部屋がある。
中から周囲を見回せばおおよそ正方形の部屋だと判断できた。扉が一つ、反対の壁にはベッド。左右には机と1段のみの本棚。あと不自然に端がめくれているポスターが張られていた。そして観葉植物のプランターが一つ、部屋の隅に置かれている。
扉には鍵がかかっていて頑丈だという。イカレさんが攻撃を行ったがビクともしなかったらしい。彼の全力がどれほどかは知らないが、女子高生のタックル以上核兵器以下と推定される。
天井にはスパイが腹ばいになって移動しそうな通気口。実際に通気口が一番ありがたかった。もしここが完全に密閉されていたらそう長くは内部の空気が持たなかっただろう。
どちらにせよ鍵が無ければドアは開かない。ドアを開けなければ外に出られない。当たり前だが、現実はその通りで閉じ込められた二人に立ちふさがる。
しかし、
「典型的ですね」
小鳥がなんとも無さそうに云うので、イカレさんが藪睨みに返す。
「なにがだァ?」
「なんというか五分で解ける脱出ゲームを彷彿とさせます。むしろこんなところに三日も閉じ込められたイカレさんに哀れさを感じます。アワレさんって読んでいいか聞こうかと思ったけどやっぱり止めときますね。痛い」
「……いちいちうぜェなあおい。じゃあ脱出してみろよ早く。五分でミスったら蹴るからな」
「今蹴ったじゃないですか」
「別カウントだ」
疑わしさと苛立たしさを半々に混ぜて、敵意という感情を化合させながら彼は小鳥に言った。
「もうなんか部屋の構造が典型的すぎて呆れます。そもそもイカレさん、ちゃんとこの部屋を探索したんですか?」
「あン? そりゃあ机の引き出しとかは漁ってみたが。鍵がかかってたり意味のわからねェ数字とか書かれてたり本棚から抜き出した本みてェなのが入ってたりしただけだ」
「ベッドのマットを漁ったり、観葉植物の影を探したり、ポスターを裏返したりは?」
「なんでそんな事するんだよ」
「これですもの」
小鳥は大仰に肩をすくめる。
「わたしの予想ではベッドの下には細長い棒が入っててそれを持って机の裏を調べれば棒を使って小さな鍵が取れます。
その鍵を使って机の引き出しを開けるとマジックが出てくるのでポスターに塗りつけると隠れていた暗号がでるのでメモします。
本棚には二箇所本が抜けていますが一つは引き出しから、もう一つは観葉植物の影から本を回収して正しく並べ直すとカチッと音がして本棚が動かせるようになりました。
その裏には金庫が壁に嵌めこまれているので枕の裏と机とポスターに書かれた数字を何通りかの法則で入れれば開きます。そこにはスイッチがあって押すと部屋の電気が消えまして。
すると扉以外にも光の漏れている場所があるのでそっちの壁を調べると隣の似たような構造の部屋にいけるので今度はそっちで──」
この後3分ほど説明が続くが、中略。
「──すると最初の部屋の扉の鍵が手に入るというわけです」
「……いやなんでそんな事がわかるんだよ」
「脱出ゲームのパターンです。ですが」
説明を終えた小鳥は鍵のかかった扉の前に立つ。おおよそそんな感じで脱出は出来るのだろうが、面倒だった。面倒は御免だ。何故ならば面倒だからである。
風呂上りに髪を止めてたヘアピンを抜き取り、鍵穴に突っ込んだ。
「ピッキングで済ませましょう」
「……」
フィクションなどでよく見られるが実際にはヘアピンなどで簡単に鍵というものは外れる構造にはなっていな──
「あ、できた。簡単でしたね」
約10秒で外れた。イカレさんは唖然としている。
「おや? どうしましたイカレさん。新世界の扉は開きましたよ。君の玄関こそがどこにでも繋がるドアだってことをかの先生は教えてくれました。なっけおんへぶんずどぉあー」
「なんか色々すげェ納得いかねェ」
「納得は大事ですよ? 運命に納得さえすれば命をかけて救った相手が後日風邪で死んでも穏やかな気持で迎えられること安請け合い。あれ? 安請け合いであってたっけ?」
のろのろしているイカレさんの手を引いて開いた扉の向こうへと小鳥は連れ出した。無機質な部屋に閉じこもって満足してはいけない。いざ飛び立て世界へと。まあそんな勢いで。
ミッションクリアのファンファーレが彼女の脳内では響いているのだろうか。イカレさんは、この少女の頭には脳味噌の代わりにオガ屑が詰まっていると早速認識しながら、仕方なく外に出て行く。
*********
部屋の外は薄暗い空間が広がっていた。
ところどころ剥げた石畳とむき出しになった岩壁の洞窟である。広さは二車線のトンネルぐらいだろうか、あちこち出っ張りや横穴があり均一ではないようだ。完全に真っ暗というわけではなく、ところどころ文字のような光明があった。
外に出ると先ほどまで居た部屋の扉が音もなく閉まり、扉は壁と見分けがつかないように隠れてしまった。そして確認するように触れるが継ぎ目も無く、部屋の外から開けられる構造になっていないようである。
(おや……?)
