「ゴッチが見つからない?」
様々な機器が雑然と並ぶ中で、ファルコンはテツコの後ろから、空間投影型のディスプレイを覗き込んでいる
サングラスをクイ、と持ち上げて、ファルコンは溜息を吐いた。全く予想できなかった訳では、無い
「……何事も無く無事合流、と言う訳には行かんか」
「発信機が、コガラシ二型のレーダー範囲内に無いのは確かさ。首都のアーリアをカバーするぐらいは出来る筈なんだけれどね……。それに、あちら側で友好関係を築けた人物も見つからない。こちらは、まぁ、関係あるのかどうか解らないけど」
「詰まり、アーリアとやらには居ない、と? 大人しく出来ないモンかね、全く」
コガラシはルークのサポートに着け、新たにゴッチのサポートを行うために投入されたのが、コガラシ二型である。エネルギー関係のパフォーマンスが全体的に改善されている消費低減型だ
本当なら、三ヵ月後までメイア3が見つからなかったその時こそお披露目となる筈だったが、状況が大幅に変わったため、テツコがひぃひぃ言いながら組み上げたのである
マッピング装置は、コガラシと共にルークの傍にある。これは、マクシミリアンの要望だった
「手が掛かる子だ」
「子ども扱いか。大して年も変わらんだろうに」
「男にとっては大したことの無い差でも、女にとってはそうでもない事ってあるんだよ。……年長者が世話をするのは、まぁ当然か」
「…………養女に来るか?」
テツコは怪訝な顔になった。本気か冗談か量りかねたらしい。本気だったとしても冗談だったとしても、裏に何かあると感じさせるような、そんな言い方だったのが更に悪かった
「遠慮する。私はもう大人だからね」
「まぁ良い。しかし、ここに来てゴッチが行方不明となると、ルークを不用意には動かしたくなくなる」
「対象を救助に来たレスキューが、行方不明になって救助対象になるなんて、格好悪すぎるな」
「もう言うな……」
――
ルークは困惑していた。ナビロボのコガラシを通じて、ファルコンから伝えられた内容は、困惑しても仕方が無いと思っていた
「此処に留まって捜索と言っても、出来る事には限りがあると思いますが」
『あぁ、別に結果を出せとは言わんさ。可能な限りで良い。異世界で活動する前の、慣熟訓練だと思って気楽にやれ』
「はぁ……、いや、はい……」
特に難しい事を言われた訳では、決して無い。メイア3の事、ラグラン及びアシラの事、ついでに先任であるゴッチ・バベルの事について、現地に留まりつつ情報を集めろと言うのだ
ノルマは無い。可能な範囲でやれば良いという、まるでやる気の無い指示である。ゴッチ・バベルが行方不明だと言うのに、全く焦った様子の無いファルコンに対して、ルークは疑念を抱いた
ルークは、正直に言えばファルコンを警戒して掛かっている。これはファルコン自身がルークに対して威圧的に接してきたせい、と言うのもあるが、根本的には性質の違いであった
ルークは世間知らずではない。が、常に物事の正道を行ってきた。道徳と倫理と正論、後は人情で生きてきた。それでも上手く事が回るように、マクシミリアンが庇護してきたのである
ファルコンは紳士然としているが、殺し、恐喝、詐欺、誘拐、と、息をするような自然さで、数え切れない悪事を働いてきたアウトローだ。そりが合わないのは、寧ろ当然だった
「質問しても宜しいでしょうか」
『許可する』
「ゴッチ・バベル先任の捜索ですが……その、能動的に行わなくても良いのですか?」
『構わん、殺しに掛かっても素直に死ぬ男じゃない』
面子の問題かな。ルークは、口には出さなかった
ファルコンにしてみれば、行方不明の部下をルークに発見、救助されるのは面白い出来事ではない筈だ。ファルコンとマクシミリアンの微妙なパワーバランスにも影響を与える
もしかしたら、行方不明と言うのが欺瞞という可能性だって考えられる。ルークを適当な理由で足止めし、その間に捜索で何らかの進展を得て、功績を拡大しようとしているのかも知れない
ルークはそういった事を考える人種が、何時如何なる時代でも居なくなりはしないと、知っていた
