小鳥の体育の成績は2であった。彼女の学業成績の中では最も低い。
虚弱というわけでもないのだが、周りから見ていると危なっかしく見えるらしくよく休憩を勧められるのでそれもあったかもしれない。
特に長距離走などは苦手であった。徐々に体と意志が剥離して、無理にゴールを目指した結果酸欠などで倒れる事もあったという。自分の限界耐力という者を上手く認識していないのだ。
しかしながらこの日、小鳥は異世界で慣れぬ服装に身を纏い走らされているのであった。
「聖なる歌が大好きなー♪ 俺らが誰か教えてよー♪」
先頭を走るギターをかき鳴らした神父の歌声に、後ろを走る司祭や修道女が追い縋りながら歌を復唱する。
ひいひいと息を切らせながらも、パルに手を引かれながらよたよたと走っている修道服を着た小鳥も掠れるように応えた。
無駄に歌で呼吸を消費するとダメージが大きい。
なんでこんなコス衣装のようなシスター服を着て走っているかというとパルに連れてこられたからである。
歌神信仰の聖職者の集い……その行事、朝ランニング聖歌であった。
街中を走りながら聖歌歌いまくりキャンペーン。何故かそれに参加している。
先頭を走る怪しげなグラサン神父はギターを適当にしか思えない雰囲気でジャカジャカかき鳴らしながら、ドベ近辺を走る小鳥らがペースを維持し続ければついていけそうな速度で走っている。つまり、ギリギリなのでついていくと超キツイわけだ。
「帝都を走るー合唱隊ー♪ エロもー大好き聖歌隊ー♪」
口はカラカラになりながらもヤケクソ気味に歌う。
歌うと超酸素ゲージが減ってまじヤバイってかマジキツイ死ぬ死ぬ死ぬと小鳥は虚ろな顔で思っている。
「小鳥さん、ファイトウサ!」
「死にます」
「P.T!」
「P.T! ウサ!」
パルが先頭から聞こえる叫びをいい笑顔でサムズアップするものの、彼女の身体は限界だ。彼から肩を組まれるような姿勢でよろよろと足を動かしていた。
朝の冷たい帝都の空気と打って変わって、火照って息苦しい思いをしながら必死について行く。
「放置ー民イズサノバビーッチ♪」
やはり波紋呼吸法は習得できそうにない。そんなことを思いながら。
**********
「つかれた」
ランニング聖歌は終了して、ここは帝都の中央通りに面している教会広場と言われる公園風味の場所である。様々な教会のイベント場所などにも使われているところであった。
ぜいぜいと息を吐きながらへたり込んで座る小鳥にパルが水筒を渡してきた。
「いやーお疲れ様ウサ。無理言って参加させてすみませんウサ」
「はあ……本当に無理ですよう汗ビッショリ」
「僧職仲間が前に演奏奉納させた娘も宗教勧誘しろって煩くてウサ。まあ洗礼がわりのランニング聖歌に参加させたから一応の面目は立つという物ウサ」
「あれえいつの間にか信者にさせられてないですか?」
言いながら小鳥は渡された水筒に口をつけた。
どろり、と口元に広がる暖かく塩気があり、やや獣臭のするとろみのついた液体が広がった。
喉に通らず口の中にでろり、と残る。
小鳥は冷えた水を予想していたのにいきなりの裏切りに、眉をひそめてパルに尋ねた。
「パーマネントくん、これは?」
「コトリさんの好きな濃厚豚骨スープウサ。コラーゲンとタンパク質が豊富な健康飲料ウサ」
「いろいろ間違ってますよう。うう、口に味が残りまくり」
ねとりとした味に飲み込めずにうえ、と口を開いた。小鳥はとんこつ味は好きなのだが、時と場合による。
パルはうんうんと頷きながらすまし顔で指を立てて言った。
「そうそう、疲れがすぐ取れるオマジナイを教えるウサ」
「オマジナイですか?」
彼は得意げに頷く。
「両手を顔の横に持ってくるウサ」
「はあ……」