なんか元の世界へ戻る道が閉ざされたような感覚を覚えつつも小鳥は嫌な疑念を振り払った。大事なのは過去に振り返ることではなく、ゆっくりとでもいいから前に進むことである。
前に進む意思を止めなければいずれ真実へ辿りつけると言っていたのはどこの警察だっただろうか。鳥取県警でないことは確かなのだが。
「ははあ……予想より広いけれどこれがダンジョンの中ですか」
暗いけれど薄ぼんやりと髪の毛が虹色に光っているイカレさんに語りかける。さながら深海魚のように光っていた。なんでも髪の毛と目に魔力が宿っているため虹色に発光している召喚士の自動特性なのだという。
目と頭を保護することにより幻覚や洗脳、恐慌や操りなどの外界からの干渉をほぼ完全にシャットアウトするという便利能力であるようだ。それよりも、夏場の夜道を歩いていたら蛾とか寄ってきそうなのが、小鳥は気になった。
「どのあたりかは知らねェがな。まあいい。灯を付けるぞ──召喚『夜光鳥』」
イカレさんが言う。彼が掲げた右手から、薄く虹色の魔方陣が空間に平面投影されて、そこから鳥が数羽、空間から染み出るように現れた。
嘴の先を白く発光させた小さな鳥である。意外と光量は高いようで、随分視界が広がった。
「おお、それが噂の召喚術ですか」
「そォだよ。自分と周囲の魔力を使って召喚物の魔力複製を生成──どォでもいいか。俺ァ鳥召喚士だから暗く狭いダンジョンじゃ十全にゃ使えんが。こいつらは灯がわりに丁度いい」
そう言って彼は無造作に足を進めた。
空間を数羽の鳥が飛び回り周囲を照らしている。風はなくどちらに向かえば出口か入り口か、或いはどん底なのかはわからないが。
(室内履きのスリッパを履いててよかった)
と小鳥は思いつつ付いて行く。裸足はつらいのだ。破傷風とか。異世界に破傷風菌が居るかは不明だが。
ダルそうに進むイカレさんとパジャマで付いていく小鳥はとてもダンジョン攻略する冒険者には見えない。
「イカレさん、イカレさん。どっちになんの目的があって進んでるか聞いていいですか?」
「さァ? 道ワカンネ。だけどどっちかに進まにゃならんし。適当な冒険者にあったら道聞きゃいいだろ。一日何十人も潜るんだしよォ」
「はあ……広いダンジョンなんですね」
「俺もダンジョンなんぞあんま来ないっつーか初めてだからよく知らねェが。時々地形とか変わるらしいし、俺みたく転移系の罠で吹っ飛ばされたりするし」
「初めてとは。ところでお仲間とかはいないのですか?」
普通パーティを組んで攻略したりするんじゃないですか? と小鳥は続けて口に出す。
登山だろうがなんだろうが、人数はそれなりに居たほうが便利ではあるはずだ。持ち込める道具は多くなるし、誰かが倒れたら運べる。
鳥取県でも大山(だいせん)を攻略するときはひとりだと危険極まりないと彼女は知っている。年間死者数は3桁、行方不明者数もそれぐらい発生する鳥取の三大危険スポットなのである。
イカレさんはどうでも良さそうに答える。
「いらねェだろ、別に。召喚士なんだし」
「そういうもんですか。食料とかは?」
「罠にかかったときに落とした」
「……」
すっごい適当なチャレンジブル精神に小鳥は唾を飲み込む。
(あれ? チャレンジブルであってたかな?)
