「思い出すのはいつも通り夕飯で囲んだ家族との食卓。またねと言ってわかれた友達の顔。見たかったドラマの放送。
どんなくだらないことも今は遠く思えてしまいます。
この世界が悪いわけではないですし誰かを恨みたいわけでもありません。
ただ──あの日常に帰りたいんです。いつも通りみんなと過ごしたいんです。本当にそれだけなんです……」
「……」
「帰りたいんです……」
「……」
「ま、それはそうと今後のことを話しましょう」
「死ね」
ちょっと深刻な顔をして大げさに望郷の念を語ったらこれだよ、と小鳥は肩を竦めた。イカレさんは胡散臭い彼女の演技に苛々しっぱなしだったが。
「こんにちは鳥飼小鳥17歳です。出身は帝国の海を隔てて東にある島国、東国の片田舎です。忍びの里で生まれ育ったわたしは都会に憧れて帝都へ渡ってきました。
イカレさんとは彼が東国を自分探しの旅していたときに出会い、宿と食事と生贄の肝臓を提供したことから知り合いとなっていてお中元や年賀状を送る関係でした。彼が帝都に住んでいるということで頼ってきたのです。わっふわっふ」
復唱して、設定を確認する。
その他もろもろは忍びの里の掟により秘密だと言い張れば良いと適当に決めた。
天使とのハーフだとか本気を出すとオッドアイになるとかそんな感じの設定を小鳥は提案したのだが次々に却下されて、結局イカレさんが面倒臭がって余計なことは喋るなと言ったのである。
その点東方のアサシンこと忍びは便利だ。ペナルカンド世界にある東国連合と呼ばれる島国は大陸から離れているため独自の文化を持っているから、多少奇抜な行動や世間知らずでも通用しそうということで採用された。
そんなわけで彼女は今日からにわか女忍者である。使える忍術は読心の術とか。あと折り鶴。
当面彼女の方針としては、元の世界に帰る方法を探しながらこの異世界を観光気分で楽しもうという事にした。だから深刻なホームシックなわけでもない。
泣こうが喚こうが、帰れるかどうかとは関係ない。方法を見つけようが場所を見つけようが、帰れる運命の時はそう云う流れになるのだ。闇雲に動いても前には進めずに間違った迂路へ入りかねない。
「それこそが冷酷な殺人マシーンへとなるべく訓練を受けた女忍者の落ち着きでござれりる。あれ? ござれりるであってたっけ活用形」
「知らねェよ。もォマジ疲れたから今日は寝るぞ俺。手前も隣のアイスの部屋に行け」
イカレさんなど会議の途中からベッドで横になって掠れるような声しか出していなかった。ダンジョン帰りで怠いのもあるが、小鳥と会話しているだけでがんがん疲れが溜まっていくのであった。
宿の二階、イカレさんの部屋は6畳ほどのワンルームでいくらか本の入った本棚、テーブルと椅子、ベッドぐらいしか置かれてない部屋。私物っぽいのが本とかぐらいしか無い、貧乏臭い感じがした。
床には埃があってここの床で寝るとなるといくらか覚悟が必要である。つまり、覚悟さえしてれば寝ることに問題はないのだが、それでも多少は寝場所がアイスの部屋に変わって良かったと思える小鳥である。
「それではイカさんもおネムのようなので退散しますかね」
「腹立つ。コイツと会話してるだけで異様にムカツイて悪玉コレステロールが増加して行きそうだ。一秒でも早く失せろ眠ィ」
「それは病気だと思いますが……ああ、一応言っておきますと」
もはや顔をうつ伏せに寝の体勢に入っているイカレさんに、小鳥は部屋から出る前に一言投げかけた。
「わたしは別にイカレさんを恨んでないですよ。わざわざイカレさんがわたしをほっぽり出さずに都合してくれるだけでも結構感謝してるんですからね。あ、なんか今ツンデレっぽくなかったですか?」
「……」
「おやおや? ちょっとわたしがデレた態度を見せただけで狸寝入りですか。うふふのふ」
眠りにつこうとしていたイカレさんは極悪チンピラカイザーに等しい凶暴な眼差しを向けて攻撃の召喚術を打ち放つ。
「眠ィつってんのが聞こえねェのかクソボケがァ! 召喚『デススターリング』!」
「ぎゃー」
