「ボォー・ナルン・クルデェェーン! お前の事、大好きだぜぇぇぇーッ!」
竜頭蓋の眼窩、黒い二つの穴に赤い光が揺れる。ゴッチの視線と光が絡み合う
クルデンは飛んでいる。ゴッチも、飛んだ。顎を開いて何の捻りもなく突撃してくる骨の竜に、ゴッチは抱きついた
絶対に離さねぇとばかりに食らい付いて行く
「ぬがぁぁぁ」
クルデンは速度を上げ、更に急旋回を多用するようになった。風圧と慣性で、しがみ付くゴッチを振り落とそうとしている
ここで素直に振り落とされる男であれば、ゴッチはそもそも異世界なんぞに投入されていない。獣のように歯をむき出しにして笑いながら、ゴッチはクルデンの眼窩に右腕を突き入れた
ゴッチコレダー。激しい稲光が遺跡内部を照らす
クルデンが啼いていた。効いている、とゴッチは凶悪な笑みを更に深めた
啼け、もっと啼け。俺の下で
「啼けぇぇぇぇーッ! ハァーッハッハッハッハッハッハ!!」
雷光が激しさを増す。耐電仕様のダークスーツが音を上げ始めた。ゴッチの苛烈な蛮用にも堪えてきたファルコン特注のスーツが、泣きを入れる程の電気量だった
泣き喚くクルデンは、殊更変則的に飛び始める。それでも嫌らしく張り付いたままのゴッチは、高らかに笑っている
笑い声と共に雷鳴は響き渡った。ゴッチはまだまだ離さない。クルデンのカルシウムが燃え尽きるまで電流を浴びせ掛ける心算だ
ゴッチは自分のタフネスを信じている。消耗しきる前に、クルデンは燃え尽きて消え去るのだと、そう決め付けていた
だから、レッドが呆れ顔になるほどの長時間、飽きもせず張り付いて居られたのである。クルデンが苦しげに啼くほどに、ゴッチは嬉しくて堪らなかった
その耳障りな高笑いは、クルデンが湖へと進路を向けたときに漸く止まる
目の前に骨の魚が泳ぎまわる湖が迫ったとき、ゴッチの顔面は笑顔のまま硬直した。同時に電流も止まってしまう。ヤバイ、と思う間もなかった
どぱん、と激しい音を立ててクルデンは湖に突っ込み、ずぱん、と飛沫を上げながら再び空中に躍り出る
その時に、ゴッチの姿は無かった。頭蓋骨の治療が未だ完了しない血塗れのレッドは、あーもーと呻きながら湖に飛び込む
「そういや、ピクシーアメーバって水に弱かっただぜ!」
「ぐぅえっほ! ぐべぇっほ! ゲホッ! …………クソッタレが、絶対ぇに殺す。粉末になるまで奴の頭蓋骨を磨り潰してやる……」
レッドに背負われて、ゴッチは湖から引き上げられた。大量の骨の魚が、二人の全身に満遍なく噛み付いて、びちびちと身体をくねらせる
ゴッチは微小の電流を流す。レッドがぎゃぁ、と悲鳴を上げて、骨の魚が纏めて地に落ちた。ゴッチにとってはほんの僅かの電流だったが、レッドにしてみれば十分痛かった
「兄弟……もっと俺に優しくするだぜ」
「お前が生き残ったら考えてやるよ」
軽口を叩きつつ、地を踏みしめて身構える二人だが、クルデンはもう襲ってこようとはしなかった
赤い光に尾を引かせながら飛び回ったかと思うと、大きく一声啼いて、水の中に消える。逃げやがった、と駆け出すゴッチだが、湖の前で躊躇ってしまった
「あー! 逃げやがる!」
「クソがッ! ふざけるんじゃねぇ! 待て、俺と戦え!」
がちん、とゴッチは歯を噛み合わせる。その音にしたって、尋常な音ではなかった。ギリギリと歯軋りの音を響かせれば、レッドがうへぇ、と肩を竦める
「畜生ッ!」
ゼドガンが自然体で歩いてくる。ゴッチは首だけ振り返って、様子を伺った
ゼドガンと、その後ろに続くティト、グルナー。更にその背後、この空間の入り口に、巨大な化物の死体が倒れていた。その傍らには薄汚れた蛮刀もある。丁度、上半身と下半身で二等分にされた、ゼドガンの倍は身の丈があろうかと言う灰色の鬼である