訳もわからずに、疲労と粘度のある液体を口に含んでいるという酸欠気味の状態で従う小鳥。
「次に両手をピースさせるウサ」
「こうですか?」
言われたとおりにやると──。
ぱしゃりとフラッシュが焚かれた。
目を白黒していると、パルがマジカル写真機を構えている事にようやく気づいた。その場でマジカル印刷が出来るマジックアイテムである。
じーと音を立ててカラー写真が出てきた。
シスターコスの小鳥が、半開きの口に白濁液を含み汗だくでやや紅潮顔ダブルピースしているバストアップである。
「……」
「……」
やや、沈黙。
「じゃ、ボクはこれで」
「これが目的だったのですか」
パルはウヘヘーイとエロ写真片手に逃げて行ったが、疲労の限界の小鳥に追いつく術はなかった。ちなみにパルの脚力は非常に高く小鳥との差は兎と亀である。
********
「体力を回復させるにはご飯を食べるといいのです~」
と、腹ぺこキャラのような事を言いながら炊き出しの列に並ぶことにした小鳥である。
その前に口を公園の水道水でゆすいで妙に口に粘り残る白濁したとんこつスープを洗い流した。せめて豚骨スープに変なの混じっていないことを祈って。
帝都の水道水は水系魔法での消毒や聖別されたアクアマリンによる浄化により直飲み可な旨い水である。なにせ帝都は港町なので、航海と綺麗な水は切っても切り離せない。
パルから置土産のように渡されたタオルで汗を拭いつつ周囲を見回した。
教会広場では様々な宗派の教会が炊き出しだの路上ライブだの大道芸をしている。
どのような方法にせよ、自分のところの神様への信仰を高める事が彼らの使命。故に戦神司祭は奇声を上げ殴り合いし、空神司祭は天気予報──お布施で内容が変わるらしい。農繁期などさながらオークション会場である──で人気を稼ぐ。
そんな訳で炊き出しもオーソドックスなボランティアなのであった。何箇所かに特設テントがあって、飢えた都民達に料理を配給している。
どこに行こうか、と見回していると。
薄汚れたホームレスや食いっぱぐれた荒くれ冒険者、野良犬のような獣人や痩せ細った娼婦などの群れの中に。
見覚えのある虹色の頭をした目付きの悪いチンピラがいた。
「馴染んでる……」
思わず呟く。
小鳥が宿に来るまで、消し炭を食ったほうがマシってレベルであるアイスの料理しか無く、そして無職だったイカレさんがどう食事を繋いでいたのか、その答えがここに。
今日は小鳥が朝からパルに引っ張って連れて行かれたので昼食は用意してなかったのだ。そして飢えた熊の如くイカレさんは無料の食事を求めて這い出してきたのである。
「というか今はお金あるのですからこっちに来なくても……イカレさん貧乏性というかなんというか」
そう遠目に観察しながら、どうするか考える。
→a:こっそり様子を伺おう。
b:何がイカレさんだバカバカしい。終電なので帰ります。
飢えているイカレさんに迂闊に話しかけると噛み付かれる可能性も無視できないのでこっそり様子を伺う選択を小鳥は選んだ。
幸い彼女は今シスター服なので近くに寄ってもバレないだろう。彼は他人の認識を大雑把に行っている。
目深にフードを被り接近する。気分は忍者であった。いや、そもそも忍者なのだが。忍者シスター小鳥である。
ともかく。
配給待ちの人々はもはや顔見知り同士なのだろう、雑談が行われていた。
「おう召喚士のあんちゃん久しぶりだな。最近こねえから餓死したのかと思ってた」
「ぬかせ。いい加減ここのメシも食い飽きてただけだっつーの」
「ふーん。噂じゃサイモンも羽振りが良くなったって聞いたけど? どう? 一晩援助交際してみない?」
「ババァに援助する金ァねェよ。化粧くせェぞ」
「5年は前からコナかけてるのに断り方を変えちゃって。やだねえ貧乏な童貞は」
