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No.29805の一覧
[0] ハウリング【現代ファンタジー・ソロモン72柱・悪魔・同居・人外異能バトル】[テツヲ](2013/08/08 16:54)
[1] 零の章【消えない想い】 0-1 邂逅の朝[テツヲ](2012/07/11 23:53)
[2] 0-2 男らしいはずの少年[テツヲ](2012/03/14 06:18)
[3] 0-3 風呂場の攻防[テツヲ](2012/03/12 22:24)
[4] 0-4 よき日が続きますように[テツヲ](2012/03/09 12:29)
[5] 0-5 友人[テツヲ](2012/03/09 02:11)
[6] 0-6 本日も晴天なり[テツヲ](2012/03/09 12:45)
[7] 0-7 忍び寄る影[テツヲ](2012/03/09 13:12)
[8] 0-8 急転[テツヲ](2012/03/09 13:41)
[9] 0-9 飲み込まれた心[テツヲ](2012/03/13 22:43)
[10] 0-10 神か、悪魔か[テツヲ](2012/03/13 22:42)
[11] 0-11 絶対零度(アブソリュートゼロ)[テツヲ](2012/06/28 22:46)
[12] 0-12 夜が明けて[テツヲ](2012/03/10 20:27)
[13] エピローグ:消えない想い[テツヲ](2012/03/10 20:27)
[14] 壱の章【信じる者の幸福】 1-1 高臥の少女[テツヲ](2012/07/11 23:53)
[15] 1-2 ファンタスティック事件[テツヲ](2012/03/10 17:56)
[16] 1-3 寄り添い[テツヲ](2012/03/10 18:25)
[17] 1-4 お忍びの姫様[テツヲ](2012/03/10 17:10)
[18] 1-5 スタンド・バイ・ミー[テツヲ](2012/03/10 17:34)
[19] 1-6 美貌の代償[テツヲ](2012/03/10 18:56)
[20] 1-7 約束[テツヲ](2012/03/10 19:20)
[21] 1-8 宣戦布告[テツヲ](2012/03/10 22:31)
[22] 1-9 譲れないものがある[テツヲ](2012/03/10 23:05)
[23] 1-10 頑なの想い[テツヲ](2012/03/10 23:41)
[24] 1-11 救出作戦[テツヲ](2012/03/11 00:04)
[25] 1-12 とある少年の願い[テツヲ](2012/03/11 12:42)
[26] 1-13 在りし日の想い[テツヲ](2012/08/05 17:05)
[27] エピローグ:信じる者の幸福[テツヲ](2012/03/09 01:42)
[29] 弐の章【御影之石】 2-1 鏡花水月[テツヲ](2012/07/11 23:54)
[30] 2-2 相思相愛[テツヲ](2012/12/21 17:29)
[31] 2-3 花顔雪膚[テツヲ](2012/02/06 07:40)
[32] 2-4 呉越同舟[テツヲ](2012/03/11 01:06)
[33] 2-5 鬼哭啾啾[テツヲ](2012/03/11 14:09)
[34] 2-6 屋烏之愛[テツヲ](2012/06/25 00:48)
[35] 2-7 遠慮会釈[テツヲ](2012/03/11 14:38)
[36] 2-8 明鏡止水[テツヲ](2012/03/11 15:23)
[37] 2-9 乾坤一擲[テツヲ](2012/03/16 13:11)
[38] 2-10 胡蝶之夢[テツヲ](2012/03/11 15:54)
[39] 2-11 才気煥発[テツヲ](2012/12/21 17:28)
[40] 2-12 因果応報[テツヲ](2012/03/18 03:59)
[41] エピローグ:御影之石[テツヲ](2012/03/16 13:24)
[42] 用語集&登場人物まとめ[テツヲ](2012/03/22 20:19)
[43] 参の章【それは大切な約束だから】 3-1 北より訪れる災厄[テツヲ](2012/07/11 23:54)
[44] 3-2 永遠の追憶[テツヲ](2012/05/12 14:32)
[45] 3-3 男子、この世に生を受けたるは[テツヲ](2012/05/27 16:44)
[46] 3-4 それぞれの夜[テツヲ](2012/06/25 00:52)
[47] 3-5 ガール・ミーツ・ボーイ[テツヲ](2012/07/12 00:25)
[48] 3-6 ソロモンの小さな鍵[テツヲ](2012/08/05 17:20)
[49] 3-7 加速する戦慄[テツヲ](2012/10/01 15:56)
[50] 3-8 血戦[テツヲ](2012/12/21 17:33)
[51] 3-9 支えて、支えられて、支えあいながら生きていく[テツヲ](2013/01/08 20:08)
[52] エピローグ『それは大切な約束だから』[テツヲ](2013/03/04 10:50)
[53] 肆の章【終わりの始まり】 4-1『始まりの終わり』[テツヲ](2014/10/19 15:41)
[54] 4-2 小さな百合の花[テツヲ](2014/10/19 16:20)
[55] 4-3 生きて帰る、一緒に暮らそう[テツヲ](2014/11/06 20:52)
[56] 4-4 情報屋[テツヲ](2014/11/24 23:30)
[57] 4-5 かつてだれかが見た夢[テツヲ](2014/11/27 20:33)
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[29805] 4-4 情報屋
Name: テツヲ◆c49d9b75 ID:30a5855b 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/11/24 23:30
 