額から角にも見える突起が突き出していた。筋骨隆々としていて、腕からして丸太材よりも太く、如何にも屈強そうであるのだが
それを二分割にして下したらしいゼドガンには、傷一つ無い。それどころか汗の痕跡も見当たらず、ともすれば戦闘の形跡すら無いほどである
ゴッチは苛立ちを押し隠して、平静を装った
「やるな、楽勝かよ」
「そうでもない」
ゼドガンは顎を上げて、首筋を示した。微かな切り傷があり、そこから血が流れている
「肉体だけでない、技術にも優れた年経たアヴニールだった。俺と奴の戦いは紙一重で、それは鍛えた技の差で、刹那の間に決まった。そういう領域での勝負だった。しかし、どちらが勝っても可笑しくは無かったと思う」
灰色の鬼、アヴニールを見遣って、ゼドガンは腕組みした
「だが、まぁ、運で勝負は決まらん」
「……お前の言うとおりだ。……ケ、俺のミスは、俺のせいだわな……」
ゴッチは湖に腕を突っ込んで、唸り声を上げた
もう一度、加減なしの全力ゴッチコレダー。眩いのは毎度の事、そして、その並外れた威力も毎度の事だ
言い表しようの無い異音が響き、湖が泡立った。ゴッチが腕を引き抜けば、中を泳ぎまわっていた骨の魚は、残らず駆除されていた
「ボー・ナルン・クルデンを追うぞ、レッド、何とかしろ」
「何とかって……」
仕方ねーだぜ、と言いつつ、レッドは走り出す
「水をどうにかしろってんだろぉー?! 任せとくだぜ!」
入り口から右手側に、高い段差があった。レッドは何か感じる物があるようで、迷いなくその段差に向かっていく
「あそこに穴が在るだろ?」
グルナーが、唐突に天井の一箇所を指差した。レッドが向かう段差の方向にそれはある。確かに其処にはぽっかりと穴が開いていて、グルナーは其処からこの空間に落下してきたのだと語った
「ティト?」
「レッド様の目的は違うみたい。何か……変な感じがする。何か魔力仕掛けがあるのかも。魔術師であるレッド様なら、仕掛けを動かせるかもしれない」
「お前も行け。何かあるかも知れねぇ。千里眼なんだろ?」
ゴッチの突然の言葉に、ティトは首を傾げながらも走り出した。ゼドガンがゴッチの顔を窺った後、顎を撫でさすって、ゆっくりとティトの後を追う
「グルナー、君もこっちへ。ゴッチなら不測の事態があったとして、一人の方が存分に動けるだろう」
グルナーはへ、と間の抜けた声を漏らした。少し、ゴッチのことを気にしているようだったが、ゴッチが犬を追い払うように手を振ると、不満顔になりつつゼドガンについていく
レッドが高い段差の壁面を調べて、取っ掛かりを見つけ出していた。全員がその取っ掛かりにしがみ付き、段差を上りきった所で、ゴッチは小さく声を漏らした
「クソッたれ! 俺は隼団だ……! 俺はゴッチ・バベルだぞ……!」
地面に拳を振り下ろす。拗ねたような呻きは、ゼドガンにしか聞こえなかった
――
「……どうやって排水してんだ、これ」
ボー・ナルン・クルデンが“逃げ”と言う選択を取った以上、湖の中に通路なりなんなりがあるのではないか、とは思っていた
水を我慢して潜っていく心算だったのだが、「なんとかしろ」と言うゴッチの言葉に、レッドは期待以上の働きを見せた
ゴッチの目の前で、湖が急速に水嵩を減少させていた。見る見るうちに岩肌が露出していき、終いにはゴッチが駆除した骨の魚達の残骸が露わになる
「ファンタジー」
もう何度目になるのか、この台詞は。こんな手の込んで、しかも余り意味の無い仕掛けは、正にファンタジーとしか言いようが無かった
レッドが遠方からゴッチを呼んだ。ゴッチはそれに適当に答えて、水を失った湖に身を投げる。落着と同時に、魚の骨を踏み砕いた
注意深く周囲を探っていくと、岩場の影に大きな穴が見つかる。角度のきつい下り坂になっていて、地下へ、地下へ、とゴッチを誘っていた