「っていうかサイモン何やってるの? カラーひよこの販売?」
「どォでもいいだろ」
などとあちこちの人に話しかけられているチンピラAが彼だ。
ボロボロの服を着た髭面のおじさんや朝まで仕事していたみたいな疲れた雰囲気の娼婦や地面に座り込んだストリートチルドレン風の猫系獣人などと普通に会話している。
(お友達多いんですねイカレさん……)
実に彼のグレードにあった階層の友人なので安心する。
こそこそと様子を伺っていると背後から肩を掴まれて、何事かと振り向く。
「自分、暇そうやねー」
振り返ると、そこに竜がいた。
いや、竜と言うか所謂リザードマンのような直立している人型の竜である。
太ももまでしか丈が無く、ノースリーブになっている特殊なシスター服を着ていて服から覗く太ももや二の腕には硬そうな黒い鱗が鎧のように肌を包んでいた。顔立ちは角の生えた口元の長い竜に近いのだが髪の毛が人間のように生えていて銀髪のポニーテールにしている。
見ようによっては精巧な竜のお面をつけているみたいに見える。声や髪型からして女性のようだったが。
その竜のギョロリとした金色の瞳に見られた小鳥は答える。
「いえ、わたしは通りすがりの販売員ですごく忙しいのです」
「ほお、何を売っとるんや?」
「最近はまな板とかよく売れますね。では、これで」
適当なことを言って立ち去ろうとしたが肩を掴んだ手は離れない。
竜の司祭はいい笑顔で言う。
「そういうことでちょっと手伝って行きー。今日、うち炊き出しの人手が足らんから」
「えーちょっと時給とか雇用保険とか」
「シスターならボランティアせやー」
ずるずると抵抗虚しく小鳥は労働に巻き込まれるのであった。
今後履歴書にボランティア活動をやっていたことを記載するために証明を貰わなくてはいけないと小鳥は思いつつ、空きっ腹と低体力を堪えてついていくことにした。
テントに入れられた小鳥は他のシスターが作った料理の配膳を手伝うことにした。彼女が料理に手を加えるのはマジでオススメ出来ない。食事を求めてきた彼らのためにも。究極の美味は時に毒だ。
出される料理はミートボール入りスパゲッティとビールだ。たっぷりと皿に山盛りにされたスパゲッティは食べごたえがあり、ビールも栄養豊富な暗黒小麦と濃厚なダークバターを使っているバタービールなので十分な栄養が含まれている食事である。
貰いに来た窮民らは足りなければ他の配膳テントにも寄る。
隣に立って皿とビールの載ったお盆を列に並んだ人に渡していく竜の司祭が言う。
「やー悪いなあキミぃ。実は今日来るはずやった同僚がダンジョンでゾンビ化して来れんよーになったんよ」
「まあ、ゾンビさんが食事系に関わるのはもろもろの問題がありますもの」
「せやな。フリマで買ったガスボンベ使って『汚物は消毒やー』ゆうてやってたら、ゾンビ化ガスだったみたいや。若い子やからようけショックで布団から出てこれんようになってな? 死神信仰に行かんか心配やわー」
のほほんとした口調で中々ショッキングな内容を話す。言語は世界規模で統一されているのだが微妙に謎の方言が入っている喋り方であった。
『ゾンビ化』は死んだりした後に身体に悪霊が自然と入るか他人に入れられるかして蘇った状態である。本人の精神値次第で悪霊の精神支配を振りきって生前と同じ記憶と感情のままゾンビになる。
大底血流や代謝に死んだ時の悪影響が残り、末端から身体が腐ったり傷が治らなかったりする。それでも防腐剤とか魔法技術とか使って帝都で生活している人も多いが、食事や信仰、生活に税金など様々な問題が起こる為に諦めて死神信仰の司祭に浄化して貰い死を選ぶ者も少なくない。次の輪廻が待っていることがこの世界の人には救いである。