ともあれ足音を立てながら歩くイカレさんの後ろをぺたぺたとスリッパの音を鳴らしてぺとぺとさんめいて歩いた。
小鳥もパジャマだがイカレさんもすっぽりとした簡素なローブ姿でこう、防具っぽくはない格好であった。トゲ付き肩パッドとか、脂肪の鎧とか装備していないと小鳥は不安である。
「大丈夫なのかなこの人。付いていくしかないんだけどさ。伝承者とかにあったら見た目チンピラですので容赦無く殺されそう。羅将の居城を聞かれた挙句の末路として。せめてわたしだけでも居場所を教えて救いを乞わねば。ないあるないあるよ」
「声に出てるし無いのか有るのかどっちなんだボケが──お」
「どうされましたイカレ王子」
「喧嘩売ってんのか手前──そォじゃなくて魔物だ魔物。前の方に居るぞ」
彼が指を指す方向を向いたが、夜光鳥の灯のさらに奥は闇に包まれていて見えない。
イカレさんは爛々と瞳を輝かせてた。比喩ではなくルクス的な意味で。
「見えませんが」
「召喚士は目がいィんだ。とにかく、奥のほうに──ありゃグラディエイトオーガだな」
「中盤ぐらいで出てきてHPと攻撃力が高いのでデバフや状態異常を効率的に使うのが良さそうですね」
「知るか。あァ3匹居るな」
「今夜は満月かもしれないのでトークはやめてエスケープしますか。戦略的撤退して釣り野伏。ちゃんと伏兵は居ますか?」
「なにいってんだ手前。あ、こっち来た」
そう言われて目を凝らすと、夜光鳥がやや先行して照らした暗がりの影から大きな人影が小鳥にも見えた。
ホッキョクグマの毛を剥いだらあんなふうになるのではないかといった風味の黒褐色をした巨人だ。全身をがっちりとした筋肉で覆われていて、手には錆びた斧とか一抱えもありそうな岩とか持っている。
オーガ。俗にいう鬼。人食いな場合が多い。力無きものには比類ない怪物として、そしてだいたいは騎士か英雄の噛ませになる。
しかしながら小鳥が対面して感じるには絶対攻撃力高いっていうか下手な村なら一匹で壊滅させそうな風貌であった。なにせ、鳥取にはオーガは居ないのだ。迫力がある。
こりゃあヤバイなあと感心して、迫り来る驚異に身を委ねつつ──と彼女は思っていたらイカレさんがまた片手を上げて言葉を紡ぐ。
「とっとと片付けっかァ……召喚『サンダーバード』」
召喚陣。
そこから現れたのは、紫電を纏った鳥であった。大鷲程もある体長に長く伸びた尾羽。青色の羽毛からは電流火花を飛び散らせている。
尖った猛禽の眼差しを前方に向けて、甲高い文字化不可能の鳴き声を上げている。
それが同時に召喚陣から3羽出現した。敵のオーガと同じ数だ。
「行け」
イカレさんの号令と共にサンダーバードは正しく雷の速さで飛行。
軌跡に青いプラズマを残しながら一直線にオーガへと突進する。目では追えず軌跡に残る大気の蒸発痕のみを小鳥は認識した。
ばん、と紙袋を割ったような音。
視界の先では、それぞれのオーガの固い胸にサンダーバードの嘴が突き刺さっていた。
続けて放電。暗闇を照らす強烈な雷光が発生してオーガの群れを焦がしつくす。
数秒間の放電と共にサンダーバードは空気に解けるように消失していった。
「はっ。他愛ねェ」
「まあイカレさんが強いんじゃなくてイカレさんが召喚した鳥が強かったんですが」
「どォでもいいぜ」
何事もなかったかのように歩みを再開するイカレさん。この世界の人の平均的戦闘力とかは知らないけれど、イカレさんは意外と強そうであると小鳥は認識した。ただのパンクヤンキーでは無い。
ワンモーションで大型の魔物を一撃で仕留める鳥を召喚使役できるとなると、それなりの物だろう。一般人では対物ライフルでも持ってないとあんな敵と戦えない。一般人が対物ライフルなんて使えないだろうが。
オーガの死骸も土に帰るよう消えていき、そこには爪の先ほどの淡く光る石が残されている。