呻き声が聞こえるような気がする。ゴッチは、眉間に皺を寄せる。穴は闇にとざされていた
「兄弟、其処だな。俺でも解るだぜ、すげー強い気配がする」
「大概役に立つ男だな、お前。どうやったんだ?」
「魔術師じゃねーと動かない仕掛けがあったんだぜ。其処を、ちょちょいと」
レッドが陽気に笑いながら合流する。一同、レッドの後ろに着いて来ていた
ゼドガンがしゃがみ込み、穴を覗き込んだ
「……興奮する。こんな冒険は、マハエ古戦場の地下遺跡に潜った時以来だ。ロベリンド護国衆の依頼、受けて良かった」
青褪めているティトが、眠たそうな顔に珍しく真剣さを乗せて、グルナーの肩を抱いた
「……貴方の言うハーセと言う兵隊長の気配は無いよ。……残酷なようだけど、諦めなさい」
「え、それは」
「本当の事を言うなら、この遺跡の中の事は、私も殆ど読み取れないんだ。ガランレイの気配に覆われて。でも、多少は解るの。ここまでの道程で何も無かったのであれば、それはもう」
グルナーが、ひゅ、と息を吸い込んだ。顔をくしゃくしゃにしている
レッドがジッとグルナーを見ていた。馴れ馴れしくて鬱陶しいくらいに陽気な男が、らしくない表情を浮かべていた
ゴッチに、耳打ちしてくる
「(もういい加減連れて歩くのも限界だ、セーブポイントを見つけないといけないだぜ。足手纏いだし、危険だ。グルナーを護りながらどうこうできる相手じゃ無いだぜ)」
「(ハン? セーブポイントっつったって、この遺跡の中に、安全な場所なんぞあるのか? もし死んだら、残念だが、諦めて貰おうや)」
レッドがムスっとした
「(……彼は、強い子だ。上手く隠してるけど、一度も右腕を動かしてない。怪我してるだぜ?)」
「(折れてんだ。ちょっと前に、空中散歩してな)」
「(本当はスゲー不安なんだぜ。なのに、泣き言も言わない。心配かけないように、怪我の事も黙ってる。いじらしいじゃない)」
踵を返して、パン、とグルナーの背を叩くレッド
グルナーは吃驚して直立不動になり、レッドのにやけ面を見上げる
レッドは、グルナーの事が、それなりに気に入っているのだ。ガリガリと頭を掻いて、ゴッチは言った「解った、任せる」
「……大詰めと言った所かな」
ゼドガンが立ち上がり、手に付いた埃を払った
ゴッチが、横に並び立ちながら軽口を叩く
「怖気づいちゃ居ねぇよな? ミランダローラー殿の実力の程に、俺は期待してるんだぜ」
「まぁ見ていろ」
口端を持ち上げて拳を突き出すゼドガン。ゴッチも拳を振って、軽く打ち合わせた
「ローラーの称号など、何と言うほどの物ではないさ。命を賭して戦う場で、如何程の価値があるというのだ。ゴッチ、俺は、“ミランダローラーだから強い”なんて言われ方は好かない。俺はゼドガンだから強いのだ。そして、“強いからミランダローラーになった”。……ま、良いか。ここから死線だ。生きるか死ぬかの領域では、心が躍る」
「カー、大した野郎だぜ」
ゴッチは大きく一声放って、穴に踏み込んだ
――
歩いて十分程だ。それなりの距離ではある。急な坂道では、ゴッチ達の障害になるような物は何一つ出てこなかった
道程は水でぐしゃぐしゃになっており、非常に滑りやすかった。レッドが視界確保の為に放った青い光が、何の物かも解らない白骨を照らし出し、最悪の雰囲気であった
下り坂が唐突に上り坂になった時、雰囲気が変わった。薄い膜を突き破ったような、奇妙な抵抗があった
「ん?」
その膜の一歩向こう側の坂は、最早水に濡れていなかった。踏みしめれば、ギュ、と土が鳴る
ゴッチに次いで膜を抜けたティトが、身体を震わせてぎゃひ、と色気のない悲鳴を上げた
鳥肌が立っていた
「光が漏れてるだぜ」