「全力を尽くしますよ、私は。構わない、ですよね?」
『………………あぁ、まぁ、適切に事に当たれ。お前なりに』
ファルコンへの警戒を微塵も表に出さず、ルークは了解の意を告げた。基本的にルークに否は無いが、どうしても承服しかねる場合は拒否しても良いと、マクシミリアンから言われていた
ファルコンも、妙に気合の入っているルークへの疑問を僅かにでも外に漏らさず、至って事務的に会話を終了するのだった
――
ルークは強運であった。彼の持つ良識と行動が、強運を引き寄せたと言っても良い
ルークが救助した少女は、メノーと名乗った。身の上は明かさなかったが、低い身分の氏素性出ないことは身形と仕草から感じられた
メノーと言う名前も、偽名である可能性が高いとルークは踏んでいる。根拠がある訳ではないが、少女の態度と、後は勘だ
馬上で目を覚ましたメノーは、ゆっくりと状況を理解すると行き先を指示した。最寄の町であるらしい其処は、拠点を必要とするルークにも拒否の理由は無く、メノーに案内されるままに町へと馬を進め、やがて辿り着く
そこからが大騒ぎだ。原因は言うまでも無くメノーである。町の領主館でルークは投獄され掛かった。寸での所で、そうはならなかったが
メノーが事情を説明した後は、全く持って懇切丁寧な対応であった。今は、領主館の一室を宛がわれ、ルークは其処に居た
「……よし!」
ルークは胸板を拳で打って、気合を入れた。ルークは仕事熱心である。己の行動の全てが、マクシミリアンの品格にも直結する状況、その思いは一際である。つまり、ファルコン及びその他に弱味を見せたくないのだ
ファルコンの思惑を探り、警戒しつつ、その上で結果を出す心算であった。実際には、周囲を取り巻くあらゆる勢力の干渉に対応しているファルコンは、ルークにかかずらっている暇等無いのだが、ルークの頭の中ではファルコンは腹に色々と黒い考えを蓄えている事になっている
まぁ、仕方の無いことではあった
ルークは鎧を置き、軽装に剣だけを佩いて宛がわれた部屋を出る。当初は小剣だけを持ち歩いていたが、騎士階級の者は平時でも剣を手放さないらしく、訝しがられてからは郷に従う事にしている
まずは、町の首領に話を通す事を考えた。経済と権力で強い基盤を持つ者の助力を得られれば、どれ程の助けになるのかは言うまでも無い
幸いにして、メノーを救った事は、大きな貸しに成り得た。メノーの存在が、ルークの作戦行動を良い方向へと導いていた
『肩の力を抜いたらどうだい』
「テツコ博士。ファルコンさんは?」
『その……まぁ良い。ファルコンなら、君の上司に呼ばれていったよ。色々と、厄介事が多いようだ』
腰のベルトで、コガラシは振動する。テツコはルークの事を非常に気に掛けており、またルークはそれを無碍に退けられる性格ではない。二人の仲は、良好である
『無理はしないように。こういう言い方は酷のようだけれど、君はゴッチに比べて単独での生存能力が低いと判断されている。自重を心掛けてくれ』
困ったような顔をしたルークは、当然だが、内心面白くなかった。控えめを心掛ける彼にも、プライドはある
そもそも比較にする対象が間違っているような気がしないでもない。が、言い返したりはしなかった
不本意ではあるが、呑み込めてしまった。生命力を比べる相手が悪過ぎるのもある。そして、テツコが自分を気遣ってこういう事を言うのだ、と理解しているからでもあった
「はい、慎重に事に当ります」
『……解ってくれて嬉しく思う。小言を言って、済まない』
コガラシが一度だけ明滅して、待機状態になった。コガラシ二型を使ってゴッチの捜索を行わなければならないテツコは、それなりに多忙であった
「(さて、こちら側では、どう渡りをつけるのが、スマートな方法なのだろうか)」
視線を心持高く上げて歩きながら、ルークは考え始めた。顔を上げて堂々と歩けと言うのは、マクシミリアンの指導である
身分のある、多忙な相手のもとへと、いきなり押し掛けるのが無礼でない筈が無い。そういう常識は、異世界だろうが変わりなかった