「おい手前。それ拾っとけよ。換金出来んだから」
「はい。ああ、これが魔物の核になっている魔紘とやらですか」
「そォだ。基本的にこのダンジョンにいる魔物は魔法生物であって魔物本体じゃねェ。その魔紘に含まれる魔力から影を実体化させて生まれた存在。つまりは焼き殺しても食えねェのが面倒だぜ」
思い出したかのように腹に手を当てるイカレさん。三日ぶりにラーメン一個食べたぐらいでは、当然というべきか足りてなさそうではある。
「はァ……他の冒険者とあったらメシ分けてくれねェかな。出来ればタダで」
「情は人の舐め足らず、ですよ。舐められたら終わりな人情紙風船。地獄のサーターアンダギー」
「激しく意味がわからねェ」
「そもそもろくな準備もせずにイカレさん、どうしてダンジョンに来たんです?」
彼は胡乱な虹色の眼差しを前に向けたまま、うんざりと息を吐くように答える。
「冒険者で召喚士やってる知り合いがよォ、昔俺が飼ってた鳥がダンジョンの奥に居たっつーから探しに来たんだ。長ェこと行方不明だったんだが」
「それは律儀な。近年ペットを無慈悲に捨てる飼い主に見習わせたいですね。わたしの地元でも蠍とかキングコブラとかが飼い主に捨てられて繁殖しまくりです。それはそうと。召喚士の知り合いの方なら手伝ってもらえばよかったのでは?」
「そいつ蟲召喚士だから鳥と折り合い悪ィし。口五月蝿ェし」
実は単にイカレさんが嫌われているだけだったりするのでは、と思ったが小鳥は口に出さなかった。蹴られるからだ。描写していないが既にやくざ蹴りを二三度食らっている。
イカレさんを前にしながら彼のローブの端を握って小鳥は道なりについていく。転移系の罠とかいうのにどちらかが吹っ飛ばされて離れ離れにならないようにという小鳥の算段であった。はぐれた場合、確実に魔物に殺される。
そういえば、と彼に尋ねた。尋ねてばっかりだけれど、異世界のことは無知なので仕方無い。如何なる状況でも序盤は質問が多いものだと小鳥は悟っている。
「蟲召喚士とか鳥召喚士とか、召喚できるのが決まってるってことですか?」
「ん? まァな。かつての魔王はどォだったか知らねェが、普通の召喚士はそれぞれ属性が分かれてる。他にも竜召喚士や牛召喚士、樹召喚士とか」
「ははあ。格差がありそうですねえ」
「一番ションベンみてェな奴は本しか出せねェからな。週刊誌を買いに行かなくていいのは便利だが」
「戦わないならその程度で充分ですよ」
しかしこんな狭いダンジョンで竜召喚など使ったら危険だろうとは思う。炎が撒き散らされて周囲に仲間がいれば巻き込まれかねない。
召喚士があまり他人とつるまないのもそういう理由があった。彼らにとって仲間というのは基本的に魔力複製召喚物を指す。
「しかし基本的にがらんとした場所ですね、ダンジョン。宝箱とかピッツァとか落ちてないんですか」
「古代の財宝拾って一財産手に入れた冒険者の噂を聞いたこともあるけどよォ。っていうかなんでピザが落ちてるんだ」
「気分ですよ気分。おにぎりとかパンでも構いませんが──」
小鳥はぼとりと自分の肩に何かが落ちてきたので言葉尻を切った。
イカレさんの髪の毛の明かりでそれは判明。真っ赤な目が8個に毛の生えた8つの足。飛び出た歪な牙をした人の頭ほどの生物。
「状況・カニ」
「そりゃ蜘蛛だろォが!!」
問答無用で引き剥がしてイカレさんに投げつけた。大きい。アシダカグモに比べ3倍以上のエネルギーゲインがありそうであった。蜘蛛というよりもフェイスハガーである。卵を植え付けられていないか、祈る他はない。
むしろ彼女としては、
(鳥取の危険生物ランキング上位の松葉ガニかと思って焦ったのですが……)