***********
飛行時に振動衝撃波を出す鳥を召喚されて部屋の外にぶっ飛ばされた小鳥は、一応怪我はしていない事を確認して立ち上がった。
(まったくイカレさんときたらコミュ障なんだから、しょうがない人ですね)
自分の鬱陶しさは棚に上げてそのような事を思う。
ともあれ今日はもう眠い。小鳥も日本にある自室で寝る直前に召喚されてダンジョンを歩きまわったのだから当然ではあった。
(アイスさんの部屋でさっさと寝よう。冒険の書へは明日記録すればいいや。寝ればきっとここまでの冒険をセーブしますかとか出るでしょう)
そう決めて、イカレさんの隣、アイスの部屋の扉をノックした。
「おや、コトリくんか。どうぞ、開いている」
「失礼いたしまする」
ひんやりとしたドアノブを捻り、外開きの扉を開けて彼女の部屋に入った。
アイスの部屋──間取りはイカレさんと同じはずだった。6畳ほどの広さの部屋には分厚いカーペットが床に敷かれている。天井には精緻なガラス細工の灯りがつられており、窓には分厚い魔術文様が刻まれ物質の劣化を日光から防ぐ魔法のかけられたカーテンがかかっていた。
テーブルはイカレさんの使っている野ざらしの公園からパチってきたようなものではなく職人臭い作りの椅子と揃いのもので、壁の一面を占める棚には分厚い本や資料、魔法薬の瓶が並んでいる。
ベッドもダンボールに藁敷いたのがマシな隣室みたいではなく、大きくてふわふわした布団が敷かれていた。よくよく見るとスペース削減のためか、天井に吊るせるようになっている。
さらにはイカれさんと反対側の部屋の壁に扉まであった。
家賃が1万円台後半みたいなイカレさんの部屋とのギャップを感じながら、センスが最悪な模様のパジャマ姿のアイスを胡乱気に見る小鳥である。特にパジャマ柄のセンスが最悪なのが気になる。
「隣の部屋を用意できれば良かったのだが生憎と物置にしていてまだとても客を寝させられる状態ではなくてな」
「アイスさん、二部屋借りてるんですか?」
「魔法使いで教師などやっていると物ばかり増えてしまって参る。私物の大半は実家に保管してあるのだが」
部屋に入るとほわっとしたカーペットの感触に慌てて汚れたスリッパを脱ぎ捨てた。
ホコリっぽいこともなく涼しく、そしてわずかに甘い匂いのする部屋だ。あちこちを見回すと置いてある小物や調度品がどれも高そうである。
ちなみにイカレさんの部屋はうっすらと夏休みの鳥小屋のような臭いがしていた。
「アイスさんってもしかしてお金持ちですか?」
「まあ、一応月給は貰っている立場ではあるな。無職のサイモンくんと比べたら多少は……」
「無職童貞だったんだ……」
「……いや、童貞は余計というかあまりに悲しいから付け加えないでやってもいいんじゃないかなあ」
顔を背けながら擁護するアイス。
「しかしアイスさん、お金があるならこんな無職さんが住むような下宿を改造してまでわざわざ借りなくても」
「え!? え、えーと……それは、寝る部屋は小さいほうが……べ、別に深い理由があるわけではなくて……」
急に挙動不審になった彼女を訝しげに小鳥は見る。
口を半開きにしてわたわたと言い訳がましいことを言い始めたのは後ろめたい事があるのではないかと疑ったのだ。
アイスは帝国──600万人からなる人の集団の中でも十指に入る知られた腕前の魔法使いであり、それでいて定職に付いているということは実力を認められて雇われているのだから無論、高給取りである。
それなのにこんな狭いところに泊まっているとは。
学園モノの漫画とかで万年赤点を取るようなキャラといつも満点を取るような天才キャラが同じ学校に通っているぐらい違和感ある。そんな天才なら普通もっと上のランクの学校行くはずだが。敢えて底辺高校の授業で満点を取って優越感に浸っているとかそういう悲しい設定が無い限りは。
陰謀を感じた小鳥は意味ありげに微笑んで言葉をかける。
「なるほど……そういうことですか」
「い、いや何を納得しているのかと疑問視するわけだが単にここはそう学校との交通の便が良くて全力疾走で30分ぐらい走れば到着するのだから」