何処かの何者かに話を通して貰う必要があるが、誰彼構わず、と言うのはルークはやりたくなかった。出来るだけ、優雅に構えていたいのである。マクシミリアンのように
と、言う所に、正に丁度良い相手が現れた
白い小顔を伏せ気味に歩く、メノーである。中年の、どちらかと言えば痩せ気味の侍女を御供に連れていた。適任と言えば、これ以上の適任も無い
何せ、彼女の事で恩に着せて、上手くやろうと言うのだから
「フランシスカ様……」
「メノー。大分落ち着いたようで、安心した」
「……はい、何時までも塞ぎ込んでいては、周りの者どもに気を使わせてしまいますので」
ルークは軽く頷いて見せた。意識を回復した当初のメノーは、まるで死人のような暗い気配を纏っていた。周りの者達が全滅して、己のみ生き残ったとあれば、仕方の無いことではある
小さな少女にしては、甘えが無く、心が強い。ルークは実は、好感を覚えている
茶色の質素なドレスでも、不思議と華やかで温かみがある少女だ。憂いの中に、優しげな雰囲気を持っているからだ、とルークは思った
「メノー」
「フランシスカ様、少々」
もう一度ルークが呼びかけた所で、控えていた侍女が口を挟んだ
中年の、ピンと背筋を伸ばす侍女は、困ったような、申し訳なさそうな微妙な顔をしている。とは言っても、表情には出ていない。気配に滲んでいる
「確かに、素性を明かさないこちら側に落ち度が御座います。しかし、それは理由あっての事。本来……メノー様は、貴方では親しく話すことも憚られる身分の御方です。……私如きが何を、と思われるかも知れませんが、……遠慮していただきたいのです。互いにとって良い事にはなりません」
ルークは苦笑した。苦笑する他無かったと言っても良い
メノーが鋭く声を上げようとする。ルークの手が持ち上がって、メノーを押し留めていた。これも不敬に当るのかも知れない
「よく解ります、確かに軽率でした。気遣ってくれて、とても有難い。貴女の言葉に従いましょう」
「いえ、聞き入れて頂き、ありがとう御座います。……申し訳ありません、フランシスカ様」
深く頭を下げる侍女の心は、ルークにも解る気がした。女装して、メイドに扮していたのは、伊達ではないのだ
瞳を伏せて、メノーは硬い声を発する
「ムア、先に行ってください」
「はい」
もう一度頭を下げて、侍女はとぼとぼと肩を落として歩いていった。とは言っても、姿勢には出ていない。気配に滲んでいる
「御免なさい。嫌な思いを」
「メノー様。私には彼女の心も解ります。嫌な思いなどしていません」
「…………私の侍女達の中に、二つ年上の者が居ました。本当はいけない事だったけれど、二人きりの時、彼女は私のことをメノーと。私はそれが、嬉しかったのです」
メノーは、目に見えて落ち込んだ。その侍女が、既にこの世に居ないであろう事は想像に難くない
ルークが森に置き去りにした死体は、恐竜に食い散らかされて損傷が激しいと聞いている。メノーが見ることが出来たのは、簡単な葬儀が終わった後の小さな墓石だけだ
ルークは軽く吐息を漏らして、メノーに一歩近づいた
「メノー、私はどちらかと言えば、名前の方が良いな」
「え?」
「君は、ここに来て始めての友人なんだ。見つからなければ大丈夫だ、と、私は思うんだけれど、君はどう思う」
メノーは目を閉じたまま笑った。泣き笑いであった
「私もそう思います。ルーク様」
「様、は無くて良いのに」
――
――
ゴッチ・バベル、捜索一日目
朝も夜も無いのがロベルトマリンではあるが、一応時の流れはある。今は既に、深夜になろうとしている
テツコはティーカップを片手にデータを閲覧していた。異世界を観測して得られた全ては、整理された後、別の研究所に送られる
政治的バランスの問題から、それらは最終的に破棄される事になっているらしいが、事実かどうかはテツコには解らない。しかし、本当に破棄してしまう心算なら、そもそも最初からデータの収集などするまいと、テツコは冷ややかに思っている