と、少し落ち着いた。独自調査によれば蟹被害による年間の死傷者は鳥取だけで数十人に及ぶという。北海道も合わせると数倍に膨れ上がるが政府はそれをひた隠しにしている。
イカレさんは上体をそらして投げつけられた蜘蛛を避ける。そして無造作に大きな鳥を召喚して蜘蛛を襲わせる。
少なくとも人の腕よりも大きいくちばしを持った鳥が蜘蛛を咥えて丸呑みにした。
「ふう、驚きのあまり脳波が停止するかと思いました」
「こっちに投げんな! つーか蜘蛛ぐらい自分で対処しろ手前!」
「イカレさんは女学生に何を期待しているのですか? あんな蜘蛛に噛まれたら全身タイツで糸が手首とかから出る人間になりま……格好いい」
「なれよ! いっそ! 役に立たねェなあおい!」
「そんなことをいわれましても。あ、地上まで連れていって貰えれば、美味しい手料理とかでわたしの価値も登竜門。あれ? 登竜門であってました?」
「知るかッ!」
怒鳴ってずんずんと前進を再開するイカレさん。栄養不足だからか怒りっぽくなっているのかと判断して、
(カルシウム料理を振舞わなくてはいけませんね。でもこっちで材料の炭酸カルシウムって手に入るかな)
小鳥は計画するのであった。
その後もダンジョンの道は続き途中途中では魔物が出てきて尽く、近寄る前にイカレさんの召喚術で葬られた。先ほど天井から蜘蛛が落ちてきたのも気にしているのか、灯り替わりの鳥も一匹天井付近を照らすようになって警戒している。
オークやゴブリンの肌を万能包丁のように切り裂く鳥『剣先燕』、リビングアーマーの装甲に穴を開けまくる『鉄朱雀』、ゴーレムの体をバリバリと噛み砕く『ロック鳥』など、イカレさんの召喚鳥はそこらの魔物に負けない強さである。
一羽対一匹ならともかくイカレさん同時に何羽も召喚したり消えたら再召喚し遠距離から一方的に仕留めていった。
「さすが魔王候補」
「縁起でもねェこと云うな。魔王ってのはクソアバズレの代名詞だ」
「女性だったのですか?」
「話によるとな。どうせ碌でもねえクソヒスだったんだろ知らんけど。二三回は世界を滅ぼしかけてたらしィし」
雑談しながらしばらく進んでいると、前方に火の灯りが見えてきた。
松明かもしれない。あるいは松明とはした金だけ王様に渡された勇者か。もしくは松明で魔界村を焼き払おうとする騎士か。
「Mr.イカレ。あれは」
「ファイアエレメント。生きてる火こと魔法生命体だ。魔物」
「左様でございますか。あ、即死魔法とか使ってきませんよね、あれ。ここは地の果て流されてロンダルキア。大変枠が赤く」
「……先制攻撃仕掛けるぞ。『火喰い雀』」
小鳥の懸念を無視しつつぶっきらぼうに告げた彼の言葉に従い髪の毛が発光を強め空間に投影された厚さナノミリの召喚陣から魔力を介し、召喚士と契約した召喚鳥が姿を表した。魔力によって体を構成させた仮初の姿。それは紅色の羽をした雀である。
十数羽の小型の鳥が召喚され、一直線にファイアエレメントへと飛翔する。そしてその周囲をホバリングするように飛び回った。
「あいつらは火の魔法力を食うんだ。魔の森の名物消えない山火事のあたりに生息してるやつでな」
「なるほど。わたしの世界のヒクイドリとは大違いです」
「ん? どんなんだ?」
「恐竜から進化しそこねたような顔つきをしてて蹴りがメインウェポンな怪鳥でして」
「強そォじゃん」
そんな雑談をしながら安全圏からファイアエレメントが啄まれてだんだん小さくなるのを見ていた。
果たして炎にカロリーはあるのか。物質の温度を上昇させるエネルギーなのでもしかしたらあるのかもしれないが。
「あ。一匹FEが逃げていきますよイカレさん」
「エフイー?」
ファイアエレメントの略である。鉄の元素記号でも野菜洗浄機を作ってる会社でもなく。
