我が家の食生活について語っておこう。以前、この家にエリザがいることを知らない状態。俺がふとテレビを見ていてカレーなんかのCMが流れ呟く「カレー食いてぇ」と。そうすると突然まるで最初からそこにあったかのように、テーブルの上に紙が一枚。紙にはカレーのレシピがつらつらと書かれている。俺、そのレシピどおりに買い物をする。家に帰り、食材を保存。~時間経過~なんと、テーブルの上には見た目から食欲を誘うカレーが!俺手を合わせて食べる。ンー、旨い!この様な食事形態であった。ただこの時の俺に一言言ってやりたい。旨いじゃねーよ!と。疑問を抱けよ!と。だがその当時に俺は、微塵の疑問も抱いていなかった。何故かレシピが現れ、何故か料理が用意される、そんな奇妙な出来事を日常として受け入れていたのだ。多分その頃の俺は、遠藤寺ともそこまで親密じゃなかったし、大家さんともまだ距離があったりで、精神的に参ってたから……。ちょっとどうかしてるんじゃないですかねぇ……(他人事)そして現在、彼女(幽霊)の存在が明らかになった今、余計な手順を踏む必要はなかった。本人に食べたい物を申告すればいいのだ。簡略化が進む昨今、この部屋にも簡略化の波がやってきたのだ。俺はその波に乗りまくり、いずれは大学の講義、テスト、就職活動を簡略、更には面倒な飲み会、上司との接待ゴルフ、気だるさしか残らないワイフとの営み、父兄参観を簡略化し、そのままお墓にインしたい……。憂鬱な時そんな終末的な思考をしてしまう。さて、俺は洗濯物をぺてぺてと畳む幽霊少女に向けて、こう言った。「ハンバーグが食べたい」少女は振り向いた。ここで特筆しとくべきことが一つ。幽霊少女は俺に背を向け、正座の姿勢で洗濯物を畳んでいた。そのまま振りかえる、反転するということは膝を支点にして回る、もしくは立ち上がり180°回転し座る、といった方法があるわけだ。しかし幽霊少女のとった方法は違った。ふわぁっと正座のまま浮き、ゆらぁと宙で横回転、そしてこちらに向き直ったところで再びふわぁと沈む。幽霊ムーブメントここにあり!(だからなんだって話)こちらに向き直った幽霊子、エリザは顎に人差し指を当てつつ言った。「ハンバーグ? んー、分かった! わたしハンバーグこねるのって楽しいから好きっ」そんな微笑ましいことを言うこの子も、大人になったら『カレシの○○○こねんの楽しいから好き、スパァ……(煙を吐く音)』とか言っちゃうんだろうなぁ。時間の流れって残酷! 誰か時間を止めて! 俺を高みへと導いて!あ、でもよく考えたらこの子幽霊だから大人にならないのか……。幽霊最高やな! みんな幽霊になればこの世の不満とか全部無くなるんじゃね?(破滅的思考)料理を作るのは彼女だが、材料を買いに行くのは俺。両方やらなくていいのが、居候の素晴らしいところだな。俺はチラシを切ったメモを彼女の前に出し、いつもの様にレシピを書いてもらった。「ちゃっちゃと買いに行ってくるわ」「うん、お願いっ……あ、ちょっと待って」俺の前に差し出したメモを突然引っ込める幽霊子。な、なんだよ……この開いた口(手)はどうすればいいんだワン!俺は眼の前に差し出された骨付き肉を突然引っ込められた犬の様な目でエリザを見た。「……やっぱり駄目」「あ?」「辰巳君、買い物行っちゃ駄目」あァ? 今こいつ何つった?駄目? 駄目っつったの?え? 何様? 何様のつもりで俺の行動を制限しようってわけ?俺の行動を制限できんのは、ポリスと妹とイカちゃんだけだぜ?なにお前イカちゃんなの?違うよね。イカちゃんではないよね。どちらかといえば俺の方がイカちゃんに近いよね。二足歩行してるとことか。「辰巳君は一人でお買い物に行っちゃだめっ」まだ言うか……イカちゃんでもねーくせに。一体何を根拠に――まさか。ま、まさかこいつ……気付いたのか?気づきやがったのか!? あの事実に!現在この部屋の家主は俺である。当然だろう、俺が家賃を払っているのだから。そして無論主導権を握っているのは俺……普通ならそのはずだ。家賃を払っている者が主導権を握る、それは世の中の常だ。だがこの家では違う。この家で主導権を握っているのは――眼の前のエリザだ。彼女はこの家の衣食住の住以外を全て担っている。彼女が突如「伏せカードオープン! <家事放棄!