて、アシラッドに飛び掛っていたからだ
今より一年程前、一度だけ、本当に一度だけ、ルークはマクシミリアンの稽古の中で、彼に勝利した事がある
その時のマクシミリアンは、長剣を使っていた。加減はしていたのだろうが、その動きは到底ルークに見切れる物ではなかった
マクシミリアンに比べれば、余人の何と他愛の無いことか。自分達と身体能力に大きな差のある異世界の人間ならば、尚のことだ
行ける、と己を鼓舞して。ルークはアシラッドの懐深く潜り込んだ。実際のところ、他愛ないと言いつつも、アシラッドの剣は早く、完全に見切れなどしなかったが
しかしそれでも、抜けない以上は、前に出るしかなかった。無手であるならば、組み付くしかなかったのである
あの時、自分はどうしたか。ルークは目の前に居るアシラッドと、マクシミリアンを重ねた
頭上から振り下ろされる右手の剛剣。ルークの両手が、アシラッドの肘と脇を抑える。急激に速度を落とすアシラッドの斬撃
次は、何だったか。ルークは、思い出す
「およ?」
不思議そうに溜息を漏らすアシラッドは、しっかりと左手を動かしていた。指の一本一本までをしっかりと覆うアシラッドの篭手がギチリと鳴り、握り締められる。
殴られたら、痛いだろうな。鉄の篭手であることだし
だが、ルークは見ていた。アシラッドの左手が拳を握りこむ前に、小物入れの小さな刃を抜こうかどうか、逡巡して辞めたのを。アシラッドの殺意の無い拳などルークはまるで恐ろしくなく、そしてその逡巡は決定的な隙だった
振り払われるアシラッドの右腕。大きく体制が崩れた彼女は、再び息を漏らした
「およ?」
苦し紛れの蹴りが飛ぶ。ルークは両腕を交差されて平然とそれを受け止めた
剣術では勝利は覚束ないし、抜けば問題になる。が、これならばどうとでもなる。超至近距離の格闘戦で、何百年と進んだそれの技術を学んでいるルークが、負ける筈が無い
苦しい体制からの蹴りを止められ、更に身体が泳ぐアシラッド。自らを見つめるルークの視線に、途方も無い熱と迫力を感じ、思わず目を奪われる
ルークは冷徹に、足を狩った
「わぁ!」
アシラッドがピョンと跳ねて、完全に身体の制御を失う。後は、倒れこむだけだ
ルークが掌をアシラッドの兜に添えていた。勢いに任せて体重を乗せる。激しい音を立てて、石畳に叩きつけられるアシラッドの頭部
鎧を着ていようがこれほどの衝撃、どうにもならない。アシラッドはすぐさま起き上がろうとしたが、ぐらぐらと視界が揺れて、身体が動かなかった
「脳震盪です。動かないで」
「はっはっは…………、いや、まあ……、これはこれで」
アシラッドにもう少し戦意があり、ルークを傷つけることを厭わなければ、こうはならなかった筈だ
斬る、斬らない、を偉そうに語るくせに、妙に甘い女性なのだな、と、ルークは首を振った
「この騒動、これまでにしたく思います! 無闇に場を騒がせたこと、どうか許して貰いたい! 何か物言いがあるならば、後日、カウスのホーク・マグダラ殿を訪ねてこられよ!」
――
問答無用でアシラッドとカウスの騎士三人を縛り上げたルークは、ブラムの屯所で粗末な馬車を用意させ、休む間もなくカウスへと出発した
もう少し丁寧な扱いを、だの、怪我人の事も、だの、この程度どうと言うことは、だの、アシラッドォォー、だの、非常にやかましい声が後ろから聞こえる気もするが、ルークは全く気にしない
馬車の御者台の上で危なっかしく手綱を取りながら、ルークは溜息を吐いていた
「紐も綱もなしに、騎馬って付いて来てくれる物なんですね……」
「マルレーネは頭が良いんだ。それに中々心配性でね」
ルークの隣では、侍女が暗闇の中、目を凝らしている。視線の先には、馬車を引く痩せ馬と並んで歩くマルレーネが居た
暗闇の中とは言えど、申し訳程度に舗装された道からは外れていない。問題なくカウスに辿り着けると、ルークは思っている。少しばかり心もとないが