自分を啄む火喰い雀から逃れるように人魂が通路の奥へ、飛行していく。大雑把にしか動けないらしくちょこまかと火を啄む雀とは相性が大分悪いらしい。
追うか追わないかの二択だ。差し迫るわけではないが。特に追わない理由も思い浮かばず、ファイアエレメントの落とす魔鉱とか経験値とかが惜しいのでイカレさんは追うことにした。いや、経験値なんて眼に見えないけど。
炎光を追いかけ枝分かれした通路に入り込む。
「関係あるか無いかわかりませんが、風が向こうに通じてますね」
「出口でもあんのかァ?」
「これは……いえ、今はまだ軽率なことは言えませんね」
「だから何そのイラつくキャラ」
追い風に乗るというのは良いことばかりではない。先の通路に二人の匂いや声は流れていくし、相手の気配などはこちらには感じ難くなる。
待ち伏せをされている可能性を頭に留める。
外へと通じる方向に風が流れているとしてもそれがまっとうな道であるとも限らないし、他にも風が流れる理由は色々。
「なんか熱くありません?」
「そォか?」
「RPGで危険察知のスキルを持っていても、罠の先に宝箱があったりするから結局突っ込むことが多かったりなかったり」
言うとほぼ同時に、背後からがしゃんと音がした。
振り返ると今まで走ってきた道を塞ぐように、金属質の柵のようなものが降りている。
隙間は腕一本はいるかどうかであり、持ち上げようにも取っ手は見当たらないすべすべした金属柵。
退路は閉ざされたようである。無慈悲に。或いは当然に。もちろん、その両方であるが。
「ほら素人が突っ込むからこうなる」
「言えた義理かッ!」
「怒鳴っている場合ではありませんよイカレリオンさん。こういうパターンだとソッコー前の通路から奇襲が」
「はッ。ファイアエレメントなんぞ出てきても…………」
シニカルに笑って改めて振り向いた通路の先は赤々と輝いていた。
そこには魔法生命体、ファイアエレメントが──通路いっぱいの大きさに巨大化した固体が二人にゆっくりと迫ってきている。
分厚い炎の壁がこっちに近づいてきているといった方がいいだろうか。すり抜ける隙間もなく、通路全体を炎で飲み込もうとしていた。
肌を刺すようにジリジリとした熱気を感じm目を細めるほどに眩く、熱い。
「なるほど、あんなんがいるから空気が燃焼して風がこっちに吹いてたんですね」
「クソが」
「無敵の召喚術でなんとかしてくださいよ。応援しちゃいます」
「言われねえでも──出やがれ『デススターリング』!」
彼の術式展開と同時に複数のムクドリが炎の壁に向かって突っ込む。
羽根から衝撃波を出しつつ飛ぶ種類のこの鳥で炎を消し飛ばそうとしたのだ。
しかし、灼熱の壁に激突した瞬間にデススターリングは消滅して軽く炎を揺らすだけに留まった。熱が強すぎるのである。
舌打ちをしつつ顔を歪めてイカレさんは吐き捨てる。
「……ここが洞窟じゃなけりゃいくらでもやりようがあんだが……あんまり強力なやつ召喚するとこっちまで吹っ飛ぶし、あのデカさだと火喰い雀じゃ止められねえし……」
「はっ。今こそ現代知識を活かして炎の弱点を教えるべき。イカレさん、イカレさん。炎は真空に弱いですよ」
「どォしろってんだボケ!」
怒鳴られても特に気にしたところがないように、ぽわっとした顔のままである。
言っている間に炎の壁はジリジリと近寄ってくる。
(焼死って辛そうだなあ。人間が焼死すると虫みたいに手足が縮こまった死体になるんだっけ)
イカレさんは頭をボリボリ掻きながら、
「あークソ、糖分とか栄養が足らん所為でイマイチいい考えが浮かばん! いっそ自爆覚悟で消し飛ばすか! 手前はともかく俺は大丈夫だろ!」
「落ち着いてくださいレインボー。えーと火の性質として弱点は……『燃料』『酸素』『発火温度』の三つで構成されているはずです」
「で!?」