上り坂は、数メートルもない。白いような、青いような光が上から降りかかってきている。足を速めて坂を上りきったゴッチは、鼻先を掠めた蛍の光のような物体に、身を仰け反らせた
地に、数多の武器が突き立っている。剣や、槍や、斧。所々に、弓と矢が散らばっている
不思議と、薄汚れた感じはしなかった。武器は皆、磨き上げられた直後のように輝いていた。そして、それらの間を彷徨って飛ぶ青い光
レッドが操る物に酷似している。ゴッチが全力で暴れまわっても、十分な程度には広い空間に、青い光は踊っていた
「蛍じゃねーよな……」
「生き物じゃねーだぜ……」
レッドが歩を進める。青い光がレッドを取り巻いて、直後に散っていく。逃げるような仕種だ
「亡霊だ……」
「ほぉー、俺に張り付いてた奴らとは、随分感じが違うな」
「聖騎士アシュレイ・レウは、優れた竜騎士としても有名だったんだぜ。元々アシュレイはアナリアから遥か北の火竜の生息地出身で、竜騎士と言うアドバンテージによって、他国出身でありながらアナリアの騎士として取り立てられただぜ。戦神の信仰を得て“聖騎士”と呼ばれた期間よりも、“暴れ竜”と畏れられた期間の方がずっと長いんだ」
「竜騎士? ファンタジー……。にしても、竜、竜、ね」
「おーっと、ボー・ナルン・クルデンと比べちゃ駄目だぜ。アレは規格外。騎竜にするのは、もっと小さいんだぜ」
グルナーが、ゴッチの背に隠れながら青い光に見入っている。この子供は、好奇心が猫を殺すことを知っているから、軽はずみな事はしない
ゴッチは、レッドに話の続きを促した
「それで、それが?」
「アシュレイが生きた時代は、前に言ったようにアナリアの混乱期だ。戦が起こることもあっただぜ。当然、アシュレイもそれに参加してるんだけど……、余所者への不信感と、立志伝への妬みから、当時既に人の上に立つ地位にありながら、アシュレイは部下らしい部下を与えられなかっただぜ。記録によると、アシュレイ軍団の始まりは、アシュレイとガランレイ、足の不自由な女の秘書が一人と、見習いの従騎士が一人だ」
「前から言おうと思ってたんだが、お前とは直感で話をした方がスムーズだな」
「?」
「前置きが長いっつってんだよ」
ゴッチのデコピンが炸裂する
詰まる所、この青い光はアシュレイの下で戦った、所謂“英雄”達であり、この地に突き立った武器達は、その、所謂“英雄”達の物らしい
たった四人から始まった軍団は、傭兵や、民兵を主力とした。アシュレイは兵達を厳しく調練し、同時に私財を投げ打って厚遇した。その上で、寄せ集めの集団でありながらも、戦果を上げ続けた
そのアシュレイの器量に惹かれ、軍団には数多の勇者が集い、また、数多の勇者が生まれたという
結末があんな形でなければ、永遠に残るアナリアの英雄伝説になった筈だぜ、とレッドは締め括った
「……綺麗だ……。きっとここは、ガランレイの侵されたくない場所なんだよ。……何時もは苦しいのに、ここは切ない……」
「……お前は直感で話すと駄目だな……。自分の世界に浸っちゃってまぁ……」
ゴッチはティトに肩を竦めて見せると、青い光を気にもせず、歩き出した
突き立つ武器の群れの向こう側に、更に道がある。ゴッチは、ボー・ナルン・クルデンを追い詰めなければならないのだ。武器を眺めている暇はない
等と思っていたら、通路の前の空間がぶれた。レッドが飛び出してきて、ギターを構える
構えるといっても、鈍器のように振り被るのではない。ピックを取り出して、演奏の体勢になっていた。ゴッチは問答無用でレッドを殴った
「ご、誤解だぜ、これが俺の戦闘スタイルなの!」
「何?」
「それよりも、ヘイ! 来たぜ、来たぜ! 兄弟、会いたかった相手だろ?!」
「あぁ?!」