寧ろマルレーネの方が道を把握できているのか、馬車を誘導している節があった。マルレーネの白い馬身が、暗闇の中でぼんやりと揺れていた
「…………それにしても驚きました。まさか、……あ、いえ」
「ずっと言っているけれど、君をペコペコさせても、私は嬉しくないよ」
「……フランシスカ様の御付をしていると、緩んでしまいます。全く、本当に……、周囲の方々に何を言われても、知りませんからね」
「それで、何を?」
侍女が後ろを見やって、声を潜めた。粗末な馬車とは言っても、一応屋根はついている。名目上とはいえ、咎人の移送に使うのだから、当然だが
「アシラッド様です。まさか、剣も抜かずにあのように勝ってしまわれるなんて」
「いくら止めるためとは言え、抜いたら大問題だ」
「ご存知ありませんか? アシラッド様といえば、林の魔物を筆頭に、様々な怪物を討ち取ったと言われる騎士様ですよ」
「私は此処に来て、まだ日が浅いから。……でも、もし彼女がもう少しだけ、私の生き死にを、どうでも良いと思っていたら、私は彼女が今まで滅ぼしてきた怪物達と同じ末路を辿ったかも知れない」
「照れますね」
「ん?!」
ルークと侍女が、一緒に後ろを振り向いた。木格子の窓に鷲面の兜を貼り付けて、アシラッドがこちらを伺っている
よく聞こえましたね、とルークが苦し紛れに言えば、耳がいいんです、と平然と帰ってきた。掴み辛い性格なのは薄々解っていたが、これはどうも遣り辛そうだった
「ねぇ、可憐なお嬢さん。私は恥ずかしがりやで」
「は、はい!」
「でも、ルーク君に自己紹介が出来ないくらい酷い訳ではないから……。余り要らない事を話さないでくれるとうれしいかなぁ」
「申し訳御座いません! 不躾な事を!」
「いや、謝ることは無い」
侍女をやんわりと恫喝するアシラッドに、馬車の中から待ったを掛ける声一つ
今日の事件を思えば、首を落とされる可能性すらあるのだが、そんな事は全く気にしていないような風情である。カウスの騎士達は、侍女を庇い始めた
「アシラッド、貴公、少し己の立場を知ったらどうだ? 貴公のように態度の大きい捕虜など、そうは居まい」
「貴方だって捕虜でしょうに。何他人事みたいに言ってるんですか」
「私はこの期に及んでまで、ルーク殿に手間を掛けさせようとは思っていない。剣すら抜いて貰えなかったのだ、貴公は。敗北したならば、殊勝にせよ」
「剣すら抜いて貰えなかった私に、自慢の一振りごと切り捨てられたのは何処の何方でしたか?」
「ぬ……、殺しきってから偉そうにしたらどうだ」
「…………手心を加えず、後一歩深く踏み込んでおくべきだったと今では思いますよ」
「おい、傷に障る。今は大人しくしておけ」
「全く……昔から顔色を変えん奴なのは知っているが、斬られてもこうか。本当に人間か確かめたくなるな」
先程までに引き続き、再びやいのやいの言い始めてしまった連中を尻目に、ルークは手綱を握りなおし、眉を顰めて溜息を吐いた
この、異世界と言う奴は、どうも自分を図太くしてくれるようだ。ルークは日々、成長している
――
予想は出来ていた。何と言うことは無い
牢屋の壁を這う虫を蹴り払いながら、ルークは自分に言い聞かせていた。アシラッドや、カウスの騎士三人組、それらと一緒くたにされて牢屋に放り込まれるぐらい、何だと言うのだ
このカウスの城は、つい最近まで最前線であったらしく、牢屋にも多少の曰くがある。壁には拭っても落ちないらしい血痕と、どうやったかは知らないが食い込んだまま折れた爪。微かに、腐臭もする
何と言うことは無い。ルークは、げっそりしながらもう一度自分に言い聞かせた
「看守! 看守!」
「は、なんでしょうか!」
「ここは不衛生だ。怪我人だけでも別の場所に移せないか?」
「既に具申してみましたが、許可が下りませんでした。ジャウ様の……えー、後見役、のベイオ様は、怒り心頭といった具合で」