「はいはーい並んでくださーい。転売禁止ですよー」
と声をかけながら食事を渡していく。
いつもダルそうな感じのイカレさんも順番通りに食事を受け取った。結構列の最後の方だったが、目の前に来てるのにこのレインボーは小鳥に気づかない。なにせ幼馴染のアイスですら眼鏡外してたら「……?」ってちょっと迷うぐらいである。
竜人が言う。
「サイやん久しぶりやねー元気しよった?」
「ん? そォいや久しぶりだなリザ」
「せやね。まあ積もる話は後でええわ。はい、お食べ」
「積もる話なんかねェよ」
と食事を受け取り彼はふらふらとその辺の誰もいない木陰に行った。
小鳥は気になってリザと呼ばれた竜人へ聞く。
「お知り合いですか?」
「うん、学校の小等部で同級生やってん。前までよく炊き出しに来てたんやけど、最近冒険者になったらしくてなあ。久しぶりに顔見たわ」
「へえ……」
(チンピラにも小学生時代はあったんだ)
凄く当然な感想を思い浮かべた。イカレさんは生まれた時からイカレさんだとばかりに。どうせ碌な子供じゃなかったんだろうなと想像する小鳥は彼をとても信頼している。
幼馴染といえばアイスもだが、彼は小さい頃から異性の幼馴染との付き合いが続いているわけである。アサギに教えたらストレスのあまりちり紙とか食べそうだ。
(そういえばわたしの故郷の幼馴染こと友人は元気でしょうか。インパクト重視で最初に想い出すのは『戦慄のブルー三号機』という渾名を持つクレイジーサイコレズな幼馴染。病んで無ければいいなあ)
昔に農薬飲ませ男に共に攫われて小鳥が飲むことで助かった子だが、それ以来罪悪感と過保護を拗らせて厭に親密になってきた女子であった。一つ上の姉と双子の兄が居て三人でそれぞれ青い運命的な渾名になっている。
考えていると、配膳しまくって漂う料理の匂いに耐え切れずにお腹が鳴った。
リザがからからと笑う。
「なんや自分、お腹がペコちゃんかいなー」
「うう、だって配給の列に並んでいたのを労働へとチンからホイされたものですから」
「もー終わりじゃけ、自分の分もよそって食うとよー」
「そうします。お腹が減りすぎてもはやリザさんが何弁で喋ってるか曖昧になってきましたし」
異世界だというのに。旅神が言語を統一しているというのにそれは、無理やり方言を使っているとしか思えない。
物欲し気な目で配給を終えた小鳥は改めて列に並び、苦笑するリゼにたっぷりとスパゲティを貰った。
残ったものはシスターたちが片付けてしまうので基本的にお代わりは無しがルールだ。ビールはたくさんあるので、足りなかったら海賊映画を見ながらビールを飲むのがリザが所属する教団の主な活動である。
リザも盆に食事を用意して小鳥に目配せしたので、一緒にイカレさんが食べている木陰へ向かった。
そこでは卑しくもフォークを咥えているイカレさんがいる。
「サイやーん、サイやーん。久しぶりやのに冷たいなあ。うち寂しいわあ」
「んだよ別にどォでもいいだろ? ん? 隣のやつは?」
「……そや、まだ名前聞いとらんかったなあ。宗派も」
「はあ。わたしの名前はグレゴール・ザムザザー。ダゴン教団の神官です」
適当に名乗るが、二人は顔を顰めた。
「ダゴン教団ゆーと……」
「前の竜召喚士とミス・カトニックが面白半分で適当に立ち上げた挙句飽きて放置した邪教臭い新興宗教じゃねェか」
「あるんだ」
というか、別に顔を隠さずにフードを目深に被っているだけなのに。彼我の距離は1メートル程度であるのだが。命を預け助けあう大事な仲間のことに一切気づかないイカレさんである。せめて声で気づけば良いものを。
「そういえば二人は幼馴染なのですよね」
「あァん? んー……あれ? そォいえばいつからの付き合いだっけお前」
「忘れとんのかーい」