 背の高い廃墟が無数に連なった、路地裏というにはあまりにも退廃とした区画の外れにその病院は居を構えている。

 埃と産業ガスが入り交じったような澱んだ空気と、飢えた鼠を思わせる陰湿な気配がそこかしこに漂う。そんな不潔で無秩序な空間の真っ直中に病院が座す光景は、まるで森の奥で見つけたお菓子の家のように違和感を誘う。

 モダニズム建築ではなく伝統的な木造建築。白く清廉とした病棟ではなく、古く劣化した一般家屋。風邪を治療する代わりに、体内に残った銃弾の摘出を。

 正式な認可も資格もない、その非合法の医療機関は、名を田辺医院という。



 俺がここを訪れるのはいつ以来だろうか。ずいぶんと前のことのように感じるが、つい昨日のことのようにも思える。ここ最近、いろんなことがありすぎて時間の感覚がおかしくなっているのかもしれない。

 いわゆる闇医者というだけあって、あらためて訪ねてみれば田辺医院の待合室は一般的なそれと比べて異様なのだと思い知らされる。

 くたびれた民家にしか見えない外観とは違い、内装はリノリウム材質を使うことで医療の場に相応しい清潔さを演出しているが、不規則に明滅する蛍光灯や、枯れ果てた観葉植物といった不気味なインテリアの数々が、本来なら感じられるであろう潔白な印象をひどく無機質なものに変えている。隅に置かれたキァビネットには、いつの時代かも分からない手垢のついた新聞が、時の流れに忘れ去られたかのように沈黙していた。

 ずっと昔、それこそ俺が生まれるよりも以前から、この場所は何も変わっていないのだろう。いつも、いつでも、いつまでも、愚直なまでの誠実さで傷ついた者を癒しては、それと同じだけ人の死を数えていく。

 そして、もう一つ。

 変わっていないと言えば、もっとも変わっていないのはこの人なのかもしれなかった。
 
「きゃ~! 夕貴くんだ~! もうどうしよ今日ちゃんとおめかししてないのに~!」

 呆然とたたずむ俺のまえで、そんなご機嫌なことを言いながら頬に手を当ててくねくねと身をよじっているのは辻風波美さんである。

 正確な年齢は聞くに聞けないが、おそらく二十代前半だろう。派手にならない程度に染めた長髪を団子に結わえて、真新しいナースキャップを被っている。うっすらと施された化粧は、まだ少女の面影が残ったやや幼い顔立ちに、大人の女の色香を絶妙な塩梅で与えていた。背は低いが、それがまた小動物のような愛嬌がある。昨今ではほとんど見なくなったワンピースタイプの看護服も相まって、男にとっては魅力的な女性に映ることは間違いない。

 彼女はこの病院に勤める看護師であり、院長である田辺さんの助手だった。俺も以前、美影とともに世話になったことがある。

「ところで夕貴くんって彼女いたっけ? いるかな? いなかったよねっ? 相変わらずあたし彼氏ハイパー募集中なんだけどっ!」
「すいません。いきなり連絡もなしに来てしまって」
「え~! やっぱりいないの~!? ほんとに~!? 夕貴くんその顔で冗談やめてよ~! あんまり思わせぶりなこと言ってたら、そろそろあたしの中の女の部分が目覚めちゃうぞっ?」
「実はちょっと辻風さんに聞きたいことがあるんです。いま時間は大丈夫ですか?」
「安心して。今日の色は……紫だよ! しかもフロントホックっ! きゃ~! 夕貴くんのえっちバカヘンタイ強姦魔~!」
「んなことだれも聞いてねー! そして人の話も聞いてねー!」