>」したら、俺は死ぬ。この事実にてっきり気付いていないものだと思っていたが……そこまで馬鹿じゃなかったか。ああ、いいだろう。言うことを聞いてやろうじゃないか。犬だろうが、なんだろうがやってやる。ただ一言だけ言わせて欲しい。――人語だけは奪わんといて!それ奪われたら俺、身も心も犬になっちゃう!美少女に飼われるワンワンライフも魅力的っちゃあ、魅力的ではあるが、俺はまだその階級(クラス)には至っていない。そこまで人間捨てる気ねえし、捨てる予定もまあ、今のところない。俺はそれだけは忘れないようにしつつ、立った状態から両手を前に伸ばし、前のめりに倒れた。犬にトランスフォームするのだ。犬になり「我輩にハンバーグを買いに行かせて欲しいワン(犬なのに我輩ってのがミソ)」と切なげに囁くのだ。かつて小遣いを妹にねだることを成功させた切なげな囁きに、耐えられるかな?俺がトランスフォームの最終段階まで至った時、エリザは言った。「わたしも一緒に行くっ」と。想定外に発言に俺のトランスフォームは中断、中途半端に腰を曲げていたので、そのまま畳みに突っ伏した。突っ伏したままの姿勢のままエリザを見上げる。「あ? 一緒に……何で?」「だって辰巳君、いっつも高いお肉とか買ってくるんだもん! もったいなくていつもウーって思ってたの! だからわたしも一緒に行って、買う物選ぶ!」スカートを両手でぐっと握り、訴えかけてくる。確かに俺、値段とかあんまり気にせず買い物してたっけ。うーん、なら選んでくれた方が出費の痛手も気にせず、いいんだけど。「いや、別にいいんだけどさ。……確かお前ってこの部屋から出られないんだよな?」いつだったか、そんな話をしたはずだ。幽霊は一度とり憑いた部屋からは出ることができないらしい。その他幽霊には幽霊のルールが色々あるらしい。やれ幽霊の姿が全く見えない人にはラップ現象などの物理的作用も観測できない、見える人間の中にもハッキリ見えたり朧げにしか見えないなど差がある、夜12時以降に食事を与えると分裂する、ゴールした時にジュマンジ!と叫ぶなどなど。色々とエリザから幽霊事情について聞いたが、結局本当に知りたかったことは教えてもらえなかった(排泄関係の件)「それは大丈夫。辰巳君、ちょっと立って」畳みに突っ伏してたたみ君になっていた俺にそんな指示を出すエリザ。取り合えず言われた通りに立ち上がる。「それから、しゃがんで」「これでいいのか?」現在俺は畳みの上でうさぎ跳びの状態になっているわけだが。このまま部屋の中を何十周して、ダンスでもしろってか?そういう儀式をこなすことで、幽霊の制限を解除できんのか?でも、儀式ってのはイケニエが必須だよな……。イケニエって大体処女の生き血とかだよな……俺も一応処女ではあるけど、それで代用できるのかな?俺が自らのアナル・バジーナちゃんについて思いを馳せていると、背後にエリザ立つ気配を感じた。あれ? マジでバジーナちゃん出撃? ちょ、ちょっとまだ心の準備が……。慌ててバジーナちゃんを手でガードしようとするが、やっこさんの行動はそれより早かった。「じゃ、じゃあ……えいっ」「ぬっ!?」想像していたのとは違う衝撃が俺の身体を襲った。背後から首に回されるエリザの真っ白な腕。そのまま更に背中にかかる体重。いわゆるおんぶの状態。懐かしい、子供の頃を思い出す感覚だった。昔もこうして雪奈ちゃんをおんぶしたっけ。転んで泣きじゃくった雪奈ちゃんを背負った帰り道。今でも覚えている。まあ、今は俺が雪奈ちゃんにおんぶに抱っこ状態なんですけどね(笑)さて、亀の甲羅の様にエリザを背負った状態になったわけだが。取りあえず立ち上がる。「わわっ。た、立ち上がるなら言ってよっ。び、びっくりしたー」前兆無しに立ち上がった為、エリザの身体がビクリと震えた。同時に背中に当たっている小さいながら柔らかい何かも震え、俺の将軍様が暴れん坊将軍に進化しそうになった(将軍様は普段城の中で大人しくしてるけど、ちょっとテンションが上がると勝手に城から出ちゃう困った将軍なんだ)小娘(しかも幽霊)の胸の膨らみの動揺してるなんて知られたら恥ずかしいので、毅然とした態度でエリザに問いかける。「で、この状態に何か意味があんの?」「うん、あるよ。