びしり、と平手を見せるように突っ込むリザ。
一瞬、間。
そして彼女は突っ込んだ手を額に当てながら言う。
「あかん、ダメやわあ。うち、ツッコミ苦手なんや」
「左様ですか」
「サイやんがうちにツッコミ入れてくれんと……そう、出会いもサイやんのツッコミから始まったんや……」
「ほほう」
小鳥は上手く話に乗せられたような気になりつつ、促した。
リザさんは遠くを見ながら言う。
「そう、あれは十年ぐらい前やったかなあ。うち、帝都の小学校へ転校してきたんや。
しかしなあ、転校初日からうっかり寝坊して朝に食パンを咥えて『遅刻遅刻~』と走っとった」
「ベタベタやないかーい」
思わずツッコミを入れる小鳥。
リザは満足そうに頷く。
「そうその呼吸や自分。見所あるなあ。コンビくまへん?」
「話を続けて下さい」
「そか。まあその日のうちも、あわよくば曲がり角で運命の相手と激突するか、ザムザザーみたいにツッコミ入れてくれて将来のお笑いコンビを探しよったんや」
「……?」
「どうしたんや? ザムザザー。略してザムやん」
「あ、わたしか」
陽電子リフレクターを装備した蟹が何故登場するのかと思えば、自分で名乗った偽名を忘れていた小鳥である。
話を戻す。
「するとベストに視界の悪い曲がり角……時はいまや思うて加速してダイブしたらそこにサイやんがおってなあ」
「おお、運命の出会い」
「思っきり跳ね飛ばしてもうたわ」
「……」
「その後『ンなァァァにしやがりますかクソボケカスがァ!』と怒鳴られてサイやんの握ったレンガが砕けるまで頭シバかれてもうた」
「キレる10代ですね……」
イカレさんが思い出したように頷いて言った。
「あァそんな事あったな。気絶したそいつから財布パクって学校サボりパチ屋に行ったんだったか」
最悪な小学生である。
そもそも曲がり角でドーンした女の子をレンガで執拗に殴りつけるあたり、その時点でベタな恋愛ストーリーから一転少年院行きな展開になりかねない。頑丈で良かった、竜人族。
(でもそんなチンピラみたいなイカレさんこそ好ましいですよ)
やはり人間失格なチンピラはこれぐらいじゃないと、と小鳥がしみじみとしているリザが続けた。
「ショッキングな出会いから仲良ぉなったうちらはようつるんでヤンチャしとったじゃわれぇ」
「その語尾絶対方言じゃないですよね」
「駄竜の言葉にいちいちツッコミいれねェでいいぞ。どォせそれキャラ付けでやってるんだからよォ。売れねェ芸人志望だっけェ?」
「売れん芸人目指しとるわけじゃなかよー、まあ芸人じゃ食っていけんから食いっぱぐれないシスターと二足のわらじばってん……」
小さな溜息をついて、犬のように長く突き出た竜の口でばくばくとミートボールを齧る。開いて見える口の中は爽やかに漂白された白い牙が並び鋏で斬るように鋭くを噛み千切っている。
竜人の顎の力と牙の鋭さは亜人種の中でもトップである。骨付き肉でも人参スティックのように食べれる。まあ、やわらかなミートボールスパと黒ビールなのだが。彼女の所属する教団の基本的な食セットであるらしい。
しかしそのゴツゴツとして尖った口の構造から、ジョッキに入れられたビールの類は飲みにくいのではないのだろうか。口の端から零れそうだ。
小鳥がそう疑問に思っていた為にリザをじっと眺めていた。
彼女はジョッキを手に取ると、
「うーん此の為に働いとーなー」
ぱかっと軽い音がすると、なんか竜の顔を仮面のように外した。
ちゃんと先ほどまで金色の瞼がない目が光っていて口には牙が並び舌があり唾液も分泌されていたのに、もう普通に顔を外し──その下から角が生えてたりするものの普通の銀髪の人間女性の顔が現れてジョッキでぐいとビールを飲んだ。
(え、えー。外れるんだそれ?)