 ぜえぜえと肩で息をする俺をじっと見つめて、辻風さんは陶然とした表情で呟いた。

「……怒った夕貴くんも素敵」
「はい、お疲れ様でした」
「ちょっと待った~! 冗談だってば待ってよ夕貴く~ん! 乙女の可愛いジョークってやつに決まってるじゃんか~!」

 滑り込むような勢いで腕を掴まれる。ナース服の胸元を押し上げるたわわな膨らみの感触に、思わず足を止めてしまう。この人、背丈が小さくて大学生みたいなノリが残ってるわりには、けっこうおっぱいでかいんだよな……と、考えてしまうのは男である以上、仕方ないのだろうか。

 あらためて挨拶を交わしたあと、俺たちは待合室のソファに並んで座っていた。昼時ということもあり間違いなく勤務時間中のはずなのだが、辻風さんは苦い顔をすることなく、冷たいアイスコーヒーまで淹れて歓迎してくれた。

「ほら、飲みなよ少年。お姉さんの奢りだぞ」

 ストッキングに包まれた足を大げさに組んでそんなことを言う彼女が、ずいぶんと微笑ましく見えたものである。いくつか軽い雑談を交わすなかで院長の田辺さんはいま留守なのだと知った。どうりで辻風さんがやりたい放題、いや、自由なわけだ。

「それで、いったい全体どうしたの、夕貴くん。こんなとこまでわざわざやってきて。それとも、もしかしてあたしじゃなくて院長のほうに用があったりするパターンのやつ、これって?」
「いえ、俺は田辺さんじゃなくて、辻風さんに会いたかったんです」
「うっ、そう素直に言われると、さすがのあたしも照れちゃうぜ……ぽっ」

 俺の顔をチラリと見ては、そのたびに頬を紅潮させてそっぽを向く。人選を間違えたかな、と内心で後悔し始めながら、俺は順を追って確認していくことにした。

「辻風さんは……いちおう、看護師なんですよね?」
「そのいちおうってのが凄まじく引っかかるけど、まあそうだね~。新米看護師の波美ちゃんって言えば、ささくれた心に一時の癒しを与える女神としてこの界隈ではちょっとした有名人だったりするのだ」
「勤務歴は、たしか二年ぐらいでしたっけ?」
「そうそう。当時のあたしはまだ色んな意味で若かったもんだよ。ちょうど例のシリアルキラーの騒動があったときだっけかな。いやぁあのときは色々と大変だったね~」
「辻風さんは、けっこういろんなことを知ってるんですね」
「まあね~。ここにいれば裏の情報なんていくらでも入ってくるし、個人的にもそういう商売やってるしね。ふっふっふ、駆け出しの波美といえば、《新米看護師》という謎の美女と並んで、この界隈では有名な《情報屋》だったりするんですぜ旦那」
「じゃあ、そんな辻風さんを見込んで、ちょっと聞きたいことがあるんですが」

 明るい空気のままに冗談げに切り出すと、俺が腹に隠した思惑を察したのか、辻風さんはぴたりと動きを止めた。

「夕貴くん、それって、あたしから情報を買いたいってこと?」
「単刀直入に言えば、そうです。そのために俺はここに来たんですから」
「ふうむ」

 顎に手を添えて、辻風さんは俺という人間を見定めるかのように視線を動かした。

「あたしは《情報屋》だからね。お客さんが知りたいことなら、知っている範囲でなんでも答えるし調べてあげるよ。もちろん、タダってわけにはいかないけどね」

 いつものように朗らかに笑いながら、しかし目には挑戦的な輝きが宿っている。唇をぺろりと舐める仕草が獲物を前にした肉食獣のようだ。忘れていたわけではない。気を抜いていたわけでもない。それでもあらためて思い知らされた気分だった。どんなに明るく見えても、彼女はれっきとした裏社会の住人なのだと。