ゴッチを行方不明と判断し、捜索を開始した初日。テツコは、ファルコン程ゴッチに信頼を置いては居なかった。ゴッチとて生命体だ。死という物は必ず訪れる。絶対に無事だという保障は、無いのだ。絶対等という物は、絶対に無い
だから内心、焦っている。テツコは作業を行いながら、ルークに提出させた音声での行動報告を再生した。データ収集は、効率的に行いたかった
『えー……、アナリア国都市……うん、都市? ……ヨーンの町の責任者、ゼナック氏と交渉を行い、メイア3、ラグラン、アシラ、そしてゴッチ・バベル先任に関する情報収集に置いて、協力を取り付けました。メノーを救出した事は現在大きくプラスに働いています。少々、居心地が悪くなるぐらいの丁寧な対応です』
テツコは僅かの間、手を止めて、直ぐにまた作業を再開する。当初はどうなる事かと思ったが、結果として有利に働いたのならば、それ以上言うことは無い
『私自身も独自に情報を集めてみます。同時に、現地の人々と友好関係を築けるように努めます。試しに、ヨーンの町に所属する兵士達の訓練に参加させてもらったのですが、その時の感触は悪くなかったように思います。……それにしても、こちらの人々が私達に比べ、体力的に劣っていると言うのは本当でした。ちょっと、不思議な感じです。……それと、テツコ博士の変わりに私の観測を行っている人員なのですが、少し神経質に過ぎるのでは? だからどう、と言う訳ではありませんが……』
テツコは視線を動かす。空間投影型ウィンドウには、頬を掻くルークの姿が映っていた
ここで働く人員は殆ど皆神経質だ。その上寝不足である。ゴッチぐらい神経が太ければこちらがどんな態度でも鼻で笑って無視するが、ルークではそうもいかなかったようだ
些細な事でも、ストレスの蓄積は避けたいな。テツコは少し考え込んだ
『ナノマシンは今のところ良好に稼動しているかと思われます。最もこれは、そちら側で逐一観測しているかも知れませんが。報告は以上です。指示が無ければこのまま現場の判断で動きます』
琥珀色の瞳をクルクルと動かして、テツコは眼鏡をくい、と持ち上げた。クールで優秀な鋼のレディは、体に気力を漲らせている
状況は必ずしも良い、と言う訳ではないが、テツコの仕事は万全であった。自分の能力を駆使して様々な諸問題に立ち向かっていくのは、不思議な充実感がある。働き甲斐、と言う奴かもしれない
困難な状況を乗り切る程に、テツコの能力は証明される。困難である程に、面白かった
しかし、クールに事を運べたのは捜索開始初日のみであった
――
ゴッチ・バベル、捜索二日目
ゴッチは未だ、見つかっていない。もっと多数の観測機を投入できるよう要請しているが、無駄だろうな、とテツコは思っていた
以前、ゴッチが川に落下し、その上コガラシが機能しなくなった時も、救助部隊の出動はおろか予備のサポートメカの投入すら許されなかった。今更ゴッチを丁重に扱う理由はあるまい
キーを叩きながら、時折ティーカップを傾けるテツコの前に、いきなり通信ウィンドウが広がった。ファルコンであった
「ファルコン? どうし」
『いや、駄目よ! そんなこと無理だわ!』
「……ファルコン?」
『御免なさぁい! 謝るわ、知らなかったのよ、アイツがそんな事してたなんて!』
『テツコ、そっちに運び屋のジェットって奴が行ってないか? 猫っぽい、馬鹿面の奴だ』
「いや……来ていないが」
『……ふん、そうか。少しばかり面倒かもな』
「何が……? いや、と言うか、何をしてる……?」
葉巻を嘴に咥えるファルコンの背後には、灰色の空が広がっていた。ウィンドウの隅に、酷く腐食したアンテナらしき物が見える。何処かのビルの、屋上らしい
見栄も外聞も無い、必死な女の叫びが響き渡っていた。テツコはキンキンするその金切り声に眉を顰める
ファルコンが体を動かした。風景が切り替わって、厳めしい顔をした巨漢を映し出す。岩から削りだしたような巨体をダークスーツで無理に包んだような風体で、当然の如く一般人には見えない
『もう降ろして! 止めて! 解ってるでしょ?! ロベルトマリンの海は!』