唖然と小鳥が見ていると、再び竜面をつけたリザがこちらの視線に気づいたように、聞く。
「どしたー?」
「いえ……リザさんって時々ガッカリとか言われません?」
「ひどい」
イカレさんは見飽きたような目をしながら、
「持ちネタが『よく外れる頭殻』ってのもなァ……同族からは『中身超きめェ!』ってウケなんだからいい加減やめとけよ」
「うう、そもそもこれも昔サイやんにぶん殴られすぎてガッタガタになって、ようけ外れるようなったのに」
「つゥかその変な喋り方はなんだ?」
「ゾンビ化した友達がこんなんでなーうちも真似してん。キャラ薄い言われちょーから」
外した頭殻を撫でるようにしながら呻く。
気にしなければ精巧な竜の面なのだが、付けたまま食事を摂ることもでき、外した後とは違う竜眼もついている不思議生体パーツである。大抵の竜人は外さないのだが、持ちネタに使った結果ガッカリ竜人と呼ばれるようになったリザであった。
残ったスパゲティを掻きこむように平らげつつイカレさんは言う。
「あー美味かった。おいおかわりねェのおかわり」
「いつもゆーけど一人一杯までやで。てかサイやんお金あるんやから普通に店で食ぃ。もしくはアイスやんのラブ☆手料理」
「最近俺、食生活が改善されて気づいたんだがアイスのメシって食わされるぐらいなら殺人を決意するぐれェ人生にとって損失だよな……」
つゥか思うに、と彼を思案顔で、
「アイスのアレとキチ女の得体の知れん不気味な美味さの料理とアサギの妙に悪意を込めたメシとクソ面倒な自炊……あァ、久しぶりに食うとリザのメシが一番マシだなァおい」
「ふぇ? え、えー、あはは、照れるわあ……」
イカレさんの凄まじく珍しい褒め言葉に褒められた当人はともかく、隣で聞いていた小鳥は、
(軍事目的の仕方がない犠牲だと……じゃあこれもだ……これもだ……)
と、心の中でので唱えて浮かぶ寒気を圧えるのであった。
(ダメでしょうイカレさん。女性の作った料理を褒めるなんて普通の真似したら。リア充や女たらしじゃないんですから)
リザが嬉しそうに尻尾ピコピコさせている。
顔逸らしてビールジョッキにくっつけて冷やしている。
ラブなコメを見せられた苛立ちと失望が小鳥に浮かぶ。もっとこう、どこそこのビルの裏口に捨ててある生ごみが旨いとか、飢えのあまりに虫の蛹を食べてたら意外とイケたとか、生活保護費と売血で得た金でクスリ買ったとかそういう本人に合った意見を言って欲しいものである。
いつだって小鳥はそんなイカレさんを期待している。
リザが照れながら自分の分のスパゲティを皿ごと彼に近づけて言った。
「おかわりはにぃけれどなあ、うちの分上げるわ。ほらあーん」
「ん? ああ──」
同時に。
マジカルフラッシュが二人を二回連続で照らした。
小鳥の背後には強張った顔でカメラを握る──パルが舞い戻ってきている。
じー、と印刷され出てきたのは竜人系シスターに「あーん」されているイカレさんの写真。
リザは驚いたように体を硬直。イカレさんは無視しながら、彼女の持っている皿を奪い取り食事を再開してから睨むようにこっちを見た。優先度の問題なのだろう。
小鳥は以心伝心で撮影された写真をパルから受け取ると、道具袋から取り出した『レターボックス・チンクエチェント』に放り込んでアサギとアイスの住所氏名をそれぞれ書き転送。
送られた先でアイスがショックのあまり写真を食べて記憶から無かったことにしたり、アサギが怒りに震え写真を必殺技で粉微塵にしたりする光景が見える。
胡乱気な眼差しのイカレさんが問う。
「エロ兎と……あれ? 手前……」