「いい、夕貴くん。そもそもこの裏社会において情報ってのは、それこそジュエリーショップに並んでる宝石よりも価値のあるもんなんだよ」

 分別のない子供を優しく諭すように彼女は言う。一つの有用な情報は、時として莫大な財力を生み出し、無秩序な暴力を秩序あるものとし、理不尽な権力を退けることもあると。表社会でも些細な情報の漏洩が、水面に投じた一石のように波紋を呼んで、大きな企業や組織を潰してしまうケースだって少なくないように。

「まあ、だからといって”ただ知っている”だけじゃなんのアドバンテージにもならないんだけどね」

 もっともな話である。情報技術が発達した現代においては、ただ知りたいだけであるならば、一日中テレビやネットに齧り付いているだけで世界で起こっている大体のことを理解できてしまう。

 しかし、それでは意味がない。

 多くの場合において情報とは希少価値と比例するものである。公共電波によって脚色された悲劇も、大げさに踊る活字の文体も、人の目に触れた瞬間からそれは情報ではなくただの知識となってしまう。

「だから、それを管理し、情報を司ることを生業とする裏稼業が発生するのもまあ必然っちゃあ必然だよね」

 原因を感知し、流出を待機し、通信に従事し、伝聞を獲得し、出処を確認し、真贋を鑑定し、価値を追求し、概況を掌握し、情報を蒐集する。

 これら九工程のうち一つでも欠ければ稼業としては成り立たない。己の知的好奇心の赴くままに、あるいは第三者に依頼されたがために、十進法だけでは解き明かせない謎を、文字と数字と記号の羅列と二進法によって白日のもとに晒す。

「それがあたしたち《情報屋》だよ。自分が気になることなら、世界中にいる鳩の数だって完璧に調べ尽くす。それがお客さんに依頼されたなら、たとえこの世の真理だって丸裸にしてみせる。ペンは剣よりも強しだなんて言うつもりはないけど、少なくとも情報があればこの世界を生きていけるのだ。そうだろう、夕貴くん!」
「お、おぉ……」

 なんとなくパチパチと拍手を送る。ふっ、ちょっと決まりすぎちゃったかな、と頬をかいて微妙な喝采を受け取る辻風さん。この人がどこまで本気なのか、どちらの姿がほんとうなのか俺には分からない。もしかしたらこうして俺のとなりで見せる笑顔がすでに虚構なのかもしれないと。

「何度でも口を酸っぱくして言うよ! 夕貴くん、あたしってやつぁ今時珍しい超優良物件かもしれりゃ痛ぁっ! し、舌噛んだ~!」

 そう思ったのは、俺の気のせいだということにしておこう。涙目でじたばたと暴れる辻風さんを慰めるには数分を要した。

「んで、夕貴くんが知りたいことって何?」

 ソファのうえにあぐらをかきながら辻風さんが尋ねた。そんな風に座られるとじゃっかん目のやり場に困るのだが、辻風さんはどうにも気付いてないらしい。これが狙ってないと自信を持って言えるから、この人は大人の威厳というものから縁遠いのだろう。

「夕貴くんのことは個人的に気に入ってるから、なるべく力にはなってあげたいけどさ。さすがに取り扱ってるネタにも限度はあるし、先に聞いとこうと思って」
「そうですね。たとえば《法王庁》っていう組織のこととか」
「あ、そんなこと? その程度でいいならタダで教えてあげるよ。どうせみんな知ってることだしね~」
「じゃあ異端審問会について」
「裏世界じゃ有名だよね。人が人であるために人の理を外れた者たちに人だけで対抗しようと作り上げられた一大部門のこと」
「その傘下にある、特務分室とかいう組織のことは?」
「あーなんか《悪魔》を退治しようと頑張ってるやつらのことでしょ? 数週間前に正式な要請を受けて来日したんだってね。どうせ外交で弾かれると思って適当に見てたんだけど、まあ《青天宮》が内部の権力争いでゴタゴタしてる以上、よそに仕事を委託するしかないのかな」
「なんかけっこう普通に教えてくれますね」
「……あのねぇ、夕貴くん」