巨漢は、女を一人お手玉でもするかのように放り投げては受け止め、放り投げては受け止めている。女は上半身こそカッターシャツのような物を着せられている物の、下半身は黒い際どい下着のみで、美しい脚線美を惜しげもなく晒していた
爪先が、蹄になっていた。馬の亜人である女の足は、強靭な筋肉に覆われながらも女性的な丸みを失わず、艶かしかった
『何でも言うわ! 何でも! だからもう!』
『ほー、なんでも? それじゃ、初めて男にその汚ぇ股座を開いたのは何歳の時だ? お嬢ちゃん』
『な、何の関係が?!』
ファルコンが首を振った。巨漢はふん、と鼻を鳴らすと、更にもう一度女を放り上げる
よく見れば、巨漢は両手に包帯を巻いている。あれでは軽快に指を動かすことなど不可能な筈だ。少し間違えば、女性を受け止めることが出来ず、落下させてしまうだろう
巨漢の体の向こう側には、どす黒いロベルトマリンの海が広がっている。テツコは、ぬわ、と呻いた
『そろそろ指、痛ぇよなぁ。済まねぇな、この売女の脳味噌が腐っちまってるせいで、お前に迷惑掛けてる。良いんだぜ、辛かったら、そいつ落としちまっても』
『止めてぇ! 十三歳の時ですぅ!』
『早熟だな。どんなロリコン野郎にやらせた?』
『う、うぅぅ』
『おい、お前の四十メートル下には、途轍もなくおぞましい突然変異体どもがわんさか居るんだ。肉片一つ残りゃしねぇぞ、ロベルトマリンの海は厳しいぞ』
『ち、父親です! 父親にレ』
テツコは溜息を一つ吐いて、両手の人差し指を左右の耳に突っ込んだ。塞いでしまったからには聞こえない。面白い内容ではないから、別段聞きたくも無いが
眉間の皴を解しながら、テツコは若干不機嫌そうに言った
「それで、用件はそれだけなのか?」
『今から五時間以内に、お前の所にジェットと言う運び屋が訪ねてきたら、マクシミリアンの所へ戻れと伝えてくれ。余裕があれば、隼団の事務所を経由しろ、と。良いか、テツコ、お前自身の口からだ』
『うぅぅ、畜生……酷いよ……。下種野郎、お前らなんて亜人じゃない……!』
『俺は優しいさ、だってお前、まだ生きてるだろう? 本題に入る前に、もうちょっと恥ずかしい事聞いてやろうか? んん?』
「……その、ジェットとやらが来なかった時は?」
『あー……そうだな、俺に伝えてくれ。それだけで良い』
あぁー、と言う女の聞くに堪えない悲鳴を断ち切るようにして、ウィンドウは消滅した。テツコがげんなりしたのは言うまでも無い
そして、それから五時間以内に、ジェットなる運び屋が現れる事は無かった。テツコがその事をファルコンに連絡すると、隼団の首領は大きく溜息を吐いた
『……やれやれだぜ』
「ファルコン、今度から通信を入れる時は、もう少し遠慮してくれないか。その……困る」
『?』
ルークからその日の行動報告が提出されたのは、それから四時間後である
『報告します。……とは言っても、捜索状況に進展はありません。今のところは、地道に現地勢力との関係構築の方に力を注いでいます。私を試す意味合いもあったのか、今日は……えー、所謂山賊と呼ばれる集団の討伐に参加してきました』
「昨日の今日で?」
ただの記録映像に向かって話しかけてしまったテツコは、頬を少し引き攣らせていた
ティーカップを傾けて、ほ、と一息。再び傾けた時にルークの一言
『敵集団は二十二名。その内九名を殺害しました。これで私も童貞卒業と言う事になります。また、この戦果は、現地で基盤を固める為の有効な材料になる筈です』
童貞卒業のくだりでテツコは噴出した。キーボードが茶色に染まり、大惨事であった
――
ゴッチ・バベル、捜索三日目
テツコはげんなりしている。目の前には、小柄で猫背の、奇妙に長くてツンツンした髭が特徴的な男が居る
テツコが出した紅茶に、大喜びしていた。何が彼の琴線に触れたのかは解らないが、常人とは異なる思考回路の持ち主であることは、テツコにも何と無く解った
「カオル・コジマです。シロイシ博士の御噂はかねがね」
「……テツコ・シロイシです。それで、ご用件は?」
コジマはピクリと髭を動かすと、急に立ち上がった。その場で一回転すると、机に右足を振り下ろし、激しい音を立てながら白衣の前をはだける