こうして人にとり憑いてるとお家からも出られるの」「へー」ただ、そうでもしないと自分の住処から出られないってのは、不便だなぁ。俺、死後の就職先は無制限覗き放題の幽霊にしようって考えてたけど、もうちょっと他の道も考えてみよーっと。「じゃ、行こう辰巳君! ……えへへ」「いきなり笑ってどうしたよ」「え? あ、えっと……辰巳君とお出かけするの、初めてだから……」恐らくは頬を染めているであろうエリザの発言に、俺の顔も赤くなった。無条件に向けられる好意は戸惑いよりも嬉しさが勝る。ただ不安なのは、いつか彼女が俺に向けている好意が尽きた時、彼女は一体俺にどんな表情を向けているのだろうかということだった。心の隅でそんなことを思う。思わなければきっと楽なのに。■■■そんなこんなで商店街に向かった俺たち。恐らくは本当に久しぶりに外に出たであろうエリザの興味は尽きることなく、見る物全てにその好奇心を向けていた。年相応の行動は微笑ましい。これからは一緒に外出する機会を増やそう、そう思った。「わわっ、お野菜安い! あっ、あそこのスーパー、タイムセールなんてやってたの!? 商店街のスーパーってネットに情報が載ってないから……ああ、もう! もっと早く知りたかった!」ただもっと好奇心の対象を年相応にして欲しい。完全に主婦のそれだ。「もー辰巳君! コンビニで食材買うの禁止! めんどくさくても商店街で安いの買ってきてっ」「……すいません」いつも俺が買ってきた食材のレシートを見てうんうん唸っている彼女には頭が上がらない。コンビニは近くて便利だけど、ちょっと割高なのだ。商店街の方がずっと安い。「あ、次っ、あそこ! ティッシュペーパー買って!」「へ、へいっ」「卵1パック98円!? う、うそ……。そ、そんなことって……! た、辰巳君ダッシュダッシュ! 早くしないと売り切れちゃうよぉっ」エリザ船長の指示に従い、食材その他を購入していく。振り返りエリザの顔を見る。……イキイキしていた。ちょっと目が血走っていた。そう、まるでスーパーの半額弁当を荒らす主婦達のように……。本当に連れてきて良かったのだろうか。俺はちょっと後悔し始めていた。「これお一人様1パックだから……1回お店出てからもう1回買おうっ」「そ、それって駄目なんじゃ……」「みんなやってるからいいのっ」もしかするとエリザの中の未知なる扉を開いてしまったのでは……?俺は店内をドリフトしながら考えていた。これで正しかったのか。「よし……これで今月かなり食費が浮くから……この調子で浮かせれたら、あの計画も始動できるかもっ」背中のエリザが何やらぶつぶつと呟いている。そこはかとなく嫌な予感がしたが、もう俺は走り出してしまっていた。もう戻れない。「辰巳君! あれ! 最後の一つ! ああっ!? た、辰巳くんーーーーっ!!」ただこんなに元気なエリザを見られるなら、まあいいか、そう思った。突撃(デストロイヤー)級の主婦の突進を真正面から喰らい、宙に舞いながら……そう思った。■■■肉屋の前に来た。俺の前では主婦とその娘だろう5才くらいの女の子が並んでいる。肉屋の親父(坊主、ハチマキ)は暑苦しい笑顔で応対している。「奥さん! 何にしますかい!」「そうねぇ……今日はすき焼きにでもしようかしら」「すき焼き! わーい」母親の言葉に両手を上げて喜ぶ娘、心が潤うほのぼのとした光景だ。肉屋の親父もいかつい顔をほっこり破顔させている。「わたしこのお肉がいいー」「おっと嬢ちゃん目の付け所がいいね! そいつぁうめえぜ! テイストグットだぜ!」「あら、でも高いわねぇ」家計を司る神である主婦にはホイホイ出せる金額ではないのだろう。だが母親としては娘のいい肉を食べさせてやりたい。そこで母親はこんな行動をとった。「ねぇお肉屋さぁん……ちらり。もうちょっと安くならないかしら……ちらり」ロングスカートを持ち上げてのチラリズム散布である。際どい所までスカートを持ち上げ、見えるか見えないかギリギリの位置で降ろす。店の前を通りがかったオッサン共の目がスカートのアップダウンに釘付けになった。当然目の前でそれを見せつけられている肉屋の親父も釘付け――「ちょっと奥さんそういうのは困りますって! いやいや本当に!」「そう言わないで……チラリラリ」「困るって言ってるでしょうが!」「あら、残念」どうやら肉屋は真面目なオッサンだったようだ。