「一体……どういう事だったんですか?」
夕陽の注す馬車の窓。
それをフィユルドの駅舎に止めたまま、ベルティーユを招いて俺達は談合していた。
勝手に巡洋艦の名前を決められたショックもある。
しかしどうにも、あのデメリヒに弄ばれた感が否めずに、俺は疲れ果てていたのだった。
「申し訳ありません」
ベルティーユは溜息しながら、カサンドラに非礼を詫びた。
「あなた方が森へ狩りに行っている間に、真相を聞かされたのです」
「真相?」
「あなた方がここへ呼ばれた、理由です」
俺は客車で腕組みしたまま、扉の前に覗き込む格好のベルティーユを見下ろしていた。
少々失礼だがしかし、そんな事を気にしている場合でもない。
「皇太子殿下は、背中――腰骨の辺りに蝶の形をした痣を持った女を捜しておられる」
「蝶の……痣?」
「はい」
ベルティーユは真剣な顔で頷く。
「二年前、デメリヒ殿下が北の同盟国、カドキアに攻め込まれたことはご存じか?」
「あぁ、はい。村人を散々ぶち殺した狂犬伝説のあれですよね?」
「そう。しかし、あれには裏があって、単なる暴動の鎮圧ではなかった、と殿下は仰られていた」
「どういうことです……?」
「即ち、殿下はその蝶の痣を持った女を捜していたのです。カドキアの民はその捜査に抵抗したので、厳しい焼き討ちにあった。俄に信じられないのですが、彼の主張するところによればどうもそうらしい」
「……人捜し? しかしまた、なんでカドキアは抵抗なんかしたんですか?」
「カドキアの民は女の肌を他人に見せることを善しとしない。例えそれが帝国の検分だったとしても、彼らには我慢ならなかったのでしょう」
「あ……要するに、さっきみたいに背中見せるのが嫌ってことですかぁ」
たしかにちょっと、微妙な位置ではある……。俺も少々焦ったわけだが。
「そう。そこで交渉の余地もあったのでしょうが、デメリヒ殿下は気の短いお方だ。そうして行き違いがある内に、衝突が発生したのでしょう」
「そりゃどっちもどっちっていうか……大概むちゃくちゃな話ですね」
「同感です」
とベルティーユは鼻で笑う。
「つーか、なんで帝国はそんな必死にその女を捜してるんですか?」
「そう……。詳しくは、殿下も説明されなかった。或いは皇室の名誉に関わるようなことなのかもしれない。――しかしとにかくその蝶の痣の女は、大罪人の娘子だという話でした。生きていれば、十四になる女」
「なるほど」
「そうして殿下は結局、女をカドキアに見つけられなかった。だから今なお、それを捜しているのです」
「ちょっと待って下さい。……なんか話が見えてきたんですけど。まさかカサンドラがその女だと思われてたってこと?」
ベルティーユは真剣な顔で頷いた。
「そのまさかです。女はカドキアに潜伏している可能性が最も高かった。しかし容易に見つけられずに、殿下は方針を変えることにしたのです。もしかしたら、どこか他国に渡り養子となって成長を遂げ、生き延びているかもしれない、ということ」
「成長?」
「はい。その女が罪人である親に伴われて帝国を出たのは、まだほんの小さな頃だったのです」
「なるほど……貴族の養子になってる可能性もあるってことですか」
「そうして今、帝国はあらゆる同盟国家の貴族方に、捜索のふれを出そうとしていた矢先だったのですが、怪しげな女が急浮上してきたので、それに飛びついた」
「怪しいって……カサンドラがってこと?」
思わずタメ口になる。
「アルフレト殿下……。こう申してなんですが、聖別を断わるというのは尋常なことでありません。テラの教えが気に食わないから聖別を断わる、などと真顔で言ってのけるのは、貴方くらいなのです。だから、何か隠し事があるに違いないと皇太子は勘違いしてしまった」
「つまりは、蝶の痣」
「そうです、蝶の痣」
「しかしですなぁ」
「はい」
――そもそもカサンドラは女の子じゃなくて男の子なんですが……。
とは言えずに、俺は口を噤んだ。
つまりは確かに、隠し事はあったのだ。それが不要な疑いを呼んだのだから、まぁやっぱり俺のせいっていうかカサンドラのせいで自業自得なんだけど……。
ベルティーユはそうして黙り込む俺に、再び頭を下げた。
「本当に申し訳なかった。唯一デメリヒ殿下がまともな所と言えば、それを検分するのは男の役目でないと心得ていたところです。だからわたしは、その役目をあの場で申しつけられた。――初めは嫌だと言ったのですが、そうしてきちんと事情を聞かされれば手を貸すほか無かったのです」
「いや別に、それはベルティーユ姫が謝るところじゃあないですよね」
「そう言ってもららえると気が楽になる」
ベルティーユはとことん真面目な人だ。
「って言うか……」
「はい」
「検分する瞬間、どきどきしただろうからそれが逆に悪いと思うっていうか……。あると思いました? 痣」
「いいえ。無いと思いました。貴方の性格をよく知っていたから、勘違いだと最初から分かっていた」
「なるほど……」
「だが逆に、そのことで貴方は皇太子殿下に気に入られたように見受けられる」
「はぁ?」