ゼドガンまでもが前に出てきて、背の大剣を握り締めた。ティトが、グルナーを護りながら槍を構える
ゴッチの行動は、それらよりも更に早かった。ゴッチは問答無用で飛び掛っていたのである
歪んだ空間から現れた、黒いローブを来た女に。皆まで言われずとも解ると言うのだ
コイツがガランレイだ。ダージリンといい、コイツといい、魔術師と言うのは、黒いローブがお好みのようである
「ちょ、兄弟、卑怯」
身体を捻って、雷光を纏わせた拳を繰り出す。ガランレイと思しきローブの女に届く直前で、遠慮無しの拳は、黒い霧に阻まれた
雪に手を突っ込んだような冷たい感触だった。ゴッチが咆哮する
「死ねェェーッ!」
「いや、厳密にはもう死んでるだぜ……」
うるせぇ、とゴッチは怒鳴った。雷鳴拳と霧が鬩ぎ合う。ローブのフードから僅かに露出した、病的なまでに白い女の細顎。ガランレイの唇が、嘲笑の形に歪むのが解った
幽霊でも笑うのか、と思った其処までは、ゴッチは冷静だった。その先は、言うまでもない
「笑ってんじゃねぇぇぇッ!!」
ゴッチの拳とガランレイの黒い霧、二つの接触地点が、轟音と共に爆発した。弾き飛ばされるゴッチと、ガランレイ
レッドが慌てて、二人の間に割り込んだ
――
「……こりゃ、話を聞いてっつっても、無理そうだぜ」
「当たり前だろ! この期に及んで交渉もクソもあるか」
「そういうことじゃ無いだぜ、兄弟」
油断無く身構えながら、レッドはガランレイの様子を窺っている。レッドには、ゴッチには見えない物が見えていた
「……発狂してるんだぜ。二百年もの間、アシュレイの為に命を奪い続けて……、まともじゃ居られなかったんだ。これじゃ、まるで機械だ……!」
命を奪う為の機械。延々とそれを行うための機構
レッドの顔が、泣きそうに歪む。叫び声を、上げた
「魔術師が! それで良い訳ないだぜ! 俺の声が聞こえるか?!」
フードから覗く笑みは、嘲笑のようだったが、確かに狂人のそれにも見えた
レッドがギターを掻き鳴らすと、その背を護るようにして、無数の青い光球が現れた。蛍のように光の尾を引きながら飛び回るそれらは、レッドがもう一度ギターを掻き鳴らすのと同時に、ガランレイに殺到した
黒い霧が霧散し、光球がガランレイへ届く。黒いローブの、フードの部分を、光球が打ち抜いた。黒い砂のようになって、フードは空気に消える
一纏めにされた黒髪が踊った。テツコの髪のようだった。雨に濡れた鴉のような、艶めいた黒さである
彫刻のような顔だ。現実味の無い、寒気のするような美女が、濁った茶色の瞳を彷徨わせ、笑っている。がぁぁ、とゴッチは唸りながら拳を構える。確かに、女だ。押し倒したくなるような美しさであった
「気違い女め! やべぇぞ、何かする気だ!」
「シィアッ!」
ガランレイが、レッドに対抗するように掠れた声を上げ、腕を振る。ガランレイを中心にして円状に青い光が広がり、土を捲り上げ、泥を舞い上げる
空間に漂っていた青い光が、その動きを激しくした。荒々しく飛び回り、地に突き立つ数多の武器へと擦り寄ると、姿を消す
ぼう、と、何も無い空間に、人影が浮かび上がった。最初うっすらとしていたそれは、瞬く間に影を濃くしていく
数多の人影が現れて、数多の武器を手にとっていく。軽装の剣士、重装の槍兵。馬に跨った騎士までいる
「コレは、アシュレイ軍団?」
流石のゼドガンも動揺を隠せず、呻くように言った。ゼドガンの研ぎ澄まされた感覚は、この世に舞い戻った目の前の戦士達が、並々ならぬ強さであることを感じ取っていた
そしてそれは、ゴッチも同じだ。やってやれない事は無い。だが、人死には出るだろう。グルナーが一番手で、ティトがその次だ。下手を打てば、レッドも殺られる。それぐらいの戦力であると、見積もっていた