「ジャウ?」
中年の看守と会話を続ける内に、向かい側の牢から笑い声がした
「私の名だ、ルーク殿。ふふふ……、どうも俺は、人の名前と言う物を、あまり覚える気にならなくてな。教えたり、教えられたり、そういう意識が無いのだ」
「はぁ」
「改めて名乗ろう。ジャウ・バロイ、今はベイオ・ブラーデン様に、騎従士として仕えている。この二人は、エヴァンシードとスクリュージョーだ」
「ジャウ、おい!」
「全く、お前と言う奴は……!」
「はぁ?」
焦げ茶の髪を書き上げながらジャウが紹介すると、腕組みしながら壁に凭れ掛かっていた二人は、苦笑しつつも声を上げた
くっくっく、と笑い声がする。ルークの牢屋の、隣からだ。アシラッドだった。アシラッドはルークの牢屋側の壁に背中を預けながら、肩を震わせている
「馬車で聞いてましたけど、ルーク君は本当に世間知らずですね。エヴァンシードは神話の勇者、スクリュージョーは御伽噺の剣闘士、どちらも実在しない人物です」
はぁ、とボケた様にルークが洩らせば、あっはっは、と、アシラッドは声を大きくする
看守は、肩を竦めながら持ち場に戻っていく。何故か妙に疲れていた
「キューリィ・シードだ。ジャウは気にするな。何時も真面目腐った面をしているが、時々阿呆な事を言うからな」
くすんだ金髪を揺らしながら、鋭い刃物のような面付きでニヤリと笑うキューリィ
「ジョノ・ジョー。……ふん、最初は物分りの悪い子供かと思っていたが、……感服した。全く、凄かったぞ、ルーク殿」
がっしりとした顎をしきりに撫でながら、手放しで誉めるジョノ
なんとも気持ちの良い連中だとは思うが、この三人とアシラッドは、ほんの数時間前に殺し合いをしたばかりなのだ
こんな短時間に、遺恨を水に流せる物だろうか。アシラッドも此処には居るのに、余りにも気負った風の無いジャウ達に、ルークは疑問を抱いた
「はぁ。…………私はルーク・フランシスカ……です。一応、ホーク・マグダラ様の所にご厄介になっています」
「…………なんだ、変な顔をして」
ジャウが胸を押さえて顰め面をした。その時ルークは眉を顰めたが、ジャウはそれを見逃さなかった。斬られているが、笑っているのだ、この男は
「不思議ですか? ルーク君」
アシラッドの牢屋から、コンコンと音がした。壁を叩いている
視線がアシラッドに集まる。ルークは音のした方に身体を向けて、首を傾げた
「……私が言うのも何ですけどー、言うほどは怒ってないですね、貴方達は」
「…………あぁ」
ジャウは、自嘲の笑みを浮かべて、俯いた
――
「逆恨みだ。全く、俺は未だに情けないままなのだと、思い知らされた。だが……」
自分を嘲笑っては居るものの、不思議とジャウの顔はすっきりしているように見える
ばっさりと切られて、血と一緒に何か大事な物まで流してしまったのではなかろうか。ふん、と鼻を鳴らす仕草が、妙に楽しげだった
「ロッシ様は……、俺がやらなければならなかったのだ。本当は。ロッシ様をお止めして、そして俺は剣を呑んで死ぬべきだった。……しかし、俺には」
「……何度目だ。もう言うな。お前だけではない、俺たちとて、そうであったのに」
「……くっくっく、悩む内に、全ての事にアシラッド、貴公が片をつけてしまった。本当ならば礼を言い、許しを請わねばならないぐらいであるのに、俺たちは、情けないやら恥ずかしいやら、どうしようもなくなってしまってな」
「待った、もう止めにしましょう」
アシラッドが遮る。視線を上げたジャウに、アシラッドは手を振ってみせる
「別に聞きたくはありません。聞かなくとも、貴方の心根は解りました。もう、仇討の心は、ないでしょう?」
「ふん……負けたし、な」
異世界の感性は解らない物ではないな、とルークは思う。ジャウ達の心も、アシラッドの心も、何となく解るような気がした
きっと、ジャウ達が市場で洩らした言葉に嘘は無かった。死んでもよいと本気で思っていたのだ