片手を伸ばして、小鳥のフードに手をかけて外した。
そして顔を確認。いつもご飯を作ってくれる大事な仲間だとようやく気づいたようだ。神妙そうに頷く。
「あ~……そォいや手前ってザムザザーって名前だっけか?」
「わたしへの興味の薄さがありありと見えますねえ。もっと酒飲ましてやろうかしらん」
「飲酒サイモンさんは相手をするコトリさんも酷く傷つくだけウサよ」
まあそうなのだが。
フレンドリーなイカレさんなど……イカレさんはもっとド畜生な外道でDVしてきそうな性格じゃなければ彼女は満足しない。
「なんや自分ら知り合いだったんかー」
「ええ。イカレさんと一緒に冒険者やってます。ちなみに先月の稼ぎは……」
ゴニョゴニョと耳打ちして伝える。
その金額に普段売れない芸人のリザさんは驚いて持っていたフォークを落とした。
やおら彼女は立ち上がり尖った指先をイカレさんに突きつける。
「サイやんわっせ稼いどるやーん! なんで未だに体から貧乏オーラだして貧乏配給食いに来とんねや!?」
「っせェなァ。あんま店でメシ食うの好きじゃねェんだよ」
「うー……でもなあ、ここのご飯は基本的に貧乏人向けでサイやんぐらい稼いどる人はあんまなあ……個人的には来てくれんは嬉しいんやけど」
「へいへい。じゃあ寄付でもしていきゃいいんだろ。ほらよ、お前んところの神様に渡しとけ。ネコババすんなよ」
そう言って彼はポケットを漁りくしゃくしゃになった紙幣を乱雑に渡した。
(……?)
と、理解できぬ行動に動きを止めたのは小鳥だけではなかった。
「え? イカレさんがその……寄付を?」
「ンだよ」
「どちらかと言うと難民のための募金箱を持っている人に襲いかかって一日の上がりを奪っていくようなイメージのイカレさんが、自らお金を!?」
しかもその汚い紙幣はよく見れば帝都銀行券の最上位、貧しい人ならば一月分の食費になる高級金券である。
受け取ったリザもそれを確認し、「ひぃ」と声を出して疫病患者に使った包帯の如く体から離した。
「うわああああ!? ザ、ザムやん近寄るなや! 危険やでこのお金には呪いが篭っとる多分!」
「ひぃぃぃ不吉なことの前触れウサ!?」
「いえ多分通り魔的強盗殺人をした死ぬほど後ろ指さされ汚らしい銭に違いありません。マネーをロンダリングをするつもりです」
「……手前ェら」
イカレさんが頬を引きつらせ、眼つきを凶悪に尖らせているが今はそんな事重要では無い。
小鳥が珍しく慌てたように司祭の二人にすがる。
「司祭なら浄化してくださいよ」
「ぼ、ボクの歌神はちょっと管轄外ウサ!」
「うちの神サンもなあ、伝話料金を下げるようにするのが活動やから……」
おろおろとしていると他所から全身銀色の防護服を着た司祭が、ガリガリと音をたてている測定器を持ちながら駆けつけてきた。
「こっちが異常カルマ発生現場か! うわっ不味い世界が滅びかねない危険フラグ発生度数だぞ!」
「隕石堕ちてこないウサ!?」
「地割れが発生するかもしれません」
「よォしそこに直れボケどもが。ぶっ殺すから」
爽やかな笑みに青筋を立てて今にも魔鳥を召喚せんと腕を掲げているのを、「世界が危ないんやで!」と慌ててリザが羽交い締めにする。
そして駆けつけてきた防護服の旅神司祭が5人で囲んで祈りを捧げた。
「緊急浄化いくぞ! 凌駕祈祷(オーバープレイ)……奇跡『フラグルロック』」
彼らがその呪文を唱えると、紙幣からぼんやりとした光の粒子が蛍のように生み出された。
やがてそれは数を増し、昼間だというのに直視できないほどに輝きを増す。