「レッド」
レッドはゴッチの呼びかけに、サムズアップで返した。ピックを握り締めた右手のサムズアップは、蒼銀色に輝いていた
「やるしかねーだぜ。兄弟、俺のジョーカーを切る。……俺がぶっ倒れたら、宜しく頼むだぜ」
ゴッチが言い返す間もなかった。レッドは一歩、後ろに飛び退いて、激しくギターを掻き鳴らす
ぶつぶつと、何か言っていた。レッドの顔は、不思議と晴れやかだった
「俺は愛の魔術師だぜ。時に厳しく、時に優しく、だぜ。我が愛、天地を覆い、我が声、天地を揺るがす。愛ならば、或いは世界を救う、俺はそう信じている」
――そうさ、響け、大英霊賛歌
「『我が声が、届いたならば、蘇れ。大地に染む鉄血よ』」
「イィィーエ、ヤァァー!」
ガランレイの号令に合わせて、アシュレイ軍団が走り出した。ゴッチとしては、レッドの前まで出張るしかない。レッドの目論見が何なのかは解らないが、このままでは真っ先に狙われるのは、レッドだ
ゼドガンも大剣を抜き放って、ゴッチの横に並んだ。癖のあるブラウンの長髪が、冷や汗で顔に張り付いていた
「おいおい、大丈夫かよ」
「ふ、流石にこれだけの戦士達を纏めて相手にするのは、厳しいな」
「冷や汗かいても涼しそうな野郎だ」
レッドが、一際高く、声を張る
「『戦友よ!』」
強く、背後から吹き始めた風に、ゴッチとゼドガンは後ろを振り返った
相も変わらず、演奏を続けるレッドが居る。指が目にも留まらぬ速さで動き続け、複雑な音を生み出していた
そしてそのレッドを囲む青い光。更に強くなる風。遺跡の中を反響する歌
始まりは、ただ一人の騎兵だった。レッドの背後にぼんやりと浮かび上がった亡霊の騎兵。その騎兵は手に持った槍を高く掲げると、騎馬に一啼きさせて、レッドを飛び越えた
それを皮切りに、次々と戦士達が現れた。宙を舞う青い光球が、激しく光りながらレッドの横をすり抜けた時、それは一瞬にして亡霊の戦士へと姿を変え、走り出す
「ファンタ…………ええい!」
横列での突撃であった。レッドが呼び出したらしい亡霊達は、全速力でゴッチとゼドガンをすり抜けて行き、アシュレイ軍団と激突した
正に信じられない光景であった。流石のゼドガンも、唖然とした表情を隠せないでいる
「何なんだこれは。スゲェぞ、あの馬鹿、こんな隠し玉を持ってやがったのか」
「アナリアだけではないな、他国の装いの者も居る。……あの騎士は、全滅した南方の辺境騎士団。あの剣士は、ランディの装束」
「え、あぁ?!」
ティトの悲鳴が聞こえた。視線を向ければ、ティトの持っていたロベリンド護国衆の神槍が、光を纏いながら宙に浮いている
ロベリンドの槍を握り締めるようにして、人影が浮かび上がった。ゼドガンと同じぐらいの背丈だ。ティトは、自然と見上げる形になる
ティトの目から、涙が零れた
「お、おや……親父殿!」
ティトの父は、薄く微笑んだように、ティトには見えた。ティトの父は槍の穂先を地面に向けて、アシュレイ軍団に向けて走り出す
レッドの背後に、またもや光が集まる。ティトの視線が吸い寄せられる。そして、また悲鳴を上げた
「いや、バース、嫌だよ……! いやぁぁぁぁッ!!」
ティトは膝を折って、崩れ落ちた。レッドの背後に現れたのは、遺跡の入り口で戦闘を継続している筈の、バース・オットーだったのである
皆、バースの死を直感的に理解した
「兄弟……! 頼む!」
光と風が渦巻く中で、レッドは叫ぶ
ゴッチはゼドガンと顔を見合わせると、アシュレイ軍団に向けて走り出した。アシュレイ軍団と、レッドの亡霊軍団とは、互角
一つ穴を開けてやれば良い。ゴッチとゼドガンならば、可能だ
「ガラァァンレイィィ! お前の事を思うと、俺は夜も眠れなかったぜぇぇーッ!」
ゴッチは、戦場の最前線に飛び込んでいく