人の心は理屈ではない。理屈が通らない事はすべきではないと、ルークは常にそう考えているが、理屈だけで人が御せるなどと思ってはいない
じわ、と胸が熱くなるような気がした。ジャウ達はきっと、理屈が通らなかったとしても、斬るか、或いは斬られるかしなければならなかったのである
言葉にすることなど、出来なかった
「しかし、貴方達ほどの騎士が、未だに騎従士扱いなんですかぁ?」
「はみだし者だからな、俺達は。ロッシ様に仕えていた俺達の事が、ベイオ様は気に入らんのさ」
ジャウが立ち上がり、鉄格子の前までおっとりと歩く。鉄格子によりかかると、ルークに頭を下げた
「まずは、謝罪する。そして、捨鉢のような物だったが、命を救われた。礼を言う。恩を返したい気持ちはあるが、……此度の事、今度こそ剣を呑まねばなるまい。恩知らずで、済まんな、ルーク殿」
ルークは嫌な気持ちになった
頭なんて下げないでください。頭なんて下げないでください
アシラッドは何も言わない。おどけた雰囲気が消えて、シン、と静まりかえる
ルークは息を吸い込み、止めて、口を結ぶ。自分が発するべき声をよく考え、吟味して、漸く発言した
「そうはさせません。私は、全ての人々に、効率的な死に方があると思うのです」
ルークは看守を呼びつけて、伝言を頼む
――
ホークに与えられた執務室は、流石にカウスの城の中でも、特別良い調度が置かれている
「ブラムから南東へ馬で三日の距離に、小さな村がある。面白くない話だが、賊や逃亡兵の類が結託して、村を占領しているとの情報が少し前に入った。これは断じて見過ごせん」
牢屋から出されたルーク達は、気分良さそうに微笑しているホークともう一人、深緑色の外套を着込んだ壮年の男、ベイオの前で膝をついていた
羊皮紙の胸の前で広げながら、朗々語り上げるホーク。ふと、鋭い視線が、こっそりと顔を上げて様子を伺ったルークのそれと重なる
嬉しそうだな、とルークは何となく思った
「討伐の為の部隊に先んじて、貴様らは賊を討ち滅ぼせ。行くのは貴様ら三名に加え、監視としてルーク・フランシスカがこれに付き添う。ルーク、君は、ジャウ以下三名の戦死を見届けたら、即座に撤退せよ」
羊皮紙を丸めたホークの前に、ベイオが白髪交じりの髪を掻き毟りながら進み出る。ルーク達に向き直ったベイオは、何ともいえない呻き声を上げながら、やっと搾り出した
「……この困難な任務を成し遂げれば、貴様らの罪を相殺とする。また、例え死んだとしても、騎士の名誉を保とう。もしも、もしもだが、これを拒否するのであれば、騎士の位を剥奪した上で追放とする」
ホークが腕組みしながら、一同を鋭く睨みすえた
「何か聞きたいことがあるか?」
ルークが真っ先に顔を上げた
「敵戦力は」
「装備は大したことは無いようだが、五十程を確認している」
五十。ルークの眉間に皺が寄る
ジャウ達だけで、到底相手できる数ではない
「私も戦闘に参加して宜しいでしょうか」
「この不名誉な騎士達三人と、肩を並べても良いと言うならば、君の誇りと心に従え」
「ホーク殿?!」
「ありがとう御座います!」
ベイオの咎めるしゃがれ声を無理やり遮って、ルークが立ち上がり、感謝を述べた
何故、といわれても、明確な答えをルークは返せないだろう。何故、出会ったばかりの、しかも自分の手を煩わせた者達の為に、自ら戦場に飛び込むのか
こういうとき、理屈は良いんだ。放っておくのは、何かが違う
理屈屋の心を捨てようと、ルークは思った。自分より一回りも年上であるジャウ達に、身内に近しい好意を感じ始めていた
「では、私も参加したってぇ、構いませんよね」
「あ、アシラッド……?」
「誰が顔を上げてよいと言ったか?」
「はっ」
気負い無く、まるでホークもベイオも居ないかのような振る舞いで立ち上がったアシラッド。ジャウが思わず身体を持ち上げ、ホークに鋭く抑えられる