 やれやれ困ったボーイだぜ、と辻風さんはこれみよがしに肩をすくめた。

「そんな、道端を歩いてる悪い兄ちゃんでも運がよければ知ってるかもしれない程度のことでいちいち商売してたら、あたしは世間話もできないじゃん。だから、たとえばその法王庁特務分室の軍事費を、人件費から軍事政策なんかに関する各種の費用まで事細かに調べてくれだとか、せめてそれぐらいは聞いてくれないと張り合いがないってもんよ」
「まさか、そこまで調べたりもできるんですか?」
「さぁ、どうだろうね~」

 どうにも真意が読み取りづらかった。腹芸が達者なのは裏社会の住人に共通することだが、彼女の場合は情報を司るという職業上、それに輪をかけて洞察が難しい。

「それじゃあ……《悪魔》のことについて、は?」

 自分で口にするのは少しだけ勇気のいる単語だった。辻風さんはすぐには答えず、曇りのない大きな瞳で、俺をじっと見つめる。もしかしたら彼女は俺のこともぜんぶ知っているのかもしれないと、そんな危惧さえ抱き始めた頃、沈黙は破られた。

「知ってるよ。よその国はともかく、この日本という国においてそれは馴染みぶかい言葉だからね」

 かすかな違和感。ナベリウスやリズの話では、《悪魔》の主な活動域は欧州であり、アジアの方面では目立った動きはないと聞いていたのに。

「十九年前に裏社会で起きた未曾有の抗争、通称《大崩落》。それと同時期に活動が確認された《悪魔》が、この国にはいたんだよ」

 いまさらながらにふと思った。十九年前。ちょうど俺が産まれた時期と、一致するって。

「だから国のお偉いさんのなかでも、とくに団塊の世代は《悪魔》という言葉を病的に恐れてる。それは混乱を、暴動を、破壊を、死を、そしてあの《大崩落》を強く思い起こさせるから」

 冷たい目で、忌々しそうに辻風さんは言った。かつての地獄のような抗争は、彼女の人生にも暗い影響を及ぼしたのだろうか。

「その《悪魔》って、名前は……?」
「さあ? なんだかんだ言っても当時はあたしも物心つくかつかないかの頃だし、詳しくは知らないわ。もともとそっちの方面にはあんまり興味ないしね。もし気になるなら調べておこっか?」
「……いや、大丈夫です」

 気のない返事をしながら、俺は強い確信を抱いていた。間違いなく父さんだ。十九年前に父さんは何らかの目的のために日本に来て、そして母さんと出会った。

 父さん。いったいどうして死んでしまったんだ。どうして俺と母さんのまえからいなくなってしまったんだ。あのダンタリオンやフォルネウスでさえ惜しみのない敬意を払うほどに強かった《バアル》が、どうして。

 十九年前に、いったい何があったんだ……?

「むしろあたしは《大崩落》のほうが気になるぜってなもんよ。あれだけ大きな抗争だったにも関わらず、その原因がまったく分からないなんてきな臭いどころの話じゃない。規模と知名度だけでいえば、あの《ミッシング・トゥルース》をも上回るかもしれないってのに」
「なんですか、それ?」
「いわゆる世界七大未解決事件のことだよ。まあ学校の七不思議みたいなもんだね。《法王庁》と国連が共同して、天文学な懸賞金を賭けていることから《ミレニアムセブン》なんて揶揄されてたりもするけど。あたしたち《情報屋》にとっての目標というか、最終到達地点みたいなもんだと考えてくれりゃあいいよ」
「そんなことまで教えてくれるんですね」
「うーむ、こんなの裏じゃあ世間話を超えて常識なんだけどなぁ」

 勝手に有り難がっている俺を、辻風さんはどうにも釈然としない顔で見つめていた。

 なんだかんだと言いながらも辻風さんは俺に色々と教えてくれた。彼女の言葉を借りるなら、それは常識の範囲内らしく、むしろ無知ゆえに呆れられたりもした。それでも裏社会のことを何も知らない俺にとっては有意義な時間だった。出会ってから一時間が経った頃には、俺も夜の街のうまい歩き方ぐらいは弁えるようになっていたと思う。

「どんぐらい前だったかな。北欧の片田舎で起きた集団テロみたいなやつ。あれも確か、夕貴くんの言う《悪魔》の仕業だったみたいだよ。あ、ちなみにこれもネットの一部でオカルトマニアを中心に騒がれてるネタだから。日本でも一時期、ニュースで流れてたしね~」
「……あいつら、か」