「それは全然近くないと思いますが」
何らかの事情を悟ったふりをする小鳥。全然わかっていないが実際は。彼女に人類の感情の機微を理解しろというのが難しい。
しかし露骨に彼女の目的を分かったと見せるのもよくない。即座にその場で捕縛、口封じ、洗脳、悪堕ち、ハイライトの消えた目などをされることが考えられる。小鳥は警戒した。
ひたすら被験者を眠らせないままで意味不明な講義などを聞かせまくって、最後に優しい言葉で洗脳するという方法が昔の詐欺で流行ったことを思い出し注意をしながらも小鳥は欠伸をする。
「眠いです……何らかのスタンド攻撃を受けたみたいに」
言いながら床にそっと冬眠中のナマズの如く横たわろうとする。
慌ててアイスが抱きとめた。小鳥の後頭部に巨乳の感触がある。
「大丈夫か、コトリくん。床で寝なくてもベッドを使ってくれ」
「ありがとうございます──わぁベッドやわらか」
大きなベッドは二人で寝ても大丈夫な感じであった。
頭がぼんやりする。瞼が重い。疲れた。
(こっちの世界にくる前の、今日鳥取で過ごした一日は……いつも通り学校で……友達と進路とか……話しあったり……放課後はスロに寄ったり……松葉ガニが侵略を……砂漠から飛んでくる毒を含んだ砂塵が……爆発させて……)
眠い。人類の誰もが眠たいように。明けない夜と覚めない夢が訪れるかのごとく。
「ぐっすりすやすや夢の中」
そう呟いて瞼を閉じた。
こうして鳥飼小鳥の異世界の一日目が終了した。なんか一日が超長かったような気すら彼女はした。5話分ぐらい。
半ば寝ぼけながら抱きついたアイスの体は少しひんやりしていて巨乳は巨乳だったと君は冒険の書に記録してもいいし、次のチャプターに移っても良い。
********
「えっここで章替えじゃないの」
そう言って彼女は起床した。言葉に意味など無い。意味のある言葉しか喋らない者はやがて口封じされるのは歴史的に見て明らかだ。
小鳥が眠気眼を擦ると眼の前にアイスの寝顔があった。さらさらした蒼い髪の毛と、眼鏡を外したら意外に童顔な彼女の寝顔に思わずどきりと──いや、別段百合ではないのでまったくしないのだが。西欧風の顔立ちだが不思議と日本人である母に似ている雰囲気はした。性格は真逆だが。
とりあえず彼女は布団から這いでて、伸びをする。重力によりたわみから解消された背骨を伸ばして意識をしゃんとさせた。
高そうなカーテンを引いて、窓から日の登った異世界を見る。
帝都の朝は涼しく西か東かか分からないが、ともあれ彼方から上ってきた太陽──という名前かは彼女に判断が付かなかったが恒星が、波長や種類は不明の日光を出して窓から見える通りを照らしている。
なお、彼女は無駄な心配をしているがこの世界では神の決めた規則により恒星は東から西に動くし、名前もしっかり太陽で通じる。名称に関しては旅神が手頃に翻訳しているので大抵は気にしなくても良い。
小鳥はむずりとした腹のあたりを抑えて、毎朝の作業を行おうと呟く。
「トイレに行かなくては」
部屋から音を立てずに廊下へ出る。なにせ彼女は今日から忍者なので造作も無い。
建築物の構造上、雪隠や厨房の位置などは大体想像が付けることが小鳥にも出来た。
(多分風水的にはこっちだな)
猫のように足音を殺し進んだ先でトイレと洗面所を発見。洗面台には水道がある。
試しに洗面所の水道を捻ると見た目は透き通った冷たい水が出てくる。多少警戒しながら、そこに置いてあったカップで水を掬って口に含み、ウガイをして吐き出した。
水の味で安全さを確かめる程度の能力がなければ鳥取では生きていけない。
とりあえず水がすぐさま体に悪影響を齎すわけではないと満足した彼女は下腹部に感じる焦燥に急かされ個室へと入る。
「小鳥です。異世界のトイレはウォシュレットでした。すげえ」
独り個室で呟いた。
***********
名前も知らない材料を使って見た目だけはご飯と味噌汁、焼き魚に大根おろし、おひたしを作って朝食の完成させる小鳥。