母親のパンチラインにも真剣に迷惑している様子。昨今、性に惑わされ道を外す人間が多い中、見上げたオッサンだ。ふと、母親の痴態を見上げていた娘が肉屋に声をかけた。「ねーねーおじたん」「ん、何だい?」「……ちらり」子供は親のオウム鳥(格言っぽい)母親の行為を真似し、拙い手つきでスモックを持ち上げる。これには俺を含め、周囲のオッサン達も苦笑い。俺も子供ができたら、迂闊な真似はしない様にしようって思った。さて、娘の背伸びし過ぎな行為を見た肉屋のオッサン。これまた注意するのかと思いきや「うおおおおおおおおおお!!」大興奮。カウンターから身体を乗り出して幼女の痴態に見入っている。日本は終わったなって思った。少なくともこの肉屋は終わってる。あとまんまと高い肉手に入れて娘に「ナイスよ!」とか親指立ててる母親も終わってる。ああ、終末(ラグナロク)の時は近いな……。母親と娘が去り、俺は肉屋と相対した。よし、ここは先ほどの親子を見習うとしよう。俺は両の人差し指を頬に当て「おじたーん、このお肉もっと安くしてちょーらいっ」と首を傾げながら言った。これぞ奥義~幼児性限定開放~である。開放の段階は参式から零式まであり、今のは参式だ。つまりこれ以上に俺は幼児性を開放できる。……この意味が分かるか?さて、俺の幼児性解放(チャイルドプレイ)をずっきゅんハートにぶち食らった肉屋のオッサン。中指をおっ立ててこう言いやがった。「おい坊主。てめぇミンチにされてぇのか?」坊主頭に青筋を浮べ、今にも肉切り包丁で、俺をミンチよりもヒデェことにしそう。「おいおいオッサン。さっきの幼女との差はなんだよ。俺もまけてくれよ」「ふざけろカスが! 15年おせえんだよ! 死ね! 死んで肥料になれ!」客に暴言吐きまくりの肉屋とかマジないわぁ……。しかもこのオッサン、ショタもいけるらしい。一体ポリスメンは何をやってるんだか。すぐここに豚箱にインすべき人間がいるというのに。俺に一しきりの暴言を吐いたオッサンはようやく落ち着いたのか、何かに気づいたかのように「ん? てめぇは……」と俺の顔を見ながら言った。「てめぇ、一二三荘に最近入居した坊主か」「遅えし、何回か買い物来てるし」「うっせーよ。野郎の顔なんて一々覚えちゃいねぇ」それについては同感。男の顔なんて覚えたって一銭にもならないよねー。まあ、チャイナドレスが似合う男の娘なら別だけど。「辰巳君。あのお肉っ」背中にくっ付くエリザが俺の肩越しからニュキリと指を突き出し、ショーケースの中の肉を指す。「おっさん。この肉をくれ」「ちっ。なんで男なんぞに肉を売ってやらねえといけねえんだよ……。もっとロリロリした女の子に売って『オジさんのウインナーもどうかな?』とか言ってみてえよ……クソ!」「おっさんマジで捕まんぞ……いやマジで」「ハッ、ポリ公なんぞに捕まるかよ! 俺に触れられるのは幼女だけだっつーの!」俺はオッサンの堂々とした駄目人間発言に戦慄を覚えた。どうしてこうもまあ、商店街に響きわたる声でそんな性癖を暴露できるのか。俺絶対こんな大人にはならないぞ! イカちゃんも嫌われるしね。オッサンが肉を包んでカウンターの上に出した。「ほらよっ。おら280万だ、さっさと払え。そして失せろ」さきほどこっそり撮影したオsッサンが幼女に食い入る映像を警察に送りつけようと思ったが、エリザが「た、辰巳君。お、怒らないで、ね? ね?」と耳元で囁くので、くすぐったくて怒りも失せた。俺は財布を取り出し、札を一枚抜き出した。と、札と一緒に財布の中にあった写真も出てしまった。ヒラヒラとオッサンの目の前に落ちる写真。俺は写真を拾いあげようとするが、それよりも先にオッサンが凄まじい速さで写真を取り上げた。「こ、これは――!?」オッサンの目がくわっと見開かれる。限界まで開かれた目が血走っており、ぶっちゃけ怖い。背中のエリザも「ひっ」と小さく身体を震わせた。俺もちょっとお漏らしそうになった。「お、おっさんさん……あ、あのその写真、返してくれませんかね」写真を食い入るように見つめるオッサンに、ちょっと腰が引ける。一体あの写真の何がオッサンの琴線に触れたのか。オッサンは全身を震わせながら、震える口で呟いた。「こ、これは――SSランク……SS(ダブルエス)ランクじゃねーか!」