 血よりもなお紅い大悪魔の笑い声をいまでも悪夢に見る。空よりも蒼い大悪魔の力が脳裏に焼き付いて離れない。あんなやばい奴らがこの国にいて、いまこの時も暗躍している。誰もが持つ当たり前の日常を、まるで意に介さず踏みにじろうとしている。そんなの、許せるもんか。

「辻風さん。グシオンって名前に心当たりはないですか?」
「んー、さっきも言ったけど、あたしは《悪魔》には疎いっていうか、そもそもあんまり興味がないのだよ。残念ながら夕貴くんに提供できるだけのネタは持ち合わせていないんだよね~」

 実を言うと、俺がもっとも辻風さんに聞きたかったのは奴らのことだった。現存する三大勢力の一角を率いる《グシオン》の動向を、なにか小さな手がかりでもいいから探れないかと考えていたのだが……。

「そんなことより夕貴くん! 美影ちゃんは元気にしてるのかなっ?」

 キラキラと目を輝かせた辻風さんがぐいっと近づいてくる。なぜだろう。弾けんばかりの眩しい笑顔なのに、なんとなく大人特有の打算と卑しさを強く感じる。

「え? まあ元気にしてますけど」
「なんかあれじゃない? たしか波美お姉ちゃんに会いたいなぁ~なんて言ってなかったっけ?」
「これっぽっちも聞いてないですし、そもそも美影はそんな可愛いこと死んでも言いませんけど」
「そこまで言うなら仕方ない! この波美ちゃんが今度、ご飯にでも連れてってあげよう! くっくっく、適当に美味いもん食わせて懐柔してやんよ……」
「頑張ってください。じゃあ俺、そろそろ帰りますから」
「冷たいっ! 冷たすぎるよ夕貴くん! もうちょっとあたしに協力してくれてもいいんじゃんかよ~!」

 オーイオイオイと泣きながら抱きついてくる。とりあえず流れのままに引っペがしてみると、辻風さんは地面に手をついてうなだれていた。

「コネだ、コネがいる……。そんでどうにかして《壱識》の一門に取り入って、たんまりと情報を手に入れて……ブツブツ」

 なんか恐ろしいシナリオが描かれているような気がするが、俺はなにも聞かなかったことにした。

「はぁ、そんなに美影の家に興味あるんですか?」
「あったりまえじゃん! 興味ないやつなんて死んでいいよ! ぶっころだよぶっころ! あたしが許す!」

 くわっと目を見開いて、辻風さんは強烈な眼光を飛ばしてくる。本気で怖かった。

「あの十の一門は、あたしたちからしてみれば生きた伝説みたいなもんなんだよ! 天然記念物なんだよ! なんかもう化石なんだよ! 分かる!?」
「とりあえず凄いってことですよね。わかります」
「そう! それ! マジでそれなんだよ夕貴くん! 十九年前に《零月》の血が絶滅しちゃったいま、残ってるのはあと九つの家しかないんだよ! これがどんだけやばいことなのかわかってるの!?」
「いやまあ大変なのはなんとなく分かりますけど、俺にはあんまり関係ないことですし……」

 あんまりではなく、まったくと言ってもいいだろう。表社会で生まれ育った俺が、裏の勢力について興味など沸くはずもない。辻風さんには申し訳ないが、また別に語り合える同志を探してもらうとしよう。

 あらかた話が終わるのと、勤務時間中の辻風さんが己が職務の何たるかを思い出すのはまったくの同時だった。院長には内緒にしといてね、と笑って、辻風さんは表まで見送ってくれた。

「そういえば、リチャード・アディソンって知ってます?」

 並んで歩きながら、記憶の片隅に眠っていたその名を何気なしに口にすると、辻風さんの顔色が変わった。

「知ってるもクソもってな感じだよね。なに、夕貴くんの知り合いだったりするの?」
「いや、そういうわけじゃないですけど。ただちょっと気になったもので」
「じゃあよかったね」