完全に材料が揃っていたわけではないので他の材料も使って見た目を整えればそこはかとなく出来上がった。足りないものは他から補う。戦争の基本であり台所は戦場だ。
それぐらいの時間になると部屋から一階へアイスが降りてきた。
「おやコトリくん、随分早いな。それに朝食を作ってくれたのか」
「ええ。そうですね、アイスさんはあの人を起こしてきてくれませんか。えーと具体的にはこう、頭の上でバットの素振りをするとかスリリンガー」
「そ、それはちょっと大胆すぎないかな! でもいいとも、やってみせるさ……!」
笑顔で踵を返したアイスの脇腹に足が突き刺さった。
バランスを崩して階段を頭から転げ落ちるアイス。イカレさんは欠伸をしながら頭をボリボリと掻いて、ヤクザキック気味に足を突き出したまま言う。
「もォ起きてるっつーの」
「マスター・イカレ。おはようございます」
「誰手前ェ……」
「貴方がサモンした小鳥ですよう。フォースとともにあらんことを」
「ああ、なんか頭痛と一緒に思い出したわ。朝日と共に消えてないかな、とかちょっと願ってたんだけどよォ」
ため息混じりに言いながら階段を降りる。そして階段の端に倒れているアイスを一瞥して、
「あれェ、アイス。んなトコで寝てっと危ねェぞ」
「そ、そうだなサイモンくん。忠告感謝する……」
体中傷ませながらと立ち上がってアイスはテーブルについた。
三人分並べた食事。イカレさんも目の前のメニューを眺めながらどこか胡散臭げだ。
「わたしの故郷──えーと東国鳥取の里での一般的な朝食風献立です」
「トットリの里……それが昨日コトリくんが言っていた故郷か」
「ええ。忍者トットリ・ミヤツコを祖とする忍の里です。古事記にも載ってます。──今はそこまでしか開かせません。すみませんが」
「いやいや、結構だ。君と知り合ってまだ二日目だが、少なくとも君は真っ当な人間であることは見ればわかる。信じよう」
「コイツすげェ節穴アイ」
ぼそりとイカレさんが呟く。そしてチラリと小鳥を見ながら、
(どう考えても頭が軽くイカレてるとしか思えん女だっつーのに)
などと失礼な──或いは当然のことを考えていた。
小鳥はしたり顔で頷く。
「そんな目をしていますよ? うふふ忍法読心の術」
「金払ってでも本来なら関わり合いたくねェタイプだな手前」
「ささっ。そんなことより召し上がってください。一応見た目は調整してますけど、冷めたらどんな変化を齎すか分かりませんよ?」
「そんな評価を受ける料理なんざ初めて聞くわ」
言いながらもスプーンで味噌汁──味噌を含まないが、少なくとも見た目は──をかき回していたイカレさんは口をつけた。
胡散臭げな表情から驚いた顔、そしてやや綻んで次に苦い顔と百面相を見せる。
「……美味い、けどやっぱり釈然としねェ」
「まあまあ、サイモンくん。いいではないか。一流の料理屋でも滅多に味わえない美味さだ」
「いやだからご家庭の材料でこんな味になるってのは絶対ェおかしいっつーか」
それでも舌には勝てずにバクバクと食べるイカレさんであったが。
料理の味は国も文化も超えるらしい。どこかの誰かが言っていた。よく覚えていないがきっと誰でも思いつく普遍的な真実なのだろう。
コメを使っていない銀シャリや魚を使っていない焼き魚、緑だったらなんでもよかったおひたし、何か白っぽい粉を使った大根おろしも好評のうちに胃の中に収まるのであった。味だけは無駄に素晴らしい。自然素材がなくても人は生きていける。ソイレント色の未来がもうすぐそこまで。
食事を終えてその日は、
「俺ァ今日用事あるから」
というイカレさんの言葉で小鳥の予定は宙ぶらりんであった。
まあ確かに、3日も彷徨っていて翌日早速ダンジョン攻略に行けるわけもない。プライベートな用事なのでついてくるなと言われればそれまでである。
というわけで小鳥は観光がてら、アイスの職場──帝都第一魔法学校へ付いていくことへとなったのであった。オープンキャンパスは知恵の共有だが革命の意志を広める効果もあると信じて。