「シロイシ博士、私は回りくどい事ははっきり言って嫌いです! 実は私、貴女の作業の様子をそれとなく探って来いと雇用主に言われておりまして!」
「幾らなんでも直球過ぎるのでは?」
黒いTシャツの脇の部分に、皮の紐が下がっている。何かの願掛けなのか、「素直が一番」と刻まれていた。何のための物なのか、テツコには理解できない
「そちらでは無い、もっと下です、博士」
灰色のスラックスのベルトに、マイクが突っ込まれている。録音機器らしき物もあった。右腰部には、小型のカメラだ
テツコはピクリと眉を動かして、すかさず机の裏側に設置されているスイッチを押そうとする。コジマは泣いた
「あぁぁぁ待って下さい! こう見えて私には妻子が居ります、博士に邪な感情を抱いたりはしません!」
「ならばそれをこちらに預けて頂きたい」
「それは無理です、これは私の邪な感情ではなく、異世界を知りたいが故の探究心からなのです」
「私を探れと、言われてきたのではなかったのですか……?」
マクシミリアンの仲介から、止むを得ず対話の場を設けたが、失敗だったとテツコは思った。コジマの名を、テツコは知っていたが、この男は駄目だと悟る
コジマと言うのは、天才であった。少なくとも、天才と呼ばれるに相応しい実績を残して今に至っている。テツコも世情に疎いながらも、それを知っている
だが、周囲を置き去りにする天才である。そんな雰囲気がある。正に存在する次元が違うのだ、脳漿の。会話するだけで、疲労を感じていた
「私は今まで自分の遣りたい事をしてきました。これからも多分そうです。私は今、異世界に魅せられている。不思議の国が、私達のほんのすぐ傍に存在している。気にならない筈ありませんよね、博士だってその筈だ。そして博士は運が良い。私は博士が羨ましい、今すぐ取って代わりたいくらいに。私は異世界を、そうですね、愛しているというのが、この場合は一番正しいのでしょうか。私は異世界を愛しています」
「ロマンチストですね……。我慢して下さい。私の立場としても、コジマ博士に情報を漏らす訳にはいきません」
「そんなに馬鹿な事は無い!」
コジマが鼻の頭をごしごしと拭った。ずるる、と鼻をすすると、赤い雫がぽたりとおちる
鼻出血だ。綺麗に磨かれた白い机を不意打ちで汚したそれに、テツコは息を呑んだ
「おっと申し訳ない。いえ、心配後無用、何時もの事。そして私はやはり、我慢できない。だって、私が我慢したら、世界は詰まらなくなる」
「論点はそこですか……。というか、何が“そして”なのか私には今一つ理解できないのですが……。それ以前に落ち着いてください。出血が酷くなりますよ」
テツコの忠告は、遅かった。既に出血は増大、コジマの白衣を汚し、机を衝撃的なカラーに染めようとしている
コジマは慌てて顎を上げ、天上を向いた。その拍子に飛び散る血液。テツコの白衣と、その下の白い服に着弾。テツコの目が見開かれた
我慢の限界である
テツコは椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がる。コジマがほへ? と視線を巡らせるよりも早く、右手がコジマの頬に炸裂していた。平手なんて生易しい攻撃ではなかった
コジマの首が限界ギリギリまで捩じれる。テツコは、まだ止めない。白衣は兎も角、その下の服は、テツコの月給の三分の一程も価値がある
往復びんただ。悲鳴を上げてコジマは倒れこみ、失神した
テツコは警報装置を鳴らし、通信ウィンドウを開く
「人を寄越してくれ! 最低の産業スパイだ! この研究所から叩き出せ! マクシミリアン氏に苦情を送る! 『何をさせているのか』、とそれだけで良い!」
――
その日のルークの報告に、テツコは無表情になった。顔から一切の表情が消えうせていた
『その……雷鳴を操るファルコンなる魔術師が、アナリア王国首都アーリアで大暴れし、五十名以上の死人と重症人を量産して、姿を消したそうです』
――
後書
何と言うことでしょう。匠の技で以下略
休憩だ……。