ベイオがまたもや難しい顔で唸った。ホークは肩を竦め、凛々しい顔を真正面に、アシラッドと向き合う
「貴公がアシラッドか」
「お初にお目にかかります」
「……兜くらいとっては如何か?」
鷲面の兜に手を掛けて、少し逡巡した後、アシラッドはそれを取り払った
赤い紐で一括りにされた艶やかな黒髪が流れる。鷲面の兜の何処に収まっていたのかと思う程の長髪で、目を引く妖しさがあった
褐色の肌は張りがあり、健康的で、幾つもの武勇伝を持つ割には、かなり年若い。力の抜けたような半眼は、素なのか意識してなのか。一度こちらに向き直って一礼したアシラッドを見て、普段の妙に間延びした雰囲気を考えれば、素なのだろうな、とルークは思った
「私がアシラッドです。家名は覚えておりません。どうかご容赦を」
「良い。ホーク・マグダラだ、高名な剛剣アシラッドに会えて光栄に思う。……で」
「本気ですよ、私は。別に駄目と言われても、こっそりルーク君に使ってもらいますけど」
「ふ、なら、別段言う事も無いな。…………ジャウ、キューリィ、ジョノ、立て」
ジャウは、歯を食いしばっていた。目尻が光っているのをルークは見つける
感涙と言う奴だろうか。ルークはなんだか気恥ずかしい
「どうしたジャウ、立たんか」
「はっ。ありがとう御座います。この処置はホーク様の御厚情と存じております。感謝しても、しきれませぬ」
「ルークが、骨のある奴が居ると言うんでな。ルーク、彼ら三人の指揮を執れ。僅か四人、剛剣アシラッドを含めても五人の極小の騎士隊だが、君が指揮官だ。……尚、騎従士であるジャウ以下三名は本来ならば騎乗は認められないが、ルークの指揮下にある内はこれを許可する」
ベイオは忌々しげに掌を持ち上げるばかりで、もう何も言おうとはしなかった
「ホーク殿、もう全て終わりましたな? それでは、私は私の職務に戻らせて頂く」
「ベイオ殿、済まないな。ここに着いてから、我侭を言いっ放しだ。本当に感謝している」
「全く、私も黴臭い牢屋で構いませんので、一晩ぐっすりと休みたい物です」
足音荒く退室するベイオ。此処暫く外出する事も出来ていないのか、肌は輝かんばかりに白く、目の下には隈があった。白髪交じりの髪は流石に整えている辺り、ベイオは几帳面であった
「真面目な働き者だ。本当は、ああいう男に我侭で泥を被せたくないのだが」
「ありがとう御座います、ホーク殿」
「ルークを残して、後は退出しろ。部下が厩舎まで案内するから、そこで馬を選べ。アシラッド、君は?」
「私はブラムに馬を預けておりますので」
「なら、良い。部屋を用意しているので、案内させよう。では行け」
深く一礼して、騎士達は退室した。横目でそれを見送るルークに、アシラッドが能天気に手を振る
さて、何を言われるのやら。ルークは身構えた。ホークは余り人を騙すような事はしない。笑いながら酷いことをいう男ではない。だから、機嫌の良さそうな今、あまり叱責されることも無いだろう、とは思っていた
「よくもやったなルーク! あの剛剣アシラッドを、まさか無手で下すとは!」
機嫌が良さそう、所ではなかった。最高に上機嫌だ
声自体はそこまで大きくないが、何時に無くはしゃいでいる気配が伝わってくる
もし今の声がアシラッドに聞こえていたら、気まずいな、とルークは苦笑した
「しかし剣を抜かなかったのは大きいな。見事な騎士振り、と、皆が君を讃えている。『ルーク殿とはどんな御仁か』と態々聞きに来る者も居て、私も鼻が高い」
「そんな……ホーク殿にそう手放しで誉められると、照れます」
「まぁ、如何な状況、理由であっても、騒乱罪には変わりないが、君の風評にはそんな事は関係ない。我関せずと優等生面しているよりも、君のようなやり方のほうが私は好きだ」
だが
言い切って、ホークは笑みを消す。穏やかでいて有無を言わせない強い口調の、何時ものホークである