――
古代の戦場と言う物を、ゴッチは初めて味わった。敵も味方も亡霊だらけと言う、かなり変則的な形ではあったが、戦場には違いない
こんなにも大勢の味方と共に戦うと言うのは、徴兵経験の無いゴッチには、初めての事だった。警察組織に目を付けられまくっているアウトローなど、軍の方がお断りだったのである
「へっへ、拳骨で打っ飛ばせるなら、どんなのがどれだけ来ようと屁でもねーぜ」
雷鳴を轟かせながら、ゴッチは相対した亡霊戦士達を次々と粉砕していく。拳を打ち込めば、確かな感触が帰ってきた。霞を打ったようにすり抜けるのではない。この事に、ゴッチは非常に満足感を覚えていた
ゴッチの戦いは、美しくなかった。猛々しさが過ぎ、冷酷で、容赦ない。つまり何時も通りなのだが、厳密に言えば違った
今のゴッチは、自分の欲求で残酷に戦うのではない。次から次へと向かってくる強敵に、身体が勝手に動いていた。全身を駆使し、容赦なく打ち倒し、止めを刺していく
日常的な動作を繰り返すように、敵を倒した。ゴッチはそれだけ、と言う訳でもないが、己の力を誇示し、他者を屈服させることが、それなりに好きだ。今の状況は、寧ろ当然だった
「戦いが身体の奥底にまで染み付いているな」
「人のこと言えんのかよ、ゼドガン」
ラリアットで転倒させた斧兵の頭部を、ストンピングで粉砕するゴッチは、悪魔か何かにしか見えない
誇り高く、真直ぐ前を見据えながら大剣を振るうゼドガンは、視界の端にゴッチを捉える度、面白そうに笑った
「敵も味方も勇者揃い。この状況は喜ぶべき物では無いのだろう。だが、この戦場にただ一人の戦士として在れた事は、純粋に誇らしく思う」
「まだまだ余裕が在りそうだな」
背中合わせに護りあうゴッチとゼドガンは、アシュレイ軍団の中に突出してしまっていた。四方八方敵だらけである
しかし、二人が横列に穿った穴は、確実にアシュレイ軍団の戦闘能力を低下させた。レッドの亡霊兵団が勢いを増して、戦線を押し上げ始める
「まだまだ行くぜ、殺しまくるぜ! 亡霊だろうが、もう一度殺す男だぜ、俺はな!」
頭部を鷲掴み、引き寄せて、犯罪級の膝を打ち込む。パン、と破裂音と共に亡霊騎士の頭部は弾けて消え、身体は雲散霧消した
横薙ぎの長剣は、一歩踏み込んで握り手を押さえ込むことで防ぐ。そのまま重心を崩して剣の主を引き摺り倒し、真下へと正拳突きを放った。輝く拳は亡霊剣士の胸部を破壊して飽き足らず、地面へと突き刺さった
ゴッチは決して人に誇れるような人格者ではなかったが、べらぼうに強かった。ゴッチは力を信奉している。強いと言うことは、彼の中では正しいことで、正義そのものである
盾を突き出して突撃してくる戦士を、ゴッチはヘッドバッドで出迎えた。盾を右の肘で受け止めて、突き出される剣を左手で叩き落とし、その上でゴッチの石頭が突き刺さる。当然のように、消え去る
其処に駆け込んでくる弓騎兵。遠距離からの矢を尽く叩き落されて無駄と判断したか、ゴッチの至近距離にまで馬を走らせ、その上で弓に矢を番えた。当然、これも無駄である。ゴッチは神速で亡霊の馬に取り付き、首筋に腕を回す。そのまま圧し折れよとばかりに抱きしめれば、馬は空気に掻き消えた
次は乗り手の番だった。転げ落ちた女の亡霊弓兵を背後から抱すくめ、そのままジャーマンスープレックスをかました
「ゼドガン、まだ生きてるか?!」
「同じ言葉を三度聴いたぞ!」
「ケ!」
ゴッチとゼドガンは、相対した敵を端から薙ぎ倒して行く。互いの背後と死角を補い合い、正に手の着けられない暴れぶりだった
「それよりも、レッドがそろそろ拙いのではないか?!」
「あぁ?!」
「顔色が悪い!」