幾何学的に乱舞する光が収まると……紙幣と一本の小さな旗が地面に残っていた。
対終末スーツを着ていた司祭達は胸を撫で下ろして成功を喜ぶ。
「これで無軌道に暴れてた世界崩壊の因果は去った……」
「イカレさん……気をつけて下さいよ?」
「知るかァァァ!」
「その旗は?」
と黄色い旗を指さして尋ねると、
「これは旅神の奇跡で作られた運命力を固定した旗、『イベントフラッグ』だ。本来は人が持つ、ある程度無意識に消費、回復したりする運命力を汲み上げて作るのだが、紙幣からだというのに中々強力な運命力を持つ旗が出来上がったようだ」
「元がアレウサからねえ」
「とりあえず危なそうだからこれは君らにあげよう。ちゃんと使って消費するように」
「いらねェ!」
イカレさんが拒否するので、小鳥が受け取った旗をしげしげと眺める。
持ってるとレアアイテムドロップ率増加とかバックアタック率低下とか……或いは本人にとって何かしら重要なイベントが起こりやすくなるという、ラッキーアイテムの一つである。恋愛フラグが立てばピンク色に、死亡フラグが立てば黒く染まり折るとその場で運命の流れを変えることもできる。旗自体が持つ能力を使いきれば自然消滅の消耗品だ。
貴重とまでは言わないが、中々に便利なものでダンジョンに行く前には旅神の教会で作ってもらう冒険者も多い。質は本人の運命力に依存するのでピンキリあるのだったが。
(イカレさんの奇行もいい結果を出すものですね)
何やら言い争いをしているイカレさんとリザを見ながらさてどうしたものかと思っていると、冷たい一陣の風が吹いた。
超ダッシュで何者かが二人に接近したようだ。
「サイモンくん! リザくん! 何をしているのかと私は問いつつも職場から超全速ダッシュで駈けつけつつ混ぜて欲しいなと指をくわえるアイス・シュアルツっぜーはーっ……はーっ……登っ場……ぜー……」
「うわアイスさんが息切れしてるの初めて見た」
「っていうかここから魔法学校まで数区画離れてるウサよね? 早馬でもまだ時間かかるウサよね?」
膝に手をついて大きく息を整えているアイス。
リザは珍しい顔を見たとばかりに嬉しそうに言う。
「アイスやーん。なんやこれで3人お笑いコンビ結成でもするかいな」
「しねェが」
「グループ名は『鳥竜先生』あたりで」
「試し切りに使われそうなモンスターっぽい名前ですね……」
続けて。
「今日はこんなにも昏い月夜だ──さあ、殺し合おうか──鳥召喚士」
「昼間だが」
「とりあえず嫉妬してきたアサギくんが街灯に立ちながら格好いいポーズを」
「ココから宿も離れてるウサよね……? どうやってこの短時間で来てるウサ?」
謎の出現をした二人にパルが首を捻り考える。
しかしこれで図らずも、
「パーティが揃ったわけですから……」
小鳥は旗を軽く振りながら皆に呼びかけた。
いつものように。これまでのように。そしてこれからのように。
世界を回すために。目的を果たすために。何かを進め何かを終わらせ何かを始めるために。
お気楽な希望を目指して。
「それでは今日も行きましょうか、ダンジョンに」
(わたしたちの冒険は始まったばかりだ……)
「ご愛読ありがとうございました」
「あ、御免──転移しながらこっち来たから想像を絶するような頭痛が──ダンジョンはまた今度にしよう」
「私も仕事をつい投げ出して来たのだった……ただでさえ減俸食らってるのに。職場に戻らねば」
「僕ちょっとこれから写真の焼き増しに行くウサ」
「だりィ」
「……冒険、始まらずですか」
大体いつもこんな感じである。なお普通に続く。