「あの三人も中々優秀であるようだが、拘りすぎるなよ。君は若いのが、私の唯一の懸念だ。命には賭け時がある。無理をせず、危うければ退け」
「最善を尽くします。どんな作戦であろうと。それで宜しいですか?」
「……ふ、たった四人、五人だが、或いはやるか? 君が功績を積むのを楽しみにしているぞ」
一つ頷いて、ルークも退室した。なんとも言えない、高揚した気分だった
――
しかしルークのルンルン気分は一瞬にして綺麗さっぱり消えうせるのであった
『馬鹿な』
「いえ、その」
『何故そうなる前にこちらを頼ってくれないんだ。……コガラシで、或いは何かやりようがあったかも知れない』
「余り、瑣末事でお手を煩わせたくなかったのです」
『その、気持ちの悪い言葉遣いを即刻辞めてくれないか、ルーク。私は別に怒っていないよ。……ただ、君のサポートを行っている筈の私が、その実何も出来ていないのが情けなく思えただけさ』
ルークは、明滅するコガラシの前で直立不動になっていた。ルークに宛がわれた部屋の中での事である
「いえ、そんな事は」
『私は無能だよ』
テツコの気配は、何時に無くどんよりしていた。ここ数日間は簡単な報告だけで、テツコを補助する研究員達でも事足り、テツコ自身と会話することが無かった
久方ぶりに話してみれば、この有様である。これほどか弱く話すテツコを、ルークは初めて見た
『ゴッチは見つからないし、マクシミリアンは変態を送り込んでくるし、ファルコンはレイプショーを実況中継してくれるし、君ときたら何時の間にか異世界で特攻隊員だ。警察連中は痛くも無い腹を探るついでにセクハラしていくし、疲れきった所員達は好き勝手言い始めるし』
ダカダカとコガラシの向こう側からキーボードを叩く音がする。ダカダカダカと鳴り続ける
『私にもう少し能力があれば。後もう少しあれば、幾らでもどうにでも、してやるのに。ゴッチだってとっくに見つけて、メイア・スリーの捜索だって進展させてやるのに。私は無能だ』
「そ、そんなネガティヴにならないでください」
『私はゴッチを見つけたときのために、彼を戒める為の言葉をずっと考えていたんだ。だが、駄目だ。上手く彼を言い包める言葉一つ思い付かない。何せ、気に入らなければ道理を引っ込めさせる男だ。結局感情論や、泣き落としのような、情けない事ばかり思いついてしまって、そして』
ダカダカ、の音が止まった。これは拙い、とルークは思った
鬱状態に入り込んでしまっている。ここまでダウンしてしまうと、余人が何を言っても無駄だ。何がどうなってテツコがこうなったのか、ルークは知り得ない諸々の原因を恨んだ
『……その泣き落としに、結局打算が混じってしまうんだ。私は情けない。私こそが、彼に真摯でいなければならないのに』
「いや、それは何と言うか、考えすぎと言うか、思い込みすぎと言うか。言い過ぎと思いますが」
『考えれば考えるほど……泣き言を……こんな、情けない。えぇい……! まだ何も終わっていない……!』
「え、ちょ」
『まだ取り返せる……! 私は無能かも知れないが、しかし、自分の怠惰で……!』
「何を言って……、というか、何をして……」
『全部やっつけてやる……! ……ルーク、君が行くと決めたなら、私は止めないよ。だが、必ず生きて戻ってくれ。君が死ぬと、私は悲しい』
「は、はい。え? はい」
『頑張れ、負けるな、ルーク』
コガラシは棚に放り込まれた鎧の腰に張り付くと、明滅を止めた
通信が途切れる前に、またダカダカと音が鳴り始めたような気がしたが、どうなったのであろうか
テツコは大丈夫か。ルークは真剣に不安になった
――
後書
孔明「黙らっしゃい」
我がssながら
ちょっと文章がやっつけ仕事気味か……?
今更ながらもうちょっと考えて題名付けりゃよかったと後悔している。
かみなりパンチ→かみパン
かみパン→かみさまのパンツ
不思議! ってそんな訳ねーよ