ゴッチは、一瞬だけレッドを見遣って、直ぐに視線を戻した。槍を振り回しながら迫る重騎士に足払いをかけ、うつ伏せに倒れた所を、首を抱きしめ、圧し折った
確かにレッドは、青褪めていた。精気を吸い取られでもしたかのような顔色の悪さである
だが、まだやるな、とゴッチは口の中で呟いた。レッドは片膝をついて倒れそうになりながらも、歌を止めていない。演奏にも、歌にも、壮絶な覇気がある
「ゼドガン、援護、任せたぜ」
ゴッチは、右手を掲げた。無防備になった懐へ、アシュレイ軍団は殺到する
振り下ろされる拳。大地を揺るがす拳骨が突き立った時、至近距離に居るゼドガンを巻き込みかねない勢いで、雷光が爆ぜた。四人ほど、纏めて消し飛ぶアシュレイ軍団
ゴッチは吼えた
「俺に続けぇ! 行くぞ野郎ども!」
レッドの演奏が更に激しさを増す。死人一歩手前の顔色ながら、レッドの顔には不敵な笑みが浮かんだ
ゴッチの号令を知ってか知らずか、亡霊の戦士達は一瞬だけ沈黙し、各々の武器の切っ先を地面へと向ける
ロベリンドの神槍を構える、ティトの父を筆頭に、バースが、ランディの剣士が、辺境騎士が突撃の体制に入った
ゴッチが拳を振り被る。大袈裟な“溜め”であった。ゴッチに刃を向けるアシュレイ軍団の戦士を、ゼドガンが走りこんできて一刀両断した
「ロッケンローッ!!」
ゴッチは、直援に入っていたゼドガンの横をすり抜けて、猛烈な勢いで一番近くに居たアシュレイ軍団の戦士を打ん殴った
当然と言うべきか、それだけでは終わらない。全身に、何時に無く強力な電流を走らせて、燃え尽きよとばかりに光るゴッチは、殊更激しい拳骨と足刀の嵐で、アシュレイ軍団を蹴散らし始めた
もう台風だか、嵐だか、そんな有様であった。流石アウトローと言うべきか、ゴッチの手癖と足癖の悪さは、正に最悪であった
亡霊戦士達がそれを後押しする。ゴッチの戦い振りに続くように、猛然と突撃し、戦線を押し上げていくレッドの亡霊戦士達は、亡霊ながらに勇猛果敢であった
「ガランレイを仕留めろ、ゴッチ!」
猛進するゴッチの背後を最大限護衛するゼドガンが、とうとう傷を負った。左肩の刀傷から、血が溢れる
左手が上がらなくなったのか、ゼドガンは、しかし右腕だけで大剣を御した。類稀な腕力と、足捌き、洗練された技術が、辛うじて戦闘の継続を可能にさせていた
ゴッチの、何度目かの咆哮。地面に四肢を着けて、猛獣が身を震わせるかのような仕種で、当り構わず雷を振りまきながら、大声で敵を威嚇する
次の瞬間、ゴッチは高く飛んだ。視線の先には、この馬鹿げた大魔術を維持するガランレイと、それを護るアシュレイ軍団の戦士達
握り拳に光が集まる。ゴッチの全身を走る電流が、一瞬にして右手に収束されていく
矢が放たれた。ゴッチは何もしなかった。己を剛運と過信したのではない。純粋、どてっぱらをぶち抜かれてもそのままガランレイを粉砕する心算だったのである
結果から言えば、ゴッチに放たれた銀の矢は青い光に阻まれて落ちる。レッドが、何かしたようであった
「トール・ハンマー」
カミナリ人間であるゴッチが、何とトチ狂ったか、まるで空から落ちる雷そのものだった
雷鳴轟かせ、ガランレイへと落ちていく。ゴッチが落着したとき、轟音と爆発と圧倒的な光が生まれた
後に残されたのは、魔術が解除されたのか、雲散霧消していくアシュレイ軍団の戦士達
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、身体の端から砂のように解けていくガランレイ
そして、激しい戦闘の名残を広い背中で物語る、凶悪な顔つきのゴッチ
「派手なステージだったなぁ、オイ?」
多大なダメージを受けながらも、狂人ガランレイは、狂った笑みを浮かべた
――
後書
御免、トチ狂ったのはあっしでさぁ。グダった