「つまり酸素を減らして温度を下げれば鎮火するのです。さあイカレさん、液体窒素をぶちまけてください。凍ったバナナでブーメランです」
「んなもんあるか──!」
いつだって人は不備を嘆く。準備とは後悔に枕を濡らさないための行為だというのに怠るからだ。
イカレさんは最高にイラついたような顔で召喚術を発動させようとした。まずい、せめて彼を盾にしなければと小鳥は後ろに下がる。
その時だった。
「なるほど、液体窒素をかければいいのだな? 試してみよう」
涼風のような透き通った声が背後から聞こえたのは。
振り返る間もなく、格子の隙間から──塞がれた背後から何か突き出されたようだ。
小鳥とイカレさんの体の横に出されたそれは杖のような──いや、パッと見金属バットのような棒だった。不可思議な文様の書かれていて、目の前に炎の壁が迫っているというのにドライアイスのような冷たさを感じる。
声が続けて聞こえた。小さく早口で聞き取れない文と、明確な単語をひとつ、言葉に力を込めて。
「氷系術式『スノーピアサー』」
その声と同時に通路の気温が変わった。凍りつくような風が吹き荒れて思わず眼を閉じる。
息苦しい。それは炎の壁が迫ってきた時よりも。背中につららを突っ込まれたようだ。
手で庇いながら薄目を開ける地面には霜が降りたように真っ白になり、冷気が立ち上っている。炎と面していた壁と地面ににわかに罅が入った。
水が流れるように凍りついた床が前方に流れる如く広がり、炎の壁に直接触れる前に──炎は次々に消失していく。その氷の空間から立ち上るのは燃焼に必要な酸素ではなく、それを阻害する窒素だ。
音もなく、氷の道だけを残して炎の壁は消えた。液体窒素をぶちまけたように。
念のためだが、炎の壁があっても酸欠にならないようにダンジョン内は空調が管理されており、気化した窒素で人が倒れることも無い。
「大気相転移の魔法なんて使わなくとも水の精製で充分ではあったかな」
「えーと」
感心したような言葉に小鳥は改めて振り向くと、通路をふさいだ格子越しに立っていたのは妙齢の女性であった。
紺色のスーツに身を包んでいるというのは、人事ではないがダンジョンに相応しいとは思えない格好だと感じる。ほっそりとした足や腰、そして自己主張の激しい胸。空色でショートカットの髪の毛をしてメガネをかけた理知的な女性がそこには居た。
あえて言うならば新人女教師かOLのように見えなくもない。手にはバットみたいなのを持ってるが。
のろのろとイカレさんも振り向いてなにか嫌そうな顔をする。
「げ……なんでこんなところにいやがるんだァ? お偉い魔法使いのアイスさんよォ」
「何を言っているのだサイモンくん。君が3日もダンジョンに篭って行方不明だというから探しに来たというのに」
「つーか仕事は? たしかえーと平日だろ今日」
「平日と休日の感覚すらなくなっている無職のサイモンくんは知らないだろうが、有給というものが存在するのだ、世間には」
朗らかに笑いながら腰に手を当てて胸を張る女性。余裕とか安心とか、そういうのが感じられる笑みである。
おそらくはイカレさんが心配で探しに来た友達だろう。友達がいなそうなんて思ってごめんね、と小鳥は心の中か夢の中で謝ることにした。まあ、そのうちいつか。
小鳥は思案顔で言う。
「なるほど」
「なに納得してるんだァ?」
「つまり新キャラですね」
間違ってはいないはずだがなんとも微妙な顔で二人は小鳥を見た。彼らからすれば小鳥が新キャラなのだが。
(わたしは悪くない。悪いのは世間とか、資本主義の限界とかだ)
つまりはこれが異世界からやってきた少女と後に世界を冰らせた魔女と言われた魔法使いの、長きに渡る因縁の出会いだったことをお互いはまだ知らない。嘘だ。世界は欺瞞に満ちている。革命を起こさなくては。