 笑顔でひらひらと手を振って、どこか投げやりに締めくくる彼女の意図がわからず、俺はもういちどだけ尋ねた。その程度の好奇心ならやめときなよ、と彼女は続けた。

「仕方ない。出血大サービスだ。可愛い可愛い夕貴くんに、お姉さんがアドバイスをしてあげよう」
「ちょっと待ってください。いったいどういうことですか?」
「その一、アレには絶対に近づくな」
「俺はそいつをよく知らない。でも嫌なところでよく名前を聞くんです。辻風さん、教えてください。リチャード・アディソンってのは何者なんですか?」
「その二、年上のお姉さんの助言は忠告ではなく警告だと思ってしっかりと聞くこと」
「辻風さんっ!」
「その三」

 逸る俺を、寂しそうな顔で制して、彼女は言った。

「もしきみの身近にいる女の子がピンチになったら……そのときは絶対にきみが助けてあげること」

 辻風さんは何を知っているのか。そしていま、どういう心境なのか。俺には分からない。それでも口を噤んで思わず頷いてしまう程度には、彼女の言葉はとても誠実で――

 これから起こることを、よくない未来を、暗示しているように思えた。



****



 華やかな通りに面した瀟洒なカフェテラスも、燦々と降り注ぐ日差しのまえには色あせてしまう。春風の心地いい季節や、紅葉の舞う時期が訪ればさぞ賑わうのだろう。しかし、アスファルトに陽炎が揺らめく夏場にかけては活気がなく、喧騒もまばらだ。

 道行く者は皆うだれていた。緩やかな弧を描いて落ちる白い灼熱を呪いながら、額から汗を流し、僅かな日陰を求めて足早に歩いていく。暑さから逃れようと一様して薄着のまま、露出した肌を太陽に焼かれていた。

 そんな雑踏のなかで、ことさらに壱識美影が目立っていたのは服装のせいだろう。愛華女学院が指定する黒地のセーラー服と、黒のストッキングに、黒のローファー。桜の頃には映えるその衣装も、真夏日にはひどく見苦しい取り合わせに変わってしまう。それでも美影を見る目の多くが好意的だったのは、たんに彼女が服装の重さに負けない美形だったからだろう。

 ほとんど汗もかかず、涼しげな顔で指定されたカフェテラスまでやってきた美影は、空いていた隅のほうの席にそっと腰掛けた。

「早かったのね。五分ほど予定が狂ってしまったわ」

 美影の背後の席にあらかじめ座っていた先客が、手に持っていた文庫本に視線を落としたまま、振り向かずに言った。

「ただの気まぐれ。なにか問題ある?」
「べつに。ただあなたが来る前にちょうどこの本を読み終えるつもりだっただけ」

 抑揚のない声で言って、壱識千鳥はあと数ページだけ残った本を未練なく閉じた。

 美しい女性だった。麗らかな長い黒髪と透けるような白い肌が、古き時代に忘れ去られた、かつての女性の理想像を思い起こさせる。眉目の整った顔立ちや、柔らかな肉付きを残しながらも引き締まった身体は、当然のことながら誰にも魅力的に映る。しかしそれ以上に、髪を耳にかける仕草など、所作の節々からは成熟した大人の女の色香を強く醸し出していて、男にとってはもはや毒のようなものだった。かつての夫を喪ったという悲しみが表情に影を差し、目元は常に物憂げで瑞々しい憂いに濡れている。それは年を重ねて、悲哀に泣いたがゆえに完成した儚い美貌だった。

 親子のようによく似ていて、姉妹のように瓜二つで、そして他人のようにすれ違った二人は、互いに背を向けたまま言葉を交わす。

「その制服、どうしたの?」
「さっきまで学校だった」
「あら、てっきり夏休みだと思っていたのだけれど」
「なんか登校日とかいうやつ。あやめに無理やり連れて行かれた」

 一見すれば、何のことはないありきたりの会話にも思えるが、美影と千鳥の間には目に見える関心がない。もし仮にいま、美影が人を殺してきたと言っても、千鳥はそうと一言だけで済ませていただろう。無論のこと愛は存在する。ただ、それを表現し、うまく伝えることができないだけだ。そしてそれが、親子という間柄においてもっとも致命的な欠陥であることを、二人して知らないだけなのだ。

「日取りが決まったわ」

 美影をわざわざ呼び出した理由を、千鳥は告げた。

「今夜、例の場所。詳しくは現地で」
「わかった」
「なにか言っておくことはある?」
「ううん」
「そう」

 美影には他に訊くことはなく、千鳥には何も言うことがなかった。夏の暑さを忘れさせるような冷たい沈黙。不幸中の幸いだったのは、二人にとってそれが気まずいものではなかったことだろう。