オッサンは俺に写真を向ける。そこに写っているのは――どこぞの高校の制服を着てる大家さんだ。桜が舞う校門の前に立っており、はにかみながらピースをしている。ちなみに今と容姿は変わらない。この写真は以前、大家さんの部屋にお邪魔になった時見せてもらったアルバムで、俺が「この大家さんマジキュートですね」と言ったところ「あげます!」と満面の笑みでプレゼントされたのだ。実は「キュートですね……で、いつ頃の写真なんですか?」と真相を追求しようとしたのだが……にへにへ笑う大家さんを前に、結局聞くことができなかったのだ。「俺が持ってる最高ランクでも精々Aランク……いと羨ましいじゃねーか! 小僧!」オッサンが変になってきた。「あ、あのランクとかってなんすか?」「何だ知らねえのか? 仕方ねえ、説明してやる。この町に大家ちゃんのファンクラブがあるのは知ってるだろ?」いや、初耳っす。「ファンクラブ内で大家ちゃんの写真がやり取りされてるんだよ。レア度によってランクを付けられてな。基本は写真同士のトレードだけだが……ここだけの話、高ランクのやつは金銭で取引されてる……って話だ」 「色々と終わってますね」背後でエリザが「うんうん」と頷いた。「しかしSSランクをこの目で見ることができるとは……もう死んでもいい」今度はうっとりした目で写真を見つめるオッサン。頬をピンクに染めるハゲのオッサン。無性に通報したくなった。「なあ、ものは相談なんだが……この写真、譲ってくれねえか?」先ほどまでの態度はどこへやら、真摯な表情で言うオッサン。「無論タダとは言わねえ」その発言にエリザがピクリと反応した。「計画の始動が……予定より……早めても……」エリザちゃんらしからぬ邪な感情に満ちた呟き。まあ、そういう黒い部分もペロペロしたくなる要因の一つになってますけどね。オッサンはバンとカウンターを叩いた。「この店をやるッ!」「馬鹿か!」思わず普段はやらないタイプの突っ込みをしてしまった。しかし突っ込まざるをえなかった。あまりにも刹那的な生き方……このオッサン近い内に間違いなく破滅する……!馬鹿と言ったことでキレるかと心配したが、写真欲しさに夢中なオッサンは気にしなかったようだ。「店だけで足りねえなら、俺の命も賭ける!」「お、おいおい……」「それで足りないなら俺の母ちゃんの命も! 従兄弟で入院中の華京院の命も! ホームステイしているインド人、アブダルの命も賭ける!」巻き込まれた人達はたまったもんじゃないだろう。特にインド人の人。俺はオッサンの熱意に気圧されていた。下手に断れば、俺の命が危うい。冗談ではなく、本気でそう思った。殺しても奪い取る、狂気に満ちたオッサンの目からはそういった『凄み』が感じ取れた。「い、いや店とかいらないんで……写真はあげるっす」「な……ん、だと? お、おいそれはマジで言ってんのか? 俺たちの命だけで、この写真を譲ってくれるのか?」「いや、命はもっといらない……」貰ってどうしろって話だ。いや、待てよ。「あの、入院中の華京院さんとやらは……」「ああ、レースゲームにハマり過ぎて失明しかけた36歳のサラリーマンだが……どうだ?」「お大事にと」もし、華京院さんとやらは美人なOLさんだったら、考えたんだが……。「店も命もいらないんで……どうぞ」「マ、マジで言ってんのか……小僧?」「ええ、まあ」「お、お前……何ていい小僧なんだ……よく見ると、結構、いい顔してんな」オッサンの俺に向ける顔が幼女に向けるそれと等しくなってきたので、早々に立ち去ることにした。肉を取り、背を向ける俺をオッサンが呼び止める。「お、おい小僧! お前名前は!?」俺は走り出しながら答えた。「遠藤寺です! じゃあ、これで!」俺は走り出した。あの夕日に向かって。振り返ることはなかった。友人の名前を使ったことに罪悪感はない。アイツだって許してくれるはず。多分。「いつでも買いに来いよ! 安くしとくぜ! ……ちゅ」というオッサンの声を背に受けながら、帰宅した。最後のキス的なものは、写真に対するものだったのか、それとも俺への投げキッス的なものなのか、それは誰にも分からない。神でさえも。色々と恐ろしい事実を知ってしまった買い物だったが、鼻歌を歌いながら気分よく料理を作るエリザを見て、まあいいかなと思った。