「まさか彼も、反骨心だけで聖別を断わるような男がいるとは思わなかったでしょう。だからあの時彼は、心底驚いていた。デメリヒ殿下はそういう、……ちょっと変わった男を好むようですから」
「うぅ……」
あまり好まれたくない相手っていうか、もう二度と会いたくないんだが……。
「わたしもしかし、変わった男は嫌いではありません」
「えっ」
驚く俺に、ベルティーユは男の子みたいな八重歯を見せてふふふと笑う。
「帝国に刃向かおうとするのは無謀だが、見ていて胸がすくものです! 世が世なら、わたしの――あぁ、いえ……」
そのとき俺は正面に負のオーラを感じて、チラ見する。
「いたいっ! いたいっ!」
やけに静かだと思ったら、カサンドラがふてくされながら黙々と、微妙なテンポでもってエリンに連続肩パンを入れていた。
ベルティーユはなにやらはっとして、頭を振る。少年みたいなショートカットがふるふると揺れた。
「あっと、これはわたしとしたことが、無用に長居をしてしまったようだ。どうぞ気をつけて帰られよ。……カサンドラ妃も、またお会いしましょう」
「は、はい」
カサンドラは我に返って、差し出されたベルティーユの手を取る。
「よい男には貴女のようなよい女が似合う。お二人が生涯睦まじくあることを願います。わたしも早く、婿をもらわなければ」
にこやかに言って礼をすると、ベルティーユは下がっていった。
「あの女の人、なんか嫌いだ」
帰りの馬車に揺られながら、カサンドラがボツと呟く。
その横でエリンがしくしくと泣いていた。
「おいおい……。お前、あの場でちょっと庇ってもらってたんだぞ?」
俺が苦言を呈すると、カサンドラはぷいっと窓の外を見る。
例によって少々むかついたが、しかし庇うというフレーズで、俺は思い出す。
今日こいつが助けてくれなかったら、俺は――或いはエリンも窮地に陥っていたのだし……。
とりあえず、だ。
「いや……今日はありがとう。正直、助かったよ」
俺がキリっ! とした表情でそういうと、カサンドラはニコニコと笑った。
「また、狩りにいきたいな」
現金な奴……。
「どうなることかと思いましたよ……マジで……」
ようやく正気を取り戻した感じのエリンが言う。
「いやほんと、お前マトにならなくてよかったよ。確実に死んでたよ」
「カサンドラ様が勉強していたところを憶えていてくれたのが、僕は感動でした」
「それは感涙も混じってるのかよ」
「一回教えてもらったことは、ちゃんと憶えてる。平気だ」
そうしてわきゃわきゃと三人で話しているうち、不意に黙り込む瞬間が訪れる。
まぁみんな疲れていたんだろう。
こくこくと船を漕ぎ出したエリンの横で車輪の音に耳を傾けながら、俺はふと口にした。
「そう言えばさ、ルルってどうなったんだ、結局」
「ん……」
カサンドラは車窓に頬杖したまま答えた。
「一年後に森で見つかった時、やはり殺されてしまった」
「……そうか」
そりゃ結局ユアハイム家に戻ったのだから、そういうことになるのだろう。
「わたしはそれで、父上を激しく怨んだ。そのときは子供だったから、領主としての体面を重んじてルルを殺す、という道理が全然分からなかった」
「あぁ……」
なんか……どっかで聞いたような話だ。
「家に強引に連れていかれたから、凄く嫌だった。部屋に閉じ籠もって学校にも行かなかった。お陰でずいぶんと父上を困らせたし、それで父上の病気も悪化してしまったように思う。わたしにどう接していいのか、父上は分からなくて凄く悩んでいたようだった」
「……」
「わたしはそうして父上が困るのを見て、溜飲を下げた。そうしてルルの復讐を遂げた気になった。けれど父上が病気で死んでしまってから、初めて後悔したんだ」
「後悔した?」
「父上はわたしを拾って、育ててくれて、初めはルルにも寛容でいてくれた。――優しい人だったんだ。優しい……子供の頃に遊んでくれたことをよく憶えている。だからルルとわたしの事でも、真剣に悩んでいたんだ。
それなのに、意地を張って、何も恩返しができていないことに気付いた。……馬鹿な話だけど、死んでしまうまでそれは分からなかった。父上がもう冷たくなって、動かなくなってしまったのを見て、泣いて、泣いて、自分の浅はかさを死ぬほど呪った。そうして結局わたしはルルも亡くしてしまったし、父上も亡くしてしまって、ひとりぼっちになってしまったんだ。半分は、自分のせいで」
そうしてカサンドラは、小さな息を吐いた。
「だけど、父上の葬儀の列に、ルルと同じ、大きな牙を持った虎を見つけたんだ。それは肥大化する牙で、いつか自分を滅ぼしてしまう危うさを持っていた。だから今度こそ、守らなきゃ、無くしちゃ駄目だと思ったんだ。側にいて、自分でできる最大限のことをしようって」
「へぇ……。その虎は、今どこに?」
そう言うと、カサンドラはぎょっとしたような顔で振り返った。
「どこに? ……知らないよ、馬鹿」
「なんっ……お前いきなり、馬鹿呼ばわりはよくないよ!?」
だがそれ以降、城に着くまでカサンドラはまったく口を聞いてくれなかった。
その意味に思い当たるまでに、実に二週間を要した。――つまりは巡洋艦でこのエンズビルに帰還する頃、という意味なのだが……。
(2012/02/26 TO BE CONTINUED...)