「彼とは、どう?」

 腕時計を見ながら千鳥が尋ねた。ポニーテールに結わえた髪をいじりながら美影は答える。おそらく美影も千鳥も気付いていないだろうが、まとった空気や雰囲気、そして仕草の一つに至るまでが微笑ましいほどにそっくりだった。

「夕貴のこと?」
「あなたが珍しく慕っているようだったから」
「べつに普通。あんなやつどうでもいい。母親が帰ってきてからさらにうざい」

 千鳥は切れ長の目を閉じて数秒ほど黙考してから首肯した。そんな母親の反応が物珍しかったからだろう、美影は肩ごしに振り返って千鳥を見た。腰まで伸びた黒髪が風に揺れているだけだった。

「美影。もう少し、彼のそばにいなさい」

 言われるまでもないことだった。広くて、快適で、勝手に美味しい料理が出てきて、萩原邸は美影にとって非常に住み心地のよい場所なのである。女々しいくせに男らしいと言い張る少年と、いつか復讐すべき天敵が潜んではいるが。

 それでもあの家にいることと、夕貴のそばにいることでは大きく意味が違うと美影は思った。母親の手前ということもあり頷いてみせたが、ここに夕貴がいれば間髪入れずに拒否の姿勢を取っていただろう。

「萩原小百合とも……いえ、夕貴さんのお母様とも仲良く、ね」
「……? わかった」

 千鳥の言い回しに漠然とした違和感を覚えて、美影は小首を傾げた。そんな娘の疑問が言葉という確かな形となるまえに千鳥は立ち上がっていた。去りゆく間際、美影の胸元に揺れる御影石のペンダントを数瞬だけ見つめて。

 美影は遠ざかっていく母親の背を亡羊とした目で見つめる。千鳥の姿がごった返す人混みに紛れて消えるのにそう時間はかからなかった。

 そのまま何ともなしに雑踏を見つめていると、幸せそうに並んで歩く親子連れが目に付いた。まだ年若い両親が、子供という名の橋を両手で繋いで川の字を作っている。あんなふうに街を歩くのが普通なのだろうか。少なくとも美影には母親に手を繋いでもらった記憶はない。そもそも繋いでほしいと思ったことさえなかった。むしろ邪魔だろう。片方の手が塞がるということは、それだけ緊急時の対応が遅れるということなのだから。それでも、どうしても手を繋がなければいけないというのなら、よかった。幸いにも美影には母親しかいない。

 そう、母親しか、いないのだ。

 そこまで考えて、美影は怪訝に思った。初めて心の底から興味を持った。右手で母親からもらった御影石のペンダントに触れる。しかし左手は空いていた。何も掴むものがなかった。握り返してくれる温もりなど初めから知らなかった。

 それを幸運というのか不幸というのか、美影には分からなかった。








****


【用語】

・情報屋
 その名のとおり、裏社会において情報を売買することによって生計を立てる稼業のことを指す。辻風波美が該当する。
 明確な基準は存在せず、当然のことながら認可も資格も必要としないため、極論すると情報屋だと名乗れば誰だってそのように認められる。
 しかし、情報屋には九の過程を踏むことが必要だとされており、それができなければ一介の稼業としては成り立たない。すなわち原因感知、流出待機、通信従事、伝聞獲得、出処確認、真贋鑑定、価値追求、概況掌握、情報蒐集である。
 情報屋として裏社会で生きていくには最低限、身を守るための力や資金、そして人脈が必要であるが、辻風波美は田辺医院の庇護を得ることでそれらを補っている。

・世界七大未解決事件
 およそ全ての情報屋にとっての明かすべき目標であり、最終到達地点とされる。《ミッシング・トゥルース》とも。法王庁と国連が共同して莫大な懸賞金をかけていることから《ミレニアムセブン》と揶揄されることも多い。
 全ての事件に共通している事柄は三つ。
 一つ、裏世界だけでなく表世界にも知られるほどの知名度があること。
 二つ、天文学的な懸賞金がかけられていること。
 三つ、いまだ誰にも解決されていないこと。


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